『ダイワスカーレット、一気に抜け出したァ──ッ!!』
トレセン学園の、とある一室。
モニターが映し出すのは、『有馬記念』。ダイワスカーレットが、オグリキャップを抜き去って、一位に躍り出ていた。実況の興奮と、場内の歓声が“彼女”の鼓膜を揺らす。
「……そう」
そんな様子を見ていた彼女──ジェンティルドンナは、小さく呟いた。
「貴女はやはり、そちらを選ぶのですね」
モニターを見つめる彼女の瞳は。
「とても、残念ですわ」
隠しきれない失意と退屈を、滲ませていた。
▼
それは数多いるウマ娘たちの中で、己の走りを究めたほんの一握りのウマ娘だけが到達し得る、極限の没入状態。
突入することで己のポテンシャルを100%発揮し、限界を超えた走りを可能にする。謂わば、“限界の先の先”。
そんな
だが、ダイワスカーレットは
今の彼女はそこに至る資格を有していない。
それをあろうことか、意志の力のみで一時的に己が身を領域へと無理やり捩じ込んだ。
資格を持たざる者の、領域突入。それは自身の秘めた100%以上の力に耐えられる器が完成しないままに限界を超えるということ。
500mlのペットボトルに2lの水を注ぐことができないように。豪雨により許容量を超えた堤防が決壊してしまうように。溢れ出した力は、己が身を破壊する。
今の彼女──“深紅”は、一秒ごとに選手生命を削りながら走っているに等しい。
(そんなこと、許すわけにはいかないッ!!)
残り200m。領域を開放したオグリキャップ。
しかし深紅もそれを許容しない。背後から迫り来る怪物の気配を感じ取った彼女は、最後の力を振り絞って加速しつつ怪物の追走から逃れようとする。その際細かいステップを刻んで自身の進路を誤魔化し、怪物に対して左右どちらから抜けばいいかの二択を迫る思考妨害をも図っていた。それは思考という過程を省略した、本能的に導き出された最適解。勝利という命題に囚われ理性を失って尚、“真紅”の権能を十全……否、それ以上に使いこなしている。
残り150m。両者の差は一バ身以内。今にも崩れそうな拮抗を保ちながら両者は駆ける。その差は一向に変化することなく、僅かに深紅が優勢のまま。尋常ならざる様子の両者が魅せるデッドヒート。その熱気に当てられた観客の歓声も、一際大きなものへと変わる。深紅が逃げ切るか、怪物が差し切るか。観客の期待も最高潮に達していた。
残り100m。追走を続ける怪物。縮まらない相手との距離と、目前に迫っていたゴールを視認しながらもその表情に焦りはない。何故なら彼女にはわかっていた──
そして、その瞬間が訪れる。
「…………ぁ、ガぁ……ッ」
掠れた呻き声と共に、深紅が失速し始めた。その瞬間を、怪物は見逃さない。
(──こうなることは、容易に予想がついた。ダイワスカーレット、君は
力に伴う代償。
それを十分に理解しているオグリキャップは、残り200mを切ってから
しかし対面する深紅はどうか。彼女が
つまり、スタミナの消費は二倍以上ということだ。
(最後まで体力が、保つわけがない。もう限界だろう──私が君を、終わらせるッ!!)
力強く踏み込んだ怪物。そして彼女は、
(これで──最後だァッ!!)
白銀の焔に、漆黒の闘気が混じる。
怪物の
それはどこまでも白く
否応にも、深紅の視界を染め上げる。
(ぅぐ────ぁ、っ)
白銀と漆黒。全てを焼き尽くすような眩い輝きと、全てを飲み込むような仄暗い闇。その身体に相反する二色を纏いながら、自身を置き去りにしていく怪物。白と黒、その二色が混ざり合ったその姿はまさしく。
(──灰の、怪物)
矛盾を体現する幻想的なその姿に、深紅は心奪われた。
瞳の色が、戻っていく。闇を纏った稲妻が、灰銀の焔に灼かれて霧散していく。
“真紅”は正気を、取り戻した。
(っぐ、ぁ──っ!!)
瞬間、思い出したかのように蓄積された痛みが吹き出し、彼女の顔を苦悶に染める。
残り50m、加速することは愚か現状維持すらままならない。
それでも。
(まだ、まだだ……まだアタシは、負けてない……ッ)
彼女の顔に、絶望は見えない。
常人なら立つことはおろか、意識を保つことさえ困難なレベルの激痛の中でも、彼女は勝利を微塵も諦めていない。
(いけ、いけ……そこにある、確かにあるのよ。アタシが追い求めた“
去り行く怪物の背に、手を伸ばし。彼女は懸命に
しかし無情にも、“その時”は迫ってくる。
(──あぁ)
願いだけでは届かない。意志だけでは越えられない。
今の自分には、決定的に足りない何かがある。
(──勝ちたかったなぁ)
勝利のスタンディングを魅せる怪物を視界に捉えた真紅は、そこで意識を失った。
▼
「──っ、ぁ」
突如足に走る、内側から弾けるような激痛と共に彼女は目覚めた。
痛みで徐々に意識が覚醒していく。
掠れた視界で周囲を見ると、真っ先に飛び込んできたのは眩いくらいに真っ白な天井。左腕には数本の管が繋がれており、頭の横のモニターが定期的なリズムで電子音を鳴らしている。
そして目を引く──包帯でガチガチに固定された
「…………」
それで全てを思い出した。
「……そっか」
じわじわと、心に広がっていく。
黒く、暗く、冷たい水が。
「アタシは」
久方振りに味わう“ソレ”は、やはり気持ちいいものではなくて。
でもそれを認めない限り、一生前には進めないことを知っているから。
彼女はゆっくり、噛み締めるように呟いた。
「──敗けたのね」
口にした途端、締め付けられるような胸の痛みが一瞬。
しかしそれは、すぐに
視界を紅く染める程の、気が狂いそうな憤怒と悔恨。
様々な感情がグチャグチャに混ざり合った心象は、全色の絵の具を混ぜ合わせたように歪な黒色。
拳を握り、歯を食いしばる。瞳からこぼれ落ちそうになる“ソレ”を彼女は懸命に堰き止める。
その時、部屋のドアがゆっくり開いた。
「……あ、スカーレット! よかった、目が覚めたんだね!」
「テイ、オー……」
「大丈夫? スカーレット、半日近く寝てたんだよ?」
「えっ、本当?」
トウカイテイオーの言葉に、彼女は慌てて周囲を見回した。
すると壁にかかっている時計が、二時を示していることに気付く。
窓の外は闇、つまり。
「え、今って夜中の2時……ってこと?」
「そうだよ」
「うっそ!? やばアタシ、ウイニングライブもすっ飛ばしてっ」
「大丈夫だよ。特例で着順から繰り下げての実施になったから。流石にレース直後に倒れちゃった君を無理やりステージに立たせるわけにもいかないし」
「……アタシ、倒れたんだ」
「やっぱり覚えてないんだね」
小さくため息をつくトウカイテイオー。
そのまま彼女はレース終了後の状況を説明し始めた。
レース終了後、ゴールから数十メートル進んだ地点でダイワスカーレットは膝から崩れ落ち、その場から動かなくなってしまったという。レース後彼女に話しかけようとしたオグリキャップがいち早く異変に気がつき駆け寄ったところ、彼女は虚な目をしたまま意識を失っていた。場内は騒然となり、観客に大きな動揺が生まれる。至急担架が呼ばれ、彼女は救急搬送される運びとなる。
「……で、今に至るってわけ」
「そう……ありがと、こんな時間まで。ここは……病院?」
「うん。救急病院で一通りの処置をした後、カツキの知り合いの病院に再搬送されて今ここってわけ」
「そっか……ねぇテイオー、トレーナーは?」
「あぁ。さっきまで一緒に居たんだけど、ボクのために飲み物を買いに行ってくれてる。もうすぐ帰ってくると思うんだけど……」
その時、タイミング良く病室の扉が開かれる。
「あ、おかえりカツキ! スカーレット、目を覚ましたよ」
「ただいま。知ってるよ。テイオー、お前の話し声が廊下まで聞こえてたぜ? 時間も時間だし声量抑えろよ」
「えっ、ホント!? ごめん……」
「大丈夫だよ。ありがとな、こんな時間まで……で、具合はどうだ?」
トウカイテイオーに礼を言いながら、克樹はダイワスカーレットの様子を伺う。
「……まだ少しぼーっとするけど、平気よ。足もあんまり痛くない」
「そうか。痛みの方はあれだ、かなり強めの痛み止めを投与してるからだな。切れたら多分地獄だぞ」
「げっ……」
克樹の言葉に、彼女は思わず顔を顰めた。
そんな様子を見た克樹は、安堵とともに苦笑する。
「まぁ一先ずはお疲れ様」
「……ありがと。トレーナー、アタシ……」
「何も言うな」
「えっ」
「何も、言わなくていい」
「カツ、キ……?」
突如、克樹の纏う雰囲気が変わった。不審に思ったトウカイテイオーすら声を漏らす。
そしてダイワスカーレットは気付く──克樹が、自分のことを底冷えするような冷たい目で見ていることに。
「スカーレット、お前に渡したいものがある」
「……渡したいもの?」
克樹は胸ポケットから一枚の紙面を取り出し、彼女へと手渡す。
それを広げて書かれている文面を見た彼女は。
「…………────」
呼吸すら忘れて、絶句した。
「スカーレ……ッ!?」
その様子を不審に思ったトウカイテイオーが彼女に呼び掛けようとし──チラリと見えた紙面の文面を見て、悲鳴にも近い声をあげる。
契約解除届。
つまりは、松田克樹とダイワスカーレットの
「お前に預ける。後は勝手にしろ」
それだけ言い残して、紙面を見たまま固まっているダイワスカーレットを背に、克樹は病室を後にしようとする。
「ちょっと……ッ! カツキ、どういうつもり!?」
「声がでけぇって言っただろテイオー、静かにしろ」
「っ……」
「スカーレット」
呼びかけに応じて、彼女は恐る恐る視線をあげて克樹を見る。彼は対照的に彼女の方を一歳見ることなく、その言葉を告げた。
「──俺がそれを渡した意味を、しっかり考えろ」
そう言い残して、彼は病室を後にした。
「ちょ、カツキ! 待ってよっ!!」
トウカイテイオーは、急ぎその後を追う。
残された彼女は一人、打ちひしがれる。
「…………」
── 「──俺がそれを渡した意味を、しっかり考えろ」──
「…………そんなのっ」
手にした紙面に、ポツリと雫が落ちた。
「わかってる……っ、わかってるわよ……っ」
ぐしゃり、とそれを握り締め、彼女はうずくまって体を振るわせる。
「うっ……うぅ……っ」
──裏切った。
傷付けた。
失望させた。
落胆させた。
期待に応えられなかった。
心配を無碍にした。
そして何より──大切な貴方に、嘘を吐いた。
それでも私は、勝ちたかった。
貴方に勝利を、捧げたかった。
「っぅわぁ……ん、うっわああぁぁぁぁ……」
たった一人の病室で、少女の鳴き声が木霊する。
全てを賭けて臨んだ『有馬記念』。
その手に残ったのは、栄光ではなく失意と後悔のみ。
かくして激動のクラシック期は終わりを告げ。
真価の問われるシニア期が幕を開ける。
その過渡期の中で。
真紅は今、大きな岐路に立たされていた。
【ダイワスカーレット 戦績:9戦6勝】
『有馬記念』──2着
第4章 領域と資格、真紅よ屍の上で嗤え 終了です。
お久しぶりでございます。長らくお待たせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
多忙が重なり心を病み、執筆から離れておりましたが、10月末に登場した賢さダイワスカーレットのイラストを見て熱が再燃し、この度再度筆を取らせていただきました。
もう誰も見てくれないだろうな……という諦めも正直ありました。事実お気に入りはかなりの人数が減ってしまいました。
しかし再開を喜んでくれる声や感想、そして新たに入った評価など、皆さんに読んでもらえているという実感が本当に励みになりました。やはり読者の方々の反応に勝る着火剤はありません。モチベーションも上がりまくりです。今後ともどうか何卒変わらぬご支援をよろしくお願いします。
まあ本編そんな雰囲気じゃないんですけどね……
全体的に暗い話が続いてしまった4章ですが、後一話だけその空気を引っ張らせていただきます。克樹とスカーレットが選ぶ今後の決断にお付き合いください。その後はまた日常回が再開していく予定です。
第5章 真紅と紅蓮、雪解けの蒼穹を突き抜けて
タイトル通り、チョベリグなアイツがついに参戦……!
ここまで長々と後書を読んでいただき、ありがとうございました。感想評価お気に入り等、心よりお待ちしております。
それでは、第5章でお会いしましょう。