雪菜クンは順調に私の手ほどきを受け――
知人からは「絵里ちゃんの影響を受けて大丈夫?」と心配するメッセージや、お小言を電話越しに頂いたけど。
元から合格圏内だった成績は「余裕」レベルにジャンプアップ。
思わぬ才能に鼻高々だけど、受け手がよかった。
頑張ったのは絢瀬絵里ではない――と正論を申し付けられ。
言われてみればそうだ、頑張って勉強したのは私ではなかった。
不徳を察し、教えてくれた真姫にはお礼を言っておいた。
今度直接会ってと言ったら、戸惑ったように逡巡し、遠慮しておくと断られたけど。
会話を聞いていたツバサに「相手を困らせるんじゃない」と怒られたけど、お礼を言おうとしただけなのに。
が、やはり、彼の受験当日には緊張した。
手ほどきを受けた雪菜クンのほうがよっぽど堂々としていて。
「あなたが虹ヶ咲学園を受けるの?」とツバサには笑われたけど、彼女もお茶碗を持つ手が震えていた。
「ついてこないでくださいね」との彼の発言に天啓を得、 ツバサと顔を見合わせながら「ついていけばいいんだ」と。
冬場だったので「顔と髪を露出しなければバレない」と二人して変装し「絢瀬絵里だってわからない」「綺羅ツバサだってわからない」と、互いに互いを褒め合った。
彼から遅れること三十分ほど、学園の手前の駅――ここに来るまで「日本語で喋ったらバレる」「ではロシア語で」と、パッと見性別不詳の二人が外国語で交遊するさまを、周囲の人は遠巻きに見ていた。
なんてことはない、ロシア語が分からないのをいいことに、先日読んだ成人向け同人誌の感想を言っていた。
これでもし、ロシア語が分かる人間がいたら「とんでもない変態がいる」と警察にしょっぴかれた危険性がある。
そんな人はいなかったけど、下手したら「妙な二人組がいる」で通報されたかもしれない。
学園に着いたと二人で喜んでいたら警備員の方がすっ飛んできた。
要領のいいツバサは私を盾にし、事情が伺われた私は先ほどの勢いのままに「ロシア語で」「怪しいものではありません」と言った。
警備員の方はロシア語に明るくなかったので、私がどれほど「怪しいものではない」と言っても、怪訝な反応は治らず。
「仕方がない、ここは正体を晒すしか」
と、ツバサに言われて「この見た目が怪しいんだから」と察した私は、急いで変装を解き、二人共々顔を露出させると、警備員さんはツバサの顔すらわからなかったけど。
遠巻きに見学していた皆様が「私の名前」や「ツバサの名前」を呼ぶので、ちょっとした騒ぎになった。
トップアイドルが何の前触れもなく、スクールアイドルで売り始めた学園に登場したことにより。
受験生の皆様にはご迷惑をかけて申し訳ない、受験時間が三十分ほど遅れたのは、受験そっちのけでツバサにサインを頂こうと、学生が集中してしまったから。
や――何を間違えたのか、私のサインが欲しいと言う子もいたけれど、芸能人じゃないのにいいの? と首を傾げつつ「エマ・ヴェルデちゃんへ」とさらさらと書き上げると「家宝にします」と言われちゃった。
なんでもμ'sやA-RISEの映像を見て育ち、スクールアイドルをやりたくてスイスから日本にやってきたそうだ。
ちっちゃい頃と言われたことが、アラサーの二人組にクリティカルヒットしたけど、純粋な眼差しで「何も変わってないです」と喜ばれると、時の流れは非情だなって思う。
騒ぎを起こしたのは事実なので、私達は学園のお偉いさんに呼び出された――なんでも理事長を務めるらしい。
年齢不詳な相手を見ていると、自分の通っていた学園の理事長先生を思い出す――未だに姿が変わっていない、自分たちが高校卒業して――と指を折ると恐ろしくなる。
ことりには「20代に間違えられてはしゃいでいた」とネタにされた。
「20代に間違えられるのって恐ろしいのでは?」と、アラサーと呼ばれるようになって久しい私たちに恐怖を生む。
そんなこともあり「お若い理事長なんですね」と、真っ先に口から出た「20代に見えます」とは言えなかった。
「自分達と同年代でその役職なんて」と私が続けると、ツバサも「能力の高さが伺えます」とフォローを続けた。
口を真一文字に結んで、私たちを睨みつけていた先生は――おべっかに喜んだわけじゃない――立場上、他の人の目があるとくだけた態度を取れなかったみたいで。
人払いが完了すると「楽にしていいわよ」と。
「ごめんなさいね、受験でピリピリしていたものだから」
「バレないように変装したら、怪しかったみたいで」
「あなたがロシア語で交流しようっていうからじゃない?」
「他の言語だとバレるかもしれないと思って」
なんてことのない会話が理事長の興味を引いたみたい「何ヶ国語できるの?」と言われたので「有名な言葉はとりあえず」と。
別に大きな目的があったわけじゃない――ツバサに「全世界の言葉を話したら、全世界の人に向けてライブができるんじゃない?」と言われ「確かにそうかも」と勉強し始めたのだ。
なんでやってるのかと我に返ることもあったけど、ツバサに「私はこれだけ話せるようになった」と言われると「覚えてなさいよ」と反骨精神が生まれる。
競い合って言葉を覚えたのはともかく、いまのところ全世界の人に向けてのライブは夢のまた夢。
「そのように感心されると困ります」
二人して笑い話にしてもらおうと、エピソードを語ったら理事長は感心したように息を漏らす。
互いに互いを指差しながら「こいつはエスペラント語を覚えようとした」「どこかの未開の民族が使っている言葉を覚えようとした」と、ディスり始めたけど。
背筋がうっすら寒くなるような、理事長の尊敬の眼差しは途絶えなかった――これが作戦だとしたら感服するしかない。
「そうそう、元々スクールアイドルなんですってね?」
「この人の全盛期です」
ツバサに言われて「そうなんです」といつものように反応したら、目の前の理事長がペラペラと紙をめくり「タレントやってる子の家の掃除をしてるって?」
おそらく凛のこと――「ハウスキーパー代わりにされてます」と応じ、さらに「世界的にも有名なデザイナーの家の掃除をしているとか」――これはことりのこと、何事もないように頷く。
が、私なんぞのプライベートはともかく。
ツバサの情報までも問いただされ「あ、この人やばい」と思ったのもつかの間。
「ウチの学園はスクールアイドルで売ろうとしているの」
もちろん知っている、ツバサが弟さんを学園に行かせようとしたのもそれが理由。
「女装してやらせてくれるならいいですよ」と、予想だにしない反応され「学園の許可が取れれば」と逃げたのも記憶にある。
「弟さんが女装してスクールアイドルをやりたいそうね」
どこから情報が漏れたのかと聞いたそうな顔をして私を見る。
見られてもしょうがない――弟さんの情報を知ったのでさえ、少し前の話だ。
「彼の指導、してみたくないかしら?」
おそらく全ては手のひらの上――孫悟空も、お師匠を見た時に感じたんだろうなあ――顔を突き合わせて、諦めたようにため息をつき。
「あ、絵里ちゃんは指導じゃなくって」
定期的に通うトレーナーとして扱われるかと思いきや、理事長はさらにとんでもないことを言い放った。
「寮の食事を担当して欲しいの、国際交流学科もあるでしょう? メニューの調整も難しくて……食堂の手伝いは入れる時でいいから」
つまり住み込みで働け――長い間ふらふらしていたけど、唐突に就職先が決まる。
妹が恋人を作ったことから、運命の歯車は回りだし。
どんな未来を形作るのか――一向に予想できない、おそらく神様も、お前の人生何かわからんとさじを投げるに違いなく。