SLAYER'S CREED 継承   作:EGO

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Memory04 剣砕き(ソードブレイカー)

 ()が、自分の身体が、少しばかり他人からずれていると自覚し始めたのは、五歳になったばかりの頃だ。

 妹の面倒を見る母の笑い声を聞きながら、ふと空高くを飛んでいた鷲を見上げた時だった。

 じっと目を細め、今思えば不思議なまでに集中していたように思う。

 父に懐き、母と並んで相棒とまで称されたかの鷲の羽ばたきを、この目に焼き付けたかったんだと思う。

 そして目が乾いて瞬きをした直後だ。

 じっと青空を見上げていた筈なのに、視界から色が消え、空を流れていく雲や、視界の端に映る木々の輪郭(ワイヤーフレーム)のみが浮き上がった。

 視界に納めていた鷲だけは青く輝き、さながら流れ星のようではあったけれど、その頃の()はひたすらに怖がってしまった。

 急に視界が暗くなり、母や妹を見ても青く光って見えるのだ。

 ようやく物心ついて、兄としての自覚を持ち始めたばかりの幼児が怖がるのは、当然のことだ。

 ()は泣きながら母に助けを求めたし、その泣き声で眠ったばかりの妹が起きると共に泣き始め、家は阿鼻叫喚となったのも、まあ覚えている。

 休日だからと部屋で寝ていた父がいなければ、きっとより悲惨なことになっていた筈だ。

 欠伸をしながら起きてきた父は、すぐに事態を察して()を抱き上げて、優しく語り掛けてくれた。

 

『お父さんも昔はよく振り回されたからな。落ち着いて、ゆっくり力を抜いて、深呼吸だ』

 

 よしよしと背中を叩かれている内に涙も止まって、視界も元に戻っていた。

 不思議に思って目を擦る()に、父は楽しそうに目を細めながら笑った。

 

『その内使い方を教えてやるさ』

 

 その言葉が実行されたのは、()が十歳を過ぎた頃。

 夜の庭でお互いに面と向かいあいながら、父は真剣な面持ちと声音で告げた。

 

『意識を集中して、感覚を研ぎ澄ませ、闇を抜け、音を越え、物質を覗きこむ。すると、微かに音が聞こえ、光が見える』

 

『……お父さん、わかんない』

 

 と言っても、父が何を伝えようとしていたのかさっぱりわからず、一応考えてはみたがすぐに根をあげた。

 父は『そうだよな』と可笑しそうに笑いながら、がしがしと頭を撫でてくる。

 

『教えられた俺だって、よく分からないからな。一応、この言葉だけでも覚えておいてくれ』

 

『ん……』

 

 乱暴ではあるが、確かな優しさが込められた手付きに、多少の恥じらいと心地よさを覚えながら頷くと、父はごほんと咳払いをした。

 

『五感の全てを働かせる。音を見て、形を聞く』

 

『──音を見て、形を聞く』

 

 父の言葉におうむ返ししながら、()は目を閉じた。

 父に言われた通りに集中して、ゆっくりと深呼吸。

 夜の庭で冷たい空気が肺を満たし、父の息遣いが僅かに聞こえる。

 目の前に居てくれている安心感からか、夜に外に出ているのにも関わらず、心は不思議と落ち着いていた。

 木々のざわめきがすぐ近くに聞こえ、風に乗ってどこかの家の料理の臭いが鼻腔をくすぐる。

 家にいる筈なのにそこにはおらず、森の中や街の中にいるような、不思議な感覚。

 そして瞼の裏を映す視界が、湖の水面のように揺れた瞬間を見計らい、『眼』を開けた。

 同時に視界に飛び込んできたのは、夜の闇とは別に暗くなった世界と、そこに浮かび上がる青い人影。

 その人影は満足そうに頷くと、また頭を撫でてきた。

 

『そう、その感覚だ。忘れるなよ』

 

 ご機嫌そうな、跳ねるような声音。

 きっと笑っていたのだろうに、その時の()は『眼』を戻すことを忘れ、肝心の笑顔を見ることが出来なかった。

 それに気付いて慌てて『眼』を解除したけれど、その頃には父は立ち上がっており、『さあ、寝るぞ』と告げて家へと戻ってしまった。

 

『あ、待って!』

 

 ()は慌ててその後を追いかけ、家へと入る。

 結局この『眼』が何なのかは、冒険者になっても教えてはくれなかった──。

 

 

 

 

 

 夜の森中。

 生い茂る木々に遮られ、月明かりさえも届かない闇の中を、幾重もの影が駆けていた。

 微かに枝や葉が揺れる音を漏らすのみで、彼らの気配は希薄であり、森を生きる森人(エルフ)であったとしても見逃すに違いない。

 

「っ!」

 

 その影の中の一人。手に黒塗りの短剣を握るその男は、獲物を見つめていた。

 右手には鋼の剣。左腕には円盾。背中に筒状の何か(ライフル)を背負った、黒い外套の青年。

 右、左、背後、頭上と世話しなく視界を巡らせながら警戒しているようだが、彼らにとっては問題ないと血走った目を細める。

 どんなに警戒しようとも、どんなに身構えようとも、『暗剣』から逃れる術がないことは、その『暗剣』である彼らが誰よりも知っているからだ。

 短剣を構える彼は青年の背後に回り込み、そして飛びかかった。

 毒が染み込んだ暗い刃は掠めただけでも致命傷となり、何より奇襲してしまえば回避さえもままならない。

『暗剣』たちは念のための二撃目に備えながら、短剣遣いの動向を見守る。

 もっとも斬ってしまえば、それで終わりだ。

 目の前の青年を抹殺し、本命である森人二人を追う。

 任務には何の支障もなく、多少の時間稼ぎをされた程度。

 夜の内に追い付き、終わらせると、彼らの意志は統一される。

 そして短剣遣いが、青年を間合いに捉えてその得物を振るった瞬間。

 ギン!と甲高い金属音が、夜の森に響き渡る。

 

『──っ!』

 

 同時に『暗剣』たちは一様に目を剥き、警戒を強めた。

 背後から斬りかかった短剣遣いの不意討ち(バックスタブ)は、確かに見事なものであった。

 

「甘いッ!」

 

 けれど黒外套の青年を仕留めるには、足りないのだ。

 彼は短剣遣いが刃を振るった瞬間に、振り向き様にこちらからも刃を振るい、相手の一撃を迎撃。

 腕力と、振り向きの遠心力にものを言わせて短剣を弾きあげ(パリィ)、返す刃で短剣遣いの胴を袈裟懸けに切り裂く。

 肉と骨を断ち、命を奪う感覚もろともに刃を振り抜き、短剣遣いの身体を斜めに両断。

 ずるりと音をたてて上半身が地面に転がり、下半身は崩れ落ちた。

 断末魔の声もなく『暗剣』の一振りが、その命を落としたのは、もはや火を見るよりも明らかだ。

 それを認識すると合図に、闇がざわめき始めた。

 枝葉が揺れる音が激しくなり、僅かに感じていた殺気が遥かに強まる。

 短剣遣いを撫で斬った黒外套の青年は、鋼の剣に血払いをくれて、その剣を肩に担いだ。

『暗剣』たちは彼の意識を反らし、決定的な隙を晒そうと闇の中を走り回り、お互いの得物、あるいは己の得物を打ち付ける異音を織り混ぜて、位置と人数をはぐらかす。

 並の相手なら混乱したまま身動き一つ出来ず、抹殺されるのだろうが、彼らを睨む蒼い双眸の前には何もかもが無意味だ。

 それもそうだろう。黒外套の青年の『眼』が見ているのは、生命の光。

 今を生きる者たちの、力に満ちた輝き。

 あるいは過去を生きた者たちの、今にも消えてしまいそうな残滓。

 現在と過去を見通すその『眼』からは、例えその道の玄人(プロ)であっても、逃れる術はない。

 魔力を意味する緑色の──闇を見通す禁制の魔眼の輝きが闇の中を尾を引き、縦横無尽に動き回る赤い影を動きをより克明に浮かび上がらせる。

 黒外套の青年はその一つ一つに気を配りながら、四方八方から聞こえてくる、危険を知らせる囁き声にも意識を配り、小さく肩を竦めた。

 時間稼ぎという意味なら充分に思えるが、彼らを見逃してあの二人を追わせれば、信用を勝ちとれはすまい。

 

 ──なら、やるしかない。

 

 黒外套の青年は深く息を吐くと、肩に担いでいた剣を改めて構えた。

 相手の人数はわからないが、とりあえず殺せることはわかったのだ。ならば、問題はない。

 息をゆっくり吸い込み、ゆっくり吐き出す。

 瞬間、闇が動き出した。

 黒く塗り潰され、一切の光を持たない刃が、青年の首を取らんと音もなく振るわれる。

 だが森に響くのは、甲高く鋭い金属音だ。

 暗い直剣を受け止めたのは、青年の円盾だ。

 丁寧に手入れされ、何よりも金属の盾にも関わらず、黒い刃が深くめり込み、滑らかな曲面を歪ませる。

 黒外套の青年は眼前にある血走った瞳を真っ直ぐに睨み返し、鮫のように獰猛な笑みを浮かべた。

 右手の剣を逆手に持ちかえ、一切振り向くことなく自身背後へと突き出した。

 直後ずぶりと肉が貫かれる鈍い音を漏れ、「ごぼ……っ」と血を吐く音が聞こえてくる。

 一瞥もくれずに貫かれたのは、両手で二本の短剣を構えていた男。

 鋼の冷たさと、出血の熱に当てられた彼は、それでも短剣を突き立てんとするが、黒外套の青年の方が速い。

 盾で受け止めた直剣遣いを、左腕ごと振るった円盾で弾き飛ばし、腕を振り抜いた勢いで身体をうねる。

 剣で貫いたままの二刀短剣遣いの胸ぐらを掴み、剣をそのままに投げ飛ばす。

 地面に叩きつけられると共に吐血した彼の、誰かに邪魔(カット)される前に顔面を踏み砕く。

 脳髄と頭蓋を踏み潰す鈍い感覚に目を細めながら、けれどそれをすぐに振り払う。

 冒険者時代、武闘家としてその身を武器にした母にも言われたことだ。

 殴る、蹴る、潰すは、相手の命を奪う感覚を直に感じる嫌なものだと。

 それでも殺らなければ殺られるのはこちらで、慣れてはいけないが、慣れなければならない。

 

 ──難しいものだな……。

 

 一応、冒険者になることを皮切りに割りきったつもりなのだが、やはりあまり気持ちがいいものではない。

 弾き飛ばした直剣遣いが闇へと溶けていく様子を横目に、目を細める。

 

「これで二つ」

 

 小さく呟きながら、二刀短剣遣いに突き立てた鋼の剣を引き抜き、血払いをくれながら辺りを見渡す。

 暗い視界に浮かび上がるのは、木々の輪郭(ワイヤーフレーム)と、その間を駆け抜ける赤い人影、緑に輝く双眸。

 おかげで見逃す必要はないが、やはり減らせたという実感がわかないのは気が滅入る。

 

 ──だが、減ってはいるのは確かだ。

 

 二人減らした。どちらにせよ、残りは十人近く。

 

小鬼(ゴブリン)の方が、面倒ではあるか……」

 

 いくらゴブリンが湧いてくるのかわからない巣に飛び込むよりは、いくらかはましだろう。

 相手の上限もたかが知れていて、何より相手はおそらく人間(ヒューム)だ。

 巣穴の奥に虜囚がいるわけでも、子供がいるわけでもない。

 気が楽でいいと黒外套の青年は苦笑を漏らし、闇の奥を睨み付ける。

 闇夜を踊る『暗剣』たちは、秘められた戦意と殺意を滾らせ、それぞれの得物を手に縫い付けんばかりの握力を込めて握りこむ。

 彼らは群にして個。個にして群。

 彼らに折れる心はない。彼らに揺らぐ感情はない。

 仲間が死したところで、それは彼が未熟だった結果。

 仲間を殺した相手が、仲間以上に上手だった結果。

 個で勝らぬなら群で。群でも勝らぬなら、命を捨て。

 

『抹殺せよ』

 

 王の御言葉に従い、己が使命を(まっと)うする。

 全ては王のため、あの御方の加護に殉ずるため。

 

 ──『暗剣』。いまだ、折れず。

 

 

 

 

 

 遥か後方で行われる影の中の死闘。

 その音を笹のように尖る長耳で聞き取っていた女上の森人は、唇を噛みしめた。

 前に座らせた半森人の少女は、声もなく涙を流しているが、今は宥めている場合ではない。

 馬の蹄が地を蹴る音に混ざり聞こえる、甲高い金属音と誰かの肉が裂ける音。

 彼はいまだに戦い続け、かの刺客──おそらく王直属の暗殺集団『暗剣』を、その身ひとつで、迎え撃っている証拠に他ならない。

 我々を破り、多くの同胞の命を奪い、目の前にいる半森人の少女を奪った怨敵を前に、自分はただ背を向けて逃げているだけ。

 それが堪らなく悔しいが、それでも今は逃げの一手を打つ他にない。

 夜目がきく筈の我らの目を持ってしても、夜の闇に潜む彼らの動きを見通せず、見えたとしてもあの得物を掻い潜り続けられるかも、わからない。

 夜は彼らの土俵であり、そこでの勝負は不利でしかない。

 そう、不利でしかない筈なのに、戦闘の音はいまだに止まず、かの青年のものとは違う断末魔の声が響き続ける。

 

 ──なぜ、戦える……っ。

 

 見るからに彼は只人(ヒューム)だ。

 どこにでもいる、そして気が付けばいなくなっている、只の人だ。

 なのに、どうしてあそこまで戦えるのか。

 自分たちのように夜目はきかず、只人の身であるなら素の身体能力(ステータス)も高くはない筈なのに。

 何より、彼に戦う理由もない筈なのに。

 

 ──どうして、あそこで戦っているのは、私ではないのだ……っ!

 

 自分が行けば、すぐに殺される言葉にわかっている。

 自分が行ったところで、彼の邪魔になることもわかっている。

 自分が行けば、この少女を危険にさらすことにもなる。

 それでも、こちらの事情を知らない、見ず知らずの只人(ヒューム)に、二度も助けられたのは屈辱でしかない。

 永い一生において、この恥はやがて自分のみが知るものになるだろうが、それでも恥であることに違いはあるまい。

 だが、逃げねばならない。この子を、希望を守りきり、隠れ家に戻らねば、ここに来るまでに死んでいった同胞(はらから)たちに顔向け出来ない。

 女上の森人は馬の腹を蹴り、さらに加速。

 森の中にも関わらず、木々は彼女に道を開けているのか、不思議とぶつかることはない。

 むしろ気木が避けているようにも思えるが、馬が真っ直ぐに走れる状況は何よりも好都合。

「はっ!」と声を出せば、馬はいななき声をあげて足を速め、森の出口に向かって走り抜ける。

 そして、月明かりに照らされる森の外に飛び出そうとした瞬間だった。

 

「──っ!!」

 

 半森人の少女が突然声もなく叫び、森の中を突風が駆け抜けた。

 思わぬ事態に女上の森人が腕で顔を庇うと、馬が足を止め、乗り手の表情を確かめるように振り向く。

 

「ど、どうした、早く進め」

 

 女上の森人は困惑しながらも馬の(たてがみ)を撫でてやるが、肝心の馬は何も反応を示さない。

 ただじっと瞳を半森人の少女に向け、尾を振るのみだ。

 

「──。──っ!」

 

 そして少女は深呼吸をすると、馬の瞳を覗きながら音にならない声を発した。

 それが何を意味するのかは、女上の森人にはわからないけれど、馬には通じたようだ。

「ひひーん!」と力強くいななくと、前足をあげて後ろ足だけで立ち上がると、そのまま反転。

 蹄で地面を蹴りつけ、森の中へと戻り始めた。

 

「な、なにを……!?」

 

 手綱を握りながらも制御(コントロール)を失った女上の森人は大きく狼狽え、半森人の少女を見下ろすが、

 

「──!」

 

 少女は涙目になりながらぎゅっと両手を握りしめ、肩を震わせていた。

 それは恐怖からか、あるいは涙を我慢しているのか、定かではないが、少女が何をしたいのかは嫌でもわかる。

 

「……助けたい、のか」

 

 女上の森人の問いに、少女は小さく頷くのみで応じた。

 行ったところで何ができると、彼が何のために残ったのだと、言葉を荒げて言ってやるのは簡単だ。

 

 ──だが、それでいいのか。

 

 この少女が、自分の意志で、彼を助けたいと望んだのだ。

 彼には不思議な何かがあるのか、単に恩人を見捨てられないという我が儘か、だが理由なぞどうでもいい。

 

 ──もう、戻れないからな。

 

 馬の制御を握っているのはこの少女で、それに乗っているのは自分。

 自分一人だけなら飛び降りてもいいが、生憎と少女を見捨てるわけにはいかないのだ。

 二人の森人は、再び森の闇の中へと突き進んだ。

 戦いの音は、いまだに鳴り続けている。

 

 

 

 

 

 彼らにとって、これは由々しき事態であった。

 王の勅命に従い亜人(デミ)どもの拠点を襲い、半森人の少女を拐ったまではいい。

 それを奪い返され、それを追跡することになったのも、まあ仕方があるまい。誰にでも失敗(ミス)というものはある。

 だが、これはなんだと、形式上は『暗剣』の頭目をしている男は、目を剥いていた。

 暗い闇の中。夜目か、闇を見通す禁制の魔眼なくば、一寸先も見えず、見えたとしても闇に溶け込む呪いが込められたローブを纏う我々を、視認することなど不可能なのだ。

 そう、不可能な筈なのに。

 槍を携えた男が背後から突けば、黒外套の青年は素早く身体を反転。

 迫る穂先をぎりぎりで避け、長柄の先端を踏み締めて地面に叩きつける。

 槍を手放せなかった槍遣いは、凄まじい力により体勢を崩し、それを整える間もなく鋼の剣に首を刈られる。

 相手が体勢を整える前にと、直剣遣い二人が左右から挑めば、青年は剣から手を離して右の『暗剣』の懐に飛び込み、その顔面に盾を叩き込む。

 鼻とも顔面がひしゃげた彼は悲鳴をあげる余裕もなく怯むと、背後から振るわれた刃に盾代わりに差し出される。

 ブツン!と肉の断たれる音はすれど、それは仲間の身体を裂いた結果に過ぎず、肝心の青年には掠りもしていない。

 青年は盾にした『暗剣』から黒塗りの剣を奪うと、死体となった盾を蹴り飛ばし、再び刃を振るわんとしていた『暗剣』にぶつけて追撃を阻止。

 蹴りの勢いで後ろに転がり、黒塗りの刃の具合を確かめるように軽く一振り。

 納得がいいのか、握り心地がいいのか、彼は満足そうに笑いながら頷いた。

 

「っ!」

 

 その直後。木上に控えていた短剣遣いが音もなく飛び降り、彼の頭上から奇襲をかけるが、

 

「フン!」

 

 青年は気合いの声と共に剣を真上に突き出した。

 そのまま落下の勢いのままに短剣遣いは串刺しになり、がぼりと血の塊を吐いた。

 それを浴びた青年は頭巾の下で表情をしかめるが、すぐに真剣な表情に戻る。

 大きく一歩を踏みこみ、掲げている剣を勢いよく振り下ろす。

 串刺しにされていた短剣遣いが、遠心力に引かれて刃から抜け、闇に身を潜めていた仲間を巻き込んで吹き飛ばされる。

 

「っ!!」

 

 もはや奇襲は不可能と判断した『暗剣』の一人が、じゃらりと音をたてて鎖を取り出し、分銅振り回して勢いをつけてから、黒外套の青年に放った。

 だが音がした以上、それはただの攻撃以外の何物でもない。

 黒外套の青年はそれを半身ずれるだけで避けると、その鎖を片手で掴み、力の限り引いた。

 

「っ!?」

 

 もはや只人(ヒューム)なのかも疑う凄まじい力に引かれ、さながら釣り上げられた魚のように闇から引きずり出された鎖遣いは、黒外套の青年の目の前に倒れた。

 そして起き上がる間もなく、頭蓋を踏み砕かれて絶命。

 その手から鎖を奪った黒外套の青年は、それを回して勢いをつけ始める。

 ひゅんひゅんと音をたて、回転を目で追えたものが、だんだんと残像のみになり、やがて見えない速度にまで達した。

 身構える『暗剣』たちを向け、それは何の予備動作もなく放たれた。

 じゃらりと音をたてて放たれたそれは、矢の如き勢いで夜の闇へと消えていき、パン!と快音を響かせて誰かの頭を弾ける。

 さてこれで何人目だったかと胸中で呟きながら、辺りを見渡す。

 ざっと見て、確認できるのは五人。

 

 ──いかなる状況でも、やれるとは思うな、だったな……。

 

 父をはじめ、多くいる師匠からは、最後の瞬間まで気を抜くなと耳にたこができるほどに言われている。

 神々が振るう骰子(さいころ)の目は、誰にも予測はできず、その結果に抗うのは困難だ。

 最後の最後で気を抜き、致命的失敗(ファンブル)を招くなど愚の骨頂。

『タカの眼』の長時間使用で頭が痛くなってきたが、ここで解けばそれこそ致命的な隙を晒してしまう。

 ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐く。

 身体から無駄な力を抜き、全身に血を巡らせる。

『暗剣』たちもまた最終攻勢に出んと身構え、じりじりと摺り足で間合いを測る。

 奇襲が無意味であり、技量も相手が勝る以上、こちらが唯一勝っている数で押し潰すしかない。

 この人数で本来の目的を遂げられるかはわからないが、目の前の男を道連れにしなければ、おそらく大変な事態が起こる。

『暗剣』たちはほぼ同時に同じ事を思い、同時に飛び出さんとした瞬間。

 静寂に包まれた森の中に、馬の蹄が地を蹴る音と、馬のいななき声が響いた。

 黒外套の青年がまさかと目を見開き、僅かにそちらに視線を向けた直後、『暗剣』たちが動き出した。

 直剣と曲剣、手斧を携えた三人が僅かに速く、短剣を握る頭目と残りの一人が、その後ろに。

 三人が肉壁となって黒外套の青年の攻撃を止め、残りの二人で刺し違えてでも殺す。

 自分たちは所詮使い捨ての道具。変わりなら、いくらでも用意できるのだ。

 

「っ!構えろ!」

 

 黒外套の青年は誰かに向けてそう叫ぶと、ざっ!と音をたてて右足を引き、地面に踵を沈ませる。

 鋼の剣を両手で握り、身体を捻って力を溜める。

『暗剣』たちが間合いに入る。だがまだだ。

『暗剣』たちが武器を振り上げる。だが早い。

『暗剣』たちが武器を振り下ろ──。

 

「イィィィィィィィイイイイイヤ!!」

 

 その直前。黒外套の青年は怪鳥音をあげながら鋼の剣を一閃し、前衛を務めていた三人の『暗剣』を纏めて両断。

 噴き上がる血飛沫に隠れる残りの二人は、仲間の死体を飛び越えて黒外套の青年を狙うが、

 

「《ルーメン()……オリエンス(発生)……セクィトゥル(従属)》!!」

 

 刹那的に紡がれた真に力ある言葉(トゥルーワード)は、世界の理を改竄する。

 突如として光球が空中に現れ、夜の森の一画を白く染め上げる程の光を放った。

 まさに『光明(ライト)』の術が、超自然の閃光を放って夜の闇を照らしたのだ。

 闇を見通す魔眼でも、突然の光には対応できずに視界が白く塗り潰された『暗剣』たちは、それでも得物を振るって青年を殺めんとしたが、彼は既にそこにはいない。

 それぞれの得物が空を斬った直後、二人の耳にギリリと弦が引き絞られる音が届く。

 どんなに優れた弓の名手でも、相手が見えなければ当たりはしない。

 どんなに優れた弓の名手でも、闇の中を蠢き、こちらが気付くよりも前に接近されては、その弓は飾りにしかならない。

 だが、今は。

 

 ──彼の魔術のおかげで、憎むべき『暗剣』の姿が視界に映っている。

 

 ──彼の働きのおかげで、憎むべき『暗剣』との距離が十分に離れている。

 

 馬上で大弓を構える女上の森人は、胸の内に渦巻く感情を抑えることなく吼えた。

 

「同胞たちの無念、ここで晴らす……っ!」

 

 精霊の末裔たる彼女の怒りに、ざわりと木々が戦慄いた。

 その怒りの込められた一矢は、感情に任せたとはいえ上の森人の一矢に他ならない。

 魔術士が魔術を使う時のように、神官が奇跡を嘆願する時のように、真摯なる想いと魂の込められたそれは、まさに必中。

 音もなく放たれた矢は、大気を切り裂き、その圧力で木々を揺らしながら、狙った標的を穿った。

『暗剣』の一人の心臓を穿って即死させ、もう一人の『暗剣』の胸を穿つ。

 ごぼりと血を吐いた頭目は、それでも青年だけでもと回復した視界に彼を映すが、

 

「……ああ。そこに、いらしたのですね……」

 

 彼はどこか安堵の表情を浮かべ、振り下ろされた鋼の刃を受け入れた。

 肩から心臓にかけてを叩き斬られた勢いのままに膝をつき、とどめの膝蹴りで頭を潰される。

 ぐちゃりと湿った破裂音を伴って、彼の頭は石榴(ざくろ)のように弾け、赤黒い肉片を辺りにぶちまけた。

 ふっと短く息を吐いた黒外套の青年はおもむろに頭巾を脱ぐと、辺りを見渡した。

 動きに合わせて闇の中に関わらず微かに輝く銀色の髪が揺れ、彼の所在を明らかにする。

 そして彼は小さく溜め息を吐き、足元の男に目を向けた。

『タカの眼』を使わなければ見えないが、ここには彼をはじめとして多くの死が転がっている。

 小さく唸った銀髪の青年はゆっくりと瞑目し、自分の胸に手を当てた。

 

「汝らの眠りを妨げる者はなし。眠れ、ここで、安らかに」

 

 静かに紡ぐは祈りの言葉。

 どんな極悪人とて、聖人とて、死に行く時は平等に訪れればのだ。

 その瞬間に敬意を示さぬ者は、きっと人々が忌み嫌う祈らぬ者と違いはない。

 故に祈る。彼らの冥福を、次なる生の平穏を。

 彼が、祈る者(プレイヤー)である故に。

 

 

 

 

 

 そんな夜の死闘から数時間後。

 放棄されて久しいとある街道。

 かつては舗装されていたであろうその道も、今や自然の力に押され、雑草やら花やらが生え、かろうじて道だと言える程度の代物。

 そこを歩いているのは、陽を光を嫌って頭巾を被った銀髪の青年と、その隣で馬に乗っている女上の森人と半森人の少女だ。

 

「……不思議な紋様だ」

 

 ようやく山から顔を出した陽に、『暗剣』から拝借した硬貨(メダル)を重ねて目を細めていた。

 いつぞやの海賊から奪った硬貨にも似たような紋様が刻まれているのは、彼らが同一の何かに属していたという証だろうか。

 むぅ、むぅ、と唸りながら二枚の硬貨を見比べていた銀髪の青年に、女上の森人が声をかけた。

 

「余所見をするな、転ぶぞ」

 

 そんな事をいう彼女も余所見をしているのだが、彼女は馬上。ずり落ちることさえなければ、転ぶことはあるまい。

 肝心の青年は「だがな~」と気の抜けた声を漏らすが、女上の森人の額には汗が浮かんでいた。

 

 ──まさか、『運び手』が殺されていたとは……。

 

 目下の目標として定めていた、この国の海を支配していた私掠船──王に忠誠を誓いし海賊たち──の船長が、もよや死んでいたとは。

 

「せっかく父の故郷に来られたと思ったんだがな……」

 

 当の彼はまた別のことで溜め息を吐いており、その歩調にはあの夜のような迫力はない。

 

「だが、良いのか」

 

 そんな彼に向けて、女上の森人は溜め息混じりに声をかけた。

 銀髪の青年は問いの意味がわからずに首を傾げると、彼女は言葉を付け加えながら問い直した。

 

「大事な目的があるのに、私達に着いてきてよかったのか」

 

「ああ、それか」

 

 銀髪の青年は小さく肩を竦めると、「気にするな」と呟いた。

 

「困っている人を見たら、助けずにはいられない性格でな。それなりに損している自覚はある」

 

「なら、どうして」

 

 彼の言葉に、女上の森人は更に問いを重ねた。

 損をする性格と知っていて、確実に問題になるとわかっていて、番兵殺しまでしたのだ。

 ならもっと深い理由がある筈だと、彼女の頭はそう考えていた。

 だが銀髪の青年はただ笑いながら、こう告げるのみだ。

 

「俺は宿無し放浪者(ワンダラー)だからな。宿のためならどこへでも、だ」

 

 それが真意なのか、嘘なのか、生憎と至高神の神官ではない女上の森人にはわからないけれど。

 

 ──こんな奴に同行を依頼した私も私か……。

 

 そんな彼を一応は信用し、ここまで護衛させたのは自分なのだから、もはや弁護のしようがあるまい。

 前に座る半森人の少女は、ようやくできた友人と一緒にいられて嬉しいのか、幼い顔は上機嫌そうに笑っている。

 この子が笑っている内は、まだ希望が潰えたわけではない。

 

 ──我らと、我らの子供たちの未来のために、この子は必要だ。

 

 女上の森人はそっと半森人の少女の頭を撫で、髪の間を指がするりと抜けていく感覚に微笑んだ。

 少女もまた嬉しそうに身体を揺らし、銀髪の青年はその様子に可笑しそうに笑う。

 陽はやがて天頂にいたり、大地をあまねく照らすことだろう。

 それまでに隠れ家には着けそうだと、女上の森人は口許を笑ませた。

 これなら仲間たちによい報告ができると、むしろ誇らしくもある。

 

 ──だが、まあ、なんだ。

 

 ちらりと銀髪の青年に目を向けて、間違いなく起こるであろう問題の重さに溜め息を吐いた。

 自分とこの子はいいが、果たして仲間たちが彼を認めるかどうか、それが問題なのだ。

 そんな彼女の神妙な様子に気付いた様子もなく、銀髪の青年は呑気に欠伸を漏らしていた。

 ほぼ徹夜で戦い通したのだから、眠くなるのも当然なのだが、今は足を止めるわけにもいかない。

 目的地まで、もうすぐなのだから。

 

 

 




感想等ありましたら、よろしくお願いします。

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