SLAYER'S CREED 継承   作:EGO

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Memory17 何でもない一日

 反乱軍、本拠点。

 国の南東の端に聳える霊峰の内側、自然の力と、遥か過去に去った何者かたちにより抉り取られた大空洞。

 そこをそのまま利用する形で造られた街並みには、久しい活気が戻っていた。

 圃人、森人、鉱人、蚕人、狼人。国軍により蹂躙され、国中に散らばっていた亜人たちが集い、疎に使われる程度だった廃屋にも人が入り、窓からは明かりが漏れている。

 そんな街を見下ろせる見張り台の上に、銀髪の青年はいた。

 そこかしこから聞こえる談笑の声や、たまに混じる喧嘩の声や、怒号、悲鳴、歓声。

 まあ、文字通り文化が根本から違う種族が集まっているのだ。意見の相違もあるだろうし、異文化の衝撃(カルチャーショック)を受けての混乱というのもあるだろう。

 だが、それは仕方のないことだ。長年をかけて歩み寄ったのならともかく、彼らはこの一ヶ月程で集まっただけの集団なのだから。

 

「オメェはこんなとこで何してやがる」

 

 そんな彼らの生活を微笑み混じりに見下ろしていた平服姿の銀髪の青年の耳に、どこか苛立ちの色が強い声がかけられた。

 声に誘われて振り向いた銀髪の青年は、見張り台の梯子から顔を出している灰狼に視線を合わせた。

 

「別に、ただ街を観察していた」

 

 そして浮かべた微笑をそのままにそう呟いた銀髪の青年は、再び街を見下ろしながら息を吐いた。

 幼い頃、父に連れられて街の冒険者ギルドの屋根の上に登った時を思い出す。

 静かではあるが遠くに喧騒があり、活気に溢れた街並みが一望できる。そんな場所(ビューポイント)からの眺めが好きなのだ。……地形を把握するという意味もあるが、それはそれ、これはこれだ。

 そんな彼の解答が気に食わないのか、見張り台を登り終えて彼の隣に立った灰狼はハッ!と鼻で笑いながら、「能天気な奴だな」と隠す気もない怒気を込め、真剣な面持ちでそう告げた。

 言われた銀髪の青年は肩を竦め、先日ここに移住してきた狼人らの区画に目を向ける。

 一族焼き討ちにあい、生き残った者たちも危うく奴隷や、あるいは革製品にされかけたが、彼らの中にここに来たばかりの暗い雰囲気はなく、包帯姿の子供たちが駆け回り、その親や、兄弟姉妹らが微笑ましいものを見るように見守っている。

 その笑みには僅かに陰りがあるが、笑えないでいるよりは幾分かマシだろう。

 

「元気そうで何よりだ」

 

 銀髪の青年はぼそりと本音を漏らし、灰狼はそれに関しては同意しているのか不満そうに腕を組みながらも「ああ」と首肯して目を細めた。

 

「ここに連れてきてくれたのは感謝してる。あいつらも安心してガキの面倒を見られるし、ガキどももああやって遊ばせられる。だが、あれから何の行動もなしじゃねぇか!何が反乱軍だよ、これじゃただの隠れ家じゃねぇか!」

 

 そしてついに本題に入る気になったのか、地団駄を踏みながらそう怒鳴る。

 彼が地団駄する度に見張り台のあちこちから木材が軋む音が聞こえてくるが、それを気にする二人ではない。崩れたら崩れたで脱出し、これを建てた輩を見つけ出してぶん殴るだけだ。

 

「まあ落ち着け。何にも準備が必要だ」

 

「俺の怪我も治った。お前は別に怪我もしてねぇ。なら、いいじゃねぇか」

 

 行動を急かしてくる灰狼をとりあえず落ち着かせようとするが、当の本人はやる気に溢れ、灰色の瞳の奥には闘志の炎が揺れている。

 だがその闘志の奥には獲物を狙う獣のように冷たい殺意が宿り、次の獲物を待ち望んでいるようにも見える。

 狩りに飢え、血に飢えてはいるものの、それを理性が抑えつけているのだろう。好き勝手に動いて、恩人たる銀髪の青年ら、反乱軍に迷惑をかけたくはないのだ。

 それでも武者震いか、苛立ちからか、立ったまま貧乏揺揺すりをしつつ、尻尾が小刻みに揺れてしまうのは仕方がないことだ。

 そんな灰狼の様子を横目に見ながら、銀髪の青年は両手を広げて武装解除状態の自分を見せつけながら言う。

 

「身体は万全でも武器、装備の点検もしないと駄目だ。お前はその牙や爪があるんだろうが、生憎と俺は非力な(・・・)只人だからな」

 

「非力な只人だぁ?冗談も言えんだな、テメェ」

 

「……冗談でもないんだが」

 

「は?」

 

 そして彼が本心から告げた言葉に、灰狼は間の抜けた表情になりながら声を漏らし、改めて銀髪の青年の爪先から頭の天辺までを観察。

 引き締まり、贅肉とは無縁の肉体は既に完成され、獣人として生まれてから野山を駆けていた自分でも惚れ惚れするもの。

 自分も日夜鍛えているし、彼にも負けず劣らずの肉体を維持しているのだが、それな自分が獣人として、狩りを中心とした普段の行動の結果、自然と出来上がるものだ。

 だがそういったものとは縁遠い只人がここまで鍛えたとなると、生半可な努力では足りまい。

 

「……冗談も休み休むに言えよ」

 

「むぅ。か弱い只人なのがわからないか」

 

 それを踏まえて銀髪の青年の言葉を否定すると、彼は唇を尖らせて不貞腐れたようにそう漏らすが、すぐに破顔してグッと拳を握り、力瘤を作った。

 

「まあ、そこらのごろつきや兵士程度に負けるほど柔じゃないが」

 

「それを非力とは言わねぇんだよ」

 

 そして告げた言葉に灰狼を溜め息混じりにそう返すと、乱暴に頭を掻きながら梯子に足をかけた。

 

「テメェと話してると調子狂う。また後でな」

 

「ああ。きっとすぐに出発することになるだろうが……」

 

 ひらひらと手を振りながら彼を見送った銀髪の青年は、優しげな輝きを放つ蒼い瞳を細め、冷たい殺意を滲ませた。

 先の近衛騎士──と言うよりかは有力な商人だろうか?──は、手応えもなく、若干ながら報酬泥棒な気分さえもしている程だが、次の相手は果たしてどんなものなのか。

 

 ──楽に終わるなら、それに越したことはない筈なんだがな……。

 

 両親もかつては冒険者だ。二人がどんな冒険をし、どんなものを見聞きしたのかは断片的にしか教えてもらってはいないが、楽に終わるのならそれでいいというのが共通していた意見だ。

 だが、しかし、自分より強い相手と戦い、それを超えていくというのも乙なもの。昇給間近の高難度の依頼など来た日には、緊張せずにむしろ興奮してしまうというものだ。

 先日の戦いは拍子抜けしてしまったが、とりあえず目の前の問題を排除し、報酬を貰い、衣食住の確保。その道中に自分よりも強い相手がいるのなら、どんな手を使おうとも勝利をもぎ取る。

 そうすれば、きっと両親が見てきたものの欠片が見られるかもしれない。

 いつの日か、両親を超えられる日が来るかもしれない。

 その背中は遠く、とても高いものだが、同じ只人で、その二人の血を継いでいるのだ、出来ない訳があるまい。

 

「そろそろ取りに行くか」

 

 そんな思慮をしていた為か、灰狼の闘気に当てられたか、銀髪の青年は沸々と胸の奥で滾る熱いものを感じ、居ても立っても居られずに立ち上がった。

 鉱山街とは別口の、元からこの隠れ家に身を寄せていた職人気質の鉱人。

 装備の点検を頼んだ時は只人だからと突っぱねられるかとも思ったが、彼からすれば相手はどうでもいいらしい。

 曰く、誰がどう使おうが知ったことじゃない。自分は自分が満足いく仕事をするだけだ、とのこと。

 先程降りていった灰狼が子供の狼人たちに絡まれ、鬱陶しそうにしながらも楽しそうに笑う姿を見下ろし、ついでに見張り台の下に荷車に積まれた藁の山があることを確認。

 ふーっと深く息を吐き、父がそうしていたように両手を広げて身を投げた(イーグルダイブ)

 ほんの一瞬の浮遊感と共に身体を回転させ、背中から藁の山に落下。

 ばさりと藁が揺れ、荷車が軋む音を辺りに振り撒きながら、銀髪の青年は勢いよく藁の山から飛び出した。

 服や髪に刺さった藁を適当に払い、それでも身体のあちこちに感じる柔らかい物で刺される擽ったさに身動ぎしつつ、街の方に足を向けた。

 少し前までであれば、まず間違い無くあちこちから殺気を向けられ、何か粗相をすればすれ違い様に刺される可能性も脳裏を過ぎった程だが、今はそこまででもない。

 笑顔で、とはいかないが挨拶をされたり、会釈されたりする程度には、銀髪の青年を受け入れ始めている。

 本人はそう思っているし、事実蚕人を中心に狼人や鉱人など、彼に恩のある種族は彼が近くを通っても気にも留めないし、基本的に温厚な圃人なんかも時々ではあるが向こうから声をかけてくれる。

 だが、やはりと言うべきか森人からの印象は悪い。と言うよりかは、理由はわからないが妙に殺気立っているのだ。

 前回の狼人救出を終えた後、彼らからの事情聴取が終わった辺りからだ。何か重大な情報を知ったのか、彼らの目付きが変わり、言葉にも普段よりも棘が多い。

 

 ──何があったのかは知る由もないんだが……。

 

「む……」

 

 肩を竦めてどうしたものかと思慮をしていると、不意に人混みに見覚えのある小さな影が見え隠れしている事に気づき、小さく声を漏らした。

 雑踏の中でも不思議と目立つ濡れ羽色の髪と、焔を思わせる緋色の瞳。

 誰かを探しているのか道の中央であちこちに目を向けており、目には大粒の涙が浮かんでいる。

 すれ違う人たちはどうするべきかと顔を見合わせたり、逆に触るべきではないかと距離を置いたりと反応は様々だが、彼女──半森人の少女を助けようとする気配はない。

 一応は人畜無害な少女ではあるが、かつての国王の忘れ形見。相手が相手だ。触らぬ神に祟りなし、ということなのだろう。

 銀髪の青年もまたどうしたものかと困り顔で頰を掻き、辺りを確認。普段ならいる筈の付き人や、女上の森人を探すが、見当たらない。

 いや、彼女の様子からして、彼女らを探して街に繰り出してしまったのだろう。

 はぁと溜め息を吐きなぎら俯いた銀髪の青年は、別に依頼が入ってから取りに行けばいいかと適当な事を思いながら人混みを掻き分け、件の少女に近づいた。

 そこで発した声が彼女にも届いていたのか、銀髪の青年を見つけた半森人の少女はパッと表情を明るくすると、小走りで彼の元へ。

 

「どうした、迷子か?」

 

 地面に片膝をつき、駆け寄ってきた彼女を迎え入れた銀髪の青年はそう問いながら、頬を伝う涙を拭ってやる。

 

「付き人はどうした。あいつも、いないようだが」

 

 いない事はわかっているが、少々芝居じみた動作できょろきょろと辺りを見渡し、改めてそう問うと、半森人の少女は困り顔になりながら口を動かすが、やはりと言うべきか音にはなっていない。

 原因はわからないが、そういう病なのか呪いなのか、とにかく彼女は言葉を発しているつもりかもしれないが、それがこちらに伝わってこないのだ。

 

「……迷子でいいんだよな?」

 

 銀髪の青年は困り顔になりながら問うと、半森人の少女はこくりと一度頷いた。

「それがわかればいい」と返した銀髪の青年は、彼女の手を取るとにこりと微笑んだ。

 

「なら、探すぞ。ここだってそこまで広くない。歩いていれば見つかるさ」

 

 そして浮かべた笑みをそのままにそう告げると、少女は嬉しそうに笑いながらこくこくと何度も頷く。

 彼女からの許可も貰ったことだしと息を吐いた銀髪の青年は、タカの眼を発動して辺りを見渡した。

 視界から色が消えて黒く塗りつぶされ、輪郭(ワイヤフレーム)の白い線が浮き彫りとなり、無害な人物が背景と同じ黒く染まり、友好的な戦闘員が青く輝き、重要人物である半森人の少女が金色に輝いた。

 そして街のあちこちに目的の人物──女上の森人の痕跡を示す金色の軌跡が輝き始め、彼女がどこにいるのかを浮き彫りにする。

 普段は作戦会議に使われ、あまり使われないが幹部用の部屋なんかも備えている王城跡地。今はそこにいるようだが、ならばなぜ、普段からそこにいるこの少女に見つけられなかったのか。

 

 ──灯台もと暗し、か。

 

 近くにいない、つまり遠くにいると勝手に思って城を飛び出してしまったのだろう。彼女が普段使わない他の階、他の部屋にいる事を考慮できなかったのだ。

 自分も幼い頃、迷子になったと知るや街中を駆け回ってしまい、両親を困らせたこともあったのだ。この少女の気持ちは痛いほどわかる。

 

「さ、行くぞ」

 

 だから叱ったり、責めたりすることはなく、彼女が探す人の場所に連れて行ってやる。それが最善だ。

 銀髪の青年は彼女の手を引いて歩き出し、少女もまた嬉しそうに笑いながら引かれるがまま、彼の後ろに着いていく。

 その姿を遠巻きに眺めていた通行人たちは、まるで親子か兄妹のようだと思いながら彼らを見送り、すぐにいつもの喧騒を取り戻して行った。

 

 

 

 

 

 そうして拠点内を歩き回ること数分。

 銀髪の青年は現状を俯瞰しながら、どうしてこうなったと頭を抱えて天を仰いでいた。

 

「先ほど飴を貰ったのですが、食べますか?」

 

「っ!」

 

「ふふ。そんなに急かさないでくださいな。飴も、私も、逃げませんから」

 

 反乱軍の拠点と言っても、古い都をそのまま改築して拠点として使っているだけだ。歩き回ればかつては公園だった場所や、ちょっとした広場というのが割と見受けられる。

 そんな広場の一つで、銀髪の青年は石造りの椅子に座って足をぷらぷらと振りながらご機嫌そうに飴を舐めている半森人の少女と、彼女に飴を与えた人物──先ほどばったりと出くわした蚕人の女王を見つめながら、小さく溜め息を吐いた。

 任務続きの自分の為、何か精がつくものをとあちこちの商店を回って食材や水薬(ポーション)を買い込んでいたそうなのだが。

 目も不自由で、身体も弱いだろうに、律儀に自分の為に尽くしてくれるのは嬉しいような、かえって心配なような、何とも複雑な気持ちになるが、それが彼女の意志ならば何も言うまい。

 だが、彼女の脇に置かれた大きめの袋を抱えて、ここから自宅まで戻るとなると、彼女の体力では無理があるだろう。

 袋は自分が持つとして、少女を連れて王城に行って森人らに引き渡し、そのまま二人で帰宅。これしかあるまい。

 問題があるとすれば──。

 

「待ってくださいな。それは私が持ちますわ」

 

 荷物を持とうと手を伸ばせば、それを蚕人の女王に制され、持たせてくれなさそうな事だろう。

 彼女にとって銀髪の青年は未来の旦那であり、彼女らの教えに従えば、伴侶に尽くすことが尊いこととされている。

 自分がすべき事を、その伴侶にやらせるというのに、ひどい抵抗を感じてしまうのだろう。

 銀髪の青年はさてどうしたものかと思慮するが、この際彼女の言葉を無視して袋を抱え上げた。

 

「ああ、ですから私が──」

 

「お前はこの子を頼む。また迷子になられると洒落にならないからな」

 

 そして荷物を受け取ろうと手を伸ばしてきた蚕人の女王に、銀髪の青年は半森人の少女を見つめながらそう告げた。

 蚕人の女王は言われるがまま半森人の少女に目を向けると、少女は飴を舐めてその甘みを楽しんでいたが、彼の意を汲んだのか、あるいはちょっとした我儘なのか、彼女の手を取ってぎゅっと握り締めた。

 幼い少女の懇願するような視線に蚕人の女王も毒気が抜かれたのか、銀髪の青年に伸ばしていた手を引っ込め、小さく息を吐いて「仕方ないですね」と微笑んだ。

 

「貴方からの頼みなのですから、お断りする理由もありませんわ」

 

 そして少女の手を優しく握り返しながらそう言うと「行きましょうか」と告げて、銀髪の青年に目を向けた。

 

「それで、どちらに向かえばいいのでしょう……?」

 

 声音こそ普段通りの、女王として凛とした雰囲気を放つものではあるが、その表情は不安に溢れていた。

 それはそうだろう。朝から姿が見えない想い人に出会えたと安堵したのに、そこから流れのままに迷子の面倒を見ることになったのだ。

 この少女をどこに連れていくべきなのか、そしてこの少女と彼はどんな関係なのか、知らない事が多すぎる。

 そんな蚕人の女王の胸中を察してか、銀髪の青年は「こっちだ」と彼女の手を引いて先導を開始。

 片手を彼に、もう片方の手を半森人の少女に掴まれた蚕人の女王は、ふと幼き日の事を思い出していた。

 両親に連れられて歩く時、視力が弱い事も相まって三人で手を繋ぎ、こうして挟まれて歩いていたわけだが。

 

 ──これでは私が子供のようではないですか……っ!?

 

 そんな思考が過った瞬間、彼女の頬が朱色に染まり、力が抜けていた触覚がピンと伸び、彼女の緊張をわかりやすく露わにさせた。

 

「あ、あの、位置を変えましょう!これでは、その……っ!」

 

「どうかしたのか?」

 

「……?」

 

 傍から見れば急に彼女が焦り出した風に見える事も相まり、銀髪の青年と半森人の少女は揃って疑問符を浮かべると、顔を見合わせて首を傾げた。

 その姿はさながら親子のようであり、視力の弱い彼女でも二人の間にある確かな絆のようなものは感じられる。

 相手は子供といえどどこか面白くなく、胸の奥では嫉妬の感情が渦巻いてしまう程だが、それを表に出してしまえばそれこそ彼に嫌われてしまう。

 大人として、何より一族の長として、余裕を持った態度が必要だ。

 

「いえ、ただ、これだとこの子が危ないのではと思いまして」

 

 半森人の少女の手を握った手を挙げながらそう言うと、銀髪の青年はハッとして「それもそうだな」と首肯して蚕人の女王の手を離した。

 途端になくなった彼の温もりに名残惜しそうに声を漏らすが、ここは我慢だと自分に言い聞かせてぐっと堪える。

 そんな彼女の僅かな表情の変化に気づいた銀髪の青年は、何かあったのかと聞こうとするが、それよりも早く半森人の少女が彼の手を取った。

 両手でそれぞれ異なる温もりと力強さを感じ、優しく握り返される。それだけでも堪らなく嬉しいのか、彼女の雰囲気もいつにも増して明るくなっている。

 ただ手を繋いだだけでここまで嬉しそうにされると、それはそれでどうなんだと、普段はどんな生活をしているのだと問いたくなる銀髪の青年であったが、その疑問は呑み込んで目的の森人らとの合流を目指す。

 

 ──たまには会いに行ってやるか……。

 

 基本的に依頼で忙しいとはいえ、たまにではあるが休暇はあるのだ。それを利用してこの少女に会いに行く程度から問題あるまい。

 森人たちが許してくれるかは別問題だが、上手く彼らの警戒網をすり抜ければいいのだ。

 はぁと小さく溜め息を吐くと、少女の手を引いて歩き出す。

 それに合わせて蚕人の女王も歩き出し、二人に引かれて半森人の少女も歩を進めた。

 

 

 

 

 

 森人の間でのみ行われた会議を終えた女上の森人は、内心大いに焦りながら王城内を右往左往していた。

 保護した狼人らから聞き出した情報。それは森人たちの中に少なからず衝撃を与え、それに対する会議が開いたのだが、その間に半森人の少女がいなくなってしまったのだ、焦りもしよう。

 

「くそっ。どこに行ったんだ……」

 

 廊下を小走りで進みながら思わず溢した悪態は誰にも聞こえてはいないが、その静寂が嫌に彼女を追い詰める。

 かつかつと石畳を踏む音だけが廊下に響き、急ぐ彼女を煽るように壁の蝋燭の炎が揺れ、影を不気味に踊らせた。

 

 ──目先の問題ばかりに注視して、最も大切なものを見落としてしまう。

 

 兄がまだ存命だった頃、狩りの途中でそんな忠告をしてくれた事を、今更になって思い出す。

 そして、いつも思い出した頃には手遅れなことが多い事も思い出してしまった。

 自分ではなく兄や父が生き残っていれば、もっと上手く一族を動かし、今よりも状況をかなり善いまま攻勢に出られていた筈だ。

 

 ──なのに、なぜ私が生き残ったのだ。

 

 目を閉じる度、瞼の裏に映るのはあの日の光景。

 国軍の侵攻を止められず、炎に包まれた故郷の森と、次々と囚われ、生きたまま炎に投げ込まれていく同胞たち、

 それを嬉々として指示し、炎を纏う大剣を振るう鎧を纏った大男と、自分や生き残りの同胞たちを逃すべく、国軍に挑んだ両親と兄の背中。

 三人を止めようと手を伸ばす自分と、そんな聞き分けのない小娘を引きずる形で森から連れ出した従者たちの悲痛な表情。

 何もかもが瞼の裏にこびりつき、いくら擦ろうがそれが消えることはない。

 そしてその光景を生み出した輩が、先の狼人の集落の襲撃時に姿を現したそうなのだ。

 家族が命をかけて行った突貫も無意味であり、森人にとっての仇とも言える相手がのうのうと生きている。

 

「くそっ!」

 

 そんな最悪な現実からから逃げるように壁を殴りつけた女上の森人は、何もしていないというのに乱れた呼吸を繰り返し、肩を揺らしていた。

 拳から広がる痛みも無視し、外套を翻して再び歩き出そうとしたその時だった。

 

「ああ、いたいた。ほら、見つけたぞ」

 

 不意にここにはいないと思っていた相手の声が聞こえ、弾かれるようにそちらに目を向けた。

「探し人はこいつか?」と苦笑混じりに告げた銀髪の青年は、手を繋いでいた半森人の少女から手を離すと、そっとその背を押した。

 それに合わせて蚕人の女王も少女を差し出し、二人に押される形で飛び出した半森人の少女は押された勢いのままに走り出し、女上の森人の足に抱きついた。

 どこにいたの、寂しかったと言わんばかりに大粒の涙を流しながら彼女を見上げ、ぎゅっと彼女を抱きしめる。

 その顔に申し訳なさそうにしながら一旦彼女を剥がした女上の森人はその場にしゃがみ、「すまなかった」と謝りながら改めて少女を抱きしめ、銀髪の青年と蚕人の少女に「ありがとう」と礼を言った。

 泣きながら彼女に抱きしめ返した半森人の少女の背中を見つめながら、銀髪の青年はふと女上の森人の手に目を向け、怪訝そうに眉を寄せた。

 いつもは透ける程に透き通っている白磁の肌が赤く染まり、僅かに血が滲んでいるのだ。

 彼の視線に気づいたのか、女上の森人が「どうかしたか?」と彼に問うと、彼は抱えていた袋を床に置き、腕を突っ込んで何かを探り始める。

 そして引っ張り出したのは包帯と水薬(ポーション)の小瓶だ。

 彼は女上の森人に近づくと片膝をついてしゃがみ、血が滲む彼女の手を取り、乱暴に水薬を彼女の手にぶっかた。

 

「〜っ!!」

 

 できたての傷口に薬をかけられるという、突如として与えられた激痛に彼女は音もなく悲鳴をあげるが、少女を抱きしめている手前逃げることも、怒鳴る事もできずに歯を食い縛るばかり。

 そんな彼女を睨みつつ、キツめに包帯を巻いた銀髪の青年は「これでいい」と立ち上がった。

 

「何があったのかは知らないが、お前はもっと自分を大事にしろ。森人を纏められるのはお前しかいないんだぞ」

 

 同時にどこか忠言じみた言葉を投げると、ようやく泣き止んだ半森人の少女の頭をポンポンと優しく叩き、「この子にとっては、母親みたいなものだろう?」と慈愛に溢れた柔らかな表情で告げた。

 その声が聞こえていたのか、半森人の少女は涙を拭うとどこか様子を伺うように女上の森人を見た。

 対する彼女の表情は複雑そのもので、何と答えるべきかを迷っている様子。

 いらん事を言ったなと表情には出さずとも内心で焦る銀髪の青年だが、そんな彼に蚕人の女王が助け舟を出した。

 

「森人の女王よ。貴方が何を躊躇っているのかは知りませんが、その子は貴方を慕い、想っているのは確かな事です。その想いを受け取るのか、拒むのか、決めるのは貴方です」

 

 普段の優しさに溢れた声音とは違う、凛とした一族を率いる女王然とした声音。

 それを隣で聞いていた銀髪の青年は思わず面を喰らうが、女上の森人もまた似たような反応をしていた。

 彼女にとって避け続けていた事を、面と向かって告げられたのだ。残酷なまでに、蚕人の女王は彼女の逃げ道を塞ぎ、彼女に解答を求めている。

 流石に急かしすぎではと目を細めた銀髪の青年は、袋を担ぎ直すと共に蚕人の女王の手を取った。

 

「どちらにせよ、俺たちがどうこう言うものじゃないさ。部外者はお暇させてもらう」

 

「そうですわね。では、森人の女王よ、ご機嫌よう」

 

 そして銀髪の青年はあくまで傍観者になる事を決め、蚕人の女王もまた彼に同調。

 彼と手を繋いだまま恭しく一礼をすると、彼に引かれるがまま王城を後にした。

 取り残される形となった女上の森人は半森人の少女に顔を合わさると、ただ愛おしそうに彼女の髪を撫でた。

 

「私がお前の母親など、名乗れるわけがないだろうに……」

 

 だが口から漏れた言葉は酷く後ろ向きで、それを聞いた半森人の少女の表情も切なげなものに変わる。

 それでも女上の森人は彼女を強く抱きしめ、耳元で囁くように告げた。

 

「私があの娘に変わってお前を守る。そう、約束したのだ」

 

 母としてではなく、本当の母の親友として、彼女の忘れ形見を、王家の血を継ぐこの子を守らねばならない。

 それが子供たちより良い未来を残すための布石であり、彼女への手向けにもなろう。

 そうして女上の森人は覚悟を決めるが、半森人の少女はただ哀しそうに彼女の胸に顔を寄せた。

 

 

 

 

 

「お二人は大丈夫でしょうか?」

 

 王城から外に出て開口一番に投げられた問いかけに、銀髪の青年は肩を竦める他なかった。

 先程も言ったがあれは二人の問題であり、自分達が深く踏み込んでいい問題でもない。

 つまり銀髪の青年は「わからん」と返すしかなく、「あいつら次第だ」と溜め息を漏らすばかり。

 

「結果がどうであれ、俺がやることは変わらん。依頼の通り、作戦を進めるだけだ」

 

「そうですわね。私ができるのは、食事の用意をしたり、褥を共にしたり、貴方の無事を祈るだけです」

 

 そして話題を変えようと依頼の話に振ると、思わぬ所からボロが出た。

 精がつく物を作ると言っていたが、まさかそういう意味での精が出る物を用意するつもりだったのか。

 

「……部屋に忍び込んでくるつもりだったのか?」

 

「……っ!?あ、いえ、そんなつもりは、ないです……わ……?」

 

 そんな隙を見逃さずに軽く突いてみると、蚕人の女王は白磁の頬を赤く染めながらそっぽを向き、尻すぼみになりながらそう告げた。

「本当か?」怪訝そうに、けれどどこか楽しそうに笑いながら問い詰めると、「知りません!」と今度は勢いよく背中を向けられた。

 だが耳が真っ赤になり、触角も忙しなく揺れているのだから、相当に焦っているのだろう。

 やれやれと困り顔で肩を竦めた銀髪の青年は、いい加減フォローしてやるかと口を開こうとすると、自宅の玄関前に人影があることに気づく。

 只人のそれに比べてだいぶ小柄で、一見子供のようにも見えるのだが、纏う雰囲気は強者のそれ。

 風に揺れる金色の髪と、血のように赤い瞳が特徴の圃人。

 地面に突き立てた薙刀に寄り掛かりながら、銀髪の青年の帰宅を待っていた金髪の圃人は、彼の登場に腕を組みながら告げた。

 

「いきなりですまない。次の作戦について、話がしたい」

 

 その言葉に銀髪の青年は表情を引き締め、蚕人の女王は縋るように彼の腕に抱きついた。

 冒険者に休む暇はない。世界に冒険の種が尽きることがないのだから、当然だ。

 混迷を極める国が舞台となれば、尚更に──。

 

 




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