緑の衣をまとった儚げな印象をした女性に見送られながら、穴の奥底へと降りていく。
女性は竜の子だった。永遠ともとれる時のひずみの中で苦しみ続けた女性。彼女は、かつて王が作ろうとした永遠の火の実現のために製造された失敗作だった。永遠の火など、存在しえないのだ。それは岩に火を灯そうとする試みに等しかった。永遠不滅の岩としての竜を火にくべたところで、火が消えるだけだったのだ。故に王は自らを火にしようとした。そうして、選択を誤った。
狭く、しかし広いようにも感じられる穴のなか。奥にある建物の一部と思しき場所に向かい細い岩の通路が伸びている。篝火のパチパチという乾いた音だけが空間を支配していた。
騎士は一度折られこの地の鍛冶屋の手により打ち直された剣と、おなじように修復された盾を頼りに進んでいく。
先に待ち構えるは闇の落とし子。かつてドラングレイグを支配したヴァンクラッド王の妻であり――ドラングレイグを滅ぼした元凶とも言える人物である。名をデュナシャンドラ。
ヴァンクラッドが地にみち始めた呪いを解こうと躍起になり、解決法が見つからずにとうとう亡者のように成り果ててしまった理由はもはや誰にもわからなくなってしまったが、不死の呪いを世界から一掃する術は確かに存在するのだ。それを、ヴァンクラッド王が実行しようとしたのかさえ誰の知るところではなかったが。
呪いとは人に課せられた性質である。ダークソウル。それは、最初の火から生まれた始原のソウルの一つ。熱や死や光と同じように、偉大なソウルの内の一つ。決して滅ばず。決して死なず。本能の赴くままにソウルを求め、貪る。それこそが人の持つ性質だった。言うならば人は生まれながらに呪われており、人が人である限り、この呪いを消すことはできなかったのだ。鳥の翼をもいだとして、その子の翼を生まれながらに持たざる者に変えることができるだろうか? 否、それはできない。
人にできることは選択すること。一度目の選択は、今や名前も伝わらぬ偉大な光の王によりなされた。自身を薪にして世界を繋いだ。
二度目の選択は、人によりなされた。今や名前も伝わらぬその人物は、世界に光をもたらすことを選択し、身を投じた。
もしかすると多くの者が世界が知らぬうちに人柱になったのかもしれなかった。
このたびの選択は、彼によりなされようとしていた。
岩の道の先には玉座がある。最初の火がともった原初の空間へと通じる鍵であり、適合しないソウルの持ち主を拒絶する場である。
一つだけ事実があるとすれば、ヴァンクラッド王は世界を繋ぐ資格をもたなかった。それだけであった。
騎士は述懐する。フルフェイスの強固な兜の奥で瞳を閉じて。
剣を授かった時の栄誉と、愛すべき人の顔。
それだけが全てだった。それさえも忘れかけていた騎士にとって、もはや確かに自分のものであると胸を張ることができる残された財産は自分の名前しかなかった。ドラングレイグの地へと足を踏み入れる前。数人の老婆が静かにしかし籠の中の動物を嘲笑うような疎外感を醸し出す笑い声で迎え入れてくれたときに、名をたずねられた。何とか答えられたことに安堵を覚えると同時に、それ以外の記憶が薄れつつあることにたまらなく恐怖を感じた。
授かった鎧と武器と、老婆から渡された人の像なる奇妙なもの。それだけを手にダークリングという呪いを消すべくかの地へと降り立った。
マデューラ。寂れた街だった。あるいは村と言うべきか。かつて人の営みが行われていた場所。いまはほとんど廃墟ばかりのようになってしまった場所。
その村から全てがはじまったのだ。多くの偉大なソウルを得て、時に不死廟にこもり何かを守り続けていた王のソウルを殺したこともあった。王の指輪を得て、さらに奥へ。道中出会った人々も次第に正気を失っていく。そうではないものもいた。
幾度も殺された。殺してソウルを奪った。奪い取ったソウルは肉体へ。血しぶきは次第に剣に吸収され、変質していった。ソウル。それは生命力であり、全ての根源であり、一種の呪いである。
そうして、玉座へとたどり着いたのだ。
王が遣わした監視者と守護者さえ蹴散らして、デュナシャンドラ――王妃さえ殺した。
王妃は闇から生まれた。太古の昔。闇に飲まれたたった一人の人間がいた。彼、あるいは彼女はごくありふれた人だったが、いつしか化け物と化した。その人間は、故も知らぬ勇者によって討たれ、ソウルの破片が拡散した。デュナシャンドラは欠片から生まれたのだ。そのどろりとして生温かい破片から。
全てが始まった時、力が生まれた。プラスにはマイナスがあるように。コインに裏表があるように。光のソウル。そして、闇のソウル。闇のソウルは無数に存在した。個々ではあまりに弱かったが、集まることで全てを変質させる強大な力を秘めていた。
デュナシャンドラは闇から生まれた。そして渇望していた。闇をあつめ、全てを一つにすること。それが目的であり、存在意義だった。
デュナシャンドラの頭に刃を突き立てる。生温かい体液が体に降り注ぎ、しかし触れる前にソウルへと変わっていく。愛情、憎しみ、悲しみ、よろこび……ありとあらゆる感情を想起させる名残が騎士の頭をよぎった。
崩れ落ちるデュナシャンドラが何事かを呟いた。騎士の耳には届かなかった。
玉座――というには薄汚れた椅子がある。窯の中に据え付けられたそれは、降り積もった灰のなかにあった。ゴーレム――あるいは巨人の成れの果てが、玉座のある窯と床を隔てる暗い溝を繋ぐ懸け橋となるべく、一斉に群がって肩を組んだ。騎士は傷ついた体を引き摺って行く。
――王たる者よ、玉座へ。
騎士は、腰をおろした。
どれだけの時間がたっただろうか?
玉座とは名ばかりの粗末な石造りの内部は、火の粉で満たされていた。心地よく、目も眩まんばかりの光の渦が騎士を取り囲んでいる。玉座が消え、空間への認識も消え去った。果たして、どこにいるのかさえ分からなくなる。かつて世界は霧に包まれていたという。当時の環境に放り込まれたかのように、全てが虚無になっていた。
落下する感覚に襲われる。
騎士が目を開くと、体中に纏わりつく光の粒子があり、広大な空間が目に飛び込んできた。灰色の雲が果てしなく続く空と、つい今しがたまで煌々と火がともっていたかのような熱を宿す大地。荒涼とした風景だった。騎士が落ちていくその真下には溶解し形状を保ってすらいない柱のようなものがあった。光の粒子によって騎士の体は徐々に減速していき、その大地へと降り立った。
玉座に付くだけが使命ではなかったようだった。
大地は、全てが灰だった。燃え尽きて真っ白になった灰が辺り一面に降り積もって大地になっていたのだ。
ここはかつて最初の火が灯り、幾人もの王が身を捧げてきた空間だった。全てはここからはじまったのだ。火が継がれ、呪いがあらわれ………。終わらない連鎖をひたすら積み上げてでも最初の王そして次の王も光の時代を求め続けてきたのだ。終わらない戦いを人は地獄と呼ぶ。はたして、誰にとっても地獄なのかは定かではない。
かつて大いなる死者から歌を授かった歌い手たちは、なにかを慰めるかのように歌い続ける。火継ぎの勇者――あるいは、既にその身をソウルへと散らした故も知らぬ勇者への鎮魂歌なのかもしれない。
騎士は、ゆるやかに一歩を進めた。傷ついた体は、しかし死ぬことを許さない。闇の兆しが体を死なさないように作用している。
進む先を塞ぐかのように、白い影が横ぎった。それは武器を手にしていたが、輪郭が酷くぼやけており人より二回りは大きいということしかわからない不鮮明さであった。緩やかに歩いていき、空中に溶けて消えていく。ソウルの残滓であるかのように白い影が徘徊している。
灰を踏みしめ、歩く。灰が降り積もった荒涼とした大地に、まるで誰かが作り上げたかのような道が出来上がっていた。前に進むこと以外はできなかった。道を横切る白い靄をかき分けて前へ、前へ。
道中には、白い灰の柱があったが、岩が溶けてつらら状になったものとは異なっていた。白い、柱としては低く、下に向かうにつれて広がりを見せるそれの中ほどあたりから、二本の腕のような分かれが目視できた。
まるで、逃げる暇もなく――あるいは逃げようともせず――人知を超える熱量を受けて灰の柱と化してしまったかのようだった。
騎士は歩いた。正面に見える、壁のようなものを目指して。
壁に到着すると、中に入れる場所がないかを探した。壁はその場所をぐるりと取り囲むようにそそり立っているようであった。ほどなくして壁の一部が崩れかかっているのを見つけ、身をねじ込んだ。
内部は、スタジアムほどの空間であった。灰の地面。その中央に、何かが光っていた。なにものかの骨の残骸を戒めるかのようにねじくれた剣が刺さっており、いまにも消えそうな火を辛うじて繋ぎとめていたのだ。見ている間にも、火が燃えるための燃料の一部である頭蓋骨の顎の骨が砕け、灰に変わっていく。
これこそが、
――『最初の火』。
かつて霧に覆われた古竜の時代が終焉を迎え、神と人と多くの生命が生まれるきっかけを作ったもの。
その偉大な力もしょせんは一つの火の粉に過ぎなかった。火の粉がはじめて宿り世界へと満ちていく過程の、全ての根源こそが騎士の足元でくすぶる弱く温かい火だったのだ。
騎士に残された財産は名前と誇りと、愛する人の記憶だけ。火を継げば闇は拭われるが、やがて世界に悲劇が満ちるだろう。そうだとしても、騎士は既に選択していた。
愛情、誇り……人間性とも呼ばれるそれらの感情が王として火を継ぐための要因であった。
篝火には今にも燃え尽きて崩れ落ちてしまいそうなソウルの欠片があった。騎士はそれを見ても手を伸ばすことはなかった。これからの自分には必要のないものだからだ。
火に手を翳す。
火が体に纏わりつく。騎士甲冑も、剣も、盾も、全てが火に包まれる。火は渦を巻き凄まじい速度で膨張していくと篝火を囲っていた壁を瞬時に沸騰させ、瞬く間に空間全てを染め上げていった。
火は、世界へと拡散していく。闇の広がりを阻止して光を空にもたらすために。
玉座から火が噴きだすと、部屋を満たし、外の世界へと溢れ出していく。火に誘われた羽虫が身を焼かれ灰と化す。岩の柱の表面が沸騰し、変形する。光の力が世界中に溢れていた闇を――またたくまに制圧していった。
篝火に焦がされ消えかけていた故も知らぬソウルが、新たな火によってたちまちのうちに燃え尽きる。
故も知らぬ貴き者に人は英雄としての素質を感じるという。事実は伝説となりおとぎ話となり、人々の憧れとなる。
ここにまた光の時代の到来が約束されたが、身を投じた英雄の存在など、人々はやがて忘れ去ってしまうだろう。
だが、僅かな使命を浴びた者たちが語り継ぐのだ。あるいは歌って後世に伝えようとするのだ。
終わらぬ夜はない。いつか日は昇るだろう。
世界はきっと悲劇なのだろう。火が強くなれば闇が強くなるように、いつの日か世界に亡者が溢れ返ることになる。闇ばかりの世界がどうなるかなど、誰も知らない。闇に染まった世界は永遠に平和であるなど誰が保障するのだろう。太古の昔、永遠であるはずの霧の世界が終焉を迎えたように。人は光の時代を選んだ。ただ、それだけが事実だった。
騎士の体から逃れ、奇跡的に火にまかれなかった鳥の羽が、空へと舞い上がる。
羽はどこかへと流れていく。すぐそばを飛ぶ小鳥の群れは不思議そうに羽を見つめていたが、飛び去って行った。
羽がどこへ行ったのかを知る者は、どこにもいなかった。
【貴き者のソウル】
かつて自ら篝火にその身を投じた聖人のソウル
使用で莫大なソウルを得る
強き火に蝕まれ消えかけてはいるが、
秘める力はなお圧倒的である