翌日。早朝のレース場に俺とスカーレットは集まっていた。
「っし。じゃあ始めよう」
「ええ!」
「お、気合い入ってるな」
「当たり前じゃない。アタシは最強になるんだから」
「ほう、じゃあお前は“現時点では最強ではない”って認識でいいんだな?」
「うっ、ぐっ……癪、だ、けど……それは、まだ、事実、だから……」
「いやどんだけ認めたくないんだよ」
まさしく断腸の思いで、と言った表情で言葉を絞り出すプライドの高い彼女の様子を見て、俺は苦笑いを浮かべた。
「まぁ気合入ってるところ申し訳ないが、朝練はテストをするぞ」
「テスト……?」
「そ。俺はあのレースしか実際に見てないから、お前の限界値を知らない。限界値を知らないとプランが立てられない。故にテストだ」
「ふーん、なるほどね……わかったわ」
「結構細かく項目作ったから時間かかると思うが、予習とか大丈夫か?」
「何の心配してんのよ。その質問、誰にしてると思ってるの?」
「愚問か、“優等生”」
「お褒めに預かり、光栄です」
俺のからかいに、彼女は悪戯っぽく八重歯を見せながら笑う。こうやって優等生ぶってる分には、普通にカワイイヤツだよなぁ、とは思う。事実成績優秀らしいし、あながち完全な猫被りってわけでもないんだろうな。
「さて、これが今日のテスト項目だ」
「はーい……げ、かなりあるわね」
「さっきも言っただろ。なんだ? やめるか?」
「ハァ……ハァ……敗北者ァ……?」
「いや全く言ってねぇけど」
「取り消しなさいよ……! ハァ……今の言葉……!!
「お前マジでどうした???」
急に息荒くキレ散らかし始めたスカーレットに、流石の俺も若干面食らう。
「やるに決まってんでしょ!? さっさと始めなさいよね!」
「わーったわーった。おら、さっさとスタートラインに付け」
不当な怒りをぶつけられ、若干腑に落ちない点があるものの、スタートラインに向かうスカーレットに向けて、俺は期待の気持ちを寄せる。さて、如何程のものか、改めて見せてもらいますか。
▼
「き、きっつ……」
「おう、お疲れさん。座って休んでていいぞ」
「だから座るところないでしょうが!!」
テストは終了し、部屋へと戻った。
肩で息をするスカーレットにスポーツ飲料が入ったボトルを投げ渡し、俺はデスクへと向かった。
そのままカタカタとキーボードを弾いていると、息を整えたスカーレットが不思議そうに画面を覗き込んでくる。
「何してんの?」
「今日のお前のテスト結果を演算ソフトに打ち込んでる。グラフ化してあった方が見やすいしな」
「へー……なんて言うか、アンタって意外とちゃんとしてるわよね」
「は?」
「いや、態度とか発言とかはかなりアレだけど、昨日の解説とか今日のテスト項目とか、今やってる作業とか……ちょっと意外」
「完璧な外面貼り付けて中身がアレなお前とは正反対だな」
「素直に褒めてるんだから受け取ればいいでしょ!?」
「ったぁ!? 叩く事ないだろうが!」
ちょっと恥ずかしかったから弄り返したら1000倍くらいになって帰ってきた。いや、にしても痛い。涙出てきたわ。
「そういうところがアレなのよ、アンタ」
「お前もすぐ人を叩くところアレだぞ」
「もう一回やられたいみたいね」
「立ちっぱなしで大丈夫? この椅子使う?? お茶飲む??? プリンもあるよ????」
「キッモ」
全力の媚に対する返答は、汚物を見るような冷たい視線だった。一部の層には喜ばれそうだが生憎俺にそのような性癖はない。
「……ねぇ、ひとつ思ったんだけど」
「ん?」
「このチーム、
「…………」
「……え?」
「お、時計見てみろスカーレット。もう直ぐ授業始まるぞ」
「はぁ? はぐらかすんじゃ──ってやば本当じゃない!」
「放課後になったらまたここに来い。それまでにメニュー作っとくから」
「わかってるわよ!」
俺を振り返る事なく、スカーレットは部屋を飛び出していった。その姿を見送り正面を向いた後、俺はゆっくりと背もたれに体を倒し、彼女の言葉を心の中で反芻する。
──『このチーム、
「……居ねぇんだよなぁ」
チーム。
トレセン学園に通うウマ娘達がトゥインクル・シリーズに出場する為には、チームへの所属が義務付けられている。各チームに1人ないし数名トレーナーがつき、そこで指導が行われるのだ。簡単に言ってしまえば、ウマ娘達の『部活』と言った認識で構わない。“レースに出る為に練習する”という活動はどこも変わらないが、その方法はチームによって大きく異なる。故にウマ娘達は実績のあるチームや、自分の気性に合ったチームを選ぶ。
以前までは5人居なければチームとして認められなかったが、数年前に改正されて1人でもチームとして認められるようになった。なんでも、どこかの1人しか所属していないチームのウマ娘が他所へ移籍したがらず、それでも運営を唸らせるだけの結果を残したのを見て、運営が個と個の繋がりを重視するようになって改正に至った……んだけか。まぁ突出した一つの才が、規則を揺るがすのはどの競技でもある事だ。
ただまぁ、基本的にその形式は例外で、同じチームのヤツと切磋琢磨して互いを高め合った方がいいに決まっている。だが俺は、今のところ勧誘をしてメンバーを増やすつもりは、ない。スカーレットがそれを果たして理解してくれるかどうか……。
「……いつ話すかなー……──」
後ろめたいわけではない。俺の中のリソースを、彼女に割いていたい。それが最善だと信じているから。だがそれ以外にも、俺の
「……ま、なるようになるだろ」
最善を尽くせば、結果は勝手に付いてくる。
俺がいつも、ウマ娘達に伝えていた事だ。
そう思い直し、俺は再びデータの打ち込みを再開した。
▼
「よし、じゃあ早速トレーニング開始だ」
「……ねぇ」
「ん? どした?」
「いや、トレーニング……するのよね」
「そう言ってるだろ?」
「じゃあなんでアタシはイスに縛られて座ってるわけ?」
うーわおっかな。如何にも怒り心頭、といった様子で俺を睨みつけるスカーレット。彼女は今部屋の中に作られた固定された机とイス……言うなれば、『勉強スペース』に腹部をイスに縛られた状態で座っている。
「いやいや、合意の上だろ? お前だって素直に縄を受け入れてたじゃんか」
「アンタの手際が鮮やかすぎて気付いたらこうなってたのよ!! どういうつもりよ、トレーニングするんでしょ!?」
「どうどう」
「誰がウマ娘よ!!」
「いやウマ娘だろうが」
俺の冷静かつ的確なツッコミにぐっ、と唸り、スカーレットは押し黙る。未だに納得いってない様子で俺を睨み付けてはいるけれど。
「まぁ落ち着けって。改めてトレーニングスタートだ」
「ちょっと、何よコレ!?」
「見りゃわかんだろ? 本だよ、本……っと」
驚くスカーレットを無視して、俺が抱えていた山積みの本を机上にドサリと置いた。
「これ読め。全部な」
「はぁッ!? アタシ、練習したいんだけど!」
「バカ言うな、コレが練習だよ。勉強好きだろ? “優等生”。その為に手はフリーにしておいたんだから」
「いや、でも、そんな……」
「3分ずつ区切りながら読め。3分経ったら1分休憩だ。テスト入れる時もあるからそのつもりで頑張れよ。はい1回目、よーいドン」
「ちょ……あーもう! わかった、やればいいんでしょ!?」
「やればいいんだよ」
スカーレットはキレながらも、机上の本を一冊掻っ攫い、開き始めた。ブツブツ呟き、メモを取りながら中身を覚えようとしている。俺が用意した本はレースの基本に応用、走法や呼吸法、メンタルトレーニングの参考書と、様々だ。さて、この練習の意図にコイツが気付けるか……俺から彼女に言うつもりはない。自分で気づくと言うことが大事なのだから。
1時間ほどそれを行い、休憩時間に入る。
「ぐっ……これ、案外キツいわね」
「舐めてたろ」
「正直。3分って意外と短いのね」
「とりあえず、これは
「下地?」
「そ。今はこんなに長時間してるけど、お前が慣れてきたらもっと短時間に変えて行くから。そして今からやるもう一つの練習、これも下地作りだと思ってもらっていい」
「もう一つの……練習……」
「よし、じゃあ外に行くぞ」
俺は椅子から立ち上がり、部屋を移動しようとする。しかし彼女は、そこからピクリとも動く様子はない。
「? どうした? 早く来いよ」
「縄解きなさいよ」
「あっ、ごめん」
素で忘れてたわ。
▼
「ふんぐぬぬぬぬぬぬ……!!」
「頑張れー、後10メートルだぞー」
「ぎ、ぐ、ぬうぅぅぅ!!」
じり、じりとこちらへ向かってくるスカーレットの形相は、普段の美少女面の面影はなく見るに堪えないほど力んで真っ赤になっている。
今彼女は巨大なタイヤを、腰に巻いた紐を通じて50メートル先のゴールまで引っ張るトレーニングをしている。身の丈を超える、なんてもんじゃない。自分の何倍もある質量を彼女はゆっくりと、渾身の力でこちらへと運ぼうとしている。
「おら足だ! 足を前に出せ!」
「わがっで、るぅぅぅぅ!!」
「今のお前の顔、相当オモロイな。写メっとこ」
「んんんんぐぅぅぅぅあああああ!!!」
「……ツッコミ返す余裕もない、か」
しかしまぁブチ切れたのは伝わってきた。その証拠に体からなんか出てる。いや、なんかオーラみたいなヤツ。よくわからんけど。
「ぅぅぅううう……っだはァっ!!」
「よーしお疲れ様。休憩していいぞ」
「はぁ……っ、ぁ、は……」
「流石に疲れたみたいだな。よくやった」
「これ、っぐらい……どーってこと、ないわよ……ッ」
「まだ意地張れるのかお前。大したヤツだ」
ゴールした途端、大の字になって倒れ込んでしまったスカーレット。そんな彼女へと、心からの称賛と共に俺は頭を撫でた。少し驚いた表情をしていたものの、彼女は黙ってそれを受け入れる。
「はぁ……案外、やれるものね……最初見たときは殺す気かと思ったけど」
「ははは──そうだぞ。あっ」
「今なんて?」
「いや……なんでもない。忘れてくれ」
「聞き捨てならないのよ!! 今そうだぞって言わなかった!?」
「ニ'モ ミラカ トチンニミキ ニトミ'カ ニカ チ モニトナミシイストカチミシニミキ?」
「謎言語で返すな!!」
ぎゃあぎゃあとスカーレットは騒いでいる。それだけはしゃぐ元気があれば大丈夫か。
「さて、起き上がれるか?」
「ええ、もう大丈夫よ」
「よしじゃあ次だ」
「何でも来なさい!」
「このタイヤ押して元の位置まで戻れ」
「あっ! アタシ用事思い出した! お疲れ様! うぐッ」
スカーレットは慌てて逃走を図った。しかし彼女の腹に固く結ばれた縄が、それを許しはしない。
「くそ……っ! このっ、なんて硬い結びしてんのよこれっ!!」
「二重八字結び。命綱にも使われる、絶対解けない安心性の高い結びだ」
「なんていう結び方してんのよアホ!!」
「諦めろスカーレット。さ、練習再開だ」
「いや……イヤァァァァァ!!」
誰もいないトラックに、彼女の悲鳴が虚しく響いた。
▼
「死ぬ……普通に死ぬ……」
「お疲れ。よく頑張ったな」
日も落ちてきたので、部屋へと戻った。ちなみにスカーレットはあれから相応の時間をかけてタイヤを元の位置へと戻すことに成功しましたとさ。
「明日絶対筋肉痛よコレ、はぁ……」
「なんだ? こんなもんで限界か?」
「バカ言うんじゃないわよ。こんくらい余裕よ余裕」
「なんか俺、お前の扱い方がわかってきた気がするわ」
いくらなんでもちょろすぎるだろ。口には出さないけど。
「ま、トレーニングはこんな感じだ。今はとにかく下地づくり。しばらくコレを繰り返して行くからそのつもりでな」
「え、走る練習は?」
「……今はその段階じゃない。走り込みなんかのトレーニングはしばらくやらない」
「……そう。わかった」
「そしてスカーレット。一個朗報があるぞ」
「朗報?」
「──お前のデビュー戦が決まった」
「……!」
「1ヶ月半後の5月下旬。そこがお前の、デビュー戦だ。やるからにはもちろん勝ちに行く、覚悟はできてるか?」
「当たり前じゃない! 願ってもない機会だわ……!」
そこにあったのは、あの闘志剥き出しの獰猛な笑みを浮かべる彼女の姿。やりたくてやりたくて仕方ないといったその様子に、俺もつられて微笑んでしまう。
「その気持ち、忘れんじゃねぇぞ。強い心に、体と気持ちがついてくるんだからな。っし、目下の目標はデビュー戦! 華々しいスタートを飾ろうぜ」
「ええ! やってやるわ! アタシの1番を、みんなに知らしめてやるんだから!」
彼女の声高な宣言が、狭い部屋に響いた。