汝、モルモットの毛並みを見よ   作:しゃるふぃ

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ゴールドシップの登場予定はありません。私ではあの狂った言動を書けないからです。


第25話

 

 年末の休みを利用して、俺は芝の上を走り回っていた。

 トレセン学園は年末年始でも使えない設備はない。とはいえ利用者の大部分はまだ学生である。だいたいは帰省するし、それでなくてもこの時期にまで練習する子は少ない。

 コース利用にはトレーナーの許可が必要にはなるが、自分で自分に許可を出すだけだ。こうして何日も走っていると、いよいよ大晦日がやってきた。早朝、柔軟をしてから走り出した。

 

 間違いなく以前よりも成長している。トレーナーとしても、ランナーとしても。連日走っても寝込まずに済んでいるし、走れる距離だって伸びた。増えた知識で、芝の上をどう走れば良いのかも何となく掴めている。

 既に1000を通過したが、まだいけそうだ。以前のような無様は晒さない。目指せ2000。少し息を入れていると、気づけば隣を誰かが走っていた。心臓が止まるかと思った。だが万一にでも脚を止めたらすっころぶので、強引に脚を動かしつつ抗議した。

 

「スズカ、無言で隣に来るのやめてくれないか。死ぬかと思った」

「すみません。けどターフの上を走って良いと思うと、いてもたってもいられなくて……」

「いつも走ってるだろ?」

 

 もっと速度を落として話そうと思ったが、スズカはペースを落とさなかった。ついて行きながら喋れというのか。良いだろう、その勝負受けて立つ。

 

「普段は河川敷とかを走ってるんです」

「知ってる。偉いよな」

「でも、本当はターフを走りたかったんです。トレーナーさんが走ってるなら、許可してもらえるはずだと思って」

「……じゃあ許可する。遅いかもしれないが、併走しよう」

 

 実際の早朝はコースの整備を行っていることもあるので、年末年始で彼らが休みの間くらいしか走れない。まあ戻ってきた時に芝が酷いことになっているのは……許してもらおう。

 

 心の中で謝罪しつつ、さらにギアを上げた。呼吸がかなり荒くなってきたが、元々激しい運動をしているんだから仕方ない。ブルボンと一緒にプールに潜りながらラップタイムを測ったしょうもない経験を思い出し、過剰なペースにならないよう気を付ける。

 

「……あの」

「どうした? 遅すぎるか?」

「いえ……走るの、速いんですね」

「ああ、ありがとう。研究の成果だ」

「そうなんですね……」

 

 それきり会話が途切れた。お互い多弁ではないし、俺は会話上手ではない。話しかけられるまで黙っていることにした。

 2000mの壁は越えたが、全力疾走ではないし体力は大丈夫。

 それにしても、併走相手がサイレンススズカだというのは、ひょっとしてすごく贅沢ではなかろうか。来年、彼女は間違いなくGⅠウマ娘になっている。そんな子は滅多にいないのだ。そう思うと気合も入るし、意欲も出てくる。さらに加速しようとして――物凄く嫌な感じがした。足首の辺りからだった。

 

「トレーナーさん!?」

 

 こちらの変調に気付いたのだろう、スズカの憔悴した声が飛んできた。幸い、骨が折れたり動かなくなったりはしていない。無理させると悪化しそうだが、転んだ方が致命傷になる。徒歩くらいまで速度を落としたところで、脚がもつれて転倒した。まあ、こっちは痛いだけだ。幸いこんなこともあろうかと、受け身の練習はしてある。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「とりあえず死ぬ奴じゃないから、落ち着いて。歩けるとは思うけど、無理しない方がいいな。救急車呼んでもらえる?」

「は、はい!」

 

 オーバーワークと言うほどではない。恐らくだが、スズカと走って無意識に速度が上がっていたのだろう。加速する際の踏み込みに、脚が耐えられなかったようだ。

 この程度でもダメなのか。沈みゆく気分の中で、面白いくらいに狼狽するスズカが少しだけ気分を和らげてくれた。

 

 

 

 診断結果。左足首の骨にヒビが入った。念のためにギプスで固定して松葉杖も使うが、それ以外には大した怪我ではない。それに脚だって、多少日常生活が不便になるだけで大した問題ではない。むしろ問題はスズカの方だった。

 

「……スズカ?」

「ごめんなさい」

「いや、スズカは悪くないからな。もう何回も言ってるけど」

「でも、私が併走したせいでスピードが上がって……」

「自制心のない俺が悪いから」

 

 医者は全治3ヵ月と言っていたが、研究の成果を活かせば多分もう少し短縮できるはずだ。血行を良くする程度は造作もない。そう言っても彼女は俯いたままだった。

 

「俺さ、速すぎて骨折するって実感がなかったんだ。今回はヒビで済んだけどさ、速過ぎて折れるなんてあるんだな。この結果も研究に活かせるはずだ」

「でも……」

「ウマ娘ならやばいけどな? 俺はレースに出るわけじゃないから」

 

 移動が不便なのと、一緒にトレーニングできないだけだ。移動はともかく一緒にトレーニングするトレーナーというのは普通いないので、異常が普通に戻っただけ。そう力説してようやく顔を上げてくれたが、それでも彼女の耳は垂れている。仕方ない、最後の手段を使おうか。

 

「じゃあさ、俺の頼みを聞いてくれないか?」

「はい。何ですか?」

「バレンタインステークスで大逃げして勝ったなら、重賞に出ることになる」

「はい」

「そのレースで大差勝ちしてくれ」

「えっ……」

「重賞勝ててないって言いたいのか? 安心しろ、俺には勝ってる」

 

 ウマ娘と人間だし、勝って当たり前だが。そう思っても言わず、むしろ自慢気に胸を張ってやった。

 それで無駄だと悟ったのだろう。スズカは頬を膨らませた。

 

「もう……」

「俺は速く走りたいんだ。圧倒的なレースをして、目標になってくれ」

「……わかりました。トレーナーさんがそう言うのなら」

 

 耳が復活している。よしよし、うまくいったか。

 

「ところで、みんなには連絡したのか?」

「あっ、そうでした。すみません、今から」

「いや、別に急いで伝える必要はないよ。さっきも言ったがトレーナーとしては大して支障はないし、無駄に騒がせたくない」

「たづなさん、喜んだり怒ったり悲しんだりしてましたけど……」

 

 駿川たづな。事務員とは思えないほど足が速い。あれが人間だったら俺の理想そのものなのだが、多分人間じゃないと思う。個人的な付き合いはないが、仕事ではよく会う間柄だ。何に感情を動かしたのかはわからないが、怒らせっぱなしはまずい……菓子折りでも持っていこうか?

 不安気な表情を見て取ったのか、スズカは珍しく先回りした。

 

「大丈夫ですよ。怒ってはなさそうでした」

「……そうか。退院が始業に間に合わなかったら、また連絡する」

「はい。あっ、でも……連絡先、交換してませんよね」

「あ、じゃあ――ないわ、スマホ」

 

 置いてきてしまった。というか、今日は様子を見るため1日だけ入院になるそうだが――まずい、何も暇を潰す物がない。

 

「私、取ってきましょうか?」

「いいのか?」

「それくらいはさせてください。トレーナーさんには色々お世話になってもいますし」

 

 家に見せて不味い物はないし、スズカなら余計なことはしないはずだ。ありがたく世話になることにして、部屋の鍵を渡して持ってきてほしい物と在処を伝えた。

 

 

 

 それから2時間後。病院からここまでは人間の足でも30分で往復できるはずなので、少し遅かった。スズカは汗をかいた様子もなく、いつも通り物憂げなまま現れた。

 

「遅くなってすみません」

「ありがとう。ところで大丈夫か? 面倒ごとに巻き込まれたりはしてないか?」 

「いえ、ちょっと手間取ってしまっただけですので」

「あー……悪いな、汚かっただろ」

 

 スズカは微妙に笑った。

 社交辞令だ。膨大な量の研究資料と機材はきっちり整頓してあるし、私物が散らかってもいない。物の場所だって全部伝えた。とはいえ追及して無駄にスズカをいじめる必要もないので、この話は終わらせておこう。

 早速連絡先を交換したところで、スズカが急に思い出したように声を上げた。

 

「どうした?」

「トレーナーさんとは今日会えませんし、今のうちに言っておきますね。あけましておめでとうございます、トレーナーさん」

「は? あ、あぁ、うん。おめでとう」

「はい。それでは、失礼します」

 

 やっぱり天然なのだろうか。退室するスズカに手を振りながら、妙な言い回しが引っかかった。

 今日会えないも何も、会う予定などないはず――あ、そうか。今日が生徒会主催のパーティーの日だ。テイオーにどやされる。どうしよう。リモート参加? いや、同じ病室の人に迷惑が掛かる。

 そうだ。賄賂代わりに、無駄に凝ったトレーニングメニューを作ろう。持ってきてもらったノートパソコンを立ち上げて、さっそくメニューの検討を始めた。気づけば消灯時刻になっていたが、一度火がつくと止まらない。横になった後も、ずっと彼女たちのトレーニングメニューを考え続けるのだった。

 




最近、「この作品あらすじ詐欺では? 少なくともあらすじとして間違っているのでは?」ということに気づいたので、変えておきました。

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