寮の中は閑静との言葉が適切か分からないけど、誰も起きだしてこないこの時間が割と好きだったりする。
この時間でも起きだしているケースがあるエマちゃんと、夜から続いて起きているかもしれないツバサが真剣な調子で話しているのが見えた。
小声だ、話しかけづらい雰囲気も漂っている――私は正直、驚いていた。
今まで、エマちゃんからのツバサの扱いは、スイスにいる妹や弟達と扱いが変わらないんじゃないかと疑われた。
二人が並ぶとどちらが年上か、となればエマちゃんだよね、との反応が来る。知らない人は十中八九そのように答える。
誰にとっても損をする結果なので、ツバサにもエマちゃんにも「お互いに年齢を勘違いされる」とはいいづらい。
……少し話がズレてしまったけど、今まで年下の妹かなんか、と考えていたであろうエマちゃんが下手に出て……や、今までだって、先輩としての敬意は私を含めてあったと思うけど。
盗み聞きするのも良くないかな、と思って退散しようかと思ったけど、相談を聞いている方のA-RISEのリーダーがこちらに気がつき、その態度でエマちゃんも私に気がついた。
「どうぞお構いなく」
手を振りながら言ってみると、ドスの利いた声色でツバサが「あなたも聞きなさい」と呼びかけた。
エマちゃんの相談なのにいいの? と問いかけると、質問している彼女自身も「絵里ちゃんなら大丈夫だよ」と。
それだと他の人には聞かれたくないみたい、と心の中で考えながら、周囲に伺っている人間がいないかどうか見回してみる。
「将来についての相談だから」
「……私には力になれそうにもないわ」
首を振りながら言うと、ツバサも苦笑いをしながら「自分も不良な商売だからね」と言っている。
真っ当な将来こそが人間の歩むべき人生の模範解答、とは言わないけど、妹に養ってもらってた人と、トップだけども芸能界ってちょっと真っ当じゃない立場の相手に「とりあえず大学に進学したら」とか「とりあえず就職を考えてみてもいいんじゃないかしら」とアドバイスをして説得力に欠けないだろうか。
私は大学に進学をしたから「将来の選択を増やすために大学に進学するというのもありなんじゃないかしら」とは言えるけれども「でも、絵里ちゃんそれからしばらくニートしてたんだよね」とエマちゃんに純粋な瞳で見られてしまったら心は軽く砕ける。
ツバサも「進学も就職もしてない手前」学生の進路相談には「もしかして説得力がないんじゃ」と不安にもなっている。
トップアイドルなんて誰しもがなれる職業ではないけど、だからこそ誰しもに理解されるアドバイスをできるとは言えない。
エマちゃんの求めるものは……まあ、私にできるアドバイスか、ツバサにできるアドバイスか分からないけど……。
「ええと……それだと相談したわたしが報われないと言いますか」
「もちろん……手前味噌なアドバイスなら私だってできるわ、一応人生経験は他の人よりも豊富だと思うし」
「右に同じく」
私がおずおずと言ってみると、ツバサも左手を唇のあたりに寄せつつ首を振りながら言っている。
ちょっと前までエマちゃんと正対していたのに、いつのまにか隣にいるのは――まあ、良い方にとっておきたい。
いつでも逃げるためのシールドとして活用するつもりなら、エマちゃんの張り手を受ける覚悟も辞さない。
とても残念なことに私をシールドとして活用すると、生徒からの相談を逃げた弱者とみんなから槍玉に挙げられるので、シールドとして活用されるのはエマちゃんの張り手専用……と、なるけれども。
そこまでわかっていてツバサも私を置いて逃げることもあるまい。
「今まではね、卒業をしたらスイスに帰るつもりでいたんだ。日本にいるのはスクールアイドルをしている時間だけ……でもね、それが惜しくなってきたんだ」
繰り返すけど手前味噌のアドバイスは私にもできる。
自分で決めなければだめ、とか、自分で考える最善が一番だ、とか、まあ、ありきたりなこと。
もっと相手に向き合うなら求めている言葉もかけられるけど、それがベストだと考えるほど、私も子どもじゃない。
「二人は将来とかで迷ったってことはある?」
「この人は人生の迷子だけど」
「否定はできない」
迷ってばかりの人生だ、むしろ迷わないで人生を歩んでいる人がいたら見てみたい、実に興味深い、悩まずに迷わずに、即断即決で様々なことを決める人など……なんだか面白くなくてしょうがない。
パソコンみたいな脳みそでもしていれば、将棋でソフト指しでもするみたいに最善手をホイホイと決めることもできるだろうに。
やあ、人生がソフト指しするみたいに最善手ばっかり決めてたらチートを疑われるだろうなあ、私はチート的な人生を歩んだことがないのでよくわからないケド。
隣にいる人は「私の人生はチート」とか「私って存在はUR」とかネタにしているけれども、そんな彼女だって悩みもすれば、考えもする。パソコンみたいにはいかない。
メーテルと一緒に999に乗って機械の体でも手に入れれば、人生をチート的に全てうまくいく、となるんだろうか。
機械の体なんて手に入れても中身が絢瀬絵里はうまくは行くまい、そして中身が絢瀬絵里でなければ、それはもう絢瀬絵里だった何かでしかない。
「迷った時にどうしてた?」
「……迷子に聞いて参考になるのかしら?」
視線だけでツバサに問いかけてみると、彼女は苦笑いをしながら首を振る。参考にならないかもしれないけど答えろ、なのかもしれない。もしくは自分が既に回答した後で同じ質問をされているから、笑いものにするためにも答えろ、なのかもしれない。
「……そうね、迷っている間にやるしかなくて……まー、うまくいかなかったことなんていくらでもあるわ」
普段ならば「失敗ばかりの人生とかかっこ悪い」「よくも恥ずかしげもなく生きてられるね」と煽りを入れられるけれども、エマちゃんが真剣な面持ちで聞いているから、ツバサも真っ二つにされたくなくて口を開かずにいてくれる。
「時間は……無限にあるって勘違いする人もいるけど……そんなことは全く無くて、人生には無限の可能性が広がってるとか……そんなことを言う人もいるけど……いやあ、そういうわけにはいかないのよ」
地球どころか、宇宙だって存在が有限なんだから、そこに存在する何もかもが無限である可能性は著しく低い。
とんでもない数の可能性を無限と表現しているだけで、数えるには時間が足りないだけで、無限っていう言葉で片付けているだけ。
時間は有限だし、選択肢だって有限、そもそも可能性が無限であろうとも体がひとつしかない以上、やれることだって限られてくる。
「迷ってばかりで、失敗してばかりの人生だったけれど、そんな私が、エマちゃんにアドバイスができるとすれば……つまらないことに一喜一憂するな、かしらね?」
「つまらないこと?」
迷うこと、恐れること、何もしないこと、立ち止まること……そんなことはいくらでもある。
それを一言で言うならば……適切であるかどうかわからないけれど。
「エマちゃん……私の作るご飯は美味しい?」
「え? うん、それはもちろん」
「例えば、嫌なことがあった。ご飯を食べたら忘れる。その程度のことにあたふたするな、ってこと」
こんなこと言っている私だって、ムカっと来ることはあるし、怒りを感じることもある、泣くこともあれば笑うこともある。
「本当にやりたいことは、ご飯を食べようが、お風呂に入ろうが、寝ようが、怒りを感じようが、涙を流そうが……決して忘れずに、やりたいと思うことよ。それが見つかれば迷うことはない……やー、まあ、それでも迷うし、失敗することもあるし、怖いと思うことだってあるんだけど。それでも、四六時中やりたいことってのがついてくる……エマちゃんにそれがあるかは知らないけど」
「……思いの外の真剣なアドバイスに、普段からこうすればいいのにってA-RISEのリーダーとしては考えるわ」
本来は、気が付いたら時間が巻き戻っていたことにもっと思い悩みたいところだったけれど、エマちゃんの悩み顔にそんなことが吹き飛んだ。
時間が巻き戻ろうが、進んでしまおうが……まあ、気がついたらおばあさんになってたとかだったら困るけど、浦島太郎状態になっても仲間がいたら楽しめるかもしれない。
ご飯を食べれば通り過ぎるような怒りをいつまでも抱える必要もない、悩み事を深刻に考える必要もない。
「わたしのやりたいこと?」
「そうよ、誰にでもあるもの……本能、みたいなものかな? 心の底から追い求めるモノ、私のご飯を食べても忘れない、果林ちゃんが宿題を忘れてもエマちゃんの心の中に残っているものが、やりたいことで……そのやりたいことのために将来の選択がある。無限の可能性なんて馬鹿馬鹿しい、やりたいことなんか一個しかないのに、可能性って言葉でごまかして、決めるのを先送りをしているに過ぎないのよ」
……残念なことに、自分がそれをできているかどうか、説得力があるかどうか、に著しく疑問があるけれども。
「今決めろとは言わない、でも、決まってるでしょ? やりたいことをやるために将来の選択がある。そのために必要なものは、あなたはもう分かっている」
「……二人に協力してもらえるかな」
「あ、私も巻き込まれるのね? まあ、いいけど、絵里と一緒だったら……理亞さんにも羨ましいだろって自慢も出来るしね」
本当に嫌だったら私をシールドにしてすでに逃げ出している、巻き込まれることも予測済みなんだろう、そうでなければ隣にいて太ももの辺りをつねったりはしない。
「絵里ちゃん、ご飯作るの手伝ってくれる?」
「あれ? 私が作るのをエマちゃんが手伝ってくれてるんじゃなかった? 寮の仕事って私が担当じゃなかった?」
疑問ではあるけれども、エマちゃんがそれをやりたいというし、何よりも背中を押したのは自分なので、解せない気持ちはいくらでもあるけど……そんな思いは……まあ、ご飯を作ってれば忘れる。
ツバサの中にあるいろんな気持ちも……忘れてくれると願いたい。
「ねえ、絵里、やりたい事って何?」
「ご飯を食べても、ステージに立っていても、疲れ果てて寝たあとに起きた朝でも、やりたいと思うこと」
「それは何?」
「あなたの隣にいることかな、だからいい加減つねるのやめてくれる?」
「バカみたいな回答に免じてやめてあげるわ」
今度はつねるのではなく、お尻のあたりを膝蹴りされている――照れ隠しであると願いたい。
エマちゃんが止めないのは、この雰囲気がおノロケっぽくて近づきたくないから? あー、表情を見る限りそんな感じだけど、そろそろ剣を作るみたいな膝蹴りを受けるのを控えたいんだけどなー?