SLAYER'S CREED 継承   作:EGO

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Memory14 羽休め

「父さんは、何で母さんと結婚したの?」

 

 昼下がりの訓練終わり。

 その青年は父であり、そして師でもある男にそんな問いを投げかけた。

 こちらを殺す気なのでは思うほど苛烈な攻撃を防ぎきり、溜まった疲労を吐息と共に吐き出しながら地面に寝転んだ青年は、汗で額に貼り付いた母譲りの銀色の髪を退かし、隣で胡座をかいている父に目を向けた。

 

「……なんだ、藪から棒に」

 

 自分にも受け継がれた蒼い瞳をまん丸に見開き、使い古された手拭いで汗を拭っていた父はそう返すと、思慮するように顎に手をやった。

 そのまま雲一つない青空を見上げ、頭上で旋回している二羽の鷲を目で追いながら、どう言ったものかと考え込んでいるようだ。

 

「いや、無理に聞き出すつもりはないんだけど……」

 

 そんな本気で考え始めた父に助け舟を出すが、父は苦笑混じりに頬を掻くと、「理由なんてないさ」と肩を竦め、青年の額を指で小突いた。

 ペチンと額を弾かれる軽い音と、そんな音の割に感じた鋭い痛みに「痛っ」と悲鳴をあげる青年の声が重なる中、父はただ優しげに笑みを浮かべた。

 

「ただあいつの事が好きになった。一生を共にしたい程、どうしようもなく」

 

 そして途中から真剣な面持ちになりながらそう締めくくると、その返答に青年はコテンと首を傾げた。

 いまだ生まれて十年と少し。家族以外の誰かを好きになったり、好きになられたりを経験していない彼は、父の言う事がいまいちわからないのだ。

 そんな特大の疑問符を浮かべる息子の姿を見つめた父は彼の頭を乱暴に撫でると、強い期待が孕んだ笑みを浮かべた。

 

「まあ、お前もその内誰かを好きになったり、逆に惚れられたりするさ」

 

「そうなの?」

 

「ああ。俺でもそうだったんだ、お前もそうなるだろうよ」

 

 父はそう言うと誰かが近づいてくる気配を感じたのか、その気配の主たちの方向に目を向け、そしてその人たちを呼ぶように大きく手を振った。

 寝転んだまま頭だけでそちらに目を向けた青年は、陽の光を反射して星のように輝く銀色の髪を風に靡かせる女性と、彼女にお供するように続く三人の少年少女の姿を視界に捉えた。

 

「さて、昼にするか」

 

 父はそう言いながら立ち上がると、青年を立ち上がらせようとほれと声を出しながら手を差し出す。

 その手を掴んだと共に凄まじい力で引き上げられた青年に、父は言い忘れを思い出したようにハッとした表情を浮かべ、青年に告げた。

 

「相手が自分を好いているからって、自分が相手を好く理由にはならないからな」

 

「……どういうこと?」

 

「女は怖いってことだ」

 

 父の言葉に首を傾げると、父は苦笑混じりにそんな事を言って息子の背を叩いた。

 叩かれた彼は鈍い痛みと衝撃に「うっ」と呻くと、父は可笑しそうに笑いながら歩き出す。

 遠くからは手を振りながら「お〜い!」とこちらを呼ぶ母の声と、それを真似てこちらに手を振ってくる妹弟たちに手を振りかえしながら、彼は父の背中に目を向けた。

 手を伸ばせば届きそうなのに、とんでもなく遠く、そして見た目以上に大きく感じる背中。

 そんな父に近づく為には、先程の人を好きになる云々を本当の意味で理解しなければならないのだろう。

 一体いつになればわかるのか、それも定かではないのだが……。

 

 

 

 

 

 ──随分、懐かしい夢を見た……。

 

 窓から差し込む日差しに目を細めながら、銀髪の青年は溜め息を吐いた。

 身体が鉛のように重く、上体を起こすのも酷く億劫だ。

 頭にも絶えず針で刺されるような痛みがあるし、目に熱がこもっているような熱く、視界も霞んで仕方がない。

 あの蚕人を救わんと近衛騎士を打ち倒し、その後騒ぎを聞きつけて殺到してきた兵士らも蹴散らし、彼女を抱えて拠点まで戻ってきたのだが、門を潜った辺りからの記憶が曖昧だ。

 

 ──ここはどこだ。

 

 だが、それでも考える事を放棄してはいけない。想像力は武器だと、師から教えられている。

 そうして銀髪の青年は寝転んだまま深呼吸をすると、改めてじっと天井に目を向け、背中に感じる柔らかな感触を確認。

 豪華な天蓋付きのベッドは高価な綿でも詰まっているのか柔らかく、許されるのならこのまま寝ていたい気分でもあるのだが、

 

「随分と物騒なものがあるな」

 

 ベッドには拘束用の鎖付きの手錠や、ベッドの脇には焼きごてと思われる火に当てられ、赤熱している鉄の棒。果てには先が枝分かれした薔薇鞭と、それらを含めた碌でもない物も転がっている。

 

 ──多分だが、あの女の自室だよな。

 

 そしてその中に先日撃破した女近衛騎士──『黒縄』の武器でもあった呪いの印が描かれた鞭が置かれているのを確認し、とりあえずそうなのだろうと目星を付けた。

 ついでに自分の鎧と武器一式も置かれている辺り、鞭は戦利品扱いなのか、逆に自分が戦利品なのか。

 ともかくなぜ自分がここに寝かされているのかはわからないが、こんな部屋からは素早く移動するべきなのは間違いあるまい。

 銀髪の青年は自分の装備を回収するべく、ベッドから降りようとした瞬間だった。

 

「んぅ……?」

 

 間の抜けた呻き声が彼の耳に届き、彼はビクリと肩を跳ねさせて驚きを露わにした。

 弾かれるように体に上体を起こし、そのまま転がり落ちる形でベッドから降りた彼は、とりあえず自分の装備の山から暗剣をふん掴み、柄に手を置いていつでも抜刀できるように身構える。

 そして今更になって気付いたのは、ベッドのシーツを盛り上げる膨らみがもう一つ──つまり、誰かもう一人がこのベッドで寝ていたこと。

 自分の未熟さに内心で舌打ちをしつつ、もぞもぞと布擦れの音と共に動くその何者かを注視する。

 すると何かを探すようにシーツからすぐに折れてしまいそうな細い腕が飛び出し、ベッドの上を右往左往し始めた。

 数十秒かけてもその何かが見つからないからか、段々と動きが大きくなっていく。

 銀髪の青年はそれを観察しながらすっと目を細めてタカの眼を発動。

 シーツ越しに青い光を放つ人影は、とりあえず敵ではないようだ。

 その事実に小さく安堵の息を漏らす彼を他所に、その腕の主は「あれ?」と僅かに上擦った声を漏らし、だいぶ焦っているのか慌ててシーツを蹴散らしながら身を起こした。

 そして窓から差し込む日差しに曝け出されたのは、まさに白い乙女だった。

 何色にも染まっていない白い髪に、同色の瞳。

 額の辺りからは蛾を思わせる触覚が伸び、背にもまた蛾を思わせる羽が二対。

 すらりと伸びた長身と、豊かな胸、括れた腰、安産型の臀部と、見るものを魅力する美しい肢体。

 その人はまさに、先日助け出すべく命を賭けた蚕人の女王に他ならない。

 問題があるとすれば彼女が裸であることと、ちょうどよく銀髪の青年を身体の正面に捉えていた事だろう。

 本来なら隠すべきもの全てを曝け出し、むしろ見せつけるように身体を起こした彼女の姿に、銀髪の青年は頬を朱色に染めながらそっと目を背けた。

 異性の裸体など、まだ幼い頃に母と水浴びをした頃に見た程度。

 冒険者として独立しても娼館に行くこともなく、淡々と成すべき事を成し続けた彼にとって、そういったものへの耐性は極めて低い。

 対する蚕人の女王は、傍から見ればベッド脇に転げ落ちたようにも見える彼に目を向け、安堵したように柔らかな笑みを浮かべた。

 

「あら、そこにいらしたのですね」

 

 その声はまさに鳥の囀りのように美しく、不思議と相手を安心させるもの。

 銀髪の青年が「ああ」ととりあえず返事をすると、彼女はベッドの上を這うように四つん這いで進み、そっと彼の頬に触れた。

 蚕人の視力では、触れ合うほどの距離でもぼんやりとしか見る事が出来ないが、それでもわかる銀色の髪と、夜空の如き蒼い瞳はわかるというもの。

 

「腫れは引いたようですね。他にお怪我は……?」

 

「いや、大丈夫だ。当たったのは、あの鞭だけだ」

 

 彼女の問いかけに銀髪の青年は恥いるような声音で返し、憎たらしそうに件の鞭を睨みつけた。

 あれに打たれただけで血の涙が溢れ出たのだ。当たりどころが悪ければ──それこそ眼窩に直撃でもしようものなら、そのまま瞳が弾けていたかもしれない。

 一撃なら大丈夫だろうと油断してすぐにこれだ。やはり多少無理な体勢でも、盾で受けておくべきだった。

 そんな思慮をして蚕人の女王に視線を戻した彼は、彼女が白い瞳を見開いて驚きを露わにしていることに気づいた。

 

「……どうかしたのか?」

 

「い、いいえ。ただ、あの鞭には打った者に苦しみを与え、そのまま肉を腐らせて殺すという、呪殺の呪いが込められていたそうですから……」

 

 それに打たれて腫れただけだとは。彼女はそう言いながら改めて彼の頬を撫で、軽く指でつついて具合を確かめた。

 豪拳を振るい、鋭き刃を振るう筋肉質な腕に比べ、押せば柔らかく沈むのは流石に鍛えようがないからか。

 ぷにぷにと頬を突く彼女を見つめながら、銀髪の青年は驚愕の表情を浮かべていた。

 聞いた限り、あの鞭の一撃はまさに必殺だったようだ。

 それを何故耐えられたのか。両親譲りの異様な耐久力(タスネス)がその呪いを耐え切り、どうにか癒せる致命傷程度に抑えてくれたのか。

 真剣な面持ちで思慮を深める彼だが、その間も絶えず頬を突いてくる彼女に溜め息を漏らし、困り顔で告げた。

 

「あ〜、そろそろいいか?」

 

「っ?!こ、これはとんだ御無礼を……っ!」

 

 彼の一言にハッとした蚕人の女王は慌てて彼の頬から手を離し、慌てて彼に謝罪の言葉を投げた。

 裸のまま綺麗な土下座をする辺り、彼女にとっては服を着るよりも彼に謝る方が優先されるようだ。

 

「……せめて服を着てくれ」

 

 ほぼ初対面の女性に、裸で土下座されるという謎の状況に放り込まれた銀髪の青年は困惑の表情のままにそう告げて、深々と溜め息を吐いた。

 彼の言葉に「はいっ!すぐに!」と何故か嬉々とした表情でベッドから降り、ベッドの下に仕舞われていた衣装を纏っていく。

 純白のワンピースを思わせるそれは、おそらく彼女ら蚕人の王家に代々伝わるものなのだろう。

 目を凝らしてよく見れば、純白の下地に複雑な紋様が織り込まれ、陽の光を浴びて不思議な輝きを放っている。

 妙に胸元が開き豊満な胸の谷間が強調されているのは、彼女が纏ったせいなのか、元からそうなるように作られているのか。

 ともかく、銀髪の青年がその衣装の美しさに魅了されたようにボケっと彼女を見つめていると、蚕人の女王もそれに気付いたのか頬を朱色に染めた。

 

「あの、そんなに見つめられると、照れてしまいます……」

 

 赤くなった頬を手で隠し、もじもじと身を捩らせながらそう言うと、銀髪の青年は「すまん!」と謝りながら慌てて顔を背けた。

 先日会ったばかりの女性の着替えを観察など、問答無用で衛兵に突き出されても文句は言えない。

 緊張で縮こまる彼を他所に彼女は気にした様子もなく微笑むと、いまだに着替える素振りさえ見せない銀髪の青年に困り顔となると、ペタペタと裸足で床を踏む音と共に彼に近づいていった。

 

「お手伝いいたします。ささ、こちらに」

 

 そして彼より先に彼の装備を手に取り、それを恭しく持ち上げるが、

 

「お、重い……」

 

 言葉の通り、彼女からすれば重すぎるのか持ち上げた両手がプルプルと震え、そのまま放っておけば落としてしまいそうだ。

 どこか小動物めいた彼女の姿に変な保護欲を覚えつつ、銀髪の青年は彼女が差し出した鎧を受け取った。

 

「着替えくらいなら、自分でできる」

 

 そう言ってそのまま着替えようとするのだが、何か譲れないものがあるのか「お手伝いいたします!」と語気を強めながら彼に詰め寄った。

 鼻先が触れ合いそうになるほどに近づいた彼女の顔を見つめ返しつつ、銀髪の青年は額に嫌な汗を滲ませた。

 自分や妹弟たちが幼い頃、両親と一緒に世話をしようと余計なお節介を焼いてきた父の弟子たちの姿が、今の彼女に重なって見えるのだ。

 つまり、嫌な予感がする。冒険者として培われてきた直感が、彼の脳裏に警鐘を鳴らしている。

 

「ささ、まずは御手を。大丈夫です、鎧の着付けも、服の着付けも大差ありません」

 

 彼が内心で焦っているのを露知らず、蚕人の女王は興奮しているように鼻息を荒くしながら、彼の手を取った。

 筋肉質でたこも多く、皮膚も固くて節立ってはいるけれど、とても暖かく、力強い彼の手だ。

 彼の手を握ったまま、頬を朱色に染めた彼女は「えへへ」と楽しそうに笑うと、今度は両手で彼の手を包み込んだ。

 

「この手で、私たちをお救いくださったのですね」

 

 そして銀髪の青年からすればつい先程のことを、何年も前のことを思い出すような声音。

 彼女はそのまま彼の手を自分の頬に触れさせると、自分の体温と臭いを刷り込むように頬擦りし始めた。

 心の底から安堵し、彼に全幅の信頼を寄せる無防備な笑顔。

 それに当てられた銀髪の青年もまた思わず笑みを浮かべるが、すぐに表情を引き締めると彼女に告げた。

 

「……いい加減、着替えたいんだが」

 

「っ!は、はい!すぐに!!」

 

 着替えようと思い立ち早数分。

 いまだに鎧に手を触れていないことに溜め息を漏らし、慌てて彼の手に籠手を填めんとする蚕人の女王を見つめながら、彼女を気遣ってか今度は胸の中で溜め息を漏らした。

 

 ──まあ、たまにはいいか。

 

 何でもかんでも一人でやるのもいいが、少しは人に頼るのも必要だ。

 少しでも役に立ちたいと思う相手を尊重するのは、決して悪いことではあるまい。

 

「えっと、この紐はどこにどう通せば……っ」

 

 籠手の留め紐を相手に四苦八苦するほど、戦とは縁遠い相手であったとしても──。

 

 

 

 

 

 いつもの倍近い時間をかけて鎧を着込んだ銀髪の青年は、蚕人の女王を三歩分後ろに控えさせながら建物から姿を出した。

 容赦なく降り注ぐ朝日に目を細め、思わず腕で目を庇うと、何やら騒がしい声が耳に届いた。

 

「馬車は十分に用意してある。各々荷物を纏めたら、さっさと乗り込め」

 

「道中は私たちが護衛する。命を懸けて必ず守る、安心してくれ」

 

 赤い鱗の蜥蜴人の声と、あまり聞き馴染みのない男の声。

 ぐりぐりと目を掻いてすぐに視力を回復させた彼が腕を退かすと、飛び込んできた景色に驚愕を露わにした。

 塀の一部が取り壊されて門が拡張され、そこに横並びに複数台の馬車が並び、そこに蚕人たちが乗り込み、彼らの作業道具が次々と運び込まれている。

 

「……何がどうなってる」

 

 そして銀髪の青年は状況が飲み込めずに額に手をやると、そんな彼に気づいた赤い鱗の蜥蜴人が「おう、目を覚ましたか」と右手を挙げながら彼に近づいた。

 

「ここに戻るなりぶっ倒れて、そのまま丸三日寝てたんだぞ。つきっきりで看病した後ろの嬢ちゃんに礼は言ったか?」

 

「三日……!?それは、心配をかけたな」

 

 彼の言葉に驚愕が隠しきれずに声をあげた彼は、赤い鱗の蜥蜴人に示されたがまま蚕人の女王に目を向けた。

 

「お前にも面倒をかけた。申し訳ない」

 

「そ、そんな!顔をあげてください……!当然のことをしたまでです!」

 

 そして直角九十度に綺麗に腰を曲げながら頭を下げると、蚕人の女王は慌てて彼にそう返した。

 銀髪の青年は「だが」と食い下がろうとするが、流石に場所と声量の都合で目立ってしまった為か、辺りの蚕人たちが「姫様、姫様」と騒ぎ始める。

 その騒ぎがすぐに伝播していき、馬車に乗っていた蚕人たちも顔を出し、遠目から見ても馬車の乗り合いに支障が出始めている。

「だー、いちいち騒ぐな!」と赤い鱗の蜥蜴人は怒鳴るが、彼らとしては三日も部屋から出てこなかった女王がようやく出てきたのだ。心配もしよう。

 彼らの様子に見兼ねた蚕人の女王がパン!と鋭く手を鳴らすと、蚕人らの喧騒が一瞬にして静まり返った。

 

「騒がずに皆様の指示に従ってください。私には彼がいますから、心配なさらずに」

 

 そして不意に銀髪の青年の腕に抱き着き、豊満な胸を押し付けながらどこか艶っぽい表情でそう言うと、蚕人たちは安堵したように胸を撫で下ろし、再びせっせと馬車に乗り込み始めた。

 

「……」

 

 だが銀髪の青年は突然抱き着いてきた蚕人の女王に目を向け、強い困惑の表情を浮かべた。

 確かに彼女には指一本触れさせんと言ったし、彼女に危険が迫るならそれら全て切り捨てる覚悟はあるが、先の発言はどういう意味なのだろうか。

 

「ああ、お前は知らないんだよな」

 

 そんな一人困惑する銀髪の青年に、赤い鱗の蜥蜴人が愉快そうに目を細め、にやにやと楽しそうに笑いながら顎を摩った。

「なんだ」と銀髪の青年が聞き返すと、赤い鱗の蜥蜴人はそっと蚕人の女王の表情を伺い、言っていいものなのかと僅かに思慮した様子。

 彼の視線に気付いた蚕人の女王は顔を耳まで赤く染めながら俯くが、説明せねばならないことはわかっているのか、こくりと小さく頷いた。

 

「蚕人の成人の儀には、終わった後にもすることがあるそうなんだが」

 

「……。俺が命懸けで時間を稼いだのに、『まだ終わっていませんでした』はなしだぞ」

 

「儀式自体が終わってんのは見ればわかる。だから、その後の話だ」

 

 銀髪の青年が心底面倒臭そうな声音で返すと、赤い鱗の蜥蜴人は蚕人の女王を一瞥しながらそう告げた。

 蚕人は成人となる儀を終えれば、その身に触覚と使い物にならない翼を持つことになる。

 彼女にそれらがある以上、儀式自体は無事に終わっているのはわかる。

 そして、蚕人らにとってはその次の段階もまた大事なのだ。

 

「儀式を終えた蚕人は繭を糸に戻して、旅に出るんだと。自分を守ってくれる伴侶(つがい)を探しに」

 

「は……?」

 

「だから成人した蚕人はそのまま旅に出て、生涯を共にする伴侶(つがい)を探すんだよ。で、後はわかるな?」

 

 赤い鱗の蜥蜴人はどこか煽るような声音でそう告げ、あとは任せたと言わんばかりに銀髪の青年の肩を叩いて馬車の方に戻っていった。

 その背を見送った銀髪の青年は叩かれた肩を押さえながら、ちらりといまだに腕に絡みついてくる蚕人の女王に目を向けた。

 

「……何も言わないでください」

 

 そして頭から煙を噴きながら、消え入りそうな声で彼女はそう言うと、彼に抱き着く力を僅かばかり強めた。

 その分余計に胸が押し付けられるのだが、幸い鎧越し故にその柔らかさや温もりを感じることはない。

 感じていたとしても、彼はそれを無視しただろう。あくまで表面上は。

 

「その話はとりあえず置いておく。それで、あの状況はなんだ」

 

 蚕人の女王から気を逸らすように問いかけた言葉だが、やはり返すのは彼女の他にいない。

 彼女は「ご説明します」と前振りしてから、蚕人らが乗り込む馬車を手で示した。

 

「私と連れて帰還したのち、あなたが倒れたという話は先程しましたね」

 

「ああ。その後三日も寝ていたそうだが……」

 

「その間に、あの蜥蜴人様が策を練って下さったんです。先日解放したという鉱人の里は、彼ら自身で守れるそうですが、私たちはそうはいきません。なので、一時的に彼らの本拠地に移住することになったのです」

 

「それであの馬車と、護衛、ね」

 

 銀髪の青年は腕を組み、小さく肩を竦めながら片目を閉じて馬車群に目を向けた。

 蚕人らは言われるがまま馬車に乗り込んでいくが、幾人かは大事そうに何かの箱を抱えている。

 

「あれは皆それぞれが閉じ籠った繭の糸です。ほとんどは衣服に変わり、今や王家や貴族が身に纏っておりますが、一束でも残っていれば十分なのです。それを織り、神に捧げるものを織れれば、それで……」

 

 彼女は切なげで、けれど前向きにも聞こえる不思議な声音でそう言うと、今にも泣き出しそうな表情で祈るように両手を合わせて指を組んだ。

 

「ええ、それでいいのです。何の希望もなかった我々に、明日を生きる意味が与えられたのですから」

 

 顔をくしゃくしゃに歪めながらそう言うと、ついに耐えきれずに白い瞳から大粒の涙を溢れさせた。

 それを必死に拭いながら「申し訳ありません。すぐに止めますから」と言うのだが、涙は止まる気配もなく溢れ続け、頬を伝って地面に落ちていく。

 銀髪の青年は何も言わずに彼女の涙を拭うと、そっと彼女を抱き寄せた。

 

「あ、あの……?」

 

「泣きたければ泣け。俺はここにいる」

 

 力強く、けれどあまりにも脆い彼女を壊さないように優しく、抱き締めながら、彼女にだけ聞こえるように小さな声でそう告げた。

 その言葉に驚いたように肩を揺らした彼女は、何も言わずに彼の背に両手を回して彼を抱き寄せる。

 周りの喧騒にかき消されるほどか弱い彼女の嗚咽を聞きながら、銀髪の青年は天を仰いだ。

 相棒の悩みを知る由もなく呑気に天高く舞う鷲が、いつも通りに鋭い視線を銀髪の青年と、彼に抱き締められる蚕人の女王に向けられていた。

 

 

 

 




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