テイオーや会長も心配だが、そろそろ自分たちのことも済ませなくてはならない。
メイクデビューまで残り一週間。並みのトレーナーやウマ娘ならば慌てふためくところ、我々は落ち着き払っていた。
「なあ、もう少し緊張感を持った方がいいんじゃないか?」
「所詮通過地点だ、この程度で焦ってどうする。その調子でGⅠレースに勝てるとでも?」
「最初の担当がタキオンで良かったよ。鋼の意志を手に入れられそうだ」
「……それは本当に我々に必要なんだろうか?」
タキオンはGⅠに出る気満々だ。クラシック三冠はおろかホープフルステークスも出たいらしい。代わりにGⅡ、GⅢには出たくないというのは、データ取りにならないからだろう。
「速さを追い求めるのだから、速いウマ娘が出るレースを望むのは当然のこと。その点において、”皐月賞”、ここは絶対に抑えたいところだ」
「最も速いウマ娘が勝つ、だからな」
「ああ。そういうわけだから、前哨戦となるレースを探したまえ」
「探すったって……そりゃ、弥生賞でいいだろ。というかメイクデビューで負けたら未勝利戦に出ないといけないんだし、もうちょっと差し迫った問題をだな」
「問題にならないと言っているのだよ、モルモット君。さあ基礎トレをやろうじゃないか」
「それは構わないが……ゲートは大丈夫なのか?」
「不愉快なのに違いはないが、極端な出遅れはしないさ」
仕方ない。ここまで緊張感がないのも問題な気はするが、当日の空気にあてられればさすがに多少は緊張するだろう。
「じゃ、今日も基礎トレするか」
「任せたまえ。ついでに実験もするから、計器をよく見ておくように。準備運動は済ませたかね?」
「問題ない、いくぞ」
タキオンの練習にはいつも俺がついていっている。それは遠くから見守るという意味ではなく、文字通り隣でトレーニングをするという意味だ。もちろん負荷は俺の方が軽いが、タキオンはそれでも満足そうなので気にしないことにしていた。
「はっ、はっ、はっ、はっ……おやトレーナー君。顔が赤いよ?」
「ウマ娘と同じ速度で、走れるわけねぇだろうが!」
「ハッハッハッハ! さあさあ、私を追いかけてみたまえ! ちゃんとタイムは測りたまえよ!」
芝コースの上を走っているが、やはり積んでいるエンジンが違うと言うべきか。
「ちょっとずつペースを上げていけよ!」
「言われるまでもない!」
出した指示に対して、俺はゆっくりと速度を落としていった。さすがに無理だ。ゆっくりクールダウンして、実験機材を入れていた段ボール箱の隣に腰かけた。
「ふぅ。死ぬかと思った」
「……タキオンさん、頑張ってますね」
「うわっ!?」
存在感の希薄な少女が傍らに立っていた。漆黒と言っても過言ではないほどの黒髪で、耳と尻尾が生えている。タキオンさん、というからには知り合いか。
「君は?」
「……マンハッタンカフェ、といいます」
「タキオンとはどういう関係で?」
「……付きまとわれて、実験を、と」
「ごめんな。本当に」
「いえ……あなたがタキオンさんのトレーナー、で、良いんですよね……」
「ああ、そうだ。何か用件があるなら伝えておくが」
「いえ……私も少し練習を、と思ったので……使っているなら、また、出直しますから」
知り合いとのことだし、併走トレーニングにしても良いかもしれない。
タキオンが戻って来るタイミングだったので、声を掛けた。
「マンハッタンカフェさん、ちょっと待っていてくれ。おーい! タキオーン!」
「いえ、あの……」
「ん? おや、カフェじゃないかぁ!」
タキオンはゴールまで走った後、こちらに歩いてきた。タキオンが君付けせずに呼び捨てるとは、相当親密な間柄のようだ。片思いかもしれないが。
「それで、どうしたんだい?」
「いえ、私は……」
「練習に来たが先に使っていたから帰ろうとしたらしい」
この時間帯に練習している生徒はほとんどいない。トレセン学園は文武両道、文はともかく武……レースの部分は、専属トレーナーがいればそちらに委ねられる。故に、本来授業時間であるはずのこの時間でも練習することが可能というわけだ。レース直前だし、ある程度融通は効く。故に謎だった。
「でも、マンハッタンカフェさんは授業をどうしたのさ」
「カフェも来週……来月だっけ? 来年?」
「再来週、です」
「おぉそうだった。ところで実験に協力を――」
「タキオン落ち着け。トレーニングもまた実験だ。マンハッタンカフェさん、どうだろう。タキオンと併走トレーニングをして貰えないか?」
「タキオンさんと……?」
「そうだ。この2ヵ月、基礎トレしかしてないからな。たまには少し”レースっぽさ”を思い出してもらいたいんだ」
「構わない。プランBの対象選定にも有益だからねぇ。コースはここを使うとして、距離は? カフェに希望はあるかい?」
「私は……3000mを」
長いな。デビュー前のウマ娘が走る距離じゃない上、メイクデビューの距離でもない。しかし並々ならぬ拘りを感じとった。俺が応じる前に、タキオンが踵を返した。
「良いだろう。トレーナー君、準備をしたまえ」
「ああ。無理はしすぎないように」
「……ありがとうございます」
レースではないが、恐らくお互いに本気で走るだろう。面白そうだ。
簡易ゴールを持ってきて、ストップウォッチを二つ手に携えた。
さすがにゲートはないが、十分だろう。
「こっちは大丈夫だぞー! そっちはー!」
返事はなかったが、頷いているのが見えた。
ラップタイムなんかは傍らに置いてあるタキオン謹製の機械が自動で測ってくれる。らしい。
「いくぞー……スタート!」
一気に二人が飛び出していく。が、両者抑え気味だ。先行脚質のタキオンが先頭、1バ身も離れずにマンハッタンカフェ。恐らく差しの脚質だろう。両者動かず、そのままの展開で1000、2000と過ぎていった。どちらも様子を伺っていて、かなりのスローペースだ。このままゴールされたら練習にならないが、邪魔をするわけにもいかない。
最終コーナー手前で、先に動いたのはタキオンの方だ。彼女はコーナーが上手なので、それを活かしたのだろう。ぐんぐん加速していく。対するマンハッタンカフェは抑えたままで、差が2バ身3バ身と開いていった。しかし最終直線で一気にマンハッタンカフェも加速。凄まじい末脚だ。差しウマの本領発揮と言えよう。開いていたリードは詰まっていくが、タキオンは先頭を譲らなかった。アタマ差くらいでタキオンが勝った、と判定しても良いだろう。タイムには差がない。
コースから出て戻ってきた彼女たちに、タオルを投げながら言った。
「正直良い走りだとは思うんだが、タイムはそんなでもない。まあわかってただろうが。あ、これ見たほうがいいか」
ストップウォッチを渡すと、二人そろってまぁこんなものか、と言いたげな表情を浮かべた。
「スローペースだったからねぇ。当然と言えよう」
「……タキオンさん……もう一度、走りませんか」
「えぇー? いやまあ、構わない。しかし、この薬を飲ませて貰おう」
「……私は飲みませんからね?」
「そこのモルモット君ですでに実験済みだ。もちろんカフェのデータも欲しいが、今は自分に――おおぉおおお!?」
タキオンが蛍光ピンク色の液体を取り出して飲むと、目が金色になって輝き始めた。
「おい、大丈夫なのか?」
「問題ないとも! さあさあ! 走ろうじゃないか! 今の私は燃え上がっている!」
大丈夫じゃなさそうだ。とはいえ今日のメニューはまだ終わってないし、タキオンのことだから止めたって無駄だろう。
「マンハッタンカフェさん、付き合ってやってもらえないか?」
「……わかりました。でも、実験はしませんから」
「はーやーくー!」
タキオンは既にコースの中に戻っていた。水分補給は……したようだ。ボトルの位置が動いている。なら何も言うことはない。
その後の二人の併走はきちんとトレーニングになった。代わりに滅茶苦茶ハイペースだったので、タキオンの方は練習後完全に潰れていたが。
「モ、モルモット君、実験は……失敗、だ」
「見ればわかる。帰るぞ」
「う、動けそうにない……私を、運びたまえ」
「どこか痛むのか?」
「いやはや、すごいよこれは。立ち上がる気力もない……」
身体に異常はないようだ。一時的にとんでもなくやる気になった反動が来たのだろう。
運びたいのはやまやまだが、成人男性が女子高生に触れて運ぶのは問題がある。困っているのを察してか、控えめな声が聞こえた。
「私が保健室まで運んでおきます……」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
「いえ、私の方こそありがとうございました……」
何というか、個性の強いウマ娘だった。もっとも個性のないウマ娘なんていないのだが。
ともあれ、本気で走っているタキオンに食いついていけるのだ。彼女は強力なライバルになるだろう。この先のレース、一筋縄ではいかないかもしれない。
不穏な物を感じつつ、俺は後片づけを始めるのだった。
年代とか時空間は好き勝手に歪めるので、あらかじめご了承ください。タキオンは同期がね、馬はいるけどウマ娘がいないからね。
ちなみにマンハッタンカフェは勝ったGⅠが菊花賞、有馬記念、翌年に天皇賞春というとんでもねぇステイヤーです。しかもこの流れで全勝できたのはシンボリルドルフとマンハッタンカフェだけ。
一方タキオンはそもそも中距離、それも2000mだけしか走ったことがありません。極端ですね。