“高貴なる蒼穹”、或いは“光輝なる真紅”   作:またたね

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勝利の味、或いは余酔の価値

 

 

 

 

 ──不安がないと言えば、嘘になる。

 

 

 緊張が解れたかといえば、そうじゃない。

 

 

 ただ振り返った時、アイツが苦しそうな顔してたから。

 

 

 アタシのせいで、あんな顔にさせてしまったのなら。

 

 

 何故だかそれが、酷く悲しかったから。

 

 

 アタシは強がる。笑顔を見せる。

 

 

 そんな顔してんじゃないわよって、アンタのせいじゃないわよって。

 

 

 アタシのためにあれだけ尽くしてくれたアンタは、間違ってなんかないんだから。

 

 

 だからアタシが、証明してやる。

 

 

 アタシが、アンタが──アタシ達がやってきた事は、間違いなんかじゃなかった、って。

 

 

 

 

 不安と緊張に悩む心。しかしその足取りに、一切の迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

「あ、松田さーん!」

「あれ、君も来てたのか」

 

 観客席に辿り着いた頃には、各ウマ娘がゲートに入ろうとしていた。最前列の空いた席を探していると、俺に手を振る彼──やべ、まだ名前思い出せねぇや──『サワ君』の姿を見つけた。

 

「どうしてここに? 君のチームの子も出るのか?」

「いやいや! 今日は視察です。まだまだ新米なんで、たくさんレース見て勉強してこいってチーフトレーナーが」

「へぇ、まぁ確かにそれは大事だな」

「松田さんはどうしてここに?」

「いや、俺のチームのヤツがデビュー戦なんだよ。ほら、覚えてるだろ? 4月のあの長髪の」

「あー! あの子松田さんのチームに入ったんですね! へぇ、あれからどう成長したのか楽しみだ」

 

 サワ君はニコリと微笑んで、視線をトラックへと移した。見れば8人のゲートインが完了し、後は開幕を待つのみ。

 

 信じてるぞ。スカーレット。

 

 そう心の中で呟くと同時。ゲートは開かれた。

 

 

 

「始まりましたね、各バ良いスタート……と言いたいところですが」

「あぁ……スカーレット、少し遅れたな」

「気合いは伝わってきますね。そこまで致命的なわけでもないし、ここからでも巻き返しは十分効くかと」

「頑張れ、スカーレット……!」

 

 スカーレットは現在4位。想定していたレースプランより一つ後方につけているが、誤差の範囲だ。そう慌てることじゃない。

 レースはそのまま1000mを超え、後半戦に移る。予定ではここからペースをキープするはずが、スカーレットは後続の加速を許し、現在6位。

 流石に下がり過ぎだ。彼女もそれを理解しているのだろう。決死の表情で前方集団に追い縋ろうとしているが、差はなかなか縮まらない。その理由は、ここから見れば明白だ。

 

「アイツ、また……」

「やっぱりあの子、速度に難あり、って感じなんですかね。この前もあんな風に──」

「うるせぇッ!! 黙って見てろ!!」

「は、はいっ!!」

 

 諦めるにはまだ早い。一点、その一点にアイツが気づけば、勝ちの目が出る。アイツがあんなに頑張ってるんだ、俺も最善を尽くせ!!

 

「っ──!」

「ちょ、松田さん!?」

 

 俺は手すりから大きく身を乗り出し、大きく息を吸って、腹の底から叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

「タイヤああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

(クソ、クソッ!! どうして……どうして縮まらないの……!?)

 

 ダイワスカーレットは焦っていた。

 現在6位に付け、事前のレースプランから大きく外れてしまっている。なんとか順位を戻そうと加速するものの、その差はなかなか縮まらない。

 

(負けたくない──いや、()()! 絶対にッ!!)

 

 終盤に差し掛かる直前、彼女は本来の望みを漸く取り戻した。しかしそれだけで調子を取り戻すほど、現実は甘くない。

 現にそれまで維持することで精一杯だった差が、少しずつ広がり始めていた。

 

(このままじゃ……このままじゃ……!)

 

 “敗北”の二文字が、頭を過りそうになる。

 その時。

 

 

 

 

 

「タイヤああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 

 

「……………………………………は?」

 

 

 その声は、確かにダイワスカーレットの耳まで届いていた。

 ただ、あまりにも意味がわからなすぎて、レース中にもかかわらず声が漏れた。

 

 

(何意味のわからないこと叫んでんのよアイツ──!)

 

 理解不能な言葉に、急激に怒りが込み上げてきた。

 

(タイヤ……タイヤ!? 言うに事欠いてタイヤ!? どうせ叫ぶならもっと的確なアドバイスを──)

 

 そこまで考えて、彼女は気付く。

 

(──タイ、ヤ?)

 

 

 

──『だいぶ慣れてきたみたいだな。タイム、最初に比べたら半分近く縮まってるぞ。立ったまま休憩できるようにもなったじゃないか』

『そりゃ毎日続けてればね。引っ張るコツと押すときのコツをアタシなりに掴んだのよ』──

 

 

(タイヤを引くコツ……タイヤを、引くように……!)

 

 それを意識した途端。

 

(っ! これは……!)

 

 自分でも体感できる程に、速度が上がった。

 

(そう、か……また()()()()()()()()()アタシ)

 

 4月の敗戦が、その時の彼との会話が、頭を過ぎる。

 

 

 

 

──『スタミナが切れてスピードが出なかったのは事実だが、これはそんな曖昧な現象じゃない──原因は、()()()()()()姿()()だ』

『姿勢?』

『そ。前半のお前の走りと後半の走り。後半の方は明らかに上体が起ききってるんだよ。だから踏み込みの力が前じゃなくて上に向くし、踏み込みに対して速度が出ない。これがあのスパートのカラクリだ』

『……なるほど』──

 

 

 

 

(また同じことを、繰り返そうとしてた。そうならないための、あの練習だったのね)

 

 あれは単なる筋力トレーニングではなかった。練習に込められた意図を彼女は正しく理解した。

 

(じゃあ、()()()()──)

 

「ふぅ──」

 

 深呼吸を、一つ。

 

 それだけで、視界が一気にクリアになる。

 

 今まで見えなかったものが、“視える”ようになる。

 

 音の消えた世界で、プレイヤーがチェス版を眺めるかの様に、彼女はレースを()()()()()ことを許される。今まで漠然と得ていた視点が、より明確に。レースの全てを、掌で転がす様に。

 

(──あぁ、アイツはアタシに、()()をくれたのね)

 

 積み重ねてきた練習の意図を理解し始めた瞬間、バラバラに動いていた歯車が噛み合い始めた。

 

(その為の、1ヶ月半だったのね)

 

 練習に含まれていた、彼の彼女への温かな思い。それに触れた心が、微かに熱を帯び始める。

 

(ありがとう、トレーナー。おかげでアタシは──)

 

 否。

 

 ここから先は、結果で示すだけ。

 

 前方を走る5名の様子を観る。

 

 

 

 

 ──なんだ、お前たちは。

 

 アタシの前を小蝿の様にチョロチョロと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           巫山戯(ふざけ)るな

 

 

      そんなヌルい走りで、アタシの前に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              立 つ ん じ ゃ な い わ よ ッ !!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 刹那。

 

 

 地響きの様な轟音を響かせ、その場から消え去ったかの様に彼女は加速した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(そうだ、それでいいッ!!)

 

 スパートを掛け始めたダイワスカーレットの様子を見ながら、観客席で克樹は唸る。

 

(トラックを使って走る練習。アイツにはテキトーなことを言ったが、それを取り入れなかったのは忘れてたからなんかじゃない──()()()()()()()()()

 

 初日の適性テスト。その結果を見た時、彼は衝撃を受けた。

 

 彼女の最高速は、ムラこそあるものの、デビュー前のウマ娘としては抜きん出て余るほどに高かったからだ。

 

 ならばこそ、下半身の筋力を増強し、元から備えていた踏み込みの力で体を前に押し出す走法を身に付けることこそが肝要であり、それさえ備われば彼女がメイクデビュー杯如きで負ける道理なぞ微塵もない。

 故に彼は、ダイワスカーレットにひたすらタイヤ引きとタイヤ押しを繰り返させたのだ。

 重いタイヤを引く際、力強く踏み込んで力を前に伝えなければ動かない。さらに自然と上体は前のめりとなる。下半身の強化と同時に、最高の加速に適切な走法を体に染み込ませることができる。押す際もそうだ。力強く踏み込んで、体を前に投げ出す様にしなければタイヤはピクリともしない。あのトレーニングは、現状の彼女に非常に適したものだったのだ。

 

(だがそのスパートは現状長くは続かない。だからそれを活かす為のタイミングを、適切に読み切る必要がある。そしてその為の武器を、スカーレットは元から持ち合わせていた)

 

 ──レースを俯瞰する視点。

 

(そのために必要になるのが、()()()。あいつの適性上、どれだけレースを走るとしても3分を超える長距離を走ることはないだろう。だから、3()()()()()3()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 故に、『勉強』。

 3分間と1分間のインターバル。

 コレを繰り返すことで、元から備えていた集中力を、3分間に全て注ぎ込むことが可能となった。さらに読んでいた本は、レースに関するありとあらゆる知識を集めた本。故に──

 

 

 

(わかる──2位の歩幅は疲れてバラバラ、必死に走ったところでそれ以上の速度は出ないッ!!)

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 歯車が、全て噛み合った。

 

 ならばそこに、敗北の二文字はもう無い。

 

 

 

「うおおおおおああああアアアァァッッ!!!」

 

 

 

 ターフに轟く、彼女の叫び。それすら過去にして、彼女は走る。死んでしまうほど焦がれた、“1番”を目指して。

 

 

 

 

 

 

 そして彼女は、2位以下に圧倒的な差をつけて、1着を勝ち取った。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……ッ」

 

 ゴールラインを超えてしばらく走って止まった後、彼女は膝に手を当てて荒い呼吸をする。

 

「勝っ、た……?」

 

 呟いた瞬間、込み上げる実感。何よりも美味しい、勝利の味。気づけば両の拳は、勝手に、力強く、爪が食い込むほどに握り込まれていた。

 そして彼女は、後ろを振り返る。そこにいたのは、ある者は悔しそうな表情で、ある者は絶望に苛まれた表情で。幾多の敗者たちが、勝者である自分を見つめていた。

 

 

 

 その姿に、どうしようもないほど愉悦と快感が込み上げる。

 

 

 

「フフ……ンフフフ……」

 

 そして彼女は、本能のままに恍惚な笑みを浮かべて、敗者達を嗤う。自分の前に項垂れる、全てを見下して。

 

(あぁ、そうか。これがアタシなんだ──)

 

 そう独りごちる。あぁ、なんで醜くて、嫌なヤツなんだろうと、“優等生”の自分が罵る。

 

(でも、これで良い、これが良い)

 

 ──だってそんなアタシを、アイツは認めてくれたから。

 今はこの勝利という快楽に溺れて、酔っていたい。

 

 

 視線を上げて観客席を向いた彼女の視界で、手を振りながら彼が笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

     【ダイワスカーレット 戦績:1戦1勝】

 

        メイクデビュー杯──1着

 

 

 

 

 

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