汝、モルモットの毛並みを見よ   作:しゃるふぃ

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ガチャ爆死記念(阪神、芝3340m)


第3話

 

 ……なんで芝走ってんだあの子?

 何というか、こう、明らかに芝に足を取られている。それでも走るってことは、ダートはこれより酷いのかもしれない。

 タイムも先程以上に遅くなった。これではPreOPどころか、まずゴールにたどり着けるのかすら疑わしい。

 これはわかる。明らかに才能がない。というか、よくこの学園に入学できたなと逆に感心する。奇跡と言っても過言ではないだろう。地方を馬鹿にしている訳ではないが、これでは中央のレースは走れないだろう。

 

 ただ、それとは別で”楽しそうに走る子だな”と思った。もちろん遅いながらも懸命に走っているし、呼吸が苦しいのだろう、表情は歪んでいた。それでも、走ることが好きだという意思が伝わってきた。

 

「うーん……」

 

 これは下手なことは言わない方が良いかもしれない。せっかく楽しく走っているのを、下手な指導で台無しにするのは申し訳ない。とはいえ、他の行く宛もなし。迷っている間に彼女は一周してきてしまい、目が合ってしまった。

 

「どうしたのー!」

「……や、何でもないよ。暇だったからね、見せて貰っていたんだ。お邪魔だったかい?」

「ううん、いいよー!」

 

 全体的に幼いが、明るく元気の良い子だ。親しみを誘う容貌をしている。だからだろうか。

 もう一度走ろうとした彼女を、思わず止めてしまっていた。すると、彼女はきょとんとした表情を浮かべた。

 

「なんでー?」

「何でというか……多分、オーバーワークになるぞ」

 

 俺と彼女の間には二十メートルほどの距離がある。それでもわかるほど消耗していた。

 きょとんとした表情を浮かべる彼女に、まさかと思いつつ補足した。

 

「……かえって悪い結果を招くかも、ってことだ」

「そうなんだ! じゃあ、今日はこれでおしまい! 教えてくれてありがとー!」

 

 彼女は手を振って、帰って行った。体の軸がぶれていたから、やはり危ないところだった。まだ夏には遠いとはいえ、熱中症にでもなれば大変だからだ。

 それにしても、まさかオーバーワークという単語を知らない子がいるとは驚いた。文武両道とは何だったのか。

 無人のコースを眺める。その後も数名のウマ娘たちがやってきてはトレーニングをして去って行った。

 

 

 

 そして放課後。そろそろ日が傾くかという時間になって、一気に人が増えた。次の選抜レースは大分先なので、自然と熱気が高まっていた。トレーナーはもちろん、生徒も大勢集まっているのだから驚きである。

 

 今日の選抜レースは5回行われる。芝コースで全距離、ただし中距離だけ人数の関係で2回。アグネスタキオンは――そういえばどれだ? スピードって言ってたし、やっぱり短距離か?

 

「あ、鶴城トレーナー!」

 

 その声に振り向く。

 人混みを避けて隣に現れたのは、桐生院トレーナーだった。傍らにはいつぞやに見た白髪のウマ娘。

 

「どうも、桐生院トレーナー。そちらのウマ娘さんは? 大分前の選抜レースに出ていた子だよね」

「はい。ミーク、ほら」

「ハッピーミーク、です……むん」

 

 なんだか大人しそうだ。一つ声のトーンを落とした。

 

「鶴城圭吾。新人トレーナーだ。桐生院トレーナーとは同期でね」

 

 ハッピーミークは頷いたが、視線をグラウンドの方に移してしまった。

 桐生院トレーナーは苦笑しつつ、俺とハッピーミークの間に挟まるように立った。

 

「鶴城トレーナーはスカウトですか?」

「まだ担当が決まってなくてね。まあ、誰が出走するのかもわからないんだけど」

「どうして?」

「……資料を忘れたんだ」

「ええ!? じゃあ、えっと……はい、どうぞ」

 

 彼女が渡してくれたのは数枚のプリントだった。今日の選抜レースに関する資料らしい。礼を言って拝見させてもらうと、タキオンは2回目の中距離レースに出走することがわかった。各ウマ娘に関する簡単な説明が手書きのメモで付されていた。

 

「桐生院トレーナ―は二人目のスカウトに?」

「いえ、敵情視察――なんて言うと、ちょっと堅苦しいですけど。鶴城トレーナーは、アグネスタキオンさんのレースを?」

「何故それを」

「指が差していますから」

 

 確かに。そりゃそう思うか。桐生院トレーナーのメモには「実力は高いらしいが、意欲がないらしい」と書いてあった。

 

「桐生院トレーナーでも、タキオンの走りは見たことないか」

「はい。何年か前に走ったらしいんですけど、流石に選抜レースは映像が残っていなくて」

 

 そりゃそうだ。そうこうしているうちに、レースが始まった。

 まず短距離。快速自慢たる彼女たちの走りは素晴らしかった。夢がある。俺もあんな風に走りたいと、そう思わせてくれる走りだった。

 ただ、しっくりこない。速いのは良いのだが、素人の俺では判断や分析が終わる前にレース自体が終わってしまう。

 少し距離が延びてマイルになっても、同じような感想を抱いた。何というか、先程の短距離――スプリンターが、少し持久力に気を配っているな、という印象だった。

 中距離2000m、1戦目。タキオンは不在だが、見ていて満足できた。映像越しでもわかっていたことだが生で見ると迫力が違う。それに、一人一人まるっきりバラバラのフォームで走るし、脚質も違うから見ていて面白い。個性がある。自分で言うのもどうかと思うが、これでは人間の陸上競技が不人気なのも頷けた。

 

 そしていよいよタキオンの出番というところで、観客席はざわめき始めた。

 

「……タキオン、いないよな」

「いませんね、どうしたんでしょう。故障とか急用なら、発表があるはずですが」

 

 放送が流れた。現在アグネスタキオン不在につき、捜索中とかいう訳のわからないアナウンスだった。

 それを皮切りに、周囲からはタキオンへの悪評が噴き出していた。あの桐生院トレーナーが微妙な表情を浮かべているから、よっぽどのことなのだろう。

 

 そして数分後。ターフの上に現れたのは、意外にもジャージ姿の会長だった。しかしそれ以上の目を引いたのはタキオンだった。彼女は首根っこを掴まれていた。ジャージ姿には些か以上に皺が寄っていて、無理やりゼッケンをつけられた形跡があった。

 騒然とする観客席に、会長は右手を掲げることで応じた。ある程度静かになってくると、よく通る声で語り出した。

 

「皆、すまない。突然のことだが予定を変更することになった。決定事項として、中距離第2レース、10番アグネスタキオンは出走取消。その後は長距離レースを行い、第6レースとして私とアグネスタキオンでレースを行おうと思う。距離は2400だ」

 

 突然の予定変更。不満が出てもおかしくはなかったが、それ以上に”皇帝”の走りを見られるということで、観客は盛り上がっていた。隣の桐生院トレーナーも訳の分からないことをハッピーミークに捲し立てている。

 そんな中、俺は黙ってタキオンを見ていた。彼女はこちらの視線に気づくと、皮肉気な笑みを浮かべた。

 なるほど。何か考えがあるらしい。通常のレースではなく、シンボリルドルフと走る意味。それは間違いなく、何らかの実験か、検証のためだろう。お膳立てされた以上、俺も何かを学ばなくてはならない。

 気合を入れ直し、精神を集中させ始めた。

 タキオンは走るからには手抜きはしないはずだ、なぜなら効率が悪いから。彼女たちの速度ではコンマ一秒すら遅いくらいになる。このままでは捉えきれないだろう――ならば、動体視力を引き上げればいい。頭痛に襲われ、目が充血していった。

 

 

 

 ”永遠なる皇帝”に挑むレースが始まる。

 皇帝の実績に対し、タキオンは実績どころかデビュー前。その上タキオンは態度が悪い。声援は10:0で会長優勢だった。

 こうなってくると、判官贔屓というか、逆張りをしたくなるのが男の性である。俺はタキオンの方を応援することにした。もちろん応援なんて必要ないし、俺の性格にも合わないんだが――戯れくらい、許されるだろう。それに、俺はある可能性に気づいていた。

 

 確かに実績だけ見れば、タキオンに勝ち目はない。しかし、皇帝――いや、会長にはレースでもないのに他のウマ娘の心を折る趣味はないだろう。併走ならともかく、始まる前から手を抜くような性格でもないはずだ。この事実が示唆するのはただ一つ。

 この二人は「勝負が成立する」のだ。それを、よりにもよって”皇帝”の側が認めたのだ。

 謎の興奮に包まれたまま、ゲート入りをじっと見つめる。タキオンは相変わらず不気味な笑顔を浮かべたまま、会長は威風堂々たる立ち姿だった。

 

『……スタート!』

 

 桁違いの速度だった。

 走り始めてからの加速が違う。二人とも逃げの戦法は取っておらず、控えたままだ。それは表情が物語っている。しかし、二人の速度は先程までのレースのラストスパートに等しかった。

 

『シンボリルドルフ、ハナを進みます。しかしアグネスタキオンも食らいついていく!』

 

 あれは食らいついていくというより、控えている。スリップストリームで楽をしているらしい。

 しかし両者の表情に余裕はない。真剣に走っている。会長がわずかにペースを落とした。このまま走ったら万全のタキオンに消耗した状態で当たることになる、それはまずいと考えたのだろう。表情からするとかなりスローペースな展開だが、タイムは全然スローじゃない。これでようやく、先程までのレースの平均タイムだった。

 

 ならばこの二人が本気で走ったら一体どうなってしまうのか。不意に、タキオンの言葉がフラッシュバックした。

 “ウマ娘の可能性”

 確かに見てみたい。どこまで速くなるんだろう。純粋な疑問と好奇心が掻き立てられた。

 データを取ろう。この数日間寝込むことになるだろうが、構わない。負荷が大きくなっていき、弾けたように掻き消えた。全能感のままに、目を見開いた。

 

『最初のコーナーを回った! 依然順位は変わりません』

 

 両者脚をためたまま、ゆっくりゆっくりと進み向こう正面に入る。冷戦状態の中、まず動いたのは皇帝だった。

 

『シンボリルドルフここで一気にスパートをかけた! 3コーナー手前からのスパート! アグネスタキオン離される!』

 

 スパートではなく、ギアを上げたというべきか。なぜなら、会長はまだ全力を出していないからだ。本来なら間違いなく最終直線でバテてしまう。それでもなお機先を制したのは皇帝としての矜持か。それとも会長として盛り上げようという責務か。あるいは、自信があるのか。

 いずれにせよ面白くなってきた。会長のリードは5バ身ほどまで広がった。そこで会長は挑発的な笑みを湛え、一瞬だけ振り向いた。タキオンの表情から笑みが消え、少しずつ加速を始めた。

 

『じりじりと詰めるアグネスタキオン! シンボリルドルフ逃げる! 最終コーナーカーブ!」

 

 現在の差は3バ身ほどだ。観客席からは会長への声援が飛ぶ。タキオンの方を応援する声はなかった。

 

「……そういうことするなよ」

 

 柄にもなく応援したくなるじゃないか。だいたい、タキオンの走りは見事だ。完璧なフォームで、接地の衝撃を可能な限り和らげつつ走っている。身体に負荷をかけずに加速するのは、至難の業だ。それが会長の速度に並ぶというのだから恐ろしい。最終直線に入ったころには、二人は完全に並んでいた。

 そこで、さらにタキオンは加速した。

 

『抜け出した! アグネスタキオン先頭! まさか皇帝が敗れるのか!?』

 

 その一瞬は、俺の記憶の深くまで突き刺さって離れなかった。あまりにも鮮烈で、爆発的で、凄まじい速度。スピードを追い求める、タイムを追い求める者たちにとって、神話になるほどに美しかった。

 これがアグネスタキオンか。

 

「……タキオン! 走れ! ウマ娘の可能性の向こう側へ!」

 

 気づけばそう叫んでいた。正直、どうかしていたんだと思う。

 桐生院の驚いた表情が目に入り、冷静になった。

 感動している場合じゃない。観察しなくては。

 そして異変に気付いた。何かがおかしい。

 確かに一瞬はタキオンの方が差して先頭に立ったが、明らかにトップスピードを維持できていない。ほんの一瞬だけ10割――全力を出したが、今は9割の力しか出していないように見えた。

 対する会長は今8割。そして今、さらにギアが上がった。

 競り合ったまま残り200m、しかし10割の会長に対し9割のタキオン、地力の差は歴然としていた。

 瞬間最大風速ならばタキオンに軍配が上がるが、維持できないし、何なら維持する気もないらしい。

 

『シンボリルドルフ差し返した!』

 

 やはり。そして、タキオンに差し返す力は残っていなかった。いや、使わなかったというべきか。9割の力で走り続けたままゴールイン。勝者を告げるアナウンスが流れるが、観客席は静まり返っていた。会長が汗を流して、呼吸を乱していたからだ。

 

「……皆、感謝する。この勝利は君たちの声援あってのものだ」

 

 客席は一瞬の戸惑いの後、拍手と声援に包まれた。

 敢えてタキオンには触れずに場を締めくくった会長は、悠々とした佇まいで去っていった。

 気を使われたであろうタキオンは気づけば消えていた。俺はどうしても聞きたいことがあったので、未だ興奮の残る会場から抜け出した。

 


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