侑ちゃんはピアノに向き合う。
「ピアノもずいぶん上手になりましたよ」
誰かから聞いたか、それとも自分で気が付いたか。
振り返った思い出が夏休みの日数以上にあるのに違和感でも覚えたのか。
そこらは神様に「記憶の保持ってどうなっているの?」尋ねた時に「本人にとって大事なものが優先される」と説明されたから「じゃあ、その人にとって優先するべきものがいくつもあったら?」と口にして「人間に同程度の大事なものがいくつもあってたまるもんですか」なんて。
その時には「優先するべきものが何個もあったら、何か一つなんて選べないとパニックになる」と、納得しちゃったけど――侑ちゃんはどれか一つなんて選べないワガママちゃんだった。
「これなら絶対に合格できます……何でしょう? ずるっこしたみたいですよね」
「じゃあやめる?」
ピアノの演奏は止まらなかった――もうすでに、侑ちゃんにとって音楽は幼なじみと離れても絶対に続けたいものになってた。
ループ時の記憶が引き継がれてなかったら「ズル程度で諦めたくなるもの」になっていたので、そこは神様のファインプレーとしておこうか。
「私の中の記憶にある限り、侑ちゃんは飽きることもなくいつもピアノに向き合っていたわ」
そんなのは百も承知だと言わんばかりに演奏は続けられ、私の凡百の耳からしても「すごいな」と思った――まあ、精神と時の部屋に入ったみたいなズルはしてても、努力した日数は他の学生と変わらないから、セーフってことでいいのでは?
本当にね、侑ちゃんは驚くくらい――多分、歩夢ちゃんだけじゃなくて、同好会の皆が口を揃えて言うと思うけど……いつもいつも音楽のことを頭に入れて行動してた。
もしも私が学生で、スクールアイドルをやってる中、こんなヘンテコなイベントに巻き込まれたら、生徒会長職にかまけたことだってあるだろうし、スクールアイドルとして活動することに疑問を抱いたかも。
「私にとってピアノは……音楽は、空気、水、その次くらいの重要度です」
寝食を忘れてもらっては困る――それでは、数日後に倒れる絢瀬絵里みたいになってしまう。
若いうちはそれでもいいかもしれないけど、残念ながら年を取るとそうはいかない。
夢中になると歩夢の手をいつも引っ張って――そういえば、私と初めて顔を合わせた時も彼女の手を引っ張っていた。
そんな歩夢ちゃんもおそらく……高咲侑以外の、スクールアイドルとして活動している自分も含めて、思い出もたくさん保持しているはず。
忘れてしまった記憶もあろうけど、機会があれば思い出せるだろうし、抜け落ちてるから同じことをするかもしれない。
大丈夫、ポンコツな私は記憶を保持していたところで同じミスをする、何度ミスしたっていいじゃないかにんげんだもの――ただ、死ぬのだけは嫌だな……なにせ死ぬような思いをしている。
そんなことは死ぬ時の一度だけにかぎってほしい。
ただ、願ったところで人間はいずれ死ぬ、周囲から生きて欲しいと願われていても、自分が生きたいと考えていても。
「そんなこと言って、本番の試験で失敗したらどうす……」
「失敗を想定して挑戦する人がどこにいるんです?」
「はは、頼もしいわね」
ピアノの音色は流麗、他者と比べることにさほど意味はないけど、演奏家として知名度のある私の知人と比べても、優劣の差を設けるのがバカらしい。
私なんぞに優劣の差を決められるものか、と口の悪いふりをしている梨子ちゃんに膝蹴りを受けながら……
「そういえば最初の方に、絵里に梨子ちゃんが攻撃していたわね」
「は?」
不協和音――久しぶりに侑ちゃんの慌てる姿を見た。そんなんじゃ本番で失敗しちゃうわよ? と、笑いながら言うけど、彼女の心理的ダメージは自分の想定したよりも大きいようで。
あの時にはまだ中身が絢瀬絵里じゃないと考えていただろうし、失言を咎めるように怒るタイミングもバッチリだった。
よほど絵里を理解してるんだ、と自分で自分を見ているようと、手放しで褒めたい――中身が優木あんじゅなら「当たり前でしょ」とか「あなたのことなんか全部わかるわ、単純だし」とあまあまボイスで強烈な一言を言ってのけるはず。
さすがの梨子ちゃんも絢瀬絵里に攻撃するのとは違って、優木あんじゅに攻撃したってなったら申し訳なされいたたまれなくなるはずで、侑ちゃんがそのあたりを気にしてるのは分かる。
「ちなみに何をやってました?」
「え? ステイって言われて押さえつけられたり、蹴り飛ばされたりしてたかしらね? いつもの事だから仕方ないわ」
このミスを踏まえて、あの金髪ポニーテールに暴力を振るうときは少しは加減しよう、となってくれれば、中身のあんじゅも笑って許してくれるだろうし(無事で済むとは言ってない)私としても、ダメージが減ってありがたい。
よくも蹴り飛ばしやがって、と胸ぐらを掴み上げられず事態になれば「やめて! 私のために争わないで!」と飛び出す覚悟はできてる。
両者が揃って攻撃を加えた時に自分の体は無事で済むだろうか――退院したての病み上がりで膝蹴りでも加えられたら「再度入院」となり、看護婦さんも思わず苦笑い。
「他のメンバーも」
「話題を変えます――」
考えてみれば、あんじゅに攻撃を加えたメンバーは頑丈そうな面々だった、あれならツバサとかの張り手を食らっても無事でいそうだし。
梨子ちゃんも「ピアノを演奏するために鍛えてるから」と言い張る自慢の体で耐えてくれるはず。
「どうして身体を変えてまで他の人たちのことを知りたいと?」
「ちなみにその推測は間違いよ、主導は薫子サンだから」
私がツバサとかμ'sの絢瀬絵里がいると本音を漏らさない人たちの気持ちを知りたいと、神様に願ったかなんかしてこういう状況に至ったと、侑ちゃんは推測したけど。
薫子さんから半強制的に――やー、だって彼女は私の嫌がる事が好きだって言うんだもん……。
「やられた……まさか神様の手のひらの上で踊らされるなんて」
「普通の人間は神様の手のひらの上で踊らされるものよ?」
ピアノの演奏を控えて侑ちゃんが両手で顔を抑えながら言うので、一応他の神様に悪いから「神様ってのは有能だからね?」とフォローするように付け加える。
まあ、類は友を呼ぶって言うから、他の連中もとんでもないろくでなしの可能性もあるけど……神様ってのは人間に無理難題を押し付けるのが仕事みたいなところもね?
「……とにかく、合格してみせますよ」
「そっか、期待してる」
「なんだか今生の別れみたいな挨拶ですね?」
「神様にもご満足いただけようだし……それに何より、あの絢瀬絵里ではLiella!の問題を解決できそうにないし?」
理事長もどうやら中身が違うことに気づいてたようで「絢瀬絵里」ではなく「綺羅ツバサ」を連れて行こうと計画を練ってた……彼女にそこまで評価されていたのは驚いたけど。
「あの絵里ちゃんは残念ながら、反撃された時に盾として使えないわ」と、扱いは微妙だったので元の体に戻った時も褒めてあげない。
ツバサからしても「スクールアイドルのために体を張るなんて面倒くさい」とすげなく断られてた――自身の知名度と、グループの他への影響を考えれば当然。
虹ヶ咲学園の理事長も「A-RISEのリーダーをいざって時の盾に使ったら娘に怒られちゃうわ」と。
「それにしても、侑ちゃんは中身に気が付いてるのね? 私はてっきり絢瀬絵里でないとは気が付いていても、特定までには至らないと思ってたわ」
私もA-RISEと長い付き合いだし、英玲奈の表情が引きつっていた時に「何をやっているんだあんじゅ」との思いがあったに違いなく。
ともあれ神様の想定通り私の仕事は各人に割り当てられ、絢瀬絵里も了承する流れとなった――後は誰かしらが「正体は割れているんだからとっと自供しろ」とタイミングを計っていたはず。
戻るのがいつになってるかまでは分かんないけど、侑ちゃんの編入試験には間に合うはず。
できなかったら薫子さんには一人でフルオープンアタックを出来るようにさせるので覚悟してほしい。
「多分ですけど……絵里さんの推測は間違ってます」
「は?」
「それとよっちゃんさんは気が付いてます」
ここに来ていないメンバーで誰が一番絢瀬絵里をうまく使えるのかを考えれば「よっちゃん」一択になるだろうし、と想定したのを読まれた――いつのまに読心術を身につけたの? 同好会のメンバーから信頼されるにはそれくらいできなくちゃダメ?
「はは、それじゃあピアノを弾きますかね」
「私を理解していて……私に中に入っていると推測されない人? まさか!?」
振り向いた視線の先に金髪ポニーテールがいて、英玲奈を相手にした時みたいに内股で見事な投げキッスを披露した。
言われてみれば高校時代に園田海未を推していた――!!!!