学園に通ったしおりこちゃんを観「とある事情で記憶喪失になっている」と、説明になってない説明を聞き、今まで仲良く話していた生徒にも「はじめまして」と語る彼女にも「記憶がないんだから仕方ないよね」と、新たに関係を構築しようとするのだから素敵だ。
彼女は別の世界の虹ヶ咲学園に通っていたのに「はじめまして」とは、どういう事情なのかは分からないけど、彼女が交流を控えていたのか、この世界の虹ヶ咲学園とは全く違う人が通っているのか。
違う人間が通っているのでは? とは、せつ菜ちゃんが語ることだ、しおりこちゃんに人格攻撃レベルの罵詈雑言を浴びせられたけど「この世界ではない起こってないですから」と一笑に付し。
監視委員会として活動妨害に加担した生徒会役員の双子ちゃんも「私の仲間ですから、仲間にそのようなことをされるのは、自身に不備があるだけです」と、悪いものでも食べたんじゃないかってくらい、真面目な態度で話している。
数分前に「あのキャラクターの声をやって欲しいんですけど」と真姫にお願いしていた人間と同一人物とは思えない。
確かに、しおりこちゃんの発言を聞けば「こんな人の下では働きたくない」と、真面目な副会長さんや、書記の双子ちゃんが職場放棄しても不思議ではない。
結局のところスクールアイドルにかまけて生徒会の仕事がままなってないじゃないか、となれば、反発の声は必至だと思う。
生徒会長として適性がない(と判断した)人間に仕事を手伝ってもらったことに対しては「あなたにはプライドがないのですか」と海未に思いっきり指摘されていた。
ともあれ、記憶喪失だと説明して、周囲には納得いただいたけれども、授業にもついて行っているようだし、まずは一安心。
後は――音沙汰がなくて、何らかの事情を知っていそうなクマの神様にご登場願い、今の状態を元に戻すか――栞子ちゃんの望み通りに「パフォーマンスの時だけ、しおりこちゃんモードになってもらうか」
「彼女の語る虹ヶ咲学園は、修羅でも住んでいそうですね」
「その世界にいるμ'sも目の前にいるファンに「Aqoursのライブがやってるから」って去られて、悲しい思いをしているんでしょうね」
ことりがテーブルを破壊してしまった騒動の結果「しおりこの世界の話は、物がない場所で聴きましょう」と海未が先導し、ダイヤちゃんが「ここでなら大丈夫ですわ」と黒澤家の私有地で、希望者が耳を傾けたけど。
何もないから大丈夫と、語っていたダイヤちゃんは「畜生にも劣るファンに報復を与えなければ」と、かすみちゃんの顛末を聞き地団駄を踏み、海未が「生ぬるいですよ、ダイヤ」と語ってからしばらく、私有地の地面はめちゃくちゃになってしまった。
何もなかったので地面を掘り返すことくらいしかできず、傍から見てると開梱でもしてるんじゃないか、との光景が広げられたけど、私を含めて本当にマジメにイライラを解消していたわけで。
文字通り手作業だったわけだけど、後々に振り返ってみれば「本当に開梱作業したみたいね」とツバサが語ってしまうほど「土はほっくりかえされていた」
MVPは誰かって話し合われたけど、やっぱり私としてはブルドーザーみたいな動きをしていた理亞ちゃんを推すかな……妹の教育に悪いことをしないでくださいと聖良ちゃんに怒られたので反省はしてます。
「高校時代の私ならば、責め立てることなどは出来なかったでしょう」
「学生の世知辛いところよね、学園っていう場所が全てだから……」
我々のように「他にもファンがいるから」「学園で応援されるだけが全てじゃないから」って、体感的にわかる社会人ならともかく、1日の大半を校内で生活していて、学校で受け入れられるのがスクールアイドルとの価値観のある――
まだ社会の荒波にもまれていない、弱い高校生の女の子が「目の前でファンが他のグループのステージを見に行く」何て体験したら、泣くなんてもんじゃない、トラウマになるレベルだ。
よくもまあそんな世界の桜坂しずくちゃんは、そのイベントの直後に転部なんて選択肢をしたものだ――もしも私が近くにいたら、左腕の骨くらいは折っていたかもしれない。
――おそらく海未が近くにいたら、問答無用で首の骨を折られていたんだろうから、ある意味幸運だったんだと思う。
「学生は……校内の生活がすべてですから、しおりこのように、自分の見ていた世界とはまるで違う体験ができる、思いのほか簡単にできると……気がつかなかったからこそ、この世界へとやってきたんでしょうね」
「……彼女が望んだから、栞子ちゃんの中に入ったということ?」
「全ては推測ですよ? 超常現象すぎて一般の価値観が通用しません――一言で言うなら、全知全能の神の思し召しとか」
「それは分からなくて当然だわ」
神様なんてものが現実に存在して、人間を思う通りに動かしているとして――まあ、少なくとも人間のような考え方はしてないハズ。
だから、あのクマの神様だっていうのも、正確に言えば神様じゃないんだろうなって。
とはいえ周りが神様だと言っているし、自分自身が神様だというのだから、社会人としては「そうですよね」と言えばいい。
火種に空気を送り込む必要もないし、炎上させることもない。
「そこのお姉さん、ロックな考えしてるね」
「……あなたの格好も十二分にロックだと思うけど」
学生の「すごく美味しい料理がいい!」とのリクエストに応えて「ではすごく美味しい料理を作ろう」と思った私は、海未を伴って買い物を済ませ、学園へと帰る途中で――何と言うか、彼女が私にロックだと指摘するのは妙だなって思った。
彼女のファッションや髪の毛の色――少なくとも、一流企業に勤めるOLとは言えないだろうし、バンドでもやってそうと――偏見かしら?
「その革ジャン……世界のヤザワに憧れてるの?」
「革ジャンだからって、全員がヤザワに憧れてるわけじゃないよ」
「コーヒーとか飲む?」
「飲まない、甘いのが好きだから」
「残念ね、丁度良くお菓子があるものだから――褒めてくれたついでに、食べてもらおうと思って」
海未が怪訝そうな表情をしながら私を見上げる――ちなみにこのお菓子は鹿角理亞のお手製の……人間が食べるとマーライオンになってしまうトンデモお菓子。
つまりは会って早々に劇物を食べさせようとしたわけで、海未が「何をしているんだ絢瀬絵里は」みたいな表情をするのは、極めて当たり前のこと。
「……お菓子……人間が食べられるものなんだよね?」
「そうよ? なんなら私が食べてみせましょうか?」
目の前にいる女の人と、隣にいる海未が「ええ!?」みたいな表情を見せる――海未が驚くのは必然だ――どう考えたって人類が食す味をしていない、聖良ちゃんでさえ「気合と根性……そして愛情がなければ、完食できない代物です」と語る劇物である。
ケド、目の前にいる女性は初対面だ――その上、理亞ちゃんのお菓子は見た目、とても美味しそうに見えるから変なのだ。
美味しそうなデザートの中に並ぶと、どれが彼女の作る劇物なのか判別が難しい――ちなみに、見分け方はただ一つ。
匂いを嗅ぐこと、甘いスイーツの中にあるのに、それだけが「無臭」なのだ。
「いただきます」
戸惑った表情を見せるのは海未で、何か意図があるのは察しがつくんだけど、どうして私がこんなことをしているのかまでは、考えが至らないみたいだ。
そりゃそうだ、この女性はクマの変装――もちろん、変身ってレベルなので、そのように表現するのが一番だけど……。
そこまで気が付いているんだったら遠慮なく殴りつけろと、ツバサなら言うだろうけど、もしも私のヤマカンが外れて、普通にロックなお姉さんだとすると、クマの神様にダメージを与える威力の蹴りをくわえてしまえば、お姉さんの土手っ腹に穴が開いてしまう。
普段どれだけの威力でクマの神様を蹴り飛ばしているのかといえば、神様にダメージが通じるくらいとしか。
「……お、美味しいですか絵里……」
「とても美味しく頂いているわ」
――そんなことはない、洗剤をかじったような感じだ。
噛めば噛むほど甘みではなくエグミが出てくる、苦いとか苦しいとか、戻しそうになるのを必死に我慢している。
聖良ちゃんがこれを食べきるには愛情が必要と語ったけれども、本当にこの味を何とかするとしたら愛情くらいしかない。
激マズな美女奥さんを持って苦労している旦那さんは――きっと、愛情がたくさんあるに違いないし。
「というわけで、あなたもどうぞ」
「では遠慮なく」
「……」
彼女が口に含んだ瞬間、魚が跳ねたみたいな挙動をして、歩道で倒れこんでしまう。
当然周囲ではざわめきが漏れてくるけど、海未がすかさず「彼女はこういう演技が好きなんです」と語っている――彼女もここで正体がクマのいけ好かない神様だと気がついたんだろう。
しかしながら海未が「演技なんです」と説明して、周りの方々も「演技なのか」と判断するのはいかがなものか――この場面でそうしてくれないと困るんだけど……何て言うか、もしも私がのたうち回って苦しんでいる時に「絵里の演技なんです」とか説明して誰も助けてくれなかったら……恐ろしいことになりそうな気がする。
「クガァァア!! 騙したな絢瀬絵里!!! これは人間の食べるものではないではないか!!」
「だから食べさせたんでしょうが、まーちゃんさん?」
「……誰の事を言っているのかさっぱり分からん」
「口調がそのままよ、女の子を語るんだったらもう少し、海未みたいな喋り方をしたらどうなの?」
「やめてください気持ちが悪いです」と海未にそっけなく言われ、クマの神様の好感度はかなり低いんだなって思った。