汝、モルモットの毛並みを見よ   作:しゃるふぃ

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第14話

 目を覚ますとベッドの上にいた。

 白衣のタキオンが何かの機械を操作していたが、俺に気づくと顔をこちらに向けた。

 

「おや、目が覚めたかい?」

「……タキオンか。今何時だ」

「安心したまえ。あれから三十分と経っていない」

 

 彼女は溜息にも似た、長い息を吐いた。

 

「あまり無理をしない方が良い。私の言えた話ではないがね」

「善処する」

 

 タキオンは白衣から試験管を取り出した。中にはピンク色で光っている液体が詰まっている。

 

「飲みたまえ。鎮痛剤だ」

「……それは大丈夫なのか?」

「君こそ正気かい? 足の動かし過ぎで捻挫になっているし、でなくとも筋肉痛を起こすだろう。その痛みを素面で耐えたいとは……驚いたな」

「くれ」

 

 市販の鎮痛剤では恐らく効き目が弱く、痛みだけを考えるならタキオン製の多分高性能な薬を飲んだ方が良い。そう思って手を伸ばそうとしたのだが、うまく動かせなかった。

 怪訝な表情を浮かべていたタキオンは、やがてふんふんと興味深そうに鼻を鳴らした。

 

「動かせないなら仕方ない。覚悟したまえ」

 

 タキオンは目を細めた後、試験管をゆっくり俺の方に近づけてきた。ガラスが唇に触れたところで、わざとらしくタキオンが言った。

 

「そうそう、言い忘れていたんだがね。この薬はとても不味い」

「はっ!?」

 

 抗議しようと思った瞬間、液体が流し込まれた。何だこれは。咄嗟に吐き出そうとしたが、すかさず彼女の手が口に当てられた。嗜虐的な笑みが浮かんでいる。もう片方の手には小さな機械が握られていた。

 油断していた。俺が睨みつけるのを尻目に、彼女は楽しそうにどこ吹く風だった。

 

 数分後ようやく飲み込むと、口元を塞いでいた手が離れて行った。

 思考が明瞭になったように錯覚した。走馬灯のように記憶が蘇り、先程の実験のことで頭が一杯になった。その結果俺が出した結論は、やや残酷だった。

 

「地方所属ウマ娘の下位、ってところか?」

「適切な評価と言えるだろう」

 

 つまり中央では通用しない。タキオンに勝てるわけがない。

 研究を続けて埋められるのか。この差はいったい何なのか。肉体の構造だって大差ないのに、どうしてここまで違うのか。ずっと昔の考えが、俺の脳裏を掠めた。

 そんな折、ふとタキオンがやけに優しく、力強い声を発した。

 

「……いずれ報われる、とは言わないがね」

 

 彼女は目を閉じた。

 

「研究を続けない限り道は開かれない。それだけは断言しようじゃないか」

 

 やけに力のこもった声だった。そこでようやく気付き、思わず口に出してしまった。

 

「励まそうとしてくれてるのか」

 

 タキオンはそっぽを向いたが、尻尾がぶんぶんと揺れていた。

 

「さ、実験が終わったならやるべきことがあるはずだ。そうだろう?」

「……ああ。悪いな」

「モルモットに時として餌を与えるのは飼い主の役目さ。私はトレーニングを行ってくるから、安静にしていたまえ」

「は? あ、ああ。わかった」

「何を意外そうな顔をしている。私だって色々あるんだ」

 

 タキオンはひらひらと手を振って出て行った。

 意外だ。あのタキオンが自発的にトレーニングに向かうなんて、明日は雪でも降るかもしれない。

 

 

 

 念のため医者にかかったところ、当面の運動禁止を言い渡された。残念だが、いい機会とも言えるだろう。そろそろホープフルステークスが迫ってきているし、そろそろ白黒はっきりさせないといけない。

 例によって朝のトレーナー室で、くつろいで紅茶を飲んでいるタキオンに語り掛けた。

 

「さて、今日はトレーニングの前に決めなくてはいけないことがある」

「なんだ藪から棒に。珍しくも私がやる気を見せているのに、良いのかね」

 

 本人の言う通り、最近はタキオンが自発的にトレーニングに励んでいる。渡したメニューがちゃんと実行されているのは感動ものだった。だが、それでもやらねばならないことはある。

 

「来年の予定を決めるぞ。クラシック登録をどうするか、またその他のレースについて、トレーニング方針について、来年に向けて決めておかなくてはいけない」

「どうせ私の脚の状態如何でどうとでもなるが……まあわかっているか。それで? 何を決めたい?」

「とりあえず”何のレースに出るか”だ。希望のレースがあるなら聞かせてほしい」

 

 ダービーや天皇賞など、こだわりの強いウマ娘は一定数存在する。特にメジロ家を筆頭に名家ではその傾向が強いが、アグネス家にも何かある可能性を考慮しての発言だ。

 

「ない。強いて言うなら有馬記念だねえ」

「理由は?」

「強いウマ娘が大勢出るからさ。それ以外に何がある。あれはデータの宝庫だぞ」

「宝塚は良いのか?」

「そっちはダメだ。クラシックレースには出たいからねえ」

 

 日本ダービー後の疲労と菊花賞への調整を考えれば、確かに宝塚記念は厳しいか。

 

「じゃ、来年はクラシック路線の後、有馬記念出走を目標にするぞ。良いな?」

「構わないが、私の脚次第で予定は変更する。あまり期待しないでおきたまえよ」

「わかってる。あと、脚のことを考えるとレースの数は絞った方が良い。もしホープフルステークスに勝てたなら、弥生賞は取りやめにしないか?」

 

 GⅡレースに出て脚を消耗するのは得策じゃない。まして今回は4月前半の『皐月賞』に続けて5月後半の『日本ダービー』だ。GⅠレースは手を抜けないだろうから、脚への負担は以前より大きく見積もるべきだろう。

 その上でメイクデビューから完全回復までに1か月半かかったことを鑑みれば、かなり厳しいスケジュールになる。

 

「どうだ?」

「……ふぅン、わかった。ホープフルステークス次第だね」

 

 万一ホープフルで勝てなかった場合、出走条件を満たせない恐れがある。だから負けた場合は弥生賞に出走しなくてはならない。言わずもがな伝わっているだろうから、態々負けた時の話を口にはしなかったが。

 

「それでは情報収集やその他事務手続きは任せたよ。私はトレーニングに向かおう」

「ああ、やっておく。頼んだぞ」

 

 タキオンへは、スピードよりもスタミナを鍛えるように指示を出している。水泳でのトレーニングだから、コースを走るよりは脚への負担も軽く済むと思ってのことだ。今のところは問題ないはずだった。

 

 

 

 しかし一難去ってまた一難という言葉もある。タキオンを見送ってさあ事務仕事と思ったところで、ドアがノックされた。

 

「すまない。少し良いだろうか?」

 

 凛とした声がドア越しに聞こえた。彼女が何の用だろうか。扉を開けると、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた会長が立っていた。

 

「おはようございます、会長。中へどうぞ」

「君は相変わらず敬語を崩さないのだな。会長ではなく”ルドルフ”で構わないと言っているだろうに」

 

 少し不機嫌そうだった。会長はこれで繊細なところがあるから、遠ざけられていると思ったかもしれない。

 かいちょ――ルドルフはソファに座った。彼女が立ち話にしないということは、それなりの長話だろう。

 

「ル……ルドルフ。紅茶を入れようと思うんだが、大丈夫か?」

「ああ! 頂けるのならばありがたい。君たちの淹れてくれる紅茶は中々飲める物ではない」

 

 タキオンはやたら紅茶に拘る。時折茶葉の御裾分けを誰かにしているほどだ。

 紅茶の準備を進めながら、少し居心地悪そうなルドルフに話を振った。

 

「それで、要件は?」

「そうだな……一言でいうなら……まあ……なんだ」

 

 珍しく歯切れが悪い。とてつもなく嫌な予感がしてきた。そこでパンと両手を合わせた。

 

「狐疑逡巡して申し訳ない。はっきりと伝えよう。君たちに、いや、”トレーナー君に”生徒会長として頼みがある」

 

 ああ、厄介ごとだった。それから説明とも釈明ともとれる話を聞いていくうちに、段々仕事への意欲が失われていくのだった。

 




個人的見解ですが、ルドルフは初回甘え始めたりするまでのハードルがとてつもなく高いが、代わりにそれ以降は遠慮が吹き飛ぶ感じだと思います。

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