その日の放課後。トレーナー室は重苦しい沈黙に包まれていた。
対面にはルドルフとテイオーが、こちらには俺とタキオンが座っている。さっきからずーっとタキオンは黙ったまま脚を組んでいて、テイオーは憮然とした表情でじっと俺とタキオンを交互に見つめている。ルドルフの表情は平静を取り繕っていたが、耳がぺたりとしょぼくれていた。
「で?」
「……彼がテイオーを担当することを認めてはくれないだろうか?」
「言うまでもなく彼は新人だ。まだトレセン学園に来て1年も経っていないし、トレーナーとしての修業期間もなかった。私はもう高等部で慣れているから問題なかったが、中等部のテイオー君を持たせるのには反対だな」
正論の暴力がルドルフに襲い掛かる。そうだった。タキオンはこれでも再三のトゥインクル・シリーズ参戦要請を拒み続ける奴だ。煙に巻くことと口喧嘩で弱いはずがないのだ。
ルドルフは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて黙り込んだが、テイオーが唇を尖らせて反撃した。
「ボクのこと子供扱いしないでよ。カイチョーからいろんなこと教わったんだから」
「私はテイオー君の力量を疑っているわけではないよ。ただ、トレーナー君には荷が重いだろう。ただでさえ私という面倒なウマ娘を担当しているのだからねぇ」
「そうなの? トレーナー」
「わからん。重いと言えば重いかもしれん」
「何せテイオー君は将来を期待されている。優秀な素質を持ったウマ娘は、往々にして相応しい支援体制あってこそ花開く。テイオー君は生半可なサポートしかできないトレーナーの元で大成できるだろうか?」
テイオーは首を横に振った。ルドルフは頭を抱えている。
「良弓難張、というわけか」
「トレーナー君が無能だとは思わない。むしろ良くやっている方だ。ただし私だってトレーナーの力を必要としている。この件を強行してはトレーナー、私、テイオー君すべての才能が潰れかねない。URAにとっても学園にとっても多大な損失になるだろう。違うかね?」
「タキオン。その辺にしといてやれ」
「……私は君のためを思って言っているのだが」
タキオンは渋々口を閉じた。タキオンの言っていることは正しいのだが、そこまで忙しいというわけでもない。
そもそもだが、俺たちは「チーム」を作ろうとしているわけではない。俺とテイオーが契約するかが焦点であって、タキオンは無関係でこそないが、第三者の立場だ。重要なのはテイオーの意思になる。
「なあ、テイオー」
「なに? トレーナー」
「俺と契約するつもりはあるのか?」
「うん? うん。君となら契約しても良いよ」
随分あっさりした応答に、違和感を覚えた。
なんだかな。何かすれ違いというか……ああ、そうか。
「なあテイオー。ちょっと頼みがあるんだが」
「なになに?」
「君の最高の走りを、俺に見せてくれないか。あの時の併走は自分のことでいっぱいいっぱいだったから」
「実力を測りたいだとー? ボクは無敵のテイオー様だぞー! 良いけど!」
結局のところ、お互いに抱いている考えは『担当してもされても”構わない”』だ。積極的な、担当したいという意思はない。このままでは問題がある。
タキオンとの関係性とは似て非なる物だ。タキオンは同好の士であり、相互の研究を発展させたい、支援したいという熱意があった。タキオンの夢は俺の夢に近い。人間の限界を超えるかウマ娘の限界を超えるか、ただそれだけ。スピードの高みへ挑む者として、共感できた。タキオンの夢を隣で俺も見ることができた。
だがテイオーはどうだろう。彼女の夢は”無敗三冠”だ。勝敗は兵家の常とまではいわないが、そこまで勝利に拘り切れない自分がいる。やはり個人的には、”最良の走り”に重点を置きたい。
テイオーの夢を一緒に見れないならば、同床異夢になってしまう。テイオーを担当するための条件は、”俺がテイオーの走りにスピードの限界へ至る可能性を見出せるか”。あるいは”無敗三冠の夢を共に抱けるか”だろう。
俺が考えなしに言っているわけじゃないことは、暗黙の裡に伝わったらしい。ルドルフが静かに鋭い目つきをした。
「……テイオーの走りを引き出すなら、私も隣で走った方が良い。それでも構わないだろうか、トレーナー君?」
頷いた。どういう理屈かはわからないが、まあルドルフが言うならそうなんだろう。
「ならば私も走ろうじゃないか。私のモルモット君に担当されたいというのなら、実力を示したまえ」
「その対抗意識は何なんだ。別にタキオンの担当を外れるわけでは――」
「実験器具がどこかに行ったら不便だろう?」
いつものタキオンだった。
レース条件は俺が決めることになった。この三人に適切な距離を選ばなくてはならないが、主軸はあくまでテイオーだ。彼女がやる気を出しそうなのは……。
「左回りの2400mかな」
「ダービーじゃん! やろうやろう! カイチョーとレース、カイチョーとレース……!」
これで良さそうだ。残る二人に目配せしたところ、頷いてくれた。問題なさそうだ。
しかしタキオンの目に並々ならぬ闘志が宿っているのだけが、唯一気がかりだった。
予約を取れるのが夜からだったので、レースは夜に行うことになった。この3人が並んで歩いていれば耳目をひきつけ、まず質問されるのはルドルフだ。彼女は何も隠さず、レースを行うことを伝えてしまった。
そして、もう夕食時だというのに大勢の観客が集まっていた。
各々体をほぐしていたところで、ルドルフがやけに堂々とした様子で言った。
「すまないな、トレーナー君。見定めるのには不適な状況になってしまった」
「仕方ないさ。俺だってこのレースは見たいと思ったはずだ」
「そう言ってもらえると助かるよ。アグネスタキオン、準備はできているか」
「いつ始めても問題はない。測定装置の準備は整っている」
「ボクも大丈夫だよっ! 楽しみだなぁー!」
観客の存在に後押しされて、テイオーの調子は鰻登りだ。これを意図してルドルフは情報を零したのかもしれない。
顔を見上げて観客をぐるりと見渡すと、他の生徒会役員やマンハッタンカフェといったウマ娘たちも見受けられる。ちょっと失敗したかもしれない。ルドルフはともかく、他二人の手の内を晒す結果になってしまった。
「悪いな、二人とも。手の内を晒させることになってしまうが、それでも全力で走って欲しい」
「構わないさ。彼らが私について何を知ろうが、私がそれより速ければ良いだけだろう?」
「ボクもぜんぜんオッケーだよ。みんなの歓声を浴びるんだから、むしろバッチリ覚えてって貰わなきゃね」
誰かを表立って応援はできない。しかし、俺はタキオンの肩に軽く手を置いた。
「ふぅン? なるほど」
何かは伝わったらしい。俺はスタート地点まで移動して、高く腕を上げた。
「始めるぞ。位置について。よーい……」
腕を振り下ろした瞬間、眼前の芝が爆ぜた。
全員脚質は先行だ。ルドルフは今回本気で走るらしく、早々に先頭に立った。その後を2バ身ほど離れてタキオンとテイオーが追走している。タキオンが内側だが、抜け出すのは容易いだろう。お互いに様子見の展開が続くが、1000mを通過したところでテイオーが動き出した。軽い小手調べから始めるらしい。
タキオンは追い抜かれるままに任せ、3番手についた。ルドルフは抜かせまいと速度を上げ、テイオーも負けじと食らいつく。離され過ぎるとまずいタキオンもペースアップ。どんどんハイペースになっていって、先頭ルドルフ、2バ身差でテイオー、さらに3バ身離れてタキオン。この展開が終盤まで続いた。
最終コーナー手前で、タキオンの雰囲気が変わった。急激な加速。コーナー前からラストスパートを掛けて曲がれるのはさすがとしか言いようがない。ちょうど曲がり終えたところで、タキオンはルドルフを交わして先頭に立った。
タキオンにリードはなく、残る二人にも余力がある。
直線勝負、まず仕掛けたのは2番手のルドルフだった。暴力的な速度であっさりとタキオンを追い抜いてしまう。その走りはあまりに圧倒的で、あまりに神々しく、唯一無二の皇帝だった。
しかし、支配者は一人ではなかった。
トウカイテイオーの走りは、焦がれる者の物だった。皇帝を模倣した末に生まれた、帝王の走り。
同床異夢だと思っていたテイオーは、実はこれ以上ないほどに同じ夢を見ていた。
俺は”ウマ娘”に夢を見て、彼女は”シンボリルドルフ”に夢を見たのだ。それが種族か、個かという違いだけ。
俺が”研究”を行う最中、彼女は”テイオーステップ”を身に着けた。その理由は一つだけ。憧れの存在に追いつきたい。そして、願わくば――。
心を決めるのと同時に、ゴールを皇帝が駆け抜けた。
ルドルフとテイオーが1バ身差、テイオーとタキオンがクビ差で決着した。まさかのタキオンが最下位だ。面子が面子とはいえ、負けは負け。
考えられる敗因は2つある。1つは距離が長かった。2000mの練習しかしてこなかったから、距離が少し増えただけで対応しきれなくなった。今後はもっと長距離に慣らしていく必要がある。さもなくばダービーと菊花が危うい。
もう1つは仕掛けが遅れたことだ。二人のような爆発力がない以上、最終直線での末脚勝負は分が悪い。速めに仕掛けてリードをもっと広げておくべきだった。
意外なことに、俺の内心は少し変化していた。タキオンを勝たせてやりたい、自然な形でそう思っていた。
タキオンはどう思ってくれているだろうか。いつの間にか俯いていた顔を上げると、目を閉じているタキオンが映った。
彼女は静かに佇んでいた。何も感じてくれていないのか。やはり勝敗など気にしないのか。視線が下に沈んで行って、一点で止められた。タキオンは拳を強く握りしめていて、隙間からは僅かに血が流れていた。彼女がそう思ってくれているなら――この敗北にも、意味がある。
そんな俺たちには誰も気づかず、観客は熱狂する。
『ワァアアーーッ!』
「皆――声援、感謝する!」
『皇帝! 皇帝! 皇帝!』
”皇帝”コール。普段なら飛び上がって勝利を祝福したはずのテイオーの表情は、少し歪んでいた。何かを求めるように目を彷徨わせた後、タキオンの手を見て黙っていた。
皇帝を讃える声は止まない。残る二人への声も好意的だが、あくまでも敗者に向けての言葉だった。
「勝ちたい」
誰かがそう言った。もしかしたら自分だったかもしれない。
勝利を追い求める。走りと共に宿命づけられた、ウマ娘の抱える渇望。その一端に触れて、俺まで熱にあてられただろうか。気づけば声を漏らしていた。
「次は……こうはいかない」
いつの日か皇帝を、シンボリルドルフを打倒する。まずは無敗の三冠。テイオーの大言壮語がようやく理解できた気がした。皇帝に挑むには1冠程度じゃ物足りない。敗北という汚点は許されない。”無敗の三冠”なんて通過点に過ぎなかった。
この日、本当の意味で俺はトレーナーになった。
ゲームの固有スキルを意識して書きました。(つまり、ルドルフは固有スキルを使っていない)
白状すると、今回の話はトウカイテイオーのストーリーのパクりです。多分。
アプリに詳しくない方向けに、各々の固有スキルを書いておきます。
アグネスタキオン:U=ma2
レース後半のコーナーで控えていると、持久力が回復する
トウカイテイオー:究極テイオーステップ
最終直線で前と差が詰まると華麗な脚取りで速度がすごく上がる
シンボリルドルフ:汝、皇帝の神威を見よ
レース終盤に3回追い抜くと最終直線で速度がすごく上がる