その後、気を取り直してレースは再開された。
俺が注目している2人は現在、短髪が4位長髪が2位。
「4位の子、敢えて順位を落としていますね」
「ああ。明らかに流してやがる」
「松田さんが見てた内の1人ですね。もう1人の娘は……」
「若干“かかってる”様にも見える。後ろを意識してんのか……大方後ろに付けてる4位のヤツの動向が気になるんだろう。互いに意識し合ってるみたいだからな」
そして迎えた最終コーナー。先に仕掛けたのは4位の短髪のウマ娘だった。先行する3人を抜き去り一気に1位へ。長髪のウマ娘は4位まで下がるが、まだ仕掛けない。
「……行きませんね」
「前半のツケか、もうスタミナが残ってないのかもしれないな。恐らく配分を間違え──」
───ズシン
瞬間、長髪の彼女が仕掛けた。
地面が割れた、そう錯覚しかねないほどの轟音。実際錯覚だろう、周囲を見回しても俺以外にそれに気づいた様子はないし、長髪の彼女も瞬間的な加速こそしたものの、長続きせず、1位まで追いつくには速度が明らかに足りていない。
だが。
「──今の、は」
俺は今の一瞬で、彼女に心を奪われてしまった。
結果はそのまま順位が変わることなく、短髪のウマ娘が1位。満面の笑みで拳を突き上げている。長髪のウマ娘は4位と言う結果に終わり、膝に両手を置き、肩で息をしながら悔しそうに歯を食いしばっている。
「今の1位の子、良かったですね。レース運びがダントツで上手でした。あれに更なる身体能力が身に付けば……今から将来が楽しみだ、是非ウチのチームに欲しいですね」
隣でサワ君が興奮気味に捲し立てる声を聞き流しながら、俺は今のレースを振り返っていた。確かに、彼女のレース運びは見事だった。自身の強みを正確に把握し、適切に運用することでしっかりと結果を残して見せた。ある意味で、完成していると言っても差し支えはない。
それでも俺の印象に強く刻み付けられたのは、長髪の彼女の方だった。後続に気を取られてペース配分を間違え、自分のレースが出来なかった彼女。結果途中でスタミナが切れ、走り方が崩れてしまいスピードが出せていなかった。
そう言った点を細かく見ていくならば、現時点では短髪の彼女の方が上だろう。しかし途中で見せた、地面が割れたと錯覚しかねない程勢いのある踏み込み。あれに本当の威力がつけば、その踏み込みで得た加速を推進力に変える走り方を身につけることができれば。
正直に言うと、俺からすればある程度の完成形が見えている短髪より、ただの原石でしかない長髪の方が育ててみたいと思わせるウマ娘だった。それがただの石止まりになのか、磨けばとんでもない宝石になるのか……今から楽しみで仕方ない。
──欲しい。
そう思った。思わされた。今尚屈辱と悔恨に歯を食いしばり、勝者を射殺さんばかりに見つめる、負けん気の強い彼女の走りに。
「……じゃ、俺行くわ」
「えぇ!? まだレース残ってますよ!?」
「用事ができた。それじゃあな。お互い頑張ろーぜ」
「ああちょっと! 松田さーん!」
サワ君の呼び止める声を背に受けながら、俺はレース場を後にした。あの長髪の彼女について、少しでも情報を得なければ。
▼▽▽
──勝てなかった。
夕暮れに染まる河川敷。舗装された道路脇の階段に腰掛けながら彼女──ダイワスカーレットは、夕陽を反射して揺れる水面をぼんやりと眺めていた。
今日行われた選抜レース。相応の決意と覚悟を以って臨んだそれは、見るに耐えない無様なものだった。後ろで構えていたライバルのプレッシャーに当てられ、ペースを乱してしまった。巻き返しを狙った渾身のスパートも不発、惨めな結果を晒してしまった。
悔しい。悔しい。
1番になれるように、1番が似合う自分になれるように。彼女がいつも思っていることだ。それがなんだ──このザマは。
ギリッ、と嫌な音が響く。
彼女の整った顔立ちが、悔恨に歪む。
風に舞う桜の花弁が、嫌に気に障った。
──幼い頃から、“いちばん”に焦がれていた。
始まりは、小さなことだったような気がする。かけっこで1番を取れば、みんなに速いと褒められた。テストで1番を取れば、みんなに凄いと褒められた。その称賛が心地よいものだったことに変わりはない。でもそれが理由かと言われれば頷けない。
──それでもアタシは、“いちばん”でありたかった。
彼女自身もよくわからないこの感覚。理由もわからぬままそれを欲し続け、そして今日、それを逃した。
──今日の走りには課題が沢山あった。それを受け入れて、次に繋げればいい。
自らの課題を冷静に把握し、敗北という事実を悔しながらも受け入れ、次に繋げようとしている自分に、彼女は漠然とした違和感を覚えた。間違っていないはずなのに、そうすることが正しいことであるはずなのに。もう1人の自分が“それでいいの?”と、語りかけてくるような不思議な感覚。その感覚を振り切ろうと、彼女は大きく頭を横に数度振った。
「……明日から、もっと練習頑張らないと」
彼女は決意を言葉にし、気持ちを切り替えた。
そんな時、彼女の運命を変える存在が現れた。
「こんなところに居たのか、探したよ」
「誰……ですか?」
「いやー、一日中歩き回った。隣、いいかな?」
「え、嫌ですけど」
「ありがとう。失礼するよ」
「話聞いてます?」
よっこいしょ、と間抜けな声をぬかしながら、スカーレットの質問に何一つ答えることなく男は彼女の隣に腰掛けた。
「あの、ホントに……なんなんですか?」
「まぁ落ち着けよ、ダイワスカーレット」
「っ……!? なんで、アタシの名前……」
「当然さ。俺は君のことならなんだって知ってる。ダイワスカーレット、ジュニアクラス所属。成績優秀でクラスメイトも憧れる優等生。スイーツが好きで目がない。スリーサイズは上からB9──」
「うわあああああ!?ああああ!!」
「あべしっ!!」
「あっ」
羞恥の余り、反射で手が出た。
衝撃に男は階段からゴロゴロと転げ落ち、砂煙を巻き起こしながら地面へと墜落していった。男はそのままピクリとも動かない。
「ごっ、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
我に返った彼女は、急いで階段を駆け下りる。最悪の事態を想像し、顔が青ざめていくのを感じた。しかしその心配は杞憂に終わる。
「よいこらせ」
「うわああああああ!?」
むくりと突然立ち上がった男。今度は恐怖から悲鳴が出た。
「いやー、いいビンタだった。長男だから耐えられたけど、長男じゃなかったら耐えられなかったね」
「は、はぁ……」
「まぁ座りなよ、ダイワスカーレット」
「は、い」
空気に流されて、彼女は“怪しげな”からランクアップした“いかにも怪しい”男の隣へと腰掛ける。
「自己紹介が遅くなったな。俺は松田克樹。トレセン学園でトレーナーをやってる」
「トレーナー……? アナタが?」
「いいねぇ物事を穿って見るスタイル。嫌いじゃないぜ。ほら、ライセンス」
そう言いながら男が彼女の前に示したのは、手帳型のライセンスだった。どうにも胡散臭いが、一応本物のトレーナーなのだろうと彼女は結論付けた。
「わざわざ探してくださってありがとうございます。で、アタシに何か御用ですか?」
「そう結論を急くなよ、御用があるから探したんだ……見たよ、今日のレース」
「っ──」
自分の心に出来た生々しい傷跡を思い切り突かれ、ダイワスカーレットは顔を歪める。
「──真面目な話をしようか、ダイワスカーレット。俺は今から、お前が聞かれたくないだろうことについて聞く。30秒だけやる、心を落ち着かせて、覚悟を決めな」
先程までの飄々とした雰囲気を一転、男は真面目な声色と表情で彼女に語りかける。与えられた猶予は30秒。
彼女はそれが何なのか、薄々察していた。今日のレースを見たトレーナーが、自分を探して尋ねたいことなんて、一つしかあり得ない。彼女は深く息を吐いて、真剣な眼差しを男へと返した。
「──大丈夫です」
「……へぇ、やっぱやるなお前。いいメンタルコントロールしてるよ」
ニヤリと笑って、男は感嘆する。
さて、と前置くと、彼は彼女に問いかけた。
「──今日のレースの敗因は?」
その問いは、想像通りのものだった。
故に特段驚きもせず──それでも吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「……自分のレースが、出来ませんでした」
「その理由は?」
「後方につけていた5番とウオッカ──3番を気にしすぎました。2バ身程度の距離があったんだから、ペースを乱さずに自分の走りを貫けば最後のスパートで充分巻き返しが効いたと思います。あと、最終コーナーで最後尾の1番が動き出した時、道を塞ごうとして横に移動したのは失敗でした。結果あれで残っていたスタミナを使い果たして、最後までスピードを保つことが出来ませんでした……自分の走りができれば、アタシは負けなかった」
自分なりに考えた敗北の理由を、ダイワスカーレットは饒舌に語る。途中まで理性的な解説だったが、最後の一言に込められた感情が、彼女の負けん気の強さを物語っている。
彼女の言葉を聞いて男は暫く唇に指を当て、物思いに耽る。そして彼女を見ると、再びニヤリと笑った。
「……評価を上げよう。最高だな、お前」
「……負けたレースで褒められても、嬉しくありません」
「上昇志向が高いのは良いことだって言ってるんだよ。素直に受け取れ」
そう言いながら、彼女の頭に手を乗せ、優しく撫でる。彼女は一瞬驚いたものの、自分の頭に乗せられた手から伝わる温かな熱は、不思議と心地よいものだった。普段なら叩き返していただろうその手を素直に受け入れ、彼女は頬を微かに染めながら目線を男から逸らした。
「……ま、トレーナーの俺から見ればもう少し課題はあったが、概ねお前の自省に同意だな。ただ……」
「……?」
「一つだけ、お前の話で腑に落ちない点がある──
「っ! それ、は……」
勢い良く言い返そうとして、言葉に詰まる。自分自身の最高の走りができれば、負けることはない。いつも思っていることだ。しかしその走りとは何か、と聞かれて相手を──自分を納得させるだけの答えを持ち合わせていないことに、今漸く気づいた。
「……厳しいことを言うが、お前のソレはただの
「っ……!」
「自信を持つのは良い。だがお前の言葉は薄っぺらいんだよ。そこに根拠がまるでない。“自分の走り”? ジュニアクラスのレースにも出てないルーキーが、甘ったれた事吐かしてんじゃねぇ。お前の走りなんてモンは、まだ存在してないんだよ」
ダイワスカーレットの方は向かず、男は夕陽に照らされる水面を見ながら吐き捨てた。彼の言葉一つ一つが、彼女の心の柔らかい部分を抉っていく。その痛みと、それを違うと言い返せない悔しさが、彼女の瞳に水滴を溜めていった。暫くの無言の後、男はゆっくりと口を開く。
「……で、改めて聞くぞ。
「え……?」
「わかっただろ? お前の走りなんてのはまだ存在してない。じゃあお前は、どんな走りをしたいんだ」
「アタシの……走り」
「この期に及んで
それきり無言で、男は彼女の答えを待っている。最後の問いに、ダイワスカーレットは己の全てを見透かされているような気がした。
“いちばん”に拘る理由が自分でもわからない
──嘘だ。
答えは最初から、ずっと胸の中にあった。
優等生であろうとする心が、その答えにフタをして、溢れ出さないように鎖で縛り付けていた。
そうあれかしと、自分に言い聞かせてきたから。それが正しいと、自分に言い聞かせてきたから。
しかし今日の敗北と、目の前の男の言葉が、その封印を破ろうとしている。
──アタシが負けるはずがない
一度は冷まして味わった敗北という事実に、気が狂いそうなほど怒りが込み上げる。冷静に押し殺したはずの感情が臓腑の底から迫り上がり、彼女の心が熱を持ち始めた。
──こんな結果じゃ、
確かに自覚した、その思い。鎖でギチギチに縛りつけた本能が、音を立てて暴れだす。
曝け出せというのなら。曝け出して良いのなら。
吐き出した答えは、至ってシンプルだった。
「──
そう呟いた彼女の表情は、優等生のカケラもなく、美少女のカケラもなく。
──本能と欲望に塗れた、一頭のケモノのソレだった。
「誰も追いつけないスピードでぶっちぎって、全員を捻じ伏せて1着を掻っ攫って、他の子はアタシを凄いって崇めて、どう足掻いても敵わないって思わせて──そんな圧倒的なレースを、アタシはやりたい。それが、アタシの目指す、アタシだけの走り……!」
彼女が“いちばん”を志す理由は、他でもない。
──己こそが最強であるという、才能と実力の誇示。それ以外に何もないのだ。
鎖は解き放たれた。“いい子ぶった”心を捨て去り、彼女自身も初めて自覚した心に巣食う純粋で強烈なエゴ。不思議と不快感はなかった。寧ろ、心は晴々としていた。そんな様子を見ていた男は、心の底から嬉しそうに、声高に笑う。
「やっといい顔になったじゃねぇか」
「え……」
「ずっとらしくなかった。優等生ぶって、冷静に負けを受け入れたフリなんてして。心ン中で暴れてる闘争本能にフタをして、理性的に振る舞う。そうじゃないんだよ、お前の良さってやつは。自分の負けを素直に認めず、自分以外の勝者を許さない、相手を睨みつけてしまうほど我儘で自己中なエゴイズム。そのエゴと負けん気こそが、お前の魅力で、お前だけの武器だ」
「……よくわかりましたね」
「隠してたつもりだろう? 事実上手に隠せてたよ、お前自身を欺く程に。だが完璧な外面の中で、一個だけちぐはぐだったんだよ」
「へぇ、どこですか?」
「──目だよ。自分を負かした相手を見据える、ブチ殺しかねないほど殺気の篭った目だ。自分以外の1着を許さない、そんな“エゴイスト”を俺は欲していたんだ。ダイワスカーレット、お前ならやれる。お前なら、他の全てを蹴散らして、お前の最強を証明することができる。俺が保証してやるよ」
「……そう、ですか」
彼女は優しく微笑むと、そっと目を閉じる。自分の中の不要だと切り捨てていた本心を曝け出したのも──肯定されたのも初めてだった。よかったと、彼女は安堵する。
そして彼女は瞳を細め、牙を剥き出しにしながら不敵に笑った。
「──で?そういうからには、アンタはアタシを勝たせてくれるんでしょうね?」
「やっと本性だしたか、猫被り女」
「うっさいわよバーカ。イイ子ぶんなって言ったのはアンタの方じゃない」
「そうだよ。そっちの方がよっぽど好感が持てる。さて、質問の答えだが──YES、だ」
「ふーん……ま、信じてあげる」
「どこまでも上からだなぁ、お前。だがまぁ何度も言うが嫌いじゃない。俺がお前を、勝たせてやる。ついて来れるか?」
「ふふん、舐めた練習だったら承知しないんだからね?」
「そっちこそ、泣き言言ってもやめねぇからな」
「契約成立、ね。よろしく頼むわよ、アタシの
「あぁ──
交わされる握手。2人は互いの手を強く、強く握った。
そしてこれが彼女、ダイワスカーレットと運命を共にする相棒──トレーナー、“松田克樹”との、初めての出会いだった。