王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている   作:若年寄

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第拾捌章 帝国宰相の正体

「おお、遅かったな。余に相談してくれれば日を跨がずとも家に帰る事が出来たであろうに。本当にお前は何でも自分だけで抱え込んでしまうな」

 

 カンツラーを出迎えたのはカイゼル髭を生やした初老の男であった。

 初老と云っても身体つきはがっしりとしており、老いを感じさせない。

 筋骨隆々とまではいかないが、俗にいう細マッチョと呼ばれる体型である。

 その肉体は精気に満ち溢れており、白髪頭と合っていない。まるで出来の悪い合成写真のようだ。

 その顔立ちは多少シワが刻まれているものの若々しく、爽やかな笑顔が似合う好人物といった印象を受ける。

 また右目に装着された片眼鏡(モノクル)が威厳と貫禄も与えていた。

 

「な…な…何で貴方がここに?」

 

 朗らかに笑う老人を指差してカンツラーは愕然としている。

 

「うむ、たまには家族揃って過ごそうと誘われてな。こうして邪魔をさせて貰った」

 

「貴方までいたのか」

 

「これ、余はともかく母者(・・)に向かって“貴方”は無いであろう」

 

 老人の背後から現れた黒髪の麗人を見てカンツラーは顎が外れんばかりに大口を開けて固まった。

 父親に咎められるもカンツラーは呆気に取られたままだ。

 

「久しぶりに家族が集まるのだからと母者が腕に縒りをかけて余とお主の好物を沢山拵えてくれたぞ。いや、疲れておるであろうし、先に風呂に入るか?」

 

「いやいや、どうせなら内縁とはいえ夫婦水入らずで過ごせば宜しいのでは」

 

 何とか復活したカンツラーが遠慮気味に云うが、父は彼の背中を豪快に叩いて笑ったものだ。

 

「子供がそのような気遣いをするな。我らの姿を見れば察せられよう。夫婦だけの時間(・・・・・・・)は既に終えておる」

 

 云われて見れば二人ともバスローブ姿であり、髪もしっとりと濡れている。

 母に至っては顔が僅かに上気して肌艶も良く、瞳まで潤んで何とも云えぬ色香を感じさせられたものだ。

 ああ、なるほど。逢ったのは久々であろうし、どちらからでもなく抑えきれずに一戦(・・)かましていたに違いない。

 

「それよりも、である」

 

 母が笑いながら近づいてくる。

 普段は一切の隙を見せぬ氷の刃のような武人であるが、今は母として、妻として柔かな微笑みを浮かべてカンツラーの頬を撫でる。

 

「早う母にお前の可愛い顔を見せておくれ」

 

「あっ?!」

 

 母に銀縁眼鏡を奪われると当時にカンツラーの身体が光を放つ。

 人型の光と化したカンツラーは瞬く間にそのシルエットを縮小させていく。

 

「母者、お祖母様から頂いた眼鏡を返して下され」

 

「返したらお前はすぐに『擬態』をしてしまうであろう? 今夜はその姿のまま付き合ってくれい。滅多に会えぬ母からの頼みだ」

 

 両手を合わせ可愛らしく懇願する母親にカンツラーは呻く。

 偉大な武人にして師である母であるが、このように乞われると弱いのである。

 

「明日も仕事があります。朝までには返して下されよ」

 

「うむうむ、分かっておるわ」

 

「むぐっ?!」

 

 途端に満面の笑みを浮かべた母にカンツラーは力強く抱きしめられる。

 先程までは父親以上の長身であったが、今のカンツラーは小柄な母親の腕にすっぽりと収まるほど小さな姿となっていた。

 年の頃は五歳程か。母親譲りの黒髪と金色の瞳、父親から受け継いだ凜々しくも穏やかな目鼻立ちを持つ愛らしい少年となっていたのである。

 しかも頭には二本の立派な黒光りをしている角が生えており、背中には蝙蝠に似た翼が、尻にはエメラルドの如く鮮やかに輝く鱗に覆われた長い尻尾があった。

 更には身体の所々にも美しい鱗が見え隠れし、目は丈夫な膜に守られている。

 この幼い半人半龍の子供こそがガイラント帝国宰相カンツラーの正体であると誰が分かろうか。

 

「ずるいぞ、ゲルさん(・・・・)。俺にも抱かせてくれ」

 

 初老の男が片眼鏡を外すと光に包まれ、痩身の青年へと姿を変える。

 若返っただけではない。カンツラーと同様に頭には角、背には翼、尻尾があった。

 二人の眼鏡には人間同然に見せる『擬態』の魔法が込められているらしい。

 

「ダメだ。お主は仕事とはいえ毎日会っているのだからな。もう少し堪能させておくれ、ゼルさん(・・・・)

 

 のぅ、カンツ――ゲルさんことゲルダは我が子(・・・)を愛称で呼びつつ頬擦りをした。

 幸せそうにしているゲルダに水を差すようではあるが、彼女は出産経験は無いと前述していたではないかと疑念に思われている読者諸兄諸姉もおられる事だろう。

 種明かしをすれば先帝の娘、即ち現皇后に追い出される際、ゲルダは相手を病に冒す要領で、子宮から取り出した受精卵を皇后に移植していたのである。

 勿論、正真正銘ゼルドナルとの子だ。

 最愛の男と引き裂かれた意趣返しであったが、それが思わぬ悲劇を生んでしまう。

 それはゼルドナル・カンツラー親子の角や翼に関係があった。

 ゼルドナルは半世紀以上前に世界を襲ったドラゴンの王を斃した英雄だ。

 その時点では彼も他者より多少才がある程度の人間であった。

 しかし、その時に大量の返り血を浴びてしまったのが問題だったのである。

 ドラゴンという種族は不死に近い長命であり、それ故に子孫を残そうとする意思が希薄である為、その数を減少させてしまっていた。

 また縄張り意識も強く、同じ生活圏に違うドラゴンが棲まう事を嫌うあまり排除してしまう傾向にあり、結果として更に数を減らしていったのだ。

 このままでは滅亡するところまで追い詰められて漸くドラゴンは(つがい)を得ようとするのであるが、そこで今まで他者を排除してきたツケを払う事となった。

 極端に数が減ったせいで番となる相手が見つからなくなってしまったのである。

 長寿とはいえ、番を得る機会を数百年単位で待たねばならなくなったドラゴン達は生殖方法に新たな戦術を見出す必要に迫られたという。

 そこで考案されたのが他の生物に自らの血を与えてドラゴンに変えてしまおうというものだった。要は子、仲間が増えれば良いと考えたのだ。

 その新たな生殖アプローチを考え出したのがゼルドナルに斃された邪龍であり、先の大戦とはドラゴンの血を与えられて誕生した新たなドラゴン、否、ドラゴンと呼ぶに値しない“擬き”と化した様々な生物が暴走した結果であったのだ。つまり“王”と呼ばれていたのは無節操に増やした“擬き”の大元である事からの皮肉でしかない。

 所詮は英雄に斃されるべきただ(・・)の邪龍だったという事である。

 しかし、腐ってもドラゴンの末裔だ。死闘の末、ゼルドナルは邪龍を斃す事に成功するが、大量の返り血を浴びてしまい、更に今際の際に遺した呪いの言葉を掛けられた結果、半人半龍ともいうべき姿に変えられてしまったのだ。

 流石に人智の超えた先に存在するモノと云うべきか、ゲルダの力を持ってしてもゼルドナルを人間に戻す事は叶わなかったそうな。

 どの道、邪龍討伐後に冒険者を引退するつもりであったので、『水の都』でゆっくりと治療しながら悠々自適の生活を送ろうではないかという段となって、例の先帝からの要望が来たのであった。

 話し合いの結果、帝国の力を利用して平和な世を築いていこうとゼルドナルを皇帝にすると決め、ゲルダは権力争いの種になるからと身を引いたのだ。

 ゲルダにしてみれば結婚に拘りは無く、帝国内に庵を結んで子育てをしていこうと考えていたのだが、何事においても以心伝心で通じ合う二人に嫉妬した皇后により庵は破壊され、ゲルダも帝国内から追放される憂き目に遭った。

 その時に子宮内にあった受精卵を皇后に植え付けたのである。

 ゲルダとしては、“ワシの子を産むが良いわ”という気持ちであったが、それが思わぬ事態を引き起こしてしまったのだ。

 子供は半人半龍として皇后の胎内で育ち、彼女の精気を際限なく吸収するようになったという。

 成長と共に皇后の腹は膨らんでいく一方で身体そのものは干涸らびていき、カンツラーが産まれてくる頃には皇后は老婆のような姿となっていたそうな。

 これが生命力に溢れるドラゴンや『水の都』の瘴気から無尽蔵に魔力や精力を得られるゲルダであれば問題は無かったのであるが、常人でしかない皇后では闇雲に生命力を奪われてしまうだけであった。

 しかも難産の末に産まれてきたのは巨大な卵であったそうである。

 邪龍の祟りかと畏れた帝国は卵を捨ててしまう。破壊も検討されたが卵とはいえドラゴンはドラゴン。如何なる手段を用いても皹一つ入らなかったそうだ。

 さて、先程は卵を捨てたと表現したが、実はゼルドナルが川に流すと見せ掛けて『水の都』に戻ったゲルダに托したのである。

 孵化に数年掛かったが、子供は無事に産まれ、カンツラーと名付けられた。

 これがカンツラー出生の秘密なのだ。

 

「思えば皇后殿には(むご)い事をした。ワシが魔力を与えて若さを取り戻した事で感謝され友誼を結ぶ事となったのは良いが、内心は穏やかではなかったのぅ。俗にいうマッチポンプであるからな」

 

「良いんじゃないか? ゲルダを側室にする事を許さず、それどころか奥床しく郊外に庵を建てたというのに、それさえも壊して帝国領から追い出したんだからさ。若さと美貌を取り戻してやっただけ十分慈悲深いと思うよ」

 

 『擬態』を解いて青年となったゼルドナルは口調をも若いものに変えてゲルダの肩を抱き寄せて慰めたものだ。

 

「そ、それで本日は何故、集まろうと?」

 

 小振りながらも柔らかいゲルダの胸から漸く顔を抜け出す事ができたカンツラーは訪問の理由を問う。

 

「まあ、お前も知る通り、皇后(にょうぼう)殿が死んで三年、喪が明けたからな。俺がいなくても帝国は回るようになった事もあるし、そろそろ引退をようと思っていたんだ。それに俺も既に八十を超えている。いくら『擬態』していても限度があるというものだ。それをお前にも含んでおいて貰おうと思ってな」

 

「そうでしたか。六十年、お疲れ様で御座います。後の事はお任せ下され」

 

 カンツラーも肉体的には幼い子供でも長年宰相として帝国を支えてきた一廉(ひとかど)の人物である。父の引退宣言に動揺する事無く労った。

 既にカンツラーの頭の中では次期皇帝候補の顔が浮かんでいる。

 父の子は自分以外にいないが、正当な後継者は問題無く存在していた。

 皇后は父の前に夫がいて子も産んでいるのだ。

 前夫は帝国軍を束ねる将軍であったが、先の邪龍との戦いで命を落としている。

 まだ幼い子供を皇帝にするよりはと邪龍を斃した英雄に白羽の矢を立てたのだ。

 何とも迷惑な話であったが、結果的に自分は宰相になれたのだから良しとしよう。

 当時は幼かった次期皇帝も今では貫禄のある偉丈夫だ。

 賢くはないが横暴でもないので上手くやっていけるだろう。

 カンツラーはもう既に、父の死の『偽装』から葬儀、次期皇帝の即位の儀までの段取りまでを頭の中で組み立てていた。

 

「ありがとう。それで、この機会にゲルダと結婚をしようと思っているんだ」

 

 その言葉を受けてカンツラーは何とも云えない表情を見せたものだ。

 

「お二人の結婚は祝福させて頂きますが……いや、勿論、私としては望むところなのではありますがね」

 

「何だな?」

 

アレ(・・)はどうなさるのですか? 脈が無いのに未だアプローチを続けるバオムの小倅の事です」

 

 今回の婚約における主役の一人であり、同盟国の王子を恫喝してしまった理由がそこにあった。

 宰相としても一人の大人(・・)としても褒められた行動ではない。

 糾弾されて然る可きだと自覚しているが、あのような小僧が父を差し置いて母に粉をかけていると思うと、腹の虫を抑える事が出来なかったのである。

 仮に母がカイム王子の求婚を受け入れていたのならば祝福は出来ずとも認めてはいたであろうが、母は何度も断りを入れているのだ。

 だがあの小僧は勇者の力に目覚めかけているのを見過ごせぬ母の優しさをどう解釈しているのか、いずれは振り向いてくれるだろうとしつこく口説いている始末だ。

 確かに武人としての才覚はある。頭脳も明晰で学者と討論出来るレベルと聞く。

 母が徹底的に扱いた甲斐もあって人格面においても王族として何処に出しても恥ずかしくない品格を身に着けつつあるのだが、それとこれとは話は別である。

 許せぬどころではない。同盟国の王子でなければ八つ裂きにしていたであろうくらいにカンツラーの(はらわた)は煮えくり返っていたのである。

 

「うむ、それなのだが、一度結婚してやろうと思っている」

 

「はっ? お気は確かか、母者?」

 

 ゲルダの発言に思わず正気を疑ってしまうのは無理も無いだろう。

 父を見るが、その顔には怒りは無く、困った様な苦笑いを浮かべてすらいた。

 

「気持ちは分かるが落ち着け。まだ明かせぬが、ちと考えがあるのだ」

 

「何らかの策という事ですか? それは……いえ、まだ明かせぬのでしたな」

 

「すまんな。だが、安心せい。この身には指一本触れさせぬわ」

 

「私とてこのような姿ですが五十歳を過ぎております。策に必要であれば小僧の童貞を卒業させてやるくらいは目溢しする度量はありますぞ」

 

 愉快ではありませぬが――と付け加える息子に内縁の夫婦は揃って笑いを噛み殺すのに苦慮したものだ。

 そこでこの話は終わりとばかりにゼルドナルは手を叩いて話題を変換する。

 

「結婚と云えばカンツに良い人はいないのか?」

 

「生憎と…」

 

「まあ、煎餅布団を万年床(まんねんどこ)にしている時点で察せられるけどな」

 

 笑いながら頭を撫でる父親にカンツラーの顔が火のように熱くなった。

 宰相という多忙を極める職に就いている為に家事が疎かになっている事を親に知られてしまった気恥ずかしさから来るものだ。

 

「だから『塵塚』の母者も従者を送ると申しておるではないか」

 

「申し訳ない話ではあるのですが、私の角や翼は柔らかい布団を破いてしまいますので固い方が良いのですよ」

 

「それ理屈じゃ万年床の云い訳にはならないぞ。ゲルさん譲りの衛生魔法で黴やダニを防いでいるのは分かるが、たまには日に当てた方が良いのは分かっているよな?」

 

「つまり家事が行き届いておらぬ証拠だ。おお、勘違いするでないぞ。嫁を取って家事をさせよと申しておるのではない。従者を入れて風通しを良くせいと云っているのだ。魔法の風で埃を外に出して、はい、お終いでは学生達にも示しがつくまい?」

 

 両親の理屈も気遣いも理解してはいるのだが、カンツラーがこれだけ頑なに従者を招き入れる事を拒むのには訳があった。

 基本的に『水の都』の従者達は善良であり、祖母セイラや母ゲルダに絶対的な忠誠を誓っている。勿論、カンツラーにも同様に忠義を見せてくれるのだが、油断をするとドレスを着せようとしたり化粧をしようとしてくるのだ。

 見た目同様、心も幼かった頃、風呂から上がって着替えを手にすればフリルのついた女性用の下着が用意されていたのである。

 思わず母親を見上げると、“ワシも幼い頃に通った道だ”と遠い目をされたものだ。

 ゲルダの場合は前世の記憶に引き摺られて男物の服を好む感性を矯正するという正当な動機があったが、カンツラーに女装をさせようと目論むのは明らかに従者達の趣味であった。

 男女の特徴に差が少ない幼少期は何を着せても可愛いからか、男児にも女物を着せる大人もいるにはいる。況してやゲルダとゼルドナルという麗しい二人の間に生まれたカンツラーはそれは愛らしい顔立ちをしていたのだ。勿論、現在もであるが。

 怨霊と化し、後に人形の体を与えられたとはいえ侍女達も可愛いものに目が無い婦女子である。麗しの貴公子に夢中になり、思い思いにお(めか)ししていく内にエスカレートしてカンツラーに女装を勧めるようになっていったそうな。

 ドレスを手にカンツラーに迫る侍女達から逃げている内に彼の隠密スキルが磨かれていったのは幸であるのか不幸であるのかは当人の受け取り方次第であろう。

 結果としてカンツラーが『擬態』をする際に陰気な壮年を採用しているのは幼い頃の経験からきているのは云うまでもない。

 もっとも『加齢』はしていても顔の造作は元々悪いものではなく、学生達への援助や見かけによらぬ豪快な武勇伝の数々によって帝国内でもファンは意外と多い。

 彼を排除しようとする貴族達と繰り広げられる暗闘のせいで自分が人気者であると夢にも思っていないのであった。

 つまり『擬態』はしても侍女達はそれはそれで壮年カンツラーに似合うドレスと化粧を用意するだけの話だという訳である。

 むしろ幼児から少年、青年、中年と様々な姿に変わる事が出来るカンツラー、否、彼を含めた麗しのゲルダ家一家は美味しい存在(・・・・・・)なのだ。

 

「従者はもう懲り懲りでしてな。女装も言語道断ですが私の洗濯物に女物の下着が混ざっているのを学生に見られでもしたら私の人生は終わりでございます」

 

「では執事ならどうだい? 男同士ならカンツも気兼ねせずにすむだろう?」

 

「父上、相手は人形に取り憑いた幽霊でございます。彼らにとって体を換えるなど造作も無いはず。見た目は男でも中身が侍女である可能性も無きにしもあらずですぞ」

 

「そんなに女装は嫌かい。似合っているし可愛いから良いと思うけどなァ」

 

「父上!!」

 

「ゼルさん、揶揄うな。機嫌を損ねられては折角作った料理が不味くなるぞ」

 

「そうだな。すまなかったね、カンツ。けど君を莫迦にするつもりは無かった事は信じてくれないかい?」

 

 こうした時、素直に頭を下げられる父が誇らしくもあり苦手である。

 母に求婚するカイムやバオム王国に取り込もうと策を弄するレーヴェに辛辣な態度を取ってしまう自分の器が小さいものに感じられるからだ。

 母を取られまいという子供として正しい感情ではあるのだが、人間社会で荒波に揉まれてきた経験もあってか、そういった感情が幼稚に思えてしまうのだ。

 

「さて、カンツはどうする? 食事にするかい? 風呂も沸かしてあるぞ」

 

 カンツラーの表情から何を考えているのか正確に読み取った父は場の雰囲気を変える為に敢えておどけた調子で問い掛けたものだ。

 対してカンツラーの方は少し困った事態となっていた。

 本当は寝たいのだが、今の両親に下手な事を云うのは危険だ。

 普段は離れて暮らしているものの毎日欠かさずに念話で会話はしている。

 しかし実際に逢うとなればやはり違うのだろう。

 今の二人はさながら新婚夫婦のそれである。否、父が皇帝を引退すれば結婚をする予定なのだからまさに新婚なのだ。

 そんな二人に水を差すような真似をすれば何をされるか知れたものではない。

 怒らせてしまったかと自分の機嫌を取る為にあやしかねない(・・・・・・・)

 子供にするように二人しておんぶに抱っこをして子守唄を歌われでもしたらたまったものではない。流石に勘弁して欲しいところだ。

 だが考えてもみて欲しい。一国の宰相が謝罪の為とはいえ自ら出向いたのだ。

 バオム王国とて謝罪を受け入れて、さようならと云う訳にもいかないだろう。

 政務を司る最高官である宰相に相応しい饗応をするのは当然の事だ

 つまり早い話がカンツラーは満腹なのである。

 しかしテーブルの上に並べられた好物の数々と滅多に見られない母のニコニコとした顔を見てしまっては食べない訳にはいかないだろう。

 カンツラーは覚悟を決めて両親に答える。

 

「さ、先に風呂に入らせて頂きます。暫時、お待ちあれ」

 

「そうか。では、行っておいで」

 

「着替えは脱衣所に置いてあるでな。ゆるりと入って参れ。その間、父と母も着替えておくでな」

 

 良かった。流石に一緒に風呂に入ろうとは云われなかったか。

 後は入浴中にどれだけ消化できるかが勝負である。

 胃の中の物を吐き出すという選択肢はない。

 バオム王家の“心”を無にする訳にはいかないからだ。

 それがガイラント帝国宰相カンツラーの矜持であり心意気だからである。

 母の気持ちと料理を無駄にしないようカンツラーは悲愴な決意を持って風呂場へと向かうのであった。

 ただ運命とは残酷なものだ。

 カンツラーもまさか風呂場に侍女達が女物の浴衣を持って待機しているなど夢にも思っていなかったである。

 或いは久々に母と会って気が緩んでいたのかも知れない。

 邪な想いを抱く人形達の気配を察せられなかった時点でカンツラーの負けが確定したのであった。

 数分後、カンツラーの悲鳴が屋敷中に響き渡り、何事かと駆け付けた学生達に正体を見られる事になるのだが、その後の彼がどうなったのかは、読者諸兄諸姉のご想像にお任せする。




 帝国宰相カンツラーの正体はなんとゲルダと皇帝の子供でした。

 今回はある意味相当な冒険をしました。
 主人公の聖女が子持ちってどうなのか、発表した今でも不安でいっぱいです。
 今はどうか分かりませんが、昔はヒロインが非処女って嫌がられたような記憶がありましたからね。
 けど、もう賽は投げてしまったので、後は天命に委ねるのみです。

 それではまた次回にお会いしましょう。

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