港から遠く離れた山岳部。
国の南東に位置するそこは、何人も近づかぬ霊峰と呼ばれている場所でもある。
なんでもそこに踏み込んだが最後、まず帰ってこられないからだという。
おかげで凶悪な魔物でも住み着いているだとか、死した者たちの怨念が溜まっているだとか、ろくでもない噂が国中に広がっているのだとか。
そんな山岳部に突如として現れるのは、巨人が山を叩き割ったのではとさえ思える、深い谷。
真昼までも暗いその谷底には細い川が流れ、その脇には申し訳程度に整えられた道が伸びる。
人どころか生物の気配すらないそこを進むのは、一人の男に引かれた馬。
背には女上の森人と半森人の少女を乗せ、鞍につけられた籠には『暗剣』から拝借した武器が押し込められている。
その馬を引く銀髪の青年は、目深く被った頭巾の影から谷を見上げ、本日何度めかの溜め息をこぼす。
谷底故に暗く、吹き抜ける風も強烈なのだが、彼はそんなものを気にした様子もなく再び息を吐く。
目を凝らせばわかる、山の断面に残る幾重にも分かれた層。
長い年月をかけて降り積もった塵が、やがて山となるまでの軌跡。
父や母も似たようなものを見たそうだが、きっと同じ事を思っていた筈。
──すごい。
そう、その一言に尽きるのだ。
更地から山が出来るまでは、
自分の血が欠片も残らないほど遠くの子孫が、ようやく見られればきっと幸運とさえ思える。
「……いつまでそうしているつもりだ」
ただじっと上を見ながら歩く彼に、女上の森人が溜め息混じりに告げた。
半森人の少女も彼を真似て谷を見上げているのだから、その言葉は彼女にも向けられているのだろう。
女上の森人が「なあ?」と苦笑混じりに見下ろしてみれば、緋色の瞳と視線が合い、半森人の少女はにこりと微笑んだ。
「別にいいだろう。珍しいものを見て何が悪い」
銀髪の青年は肩を竦めてそう言うが、流石に首が疲れたのか正面へと向き直った。
暗い谷の奥に何があるのかはわからないが、彼女が示した目的地なのは確かだ。
「それで、あとどれくらいだ」
夜に『暗剣』を迎え撃ち、そのまま寝ずに逃亡を開始。
森人二人は一晩中馬に揺られていて、それもそれで疲れるかもしれないが、銀髪の青年も一晩中歩き通し。
つまり途中で仮眠を取った半森人の少女を抜きにした二人は、それなりに限界が近づいていた。
銀髪の青年はまだ余裕そうではあるが、負傷した女上の森人に関しては強がっているだけで、倒れてしまっても不思議はない。
彼女は二人に気付かれないように深呼吸をして、額に浮かぶ汗を拭う。
「ああ、もうすぐの──」
そして彼の問いに答えようとした間際のこと。
不意に銀髪の青年が足を止め、腰に帯びる剣へと手を伸ばした。
「どうした」と辺りを警戒する女上の森人の声は、果たして彼には聞こえているだろうか。
今の彼に聞こえているのは、四方八方から聞こえる囁き声だけだ。
『暗剣』との戦いで嫌になるほど聞いたそれが、再び彼の脳に叩きつけられる。
彼は溜め息混じりにタカの眼を発動し、周囲に潜む敵を探して辺りを見渡した。
岩の影や、谷の壁に隠された穴、あるいは背後の隠し通路から、幾人かの赤い人影がこちらの様子を探っている。
「何か恨まれることをしたか……?」
銀髪の青年は頭巾の下で目を細めながら、ぼそりと呟いた。
隣の女上の森人には聞こえたのだろう。笹葉のように長く鋭い耳を揺らし、「昨晩の大立ち回りを忘れたか」と返して後方を警戒し始めた。
昨晩に生き残りがいて、ここまで尾行してきたとなると、何がなんでも抹殺せねばならないと、彼女はそう思っているのだろう。
背の大弓に手を伸ばし、それを構えんとすると、銀髪の青年は「そっちじゃない」と肩を竦めた。
「なんだと」
女上の森人は彼の言葉に眉を寄せ、「ならばどこだ」と重ねて問うた。
銀髪の青年は『なぜ気付かない』と言わんばかりの視線を彼女に向けるが、半森人の少女が訳もわからずに辺りを見渡していることに気付き、苦笑を漏らす。
いきなり足を止めたのだから、不思議がるのは当然のこと。
ならば幼子の疑問を解消してやるのも、年上の責務というものだ。
「いい加減出てこい!こそこそ見られるのは好きじゃない!」
腹に力を入れて発した言葉は、谷間であることも合わさって思いの外大きな音となり辺りに響いた。
その声量に女上の森人と半森人の少女は耳を塞ぎ、発した本人でさえ耳鳴りに眉を寄せるほど。
やがて岩影からも苦しそうな呻き声が漏れ始め、幾人かの森人が我慢できずに姿を現した。
正面奥の岩に三人。背後に二人。頭上にも二人。それぞれが弓を構え、既に矢は番えられている。
それでもまだ何人かは隠れているから、それは森人ではないのかもしれない。
──あるいは、こういった事に慣れているだけか。
銀髪の青年は表情を真剣な面持ちを崩さず、警戒を緩めることもない。
耐えられずに飛び出してきたのは、森人からすれば未熟者だとして、出てこなかったのは森人以外か一人前の森人。
相手するのも億劫になる相手が複数いて、こちらは隣の馬を守りながらの戦闘を強いられる。
彼らは敵意剥き出しで、何なら上も背後も取られて形勢は不利。相手には地の利もある。
ここで勝負するのは勇敢と無謀の違いも知らぬ阿呆か、己の力を過信している阿呆のいずれか。
そのどちらにもならないように努めている青年にとって、今こそが我慢の瞬間だった。
無意識に浮き上がる手汗をそのままに、剣の柄を握る手にそっと力を入れる。
相手に気取られずに、いつでも抜けるように身構えた。
相手が森人なら警戒すべきは弓だ。相手の膂力にもよるが、掠めただけで腕がもげることもあるのだ。
──博打を打って
父や母なら有無を言わずに避けるだろうし、師匠たちも一部を除いて避けるだろうが、まずは
今は矢を番えられただけ。まだ
さてどうしたものかと思慮し、敵ではないことを説明することが最優先だなと決めた銀髪の青年が、口を開こうとした矢先のこと。
「待て、この者は敵ではない」
彼よりも一瞬早く、女上の森人が口を開いた。
馬に乗ったままではあるが真剣な面持ちで、その声には森人を統べる王族としての迫力というものをひしひしと感じられる。
台詞を取られた銀髪の青年は小さく肩を竦め、とりあえず彼女に一任。
視界の端でそれを捉えた女上の森人は、前に座る半森人の少女の髪を撫でた。
少女はくすぐったそうに身動ぎするものの、嫌ではないのか抵抗する素振りは見せず、むしろ心地よさそうに目を細めているほど。
そんな少女の表情を見下ろしながら、女上の森人が告げる。
「この者はこの子の奪還に協力し、その後の追撃さえも退けてくれた。彼が我々の協力者であることは、我が
凛とした彼女の声が、緊張と静寂に包まれている谷間に静かに響く。
不思議と頭の奥底まで届くそれは、緊張した面持ちで弓を構えていた森人たちの表情を和らげ、僅かに弓が下がる。
大丈夫そうだなと、銀髪の青年が安堵混じりに溜め息を吐き、剣から手を離した時のことだ。
びゅうと空気が唸る音と共に、一迅の風が谷間を吹き抜けた。
強烈な谷間風はそこにいる者たち全員の衣装を揺らし、驚いた馬がいななくほど。
その瞬間、ひとつの
──風に巻き込まれた頭巾がするりと脱げ、青年の顔を森人たちに露にしたのだ。
ぎょっと目を見開いたのは、森人たちも女上の森人も同じ事。
彼らは和らいでいた表情に憤怒の面持ちを貼りつけ、再び矢を構えた。
「……なにか恨まれることをしたか?」
銀髪の青年が身構えながらの問いかけに誰も応じてくれる様子はなく、一人の女森人が声を張り上げた。
「姫様、離れてください!その男は
「そんなものは見ればわかる!待ってくれ、いま説明を──」
そして今にも矢を射らんとする森人たちに、女上の森人は焦りのままに声を張り上げるが、流石の彼らもこの状況では聞く気はないようだ。
敬愛する姫君の隣に、憎むべき只人が並び立っているこの状況が、何より彼らの怒りを買っている。
銀髪の青年は辺りを解決策を探して頭を働かせるが、彼らは話を聞いてはくれないだろう。
──だが、話さない訳にはいかないか。
銀髪の青年はここを力ずくで突破するよりも、流血なしで切り抜ける選択を取った。
下手に戦闘をすれば、まだ身を潜めている彼らに横槍を入れられて殺られる可能性が高い。
何より今後のことを考えれば、この訳もわからない誤解は解いておかねばなるまい。
「俺は──」
そして簡単な自己紹介でもと口を開いた瞬間、弓の弦が弾ける音が鼓膜を揺らした。
それを感じたと同時。瞬き一つにも満たない刹那的な時間で、矢が青年へと到達した。
だが、青年も形だけ身構えていたわけではない。
「ッ!」
剣を握った勢いで抜刀一閃。
暗い谷間を一条の銀光が駆け抜け、放たれた矢を空中で撫で切った。
キン!と鋭い金属音と、ばきっ!と枝が折れる乾いた音が谷に木霊した。
「なっ」と驚愕の声を漏らした女森人は、すぐさま次を番えるが、彼女が矢を放つよりも速く動いた人物がいた。
「待て、射つな!」
馬から飛び降りた女上の森人だ。
彼女は銀髪の青年と正面の森人らの間に割って入り、その身を盾に差し出したのだ。
「そこを退いてください!どこの誰かも知らぬ者を、その先に通すわけにはいきません!それが、只人であるのなら尚更です!」
けれど女森人は退く様子を見せず、矢を番えたまま吼えた。
銀髪の青年は弦が引かれる音が微かに聞こえ、四方八方から向けられる殺意に嘆息。
只人だからとこんなに殺意を向けられるとなると、言葉を交わした程度で武器を下げてはくれないだろう。
正面は彼女に任せるとして、背後や頭上の彼らは果たしてどうしたものか。
この際、背後の二人を蹴散らして逃げてしまおうかと頭の片隅で思い始めた頃、正面の森人たちの背後から近付いてくる人影を見つけ、目を細めた。
森人や只人にしては小さいが、
「いい加減、落ち着いたたらどうだ。中まで響いているぞ」
ぺたぺたと素足が岩を踏む音と共に聞こえてきたのは、幼さを感じる男の声だ。
銀髪の青年が身体を傾け、女上の森人の影から声の主へと目を向けた。
そこにいたのは金色の髪と、血のように赤い瞳の子供。
身の丈の倍はありそうな
──
銀髪の青年は数度瞬きすると、小さく溜め息を漏らした。
背丈も自分の胸ほどで、顔こそは凛としているものなどこか幼く、声も声変わり前のそれのように高い。
だが、あの瞳はなんだ。血のように赤い瞳には冷たい輝きが宿り、全てに対して無関心なようにさえ見える。
基本的に温厚で、畑仕事をしながら一日のほほんとしている圃人が、あんな冷たい目をするなど、何があったのか。
そんな疑問を抱きながら、けれどそれを口と表情に出すことはなく、銀髪の青年はじっと金髪の圃人を見つめた。
彼も青年からの視線に気付いてか、僅かに目を細めて睨み返す。
「それで、これはどういう状況だ?」
薙刀をくるりと回し、石突きで地面を叩いた彼は、辺りを見渡して肩を竦める。
彼の登場は女上の森人にとっても想定外だったのか、狼狽えたように僅かに後退る。
金髪の圃人に説明しようと、森人の一人が口を開こうとするが、「いや、言われなくてもわかる」と告げて槍の切っ先を女上の森人と、その背後の銀髪の青年に向けた。
「敵を招き入れたわけか。森人の王族も堕ちたものだな」
「っ!待て、私の話を」
「話を聞いてくれ?何度もそう言っているみたいだが、多数派はこちらのようだが」
女上の森人の言葉を遮った彼は僅かに重心を落とし、薙刀を両手で握った。
そして両足の指を地面にめり込ませて力を溜め、解放。
爆音を響かせて地面を割りながら、その場から飛び出した。
彼と銀髪の青年の間に入っていた森人たちは慌ててその場から飛び退くが、女上の森人は避ける素振りを見せない。
「姫様?!」
先程まで睨みあっていた女森人が、悲痛なまでの声音で叫んだ。
あの人ならば避けると、避けられると、信じていたのだろう。
だが事実彼女は避ける素振りを見せず、肉壁として立ちはだかったままだ。
「……」
突貫した金髪の圃人は僅かに目を伏せるが、止まるどころか減速することなく、背後の青年諸とも貫かんと、女上の森人に向けて槍を突き出した。
彼なら止まってくれると信じていたのか、女上の森人の表情もまた驚愕に染まっている。
馬上に留まっていた半森人の少女は音にならない悲鳴をあげ、森人たちも止めようと走り出すが、もう遅い。
槍は既に放たれ、後は彼女諸ともに銀髪の青年を貫くのみ。
女上の森人は来る痛みに備えて、身体を強張らせた直後、背後から首根っこを捕まれ、凄まじい力に引かれて投げ飛ばされた。
「へ……」
突然の浮遊感に間の抜けた声を漏らした直後、どぼんと川に落ちる音と、金属同士がぶつかり合う甲高い音が、谷に響き渡った。
「へぇ……。止めるのか……」
金髪の圃人は感嘆にも似た声を漏らし、女上の森人を投げ飛ばした挙げ句、剣で自身の薙刀を受け止めた銀髪の青年を睨み付けた。
銀髪の青年は槍を弾かず、かと言って押し込まれずの絶妙な力加減で競り合いながら告げる。
「出来れば槍を納めて欲しいんだが。戦う理由もないだろう」
「戦う理由、か。確かにキミにはないだろう」
いくら押してもびくともしない状況に嫌気が差してか、金髪の圃人は薙刀を引いて後ろに飛び退くと、それを肩に担ぎながら告げた。
「だが、俺にはある。同胞たちの命がかかっているんだ」
ぐっと長柄を握り直した彼は再び構え、射殺さんばかりの眼光を銀髪の青年へと向ける。
まるで追い詰められた獣か、あるいは子を守らんとする獣の親のような、鬼気迫る重圧が、小柄な彼を大きく見せる。
並の戦士なら萎縮し、戦意が折れるほどの重圧を受けてなお、銀髪の青年は怯まない。
鋼の剣を構えたまま、蒼い瞳に金髪の圃人を映し、同時に四方八方から向けられる殺意に対しても警戒を緩めない。
ただ立っているだけでも神経をすり減らす状況ではあるが、銀髪の青年にとってこの状況はひどく懐かしいとさえ思える状況だ。
──父さんとの訓練を思い出す……。
夜の森の中、本気で
あれに比べれば、どこから来るのかがわかる以上楽なのだ。
──だが、いい状況でもないな。
目の前には強敵。退路なし、進路なし。
壁を登ろうにも高すぎるし、目の前の圃人に背を向ける訳にはいかない。間違いなく殺られる。
──なら、どうする。
銀髪の青年は無言で、構えをそのままに打開策を探り、頭を働かせた。
説得は無理。突破も出来なくはないだろうが、お互いに無事では済まない。
「ひ、姫様!姫様?!ご無事ですか!?」
幾人かの森人が、川に投げ込まれた女上の森人を助けようと集まっているが、それでも後方の二人は動かない辺り、やるべきことを把握しているのだろう。
仕事熱心な父ですら、家族を最優先にして訳もわからない──けれど後に意味をなす──ことをしでかすというのに。
その父も言っていたが、私情に振り回されない者を相手にするのは、かなり面倒だ。
成すべきことを成すために全力を懸ける相手ほど、倒れないのだとか。
深々と溜め息を吐いた銀髪の青年は、金髪の圃人に問うた。
「それで、なぜ殺意を向けられていて、話さえも聞いてくれないんだ?」
青年は小さく肩を竦めると、自分の身体を見ながら「只人だからか?」と付け加えた。
その問いに「わかっているじゃないか」と笑った金髪の圃人は、ぶん!と勢いをつけて薙刀を振り、空気を切り裂きながら構えを変える。
姿勢を低く、同時に薙刀も低く、さながら牙を剥き出しにした獣が、獲物に飛びかかる直前のように、隙もなく。
銀髪の青年はまともに話も出来んと舌打ちを漏らし、剣を構えた。
彼の薙刀の高さに合わせて、切っ先を下に向けた下段構え。
何をしてこようが真正面から叩き斬れとは、果たしてどの師匠の言葉だったか。
だが今は叩き斬るのではなく、どうにか無力化するのが最優先。
先の一手のみの手合わせで、殺す気で行くのがちょうどいいことはわかったものの。
──本当に殺してしまえば、終わりだな……。
彼を殺してしまえば、彼らとの和解はなし得まい。
殺す気でなければ勝てない相手に、殺さないように勝たねばならぬとは、自分で言っておいて矛盾だらけだと僅かに苦笑。
「この状況でも、笑えるか」
「どうにもならない気がしてな……」
金髪の圃人の責めるように目を細めながら投げられた言葉に、銀髪の青年は溜め息混じりに肩を竦めた。
「あんたらの拠点とやらの、大体とは言え位置を知った以上、逃がしてはくれないんだろう?」
「当然」
「かと言って、俺はあんたと戦いたくはない」
どうしたものかなと呟きながら首を傾げた途端、金髪の圃人が視界から消えた。
いや、その表現では語弊があるか。彼はその小さな体躯を生かし、銀髪の青年の死角となる近くの岩影に飛び込んだのだ。
「む……」と小さく唸った銀髪の青年を中心に、無秩序に並ぶ岩石の影を、小さな影が疾走する。
正面からのぶつかり合いを避けるのは、先の打ち合いによる判断だろう。
純粋な力比べで圃人と只人、どちらが上かなぞ火を見るよりも明らかだ。
素の筋肉量の差。
骨格の差。
手足の長さにより、致命的なまでの間合いの差。
圃人として産まれた以上、努力だけではどうにもならないものを、肉体的な
──まずは今の身体を限界まで鍛えること。
届かないとわかっていても、それはやらない事の言い訳にはならない。
届かないからこそ、その差を僅かでも埋める努力を怠ってはいけないのだ。
──地の利を生かすこと。
生物の目は大体が二つだ。
首の稼働域の都合上、見ることのできる範囲は限られ、どこかを見れば違う何かを見逃すのは当然なのだから。
この体躯だからこそ、隠れる事ができる場所を探せ。
足の速さを生かし、そこに飛び込め。
──走り続けろ。
的を絞らせないよう、動き続けろ。
相手の隙を探り、意表を突け。
赤い軌跡を残しながら疾走する金髪の圃人の動きを観察する銀髪の青年は、果たしてどこまで目で終えているのだろうか。
決して背を向けないよう、忙しなく軸を合わせ、頭を巡らせ、常に軌跡の先端を視界に納める。
裸足で岩を蹴る不思議な音を聞きながら、けれど森人たちへの警戒を緩めているわけではない。
視界では赤い軌跡を納め、『眼』では他の敵意を感知し、常に剣を振れるように意識をしつつ。
「……」
銀髪の青年は額に流れる汗を拭う暇もなく、ふっと小さく息を吐いた。
直後、赤い線が突然点へと変わり、銀髪の青年は反射的に刃を振るった。
胴を貫かんと放たれた刃を、耳障りな金属が擦れる音と、激しい火花を散らしながら鋼の剣の刃で受け流す。
「へぇ」と金属の圃人の感嘆の声が耳元を掠め、赤い軌跡は岩に当たると共に、その岩を砕きながら跳ね返ってくる。
くるりと薙刀を回転させ、大上段から振り下ろす。
「っ!」
銀髪の青年はその速度に目を見張るものの、すぐに半歩左に避けて刃を避ける。
相手を失った薄い刃は、さながら戦鎚を振り下ろしたように容易く地面を砕き、舞い上がる砂塵と礫が二人に小さな傷をつけた。
だが、まだ金髪の圃人の
振り降ろした薙刀をそのままに、腰に帯びていた短剣を引き抜き、長柄を足場に踏み込み。
半月の軌跡を描く銀閃と共に刃が振るわれ、銀髪の青年は剣を縦に構えてそれを受け止めた。
ガギャン!と重々しい音と共に、銀髪の青年は両足を地面に擦りながら数歩分後退。
空中で短剣を納めた金髪の圃人は、着地と同時に地面にめり込んだ薙刀を引き抜いた。
その勢いを乗せて頭上で回転させ、発生した遠心力に乗って身体を回転。
長柄を身体に巻き付けるように中段構えへと移行し、真一文字に一閃。
圃人にとっては腰の高さでも、只人からすればそれはおよそ太腿から膝の辺り。
「……!」
屈んで避けるにも低く過ぎるし、跳んで避ければ最後、追撃で死ぬことになるだろう。
故に選択肢は防御一択。
銀髪の青年は剣の切っ先を地面に突き立て、足を両断せんとした刃を受け止めた。
甲高い金属音が谷に木霊し、睨み合う蒼と赤の瞳がゆっくりと細まる。
互いの刃が同時に引かれ、そこから始まるは金髪の圃人による一方的な連撃だった。
縦横無尽。小さな体躯の全てを使い、足の指で地面を掴み、腰の動きから腕の動き、全てを使って薙刀を振るい、振り抜いた勢いのままに更に一閃。
一閃が次の一閃を呼び、その勢いは振るわれるごとに増していく。
その全てが
ただの鋼の剣でもって、大岩を砕くほどの一撃を防ぎ、あるいは受け流し、けれど反撃することはなく。
断続的に続くのは金属音のみで、肉が裂け、骨が断たれる異音が混ざることはない。
「……」
そしてそれを見る彼らもまた、横槍を入れることはない。
さながら演舞のような二人の
それが数分続いても、二人の呼吸は乱れる様子もなく、むしろ応酬の速度が増していくほど。
舞い散る火花が谷の暗闇を照らし、闇に塗りつぶされた二人の戦士の戦いに、橙の色を加える。
力任せにぶつかり合っていた金属音が、段々と楽器を鳴らしたような澄んだ音へと変わり始め、二人の立ち回りからも段々と無駄がなくなっていく。
それ故だろうか。二人は一切の疲労を見せず、かと言って力を抜いているわけでもない、本人たちにとっても不思議な状態へと至っていた。
二人の打ち合いは終わる気配を見せず、このまま日が沈むまで続くかと思われたその戦いも、突然終わりを告げた。
──打ち合っていた銀髪の青年の剣が、無惨にも砕け散ったのだ。
「っ!?」
歯こぼれした形跡も、折れるような素振りもなかったというのに、突然の限界。
『暗剣』と戦ってからというもの、まともな手入れもなしにこの打ち合いだ。ただの鋼の剣で、耐えられるわけもない。
ぎょっと目を見開いた銀髪の青年は、振り下ろされる薙刀を見つめながら、力の抜けた──ある意味では間の抜けたようにも見える──笑みをこぼした。
もはや意味をなさない剣の柄を落とし、振り下ろされる刃に向けて、両手を差し出す。
盾変わりにしたところで意味はない。あの刃であれば、腕の二本程度、雑作もなく両断する事だろう。
──そう、人の腕であれば。
女上の森人と、半森人の少女が声にならない悲鳴をあげた直後、響いたのは肉の断つ音ではなく、甲高く澄んだ金属音だった。
次に目を見開いたのは金髪の圃人。いいや、彼だけではない。
その場にいる半森人の少女を除いた全員が一様に驚き、声を失っていた。
銀髪の青年の籠手の内側から、細い刃が飛び出し、ばつ字に重ねて薙刀を受け止めているのだ。
「づ……っ、うぅ……!」
だがその衝撃は凄まじいものだったのか、彼は骨が軋む痛みに唸りながら、地面にめり込んだ両足を踏ん張って倒れないように気合いを入れる。
彼の両足を中心とした蜘蛛の巣状の罅が広がり、先の一撃にどれ程の力が込められていたのかを顕著に示す。
「それを、どこで……」
だが、そんなものはどうでもいいのだろう。
金髪の圃人は困惑の表情をそのままに、もはや敵とは関係なしと言わんばかりに問うた。
ゆっくりと薙刀を引いた彼は、「どこで、それを手にいれた!」と僅かに興奮しながらも彼へと詰め寄った。
銀髪の青年は突然の変わりっぷりに困惑しながら、痺れる小指に喝を入れ、無理矢理に動かした。
シャ!と微かに刃と鞘が擦れる音と共に納刀した彼は、「これか……?」と呟いて籠手越しに鞘を撫でた。
「父から、成人祝いに渡されたものだ。これがどうかしたのか?」
彼は何て事のないように、けれどどこか誇らしげに語った言葉に、金髪の圃人をはじめ、
「あれは、まさか」だの「いや。そんな、しかし……」だのと、明らかに困惑しているのがわかる。
「……」
無言で首を傾げる銀髪の青年を他所に、彼らは数人の見張りを残して一ヶ所に集まり、何やら囁きあっている。
「っ!……っ!」
一人残された銀髪の青年が頭上や背後にいる見張りの森人に警戒していると、ぱたぱたと足音をたてて半森人の少女が駆け寄ってきた。
彼女はぺたぺたと彼の身体に触れて、『大丈夫?』と言わんばかりに顔を見上げてくる。
小さく微笑んだ銀髪の青年は汗で張り付く肌着の感触を気持ち悪く思いながら片膝をつき、「大丈夫だ」と告げて少女の頭を撫でた。
声もなく、けれど嬉しそうに笑う彼女の表情に、多少ながら癒されながら、銀髪の青年はホッと一息。
そして後頭部に突きつけられた薙刀の切っ先をそのままに、振り向くことなく「俺の処分はどうなった」と問いかけた。
「とにかく、話を聞かせてもらう。その子が懐いているのなら、少なくとも
一部を嫌に強調しながら、けれど先程よりかは敵意を抑えられた言葉。
「そうか」と相変わらず振り向かずに頷いた彼は、ちらりと女上の森人に視線を向けた。
ずぶ濡れになった彼女は恨めしそうにこちらを睨んでいるが、助けてやったのだから恨みっこはなしにして欲しい。
銀髪の青年は小さく肩を竦めると、少女を撫でるのを止め、その場から立ち上がった。
敵意なしの証明のために両手を挙げながら、ゆっくりと振り向く。
鼻先に置かれた薙刀の切っ先を睨みながら、苦笑。
「それで、一応は敵ではなくなったか?」
「敵ではないが味方でもない。というのが、キミのたち位置になるかな」
対する金髪の圃人も形だけの笑みを浮かべ、肩を竦めた。
それと同時に薙刀を振り上げ、その勢いのままに肩に担ぐ。
「着いて来てくれ。怪しい行動をすれば、斬る」
貼り付けた笑顔をそのままに、なんとも恐ろしいことを告げた彼に、銀髪の青年は「おお、怖い」とわざとらしく震えながら返した。
森人たちに守られるように囲まれた女上の森人は、額に手をやりながら天を仰いだ。
青空に黒い点となっているのは、彼について回る鷲だろうか。
──呑気なものだな……。
鳥に愚痴をこぼしたところで意味もないのだが、女上の森人は胸中で愚痴らずにはいられなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。EGOです。
ここからは割りと重要なお知らせ。
今後の展開はそれなりに決まっているのですが、如何せん情報、及び資料不足感が否めないのが現状です。
やりたいことがあっても、出来ないもやもや感。
あるかもわからない魔術や、奇跡ありきでのストーリー進行は、流石に危険な気がして足踏み状態。
なので、誠に勝手ながら、五月中旬頃に発売される『ゴブスレTRPGサプリメント』を購入してから、次回を更新していこうと思っております。
それまではR-18版を中心に、ダイ・カタナ編にも手を出す予定です。
こちらの更新がだいぶ先になってしまいますが、ご了承ください。
感想等ありましたら、よろしくお願いします。