病室に眠る祖母を思い出す。
読書感想文か国語のテストの問題でもあるまいし、この時の絢瀬絵里の気持ちで正しいものを答えなさい――選択肢として提示された各々が正しいか正しくないか自身でも分からない。
過去では眠る祖母を眺めていたベッドに、今は自分が横になっている――極めて運良く永遠の眠りにはつかなんだけど。
過ぎ去った時間が悲しみを忘れさせ、抱いた感情はいかなるものか、考えなければ分からない。
だけども振り返れば抉るような痛みを発し、祖母が亡くなったと分かる。
記憶は不確かだけど気持ちだけは――言語化にはノーベル文学賞を得る才覚を持たなければ無理か。
「目覚めて一番、不愉快な顔を眺めた絢瀬絵里の気持ちを答えなさい――選択肢は以下の通りである」
「ごめんなさいね~? 人を不愉快にするのが好きなもんでさ」
髪の毛に赤いメッシュを入れて、病室なのにロックミュージシャンみたく決めてる――TPOを弁えるのが私も苦手だけど、ここは病室ですよと忠告する天使でもいればね~?
三船薫子ってのは誰かを不愉快にする天才なのかもしれない――心にさざなみを立てるのは、愉快じゃない気持ちを抱かせるのは、やる際に自覚は少なくともしない。
一般的な倫理観を持っていれば、人を不愉快にしたら反省をするものだ――私だってやらかしは幾万とある。
反省とやらかしたの連続が能力の低さと断ぜられればそれまで、もしかしたら死ぬまでそうなのかも。
だけど、失敗したとか、やってしまったとか、人を不愉快にしてしまったとか傷つけてしまったとか、やろうとしてやる人間は最低だ――そんなものは人間じゃなくて悪魔って呼ぶべき。
「いいの、私も大人げなかった……あなたが不愉快の天才なのは今に始まったことじゃないもの」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない」
この、何を言っても通用しない感――柳が風を受け流すように、ボクサーがパンチをかわすように……いくら殴りつけてもヘラヘラと笑ってるような、全力を尽くしているコチラが虚無感に襲われるような。
表情を見ている限りは本当に楽しげで、私の嫌味なんかまるで通用しなくて――実力差って言うかな? 太刀打ちできる邪悪にはなんとかしようって気力も浮かぶけど、手も足も出ない巨悪には両腕両足を大の字にして「好きにしろや」と降参したい。
「あなただけよ」
「なにが?」
薫子サンが美味しいものを口に含めたか……大好物を口に入れた時の果林ちゃんみたく、表情を緩ませ態度も……この世の全ての幸せを独り占めしている的な。
この人が幸せを感じてる瞬間ってのが、他人を不愉快にさせた時なのがなんともいけ好かない――誰かを幸せにするのが人間の宿命なら、誰かを不愉快にするってのが悪魔の宿命。
住んでいる世界が違うんだなって考えようとも、徒労になろうが口を出さずにはいられない。
「実力差を把握しながらも歯向かってくれるの」
「それはないわ……笑わせないでちょうだい」
この人が本当に不愉快の天才かはともかく、何を言っても通用しない人とは誰しも気付いている――なにせ私が気づくくらい。
ただ、人間ムダになると分かれば「では相手にしないように」と自戒を持つのが常。
それでも口に出すってのが、私のアホな部分で――この人はそんなところを買っているのかと思った。
「例えば……すごい才能を持った人間がいれば、膝を抱えて諦めたくもなるでしょう?」
「諦めなんかいくらでも」
廃校騒動の時には迷惑もかけた、それ以前もそれ以降も、諦めや、やらかし――傷つけるも傷つくもあったろうし、膝を抱えるケースだってあったと思うし。
そんな経験は誰しもしている……私ばかりが特別じゃない。
特別な人生を歩んでいるなんて思い上がりで、自分ばかりが傷ついている思い込みも、本来はそうじゃない。
でも傷ついた人間に「誰しも」と説明しても傷口に塩を塗るようなもの。
励ましているんじゃなくて心を傷つけて楽しんでいるだけ、自己満足の領分だ。
「ほら反発するじゃない」
「……あなたの意見に分かりましたっていうのが嫌なだけよ」
おかしなものを見たとばかりにころころと笑う薫子サンに、自分の話の聞かなさを痛感する。
ああ言えばこう言う――なんだろうな。
分かりましたって意見でも、コイツに従うのは嫌だって考えちゃう。
「でもどうして? ここまでそりが合わなかったら……諦めましょうよって気持ちが湧いてくるもんでしょう?」
「そうね……諦めましょうか……」
難問にぶち当たった科学者みたいに、自分の頭の上に両手を乗せて背中を曲げる――諦めようと思えど、諦めたくないって気持ちがふつふつと湧いてくる――何故、諦められない……理解しちゃいけない相手なのに、理解してはいけない相手なのに、どうして理解しようと努力してしまうんだ。
頭を抱えながら彼女の姿を眺める――年齢は不詳だ、自分よりも若いかもしれないし、そうじゃないかも……考えたところで無駄か、何せ相手は神様だ、人間の考える範囲の「その通り」が通用しない。
だからこそ普通は神様を尊敬する――私はこいつを尊敬するのが嫌だから「納得なんぞできるかボケ」と、言わんばかりにやることなすことに反発するけど――やぁ、一度やってしまったら最後まで諦めたくないものじゃない? そういうのが底意地の悪さなのか……。
「底意地が悪いんじゃないのよ」
「やめなさい」
「私は人を不愉快にする天才だから、あなたの嫌がることをバシバシ言うわよ? ツバサちゃんやことりちゃんが言えないような」
手で顔を覆って熱を帯びる頬を見られるのを防ぎたいけど、こんなことしてれば誰だって「恥ずかしいのだ」と分かるだろうし、むしろ分からなければおかしい。
薫子さんが言った二人だって私に言えないこともある――もちろん知ってる。
口にしようとしてやめたのはいくらでも、ある。
彼女達に言おうとしてやめた言葉は私もあるし、アレコレがあるといくらでも思いつく。
「あなたはバカね? 誰とでも仲良くなれると信じてる――口では、仲良くなれない人間だっているって言いながらもね」
「もうやだ、何この不愉快の天才……」
いくらでも反発する言葉は浮かんでくるのに、反抗すればドツボにはまるのが分かるので、賢い私は無い知恵を絞って、こいつの言うことだけは認めてやるものかと言わんばかりに口を閉ざす。
「偉いのね」
「なだめすかそうって言ったってそうはいかないわよ」
朝の光を浴びながら腕組みをして、テコで動かそうが退かない――や、まあ病室のベッドの上だから、むしろ動かしてくださいだけど。
彼女に言っても医者じゃないから判断できません……神様のくせして妙に現実的。
「どうして認めてしまうの? ことりちゃんやツバサちゃんは認めたくないのは絶対に認めないわよ? や……認めたくない相手の発言は、何があったって認めない」
「事実は事実として承諾しなければ交流にならない」
「それが出来ない相手が現実にはいる……知らなかった?」
「認めなければ仲良くなれない……あ」
賢く立ち回る人たちなら、自分からボロを出すってのも防げるのかな? やらかしてばっかりの私にもできるのか。
「本当に不愉快、あなたは何で癪に障ることを指摘できるの?」
「そういう不愉快さを与える相手でも、どうして交流しようとするの?」
「質問を質問で返さないでちょうだい」
「答えたら教えてあげるから」
「……まあ、諦めてしまったら、全ておしまいだから」
諦めたら……てか、始めてしまったらやりきるしかない。嫌だと言ったって人生からは逃げられない、死ぬのだって回避できない。
不愉快さを覚える相手だって「こいつは絶対に無理」と諦めてしまったら何にもならない……それこそ相手の生まれた意味でさえも否定する。
相手を全否定したところで、守られるのは自分自身くらいだ――そして自分自身を守ってどうなる、たかだか私なんだぞ。
「ちなみに私の答えはね……いくら殴っても壊れないおもちゃだから、大事にしたい気持ちはよくわかるでしょう?」
「ほんとこの人の性格無理だわ……」
額に手を当てながら「あなたの性根は腐ってるわ」首を振りながら言うと「ありがとう、褒め言葉よ?」と、諦めたいわ……この人と仲良く交流するなんて絶対に無理だって……諦めなさいよ絢瀬絵里……。