汝、モルモットの毛並みを見よ   作:しゃるふぃ

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第1話

 ――日本ウマ娘トレーニングセンター学園。全国各地にあるトレセン学園の中でも、トップクラスの規模を誇るトレセンだ。日本最高峰に集うのは、無論みな純粋に”走ること”を追い求める者たち。

 の、はずだった。

 

「やる気が出ない。嫌だなぁ。なんで俺がこんな仕事してるんだろうなぁ」

 

 模擬レースを眺めながら、簡易的な観客席の端で独り言ちた。

 目の前には広大な競技場。整備員の苦労が伺われる芝は青々としていて、模擬レースを走る少女たちの姿を映えさせていた。

 彼女たちは人間離れした身体能力を持ち、大抵は見目麗しく、耳と尻尾が生えていたが、逆に言えばそれ以外は完全に人間と遜色ない。細身の美少女たちのどこにそんな筋力があるのか、まったく理解できない。不気味だし、個人的事情を鑑みれば嫌悪感すら感じていた。

 

 まず、なぜ俺がウマ娘嫌いなのか。普通に考えると、速いし、可愛いし、歌って踊ってくれるんだから人気が出るのは当然だ。

 しかし男の、それも陸上競技者としては、話題を全部攫って行ってしまうウマ娘は商売敵というか、何とも言えぬ敗北感を植え付けてくる存在だった。

 もちろん人間とウマ娘の区別はある。男と女の性別も違う。しかし、結局やってることは『走る』だけなのだ。ならば普通、可愛い女の子の方を見るだろう。俺だってそうする。責められない。だいたい、人間とウマ娘では、どうしても速度的な意味で迫力が違い過ぎた。

 

 高校生の時、俺は走るのをやめた。そして迷走の果て、一つの疑問に行きついた。

 ”なんであんなに早いんだ?”

 ウマ娘という存在は、冷静に考えるとオカルトじみている。科学的な文明社会の中で、彼女たちにはまことしやかに”別世界の魂と名前を受け継いだ”という非科学的な意見が語られていた。無論、本当にそうならば構わない。が、それが事実だと誰が検証したのか。責任者は誰だ。不在だった。ウマ娘は神話だった。彼女たちの足が速い理由なんて、はっきりしたことはわからないのだ。

 

 そこで、俺は狂気的な発想に行きついた。

 ”ウマ娘が作れないとは限らないのではないか?”

 極端な話、人工ウマ娘――後天的なものか、クローン培養的なものかは別として――すら、可能かもしれない。

 その果てに、俺は夢を見ていた。

 ウマ娘と同じような速度で走りたいと。いや、彼女らを超えたいと。人間のままでは勝ち目がないのなら、人間をやめればいい。そういう結論を出したのが、大学生の時だった。

 

 あとは簡単だ。ウマ娘について、トレーナーではない立場として大学院に進み、博士号を取り、研究を進めた。人間の脚をウマ娘の脚にする技術や薬剤は、今のところ開発できていない。研究に手詰まりを感じていた。やっている研究が異端じみているせいで教授のポストには就けないし。

 要するに金がなく、追い詰められていた。

 

 そこに届いたのが、トレセン学園からの勧誘だった。

 社員寮付き、高収入、好待遇、休みもあるし、研究対象が近くにいる。最高の待遇だ。しかし俺はウマ娘を正直好きになれなかった。憎んだり嫌ったりしているわけではないのだが、何だか商売敵みたいなライバル意識がある。

 

 ……まあ、金には勝てなかったんだがな!

 そういうわけで、やる気のないトレーナーが爆誕した。一応トレーナーとしての講習は受けたが、付け焼刃だ。専門の学校を出てきた者には敵わない。はっきり言って、この状態で誰かの担当をしても全員が不幸になるだけだ。ウマ娘嫌いとしても、いくらなんでも未来ある若人の将来を潰そうとは思わない。それにも関わらず俺がレースを見ているのは、隣にいる奴のせいだった。

 

「鶴城トレーナー、どうでしたか?」

「みんな速いね」

「そうですよね! 特に6番のあの白髪の子が――」

 

 そりゃウマ娘なんだから速いに決まっている。俺の感想は虚無に等しい。

 それにも関わらず、ショートカットの女性こと桐生院葵トレーナーは興奮気味に捲し立てた。彼女とは同期の間柄だし、トレーナー業に詳しい友人は必須だから仲良くさせて貰っている。

 それに、個人的な共通項もある。変わり者だ。俺はトレーナー養成所出身ではないし、彼女は桐生院家の出身だった。まあ桐生院家がどう凄いのかはわからないが、なんだかすごいらしい。

 彼女は悩む表情を見せた後、ぱっと真剣な顔付きになった。

 

「じゃ、じゃあ! 私は早速スカウトに行ってきますので!」

「誰を? 白髪の子?」

「はい! では!」

 

 桐生院は颯爽と駆けて行った。スカウトは早い者勝ちだ。急ぐのも頷ける。

 出遅れた者は出遅れた――誰からもスカウトされなかった者と組むしかない。つまり二軍は二軍とくっつくし、三軍は……恐らく、地方トレセンに移籍することになるだろう。デビュー前にも関わらず、勝負の世界は既に始まっているのだ。

 

 その点で桐生院トレーナーは最高の存在だ。彼女はウマ娘を選ぶ側。俺はウマ娘に選ばれる側だ。もっとも俺が正式なトレーナー過程を卒業していないのは周知の事実。そんな奴に将来を託したい子はいなかった。いたとすれば、俺はそいつの正気を疑う。

 

 一応、保健室や担当なしの教官としての仕事で食い繋げるし、担当を決める必要はないのだが……。

 社会人としてそれで良いのか。トレーナーたるもの、本分はチームや担当を持って育成することではないのか。うんうん唸っていると、周りは皆帰ったらしかった。

 

 うん。余計なことを考えたせいで時間を浪費した。そもそも勧誘したのは学園だ、俺が気にすることじゃない。

 研究に戻ろう。踵を返したところで、向こうからやって来る人影に目を奪われた。

 白衣だ。白衣を着ている。試験管もある。懐かしい物ばかりだった。研究者仲間だろうか。顔を見ようと目線を上げると、ベンゼン環みたいな髪飾りをつけたウマ娘だった。

 彼女は少し低めの声で、クックッと喉を鳴らすように笑った。

 

「……おや? おやおや? 君は、鶴城圭吾といったかな?」

「どこでそれを?」

「何か発表していただろう。人間をウマ娘に変える技術、だったかな?」

 

 あぁ、間違いなく俺だ。頷くと、彼女は嬉しそうに笑った。

 

「で、どうしてトレーナーバッジを? 研究は?」

「続けるさ。ただ金がなかったから。仕方なく」

「あぁ、それは……仕方ないね。誰もが研究の価値を理解してくれるわけじゃあない」

「それより、君は?」

 

 ウマ娘なのは見ればわかる。学園指定の制服を着ているし、生徒なのもわかる。

 しかし名前がわからない。

 彼女は輝きの無い瞳を、一瞬だけ光らせた。

 

「ほほう! 知らないときたか。これはますます好都合」

「何が?」

「気にしなくていい。私はアグネスタキオン。超光速の粒子の名を冠する――それくらい知ってるか」

「アグネスタキオンか、覚えておくよ。じゃあ、俺はこれで」

 

 厄介ごとの気配がした。あの目を、俺はよく知っている。鏡に映った自分が時々こういう目をしていた。それ以外でも、時々こういう目をした研究者を見てきた。全員ロクな奴じゃなかった。教訓は生かすべきだ。

 立ち去ろうとして、がっと肩を掴まれた。ウマ娘の身体能力に勝てるわけがなく、振り向いた。

 

「タキオン?」

「まぁまぁ、焦る必要はないだろう。私の実験に協力したまえよ、それが君の研究にも役立つはずだ」

「実験だと?」

「私と共に、ウマ娘の速度の向こう側を目指そうじゃないか!」

 

 まったく意味がわからない。

 これが、アグネスタキオンとのファーストコンタクトだった。

 


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