俺は知っていた。このドライブが平穏無事に済むはずがないことを。だから燃料も満タンにしたし、念入りに点検もしたし、掃除も徹底的にした。打てる対策は全部打ったはずだった。しかし想定外の強敵は、全ての対策を打ち砕いた。
「ねーねー! 何かゲームしない?」
「……私は今研究で忙しいんだよ、テイオー君」
「じゃあトレーナーは?」
「モルモット君は運転で忙しいんだよ、テイオー君」
背後からキーボードを叩く音がした。タキオンは持ち込んだノートパソコンで研究中らしい。言うまでもないことだが、彼女が世界一嫌いなのは研究の邪魔をされることだ。
「うぅー、つまんないのー」
「悪いな、テイオー」
「何かないのー?」
「……あと一時間くらいしたらサービスエリアに入るからさ、何か探そう。テイオーは担当トレーナーとか、チームとか入ってるのか?」
「ううん。まだだよ」
「そうか。体重が大丈夫なら、そのうち何か飯でも奢るよ」
「いいの? ありがとっ! にんじんラーメンとかあるかな?」
テイオーの機嫌を取るのは、これで良いのだろうか。上手な対策法がわからない。ただ、想像よりは楽だった。彼女は我儘だが素直でもある。タキオンと比較すれば何倍もマシに思えた。
……それにしても、俺も暇だ。
「タキオン。今少しいいか」
「なんだい。事故だけは勘弁してくれよ?」
「わかってる。来週はデビュー戦だが、距離とかは覚えてるよな?」
「2000m、左回り。東京レース場だろう? 私はあまり個々のメンバーに対策を立てるのは好まないから、やりたいならトレーナー君の方でやっておいてくれたまえ」
タキオンの興味は絶対的な速さにある。その場限り、その回限りの勝利には価値を見出していない。というか、全体的に勝利への関心が薄い。もちろんウマ娘として最低限のものはあるが、勝利をスピードの副産物とでも思っている節がある。
「そういうと思っていた。だからメールでメンバーリストを送っておいた。簡単なことしか書いてない、というかわからなかったけど、一応目は通しておいてくれ。どうせメールチェックなんかしてないだろ」
「ふぅン。ま、良いだろう。この状況じゃあ研究も捗らない」
俺もトレーナーらしくなってきたと思う。最近は何となくだが状態や実力を察せられるようになってきた。ウマ娘研究者としての自分も大喜びだ。タキオンに新薬を提供したところ、髪の毛が金色になったが関節が良く動くようになったのを覚えている。あの時は彼女も褒めていた。
「なるほど。正直に言うが、勝てるだろうね」
読み終えた彼女も、俺と同じ見解に至ったのだろう。よっぽどコース取りを間違えたり、徹底的に妨害されたりしなければ負けはない。
「万全なコンディションで挑めば大丈夫なはずだ。だから、こうして連れ出している」
「気分転換か。まあ、私とて生物である以上休息は必要だ。最近はトレーニングだったし構わないが、そうならそうと先に言ってくれ」
「会長の走りを見るのも重要だからな?」
「もちろん。しかし、この間のマッチレースで多くの知見を得た。あの時はそれなりに本気で走っていたようだし、あれでも十分――」
「いいなぁ」
会話を遮って漏れた呟きに、思わずタキオンは口を閉じた。
テイオーが慌てて弁解するように言った。
「あ、ゴメン邪魔しちゃって。続けて?」
「……はあ、気が変わった。それにしてもテイオー君は会長に随分御執心のようだねえ」
「うん! カイチョーはボクの憧れなんだー。強くて、カッコよくて、無敗の三冠ウマ娘! ボクもあんな風になるんだー」
強い憧れが伝わってきた。テイオーの目標は会長か。それが大言壮語となるのか、それとも実現するのかはわからない。いずれにせよ、タキオンとはまるで逆の性格だということがよくわかった。
「ねえねえ、タキオンってカイチョーと走ってたんだよね! ボク、あの時は見れなかったんだけど。どうだった?」
「……ふぅン。なるほどなるほど。プランBの検証にも有効か」
「プランB?」
「テイオー君。私のモルモッ……実験に協力してはもらえないかい?」
ああ、始まった。タキオンの悪い癖だ。
「なぁーに、ちょっと新薬を飲み、データを取らせてもらうだけさ」
「なにそれ?」
「代わりに、私の集めた会長の走法データその他を君に提供しようじゃないか。悪い取引じゃあないと思うがね?」
「むー、カイチョーのことならボクが一番わかってるよ?」
「どうかな。確かに君の会長に掛ける熱意は私を凌駕しているだろう。しかし、君は私が持つような測定器具や、繰り返した実験で積み重ねた目を持っているのかね?」
テイオーが言いくるめられている。が、放っておくことにした。
「……うぅ。それは、確かにないけど」
「なあーに、君の”無敗の三冠ウマ娘”という目標にも資するはずさ」
「でも、うーん、タキオンのお薬って、その……あんまりいい噂を聞かないんだけど……」
「私が追い求めるのは”ウマ娘の限界速度の向こう側”。現時点でもっともそれに近いのは、君の敬愛するシンボリルドルフ会長だ。しかし、私はそれを超えようとしている。会長すらも凌駕して、ね」
「カイチョーを、超える……?」
「そうだとも。無論、私は限界の果てが見たいだけ。会長がその領域に到達しても構わないがね。そして……それはテイオー君でも構わない。さて、どうする?」
俺の背後に詐欺師がいる。被害者もいる。しかし嘘はついていないし、正直ウマ娘の実験台が増えると俺の負荷が減るからありがたかった。
テイオーはしばらく黙り込んで考えていたが、ぱっと思いついたように言った。
「ねえねえ、この後一緒に走ろうよ!」
「うん? どうしてそうなったのかな?」
「一緒に走ったらわかることもあると思うんだー、だからさ、それからでもいいかな?」
「……今はその回答で満足しておくとしよう。それにしても――」
「うわっ!? 急に足を触らないでよー!」
「許可を取るだけ時間の無駄だろう。ああそうだトレーナー君。振り向くなよ?」
「わかってる」
「とのことだから、ここにいるのは私と君、モルモット一匹だ。安心したまえ」
「うう、うーん、まあ、それなら、ちょっとだけだよ?」
バックミラーから見えるのだが、黙っておくことにした。
音でしかわからないが、恐らくタキオンがテイオーの脚を観察しているのだろう。
「ふぅン。実に興味深い。私のプランAにも生かせそうだし、プランBにも使えるな」
「プラン?」
誤魔化すようにタキオンは言った。
「それはそれとして、よく鍛えられている。懸念事項はあるがジュニア級ならば敵なしだろう」
「ほんと!? えへへっ」
「しかし、やはり特筆すべきはこの柔軟性! 素晴らしい!」
「うぇあ、どうしたの急に」
ここまで興奮しているタキオンは珍しい。慌てたのか、早口で彼女は捲し立てた。
「いやはや失敬。テイオー君、少し事情が変わった。新薬を飲むかはともかく、今後時折実験に協力してくれたまえ。君でしかこのデータは取れない」
「ボクじゃないとダメってこと?」
「ああ、君にしか頼めない。その柔軟性は研究をさらに推し進めることとなるだろう!」
テイオーはすぐには返事をしなかった。後ろがどうなっているかはわからない。
数分後、落ち着いた調子で返したテイオーの言葉は、随分と大人びているように聞こえた。
「……うん、良いよ。研究でもなんでも言ってよ。カイチョーのところに行くためには、並のトレーニングじゃ足りないから」
一度打ち解けてからは案外あっさり打ち解けたのか、レースや走りの話で盛り上がっていた。安心して運転を続けられて、ひとまず順調だった。
この二人、共通点多いと思う。
・無敗三冠を嘱望されたが、怪我で成し得なかった
・足がガラス製
・会長から結構期待されてる(テイオーは説明不要、タキオンはアプリ版のストーリー参照)
・先行脚質
そしてアニメ版テイオーは夢がくじけても新たな夢を抱いて立ち上がる不屈の帝王になり、アプリ版のタキオンは夢を決して諦めず、自分の脚を壊してでも他人に託して同じ夢を続けようとする。良いよね。
え? アプリ版テイオー? さあ……。