勇者は道端で死にかけている妖精姫を助け、『妖精の森』ーー、妖精の住処に連れ帰った。
キラキラと輝く宝石の山に、自分のために開かれた宴。勇者は満足だった。
そして勇者は、ついでと言わんばかりに依頼をされる。
「世界を知らない娘に、世界を教えてやってくれませんか?」
キラキラと輝く期待のまなざしを向けられたら勇者が断れるはずがなかった。
これは冒険の中で育まれる恋愛模様を見る物語ではなく、既に冒険は終わった後。
勇者は魔物に姿を変えられ、妖精はその記憶を失った。
これはまだ、恋愛が始まってすらいない前日譚である。
この小説は『小説家になろう』にも掲載しています。
妖精の森。それは妖精が住む神秘の領域。
魔法で森を魔力を拒む霧で覆い、妖精以外の物が近づく事が敵わぬ妖精達の集落。
そこは妖精達にとって、唯一安心して暮らすことが出来る、安住の地だった。
ーー少なくとも、昨日までは。
『妖精王』グローリアは森を飛んでいた。自身の羽根を月が見てる場で晒すことは、恥ずべき行いと言われているが、今はそんなことを考えている場合ではない。
魔物が森に入ってきたのだ。先代の妖精王によって作られた『霧の結界』それが突破されたと、気付いたときには冷や汗が止まらなかった。『霧の結界』は先代の妖精王ーー、つまりは『母』が念入りに構築した魔法で、もしも『霧の結界』を超えて森に何かが入ってきた場合、その気配を察知して、『妖精王』の血族にそれを知らせるようにしていたのだ。
そのことを今の今まで知らなかったから、グローリアは尚更冷や汗ものだった。
唐突に頭に流れ込む侵入者のイメージ。それが危険な存在であると、心臓が警鐘を鳴らす。視界が赤く明滅し、『妖精王』の使命を果たせと頭が訴えかける。それは丁度、夜が深くなってきた頃。グローリアが床に入る直前の事だった。
『母』の魔法は便利な物で、侵入者が居る場所の方向を教えてくれる。
そして、それに近づく度に分かる。放つ気配が違う、と言うよりは生物としての『格』が違う。
近づく度に、足が竦む。近づく度に背筋が凍っていくような錯覚すら覚える。もしかしたら、自分はここで死んでしまうのかもしれない。
だが、そうだとしてもーー、
(絶対に私がここを守ってみせる)
王女としての矜持だった。何が何でもここを守ってみせると。
最悪の場合、命変えてでも。生まれてから二十二年。妖精としては子供とも数えられかねない歳の妖精は決意したのだ。
皆と笑い合える日々を守りたい。皆が平和を享受できるここを守りたい。
だから、『妖精王』は決意した。
◆◆◆◆◆
眼前に見えたのは、明らかな異形だった。
覚悟はしているつもりだった。命を賭けて守るつもりだった。
だが、覚悟は出来ていても予想をすることが出来なかった。
ーー神話に謳われる怪物がいる事が、予想できるはずがない。
大きな岩の上に座って、こちらを糸目で見つめるのは恐らく、3メートルくらいはある大きな狼。爛々と光る月のような黄金の瞳に、死神の鎌を思わせる凶悪な牙の輪郭。夜を写したような、何処までも黒い体。それが、こちらを見つめている。
その姿は絵本で見たことがあった。『唯一種』、『最強種』とも呼ばれるそれは、太古の昔から存在する、魔物の祖の一つ、『月夜の狼』つまりは常識を越えた化け物だった。
グローリアが慌てふためく様子を見て、狼は更に目を細めた。
まず、機嫌を損ねたと思った。そして自分はここで死ぬとも。
自爆特攻とか、そういう以前の問題ではない。完全に、自分と住んでいる世界が違うのだ。
彼我の戦力差は火を見るよりも明らかだ。数字で例えるなら万と百。勝ちの目などあるわけがなかった。
どうすればいい、と冷静な頭が考える。
死ぬか、逃げるかだ。妖精としての矜持を守り、ここで名誉の死を遂げるか、皆と共に別の安住の地を探すため、ここからどうにか逃走して、皆で外に出る。
当然というか、どちらも無理だ。そもそもグローリア自身、痛いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だ。グローリアは『妖精王』という称号に自分が相応しくあれるように努力をしただけの非才の身。グローリアは元来臆病な妖精だった。自爆特攻なんてもっての外。先程の威勢はとっくに消え失せていた。
後者は、不可能。ここから逃走することが出来るかどうかも怪しいし、そもそも妖精が外に出たら、欲に塗れた人間に捕まって薬の材料にされるか、ペットにされるのが関の山だった。
どうにもならない、と結論を出した。
(無理、無理、無理!)
『妖精王』としてのメッキは剥がれおち、完全に臆してしまった。
魂が、恐怖している。目の前の存在に臆している。無理、なのだ。不可能、なのだ。勝つとかそういう話ではない。次元が違う。
戦いを挑んでも無駄だし、目を瞑って喰われるのを待とう、と思考したときだった。
「すまない、怖がらせてしまったか」
「は?」
ーー『月下の狼』が口を開いた。
◆◆◆◆◆
大きな岩の上。狼と『妖精王』が二人座って会話が始まった。
話をしよう、と岩の上に誘われたグローリアは抵抗する術もないので大人しく岩の上に座ることになった。
会話と言っても、どう考えても強さはあちらの方が勝っている。まぁ、つまりどうにか機嫌を損ねないように気を使って、気の利いた会話をしなければ死んでしまう、と。
(どうして私がこんなことに!?)
心の中で叫び声を上げる。
(ともかく、どうにかしてこの場を乗り切らないと!)
それは、けっして弁が立つわけでもないグローリアにはまず、不可能に近いことだった。
「狼様は何でこんな所に?」
「様は不要だ。それに俺は狼、という名前でもない」
「ひぅ!?だったら何とお呼びすれば?」
「そうだな・・・・」
そう聞くと、狼は思案するように月を眺めて。
「アベル、と呼んでくれ」
「アベル様とお呼びすれば良いのですか・・・・?」
「敬語はやめてくれ、それに様はいらない。俺は本で書かれるような英雄でもなければ、誰かに敬われるほど立派な人・・・、魔物じゃない」
それは敬っているわけではなく、どうにか機嫌を損ねないようにしようとしただけなのだが、アベルはそれが気にくわなわないようだった。
「・・・分かりましたよ、アベル」
「うむ」
満足するように頷く狼を見て、ほっと息を撫で下ろす。
外面は平静を装っているが、心中ではもう、冷や汗がダラダラだった。今、自分が喋っているのは、神話に謳われる怪物。それも最強種の中で一二を争う怪物の中の怪物だ。数百、数千、もしかしたら、数万年に一度会えるか会えないかの化け物。それと話す機会が訪れたことが今はただ、憎たらしい。
ともかく、どうにかして話を続けなければ。
「それでアベルはこんな所へ?そもそも『霧の結界』をどうやって超えたのですか?」
「ああ、逃げてきたんだ。『霧の結界』は俺は魔力を持っていないから、効果を成さなかった」
「は?逃げてきた?貴方が?『月下の狼』である貴方が!?」
どちらも、想定を超えた回答だった。
そもそもこの森に来た理由は珍味である妖精を食べるため、だとかそんな物だとばかり思っていたのだが。
アベルは逃げてきた、と言った。つまりアベル以上の化け物がこの世には存在し、アベルを追ってこの森に来るのではないのか。そう思うと、怖気が止まらなかった。それが顔にも出ていたようで。
「すまない、この森に立ち寄ったのも、ただ、君の声がもう一度聞きたかっただけの、俺のわがままだ。君を怖がらせる気は本当に無かったんだ。すぐに俺はこの森から去るからーー、」
「あの」
何をするでもなく、声が出ていた。
自分でも意識をして無かった。アベルが私に背を向けようと、そうした所で、声が出た。
ずいぶんとおかしな話だ。脅威が向こうから去ってくれるなら万々歳ではないか。ここで自分は彼を引き留める必要も無ければ、彼に肩入れする必要も無い。ただ、その姿に誰かの面影が被っていて、何処かで見たことがあった。記憶の片隅に彼はきっと座っていて、何かが自分の中で引っかかっていた。
「もう少し、お話ししませんか?」
心からの、言葉だった。
「いいのか?」
「私が良いって言ってるんだから良いに決まってます!それに私、貴方に会った事がある気がするんです!」
そう言うと、アベルは愕然とした様子で目を見開いて。
「・・・俺を覚えているのか?」
そういうアベルにグローリアは静かに首を横に振る。眉を下げたように見える彼に、「でも」と前置きして、
「私は貴方を覚えていないから、また新しく貴方の事を知りたいんです。私は貴方を知らない。でも、貴方をもう一度知ることは出来るでしょ?好きな色は何かとか、好きな食べ物は何かとか、逆にあれは嫌いだ、とか。そんなどうでもいいことから貴方を知っていきたいんです」
そういうグローリアにアベルは諦めたかのように嘆息して、
「やはり、親は子に似るのか」
「私の両親を知っているんですか!?」
私は両親の顔を知らない。貴方の母は立派な人だったとか、貴方の父親は英雄だっただとか、他人の言葉で、両親を想像することしか出来ない。だが、もしもそれを知ることが出来るなら。
「教えて下さい!!」
「長くなるが・・・」
「お願いします!!」
困ったように眉を下げたアベルは、ふぅと溜息をつき、話し始めた。
「お前の母親はーー、」
それに聞き入るように目を瞑る『妖精王』と、楽しそうに母を語る『月下の狼』。
いつの間にかお互いに遠慮は消え、旧知の仲のように話をし、笑い合っていた。
随分とおかしな話だ。
これは、そんな随分とおかしな話から始まる物語。
ーー月下、そんな二人の様子を、月だけが覗いていた。
◆◆◆◆◆
もしもの、話をしよう。
もしも、勇者が、悪い魔物によって人々から畏れられる『月下の狼』に姿を変えられたとして。
とある妖精が、その勇者と昔とてつもない冒険をしたとして。
そして、その記憶を妖精はなくしてしまったとして。
妖精はいつか記憶を取り戻すだろうか。勇者は元の姿に戻れるだろうか。
それは、彼らしか知らない。
だから、これは前日譚。
本来ならこんな歪な始まり方はしない物語。
ーーそんないつかを胸に抱いて、狼は一歩、妖精に向かって歩み出した。
続きを書くとは言っていないので失踪します