SLAYER'S CREED 継承   作:EGO

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Memory02 新天地

 一月かけて大海原を縦断した商船。

 その一室にいる銀髪の青年は、黙々と装備を整えていた。

 腰には直剣(ロングソード)を帯び、左腕には円盾を括り、背中には帯を通した長筒(ライフル)を背負う。

 革鎧の具合を確かめて肩を回し、腰帯にら海賊から奪い、腰に取り付けた拳銃嚢(ホルスター)と、雑嚢とは別にこれまた拝借した弾丸鞄を固定する。

 父は大半の道具を雑嚢に放り込み、その全てを必要の時に迷うことなく取り出したというが、やはり多少かさ張っても分けておいた方がいざという時に迷わずに済む。

 そういう意味では父の背は遠いが、出来ないことを出来ないと割り切るのは大事だと、銃の扱いと共に教えてくれたのは父だ。

 おかげで自称姉である上の森人から、彼ら式の弓術──只人であれをするのは無茶だ──を教えられずに済んだ。

 それを残念と思うか、良かったと思うかは人それぞれではあるが。

 

「……とにかく、急ぐか」

 

 そんな事はどうでもいいのか、銀髪の青年は頭を振って装備に意識を戻した。

 籠手の具合を確かめながら手の甲に銅貨を仕込み、手の動きの邪魔になっていないかを数度手を回すことで確認。

 鉄板の仕込まれた革の長靴も、爪先で床を叩いて心地を確かめ、いつも通りなら一安心。

 知り合いの冒険者たちはもっとらしい格好をしろと言うのだが、やはり多少格好が悪くとも使い慣れたものが一番だ。

 

「よし」

 

 最後に籠手とは別に手首に巻かれたものの具合を確かめて、彼は小さく頷いた。

 上の甲板では船員たちが慌ただしく走り回っており、そろそろ荷降ろしが始まる頃だろう。

 鎧の上から外套を羽織り、試しに頭巾を被って解れがないかを確かめる。

 あれば縫うだけだが、とりあえずは問題なさそうだ。

「さて……」と声を漏らした銀髪の青年は頭巾を脱ぎ、船員に何かしてやろうかと考えながら部屋を出る。

 何か物を渡しても、賄賂だのと思われれば彼らも面倒だろう。

 ならばやはり、仕事を手伝ってやる程度が無難だろうか。

 船内を進みながら、あれでもないこれでもないと思慮をし、最終的に何かを思い付く前に甲板へとたどり着いてしまった。

 照りつける陽の光に目を細め、脱いだばかりの頭巾を被ろうかと手を伸ばすが、

 

「おう、あんた!余裕があるならあっちを手伝ってくれ!」

 

 二人かがりで長持を運んでいた船員が、顎で甲板の端を示しながら前を通りすぎた。

 その先を見てみれば、まだ年若い船員──成人して間もないか、成人前の見習いだろう──が一人で長持をあげようと躍起になっており、ずるずると音をたてて引きずっている始末。

 あれでは長持にも、甲板にも傷がついてしまうだろうに。

 銀髪の青年は小さく肩を竦めると、左腕の円盾を外して背中に回し、両手を自由にした。

 そのまま足音をたてずに件の長持に近づき、それと格闘している若い船員の反対側につく。

 

「手伝うぞ」

 

「え!?あ、あの、でも、お客さんですよね……?」

 

 若い船員はそう言って遠慮するが、銀髪の青年は微笑み混じりに告げる。

 

「ここまで運んでくれた礼だ。何も言うな」

 

 同時に片目を閉じ(ウィンクし)てやれば、若い船員はぱっと表情を明るくしながら「お願いします!」と頭を下げた。

 二人で息を合わせて長持を持ち上げて、甲板と桟橋を繋ぐ渡し板を通り、ようやく上陸。

 樽の上からあれやこれやと指示を出す船長を横目に、長持が並ぶ場所へと運び、中身をひっくり返さないように優しく置いてやる。

 

「……中身はなんだ」

 

 冒険者として鍛えてはいるし、何なら一人でも行けそうではあったが、存外に重かったそれを見下ろしながら首を傾げる。

 中身を見てやろうかとも思ったが、そんな事をすれば船長たちにも迷惑をかけてしまう。

 隣で俯きながら膝に両手を置き、ぜえぜえと荒れた呼吸をしている若い船員は、「武器、だったと思います」とぼそりと呟く。

 

「武器。大きさからして、剣の類いか?」

 

「それはわかりません。えっと、ありがとうございました」

 

 銀髪の青年の問いかけに若い船員は首を振ると、姿勢を正して頭を下げた。

 銀髪の青年は「気にするな」と笑い、船長に呼ばれて船へと戻っていった若い船員を見送ると、改めて辺りを見渡した。

 高波に備えてか高い石垣状の堤防が海岸と陸を分断し、要所要所にある検問代わりの大門は、商人から漁師、旅行客まで、街に入ろうとしている人々でごった返している。

 何度か顔を出した故郷の王都も、入る際はあんな感じだったなと、懐かしく思いながらも息を吐く。

 そんな懐かしむほど昔でもないのに、何をやっているんだと自分が可笑しく思えてきたのはその直後。

 

「あ、あの……!」

 

 その背中に声をかけたのは、戻ってきた若い船員だ。

「どうした」と問いながら振り向いてみれば、彼の手には何やら書類が握られている。

 

「船長が、街に入るなら必要だろうって」

 

「ああ。そういえば、まだだったな」

 

 書類には故郷の商会ギルドの紋様の判子が押され、そこには銀髪の青年に関するあれこれが書かれている。

 まあつまり、『彼の身分は我々が保証するから、入国させてやってくれ』といった旨の、商会ギルドが扱う通行証代わりの書類だ。

 これがなければ、下手をすれば密入国者扱い。そのまま牢獄まで直行の可能性さえもあるのだ。

 それを忘れるとは、母にも言われ、否定はしたのだが、変なところで抜けているのは事実かもしれない。

 差し出された書類を受け取り、ざっと目を通した銀髪の青年は「助かる」と一言だけ告げた。

 書類もある。装備も整えた。ならば、後は進むのみ。

 ちらりと船長に目を向けてみれば、早く行けと言わんばかりにしっしっと指を振られた。

 一応感謝の意を込めて一礼し、賑やかな港に背を向けて門を目指して歩き出す。

 律儀に順番待ちの列の最後尾に並び、少しずつ捌けていく流れに身を任せる。

 数分してたどり着いたのは、上等な金属鎧に身を包み、これまた上等な剣や槍も帯びた兵士の前だ。

 その見事な装備はどれも陽の光を反射して鋭く輝き、その立ち姿は物語から飛び出してきたかのようだ。

 故郷の騎士を思わせる格好だが、帯びる雰囲気は彼らの比ではない。

 なんと言えばいいのか、兵士になったばかりの若者に、騎士らしい格好をさせて立たせているだけ。

 

 ──案山子(かかし)だな……。

 

 畑に三叉を持たせた藁人形を置き、鳥を追い払う。彼らの格好はそれと同じことだ。

 見せかけだけの、技量が伴っていない雑兵。

 少々辛辣ではあるが、そうとしか言いようがないのが現状だろう。

 けれど彼らがいなければ、ここは混乱の極みになるだろう。どんな格好であれ、形だけでも番兵は必要だ。

 潮風に晒されて、あの高そうな鎧が役目を果たす前に錆びないのだろうかと心配にもなるが、毎日しっかりと手入れしているのだろう。

 国の軍なのだから、それくらいは当然の筈。

 

「通行証を」

 

 騎士は緊張しているのか上擦った声を漏らし、震える手を出して書類を要求。

 商人だの漁師だのの相手をしていたら、突然完全武装の男が出てきたのだ。緊張するのは当選のことだろう。

 彼らは銀髪の青年の予想した通りに新人で、訓練でも着ないような鎧を着させられて、ここにいるのだ。

 動きつらい事を除けば、ほとんど立っているだけでも給料が貰える。これほどいい仕事はあるまい。

 

「つ、通行証を……」

 

 だが、目の前の男の相手ははっきり言って参る。

 蒼い瞳がまっすぐこちらを見つめ、相手は立っているだけなのにこちらが息苦しくなるような圧力を感じる。

 

「ほら」

 

 銀髪の青年は手に持っていた書類を差し出し、騎士へと手渡す。

 受け取った騎士は書類に目を通し、不備がないかを確認。

 外見情報の正確さ。持ち込む武具。それら、彼の身を保証する商会ギルドの印。

 

「問題ありません。どうぞ、中へ」

 

 書類を返しながら告げた言葉に、銀髪の青年は「助かる」と笑み混じりに頷いて書類を受け取った。

 

 ──笑えるのなら、最初からそうしてくれよ……。

 

 騎士は兜の下で冷や汗を流しながら、「ど、どうも」と声を出して小さく一礼。

 その脇を抜けていった銀髪の青年は「頑張れよ」と一応の声援を送り、その肩を叩いた。

 それだけで大きく体勢を崩すのだから、この若者は騎士見習いもいいところだろう。

 銀髪の青年は苦笑しながら門を潜り、念願の港街へと足を進めた。

 暗い堤防の中を抜け、再び陽の光の下に出れば、そこはもう街の中。

 まるで王都のような活気に溢れ、行き交う人々は笑顔を浮かべ、子供たちがきゃっきゃっと楽しそうに声を出しながら走り回る。

 大通りには露店が並び、野菜や果物、片手で食べられる料理など、見ているだけでも退屈しない品揃え。

 それを売らんと店主たちは声を張り上げ、哀れにも立ち止まってしまった客は仕方がないと言わんばかりに財布を取り出す。

 誘惑に負けずに大通りを抜けていった人たちは、結果的に酒場や賭博場に消えていく辺り、金を落とすという結果は変わらない。

 だがしかし、それはどんな街だって違いはあるまい。

 金が回らなければ国は動けず、国が動けなければ人は死ぬ。

 少なくとも、そんな飢餓だの疫病だのの影が見えないというのは。

 

 ──平和だ。

 

 つまりはその一言に尽きた。

 港から続く大門の脇で、それを噛み締めた銀髪の青年は微笑み混じりに息を吐き、ようやく手に汗を滲ませていたことに気付く始末。

 存外に緊張していたのかと苦笑して、外套の端で軽く拭う。

 寂れて、静かな街というわけではなさそうだし、警羅する兵士たちもやる気に満ち、市民も彼らを頼っているのか、尊敬にも似た念を抱いている。

 少なくとも、治安が悪いというわけではあるまい。宿屋を見つけて、とりあえずの拠点を見つけるのにはいい場所だろう。

 そして、初めて来た街で最初にやることはただ一つ。

 

「……高台はどこだ」

 

 街を一望できる場所(ビューポイント)を見つけ、地形を頭に叩き込む(シンクロする)こと。

 母は何とも言えない顔をしていたが、父は自慢げな顔でそう教えてくれた。

 言葉の意味は今でもわからないが、地形を覚えることはとても重要なことだ。

 道に迷って宿に帰れず、一晩路地裏で過ごすなど、物乞いに荷物と有り金をを全て差し出すようなものだ。出来るなら避けたい。

 最悪干し草の山に入ればいい。あれはあれで居心地はいいのだ。

 だが、ベッドがあるのならそこで眠りたい。一応の長旅で疲れているのだ。しっかり寝て、明日に備えて身体を休めておきたい。

 銀髪の青年は小さく肩を竦め、口笛を吹いた。

 ピィーと甲高い音が微かに響き、音に誘われた鷲が頭の上に止まる。

 

「キィ」

 

「……とりあえず、目を貸してくれ」

 

「キィ!」

 

 彼の声に応じると、鷲は翼を広げて飛び立っていった。

 今や街を守る外壁となった堤防に背を預け、ゆっくりと目を閉じて意識を集中。

 視界が真っ暗に暗転し、瞳が見えない何かと繋がった感覚を得た瞬間、目は開けずに『眼』を(ひら)く。

 人と同じ視線で街を見渡すのではなく、空から街を俯瞰する視線へと切り替わる。

 耳元では翼が羽ばたく音が聞こえ、それに合わせて視界が揺れる。

 相棒である鷲と呼吸を合わせ、心を通わせ、その瞳を借り受ける。

 父があることを切っ掛けに使えるようになったと言うこれは、何の因果か自分も使えるのだ。

 道を行き交う人たちを見下ろし、時には見上げてくる人々と視線を合わせながら、高台(ビューポイント)をさがして辺りを見渡す。

 街の随所にある櫓を思わせる高台には、やはりと言うべきか弓兵たちがいるし、そもそも潮風を嫌ってか高い建物というものがない。

 銀髪の青年は溜め息を吐き、鷲も困ったように項垂れた。

 そして気を取り直して辺りを見渡し、あるものを見つけて「キィ!」と鋭く一声鳴いた。

 鷲の視界の先にいるのは、街の端にある寂れた神殿だ。

 今でも使われている街中の神殿とは別に、かつて使われていたであろう、見るからにぼろぼろな木造建築。

 手入れをすれば長持し、海ではなく街を照らし、人々を集める象徴にも出来ただろうに。

 それをしなかったのはこの国の王が怠惰だったからか、あるいはそれに回す金がなかったからか。

 

 ──まあ、助かるが……。

 

 今はそれに感謝しつつ、銀髪の青年は目を開けた。

 視界が本来の自分のものになり、行き交う人々と視線があう。

 

「行くか」

 

 銀髪の青年は静かに告げると、目深く頭巾(フード)を被った。

 これも父に言われたことだが、余所者というのは嫌に目立つそうだ。本人が隠れていたり、普通に過ごしていたりしているつもりでも、端から見ればわかるという。

 随意と今更な気もするが、忘れ去るよりはいいではないか。

 

 ──数分とはいえ忘れるほどに浮き足たつとは、子供と言われても言い返せないな……。

 

 まだまだ未熟と言い聞かせ、鷲が自分の頭上に戻ってきた事を合図に歩き出す。

 とりあえず街を見ながらゆっくりと進めばいい。

 道に迷えば、最悪屋根に登って真っ直ぐ走ればいいだけなのだから。

 

 

 

 

 

「いやー、いい街だ」

 

 銀髪の青年はぼろぼろの神殿の屋根の上にいた。

 今にも折れてしまいそうな、風車を模した飾りの上に、恐れることなく仁王立ち。

 風車は交易神の印だ。ここは交易神の神殿だったのだろうか。

 その疑問を脇に置いて、黙々と真っ赤な林檎を齧りながら、ここまでの道中を思い出す。

 持ち金をこの国のものにする換金所の店主は、口こそ悪かったが根はいい人なのはわかった。

 根っこから腐っている人間(ヒューム)が、あんな来る人来る人に好かれ、それに爽やかな笑みで応じられる訳がない。

 その後に寄った果物屋の女主人も、こちらが旅行客と見るや林檎をおまけしてくれた。

 ぼったくらずに余分にくれるとは、あの(ヒューム)もまたいい人なのだろう。

 行く先々で人びとの笑顔が見られたし、何なら笑顔を分けてもらえたし、今のところは来られて良かったという思いが強い。

 だが、疑問もある。

 

 ──只人(ヒューム)しか見なかったな……。

 

『どこにでもいる。故に只人(ヒューム)なのだ』と師の一人が言っていたが、流石にいすぎてはなかろうか。

 いや、只人(ヒューム)が多いのではなく、全くと言って良いほどに亜人(デミ)がいないのだ。

 故郷でも滅多に見なかった──と言っても家に入り浸る人がいたが──蜥蜴人(リザードマン)はともかく、森人(エルフ)も、鉱人(ドワーフ)も、圃人(レーア)もいないとは。

 顎に手をやりながらそこまで思慮した銀髪の青年は、不意に母の言葉が思い出した。

 

 ──お父さんが森人(エルフ)とか鉱人(ドワーフ)とかに会ったのって、この国に来てからなんだって。

 

 その言葉を聞いた頃は、まさか有り得ないだろうと笑ったものだ。

 この広い世界で彼らに出会わずに生きるなど、まず不可能だ。

 街を歩けばすれ違うだろうし、店に訪ねれば鉢合わせることもあるだろう。

 父が貴族でないことは口を酸っぱくして言われたし、あの父が実は箱入りで、屋敷に引きこもっていたということもあるまい。

 だが幼い頃からの疑問も、ここに来てすぐに晴れた。

 こうして街を軽く歩いてみただけでも、一度たりとも亜人(デミ)とすれ違うことがなかったのだ。

 

「さて──」

 

 一つの疑問を解決し、ちょうどよく林檎を芯まで齧った彼は、本来の目的である地形の把握(シンクロ)に意識を傾けた。

 ここから見える範囲の道順。店の場所。兵士の詰所。エトセトラ、エトセトラ──。

 覚えるべき事を、確実に覚えていく。

 それが明日の自分を救うかもしれないし、誰かを助けることになるかもしれない。

 そう思えば、多少の苦労も水に流せるというものだ。

 数秒して辺りを見渡し終えた彼はホッと息を吐き、足元へと目を向けた。

 別に飛び降りられる高さだが、父曰く「干し草だの、着地出来そうなものに飛び込むまでが一礼の流れだ」そうだし、母も「その方がいいよ」と僅かに顔を青ざめさせて言っていた。

 まあ確かに、何の命綱もなくここから飛び降りるのを見られれば、見た相手に相当の心配をさせるだろう。

 おそらくだが、父は母の前で何度もやっていたのだ。その度に、母に心配させていた。

 父は尊敬しているが、ふとした拍子に相手への思いやりがあるのかないのかわからなくなる所は、明確な欠点の一つのように思える。

 我を通すというべきか、変なところで頑固というべきか、そこは父も母も同じの事だが……。

 

 ──俺も、そうなのだろうか……。

 

 その両親の子である自分はどうだと、銀髪の青年は頭を抱えた。

 ほぼ自分の都合で金等級への昇格を蹴ったり、何も考えずにこの国に来ている時点で、もはや悩む必要もないのだが。

 

「……どうなんだろうな」

 

 銀髪の青年は額に手をやったまま低く唸り、意見を求めるように鷲へと目を向けた。

 肝心の彼──彼女か?──は悠々と空を飛んでおり、こちらの視線に気付いた様子はない。

 

「……仕方ないか」

 

 鷲が言葉を話せる訳もない。

 動物との意志疎通ができる『獣心(ビーストマインド)』という術もあるが、それは嗜んでもいない。

 覚えた術はあくまで戦闘向けのものばかり。師たちも、そう言ったものしか教えてはくれなかった。

 いざという時の自衛の為か、あるいは自分が冒険者になることを見越してか、ともかく師たちは様々なことを教えてくれた。

 それを生かす機会があればそれでいいが、ないならないで腐ることもない。

 知識や知恵は、多いに越したことはないのだ。

 

「いや、今はそれどころじゃないな」

 

 そう、今探すべきは着地点だ。着地点。藁の山でも、干し草の山でも、この際小さな池でもいい。

 別にその場なら適当に飛び降りたり、本物の蜥蜴よろしく壁を這って降りてもいいが、やはり跳ぶのならしっかりと跳びたいと思うのは、父の教え故か。

 

「むぅ……」

 

 それも見当たらずに唸った銀髪の青年は、乱暴に頭を掻いた。

 

 ──ないのなら仕方がない。飛び降りるか。

 

 父ほどの拘りはないのだから、別に跳んでしまっても構うまい。

 そして両足を踏ん張り、その身を宙に投げ出そうとした瞬間だった。

 彼の耳に、馬のいななき声と、蹄が地面を蹴る力強い音が届いた。

 何事だと辺りを見渡せば、この襤褸神殿に続く道を、街から馬が駆けてくるではないか。

 意識を集中して鷲の視界を借り受け、改めてその馬を観察。

 先頭を走る馬に乗っているのは、二人の人物。

 身長差からして、一人は大人で一人は子供。外套を被っているため種族はわからないが、大人の方は衣装の胸元が膨らんでいる為、おそらく女性。

 その馬を追いかけているのは、五頭の馬。その背には街でも見かけた兵士たち。

 剣や槍を掲げながら走るその姿は、さながら犯罪者を追いたてる番兵の如く。

 いや、番兵の如くではなく事実彼らは番兵なのだが、遠目からでもわかる鬼気迫る迫力は、少々異質なようにも感じる。

 前の馬に向かって何やら吼えているが、流石に何を言っているかまではわからない。

 どうせ「止まれ!」だのなんだのと、お決まりの台詞(テンプレート)を言っているに違いないのだ。

 それでも止まる気配のない様子に痺れを切らせたのか、兵士の一人が剣を納め、背負っていた弩砲(アーバレスト)を両手で構えた。

 走る馬を操りながら、走る馬を撃ち抜くなど、熟練の冒険者とて難しいと思うのだが。

 銀髪の青年は静かに事を見ることにして、寂れた風車の上にしゃがみこむ。

 バネが跳ねる奇っ怪な音と共に太矢(ボルト)が放たれ、一直線に飛んだそれは前を走る馬の臀部を撃ち抜いた。

 

「~~!?!」

 

 聞くに耐えない悲痛な叫びと共に馬は倒れ、乗っていた二人は宙に投げ出される。

 だが流石というべきか、大人の方が空中で子供を抱え、その子を守るように胸に抱きながら地面を転がった。

 その際に外套が剥がれ、ようやくその顔が露になる。

 只人のそれとは次元が違う、神が創りたもうた顔立ちはまさしく絶世の美女。

 傾きかけた陽に当てられて輝く長髪は深緑の輝きを放ち、耳は笹の葉のように鋭く、森人に比べても長い。

 

 ──森人(エルフ)。しかも、あれは上の森人(ハイエルフ)じゃないか……。

 

 銀髪の青年は口の端を引きつらせた。

 ようやく亜人(デミ)を見つけたかと思えば、まさか上の森人(ハイエルフ)とは。

 その女上の森人は苦虫を噛み潰したような表情でその美貌を歪めると、倒れた馬から大弓と矢筒を剥ぎ取った。

 矢筒を腰に、大弓を構えた彼女は、矢筒から矢を引き抜く。

 森人は矢に鉄を使わないのは、多くの者が知ることだ。

 彼らは矢は、木の枝が自然とその形となったもの。鏃は芽、矢羽は葉だ。

 そして、大弓もまた同じ。イチイの枝に蜘蛛糸を弦として張ったそれは、果たして只人(ヒューム)が引くには何人が必要か。

 それを彼女は一人で矢を番え、ぎりりと音をたてて引き絞る。

 森人は、生まれ落ちたその時から生粋の野伏(レンジャー)とまで言われている。

 弓術に関して言えば森人に勝る種族は世界になく、只人(ヒューム)の身で勝とうと思えば、生涯をかけた研鑽でもなお足りぬ。

 そんな森人の王族──上の森人の一矢となれば、それは必中に他ならない。

 弦楽器を弾いたような清らかな音と共に、音を置き去りにする矢が放たれる。

 さながら天の火石のように一直線に飛んだそれは、馬の頭を抉り、乗り手の右腕を吹き飛ばした。

 断末魔の叫びと共に、馬から転げ落ちた兵士は、後続の馬に頭を潰されて死ぬが、仲間たちは気にする素振りも見せはしない。

 いや、それよりも気になることと言えば、先程の一矢だ。

 馬の頭を抉り、鎧越しに兵士の腕を飛ばしたのは流石の一言。だが、あれは……。

 

 ──外した、ように見えたが……。

 

 銀髪の青年は首を傾げ、知り合いの上の森人──あの二千歳にも思えない無邪気な友人を思い出す。

 ふたつや三つもある的を一品の矢で射抜き、自慢げに金床とまで言われる平らな胸を逸らしていたが、その腕は父や母の折り紙つき。

 だが彼女の身体は上の森人である事を抜きにしても華奢であるし、力で言えば視界に映る上の森人が上を行く。

 だがまるで力任せに放ったような先の一矢は、森人らしくないといえばその通りだ。

 馬の頭を射抜き、乗り手の頭も射抜く。

 上の森人であるのなら、できて当然のようにも思えるが。

 仲間を失っても──もっともトドメを刺したのは彼らだが──止まる気配のない兵士たちを憎々しげに睨んだ女上の森人は、大弓を背に回すと、背に隠していた子供を抱きあげた。

 そのまま森に入るのだろうかとも思ったが、怪我でもしているのか足を引きずりながら銀髪の青年がいる襤褸神殿へと駆け込んだ。

 兵士たちもその後を追いかけるが、入り口で馬を止めて降馬。

 各々の得物を構え、警戒しながら神殿へと入り込む。

 

「……」

 

 それを自分の目で見下ろしていた銀髪の青年は、ぽりぽりと頬を掻いた。

 面倒事が起こっているのは見ればわかるが、これを見過ごすというのは自分の矜持(プライド)が許さない。

 

 ──それに、気になるからな。

 

 かの上の森人は、一体何をしてあんなことになったのか。

 兵士たちも、仲間を踏み潰してまであの森人に何の用があるのか。

 何より、上の森人が怪我をしてまで守ろうとしているあの子供は誰なのか。

 好奇心の赴くまま、興味が引かれたまま、問題が起こりそうでも首を突っ込むしかないだろう。

 

 ──なんせ俺は冒険者。じゃなくて、今はただの宿無し放浪者(ワンダラー)だからな。

 

 銀髪の青年はただ楽しそうに笑うと、頭巾を被り直してその身を投げた。

 襤褸神殿の今にも落ちてしまいそうな屋根に向けて、蹴りを叩き込んだ──。

 

 

 

 

 

 かつて交易神の神殿として、多くの人々が往来していたその場所は、いまや見る影もない。

 壁には穴が開き、窓は全て破れ、かろうじて形を保っている天井は今にも落ちてしまいそうだ。

 礼拝の為に並べられた長椅子はあるものの、肝心の祭壇は完膚なきまでに破壊され、ここは神の意志を離れたのだと見ればわかる。

 そんな誰も寄り付かず、ならず者やゴブリンの住処(すみか)にでもされそうなそこに飛び込んだのは、一人の上の森人。

 額に汗を滲ませ、息を絶え絶えにしながら、馬に乗る直前に矢が掠めた足を引きずりながら、抱き抱えていた少女を祭壇の影に隠した。

 その場で片膝をつき、腰に帯びていた黒曜石の短剣を取り出す。

 矢は射ち切ってしまった。残る武器はこれと己の肉体だけで、五人の兵士を倒さなければならない。

 万全の状態ならともかくと、女上の森人は眉を寄せ、狩人装束に隠された自分の身体を見る。

 白を通り越して透けて見える程の肌には、切り傷に痣、擦り傷と、痛々しい傷がつけられ、垂れた血で装束が汚れている。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 加えて、武器のいずれかに毒でも塗られていたのか、頭が揺れて、視界が歪む。

 女上の森人は力が抜けていく手に喝を入れ、短剣を落とすまいと意識を保つ。

 そしてキッと鋭い目付きで入り口を睨んだと同時に、兵士たちが神殿へと入り込んできた。

 入り口を塞ぐように二人が位置しながら(クロスボウ)を構え、残り三人が剣や槍を構えながらにじり寄る。

 

「くっ……!」

 

 身体中が痛み、意識も霞む中で、それでも寄らば斬るという迫力のみはそのままに、短剣を構える。

 兵士たちは時機(タイミング)を合わせるように顔を見合せ、兜の下で下卑た笑みを浮かべた。

 面倒事を起こしてくれた目の前の上の森人に、その分の楽しみを提供してもらっても問題はあるまい。

 こちらは五人。相手は負傷した女と、力を持たないであろう子供が一人ずつ。

 子供を連れ帰るのが目的だが、女に関しては何も言われていない。

 どうせ殺すのなら、少しばかり楽しんでも構わないだろう。

 そして、女上の森人は兵士たちの意図を察したのだろう。

 僅かに身体を強張らせ、瞳に恐怖が宿る。

 負ける訳にはいかないが、負ければどうなるか、彼らの欲望にぎらつく瞳を見ればわかる。

 

 ──負ける、わけには……っ!

 

 それでも身体と、折れかけた心を奮い立たせ、痛む身体に鞭を打って立ち上がる。

 短剣をしっかりと握り、ありったけの闘志を絞り出す。

 前衛を務める兵士たちは退くに退けない哀れな女上の森人を笑いながら、それぞれの武器を片手に前に出た。

 女上の森人が雄叫びをあげながら、迎え撃たんとした瞬間、凄まじい破砕音の共に神殿の天井が破壊され、何かが両陣営の間に降り立った。

 床の木材が砕ける乾いた音が神殿内に木霊し、舞い上がった埃が煙幕のように彼らの視界を塞ぐ。

 兵士たちは突然の事態と舞う粉塵に咳き込み、元の位置に下がるが、女上の森人は違う。

 煙幕の中にいる何かを見つけようと、星の光を宿す瞳を細めた。

 だが、見えない。暗がりに潜む怪物であろうと、点にしか見えない敵であろうとその正体を見据える瞳を持ってしても、煙の向こうまでは見えないのだ。

 そして煙幕の中にいる何かが、ゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がった何かが勢いよく腕を振るうと、煙幕が切り裂かれた壁の穴や窓から外へと抜けていく。

 そして現れたのは、黒い外套を纏った何者か。

 彼は首を巡らせ、身構える兵士たちと女上の森人。そして祭壇の影から、心配そうにこちらを見ている子供へと目を向けた。

 

「貴様、何者だ!?」

 

 兵士の一人が困惑しながらも問いかけると、その人物──黒外套の青年は肩を竦めた。

 

「ただの旅行客だ。宿がないんでここに一泊しようとしたんだが、何やら騒がしくてな」

 

 黒外套の青年は「宿を紹介してくれないか?」と兵士たちに問いかけるが、兵士たちは敵意を剥き出しにして武器を構える。

「駄目か」と肩を落とした青年は、ちらりと背後にいる女上の森人に目を向け、問いかけた。

 

「あんたはいい宿を知らないか?今しがた天井に穴を開けてしまってな」

 

 自分で開けた天井の穴を指差しながら告げた黒外套の青年に向けて、女上の森人はなぜか驚いたように目を見開きながら、首を横に振った。

「こっちも駄目か」と項垂れた黒外套の青年は、彼女の背後。祭壇に身を隠す子供へと目を向けた。

 

「キミは何か知らないか。友達が宿を経営している、とか」

 

 僅かに声色を柔らかく、微かに見える口元に優しげな笑みを浮かべながらの問いかけ。

 だがその子供はぎゅっと胸元を握りながら、首を横に振った。

「そうか……」と見るからに覇気が失せた黒外套の青年に向け、兵士の一人が告げた。

 

「そこを退け!我らには王からの勅命があるのだぞ!」

 

「あー、ここに入り込む流れは上から見ていたとも。多分、この森人が犯罪者か何かで、それを追いかけているんだろ?」

 

 兵士の鬼気迫る声に気にした素振りも見せず、黒外套の青年は女上の森人を指差しながらそう問うた。

 問われた兵士は「そうだ」と頷き、「わかっているのなら、退け!」と声を荒げる。

 祭壇に隠れる子供は小さく悲鳴をあげるが、黒外套の青年は怯まない。

 僅かに位置をずれて、(クロスボウ)持ち兵士の射線に入り込みながらさらに問う。

 

「で、こいつらは何をやらかしたんだ。俺だって犯罪者を庇いたくはない」

 

「……?貴様、わからないのか?」

 

 黒外套の青年の言葉に、兵士の一人が口を開いた間の抜けた表情で問い返した。

 黒外套の青年が「言ったろ、旅行客だ」と返すと、兵士はやれやれと言わんばかりに溜め息を吐いた。

 

「後ろの森人の罪状は、商品の窃盗。番兵数人の殺傷。馬の強奪もそうだが──」

 

「この子は貴様らの商品などではない!」

 

 冷静に、淡々と罪状を読み上げていた兵士の言葉を遮ったのは、女上の森人だ。

 その美貌を憤怒に歪めながら、額の汗を拭うことも忘れて声を張り上げる。

 

「この子は、私たちの希望だ!前王が残した、忘れ形見だ!それを、商品などと、この裏切り者が!」

 

「……」

 

 静かな神殿に響く、悲痛なまでの彼女の声。

 黒外套の青年は腕を組みながら息を吐き、兵士は表情に怒りを滲ませながら、それでも冷静を装って彼へと告げた。

 

「何よりも重罪なのは、()()()()()()()()()()()だ」

 

「……なに?」

 

 兵士の言葉が信じられず、黒外套の青年は眉を寄せながら首を傾げた。

 亜人として産まれたことの、何が罪なのだろうか。

 

「我々只人こそが、この世界における至高の存在なのだ。我らの発展を阻害するにも関わらず、王の寛大な慈悲によって()()()()()()()()()()()()()()というのに」

 

 兵士は困り顔で額に手をやりながら頭を振ると、「わかったかね、青年」と黒外套の青年に問うた。

 いや、それは問いかけではなく警告。

 (クロスボウ)の照準は既に黒外套の青年に向けられ、兵士たちの武器もまた彼へと向いている。

 

「さあ、そこを退け!」

 

 そして最後の言葉は、ただの脅迫。

 退かねば、諸ともに殺すという強烈な念が込められたその声は、僅かに神殿を揺らすほど。

 それを受けた黒外套の青年は僅かに俯くと、背後にいる女上の森人と、彼女が守らんとしている子供に目を向けた。

 

 ──父や母なら、どうするだろうか。

 

 いいや、この質問に意味はない。

 両親はここにいないし、何より答えは決まっている。

 

亜人(デミ)を迫害し、その上に成り立つ平和など、糞食らえだ……っ!」

 

 蒼い瞳に殺意を滾らせながらの言葉に、兵士は「そうか!」と短く告げて、背後の仲間へと目を向けた。

 (クロスボウ)を構えていた二人の兵士は、頷くと同時に狙いを定め、引鉄(ひきがね)を引いた。

 バネが弾ける異音と共に太矢(ボルト)が放たれ、黒外套の青年を貫かんとするが、

 

「舐めるなっ!」

 

 黒外套の青年が鋼の剣を鞘から引き抜くと同時に一閃。

 放たれた太矢(ボルト)を二本とも一刀の下で弾き、空いている片手で印を結ぶ。

 

「《トニトルス(雷電)……》」

 

 紡ぐは真に力ある言葉(トゥルーワード)

 世界の理を改竄し、超自然の事象を引き起こす業。

 だが一つでは小さな事象を起こすのみ。

 真に力ある言葉に、本当の意味で力を与える為には、もっと言葉が必要だ。

 

「《オリエンス(発生)……》」

 

 彼の片手に小さな雷が宿り、バチバチと音をたてる。

 静かな神殿に雷電龍の唸り声が響き、その光が薄暗い神殿を照らす。

 危険を察知した兵士たちは逃げようと入り口に向けて駆け出すが、それが狙いである黒外套の青年は小さく笑んだ。

 紡ぐ言葉は三つ。一つでも、二つでも、それは術足り得ない何かでしかない。

 

「《ヤクタ(投射)……》!」

 

 そして、放たれるは師の得意技(十八番)

 雷電龍が唸りをあげ、その(あぎと)が兵士たちを飲み込まんと放たれる。

 これこそは『稲妻(ライトニング)』の術に他ならない。

 そして、兵士たちにそれを止められる術はなく、悲鳴と断末魔のあげながら雷電龍の牙に噛み砕かれた。

 だが雷電龍の勢いはそれだけに留まらず、入り口とその脇に止められていた馬を巻き込み、射線上の木々さえも薙ぎ倒す。

 背後で女上の森人と子供が息を飲む音を聞きながら、けれど油断なく掃射を続けること十数秒。

 ようやく『稲妻』の術が終わり、残ったのは一角が吹き飛んだ神殿と、生物と木々が焼け焦げた臭い。

 フッと短く息を吐いた黒外套の青年は突き出した手をゆっくりと降ろし、頭巾を取った。

 天井から降り注ぐ陽の光を浴びながら、銀色の短髪が僅かに揺れる。

 彼は振り返り、女上の森人と子供へと目を向けた。

 足音もなく一歩を踏み出すと、女上の森人がハッとして短剣を握り直し、背後の子供を守らんと身構える。

 

「安心しろ、敵じゃない」

 

 当の銀髪の青年は剣を鞘に叩き込むと、「な?」と言いながら両手を頭の上に持ち上げた。

 

「そんな言葉、信じられる……わけ……が──……」

 

 女上の森人はそれでも彼に切りかからんとしたが、足を踏み出した瞬間に瞳から光が消え、踏み出した勢いのままに床に倒れた。

 

「あ、おい!」

 

 銀髪の青年が慌てて駆け寄ると、祭壇に隠れていた子供もパタパタと足音をたてながら駆け寄ってくる。

 その途中で外套が翻り、すっぽりと隠れていた顔がお目見えとなった。

 子供は十歳になったばかりに見える、少女であった。

 人懐こそうな丸い瞳に、幼さを全面に残すが、将来が楽しみな整った顔立ち。

 黒い髪に、炎のように揺れている緋色の瞳が目を引くが、それよりも気になるのは彼女の耳だ。

 只人のそれに比べて長く、けれど森人の物に比べれば短い耳。

 

「……半森人(ハーフエルフ)?」

 

 銀髪の青年が困惑混じりに声を漏らすと、半森人の少女はビクン!と肩を跳ねさせて、恐る恐る彼へと目を向けた。

 怖がっているのか肩が震え、女上の森人の外套を掴む手も小刻みに震えている。

 銀髪の青年はそれに気づくと、「ああ、悪い」と言って笑みを浮かべた。

 そうして優しく頭を撫でてやれば、強張っていた表情が微かに緩む。

 夜に雷電龍を怖がり眠れなかった妹も、こうしてやれば不思議と眠りについたのだ。

 そうやって妹にそうするように半森人の少女の頭を撫でてやりながら、女上の森人に目を向けた。

 顔色も悪く、呼吸も荒く、汗を拭ってやろうと触れてみれば、目を見開く程に熱も酷い。

 

 ──この娘の為に、どれだけの無茶を……。

 

 精霊に近しいとまで言われる上の森人が、何より森人の王族がこんなになるまで、それそこ死ぬ気で守ろうとしたのは、半森人(混血児)

 先の言葉といい、兵士たちの狙いといい、この娘が騒動の中心であることは確かなようだが。

 銀髪の青年は目を閉じ、僅かに熱くなってきた頭を冷やそうと小さく深呼吸を一度。

 ゆっくりと目を開くと、半森人の少女に目を向けた。

 

「とりあえず逃げるぞ。こいつも連れていく」

 

「……っ!」

 

 彼の言葉に半森人の少女はコクコクと何度も頷き、何か運ぶものを探してか辺りを見渡すと、ピクリと長耳が揺れた。

 弾かれるようにそちらに目を向ければ、幸運にも先の『稲妻』を避けられた馬がいるではないか。

 ぐいぐいと銀髪の青年の外套を引き、馬を指差す。

 

「ああ。いい作戦だ」

 

 よく見つけたなと、笑顔と共に褒めてやりながら半森人の少女の頭を撫でてやると、女上の森人を乱暴に横抱きにして持ち上げた。

 

「もう少し辛抱しろ。治療してやる」

 

「うぅ……」

 

 銀髪の青年はそう言うが、彼女からの返事は覇気のない呻き声のみ。

 頑張ってと言わんばかりに半森人の少女が跳ねると、女上の森人は微かに笑んだ。

 

「笑う余裕があるのなら重畳。行くぞ」

 

「っ!」

 

 銀髪の青年が表情を引き締めながら言うと、半森人の少女はこくりと頷いた。

 逃げようとしていた馬は、半森人の少女が何やら口を動かす──だが音はない──と抵抗を止め、乗れと言わんばかりに「ぶるる!」といななく。

 

「よくわからんが、助かる!」

 

 銀髪の青年は女上の森人を乗せた鞍に固定すると、まず半森人の少女を乗せてやり、最後に自分が跨がった。

 半森人の少女は背もたれのように彼に寄りかかり、力なく馬に乗っけられている女上の森人は呻くばかり。

 

「ハッ!」

 

 それら全てを無視して、銀髪の青年は掛け声と共に軽く腹を蹴り、馬を走らせた。

 目指す場所はわからないが、ともかく街から離れるべきだ。

 銀髪の青年はその直感のまま、港街から離れていった。

 

 

 

 

 

 空は暗くなり、双子の月と星々が輝き始めた頃。

 銀髪の青年らが立ち去った神殿に、幾人かの人影があった。

 辺りの惨状を目の当たりにしても何の反応もなく、淡々と街から遠ざかっていく馬の蹄の後を見つめている。

 

「……逃が……さ……ない……」

 

 虫の羽音のような、とても小さな囁き声。

 そこには何の感情もなく、ただ目的を告げたのみ。

 故に彼は動き出した。

 王の治世を安泰とするため、王の威光を轟かせるため。

 

「逃がさ……ない……」

 

「にが、逃がさ……ない……」

 

「逃が……すな……追え……」

 

「追い……詰め……殺……す……」

 

 影たちは口々にそう呟きながら、痕跡を探って神殿内を徘徊する。

 だがあるのは壊れた神殿のみで、行き先に関する手掛かりはない。

 

「逃がさない。逃がさない。逃がさない、逃がさない、逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない」

 

 だが、何の問題もない。我ら(・・)には王と、あのお方の加護があるのだ。

 

 ──全ては王と、あのお方のために……。

 

「……逃がさ……ない……」

 

 影は走り出す。

 獲物を求め、血を求め、なにより王からの慈悲に報いるために。

 

 ──影は、獲物を、逃がさない──

 

 




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