SLAYER'S CREED 継承   作:EGO

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Memory18 黒き翼の根城へ

 反乱軍の拠点から馬で数日。銀髪の青年ほ、国の北西の国境沿いにあるとある山間部にいた。

 かろうじて馬が通れる崖の細道をゆっくりと進む中、手綱を引く手には緊張の汗が滲み、普段はどこか余裕を感じさせる表情も強張っている。

 どうしてこんな所をと悪態を吐きたるなるが、そんな余裕さえもないのが現状だ。

 ちらりと崖の下に目を向ければ剣のように尖った岩の切っ先が立ち並び、それから目を背けてもあるのは金床が如く平らで大きな一枚岩だ。

 今滑落すれば岩に貫かれ、ここを抜けて滑落すれば金床の染みになる。下に藁だの枯れ草だのの山があれば話は違うだろうが、生憎とそれらはない。落ちれば最後、降着と共にぶち撒けた臓物が岩を彩ることになる。

 どうしてこうなったと再び自分に問うが、依頼を受けた冒険者故にとしか返されることはなく、思わず漏らした溜め息により手綱がずれてしまったのか、馬が足の踏み場を間違えて道の端が音を立てて崩れた。

 突然の事態に慌てた馬がいななきながら踏み外した脚を素早く戻し、四肢を踏ん張ってどうにか落下することは免れるが、銀髪の青年はあらん限りに目を見開いたまま、謝罪の感情を込めて馬の首を撫でた。

 すまない。本当にすまないと言い聞かせるようにさすさすと馬の首を撫でる彼だが、その表情はかつてない程に死んでいる。今まさに死にかけたのだ、それも己よりも強い相手に敗れたとか、壮絶な冒険の果ての討ち死にとかではなく、馬もろとも崖からの滑落という、両親や師匠が聞いたら呆れて天を仰ぐような死に方で。

 

「ゆっくり、落ち着いていけばそれでいい。そうだろ、な?」

 

 強がるように笑いながら、怯える馬を励ますように告げた。

 その言葉の意味を知ってか知らずか、ぶるると鼻を鳴らした馬は先程よりも慎重な足取りで脚を進め、ゆっくりとだが確実に道を進んでいる。

 

「おい!何やったんだ、置いてっちまうぞ!」

 

 だがのろのろと進む彼を急かすのは、遥か先を進んでいる灰狼だ。

 自分と同じで馬を引いて細道を進んでいる筈なのに、獣人故か馬との阿吽の呼吸を発揮してすいすいと進んでいく彼は、苛立ちを隠そうともしない。

 ただですら時間がないのだ。夜になるまでにここを抜けなければ、文字通り一寸先も見えない状態でこの崖の道を進むことになる。

 種族や立場は違えど、お互いにそれだけはごめんだという認識は変わらないようで、急かすだけ急かした彼は再び前を向いて馬を先へと進ませた。

 容赦ないなと彼の背を見つめながら肩を竦めた銀髪の青年は、少しだけ、本当に少しだけ馬を急かすように軽く手綱を引いた。

 引っ張られた馬は不満そうに鼻を鳴らすが、行くしかないというのはわかっている為か、先を目指して歩き出す。

 そんな彼らを見守るように、一羽の鷲が頭上を旋回していた。

 

 

 

 

 

「次は鴉人(コルバス)の集落を目指してもらう。場所は北西の国境だ」

 

 反乱軍本拠地。銀髪の青年にあてがわれたあばら家に、金髪の圃人の凛とした声が静かに響いた。

「鴉人」とオウム返しした銀髪の青年が卓につくと、彼と対面する位置に金髪の圃人も卓につき、蚕人の女王が飲み物を出そうと台所に消えていった。

 そんな彼女を見送った銀髪の青年は卓に頬杖をつきながら小さく唸る。

 

「話には聞いたことがあるが、会ったことはないな」

 

 この国に来てから多くの亜人と関わることになっていたが、ここに来て更に初見の種族を相手になるとは。

 鴉人。凶兆の象徴だとか、逆に神聖なものだとかと言われている鳥人の一種。カラスの相が強く、黒い羽毛が特徴だという。

 戦場では類稀な偵察役として重宝され、どこかの国には鴉人(レイブン)の傭兵団があるとかないとか。

 そんな鴉人に直に会う事が叶うのだ。この国は冒険に満ちていると不敵な笑みを浮かべる彼を他所に、金髪の圃人は神妙な面持ちで彼に言う。

 

「彼ら自身、前王の頃からある程度の距離を保ってはいたんだが、やはり亜人狩りの対象にはなっていた。前回の反乱の際も、戦列には加わってくれた」

 

 だが、結果はこの通りさと自嘲するように笑った金髪の圃人は、ちらりと窓の外──活気はあれど未来はない同胞たちの姿に目を向けた。

 前回の反乱の事は簡単にしか説明されていない。亜人や前王派の人々が結託し、王を討たんと剣を掲げたが、何者かの裏切りにより敗走。その戦いに参加した者たちはそれぞれの集落に戻り、それぞれのやり方で身を守り、時には敗れて服従を強いられる。

 この場にはいないが鉱山街の鉱人たちや、蚕人たちも、そういった事情であの惨状を引き起こしてしまったわけだが、彼らも彼らなりに頑張ってはいたのだ。

 だが今回の相手である鴉人は、他の種族とは違う。

 

「鴉人たちの集落は国境沿いの山脈の中腹にある。場所が場所だからか、国軍も大規模な討伐隊を派遣することもせず、ただ様子を見ているだけ。今までの亜人(どうほう)たちに比べれば、致命的な被害は被ってはいない筈だ」

 

 金髪の圃人は頭の中で地図を描き、彼らの拠点のだいたいの場所を思い出しながらそう告げて、「今回は交渉が中心になるだろうね」とどこか試すような視線を銀髪の青年に向けた。

 

「俺は切った張ったが専門なんだが……」

 

 当の彼は困り顔で肩を竦めながらそう返し、「失敗しても文句言うなよ?」と念を押すように告げた。

 彼は冒険者だ。冒険者は依頼に沿って危険な遺跡や洞窟に飛び込み、それらを潜り抜け、時には障害を斬り伏せ、奥に眠る戦利品を手に入れる。それが冒険者だ。たまにある用心棒や決闘裁判の代行ならまだしも、言葉のみの交渉事に引っ張り出される職業ではない。

 実際問題、銀髪の青年はそういったものが苦手だ。交渉して落とし所を見つけるのは大事だが、時には暴力が問題を解決する最善の手である事もある。

 だが言葉のみでどうにかしろと言うのなら、依頼主の希望に沿うのもまた冒険者だ。多少専門外な事を頼まれても、最善を尽くす他ない。

 

「その心配はねぇよ」

 

 さてどうしたものかと悩む銀髪の青年の耳に、不意に聞き馴染んだ声が届いた。

 む、と小さく唸りながらあばら家の玄関に目を向ければ、そこには腕を組みながら不敵に笑う灰狼の姿があった。

 銀髪の青年が「いつの間に」と驚くと、「今来たとこだ」と返してどかりと卓に腰を降ろす。

 

「行儀が悪いぞ」

 

 そんな彼を睨みながら金髪の圃人は苦言を呈するが、灰狼はそれを気にする様子もなくハッと鼻を鳴らした。

 

「俺からすりゃ、そんな椅子に座ってんのがわかんねぇんだがな。そこら辺に胡座かいて集まりゃ、そこがその日の食卓だ」

 

「狼人の食事風景をあれこれ考えるのもいいが、さっきの心配はいらないというのはどういう意味だ」

 

 異文化への関心はそれなりにあるが、今知るべきは次の依頼についてだ。灰狼は心配ないと言ったが、その言葉の意味を知らねば仕事に取り掛からない。

 

「ああ、そりゃ──」

 

「お水をお持ちしまし──ふ、増えていらっしゃるのなら声をかけてくださいまし……」

 

 そして彼が説明しようと口を開いた瞬間、間が悪く蚕人の女王が台所から戻ってきた。

 両手で持つ盆の上には、並々と水が注がれた小さな杯が三つ。おそらく自分の分も用意していたのだろうが、灰狼がきたせいで個数が合わなくなってしまい、それに狼狽えている様子だ。

 

「すまない、助かる」

 

「ありがとう」

 

「おう、悪ぃ」

 

 だがそうしている隙に三人はそれぞれ感謝の言葉を口にしながら杯を受け取り、それを呷った。

 ごくごくと喉を鳴らして飲んだそれは、井戸から汲んできてくれたものなのか痛いほどに冷たく、喉を潤すと共に更に意識を研ぎ澄ませてくれる。

 自分の分がなくなったと見るからに落ち込む蚕人の女王だが、それに気づいた銀髪の青年は半分も飲まない内に杯を彼女に差し出した。

 それを受け取った彼女は「へ?」と声を漏らすが、彼が「飲まないのか?」と問うて首を傾げた。

 飲みたそうにしていたから差し出したというだけなのだが、彼女の胸中にあるのは別の感情だ。

 

 ──こ、これは間接とはいえ接吻(キス)というものにあたるのでは……っ!?

 

 彼を憎からず思っているとはいえ、正式な婚姻はまだだ。それなのに間接的にとはいえ彼との初めての接吻となると、この水を飲むという行為だけでも彼女にとっては計り知れない事だ。

 

「い、いただきます!」

 

 顔を耳まで赤くしながらも、意を決した彼女は勢いよく応じ、残りの分を呷り、こくりと喉を鳴らして嚥下した。

 ただ水を飲んだだけなのに、はふとどこか恍惚の表情を浮かべるその姿は不気味なものではあるが、三人はすぐに仕事の話に戻ろうと視線を合わせた。

 

「で、今回はこいつが同行者か?」

 

 隣の灰狼を顎で示しながら問うと、金髪の圃人は「その通りだよ」と応じて灰狼に視線を向けた。

 

「彼ら狼人と鴉人は、それなりに交流があったそうだからね」

 

「ああ。俺がガキの頃は、親父らの指示で鴉人のガキどもと狩りに行ってたからな。今のあいつらの頭目も、まあ多分顔馴染みだ」

 

「多分って、そこは嘘でも断言して欲しいんだが」

 

 銀髪の青年はどこか曖昧な言葉を告げられた事に不安を口にすると、灰狼は「仕方ねぇだろ」と舌打ち混じりに言う。

 

「前に関わったのは只人どもの王が生きてた頃だ。二十年も前だぞ。知り合い全員が亜人狩りに殺られてても不思議じゃねぇ」

 

 その知り合いたちの顔を思い出したのか、彼は苦虫を噛み潰したような表情になりながら「まあ、あいつらなら殺しても死なねぇだろうが」と強い信頼を感じされる声音でぼそりと呟いた。

 

「俺が産まれるよりも前から繋がりがあるのか、なら刃傷沙汰にはならないか」

 

 銀髪の青年がその呟きに得心しながら頷くと、灰狼と金髪の圃人、蚕人の女王の三人が何故か驚いた様子を見せながら彼に目を向けた。

 一斉に視線を向けられた銀髪の青年は「なんだ」と怪訝の表情を浮かべながら問うと、代表するように灰狼が告げた。

 

「お前、歳はいくつだ」

 

「十八だが、それがなんだ」

 

 彼の問いに銀髪の青年はなんて事のないように返すと、三人は信じられないと言わんばかりに言葉を失い、青年にとっては謎の静寂があばら家を支配した。

 

「冒険者様、と、年下だったのですね」

 

「少なくとも二十五は超えてると思ってたんだが」

 

「そういえば、年齢は聞いていなかったな」

 

 そして蚕人の女王が意外そうにしながら、灰狼が遠回しに老けていると馬鹿にしながら、金髪の圃人が今さら気づいた事実に苦笑しながら、三者三様の反応をもって彼の年齢問題を受け止めた。

 彼らの反応にじとりと半目になりながら睨んだ銀髪の青年は、自分の顔に触れながら「そこまで老けこんでいるか?」と隣の蚕人の女王に確認。

 彼女は困り顔になりながら微笑むと、「老けているのではなく、大人びて見えるのですわ」とフォローを入れた。

 

「……なら、いいんだが」

 

 どこか遠くを見つめながらぼそりと呟いた彼は、わざとらしく溜め息を吐きながら項垂れた。

 仕事中、基本的にフードを被っているものだから歳を間違われるのは慣れていたつもりだが、今になってそれは一期一会の相手だったからだと気づいたのだ。

 それなりに長い期間──金髪圃人に関しては二ヶ月は一緒にいる筈なのに間違われるのは、それなりのショックは受ける。

 意外と繊細だったんだなと自分の新たな一面に気づきつつ、咳払いと共に顔をあげて「で、出発はいつだ」と金髪の圃人、灰狼に問いかけた。

 

「今、馬の準備を進めているところだ。険しい山岳部に行く事になるから、蹄鉄を変えてやらないと」

 

「俺はいつでも問題ねぇ。馬と、テメェの準備が終わったらすぐに出るぞ」

 

 金髪の圃人、灰狼はそれぞれの立ち場から言える事を言うと、銀髪の青年は「了解だ」と返して顎に手を当てた。

 国境沿いの山岳部。滑落防止の縄や、その縄をかける楔も必要だろう。あとは武器を落とさないように留め具をいつも以上に絞めておくべきかもしれない。

 

「ついでに予備の武器でも見繕うか」

 

「倉庫に『暗剣』の武器がまだ余っていた筈だ。必要なら持っていくといい。俺が一緒なら見張りも入れてくれる筈だ」

 

「そうか。なら、他の準備が終わったら声をかける」

 

「わかった。俺はいつもの指示所にいる、できれば早めにきてくれ。こう見えて忙しいんだ」

 

 銀髪の青年の呟きを発端に、金髪の圃人が次の行動を指示を出し、銀髪の青年はそれに応じて首肯した。

 いいのがないのならそれでいい。交渉が中心だとしても、この国に来てから今日に至るまでの経験からして、万事予定通りに終わることはないだろう。万が一に備え、少しでも手札を増やしておくのは無駄ではない筈。

 

「んじゃ、俺は行くぞ。ガキどもにしばらくいねぇのを説明しなきゃならねぇ」

 

 そんな二人のやり取りが終わった頃を見計らい、灰狼が嘆息混じりに面倒くさそうな声音でそう告げ、「あばよ」と背中越しに手を振りながら足速にあばら家を後にした。

 壊滅寸前まで追い込まれた狼人らにとって、この灰狼こそが最後の希望であり、一族復興の象徴だ。そんな彼がしばらく不在となるのだ、狼人らにかなりの不安を植え付ける事だろう。子供となれば、なおさらに。

 何も言わずに行くわけではなく、きちんと説明してから行こうとするあたり、口調こそ荒っぽいが、言動の節々に感じる性根にある優しさが感じられて、銀髪の青年は微笑ましいものを見るように彼を見送った。

 

「俺もここで失礼しよう。さっきも言ったが、意外と忙しくてね。そろそろ女戦士(アマゾネス)の集落に遣いを送らないといけないし、まだ生きているのなら、前回の反乱の生き残りを見つけなければ」

 

 金髪の圃人がそう言いながら椅子から飛び降り、立てかけた薙刀を回収してあばら家を後にしようとするが、彼が告げた言葉に銀髪の青年は疑問符を浮かべた。

 

「生き残りがいるのか?話を聞いた限りだと、かなりの痛手を被ったそうだが」

 

「俺たちはあくまで亜人の反乱軍だ。只人の反乱軍──旧王家に仕えた騎士たちがまだどこかにいる筈。彼らと連絡が取れれば、もう一度立ち上がってくれる。……かもしれない」

 

 金髪の圃人からの返答はどこかにいる筈、かもしれないと、普段であればきっぱりと言い切る金髪の圃人にしては珍しい、ひどく曖昧で希望的観測が多大に含まれた内容だった。

 彼としても戦力が欲しい。アマゾネスたちに頼るのは決定事項だとしても、旧王家の騎士たちが生きているという根拠も、どこを根城にしているかの情報もない。

 言ってしまえばいない可能性の方が高く、見つけたとしてもどれだけの戦力になるのかも未知数。下手に人員を割いて探すよりも、その時間で訓練をさせた方が肝心の本番(クライマックス)での失敗(ファンブル)も減らせる。

 

「まあ、こっちは派手に暴れているんだ。噂が広まれば、向こうから声をかけてくるかもしれないぞ」

 

 そんな内心での思慮を他所に、銀髪の青年は楽観的に笑いながらそう告げて、反乱軍のを背負って立つ小さな背中を叩いた。

 

「とりあえず、目の前の事からこなしていくしかない。俺も、お前もな」

 

「……ああ。そうだな」

 

 彼の励ましとも言える言葉に金髪の圃人は苦笑混じりに応じると、「それじゃ、待っているよ」と告げてあばら家を後にした。

 玄関を抜けて段々と小さくなっていく背中を見送りながら、銀髪の青年は黙って待っていてくれた蚕人の女王の方に振り向いた。

 

「というわけだ。今から準備をするから──」

 

「お手伝いいたしますわ!」

 

「そう言うと思った。頼む」

 

 そして彼の留守の隙に鎧の着付けを学んできたらしい蚕人の女王は勢いよく応じ、銀髪の青年もまた微笑み混じりに頷いた。

 彼女も彼女なりに出来ることを探し、それを完璧にできるように日夜努力しているのだ。それを生かす機会があるのなら生かしてやるべきだし、万が一があった時、このやり取りが彼女との最後の思い出になる可能性もあるのだ。

 

 ──なら、せめて少しでもいい思い出になるように。

 

 出会ったばかりの頃の着付けは不安しかなかったが、今なら大丈夫。

 

「冒険者様。さあ、こちらに」

 

 優しく笑みながら装備を押し込んである部屋を手で示し、銀髪の青年は「ああ」と応じて部屋に入る。

 それからしばらくは静かなものだったが、「あれ?」「ここを、こうしまして」「えっと……」とどこか緊張し、上擦った蚕人の女王の声が聞こえ始め、銀髪の青年の嘆息の音がその後に続く。

 やはりまだ完璧にはいかないようだ。

 

 

 

 

 

 そんなやり取りから幾日か。崖からの滑落により、彼女との思い出が本当に最後になりかけたのも、つい十数分前。

 

「やっと抜けられたな」

 

「ああ。ったく、こんな道しかねぇとか冗談だろ」

 

 ようやく崖の細道を越え、ある程度道幅も広まって余裕ができたのを合図に、銀髪の青年はほっと胸を撫で下ろし、灰狼は悪態混じりに足元の小石を蹴った。

 カツンカツンと乾いた音と共に転げ落ちていき、近くの岩に当たって砕け散ったそれは、下手をすれば自分たちがそうなっていたと感じさせて背筋に冷たいものが駆け抜けた。

 だが、とにかく難所は超えたのだ。あとは比較的簡単に行けるだろう。

 

「だが、肝心の集落はどこだ?もっと上なのはわかるが」

 

 鷲と視覚を共有し、山肌を俯瞰しながら偵察しつつそう呟くと、灰狼は「まだまだ上だろうな」と岩肌を見上げながら舌打ちを漏らした。

 鴉人はその名の通り、カラスの相を持つ種族だ。空を飛べる彼らからすれば、陸路が多少不便でも気にはすまい。只人の軍から攻め込まれる可能性が高いのならなおさらだ。

 

「そろそろ馬じゃ無理か」

 

「そうだなぁ。ここら辺に置いていくか」

 

 灰狼にならって岩肌を見上げた銀髪の青年は馬が通れそうな道を探すが、やはりと言うべきか中々見つからない。

 今通っている道ももう少し上まで続いているが、そこで終点。肝心の集落には繋がっていない。

 銀髪の青年はどうしたものかと唸りながら溜め息を吐くと、彼の耳にばさりと何かが羽ばたく音が届いた。

 

「今の、聞こえたか」

 

 彼は緩んでいた意識を瞬間的に引き締め、腰に下げる暗剣の柄に手をかけながら問うと、灰狼は目を細めて音の主人を探しながら言う。

 

「狼人舐めんな、聞こえてる。テメェの鷲じゃねぇよな?」

 

 そしていつも連れている鷲ではないかと問うてくるが、肝心の鷲は馬の鞍に乗って羽休めをしており、犯人からは即刻除外された。

 二人に見つめられた鷲は不思議そうに瞬きを繰り返すが、すぐに気にしなくなったのか羽をいじり始めた。

 そんな中でもばさり、ばさりと羽ばたく音が二人の耳には届いており、その音が段々と大きくなってきているのだ。

 直後、銀髪の青年の耳に羽ばたきとは違う、明確にこちらを狙い、殺さんとしているが、何を言っているかはわからない『囁き声』が頭の中に響き始めた。

 父に課せられた修行の中で身につけた、曰く『第六感からの警告』を感じた彼は素早くタカの眼を発動し、殺意の方向を探ろうと辺りを見渡すが、後ろは断崖絶壁崖、前は壁、左右は道。相手が只人なら左右を警戒するが、羽ばたきの音も聞こえてくるのだ。警戒すべきは全方位。

 いや、タカの眼が教えてくれる。警戒すべきは、

 

「上か!」

 

 銀髪の青年が殺意の主人の位置を特定し、迎撃せんと勢いよく顔をあげた瞬間、彼の視界を凄まじい光が塗りつぶした。

 今はまさに真昼間だ。大地をあまねく照らす太陽は彼らの直上にあり、銀髪の青年は間抜けにもそれを直視する結果となってしまった。

 太陽による目潰しに声もなく悲鳴をあげる銀髪の青年だが、灰狼は「馬鹿か、テメェは!」と間抜けを晒す彼に怒鳴りながら目を手で庇いながら頭上を警戒。

 太陽を背にする黒い点が、段々とこちらに近づいてくるのを視認し、同時にどこか嬉しそうに笑いながら「向こうから来やがったぞ」と悶える銀髪の青年に告げた。

 

「来たって、何がだ」

 

「俺たちが探してた奴がだよ!」

 

 目を擦りながら頭上を警戒する銀髪の青年からの問いかけに、灰狼はもはや喜びを隠すつもりもなく牙を剥き出しにして笑いながらそう告げた。

 直後、一際力強く羽ばたく音がしたかと思えば、黒い影が二人の前に降り立った。

 

「灰色の。久しいな、幼き日に共に狩りをして以来か」

 

 同時に二人の鼓膜を揺らしたのは、凛としていながらも透き通る程に美しい女の声だった。

 ようやく視力が回復した銀髪の青年は慌ててその声の主に目を向け、同時に言葉を失った。

 鳥人というからどんな相手かと身構えていたが、彼の視界に真っ先に飛び込んできたのは整った顔立ちだった。只人のそれに近い顔立ちではあるが、只人と比べて目が大きく、鼻と唇が僅かに尖っている程度は気にもならない。

 蚕人の女王とは真逆の、四肢を包む艶やかな濡羽色の羽毛。同色の髪。それらを着飾る美しい装飾品も、その美しさが褪せて見えてしまう。

 こちらを見つめる澄んだ瞳。纏う鎧は見事な曲線を描く奇怪な形をしているが、その上からでもわかるほど簡単に折れてしまいそうな華奢な身体に対し、胸の辺りが膨らんでいるのはそこの豊かさを示しているからだろう。

 何より目を引くのは、両の手足だろう。顔や身体は只人のそれに近しいが、両腕はそのまま翼となり、地面を踏み締める脚は鳥を思わせる爪が鋭く伸びている。

 だが、それが何の問題があろうか。銀髪の青年は十八年生きてきた中で、久しく忘れていた感覚を思い出していた。

 

「そちらの青年は見た限り只人のようだが、蹴り倒しても構わんか?」

 

「あ?駄目だ。俺の連れだ」

 

「そうか。お前の連れだというのなら、敵ではあるまい」

 

 鴉人の女戦士──鴉羽は灰狼の言葉にとりあえず警戒を解くが、いつまでも黙り込んで微動だにしない彼を見つめながら、小首を傾げた。

 

「どうかしたのか?何か言いたいことでもあるか?」

 

 そして神妙な面持ちでそう問いかけると、銀髪の青年はハッとして「いや、大丈夫だ」と返して深呼吸を一度。

 

「……?ならいいんだが」

 

 彼の何か隠しているような声音を感じてか、彼女は怪訝な表情のままとりあえず応じると、灰狼が銀髪の青年の脇を肘で小突いた。

 

「おい。どうしちまったんだよ、いきなり」

 

「いや、本当、なんでもない」

 

 彼の心配とも取れる言葉に銀髪の青年は気丈に笑いながら返すと、パンパンと頬を叩いて気合いを入れ直した。

 今は仕事中だ。目の前の物事に集中しなければ、それこそ本当に屍を晒すことになる。

 ……だが、しかし。先程のあれは言い訳ができまい。

 

 ──異性に見惚れるとは、俺もまだまだだな……。

 

 蚕人の女王の時は全てが終わった時であったが、今は違う。正確にはここからが本番であり、気を引き締めなければならないのだ。

 銀髪の青年はいまだ未熟な部分を突きつけられた嫌な気分を振り払い、鴉羽の先導に続いて馬を引いて山道を進み始める。

 山を吹き抜ける風の音に耳を澄ませば、かすかに誰かの談笑の声や、羽ばたきの音が聞こえてくる。

 目的地は意外に近かったようだ。銀髪の青年はその事実に苦笑しつつ、先ほどの不甲斐なさがぶり返し、深い溜め息を漏らした。

 とにかく仕事だ、仕事と自分に言い聞かせ、意識を前と一歩を踏み出す足場に集中する。

 何度も言うようだが、冒険者が何でもない所で滑落死など笑えない。

 

 ──せめて死ぬなら壮絶な冒険の中で。

 

 銀髪の青年はそう思いながら、慎重に足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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