SLAYER'S CREED 継承   作:EGO

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Memory13 黒縄と白姫

 軍の拠点へと改造されてしまった蚕人の里。

 そこに駐留していた兵士らを一掃した銀髪の青年と赤い鱗の蜥蜴人は、揃って困惑の表情を浮かべていた。

 

「あー……。とりあえず、説明を頼めるか……?」

 

 そして銀髪の青年は首を傾げ、目の前で両手両膝をつき、額を地面に擦り付けている──極東でいう土下座をしている蚕人らに問いかけた。

 兵士らを一掃して安全を確保したので、拠点のあちこちで鎖に繋がれて作業を強制されていた蚕人らを助けて周り、怪我人を運び出したり、兵士の遺体を退かしたりとしていると、突然頭を下げられたのだ。

 様々な危機的状況や、未知の事態には慣れていると自覚していた銀髪の青年ですら、その光景には思わず思考が止まるというもの。

 彼の問いかけに応じたのは、彼らの中でおそらく最年長と思える高齢の女の蚕人だ。

 身体中に刻まれた生々しい傷や、青痣をはじめとした内出血の痕が痛々しいが、皺が目立つ顔をあげ、じっと銀髪の青年と赤い鱗の蜥蜴人を見つめながら告げた。

 

「──どうか、姫様をお救いください。どうか……っ!」

 

 そう一言だけ言うと、再び地面に額を擦り付ける程に頭を下げた。

 それを合図に後ろで土下座をしたまま黙っていた蚕人たちの間からも先の言葉と似た内容の言葉が飛び交い始め、それを受け止める事になった銀髪の青年は困惑を深めた。

 その姫様というのが誰かは知らないが、連れて行かれたか、あるいは行方知らずになったのか、ともかくどこかに行ってしまったらしい。

 

「一族置いて逃げ出したのか?そんな奴、ほっとけ」

 

 赤い鱗の蜥蜴人は一方的にそう決めつけ、不満そうにふん!と鼻を鳴らしながら腕を組んだ。

 戦に生きる彼からすれば、逃げの一手を打つ前にせめて抵抗する気概を見せて欲しかったのかもしれない。

 彼の一言に対して反論はないが、幾人かの蚕人が不満そうに拳を握り、爪を土に汚している。

 細めた瞳でそれを見た銀髪の青年はその場で片膝をつくと、年長の女蚕人に「顔を上げてくれ」とできるだけ優しい声音でそう告げた。

 恐る恐ると言った様子で顔を上げた年長の女蚕人は、言われた通りにじっと見下ろしてくる蒼い瞳を見上げるように顔を持ち上げ、視線を合わせるように身体を起こす。

 

「とにかく、説明してくれ。その、姫様?とかいうからには女だというのはわかるが……」

 

 そして白い瞳と蒼い瞳の視線が交錯し、片やこれ以上ない程の不安が孕み、片やこれ以上ない程の自信に満ちた瞳。

 年長の女蚕人は乾いた喉を潤すように唾液を飲み、ゆっくりと口を開いた。

 

「本来であれば、我が一族に何の関わりを持たないあなたに頼むのはお門違いだとは思います。けれど、全ては姫様と、彼女を遺し逝かれた我らの女王のため──」

 

 彼女はさながら国王に意見具申するような重々しく、凛とした声音でそう前振りすると、本題に入った。

 

「この里が国軍に抑えられ、ここ数年は女王が我らの盾となり、とりあえずの平穏は約束されておりました。我らはこの国の貴族や王族のために衣を織り続けておりました」

 

「そこら辺はこっちの予想通りだな」

 

 後ろで腕を組んでいた赤い鱗の蜥蜴人がしゅるりと鋭い音を立てて鼻先を舐めながら言うと、銀髪の青年は黙れと言わんばかりに彼を睨んだ。

「すまん」と赤い鱗の蜥蜴人は申し訳なさそうに謝ると、続きを促すように年長の女蚕人に手で示す。

 

「ですが女王は無理がたかったためか病に罹り、そのまま亡くなってしまったのです。ですが、女王は我らに最期の言葉を遺しておりました」

 

 ──どうか我が子を、囲いの外へ……。

 

「軍に抑えられてからというもの、この数年我が一族は子宝に恵まれず、唯一成人していなかったのは姫様のみ。我らの成人の儀は、ご存知でしょうか?」

 

「いいや。蟲人と接する機会がなくてな」

 

 彼女の問いに銀髪の青年が首を横に振ると、年長の女蚕人は「左様ですか」と頷いた。

 そもそもとして蟲人は独自の集落(コロニー)を作り、大半はそこから出ることなく一生を過ごすのだ。

 こうして他の種族の侵略を受けることも稀であろうし、さらに他の種族がそこを襲撃してくるなど、蟲人である彼らであっても滅多には聞く話ではない。

 

「我らは成人が間近となると自らの絹で繭を作り、そこに籠るのです。そしてその中で成人となれれば繭から孵り、その繭で神々に捧げる衣を織るのです。ですが、この囲いの中でそれを行おうとすれば間違いなく繭は奪われ、姫様はその務めを果たすことができなくなってしまう。それだけは、防がねばなりませんでした」

 

「だから、隙を見てその姫様を流したと」

 

 銀髪の青年の確認に年長の女蚕人は頷き、背後に並んでいる同胞たちに目を向けた。

 

「ここを取り仕切る騎士が他所に行き、僅かに警備が緩んだ隙を狙ったのですが、やはり姫様一人を逃すだけで精一杯。兵士らは残った我らから話を聞き出そうとしましたが、誰も口を割ってはおりません」

 

「だから、兵士が出払って……。おかげでこっちは楽だったが、むぅ……」

 

 顎に手をやり、神妙な面持ちでそう告げた銀髪の青年は、その脱走の時期の悪さに思わず低い唸り声を漏らした。

 もう数日待てば自分たちが来たのだが言えばそうだが、彼らはそれを知る由もないのだ。その脱走は間違いではないし、むしろ女王の望みを叶える為には最適解であったとも言える。

 

「我ら蚕人の身体は、そこの蜥蜴人様とは比にならない程に弱く、脆いものです。目も悪く、こうして間近で見なければ、あなたの顔立ちすらわからず、少し走るだけですぐに息が切れ、羽はあれど飛ぶことはできません」

 

「……虚弱にもほどがあるだろうに」

 

「それでもどうにか逃した姫様が、無事に繭に入ることができたかも、我らにはわかりませぬ」

 

 銀髪の青年が思わず入れてしまった横槍に構うことなく、年長の女蚕人はそう告げて僅かに俯いた。

 彼らの全力をもってしても逃すだけでも精一杯だが、姫様も姫様で長距離を走れるほど体力があるわけでもなく、そもそも種として頑丈ではない。

 囲いから逃げたとしても、森から出られるほどの体力を持ち合わせていないのだ。

 

「その姫様を探して、連れ戻せばいいのか?」

 

 そして大体の話を理解した銀髪の青年がそう問うと、年長の女蚕人は小さく頷いた。

 返答はそれだけで十分。そして、これ以上話していても時間の無駄だ。

 今こうしている間にも、その姫様の身に危険が迫っているかもしれない。

 

「了解だ」

 

 銀髪の青年はただ一言そう言うと、赤い鱗の蜥蜴人に目を向けた。

 

「ここは任せたぞ。俺は追加の依頼をこなす」

 

 一切の音を立てずに立ち上がり、軽く膝の汚れを払いながらそう言うと、相手の返事を待たずに踵を返して歩き出した。

 

「あ、おい。森の中といえばそうだが、この森がどれだけ広いと──」

 

 赤い鱗の蜥蜴人はそんな彼を呼び止めるが、肝心の彼は頭巾を被り直し、背中越しに軽く右手を振るだけで返答はない。

 銀髪の青年は軽くその場で力を溜めると、爆発にも似た音と共にその場を跳躍し、そのまま野営地を囲む塀を飛び越え、森の闇へと消えていった。

 

「……どうなっても知らんぞ」

 

 そんな彼を見送った赤い鱗の蜥蜴人は溜め息を漏らし、どかりとその場に胡座をかいた。

 不満げに太い尾で地面を叩きながら、頬杖をついた。

 お前は行かないのかというどこか批難するような視線が集まるが、そんなものお構いなしだ。

 

「あいつが一人でやれるってんなら大丈夫だろうよ」

 

 しゅるしゅると退屈そうに舌を口の周りに這わせながら、彼への信頼を感じさせる声音でそう告げる。

 蚕人らはひそひそと何かを話しているが、おおよそ本当に大丈夫なのか不安なのだろう。

 そんな彼らを安心させようとしたのか、赤い鱗の蜥蜴人は不器用に牙を剥いて笑みを浮かべ、彼らに告げた。

 

「ま、難しいことは冒険者(アドベンチャラー)に任せるさ」

 

 

 

 

 

 月明かりも差さない暗い森の中。

 銀髪の青年は瞳に蒼い輝きを放ちながら、何にも目もくれずに駆け続けていた。

 父から受け継ぎ、そして体得するに至った『タカの眼』は、如何なる闇さえも見通し、様々な物の輪郭(ワイヤーフレーム)を浮かび上がらせ、その上に更なる情報を映し出してくれる。

 具体的に言うなれば、件の姫様を追う兵士たちの痕跡が赤色に、さながら蛇が通った跡のように地面をかちこちに向けて這い回っている。

 そしてそれに紛れ、今にも消えてしまいそうな姫様が残した金色に輝く痕跡を、銀髪の青年は追いかける。

 無駄な思考はいらない。ただ示された道を、示されるがまま進むのみなのだから、余計なことを考える必要もない。

 

「む……」

 

 だが、目の前に敵を示す赤い人影が現れたとなれば話は別だ。

 彼は小さく声を漏らすと、減速することなく逆に加速。

 

「っ!?貴様、何者だ!」

 

「なぜ拠点の方から?!」

 

 兵士二人は慌てて身構え、彼を迎撃せんとするが、それではもう遅い。

 銀髪の青年は両手の小指を僅かに動かし、微かに漏れた鞘と刃が擦れる音と共にそこに仕込まれた極小の刃──アサシンブレードを抜刀。

 二人の間に半ば強引に割り込む形で飛び込むと、左右それぞれのアサシンブレードをそれぞれの喉仏に叩き込んだ。

 

「げ……っ」

 

「ぇ……」

 

 二人の兵士の口から漏れた微かな断末魔の声には一切耳を貸さず、力任せに二人を地面に叩きつけ、駆け抜ける勢いのままにアサシンブレードを引き抜き、納刀。

 ほんの数秒。たかが数秒の減速に舌打ちを漏らしながら、先を急ぐべく両足に力を込めて地面を蹴った。

 彼が足を付けた地面が捲れ、その下に隠れていた木々の根が顔を出すが、彼はそんなものお構いなしだ。

 一歩を踏み出す度に加速を繰り返し、一迅の風となりながら森の中を駆けていく。

 兵士らは獣に襲われ死んだ痕跡を飛び越え、壁のように立ちはだかる木の根を乗り越え、障害物は多い筈なのにそれを感じさせない全力疾走(フリーラン)

 父に仕込まれ、父の手で磨き上げられたそれは、本職のアサシンと比べても遜色ない。

 冒険者には不要と思われるだろうが、目的の場所に素早く確実に辿り着くというのは何であっても大切なことだ。

 そうやって全力で駆けること数分。少し周りを囲む木々が疎になり、少しずつ月明かりが差し始める。

 タカの眼を扱っている都合上、常に薄暗くなっている視界にも明るさが戻り始め、銀髪の青年は僅かに目を細めた。

 明るくなるということは、こちらにとってのアドバンテージが無くなるのとほぼ同義。

 タカの眼のお陰で闇夜の中でも問題なかったが、ここからは相手からの視界にも注意しなければならない。

 銀髪の青年は警戒を強めつつ先を急ぎ、タカの眼に映る痕跡にも注視する。

 痕跡の色は段々と濃くなってきている。つまり、件の姫様に近づいてきている証拠だ。

 だが彼女を追いかける兵士らの痕跡もまた多く、彼女が既に見つかっている可能性もかなり高い。

 そして、兵士がいるとすれば近衛騎士とその側近とも言える輩だろう。

 銀髪の青年は走りながら小さく溜め息を漏らし、目の前に起立する大木を避けた瞬間、タカの眼の薄暗い視界に敵を示す赤い人影と、それに囲まれた金色に輝く繭が映り込んだ。

 

 

 

 

 

 胸元や臍、太腿などを見せつける妙に露出の多い軍服に、見るものを魅了する美貌と、月明かりに照らされて幻想的に輝く金色の髪。

 蚕人の里を蹂躙し、そのまま拠点と定めた彼女こそ、そこを取り仕切る近衛騎士──『黒縄』に他ならない。

 彼女はぺろりと舌舐めずりをすると、見惚れるように繭をじっと見つめた。

 

「ああ。ああ……!やっと、見つけたわ……っ!」

 

 蚕人の姫が生み出したであろう繭を前にして、その女は歓喜の声をあげた。

 蚕人はこうして成人を迎える時に生み出す繭は、彼らの命を削っていると言われるまでに上質な絹で織られており、それを加工した衣服となればその価値は計り知れない。

 それを敬愛する王と、この国を導く聖なる声、英知の父、知識の母の三柱に供えることができるのだ。その歓喜たるや、思わず絶頂を迎えてしまいそうなほど。

 月明かりに照らされ、神秘的な輝きを放つ繭の中で眠りについている蚕人の姫君。

 繭といえどかなり薄いのか、光に当てられて輪郭が薄らと透けているが、どうせ殺すのだから相手がどうなっていようと構うまい。

 周りを囲む兵士らに警戒するように指示を出し、女は腰に下げた鞭に手をかけた。

 不気味な呪詛が込められたそれは怪しげな光を放ち、月明かりとは別の光が辺りを照らす。

 

「出来るだけ繭に傷をつけたくないから、残念だけど一撃で楽にしてあげるわ、感謝なさい」

 

 女は興奮で朱色に染まった頬をそのままに冷徹な瞳でそう告げて、ヒュンヒュンと風を切る音を立てて鞭を頭上で振り回した。

 鞭の先端が一周する度に速度が上がり、かろうじて見えていたものが残像のみに変わり、やがて音を残して見えなくなる。

 余程の達人でもなければ出来ぬであろう、光を置き去りにする程の速度。

 ほんの数秒でそれに達した彼女の技量に周りの兵士は感嘆の声を漏らし、彼女に魅入るように間の抜けた表情を浮かべた。

 そしてそんな彼らに骰子を振ったとて、それは致命的な失敗(ファンブル)以外の結果にはなるまい。

 がさりと僅かに葉が揺れる音に気付けたのは、果たして何人いたのだろうか。

 そして気付いた所で反応できるのさ、果たして何人いるのだろうか。

 

「ぬぅら……っ!!」

 

 近くの茂みから飛び出した人影は、雄叫びをあげながら近場の兵士を切り伏せ、その勢いを殺すことなく次の兵士へと踊りかかった。

 

「げっ!?」

 

「ぉあ"……?!」

 

「ぎゃ?!」

 

 木々の間を全速力のまま走り抜け、すれ違い様に首を刈る。

 次々と噴き出す血飛沫と、それを全身に浴びながら走り続ける曲者を、『黒縄』はその目でしっかりと捉えていた。

 残像を残す程の速度を叩き出すとは、相手は只者ではない。

 

 ──でも、まだまだね……!

 

 彼女は好戦的な笑みを浮かべ、眼光をギラつかせながら鞭を振るった。

 本来なら怪しげな輝きを宿すそれも、彼女の技量をもってすれば視認はできない。

 

「っ?!」

 

 だが、幼少の頃からの鍛錬と、数年間の冒険者としての経験が、彼の身を救った。

 取り巻きの兵士、その最後の一人を仕留めた曲者は頭巾の下でぎょっと目を見開き、慌ててその場を飛び退いた。

 直後振り下ろされた鞭の一撃が兵士の遺体を打ち据えた。

 直後鎧が砕け、肉が爆ぜ、金属混じりの肉片が辺りにぶち撒けられる。

 その表示に鎧の欠片が掠めたのか、頬に赤い筋が刻まれ、頭巾が脱げてしまう。

 

「へぇ……。結構いい顔してるじゃない」

 

 そして曲者──銀髪の青年の顔立ちをそう評すると、極上の得物を見つけた肉食獣のように瞳をギラつかせ、歯を剥いて獰猛な笑みを浮かべる。

 対する銀髪の青年は背に回していた円盾を左腕に括り、右手に構えていた暗剣に血払いをくれた。

 そしてその剣に見覚えがある『黒縄』は僅かに目を見開いて驚愕を露わにすると、どこか悲哀に満ちた表情を浮かべた。

 

「そう。『暗剣』の得物を持っているってことは、そういうことなのね」

 

 最近、連絡がないから心配していたのだけどと、どこか芝居じみた声音でそう言うと、ちらりと繭へと目を向けた。

 相変わらずそこにあるだけだが、中の姫様がいつ出てくるかわからないのだ、片付けるのなら素早く済ませるのが最優先事項だ。

 

 ──なら、最初から全力全開ね♪

 

「《英知の父、知識の母、聖なる声よ。愚かな我が身に、どうか一時のご加護をお与えください》!」

 

『黒縄』は跳ねるような声音で天に向けてそう叫ぶと、その肉感的な肉体に金色に輝く幾何学模様が浮かび上がり、それが鞭にまで及んだ。

『鶴嘴』が見せた『祝福(ブレス)』の奇跡にも似たそれを彼女が使ったことを合図に、銀髪の青年は警戒を強めた。

 円盾を上半身を守るように前に出し、暗剣は刺突、斬撃双方が行えるように切っ先を相手に向ける。

 飛び道具の有無、鞭の間合い、鞭の速度。先の一撃でどうにか反応できるとわかったそれも、奇跡による能力向上(バフ)の後では全てが無意味だろう。

 そして『黒縄』が軽く腕を振るった瞬間、銀髪の青年は全身に鳥肌をたて、背筋を撫でた悪寒に任せて横に跳んだ。

 直後、彼がいた場所が突如爆ぜ、火の秘薬が炸裂した時と似た音が森に響き渡った。

 

「今のを避けるのね。ふふ、ならもっと楽しみましょう!!」

 

 彼女は歓喜にも似た声をあげると、先程以上の速度をもって腕を振るった。

 上下、左右、袈裟懸け、逆袈裟。

 周りに気遣うべき仲間はいないのだから、広く開けた場所を最大限利用して縦横無尽に鞭を振るう。

 

「チッ!」

 

 対する銀髪の青年は思わず舌打ちを漏らすと、その我武者羅とも言える鞭の乱打を避け続け、どうにか間合いを詰めようとするが、そんな余裕は全くない。

 文字通り見えないものを避け続けなければならないのだ、彼の反射神経をもってしても回避に全てを捧げなければならない。

 前進に思考割く余裕はなく、防御しようにも盾を合わせるがままならない。

 速度とは即ち重さだ。受け止めようにも弾き飛ばされ、下手をすれば盾ごと腕を砕かれるだろう。

 鉱人特製の鎧具足といえど、下手な一手はそのまま即死にまで繋がりかねない。

 かろうじて聞こえる風切り音も役に立たず、空を打つ鋭い打撃音のみが続くばかり。

 

「ほらほらほら!もっと踊らないと、バラバラになっちゃうわよ!!」

 

 体捌き、地面を転がっての回避、飛び退いての回避。

 迫る攻撃を思いついた限りの方法で避け続けるものの、その様は彼女が言うように踊っているようにも見えるだろう。

 だが、それでは彼女を殺めることができない。刃が届かねば、相手の命を断つこともできない。

 

 ──それにしたって、鞭と剣とじゃ間合いが違いすぎる……っ!

 

 銀髪の青年は覆しようのない事実に再び舌打ちを漏らしすと上体を後ろに逸らし、間髪入れずに彼の頭があった場所を鞭が通り過ぎた。

 その勢いのまま彼の横にあった木の幹に鞭が打ち据えられ、そのまま抉り取るように幹を砕いた。

 当たれば即死は免れないのは分かりきっている。だがこうしてその威力を見せつけられると、背中に嫌な悪寒を感じてしまう。

 カラカラと骰子が転がる乾いた音と、駒をひっきりなしに動かす神々の笑い声の幻聴を聞きながら、だが銀髪の青年の瞳から活力が消えることはない。

 木を折るのがなんだと言うのだ。母はただの蹴りで大木を折ったのだ。

 それに比べれば、鞭を使わねば同じことができぬ相手など恐るるに足らず。

 何を恐れているのだ。相手は只人で、自分も只人。武器や性別など違いはあれど、種族という括りで見れば違いはない。

 銀髪の青年は不敵に笑むと左腕の円盾を取り外し、振りかぶってそれを投じた。

 

「っ?!」

 

 一見自棄を起こしたかのようにも見える突然の反撃。

 だが彼女の虚を着くには十分であり、現に彼女は盾の迎撃のため余分に一度鞭を振うことになった。

 カン!と甲高い金属音と共に盾を弾いた『黒縄』は、その直後に目を見開いて驚愕を露わにした。

 

「あら……?」

 

 彼がいないのだ。先程まで踊り狂っていた銀髪の青年が、視界から姿を消したのだ。

『黒縄』は辺りを見渡し彼を探すが、やはり姿は見えず、気配も感じない。

 先の奇跡の使用で聴覚と視覚、嗅覚は只人のそれを遥かに超えているのだが、それらを駆使しても見つけられない。

 

「逃げた?まさか、この繭を置いて逃げるわけが……」

 

『黒縄』は首を傾げながらも警戒を強め、頭上で鞭を振るって音を超える最高速度を保ち続けるが、いい加減繭を壊してしまおうかと溜め息を漏らした。

 楽しい時間はすぐに過ぎてしまうと言うけれど、まさか向こうから切り上げられるなど思うまい。

 

「繭から引っ張り出したら、彼の分まで楽しませてもらいましょうか。その分、怪我をしないように丁寧に引き摺り出してあげるわ」

 

『黒縄』はすっと細めた瞳を繭に目を向け、強い愉悦に表情を歪めながら鞭を振るおうとした瞬間、彼女の全身に影が差した。

 月に雲でもかかったかと、不意に空を見上げた瞬間、頭上から迫る蒼い瞳の死神と視線が合った。

『黒縄』が素早く手首を返して鞭の軌道を修正した直後、彼女の頭上から急襲した蒼い瞳の死神──銀髪の青年は、両手で振りかぶった暗剣を振り下ろす。

 振るわれた鞭が彼の肩と、跳ねた先端で頬を打ち据えた直後、彼は身体が砕け散らんばかりの衝撃に歯を食いしばりながら、振り抜いた刃を『黒縄』の左肩に叩きつけた。

 研ぎ澄まされた一閃は彼女の骨を、肉を断ち、その勢いのまま彼女の心臓を叩き斬り、噴き出した鮮血が銀髪の青年の痛みに歪んだ顔と、『黒縄』の美貌、金色の髪に赤い斑模様を残していく。

 

「あ……ははっ……上からなんて、ずるいじゃない……」

 

 彼女は自分の血に濡れた銀髪の青年の頬を撫でると、乾いた笑みを浮かべながらもどこか勝ち誇るような瞳で彼の蒼い瞳を見つめた。

 不意打ちに強引に反応したため、頭を吹き飛ばすことはできなかったが、確かにその肌に鞭の一撃を与えたのだ。

 銀髪の青年は彼女の手を不快そうに唸りながら払うと、そのまま腹に蹴りを入れて暗剣を引き抜いた。

 ずりゅりと湿った音を立てて地面に倒れた『黒縄』は掠れた視界の中、銀髪の青年の背後に立ち、こちらを見下ろしてくる金髪の乙女の姿を幻視し、最後の力を振り絞って優しげな笑みを浮かべた。

 

「ああ、全く。最高の、終わり方ね……」

 

 そしてぽつりと呟いたのが、彼女の最期の言葉だった。

 満足げな表情で逝った彼女を見下ろしながら、銀髪の青年はその場に片膝をつき、そっと彼女の瞼を下ろしてやった。

 

「汝、死を受け入れよ。それが最後の(はなむけ)故に」

 

 そしてささやかな祈りの言葉を口にすると、彼女の懐を探り始め、いつもの硬貨を探し始めるが──。

 

「……持っていない?」

 

 見るからに他の兵士とは違う露出多めの格好故に、彼女がそれなりに特殊な立場だと判断し、一対一の状況を生み出したのだが……。

 格好が格好だから硬貨を忍ばせる場所はかなり限られているのだが、どこを探しても見つからない。

 まさか影武者、あるいは人違いかと自分の手違いを疑い始めるが、ふと師匠の言葉を思い出して『黒縄』の胸元を凝視した。

 

『女ってのは、意外な場所に意外なもんを隠してるもんだぜ?』

 

 あの槍を担いだ美丈夫はそんな事を言っていたし、聞いた時はそんな事があり得るのかと疑ったものだが、試す価値はあるだろうり

 死体を必要以上に弄ぶ趣味はないが、これは必要なことなのだと自分に言い聞かせ、彼女の豊満な胸に手を伸ばし、それが生み出す谷間に手を突っ込んだ。

 もう死んでいるが故に冷たいが柔らかい、なんとも形容し難い感覚に眉を寄せるが、彼は指先に金属の冷たさを感じ、思わず笑みをこぼした。

 そのまま指先でそれを挟んで引っ張り出せば、そこから近衛騎士の証たる硬貨が顔を出した。

 なぜここに仕舞い込んだのかと、彼女の問いただしたい所だが、生憎と死んでしまったのだからどうしようもない。

 硬貨を指で弾きあげ、立ち上がり様にそれをキャッチし、懐に突っ込んだ。

 そして繭に近づこうと足を向けた瞬間、彼の身体に異変が起きた。

 ドクン!と心臓が跳ね上がったかと思えば、先ほど打たれた頬が異様に熱を持ち、肉を抉られるような痛みが広がっていく。

 

「がっ……!ああああああああああ?!」

 

 突然の激痛に声を耐えきれずに悲鳴をあげ、頬を押さえながら片膝をつく。

 痛みを堪えようと深呼吸を繰り返し、水薬(ポーション)を飲もうと雑嚢に手を伸ばすが、それどころではない痛みに襲われて有らん限りに目を見開いた。

 彼からは見えないが頬を中心に顔の血管が浮かび上がり、虫が這っているかのように脈動を繰り返している。

 

「なん……だ……っ、これ……っ!!」

 

 彼は訳もわからずに困惑し、原因を探ろうとタカの眼で辺りを見渡すが、激痛に喘ぐ状態ではまともに扱うことができず、視界が点滅を繰り返す。

 それでも歯を食い縛って気合いでタカの眼を継続し、そして原因を見つけた。

『黒縄』の手に握りれた鞭。それには魔術の力を示す緑色の輝きが宿り、何かはわからないが何かしらの術が込められているのは確かなようだ。

 大丈夫だろうと油断してしまったが、どうやらその一撃が致命傷となったようだ。

 

「──っ。ふぅ……!ふぅ……!クソ……ッ!」

 

 銀髪の青年は悪態混じりに地面に拳を打ち付けるが、視界の左半分が赤く染まり始め、ぽつぽつと地面に赤い水滴が垂れていく。

 それが自分の目から溢れたものだとわかるのに数秒費やした彼は慌てて目元を拭うが、籠手に大量の血が付着しているのを見て思わず笑みをこぼした。

 

「これは、流石にまずいか……?」

 

 ハハハと乾いた笑みをこぼすと、そんな彼の耳にがさがさと草木が揺れる音が届いた。

 後ろからだけではない。前からも、左右からも、様々な方向から聞こえてくる。

 先程まであんなに騒がしくしていたのだ。周りの兵士が集まって来るのは仕方があるまい。

 左目から血涙を流しながら、彼は幽鬼のようにふらふらと立ち上がり、暗剣を杖かわりに身体を支えた。

 迫り来る兵士たちの数は多くなり、茂みが揺れる音だけでなく武具が揺れる音、彼らの息遣いまで聞こえ始める。

 

「どこからでも来いっ!こいつには、指一本触れさせん……!!」

 

 そしてどこか狂気的な笑みを浮かべながら、銀髪の青年は吼えた。

 そんな彼に兵士たちが殺到してきたのは、その直後であった。

 

 

 

 

 

 彼女にとって、あの日から全てが変わってしまった。

 笑顔が溢れていた故郷から笑顔が消え、団欒の時が消え、絹の質さえも落ちていく一方だった。

 全てはあの日、攻め込んできた只人の軍勢のせい。

 武器や持たない自分たちは瞬く間に蹂躙され、まともに絹を織ることも許されない。

 それでも仲間達と励ましあいながら日々を懸命に生きていたが、民のために絹を織り続けていた母が死に、仲間たちはその跡取りたる自分を逃すだけでも精一杯。

 だが所詮は時間稼ぎ。皆には悪いが、自分の足では遠くまで逃げられず、森から出られたとしても獣に襲われて死んでしまう可能性も高い。

 全てを半ば諦めて、せめてここで──生まれ育った森で成人となり、それが駄目でもせめて森に還れるようにと、ここに繭を織った。

 

 ──そうである、筈なのに。

 

『こいつには、指一本触れさせん……!!』

 

 繭の向こうで戦ってくれている誰かは、そんな自分の事を知る由もなく、向かって来る誰かを片っ端から切り伏せていく。

 右に、左に、上に、下に、木々を足場に駆け回り、その度に誰かの断末魔の声が聞こえて来る。

 聖なる儀式の場が血に汚されていくのは不快極まりないが、それでも誰かが自分を守ってくれているのだ。

 全てを諦めて、ここで死のうとしていた自分を、死力を賭して守らんとしているのだ。

 そんな誰かに報いらず、このまま何もせずにいるなど、それこそ母の名に泥を塗ってしまう。

 彼女は豊かな胸元に手を当て、ゆっくりと深呼吸をすると、意を決して繭に手を当てた。

 自分で千切れるかもわからない程に強く織り込んだ繭を、どうにかこうにか解きつつ、少しずつ前へ。

 数分か、あるいは数十分か。彼女にとって、その重労働は永劫続くかのようにも思えたが、少しずつ繭が薄くなり、月明かりが彼女を優しく照らし始める。

 もう少し、もう少しで出られる。外の誰かに会うことができる。

 彼女は無意識の内に笑みを浮かべていた。何もできず、ただ朽ち果てていくだけと思っていた自分を、命を懸けて守ってくれる人がいるのだ。

 その人に早く会いたいという思いが彼女に活力を与え、非力な指先にも力が宿る。

 そして一番外側の糸。一際強く、頑丈な糸を掴むが、千切れずに四苦八苦。

 だがそんなもので辞めるわけもなく、彼女は渾身の力をもって最後の幕を引き裂き、ついに繭から身を出した。

 何色にも染まっていない白い髪に、同色の瞳。

 額の辺りからは蛾を思わせる触覚が伸び、背にもまた蛾を思わせる羽が二対。

 すらりと伸びた長身と、豊かな胸、括れた腰、安産型の臀部と、見るものを魅力する美しい肢体。

 それを神々に見せつけながら双子の月を見上げた彼女は、すぐに視線を落として辺りを見渡した。

 蚕人の視力では遠くが見えず、近くでも輪郭がぼんやりと見える程度なのだが、それでも彼女──蚕人の王女は確かに見た。

 月明かりに照らされて銀色の髪を煌めかせながら、けれど影のように存在感が希薄な、不思議な存在感を放つ青年。

 彼はぜえぜえと息を絶え絶えにしながらも、辺りに散らばる数十にもなる屍を一瞥し、蚕人の王女に笑みを向けた。

 

「遅れてすまない。助けにきたぞ」

 

 彼の一言に彼女は目から大粒の涙を流しながら、恭しく頭を下げた。

 

「ありがとう……。ありがとうございます……っ!」

 

 必死に声の震えを抑えようと力が入っている為か、変に力み、上擦ってしまっているその声は、僅かに幼さを残している為か泣きじゃくる子供のよう。

 だが銀髪の青年はそれに何か言うことはなく「無事でよかった」とただ一言返し、彼女に歩み寄った。

 蚕人の里の解放。そして姫の救出。

 二つの依頼はほぼ終えたが、行って帰るまでが冒険者の務めだ。

 

「一緒に帰るぞ、お前の家に」

 

 そして騎士のように恭しく彼女の前に跪いた彼は、一応返り血を拭ってから彼女の手を取りながら、そう告げた。

 その言葉に頬を朱色に染め、嬉しそうに微笑みながら、彼の手を握り返す。

 

「──はい。貴方となら、どこへでも」

 

 その言葉に深い意味はない。

 ただその言葉の通りの意味が、込められているだけだ。

 

 

 

 

 




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