私の縁と宇宙の旅(短編)
(1)
カタツムリのエルーパ
少しばかりお話しします。
不思議な未来と、小さな
小さな可愛い少年のいる世界の事を。
日本のことわざ、言わぬが仏。世界の神々は有事の祭にはうずらの卵にその言葉の運命を知らせ老婆心のメモを授け、過去には太平洋にある大型台風のお導きで妖魔のエルーパという爺さんに木枯らしを生み出させるために日本上空の空を旋回させた。日本の上空何千キロかかけ離れたところの二つの古島に鳥などの生命体がほとんど住んでいない岩の諸島あり。谷間風の流因を移動させ日本の気風を神風に変えたエルーパ。昔話から現れた妖怪のいる天国にはエルーパの孫がいて、風に乗って空から見た大陸の景色にはいたく感動したそうだ。その大陸を浮遊させようと夢にまで見たその天国の妖魔エルーパの孫たちである妖精の王女と王子たち。その国に生まれたての蝸牛(カタツムリ)には、日本のお袋の味が伝わり、インド洋ではそれは別の形で発祥の地があるそうだ。クリームシチューという海がスープの具材として出来上がった食される蝸牛のレストラン。その南のインド洋の湾岸からかなり離れた海上には、誰の仕掛けでもない乗客の消えた豪華客船。『食卓で召し上がられるわたくし蝸牛のエスカルゴ料理』と時代を救った一時の自分へごちそうさま。でもおやすみなさい。海上に浮いた時刻の蝸牛レストランの貝ゆえの世界。
(2)
交通公園にてエルーパ
その各国には時差があるあいさつがあり、時計は昼の1時を廻ろうとしていた。そこには数多の歴史的あいさつの入った各国独自のおはようとおやすみなさい。諸島には天下の大陸に入りかねたありがとうの文化がある。何処かの国の明るい西暦の太陽の日射しがある。鉄の時計台には昼の世界が見えないくらい輝く照りつく南風の熱風吹き荒れる公園がある。夜の雲の上の世界に融ける山林に保管された姿見の鏡は天国へ導く虹の七色の橋。国にある島が宇宙に期待されれば機械仕掛けの虹を本土に掛け、大空の大宇宙のひらめきあれば、虹のかけ橋などに暗雲立ち込めるカタツムリの宇宙の類があり。それは星空の雲が空に浮かんでいるのと似ている。暗いどんよりとした夜の地球の大きな水の見公園と火星の特大な保安庁公園の間には風の漂う宇宙空間があり、神様からのいかづちとして存在し得る、暗闇に星やフラワーを散らばめた宇宙空間がある。その間を結ぶのは宇宙ステーションであり、火星から地球に戻ればカタツムリの類曰く、人間の世界は世界の列車のある交通公園の玩具に似ていると言わしめた。そのカタツムリは列車でも玩具でも1番先頭に乗ったことがあると自慢している。中々先頭に乗るまで遠慮も入っていたから列の最前線に並べなくてがっかりしていた。宇宙空間の人類の庭には張り巡らされたカタツムリの宇宙の類、そしてその惑星交通。だからかカタツムリはキラキラ光る虹橋の島にレインボーの輝く人間の世界をガラスの人見知りの瞳で泣きながら望遠の鏡で覗いていた。ババ様と蝸牛は本を読みながら林檎をかじる。
【おかしいな? だから僕には分からない世界があるだろうと、蝸牛の子供の小さな可愛い蝸牛は言っている】
(3)森羅万象のエルーパ
その洗練されているような森羅万象の全貌自体、カタツムリの観測から展開していたのだ。そのポロポロ泣ける地球上の映像の話も歴代猛者の誰かしらが書いた諸説ある物語りにあった。森羅万象には無視されていたような現世が描かれていた。ことに星の夢見の朝に深い眠りは若さを封印されていた老いた朝のババ様であり、若返りのために深林の林檎の木から赤い林檎をもぎ蝸牛と食べた。さっき食べられたばかりだと言っていたのに。もう食べられまいと思った面白さがある。もしかしたらと思った林檎の妖精は円卓を飾る林檎の準備ができていなくて、いやいやながら手掛かりとして現代の宇宙からのささやきに聞こえる真っ赤な玉林檎を天からの手助けの声だと泣きわめいたから、雨宿りした蝸牛は露草世界の滞在者が何処からきたのか所在が分かってきたようだ。得てして蝸牛は含みを覚えた。地球人や火星人の優しさから損害を受けていた兄の心や体は芯や軸に成長を基調として表れていた。ヤドカリから選抜される林檎の木があればそれは優しさの惑星にも変えられる。インド洋にオレンジ伝説があれば、日本には林檎の紅玉のような梅の花の伝説があり、梅酒は美味く、冷たい梅酒は格別に美味くそれが美味く飲めるのは世紀の功労者達が造り出した冷凍食品の宝の倉庫、冷蔵庫のおかげである。
読んでいただきありがとうございました!