汝、モルモットの毛並みを見よ   作:しゃるふぃ

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第2話

 

 アグネスタキオンに誘われ、俺は彼女の研究室――ラボとかいう場所に連行された。

 とりあえず椅子に掛けたところで、彼女はほぅと息をついた。

 

「私の研究にとって君は有益だ。君にとっても同じだろう」

「どうした急に。何を研究してるんだ、タキオンは」

 

 お互いに敬称や話し方は気にしないことにしていた。無駄に数音話す時間が勿体ないらしい。気持ちはわからなくもないので、俺も年の差を気にせず話している。

 彼女はふぅンと声を漏らした。

 

「端的に言うと、ウマ娘の最高速度の向こう側を見たいのさ」

「……つまり速く走りたいってことでいいのか?」

「野暮な言い方だなぁ。ウマ娘の最高速度、定説は知っているだろうが――それを超える可能性を探っている」

 

 やっぱりただ速く走りたいだけじゃないか。自覚しているらしく、タキオンは目を逸らし俯いた。

 なんだか馬鹿みたいな研究目的だが、気持ちはよくわかる。走って負けた果てに好奇心に突き動かされた自分とそう違いはない。それに、俺もウマ娘と同じ速度で走りたいと思ったことはある。

 速度を求めていることに変わりはない。違うのは人間か、ウマ娘かだ。

 

「……確かに、協力できそうだな」

「おぉっ!」

「中身について話そうか。あぁ、でも明日は平日か。もう夜になるし、ここは日を改めて」

「それはひどいんじゃないかい? 私は今、大変に興奮しているんだよ」

 

 タキオンは少し上気した顔をしていた。恍惚とした表情は艶かしいが、舌なめずりは乙女ではなく爬虫類のそれだった。

 

「さぁさぁ。研究について、思う存分に語り合おうではないか!」

 

 宴が始まった。

 

 

 

 結論。俺と彼女の目的は一致しているが、方向性が違っていた。そろそろ寮の門限という頃合いになって、俺は話をまとめに掛かった。

 

「タキオンの研究は主に脚に着目している、ってことでいいんだよな」

「あぁ。もっとも脚だけ頑丈でも意味はない。それ以外も研究しているがね、君には負ける」

 

 彼女の研究は主に脚部の強化に主軸が置かれている。実際、足を速くするならそれが一番だろう。

 一方、俺は違う。そもそも人間である我が身では、脚だけウマ娘に取り換えたところで宝の持ち腐れになる。そのため全般的な強化が必要で、器用貧乏になってしまった。

 

「心肺能力、脳機能、尻尾なしでのバランス維持……私のプランAもなかなか難しいが、君の目標はそれ以上だと言って良いだろう」

 

 プランAという単語は何度か聞いていたが、意味は教えてくれなかった。足の強化が目的らしい。プランBも速度の追求が目的だというから、何が違うのかはわからなかった。とりあえず、研究成果を渡してみようか。

 

「飲んでみるか。俺の薬を」

「いいや、やめておくよ。効果が弱すぎる。ウマ娘で実験したいという君の気持ちは、よーくわかるけど」

「なら仕方ない。副作用も大きいしな」

 

 俺の薬の到達点は、日常生活での身体能力が若干低下する代わりに、レース時……つまり、力を出したい時に増強させる薬だ。あまりにも効き目が強すぎると、それこそ軽い風邪ですら死の危険が付きまとうようになる。実用するとなれば、かなり薄めて使わざるを得ない。

 

「君は案外、健康そうだね」

「効能を弱めて使っている。それに俺は成人男性だ」

「なるほど。ところで、こんな新薬があるんだが――どうだい?」

 

 タキオンはラボの中を少し見回して、青白い蛍光色の液体を持って来た。薄暗い室内で煌々と輝いていて、チェレンコフ光のようだった。明らかに生命体が摂取して良い色をしていない。が、一応聞いておこう。

 

「それは?」

「私が開発した筋力増強剤だ。なぁに、効果はきっとある」

「……副作用は?」

「ハッハッハ!」

 

 笑ってる場合か。好奇心はあるが、まだ死ぬ時じゃない。丁重にお断りし、俺はラボから逃げ出した。

 

 

 

 無人の校舎を歩く。もう太陽はとっくに落ちていて、残っている生徒は見当たらない。

 というか、寮の門限とやらは大丈夫なのだろうか? 22時だったはずだが、もう21時を過ぎている。

 もちろんトレーナーには門限などないが……どうしたものかな。

 

「迷った」

 

 廊下に照明はなく、街灯やグラウンドから差し込む光だけが頼りになる。ふらふらと彷徨っていると、人影が見えたので声を掛けた。

 

「すみませーん!」

「ん?」

 

 応じた声は低く、何というか、女性のはずなのに格好良い声だった。というか、ウマ娘に詳しくない俺でも知っている。生徒の代表として、トレーナー研修の時に挨拶に来ていた。

 

「こんばんは。えっと……シンボリルドルフさん、ですか?」

「あぁ、そうだが――見覚えがある。研修会にいた新人トレーナー君かな」

「はい。実は迷ってしまいまして」

「そうか。では私が案内しよう。ちょうど帰るところだった」

「ありがとうございます」

 

 シンボリルドルフは、この学園において生徒会長を務めているウマ娘だ。しかし有名なのはその肩書以上に、そのレース実績のためだろう。伝説のウマ娘。史上初の七冠、無敗でのクラシック三冠。ついた二つ名は『皇帝』だ。恐ろしい存在に遭ってしまった。

 

 できれば話したくはない。暗い中でも彼女は特有のオーラとでもいうべきものを放っていた。何というか、全てを見透かされるような錯覚すら覚えてしまう。

 しかし現実は非情だ。声を聞く必要もないのか、見透かしたように彼女は話し始めた。

 

「どうだった。アグネスタキオンは」

「なぜ、それを?」

「失敬、見ていたんだよ。レースの後、君たちが連れ立って歩いているのを」

 

 その話題になると思っていなかったので、一拍遅れてしまった。どうだった、か。

 

「変わっていると思います。何というか、普通のスポーツ選手じゃない」

「ふふ、その通りだ。だが彼女は、ああ見えて走りも速い」

「そうなんですか? てっきり遅いからこそ研究していたのかと」

 

 俺と同じパターンかと思ったが、違うらしい。

 

「いいや。断言してもいい。彼女自身、優れた素質を持っている」

「そうだったんですか」

「知らなかったのか。いや、今回はそのほうが良かったのかもしれないな。彼女を悪く言う者は多い」

 

 悪く言う? 詳しく聞きたかったが、彼女は咳ばらいをした。失言だと思ったのかもしれない。

 

「忘れてくれ。君もトレーナーになったからには、粉骨砕身を期待している――そして、これは私の個人的な望みだが。もし、まだ担当が決まっていないなら。アグネスタキオンのことも考えておいてほしい。それでは」

 

 有無を言わせぬ口調のまま、彼女は去って行った。呑まれていたらしい。気づけば出口に立っていた。

 

「……アグネスタキオンの担当、か」

 

 正直、彼女が素質あるものだと聞いて苛立ちを覚えた。もちろん彼女に落ち度はない。ただ元々速いのなら邪道に手を出すな、普通に走ってろと思ってしまったのだ。

 トレーナー失格だな。シンボリルドルフの――いや、会長と呼ぼうか。会長の希望には沿えないが、致し方あるまい。

 その日、結局アグネスタキオンを見ることはなかった。

 

 トレーナーにはいくつか道がある。誰かの専属になる、チームを率いる、名門チームのサブトレーナーになる、フリーで教官として、同じくフリーのウマ娘を育てる。

 ただし専属とは言うものの、トレーナーの数はウマ娘の数よりも少ない。そのため三人まで担当を持てるという規定になっていた。もちろん、新人のうちは一人だけに専念するのが基本だが。

 

 トレーナーの業務は、学園に勤める普通の教師とは違う。極端な話、担当がいなければ割と暇なのだ。とくれば、やることは決まっている。研究研究研究だ。ウマ娘が大勢いる環境、彼女たちを観察してさらなる運動能力の増強に勤めなくては!

 ……と、思っていたのだが。

 

「やぁ、トレーナー君。奇遇だね」

「トレーナー君! カフェを捕まえてくれ!」

「待ってくれシャカール君! データを! おや、トレーナー君!」

「おや、久しぶりじゃないかモルモッ――トレーナー君」

 

 運命の巡り合わせかストーカーを疑うレベルでアグネスタキオンに遭遇した。

 まさか会長が画策しているのかと思ったが、被害妄想らしい。時折似た三日月模様の前髪を見かけたのだが、元気の良さそうな別の子だった。一度詰め寄った際、顔を引きつらせてしまったから反省している。

 あと、呼び方がおかしい。普通に名前で呼べばいいものを、何を企んでいるのかわからない。

 

 そんな風に過ごしていた、ある日。

 

「……ここも通行止めか。掃除してるなら仕方ないな」

 

 ワックスでも掛けているのだろうか、特に違いはわからないが。仕方ないので進路を変更して歩いていると、他のトレーナーがたまたま話している所に出くわした。

 

「なんだって。あのアグネスタキオンが出走するのか!?」

「ああ。今日の選抜レースだってよ」

「ついにやる気を出したってことか……悪いが、彼女をスカウトするのは俺だ。彼女とならクラシックだって目指せる!」

「そうだと良いんだがな」

「ん? どうしたんだ」

「前にもあったんだよ。アグネスタキオンが選抜レースに出走するっての。でもその時は結局来なかったんだよ」

 

 通りすがりに聞けるのはここまでか。今日の放課後に選抜レースが行われることは、俺も耳にしていた。場所くらいはわかる。そこに彼女が出走するとは知らなかったが。

 あの”皇帝”をして素質があると言わせる走り。一度くらいは見ておけば、副業にも生かせるだろう。

 俺はグラウンドに足を向けた。

 

 数時間前から待機すれば最前列を確保できるだろう。どうせ研究は行き詰っている、今必要なのは突破口となるアイデアだ。自室に籠っていても意味はない。

 芝のコース上では一人のウマ娘が走っていた。桃色の髪をしていた。レースではなし、トレーナーの影もなし。自主トレか。盗み見るようで悪いが、観客席に腰を下ろさせてもらった。

 

 あまりウマ娘に詳しくないが、それでもわかる。彼女たちは速い。レース本番でもないのに、ここまで速度を出せるのか。恐る恐る時計を出して測ってみると、驚きの結果が出た。

 

「……むしろ遅い方、か」

 

 GⅠはおろか、オープン戦でも危ういだろう。Pre-OPレベルでどうにか、と言ったところだろうか。もちろん練習だからレースと比較するのは間違っているのだが、それにしたって彼女はもう走れそうになかった。完全にスタミナが切れている。

 

 ウマ娘としては平均的な、それこそ”素質のない”彼女たちだ。それでも、実際に見ると少なくない衝撃があった。

 ならば”素質あり”のタキオンならばどうなるのか。俄然楽しみになった。彼女たちに礼をしても良いだろうが、何かしてやれることはないだろうか。

 おや、また走り出したか。今度は何か言えることがないものかと、注視して観察を続けた。

 


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