王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている   作:若年寄

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第弍拾章 宰相補佐官の真実

「はぁ? 補佐官が死んだ?」

 

 孤月院延光(こげついんえんこう)は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 ぽかんと大口を開けて呆けてしまったとしても誰が彼を責められようか。

 まさかガイラント帝国で布教活動をする為に取り入った宰相補佐官ブリッツが早々に命を落とすとは想像すらしていなかった事である。

 

「一体何故?」

 

「そ、それが酒に酔って井戸に落ちたとか。しかも“俺はもうすぐ不死身の肉体を手に入れる”と吹聴していたとか」

 

 あまりに愚かな死に様に延光は頭を抱えたくなった。

 ガイラント帝国に潜り込めたからにはもう用済みであるが、だからと云って死んでしまっても構わないと思うような非情の男では無い。

 下にこそ見てはいたものの、転生武芸者となった暁には仲間として迎え入れるつもりではいたのだが、よもや酔って井戸に落ちるとは誰が予想できようか。

 

「それで彼は霊薬を…」

 

「いえ、服用している様子は見受けられなかったようです」

 

 延光の問いに答えるのは既に()として長年ガイラント帝国に住み続けている隠密である。延光がガイラント入りしてから隠密達が入れ替わり立ち替わり報告にきているのだが、その中の一人が齎したブリッツの死の報告は延光を動揺させるに充分だった。

 

「確か彼には妻子がいた筈だがどのような様子であったか分かるか?」

 

「屋敷の門を閉め、厳戒態勢をしいている様で中は伺えませなんだが、妻らしき女性(にょしょう)の泣き声が外まで聞こえてくる事から相当の悲しみようかと」

 

「左様か。御苦労だったな」

 

 隠密が部屋から出ると延光は両手を合わせて経を唱える。

 僧侶の身形は伊達ではなく、彼なりにブリッツを弔っているのだ。

 

「無念であったろう。だが、そなたの手引きによりガイラント帝国への入国できた事への恩は忘れぬ。転生武芸者にこそなれなんだが来世の幸福を祈っておるぞ」

 

 そこで延光ははたと思い至る。

 ブリッツが霊薬を飲んでいないのであれば、それは回収しなければならない。

 世に知られれば寺院にとって大きな痛手となる事は間違いないだろう。

 延光は懐から水晶玉を取り出して手を翳した。

 

「厄介な事態となった。天狐(てんこ)地狐(ちこ)の兄弟をこちらに寄越して欲しい。宰相補佐官の屋敷から霊薬を回収せねばならぬのだ」

 

 どうやら水晶玉は仲間との念話を補助する機能があるようだ。

 延光にしか聞こえない相手の声を聞き、彼は顔を綻ばせる。

 

「そうか、転生武芸者も送ってくれるか。これは心強い」

 

 しかし、次の瞬間、延光の顔は驚愕に彩られる事になる。

 

「いかん! いかんぞ! あやつ(・・・)だけは断じてならんぞ!」

 

 その顔には恐怖の色も混じり始めている。

 転生で得た力に酔い傍若無人に振る舞うならまだしも日に一度は血を見なければ収まらぬ戦闘狂、否、殺戮狂の名を出されて延光は狼狽した。

 首根っ子を押さえ付けて大人しくさせる自信はある。だが布教活動や作戦に組み込んで操縦するとなると自信の有る無しの話ではない。必ず破綻するだろう。

 下手をすればガイラント帝国を敵に回しかねない。

 そうなれば何の為に長い時間をかけて()を根付かせ宰相補佐官に取り入って帝国に侵入したのか分からないではないか。

 

「む? そうなのか? 気質は幼いとは思っていたがあの兄弟に懐いているとは…だが、それで操縦の余地があるとは云えぬだろう?」

 

 延光は暫く沈考していたが意を決したのか目を見開く。

 

「相分かった。下手に引き剥がして暴れられてはそちらも困るという事情も分からぬでもない。ならば九尾(つづらお)は天狐・地狐兄弟に任せてみよう。では至急彼らを送ってくれ」

 

 念話が終わったのか延光は水晶玉を懐にしまう。

 そして首を傾げたものだ。

 

「果たして天狐達はあの制御不能と思われた殺人鬼をどうやって手懐けたのか」

 

 その疑念も一瞬で頭から振り払い、延光は霊薬奪還に向けて策を練るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「これがその霊薬でござる。ご検分を」

 

 岡持からフラスコを取り出す出前持ちにカンツラーは頬を引き攣らせていた。

 逆に両親は“これは思いも掛けぬ馳走が来た”と笑って出前持ちを労っている。

 

「待て待て。色々云いたい事はあるがまず云わせろ。何だ、その珍妙な恰好は?」

 

「見ての通り、今の拙者はしがない出前持ちですぞ。貴方(あーた)がいつも利用している出前先に無理を云って代わって貰ったのですな」

 

 そういってガイラント帝国宰相補佐官ブリッツはカンツラーの前に熱々のラーメンを置いた。カンツラーが贔屓にしている店のメニューには無いブリッツのみがレシピを知る料理である。

 

「いや、普段から酒を嗜まない君が酔って井戸に落ちたと聞いた時は、“有り得ぬし、そもそも、それくらいで死ぬタマか”と思ったものだが何をしているのだ」

 

 

 

 

 屋敷の景観にそぐわない鹿威(ししおど)しがコンと鳴る。

 

 

 

 

「という訳でして、ゲルダ様よりお聞きした四神衆とやらの仲間と思しき者達を引き付けておきまして御座います。それに拙者が霊薬を飲んでいないと知れば必ず取り戻しに参るでしょうから是非ともお出まし願えればと存じます」

 

「味方ながら恐ろしいヤツだな。私が一週間の休暇で城から遠ざけられ、お前も死んでみせる事で連中の油断を誘い、のこのこと姿を見せれば背後から一網打尽という事か」

 

「御意に」

 

 だがな――幼い半人半龍の少年は眼鏡の位置を直しながら続ける。

 

「屋敷に残ってる女房殿と娘御、それに使用人達は大丈夫なのか?」

 

「心配には及びません。妻子は秘やかに妻の実家に匿って貰ってますし、使用人達も順に『水の都』の『塵塚』のオババ様からお借りした従者と入れ替えております。明日の昼までには当屋敷は『水の都』の従者のみとなりましょう」

 

「偉い。聞いたか、ブリッツもこうして一人で背負わず『塵塚』の母者に協力を要請しているではないか。カンツも見習ったらどうだな」

 

 噛まずとも口の中で蕩けるまでに丁寧に煮込んだチャーシューを堪能しながら窘めるゲルダにカンツラーは溜め息をつきたくなるのを必死に我慢する。

 

「その話はいずれまた。それで今のところ敵の動きはどうだ?」

 

「目立った動きはありませんな。拙者の屋敷を遠巻きに見張るだけの毎日です。或いは雲水姿の僧侶達が方々に散らばって托鉢している姿が見られましたな。恐らくはガイラント帝国の地理把握や情報収集が目的でしょう」

 

「左様か。私もその敵を見てみたいのだが、どこにいるか分かるか?」

 

 餃子を箸でいらいながら問うカンツラーに、ブリッツは待ってましたと云わんばかりに破顔した。

 

「拠点とするようにと拙者の別荘を提供してござる。連中も渡りに船とばかりに喜んでおりました」

 

「流石はブリッツ君だ。そつというものがない。本当にカンツは良い相棒を持って幸せだな。これからもカンツの事を宜しく頼むよ」

 

 レンゲにすくい、息を吹きかけて程良い塩梅にまで冷ました炒飯をカンツラーの口元に運びながらゼルドナルがブリッツを褒めそやした。

 そのレンゲを奪って炒飯を父の口に入れつつカンツラーは提案する。

 

「確か君の別荘の近くには自然公園があったな。そこで偵察をしてみるか」

 

「ならば俺も行こうよ。子供が一人でいるよりは親子連れの方が怪しまれないだろう。勿論、ゲルさんもな」

 

 カンツが食べさせてくれたからより美味しいなぁと恵比寿顔の父にカンツラーは額に手を当てて今度こそ溜め息をついた。

 自然公園と聞いてから浮き足立っているのが分かる。

 偵察にかこつけて自分と遊ぶつもりなのがありありと見て取れたからだ。

 

「ではワシは弁当を用意しよう。カンツは潰した茹で卵をマヨネースで和えた具を挟んだサンドイッチが好きだったよな。他にも苺のジャムとスコーンも持って行こう」

 

 ああ、ダメだ。二人の頭は完全に行楽モードに入っている。

 これは偵察して、はい、お終いでは済まないだろうな。

 公園で何をして遊ぼうかと相談を始めてしまった両親を尻目にカンツラーはブリッツへと向き直る。

 

「敵の面相が分かる物はあるのか?」

 

「記憶にある限り人相書きを作製しておりまする。まずは拙者と交渉していた孤月院延光殿です。年齢、実力、交渉役を任されていた事からガイラント入りした者達の中でも上に位置すると思われます。或いは指揮官かも知れませんな」

 

 六十絡みの禿頭(とくとう)の男の人相書きを指し示した。

 一見、穏やかそうだが、顔面を縦真っ直ぐに走る刀傷が彼のこれまでの経験を物語っている。

 

「身の熟しからして相当の実力者である事は間違いありませんな。いざ戦うとなれば拙者も命懸けで挑まなければならぬでしょう」

 

「君にそこまで云わせるか。ならば私も気を引き締めてかからねばな」

 

 それから延光の護衛や秘書の人相書きも見せられたが、それほど脅威にも感じなかったそうである。

 

「よし、大体の顔触れは分かった。明日にでも自然公園に行ってみるとしよう」

 

「了解しました。拙者の方でも出来る限り情報を集めておきましょう」

 

「気を付けろよ。君が生きていると分かれば連中は君が敵であると確信するだろう。一番危ない橋を渡っているのは自分であると胆に銘じておけ」

 

「云われるまでもなく。では、拙者はこれで」

 

 ブリッツは空になった器を岡持に回収すると一礼して背を向ける。

 しかし途中で振り返ってニヤリと笑う。

 

「それにしても善くお似合いです。今度、拙者の娘とお揃いの服を着て絵のモデルになって頂きたいものですな」

 

「やかましい! さっさと行け!」

 

 緑を基調としたゴシック風ドレスを着たカンツラーの怒声に追い立てられるようにブリッツは笑いながらカンツラー邸を出て行った。




 前回に裏切っていたと思われた宰相補佐官ブリッツでしたが、実は裏切っていませんでした。
 カンツラー経由でゲルダが会敵したという話を聞いていたブリッツは報酬に転生を持ち掛けられて、この連中は四神衆とやらの仲間に違いないと仲間になるふりをして情報を得ようとしていたのですね。
 同時に監視をしやすくする為に自分の別荘を拠点として提供するあたり抜け目がありません。

 ここ数話、カンツラーを中心に話が進んでいますが、彼もまた主役の一人だったりします。
 剣客商売の秋山大治郎をイメージして頂ければ分かりやすいかと思います。
 現在は謂わばガイラント帝国編ともいうべきシナリオで、敵は孤月院延光を中心に、今のところ、名のみですが助っ人として呼んだ天狐・地狐兄弟と転生武芸者の九尾となるでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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