黒崎加恋視点
『この世には私とカナデさん以外いらないと思わない?』
『ちょっと何言ってるか分からない』
『その世界は嫌すぎる』
百合の発言とそれに対する反応だった。
特に大事な用件というわけでもなかったのでオフ会に参加しているメンバーたちは既読を付けてスルーした。
発言の病み具合からして百合はまだ引き留められているのだろう。
こんな日に予定が入るなんて気の毒過ぎる……
というか通知はもう切ったほうがいいのかもしれない。
グループLEINの通知音をミュートにしておいた。
「いらっしゃいま――せ!?」
場所は変わりやってきたのは服屋さん。
20後半くらいの女店員さんがカナデさんを二度見した。
ぎゅるん! と首をカナデさんのほうへと回して驚いている。
カナデさんは貴重な男性でしかも美男子。目立つのも当然だろう。
なんというか心地良い優越感だった。
「お客様。何か御入用でしたら何でもお気軽にお申し付け下さいませ」
「え? はい、ありがとうございます」
店員の女性は熱っぽい上目遣いでカナデさんを見つめながら手を取った。
何故手を取る必要があったのか。カナデさんもカナデさんですよ。振り払ってもいいんですよ?
「そうそう。購入するとポイントが付くのですが、専用のカードはお持ちですか?」
「カードですか……持ってないですね」
「今からでもお作りしませんか? こちらで用意を進めておきますので、お会計の際に申しつけて下さればあとは御名前の記入だけで終わりますよ?」
「んー」
……それはいいんだけど長くない?
いつまで手を握っているんだろうか。
わ、私ですらあそこまで触ったことがないのに。完全にセクハラ案件だ。
なのにカナデさんはニコニコと「カードですか……」なんて悩んでいる。
そして、それが許されると分かった女店員はさらに激しくカナデさんの手をにぎにぎと……
「あのアマ……」
今のは私ではない。隣の薫から発せられた声だ。
しかし、地獄の底から響くようなその声色に気を取られてそちらを見ると、そこでは鬼の形相をした薫が佇んでいた。
恐ろしい表情。般若でさえもう少し優しい顔をしているだろう。
ここの商店街のお店は提携している場所が多く、ポイントも共有できるところが多かった。
でもカナデさんはこの近辺には住んでいないので関係ないはず。にも拘らずやりたい放題されているのはやはりカナデさんの優しさというステータスが高いという事に尽きるだろう。
接客の範疇を超えていると思い、声を掛けようとしたところでカナデさんが口を開いた。
「すみません。やっぱりカードはやめておきます」
「いえ、お気になさらず。何かあればお気軽にどうぞ。私の名前を出せば……あ、申し遅れました。私、近藤綾香と申します」
「カナデさん、行きましょう」
さすがにこれ以上は――ということで無理矢理引き離した。
カナデさんの手を消毒して私の手で上書きしてあげたいけど、独占欲を剥き出しにしたせいで嫌われたくないのでやめておいた。重すぎる女とも思われたくないし……
それよりも、だ。他のお客の人からもカナデさんへのいやらしい視線がやってくる。
今からでもウィッグをもう一度被ってもらった方がいいかもしれない……しかし、当のカナデさんはそんな視線も気にしていないようで皆と盛り上がっていた。
「ふへへ」
奥に戻る際に、店員はにんまりといやらしく笑みを浮かべたのを私は見逃さなかった。
薫も面白くなさそうにしている。今にも舌打ちをしそうな形相だ。
「ちょ、近藤さん!? ズルいですよ! なんですか今の美少年!」
「持ち場に戻りなさい。あの方たちは私が担当するわ」
「横暴! 横暴ですよ! 完全に職権乱用じゃないですか!」
そんな声が聞こえてくる。もう今度からこのお店に来るのやめようかな……なんにせよ変な虫が付かないように私たちで警戒しないと。
「あの女はあとで処理するとして、今はカナデ様に楽しんでもらいましょう」
怖い怖い。処理って何するの……?
ただ気にはなったけど、正論でもあった。今はこちらを気にするとしよう。
せっかくなので、本格的に女装してもらおうという事でやってきた有名なお店。
帰る際にも危ないだろうし、私たちからのプレゼントだ。
正直私としては一人で贈りたかったかも……カナデさんが相手ならいくら貢いでもいいと思える。創作の中でしか見たことないけど、ホストクラブで男性に巨額を貢ぐ女性の気持ちが今なら分かる。
ふむ……カナデさんが接待してくれるお店か、ちょっと想像してみる。
「……ッ」
だ、駄目だ! これはやばい!
顔を赤くして一人悶える。
そうこうしてる間にも晶によるカナデさんのコーディネートが行われている。
って、私もカナデさんに似合う服を選ばなくては。
私だって自分の選んだ服をカナデさんに着てほしい。晶と優良の2人とファッションの話が盛り上がっているうちに探すとしよう。
と、その時――
「あの!」
やけに強張った声が聞こえてきたのでそちらを見る。
女の子が緊張した面持ちで試着室の前でウィッグを外しているカナデさんの前に立っていた。後ろには一緒に来たと思わしき子が2人……中学生くらいだろうか?
「あ、握手をして頂けませんかっ!」
突然の申し出に面を食らった様子だけど、カナデさんはいつもの柔和な笑顔でそれに応じていた。
彼女は握った手をじっと見つめて感激したように何度も頭を下げる。
「ありがとうございます! この手もう二度と洗いません!」
「手は洗った方がいいと思うけど……」
苦笑と共に、顔を引き攣らせるカナデさん。
それから残りの2人とも軽く握手を……アイドルの握手会みたい。
カナデさんが手を握ると、やはり感激したように女の子は頭を下げてきた。
「ふ、ふほおぉ……! あ、ありがとうございますっ! グッズ絶対買いますね!」
「……グッズは売ってないよ?」
その言葉に中学生たちはぽかんとしていた。気持ちは分かる。私だって最初は俳優じゃないかと疑ったくらいだ。
でもグッズが売っていたらお小遣い全てを使っていたかもしれない。この人のグッズか……どうしよう、欲しい。
中学生たちは無性に嬉しそう。憧れの男性に優しくしてもらえてどこか熱っぽい表情をしていた。
「クロロンもしたいんじゃない?」
言外にあの子達に嫉妬したんじゃ? と言われる。
「ふふっ、中学生に目くじら立てるほど子供じゃないよ」
「クロロンがニヤける時って大体嘘なんだよね」
「…………」
そ、そんなに分かり易かっただろうか? というかその癖本当にどうにかしたい。前もそれで薫に乳首引き千切られそうになったし。
「でもカナデ本当に抵抗しないよね~」
確かに今時珍し過ぎるくらい珍しい。いったい今までどんな生き方をしてきたんだろうか。
カナデさんが、去っていく子達に軽く手を振っていた。
だけど思ったより注目を集めてしまっていた。帰宅の際の心配事もなくなったし、一度戻って喫茶店で遊ぼうという意見に落ち着くのだった。