それは四人の『家族』
これはその始まりの二人のお話。
いつもの帰り道を歩く社築は凝り固まった肩を回しながら自分の部屋を目指していた。今日も上司の嫌味に耐えながら、仕事をこなした彼は帰路につく。
「うだうだ言うなら自分でやれっての」
溜息と共に愚痴を吐き出す。部署の上司と反りが合わないというのはよく聞く事だが、まさに今、自分がその立場になるとは思いもしていなかった。
先日の配置換えでやって来た現上司は精神論ばかりを唱え、無茶振りを部下に押し付ける。そのくせ、不都合があるとその責任を下に擦りつける最低の輩だった。
「くそっ・・・」
悪態と共に手にしたホットコーヒーを飲み終える。仕事終わりのこれが社の楽しみだったのだが、近頃は美味くは感じられなかった。
外気により冷めた缶が手を冷やす。中身を失い冷たいそれはまるで今の社の内を表しているみたいだった。
「はぁ・・・」
また溜息が漏れる。白い息が空に消えていく。忙しい仕事だが、やり甲斐を感じて頑張っていた過去の自分と虚しさを胸に疲弊しきった今の自分。同じ人間のはずなのに何故こんなに違うのだろうか。
そうしている内に彼はマンションへと辿り着く。エレベーターを使って部屋のある階へと上がると、コンビニの袋を揺らしながら自室に歩を進める。
そして気が付いた。
自分の部屋の前に誰かがいる。
正しく言うのならば、何者かが座り込んでいた。
エレベーターから彼の部屋までには三つの扉がある。その二つ目の前で立ち止まった社はもう一度振り向きながら数を数え直した。
一つ、二つ、三つ・・・四つ。
間違いない。そこは自分の部屋の前だ・・・。
その人物の側には大きめのキャリーバックが置かれている。その隣で項垂れる様に座る少女はただ下を向いていた。どこか諦観した表情の少女は近づいてくる気配に気がついたのか、顔を上げると此方を向く。
二人の視線が交わった。
絡み合う視線。互いに言葉を発せず見つめ合う。社は少女の目を見て驚いた。
そこには年頃の少女特有の明るさが殆ど感じられなかったのだ。ただ暗く、存在しているだけのその瞳は昏く光ると彼を見ていた。
少女がゆっくりと口を開く。
「こんばんは」
「・・・こんばんは」
かくして、後に家族となる二人は初邂逅を迎えた。
社は彼女を部屋に招き入れると空いていた部屋に荷物を置く様に促した。社の住むマンションは部屋の数だけはあったが、殆どが使われてない。その一室を彼女に分け与える。
それには少女が持参した手紙が効力を持っていた。
『本間ひまわりの養育を任せる。尚、その費用に関しては月々ある程度の額を振り込むこととする。足りない様ならば本間家宛に請求せよ』
端的に纏めればこの様な内容の文面がしたためられた手紙を見ながら眉間に皺を寄せる社。
本間家と社家は遠縁ではあったが、確かに家系図に名を並べる家柄である。家同士が集まる際にも席は違えど、同席する程の仲であったはずだ。
・・・もっとも。社築はそんなギスギスした親族間のやり取りが嫌になり、本家から距離を置いていたのだが。
「マジか・・・どうしろってんだよ」
手紙を置き、天井を仰ぐ。
口から出るのは怨嗟の声か、それとも諦めの声だろうか。それとも別の何かなのか社にはわからなかった。
それでも漏れ出した声は広いリビングに消えていく。いつも通りに部屋を照らす明かりを見つめながら社築は困り顔を浮かべる。
駅から少し距離のあるこの部屋は掘り出し物と言っていいほどの広さと部屋数を有していた。普段仕事人間の彼にとったら使っていない部屋も幾つか有り、持て余している。今回はその一つに彼女を通したのだが・・・。
「私はまだそんな歳じゃねぇんだぞ」
リビングの扉を見つめながら、どうしていいのか彼にはわからなかった。
本間ひまわりは通された部屋に荷物を置くと、その整理をし始めていた。
でもまたいつ此処を出るのかはわからないから、必要最低限に荷を広げ、いつでも出ていける様にする。
それが彼女にとっての居候術であった。
そこそこに広さのあるこの部屋にあるのは自分の持って来た荷物だけ。それ以外に何にもない部屋は彼女にとっての日常だった。
「今度は・・・どれくらい居られるのかな」
ふと手を止めて呟く。
実の家族は、もういない。
大好きだった父と母は、もういない。
それからは沢山の家を点々として来た。
でも・・・どこも自分の事を迷惑がっているのがわかった。
いつの間にか別の家族に入った私は、次の瞬間にはそのまた別の家族に引き取られていたのだ。
私は、一人。
ひまは、一人なのだ。
やっぱり何処にも私の居場所は無い。
そこに思い当たり、ポツリと一粒だけ涙を流した少女は慌ててそれを拭う。
駄目だ。駄目だ駄目だ駄目なんだ!
お父さんとお母さんが好きだったひまはこんな事で泣いちゃ駄目だ。
だから、これ以上、涙を流すことは許されない。
だから、せめて、この感情だけは表さない様にしなくてはならないんだ。
困り果てた社が頭を悩ませていると、リビングにやって来たのは問題の少女だった。彼女、本間ひまわりは変わらぬ暗い表情で頭を下げると着席の是非を問う。そのあまりに硬い言葉に社自身も困り顔で了承した。返答を聞き、彼の対面に座るひまわり。
暫し、二人の間に言葉は無かった。
無言の空間ほど辛いものはない。
社からすれば初対面の少女。
ひまわりからしたら幾度と無く過ごした流れ。
二人は互いに口を開かない。
それでも年長者の意地か、社は口火を切る。
「あ〜、本間さんでいいのかな?」
「はい」
静かな返答には感情が無かった。これはただの通過儀礼といった様子で彼女はこちらを見ている。重すぎる空気に社はガシガシと頭を掻くと、深く息を吐いた。
わからないことが多すぎる。
風の噂で本間家に不幸があった事は聞いた気がする。しかし年頃の娘がいたなんて聞いた記憶がなかった。
だが事実。目の前に彼女はいた。
伏せた目で二人を隔てるテーブルに視線を落とす少女は口を開かずにいる。沈黙の空間は辛い。居た堪れず、社は逃げの一手を放った。
「と、とりあえず今日は遅いから詳しい話は明日にしないか?」
「わかりました」
「布団は、押し入れに入っているから・・・」
「はい。お世話になります」
それだけ言うと彼女は一つ頭を下げ、リビングを出て行った。律儀にも扉を潜る際に再度頭を下げるあたり、悪い子では無い様だ。
残された社は本日何度目かの溜息を吐くと、緊張していた身体をソファに預ける。腕で顔を覆いながら弱音を吐いた。
「どうしよう・・・」
その言葉は一人きりのリビングに吸い込まれていく。応えるものは誰もいなかった。
夜は明け、社は目を開く。
悲しいかな、本日は土曜日だったが社畜ルーティーンでいつもの時間に目を覚ました。
時刻は午前六時をわずかに過ぎた頃。変わらない普段通りの起床時間。でも、社の顔はいつも通りでは無かった。
「・・・ふぅ」
息を吐き、布団から這い出ると一つ伸びをして身体をほぐす。ガチガチに凝り固まった身体はパキパキと音を鳴らした。
よく眠れた気がしない。
彼女と別れた後、自室に戻った彼には風呂に入る気力も無く、眠る事を欲した。
だが求める睡眠欲と裏腹に不安や焦燥といった感情に支配された心はそれを許さず、明け方までベッドの上で左へ右へと転がり続けた結果、彼は殆ど睡眠を取る事が出来なかった。
昨夜より疲れた顔で眉間に皺を寄せるとトボトボと部屋を出て行く。
眠い。眠すぎる。
だがこれ以上横になっても眠れる気がしなかった。こうなったらいっそ熱いシャワーでも浴びて目を覚ますしか無いと社はバスタオル片手にバスルームを目指した。
漫画でよくあるラッキースケベな展開などなく、浴室前には誰もいない。手早く衣服を脱ぎ捨て洗濯機に放り込む。これはあとで回そう。
浴室に篭った社築は熱めのシャワーを浴びながら今日から訪れるはずの新たな日々に頭を垂れた。
今日は休日であり、昨夜自分は会話を今日に先送りした。逃げられぬ、否、逃げ道を自ら塞いだ男はこの後の展開を思い、その身をシャワーに委ねる。願わくばこの熱さと共にこの身が消えて仕舞えばいいのに、と。
浴室から出てタオルでガシガシと頭を拭いていると扉の外を歩く音がする。彼女が目を覚ましたのであろう。一応扉に付いている鍵がかかっている事を確認すると社は重い手で衣服を着用した。
「飯でも作るか」
話もしなければならないが、まずは朝食を摂るのが最優先。彼女の分も用意しなくてはならないだろう。冷蔵庫の中身から献立を考えながら、社は洗濯機のスイッチを入れるのだった。
リビングに入ると、彼女はそこにいた。
昨日と同じく暗い顔をした少女はソファに腰掛けるとぼんやりと窓の外を見つめている。朝陽の光に少女は照らされていた。その名の如く、太陽の方を向き、そこに何かを求めているのではないかと社は感じたくらいだ。
「おはよう、本間さん」
「おはようございます」
挨拶に僅か頭を下げた少女に社はぎこちなく笑い返した。一晩経ったがどう接して良いのかなんてわからない。
それでも年上の人間として、しなくてはいけないことがある。
社は棚からフライパンを取り出すと、コンロに置いた。
「すぐに作るから、ちょっと待っててくれな」
そう言うと手慣れた手つきで二人分の朝食をを作り始めた。一人暮らしの長い彼だったが、作れるものといえばそんなにレパートリーはない。大体の食事はコンビニやスーパーの弁当、惣菜で済ましていた。
だがいつもの倍の目玉焼きと炒めたウインナー達。二杯のインスタントのコーンポタージュ。トースターで二枚のパンを焼き、二つのグラスに牛乳を注ぐ。
これくらいなら社にも作ることができた。
「お待たせ。さぁ食べよう」
いつもなら一人のテーブル。でも今日は違った。
目の前に座る少女がいる。
久しぶりの誰かのいる朝食の時間。それが社にはどこか嬉しかった。
盆に乗せた料理を彼女と自分の前に置くと社は食前の挨拶をする。
「いただきます」
「・・・いただきます」
手を合わせる二人は目の前の朝食に手をつけはじめる。
社は食べながらひまわりを密かに観察していた。食事には人が出る。彼女は一体全体どんな人物なのだろう。まだ彼女の事は何にも知らなかった。
そんな社築が観察する本間ひまわりは丁寧に箸を使い、一口一口を味わうように口にする。それはとても綺麗な作法だったが、どこか違和感を感じるものであった。
彼はその違和感の正体に遂には気がつけず、無言の朝食は間もなく終わりを告げる。
「御馳走様でした」
二人の言葉が重なる。空いた皿を重ねた社は流しに運びながら、休日の今日をどうしようかと考えていた。彼女は変わらずにソファに座ると流したままになっているテレビを眺めている。ニュースの内容はやれ海外の何処かで謎の爆発事故が起こったとか、やれ海外の何処かで赤い竜が目撃されたとか眉唾物の極みといった代物。見知ったコメンテーター達の嘘臭い反応を彼女は面白くなさそうにただ見ていた。社は食器を洗い終えると、再び彼女の前に座る。
「・・・」
何を話そうか纏まってはいかなかった。
突然年頃の女の子の世話をしろと言われて、「はい。わかりました」と言える程社の人生は波瀾万丈ではなかったのだ。極めて普通の人生を送ってきた彼は本当に困っていた。
しかし。
彼は、社築は、常識人である。
普通に生き、普通に生活し、普通に人生を歩んで来た。
そんな普通な道のりに現れた一人の少女は異物ではあったが、それを突っぱねるほど社は歪んではいない。
むしろ彼女の年不相応な表情が気になっていた。本来ならもっと自然に笑っている筈の彼女からはいつまでも感情の欠片さえ感じられない。
だからまず、社築は本間ひまわりに提案をした。
「なぁ、本間さん。ウチで暮らすことにおいて、まずルールを決めよう」
「ルール、ですか?」
「あぁ」
見知らぬ二人が一緒に生活する。それは互いにとってストレスにしかならない。だが共に住む以上、そこを減らしていくのは大切なことだ。一人の大人として、社築は提案をした。
「私は君と暮らしていく事に不満はない。これは信じてもらえなくてもいい。正直困惑しているが、本心だ」
嘘だ。
でもかまわず嘘を吐いた。
「・・・二人で暮らすなら、それだけのルールが必要だと思う」
「はい」
頷くひまわりに社は少しだけ困りながらも頷き返した。
そうして。社は昨日出会った少女と話しながら約束事を交わす。
一つ。できるだけ夕食は一緒に食べる。
一つ。互いに無理な干渉などは避ける。
一つ。どうしても困った事は相談する。
この三つを軸として、細かいルールを決めていった。例えば社にしても年頃の少女の洗濯物などは気にしてしまうし、彼女からしてもそうだろう。
自分が彼女に求められているのは必要最低限の生活基盤であり、これ以上の干渉は互いに不利益である筈だった。その中で社は彼女と暮らしていく為の約束を交わす。
「・・・と、こんな感じでどうかな?」
「はい。いいと思います」
幾つも提案を挙げる中、ひまわりはそのどれもを否定せずにただただ頷くばかりだった。それが社にとって、どこか不愉快に感じられていた。全てが自分の言葉通りに進む。それはある意味喜ぶべき事なのかもしれないが、彼にはそうは感じられなかったのだ。
もっとわがままを言ってもいいのでは?
そんな思いが社の胸の内を走る。自分が同じ年の頃は相応の反発感というのだろうか、もっと口がたっていた気がした。
しかし少女は文句のひとつも言わずに頷くばかり。
機械の様に首を縦に振るだけの人形が目の前に存在している。それがどこか、社の心をざらつかせた。
そんな中、諸々の話が終わると社は会話を締める。
「うん。じゃあ、こんな感じでいこう」
「わかりました」
無表情に肯定の意を返してくる、太陽の少女。その名の真逆をいく反応に社は何故か苦い顔をした。
本人の気がつかぬ内に。
そうして社築と本間ひまわりの初めての休日は過ぎていった。