王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている 作:若年寄
久々にカイム王子を
さあ、残った騎士共に稽古をつけてやろうかと張り切ったは良いが、
バオム王国は完全なる士農分離を採用しているので騎士の仕事には当然訓練も含まれている。なので不甲斐無いと一喝するのは簡単だ。
しかし、あまり根を詰めても良い結果は生まれないから休ませてやって欲しい、と騎士団長のレーヴェから頭を下げられては“左様か”と折れるしかない。
そういった経緯もあって、ゲルダは騎士達に素振りニ千本を熟してから解散するよう命じて稽古場を後にしたのである。
「素振りを真剣にやったか、いい加減にやったかは明日、貴様達の体を見れば分かるからな」
そう云い残して…
さて、手が空いたは良いが、これからどうすべきかと悩む事となった。
日課としては稽古の後は朋友エヴァが経営する酒場・沈黙の
かと云って今更稽古場に戻って自身の稽古を始めては騎士達も気を遣おう。
いよいよ困ったと思案しながらとあるカフェの前を通りかかったその時、鈴を転がすような声を掛けられたのである。
「貴方が噂の聖女様ね?」
「おお、これは何とも可愛いらしい
声の主は
恐らくは貴族の子女であろう。仕立ての良い服を身に纏う少女達である。
途端にゲルダは相好を崩して話しかけた。前世から通じて子供が好きなのだ。
「ふふふ、御機嫌よう、聖女様。お初にお目にかかるわ。私の名前はヘルディン! ヘルディン=ナル=ビオグラフィー! 長年、ガイラント帝国を外敵から守り続けてきた誇り高き辺境伯ビオグラフィー家の娘よ! 特別にナルと呼ばせてあげるわ!」
少女達の中でも中心にいた少女が名乗りを上げた。
白を基調とし、ふんだんにフリルやレースに飾られたドレスを身に纏っている。
不敵な笑みを浮かべているその顔は確かに高貴な血筋を想わせ、赤みを帯びた金髪の毛先を巻き毛にしていた。
腕を組んでの堂々とした名乗りにゲルダは感心させられたものだ。
「ほほう、我が弟子カイムの婚約者殿か。はきはきとした善き名乗りである。では、こちらも名乗ろうぞ。ワシの名はゲルダ、姓は無い。人は“酔いどれ”のゲルダと呼ぶ。まあ、好きに呼ぶが良かろう」
「“酔いどれ”ですって? 韜晦は無用よ。ガイラント帝国の情報網をナメないで頂戴! 既に貴方がどれほどのものか分かっているのよ!」
ナルはゲルダを指差しながら高笑いを上げたものだ。
「貴方はかつて魔王に、いえ、魔界軍相手に完全勝利を納めている。それがどういう意味を持つか分かっていて? 貴方は
「ほう、大したものだ。“韜晦”なんて難しい言葉を善く存じておったな。偉いぞ」
恵比須顔で頭を撫でるゲルダの手を払いのけてナルは立ち上がった。
「それはどうでも良いのよ! 問題は勇者の存在意義を失いかねなかったって事!」
ナルの剣幕に苦笑しながらゲルダは宥めにかかる。
「その事はもう勘弁してくれ。三日三晩も天界から苦情が殺到して処理に苦慮した苦い想い出があるのだ。当時の勇者と名乗っておった
その後、勇者はどう思案を巡らせたのか、誰ぞに何かを吹き込まれたのか、魔王を再起不能にしたゲルダを怨み戦いを挑む事となるのだが、魔界軍との戦いで大きな実戦経験を積んだゲルダに敵う訳もなく、手痛い敗北を喫するどころか神から賜った聖なる槍も輪切りにされた事で更に意気消沈する次第となったのだ。
逆怨みで襲われたとはいえ、流石に気の毒に思ったゲルダは戦争の賠償として魔界からせしめた秘宝の中から魔王愛用の魔槍グロースシュトルツを渡したという。
だが、魔王本人か魔王に打ち勝った事で魔槍に認められたゲルダならともかくイジケ根性に染まってしまった勇者が手に取るだけでも不快だと云わんばかりに質量を増していき、ついには勇者を押し潰してしまう事態となってしまったのだ。
ゲルダとしては聖槍に代わる強力な武器を補填しようとしたつもりであったが、結果として勇者にトドメを刺した形となったのである。
一命は取り留めたものの、“受けた傷を治療不能にする“魔槍の特性により、存在意義どころか利き腕と生殖機能を失った勇者は名誉を回復する事すら出来ずにいずこかへと去ってしまったという。
「可愛そうな事をしたと今でも思っておる。グロースのヤツも“何でも命じて下され”と云っておったから、“勇者を主とせよ”と命じたのだが、まさか拒否するとは思わなんだわ。しかも巨大化して押し潰すとは予想も出来んかったわえ」
「あ、貴方、魔槍の気持ちになってみなさいよ。魔王を超える新たな主を得たと思ったところへ、かつての主君の宿敵だった勇者の物になれと云われれば拒否するに決まっているじゃない。勇者も災難だったわね」
「う、うむ、あの後、『塵塚』の母者より“物にも持ち主を選ぶ権利がある”と叱られて、グロースが怒るのは無理も無いと大いに反省したものよ」
「そっち?! 勇者には何も思うところは無かったワケ?!」
ナルの言葉にゲルダはきょとんとした表情を見せた。
「逆怨みで襲ってくるような者に何を思えと云うのだ? ワシを殺すつもりで槍を向けておいて命があるだけ有り難いと思えとしか思わぬわえ。ワシがあの
ゲルダは正直な気持ちを吐露した。
子供相手に嘘を吐きたくは無かったし、何よりこのナルという少女目だ。
傲慢な気質であると聞かされていた。確かに勝ち気そうな強い目をしているが、云い方を変えれば真っ直ぐな目の持ち主であるとも云えよう。
下手に云い繕えば途端に見破ってしまうだろうとゲルダは見て取ったのだ。
そしてナルもまたゲルダを理解した。
ガイラント帝国の優秀な諜報機関によってゲルダが前世の記憶を持って転生しているらしいとの情報を得ていたが、『塵塚』のセイラなる生きた人形に育てられ、魔界軍に滅ぼされた『水の都』に巣くう怨霊達に囲まれて生きてきた彼女の思考は人間とは大きくズレてしまっているに違いない。況してや三百年以上も生きているとなれば尚更であろう。
そして世間では“聖女様”と呼ばれているが、人間離れをした治療技術と解呪能力をもって人を救う事が出来るだけであって、
加えてナルは敏感にゲルダから
彼女が多くの命を救ってきたのは間違いない事であろう。
だが、同時に彼女は敵と認識した数多の者達を斬り捨て、屍山血河の中を生き抜いてきた事も確かであると悟ったのである。
(いけない…護身用に拳銃を持って来たのが仇になったか)
ゲルダの分析をしている内に知らず汗をかいていたナルは、それによって太腿に装着したホルスターの感触を思い出してしまう。
己を律しなければ殺気が漏れてしまいかねない。
魔王と勇者を歯牙にも掛けない武人を目の前にして血が昂ぶっていくのが分かる。
莫迦め。それでもお前は辺境伯ビオグラフィー家の一員か。
自分を叱責するという屈辱的な行為までしてもこの気持ちを抑えきれない。
幼く見えても既に
バオム王国に潜入する為に被った
(何やら殺気だっておるのぅ。表向きには“田舎”と蔑んでおっても、勇者の血筋であるバオム王国に嫁ぐだけあって、本当は勇者に憧れを持っておったか?)
突如、殺気を醸し出したナルにゲルダはズレた推察をしていた。
(それにしても惨い事をする。子供かと思っていたが、ありゃ魔法薬で無理矢理成長を止められておるな。しかも相当鍛え込んでおる。実際の年齢は二十歳前後といったところかのぅ)
だが、ナルの肉体に何が起こっているのかは正確に見抜いていた。
(ま、何にせよ。この娘との婚姻が成立してカイムの求婚が収まってくれれば云う事ないのだがのぅ)
これが後に使命を果たす為なら“追放された酔いどれ”や“王子を寝取った偽聖女”といった汚名を被る事も辞さない二人の運命の出会いであった。
後世の歴史家に、親兄弟でもここまでお互いを理解し合う事は出来ないだろうと評され、また互いの幸せを祈り合うほどの仲の良さから『一卵性義姉妹』という異名をつけられようとは出会ったばかりの二人が知る由もなかった。
今回は少し短めですが、切りがいいのでここまでです。
カイム王子の婚約者でゲルダが追放された後の後釜に聖女となるナルの登場です。
実は我が侭娘を装っていた帝国からの間者で、ゲルダが見抜いた通りに魔法の薬で成長を止められていました。つまりナルが生まれてカイム王子との婚約が決まったのではなく、カイム王子が生まれてナルとの婚姻が定まったのでした。
理由は勇者である運命を背負ったカイム王子と対となる聖女の獲得です。
しかしカイム王子はゲルダに夢中だし、ゲルダはゲルダでカイム王子も聖女の役目も眼中になく、想定と大きく懸け離れてしまって帝国の計画は頓挫しつつありますw
最悪、勇者無しで魔王を斃せるゲルダだけでも手に入れたいと考えてますが、召喚された際に『魅了』というチートを得ていた百年前の勇者にすら靡かなかったのでどうしようもありません。
命令したところでゲルダは権力者に傅く事はないですし、軍を送ろうにも魔界軍さえ打ち破っている『水の都』が相手では脅しにもならないでしょうw
ただ友達として付き合う分には寛大なので帝国はともかくナルとは友好な関係を築く事になるでしょう。
いや、前回の後書きにあるように、最近までナルは我が侭でカイム王子がぞっこんになっているゲルダを敵視するはずだったのですが、書いていてもっと面白くするには・・・と無い頭を捻っているうちに今回の様なナルが出来上がってしまいました(おい)
いやぁ、下手に予告を書くものではないですね(マテ)
それではまた次回にお会いしましょう。