感想で何人も予言者が現れましたが、それでも話の内容は変えずに投稿します。
あけましておめでとうございます。
新年、真っ先に使う言葉だ。始業式も終わり日常の戻ったトレセン学園では、あけおめがそこら中で咲いていた。
学園からの要請もあり、今日のトレーニングは休みとした。生徒の再会と施設整備を邪魔するなという意図だ。そのため朝練がなく、トレーナーと担当ウマ娘との正式な初顔合わせは放課後になる。もっとも、私的な関係で先に会っている場合も多々あるが。
結局あれからスズカとはほぼ毎日会っている。買い出しを頼めるので、俺としては非常にありがたい。合鍵を持たせた甲斐があった。反面、テイオーとフジにはまだ会えていない。一歩も部屋から出ていないから、当然と言えば当然だ。
放課後トレーナー室に向かい、少し手間取りながら戸を開いた。
「よう。あけましておめ――」
「ちょっと静かにしたまえ」
「……はい?」
「したまえ」
「はい」
何か大事な話でもしていたのだろうか。今のタキオンと比較すると、会長に負けた時の方が機嫌が良かったかもしれない。
一番の問題は怒った原因がわからないことだろうか。怪我のため数分遅刻したが、それではないはず。
理由も不可解だが、彼女の様子そのものも奇妙だ。尻尾が左右に振られているくせして、耳が垂れ下がっている。表情は憤怒の形相だった。変な薬でも飲んだのだろうか? さっぱりわからないが、席についた。
タキオンは早々に詰め寄ってきた。
「モルモット君? 私に何か言うことがあるのではないかね?」
「どうした急に」
「その松葉杖はどうしたんだい? スズカ君からも聞いているがねぇ? 君の口から、是非とも聞かせたまえよ」
「走ったら脚が負荷に耐え切れずにヒビが入った。折れてはいないし、そのうち治る」
「ではなぜ私が怒っているか、君の頭脳で当ててみたまえ」
怪我は知っているらしい。ちらと視線を向けると、スズカがそっと指先を合わせていた。
「どこを見ているのかな?」
顎の辺りをそっと掴まれた。これは一般的な感性ではわからないが、ウマ娘にされている場合は恐怖そのものである。何せ彼女が本気を出した場合、顎骨を握りつぶすくらい造作もないからだ。多分脅しの意味でやっているのだろう。刃物を突き付けるのと同じである。
しかしタキオンが機嫌を損ねるとすれば、実験ができないくらいではないか。それは問題かもしれないが、この極めて重要なデータが得られたことを鑑みれば大事の前の小事――。なるほど、完璧に理解したぞ。タキオンの考えていることが隅々までわかる。
「確かに俺が悪かった。タキオンが一番欲しいデータだろうに、すぐに送らなかったのは俺のミスだ。ただ、罪滅ぼしってわけじゃないんだが、その分こっちで色々まとめておいた。欲しがるだろうと思って印刷もしてある……ほら、これだ」
鞄から対タキオン特効弾、実験データを差し出した。効果は抜群だった。悪い方に。
「そうか、これは有り難く受け取ろう。で?」
「……で、とは?」
「そうか、そうか。非常に残念だよモルモット君。外れだ。君をモルモットにしてやるから、覚悟するように」
タキオンの瞳には狂気が滲んでいた。じりじりと試験管を片手に迫ってきている。逃げようにも足が足だ。誰でもいい、助けてくれと視線で訴えた。
スズカは無言で目を逸らした。フジは苦笑しているが庇ってくれる気配はない。ブルボンは壊れた機械のモノマネをしている。テイオーはタキオンより不機嫌そうだった。
「救いはないんですか……?」
「私が救ってあげよう。人の心がわかるようになる薬だ、ほら」
「それはヤバい奴――うっ」
試験管を突っ込まれた。七色に輝く液体が口内で虹をかけ、鮮やかな輝きが天国への道しるべになる。走馬灯と死後の世界をいっぺんに見たようだ。ふざけているが、今なら手に取るようにわかる。
「タキオン……」
「ふぅン? 何か様子が随分変わったじゃあないか」
「お前……まさか、嫉妬しているのか……スズカにばかり構ったから」
タキオンは目を丸くした後、俺から顔を隠すように背を向けた。尻尾が揺れて俺の顔を叩く。椅子を引いて逃げた。言っておいてなんだが、タキオンがこんな可愛らしいことを思うだろうか。疑問はあるが、俺は確信を抱いていた。どうもこの薬は本物らしい。
どうせだから色々試してみよう。
ぐるんと顔を横に向けて薄情者を見ると、全員顔が引きつっていた。あのブルボンですら瞼が動いているのだから、これは異常事態だ。
「スズカは勝手に色々話したことで、罪悪感を覚えているな。テイオーは単純に伝えて貰えなかったのが嫌で拗ねてる」
「はぁ!? ボクはテイオー様だぞ! 何だよ拗ねるってぇー!」
安心しろ、立派なクソガキだ――。
フジとブルボンを見た。フジは努めて無表情を作っているが、見えているぞ。
「心の中で笑うな。重苦しい雰囲気をどう打ち破ろうか悪戯を考えるな」
「へぇ? すごいなぁ、今回のタキオンの薬は当たりかもしれない」
「ブルボン」
「はい、マスター」
「……何も感じない。すごいな」
ブルボンは何も言わなかったし、表情も変わらなかった。代わりに若干の悲しみが伝わってきた。ちゃんとあるじゃないか。
「悲しいのか。一応言っておくが、社交性がないとか言いたいわけじゃないぞ。感情を隠すのが上手いのはいいことだ」
「理由の提示を求めます」
「ポーカーで勝ちやすい」
「承認。データベースに追加」
「そうね。トレーナーさんとやった時に負けてしまったわ」
「スズカは隠し事できないからな」
「そのデータは既に追加されています。情報の正確度が上昇」
「君たちレースはどうしたのさぁー!」
テイオーが呆れたように声を上げた。
「ねえタキオン、これ何とかしてよ。カイチョーのギャグ聞いてる時みたいな気分になってくるよぉ……」
「困ったな、見え見えの状態じゃ悪戯なんてできないや。タキオン?」
テイオーとフジがタキオンを責め立てている。
批判された当人はちょっと悲しんでいるようだった。
「やれやれ、解毒薬は確かこの辺に……あった。トレーナー君、飲みたまえ」
「タキオン、この状態ちょっとありかもって思ってるだろ」
無言で試験管をねじ込まれた。液体を嚥下して数秒で、相手の思考なんてまったく理解できなくなった。俺は正気に戻ったのだ。
ただ、この経験は今後のトレーニングに活かせるかもしれない。少なくともブルボンにも感情があることが判明し、タキオンは想像以上に普通の感性で、テイオーは想像通り子供だった。実はまともなのはスズカとフジかもしれない。いや、赤ちゃんはまともではない。
……俺は彼女たちとうまく付き合っていくことができるのか? あの薬は必要ではないか?
そう訴えたのだが、結局薬は封印処理されてしまった。
混沌とした空気を紅茶で洗い流し、話を切り出した。
「怪我があるから今まで通り一緒にトレーニングはできないし、場所によっては近くで見てやるのも難しくなる。ただその分、ちょっと真面目にトレーニング内容を考えてきた」
ブルボンとスズカはスタミナを重視。タキオンとテイオーは体幹の強化など、怪我防止策。フジだけ何もなしというのは気が引けたので、人間の俺がやっているような――つまりウマ娘からしたら遊び――リハビリ用のメニューを渡しておいた。
「ちなみに、去年の実績は学園も評価している」
「ほほーう?」
「予算が増えた。あと本来クラシック級以上しか参加できない夏合宿だが、他のメンバーも連れていけるようになった。テイオーとかもな。で、全員参加ということで大丈夫か? 別に強制ではないから、何かあるなら申し出てくれ」
未熟なウマ娘を連れてきても良い――つまり実績により手腕を認められ、管理を任されたというわけだ。誰も手を上げなかったので、こういうところは闘争心溢れる存在なんだなと改めて思わされる。俺なら夏休みが欲しいと言い出すのに。
「じゃあ全員参加ということで申請しておく。あとタキオン、なんかこう……実際に脚をそこまで使わずに、走ってる気分にさせる装置とかないか?」
「VR装置を使って良いのなら、そういうこともできるね」
「じゃあそれを作ろう。ゲート練習で実際の脚を消耗したくないからな」
「心理的な問題への解決策ということだね? わかった、任せたまえ」
本当はスズカのおもちゃなのだが、それは黙っておこう。実際、ゲート嫌いなウマ娘にとっては特効薬になる……この中にはいないな。スズカは別にゲートが苦手なわけじゃないらしいし。
「じゃあ、さっそく明日からトレーニングだ。今年もよろしくな」
「ええー今日じゃないのー? ボクもう待ちきれないんだけど……」
「設備点検だから諦めろ。勝手に使ったら会長が泣くだろうな」
「そっか。じゃあボク、カイチョー手伝ってくるね」
「おう。じゃ、これにて解散」
立ち上がるだけでも少し手間だ。四苦八苦していると、慣れた手つきでスズカが補助してくれた。この数日で助けられるのにも順応した自分がいる。
「いつも助かる。部屋まで頼んでもいいか?」
「大丈夫です。いきましょう」
「……なあモルモット君、それは何だい?」
「脚が折れてるから補助してもらってるだけだが」
「なるほど」
タキオンは無言で腕を組んだ。
「そこまで悪いなら、今度移動用の道具を作ってこようじゃないか。たまにはモルモットにも餌を与えないと脱走するらしいからねぇ。なーに安心したまえ、仮想練習装置と一緒だから、大した手間じゃない」
「いいのか? トレーニングに支障が出ないなら……俺としてはありがたい」
「気にすることはない。何せ私もいつか使うかもしれないからねぇ! ハッハッハ!」
「笑えない冗談は止せ。フジ、何かあったら止めてくれ」
「了解。ちょっとタキオンは傷心してるだけだから、あまり気にしなくて大丈夫だよ」
「マスター、私にも指示を」
「暇なら年末に渡した奴でもやったらいいんじゃないか」
「オーダーを受理」
「失敗したかな……予算が増えるなら、帰省は早計だったか……」
背後からの感情の籠った声を聴きながら、ゆっくり退出していく。物凄く嫌な予感がしていたが、かくして再びトレーナーとしての日々が始まった。
ところで、この話でだいたい10万文字です。
読了ありがとうございます。お疲れ様でした。(続きます)