「……お久しぶりです、理事長」
「肯定ッ! 2年と8ヶ月ぶりだな、克樹よ!」
重い足取りのまま訪れた理事長室に響く、凛とした声。
その声の主は、秋川やよい。ここ府中『トレセン学園』の理事長を務めている女性だ。つまるところ俺の上司にあたる。
そんな彼女の声に煩わしさを感じながらも、俺は口を開いた。
「何の用ですか? 短く、端的にお願いします。俺忙しいんで」
「拒否ッ! 積もる話もある、そこに座れ!」
「嫌です」
「何故だ!」
「忙しいからです」
「笑止ッ! 元はと言えば貴様がこれまで呼び掛けに応じず来なかったのが原因だ!」
「それは悪かったです。で? 用件は?」
「不変ッ! 相変わらずだな貴様は!」
暑苦しいんだよ、マジで。
顔が引き攣るのを抑えられない。
ただこの人が言い出したら聞かないのはよくわかっている。
「はぁ……疲れる」
「最初からそうしておけば良かったのだ!」
「……とりあえず、俺から話してもいいです?」
「許可ッ! なんだ?」
「……ありがとうございます。俺をもう一度トレーナーとして雇ってくれて。持ちかけられた時はめっちゃ拒みましたけど……結果として、今凄くいい思いをさせて貰ってます」
「杞憂ッ! 要らん感謝だ! 貴様が残してきた実績と、今刻み続けている実績を鑑みれば当然の処置だ。やはり私の目に狂いは無かったッ! ただ、それを言うのが些か遅かったのではないか、克樹よ?」
「返す言葉もないです、ハイ」
ニヤリと笑いながら指摘する理事長に、俺は曖昧な返事を返すことしか出来なかった。
実際問題、俺とスカーレットが現在成し遂げていることは、“トゥインクル・シリーズ”全体を通して偉業と言えることだ。
すると理事長は表情を一転、真面目な面持ちで俺へと問いかける。
「……“あの件”のことを、まだ悔いているか?」
「……正直に言えば。あれは俺にとっても──
「憂慮。その気持ちはわかる。だがあれは仕方のない事だった。URAに巣食う膿を出す為に、貴様と言う犠牲を強いてしまった──本当に、済まなかったと思っている」
「やめてくださいよ、その件はもう終わったことですから。別に今更謝って欲しかったわけじゃないんです」
ただ、と俺は前置く。
「……俺を良く思わないウマ娘達も、多いでしょうね」
「……肯定。事実高等部のウマ娘……“あの件”の表面しか知らないウマ娘達からは不満と不安の声が上がっている。
「ルドルフ、か……その箝口令、あんまり信用ならないですね。アイツ自身も俺のこと憎んでるでしょうから」
「否定ッ! それは違うぞ克樹。彼女は貴様を憎んでなどいない」
「どうでしょう……面と向かって話す勇気もないんですよ、俺は。アイツには……色々なものを背負わせてしまいました。どんな顔して話せばいいのか、復職して1年以上経った今でもわかりません」
理事長の顔を見るのが怖くて、俺は窓の外への視線を移す。個人名まではわからないが、ターフを駆ける数名のウマ娘の姿が見えた。
「……あの頃を、思うことはあるか?」
「意地悪ィっすよ、その質問」
俺は解答をあえて濁した。
理事長が問うている“あの頃”とは──
──『君を信じてみよう、トレーナー君』──
時折、思いを馳せることがある。
それは今ではなく、かつての思い出。
──『トレーナー! 見たかウチの走り!』──
数年が過ぎてなお色褪せることはない。
目を閉じれば鮮明に浮かぶ、
──『トレーナー君! 新しい理論を構築したのだが、一緒に検討してくれるかい?』──
個性豊かでバラバラで。それでも毎日が充実していて。
そんな彼女達の中に、一際大きな信頼を寄せてくれている少女が居た。
──『トレーナーさんとなら、どこまでも行ける気がするんです』──
何もかもが手探りで、必死に足掻いて漸く手に入れた一勝。それを俺は──否、“俺達”は、心の底から喜んだ。
それを味わうためなら、自分の人生を全てを捧げてもいいと思った。
“彼女”のために、必死に勉強してトレーニングプランを考えて。それを“彼女”は疑うことなく実践してくれて。負けることもあったけれど、一戦ごとに着実に成長していって。いつしか重賞で連勝を重ねるまでになり、将来を期待されるほどのウマ娘になって、そして。
あの
それは大きな波紋を呼んで。俺たちはそのままでは居られなくて。
彼女たちを守るには、誰かが犠牲にならなくちゃいけなくて。どう足掻いても、その理不尽を受け入れるしかなくて。
だから俺は、彼女に何も伝えず、全てを託して。そしてそれから──
「克樹よ! 聞いているのか」
「んぁ──すみません、少々考え事を」
耽った心が、不意の呼びかけで覚醒する。
見れば不安げな表情でこちらを覗き込む理事長がいた。
「……最近感傷に浸る、って言葉の意味を理解した気がします」
「まだ若いではないか、貴様も」
「年齢以上の修羅場を潜らされてる気がしてるって話ですよ。誰かさんのせいで」
「不明! 酷い輩がいた者だな、全くもって見当も付かない」
そう言って豪快に笑う理事長を、俺は半目で睨みつけた。
「……まぁいいですけど。悪いことばかりじゃなかったですしね」
「安堵ッ! そう言ってくれると助かるぞ!」
「自覚あるんじゃねぇか」
俺の軽口に爆笑している理事長を嘆息しながら眺めていると、理事長室のドアの方からノックの音が聞こえてきた。
「許可ッ! 入るが良い!」
理事長の言葉を受けてドアが開く。そこに立っていたのは。
「理事長、お話中大変申し訳ありま──」
「──あ」
やりやがった。
理事長は、ニヤリと笑っている。最初からこれが目的だったんだ。
「──松田、克樹」
「……」
理事長室のドアを開けたまま硬直していた彼女が、俺の名前を呼ぶ。
しかしながら俺は、そんな彼女の目を見ることすら出来ずに顔を伏せた。
「嵌めましたね、理事長」
「肯定ッ! こうでもしなければ、貴様はずっと彼女に会わないつもりだっただろう?」
「……帰ります。失礼しま──」
「
「はい」
「うぐっ!?」
立ちあがろうとした刹那、理事長と話している間ずっと後ろに控えていた一人の女性が、名を呼ばれた瞬間弾かれたように飛び出して俺の肩に手を置き立つことを許さない。
「たづな、さん……ッ」
「お久し振りですね、克樹さん」
名を呼ばれた彼女──理事長秘書である
「……手、退けてくれませんかね。マジで動けないんですけど」
「理事長のワガママには手を焼いていますが、今回ばかりは同意です。克樹さんはキチンと彼女と話すべきだと思います」
「憤慨ッ! おいたづな聞こえているぞ! ワガママとはなんだ!?」
ぎゃあぎゃあと吠える理事長の言葉を、完全に無視するたづなさん。
さっきから本気で振り切って立ちあがろうとしているにもかかわらず、本気で動ける気がしない。この人マジでどうなってるんだよ。
「……理事長、先日お伝えしていた資料です。お目通しください」
「む。そうだったな! 感謝するぞ、
「いえ──それでは自分はこれで」
「な……」
「お気遣いいただき感謝しますが、自分からは彼と話すことはありません」
ルドルフ、と言われたウマ娘が、動揺している理事長に対して冷たく言い放った。
しかしそれは、どう聞いても俺に言っているようにしか思えなくて。
そんな彼女の態度に傷つかなかったと言えば嘘になる。だがそんな資格が俺にはないことも重々承知している。
そして彼女は、冷たい声色を隠さずに吐き捨てた。
「──彼が私と話すことを望まない限り、私が彼と話すことはないでしょう」
「ッ──!」
それを聞いた途端、俺の全身に電流が走る。
理事長室から去ろうとする後ろ姿が、
気づいた時には、口が勝手に動いてしまっていた。
「──待てよ、
「……」
俺の声を背に受けた彼女が、首だけでこちらを振り向いたまま立ち止まる。
向けられた氷のような眼差しに一瞬萎縮しながらも、俺は言葉を投げかけた。
「話がある」
「……貴方も、退室しようとしていたのでは?」
「今できたんだよ、悪いか?」
返事はなく、彼女は静かに俺を見据えている。
永遠に思える沈黙、実際は三十秒も立ってはいないだろうが──彼女はため息を一つ吐くと、いかにもしょうがなくと言った様子で口を開いた。
「……短時間で終わらせましょう。共に忙しい身、与太話に興じている時間もないでしょう」
「おう、ありがとな」
その言葉に返事はなく、彼女──シンボリルドルフは踵を返して部屋に戻り、理事長へと一礼した。
「先程は失礼しました。お気遣い感謝申し上げます」
「うむ、一向に構わん! ゆっくり話すと良い!」
「恐縮です」
理事長に会釈を返した彼女が、俺の前のソファに座る。その様子を見届けた後、ようやくたづなさんは俺の肩から手を離した。
「それで、話とは何でしょう」
「……相変わらずだなお前、機嫌悪いのを隠そうともしない。もう少し可愛く笑えよ、『皇帝』さん?」
「……」
挑発混じりのジョークにも反応なし。
軽く周りを見回せば微笑んでいる理事長とたづなさんの姿が見える。
いやなんでこの空気で微笑めるんだよマジで。終わってるぞこの部屋の空気。
おいちょっと聞こえてんぞ、『二人がまた話せてよかったですね』じゃねえんだわ。
全く当てになりそうに無い二人は無視して、俺はため息を吐きながら彼女に声をかける。
「……久しぶりだな、ルドルフ。立派に生徒会長やってるみたいで嬉しいよ」
「お褒めに預かり光栄です、松田克樹トレーナー。貴方の方こそ目覚ましい活躍ですね。『トリプルティアラ』獲得、おめでとうございます」
「取ったのは俺じゃねぇよ。ダイワスカーレットって言うんだけどさ、結構面白い奴で──」
「勿論知っていますよ。私は生徒会長ですから」
「……」
どこか棘を感じる言い回しに、俺は思わず顔を顰める。元より丁寧な話し方をするヤツだったが、ここまでではなかった。その原因は間違いなく俺にあるので責めようはないのだが、こうも取りつく島もないとこちらとしても手詰まりだ。
「それで、話とは何ですか? まさかこんな当たり障りのない会話をするためだけに私を呼び止めたとは言いませんよね」
氷の瞳が、再度俺を射抜く。結論を急ぐ彼女の様子は、俺との会話の終了を望んでいるように見える。
無論、話の内容なんて何も考えていない。先程のアレは、彼女をこの場に繋ぎ止めるために咄嗟に出た言葉に過ぎない。
それでも俺が彼女を呼び止めたのは、確信に近い“ソレ”があったから。
「……話があるのは、
「は……?」
「お前は賢いから、自分の感情に一瞬で蓋ができる……できてしまう。だからお前は、自分の感情を無視した言動を咄嗟の判断で行うことができる」
「……」
「さっき退室する時お前自分がなんて言ったか覚えてるか?」
「貴女と話すことはない、お伝えしたつもりですが?」
「そうだな。だがこうも言ったぜ? 『
俺の言葉に、ルドルフの表情が微かに曇った。それを見て、俺は自分の推測が正しいことを悟る。
そんな彼女に俺は──深々と頭を下げた。
「ごめん。本当にごめん」
俺の謝罪を受け取った彼女が、困ったように俺に問いかける。
「……どう言うつもり……です、か」
「違う、違うんだ。俺はこんな、探偵ごっこをしたかったわけじゃない。ただ……ただ君に謝りたかった。でも
「……」
彼女の顔が、苦悶に歪んでいる。この状況において尚、彼女は自分の心に蓋をしようとしている。そうなる前に、言葉を続けた。
「ちゃんと話してくれ、ルドルフ。俺に言いたいことがあるんだろ? 君には俺を、傷つける権利がある。どんな侮蔑も罵倒も全部ちゃんと受け止めるから」
「ッ──言いたいこと、だって……!?」
ギリッ、と歯噛みする音が聞こえた。次の瞬間。
「そんなの山ほどあるに決まっているだろう!?」
氷のような瞳は融解し──怒りの炎が灯った。
「そうさ、あるとも……この二年間、君が私に無責任に託して行ったものはあまりにも大き過ぎて壊れてしまいそうだった。この胸で沸る怒りをぶつけたいと何度も拳を握ったこともある。今だって、感情のままに喚き散らして、君を傷つけてしまいたいとさえ思っている自分がいる! けれど──」
そこで言葉を切った彼女が、胸に手を当てる。その手は彼女の激情を表すかのように震えていて。
「それを今更したところで──何も変わらないだろう……ッ!」
「……」
「あの事件が無かったことになるわけじゃない。君が私を置いて行った事実が消えるわけじゃない。だったら私が君に怒りをぶつける行為に……何の意味も生じない」
「でも、ルドルフ……それで、いいのかよ……っ」
「一つだけ答えてくれ──
「ッ!」
呼び方が、かつてのモノに変わった。
そして彼女は、絞り出したような掠れ声で俺へと問いかける。
「どうして……どうして私に何も言ってくれなかったんだ……ッ」
悲痛な面持ちで放たれた言葉。それを受けた俺は、彼女から目を逸らしそうになる。
しかしそれは、許されない。その表情をさせているのは、紛れもなく俺のせいなのだから。
逃げるな。向き合え。彼女の言葉を──受け止めろ。
「君が何かを抱えているのはわかっていた。あの事件には何か裏があることも……それがきっと、私たちを守るためであると言うことも。それでも、私には伝えて欲しかった。ただ一言、何かを伝えてくれれば……私も君も、こんな思いはしなくて済んだはずなのに……っ」
『皇帝』。周囲からそう呼ばれる彼女の普段の姿からは想像できないような、弱々しい姿。こんな状態になるまで──俺は彼女を、追い詰めてしまったのだろう。
「……ごめん。俺には、謝ることしかできない」
「謝ってほしいわけじゃない。君もわかっているんだろう?」
「……」
「トレーナー君。君にとっても、あの事件のことは不本意だったんだろう。それは私も十分理解しているよ。君が私に非難されたい、許さないでほしいと思っていることも伝わってくる──だから」
そしてルドルフが──こちらに向けて、
「──私は
「ッ!!」
驚きのあまり、表情が歪んだ。
彼女から差し出されたその手を、俺は握ることができなくて。
「ダメだ、ダメだそんな……っ、赦されていいはずがない、無かったことにしちゃいけないだろ!」
「そうだ、無かったことにしてはいけない。“罰”だと言っただろう? 君は私の赦しを、受け入れなくてはならない」
「屁理屈だろそんなのッ!! それじゃお前が……俺のしたことが……っ」
「トレーナー君。実のところ、私は今満たされているんだ。こうして面と向かって君と話せた。あの頃のように、隠した私の感情にすぐに気づいてくれた──君はあの頃と何も変わっていない。それが分かって、形容し難いほど嬉しかったんだ」
「ルド、ルフ……」
「だからトレーナー君。この手を握ってくれ。あの頃のように、とはいかないが……改めて、よろしく頼む。全てのウマ娘たちと、トゥインクル・シリーズのさらなる発展のために。互いの立場から、支え合って協力してはくれないだろうか」
そう言い切った彼女の表情に、先ほどまでの負の感情は一切ない。
彼女はもう、
ならばもう──迷うことすら、失礼なのだろう。
「──ああ、よろしくな」
俺は彼女の手を、そっと握り返した。
「もっと早く、お前に会いにくるべきだったよ」
「それは同意だね。君から会いにくるのが筋というものだろう」
「待たせたな、ルドルフ」
「構わないよ。こうして君とまた話せたのだからね」
ルドルフが微笑む。そこに先ほどまでの冷たさは一切感じられない。
「そういえば、トレーナー君。今の君のパートナーに、私と君の関係は……」
「……伝えてない。デリケートな部分だし、隠しているつもりはないけど、必然的にあの事件に触れることになるから何とも、な。この前アイツ──タキオンにも会ったんだけど、アイツはスカーレットの前で初対面のフリをしてくれたよ」
「……分かった、では私からも触れずに居よう」
「サンキュ。タイミングを見て、俺からちゃんと伝えるよ」
そう言いながら、俺は夏合宿の時のことを思い出していた。
スカーレットには、俺の生い立ちを伝えている。彼女が俺のことを心から信頼し、心配してくれていることは十分伝わっている。
だからこそ伝えなければならない。
俺のトレセン時代の過去のことを──
その日はもう、近いのかもしれない。
「それでは私は失礼するよ、トレーナー君」
「おう。
「フフッ。
「ん……そうだな」
「またな、トレーナー君……いや、松田克樹トレーナー」
「……ああ」
呼び方が変わる。それは彼女なりの決別で。
俺はもう、彼女のトレーナーではないから。
かつての関係ではなく、互いの立場で、頑張っていこうというエールだと伝わった。
それにほんの少しの寂しさを感じながらも、理事長に挨拶をしてから退室して行くルドルフを、手を振って見送った。
しばらくして、俺は理事長に頭を下げる。
「……理事長、ありがとうございました」
結果的に、理事長に助けられる形になってしまった。
俺の謝辞を受けた理事長は豪快に笑う。
「天晴ッ! 無事に
「最初はびっくりしましたけど、結果助かりました。きっかけがないと、俺からは行って無かったでしょうから」
「懸案。私も責任を感じていたのだ──あの事件には、勿論私も関わっているからな」
先程までのテンションが一転、途端に静かになる理事長。
どうやら本当に俺たちのことを心配してくれたらしい。
「気にしないでくださいよ。こうして今日和解できたし、さっきから言ってますけど、なんだかんだ理事長には感謝してるんで」
「安堵ッ! そう言ってくれて嬉しいぞ!」
急激に上がる理事長のテンション。マジでどうなってんだ。
「……じゃあ俺も行きます」
「む! そうだ克樹よ!」
「ん、なんですか?」
「上司からのメールは無視せず返信すること」
「………………ハーイ」
「給料下げてもいいんだぞ?」
「返しまーーすッ!! サーセンしたァ!!」
ガチトーン&真顔の理事長に、俺はへこへこしながら部屋を後にするハメになったとさ。