王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている   作:若年寄

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第捌章 聖女の晩酌

「ゲルダ様!」

 

 バオム王国城下町の片隅にある安酒場で怒号が響く。

 しかし客達は慣れたもので一瞬入口を見るや、“またか”と云って食事を再開した。

 第一側室レーヴェ付きの侍女カタリナは一人の人物を見つけると、足早に向かう。

 

「ゲルダ様! またこのような所で!」

 

「そうがならんでも聞こえておるわえ。ワシの耳は十町(約1090メートル)先で落ちた針の音も聞き取れるでな」

 

 バオム王室指南役となったゲルダはチョリソーを咀嚼してワインで流し込んだ。

 カイム王子の修行をつけた後は決まってこの酒場・沈黙の黒杖(こくじょう)亭で一杯やるのが日課である。

 ここの亭主は元々凄腕の魔法遣いとして名を馳せていたのだが、魔界の将軍との戦いで喉を斬られてしまったという。

 一命を取り留めたものの、魔法遣いの命である声を失ってしまう事態となった。

 呪文を詠唱出来なくなった彼女は引退を余儀なくされたが、幸い料理の腕がそこいらの料理人より上であり、これまでの冒険で培ってきた人脈で旨い酒を安く仕入れる事が出来たので酒場を開いたという経緯があった。

 それを酒肴(さかな)代わりに店員から聞いたゲルダは、“どうれ”という気持ちになり女亭主の傷を簡単に治してしまったのだ。

 この傷は魔王の呪いも込められており、傷が治せないばかりか、徐々に全身を蝕んで数年をかけて殺すという陰湿極まるものであったのだ。

 

「今回ばかりは魔王の陰険さに感謝する事よ。お陰で治療が間に合った」

 

 そう笑う黒髪の少女に女亭主『沈黙』のエヴァは感激のあまり抱きしめたという。

 元々エヴァは『沈黙』の二つ名の通り口数が少なく、呪文の詠唱も呪文を刻んだ護符を用いて省略していたのだが、最後に魔法の名を告げる事が出来なくなった事で魔法の発動が不可能になっていたそうな。

 それで仲間から半ば追い出される形で引退をしたという事情があったらしい。

 

「薄情な仲間もいたものだな。それでどうするね? 冒険者に戻るのか?」

 

 ゲルダの問いにエヴァは酒場を続けると答え、以来、ゲルダは常連となったのだ。

 エヴァは魔法遣いとして正統かつ高度な教育を受けていた事もあって、我流のセイラに育てられたゲルダでは知らない技術或いは常識をいくつも知っており、治療の報酬としてゲルダに正統魔法の伝授をしてくれるようになったそうな。

 またゲルダは用心棒としても頼りになり、五度、六度と酔客同士の喧嘩やトラブルを収めていく内に、ゲルダが顔を出している間は皆が大人しくなる事もあってか、五百年の時を生きるエヴァはゲルダを大変に可愛がった。

 そして半年経った今では恩人、師弟の垣根を越えた親友同士である。

 

「まったく、お主は何を怒っておるのだ? 況してや侍女のお主自らこのような所(・・・・・・)まで足を運ぶとはのぅ。召使いに命じれば良かろうに」

 

 侍女というのは暇なのか、と笑うゲルダにカタリナは銀縁眼鏡の位置を正しながら言葉を紡ぐ。猛りそうになる精神を落ち着かせようとするカタリナなりのルーティンなのだ。

 

「ゲルダ様は何故(なにゆえ)に国王様方との会食に同席なされないのですか?」

 

「逆に問うが、指南役が何故王族と会食をせねばならぬのだ?」

 

 ゲルダは不思議そうに首を傾げる。

 これでテーブルマナーがなっていないのならまだしもゲルダの食事作法は完璧であり、他の客達からは、どこかの令嬢が身をやつしているのではあるまいかと噂されるだけの品の良さがあった。

 その様子は王家や貴族の前に出しても恥ずかしくないどころか、社交界で一目置かれるだろうとも云われている。

 

「会食はただ食事をする場ではありません。“会”の文字通り、顔を向かい合わせ、食事や会話を通して親睦を深めて信頼関係を築いていく目的があります」

 

「莫迦にしておるのか? 会食の意味くらいは知っておるわ。これでも昔は城仕えをしておったのだぞ」

 

 ゲルダに睨まれてカタリナは怯んだが、それも一瞬のことであった。

 侯爵家に生まれ、侍女として側室レーヴェに仕えている彼女はゲルダの眼光に耐えうるだけの胆力を持ち合わせていたのだ。

 

「ならば何故、主家であるバオム王家との信頼を結ぼうとなさらぬのですか?」

 

「バオム王家が主家だと? 戯けた事を申すのも大概に致せ。指南役を引き受けはしたが、バオム王家そのものに仕えるつもりはさらさら無いぞ」

 

 そもそも雷神ヴェーク=ヴァールハイトに従って聖女になどなるつもりはない。

 雷神はカイムを勇者にするつもりであるらしいが、何を持って勇者なのだ。

 魔王とて色々と裏でこそこそ小賢しく動いているようだが、ゲルダからしてみれば、“堂々としておれ”と云ってやりたいくらいである。

 騎士にして勇者であるシュタムに負わされた傷が未だ癒えぬからこそ暗躍しているとも云えるのだが、ならば次代に魔王を譲って隠居せい、とも呆れているのだ。

 一度ならず魔界へと趣いて、魔王に引導を渡してやろうと試みた事があったのだが、天界と魔界の双方から“魔王なくして魔界に秩序は成り立たぬ”と懇願に近い形で止められるのが常であった。

 魔界の宰相が低姿勢で宥めるのは分からぬでもないが、天界が魔王を庇う理由が分からない。

 魔王を斃すのは勇者の役目と云われればそれまでだが、話を聞く限り現魔王は暗君であると云っても差し支えないとゲルダは思っている。

 だったら未練がましく生き恥を晒すより、いっそ素っ首を叩き斬って次代に継がせれば良かろう。それとも後継者にも碌な候補()がいないのか。

 悪巧みしか出来ぬ手負いの暗君を擁立せねば成り立たぬのであれば、いっその事、魔界なんぞ滅びてしまえ。

 この好機に天界が天敵である魔界を滅ぼさない理由が分からないゲルダは既に雷神のみならず天界そのものまで不審に思っているのだ。

 ゲルダは苛立ちからか、ついワインを一気に呑み干してしまう。

 おまけに連日のように目の前の侍女が、会食に参加しろと五月蠅いのも戴けない。

 大名に仕えていた頃の仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)もそうであったが、畏まった席での会食は酔うに酔えないので勘弁して欲しいところだ。

 痛風を理由に隠居したが、まだ脂の乗った五十半ばで家督を長男に譲ったのも、御歴々と呑む酒の不味さにこそ最大の理由があった。

 

「それに折角用意した寝室も使わずにどこで寝泊まりをされているのですか?」

 

 “折角”を強調するところもゲルダは気に入らないのであるが、カタリナはカタリナで自分が何故疎んじられているのか解っていない。

 態度も気に入らないが、初日に天井裏や隣室から見張られている事も見破っているので、信用ならないのである。

 護衛の意味もあるのは理解している。してはいるが、彼らの視線に警戒や不信の意思が込められているのもまた分かるのだ。

 これで会食に参加して王家と信頼を築けとは笑わせる。

 しかし、それを云ったところで、反省をしてこちらへの警戒を解く事は無いのは想像できる。むしろ隠密に長けた者(・・・・・・・)の気配を察した(・・・・・・・)ゲルダをより警戒するだろう。

 なので大人気ない云い方と分かっていても、こう返すよりない。

 

「知れた事。『水の都』にあるワシの私室へと『転移』しておる。云っておくが、貴様らが用意した部屋よりワシの部屋の方が広いし、寝具の寝心地も良いからな? それにワシはこう見えて綺麗好きでな。バオムでは風呂も二日に一遍になってしまうが、『水の都』では毎日風呂に入っておるぞ」

 

 近くに川が無く、水源を雨水か地下水に頼っているバオム王国では王族ですら入浴は二日に一度になってしまうが、『水の都』では浄化さえすれば水は無尽蔵に使えるので好きな時に入浴を楽しむ事が出来るのだ。

 では、ゲルダが流された川の近くに何故街を作らなかったのかと云えば、バオム王国は雷神が守護神である為か雨が降りやすく、しかもその降水量が尋常ではない為に川が氾濫しやすいのだ。堤防を築こうにも、それを嘲笑うかのように決壊するほどの大水が発生しやすい事もあって川の近くに街を建造する事は不可能であった。

 雨の恵みを齎す雷神を守護神を戴いておきながら、水不足に悩み、洪水に苦しめられるバオム王国を見るにつけゲルダは思うのだ。

 

雷神(あやつ)は守護神というより疫病神であるな」と。

 

 或いはバオム王国が雷神に依存するように仕向けているのかも知れんな、と()の国の民を憐れむゲルダであった。

 さて、夕餉も終わり、食後の梅酒(プラムワイン)を楽しんだ後、ゲルダはエヴァを呼んで勘定を済ませる。

 料理が旨く、酒も上物で勘定も安い。その上に女亭主が震い付きたくなるほどの美人という事もあって今夜も沈黙の黒杖亭は繁盛していた。

 

「今夜も旨かったよ。お陰で気持ち良く酔えたわい」

 

「ふふ、ありがとう。これで一晩で良いから泊まっていってくれると嬉しいんだけどね? 今日も『水の都』に帰るのかしら?」

 

 膝裏まで伸ばした薄紫色の髪を触手のようにゲルダの体に纏わせながらエヴァがゲルダの手を取って品を作る。しかも指までも絡ませているときた。

 酔客の奢りでエヴァ自身かなりの量の酒を呑んでいるので、頬が赤い。

 しかも、その垂れ気味の目は潤んでおり、得も云われぬ色香があった。

 

「お主にその趣味(・・)が無ければ喜んで遊びにいくのだがな。カタリナよ。このエヴァはのぅ、男よりも女が好みでな。一度、泊めてもらった事があったのだが、その時なんぞ、恐ろしく官能的な下着姿になって寝具に潜り込んできおったのよ。それで情け(・・)を求めるように“何もお嫁に行けない体にする気は無いの。ただ、女同士も乙なものだって試して欲しいのよ”って迫ってきおってなぁ」

 

「そんな事もあったわね。この娘ったら、“ひゃあ”って可愛い悲鳴を上げて荷物も服も放り出して裸で逃げ帰っちゃったのよ」

 

 妖艶に笑いながら絡むエヴァであるが、当のゲルダが口ほど厭がる素振りを見せていない事にカタリナは何とも云えなくなる。

 だが、このままゲルダがエヴァの虜になられては困るのだ(・・・・)

 それと云うのも、レーヴェから密かに命じられていた事があったからだ。

 その密命とはゲルダをバオム王家に(・・・・・・)取り込む事(・・・・・)である。

 レーヴェはゲルダに完膚無きまでに敗れた事で彼女を欲しいと思ったのだ。

 今はカイムの指南役となっているが、カイムに伝授すべき事を全て伝えたと判断して免許皆伝を許した後、ゲルダはどうするのかと考えた結果、彼女の性格からバオム王国を去る事は容易に想像が出来た。

 だが、ゲルダはそのまま帰すには余りにも危険である。

 圧倒的な強さもそうであるが、何より重度の病や呪いから人を救う事が可能な絶大な魔力持つ聖女を無策に手放す莫迦はいまい。

 何より弱者を強者へと鍛え上げる優れた指導力は、自分が匙を投げた才無き者と思っていた騎士を半年で同僚を追い越すレベルにまで引き上げたのだ。

 もしゲルダほどの指導者が他国に、それも我が国を狙う敵国に渡ったらと思うと寒気がする。

 しかし、拘束するにはゲルダは強すぎた。

 バオム王国最強のレーヴェを手も無く打ち据える武芸者を相手に発憤する騎士がどれだけいるであろうか。レーヴェとしては居てくれた方が嬉しいのだが、恐らくは全騎士団員の中で一割もいないだろう。

 仮にゲルダを捕らえる為に軍を差し向けようにも『水の都』へ進軍する事は有り得ない。莫迦正直に“『水の都』に潜伏している聖女を捕らえよ”と命じてみろ。

 瘴気に満ち、強大な魔物や怨霊が彷徨う呪われた都に行けるか、と反乱が起きても可笑しくはない。しかも、数百年も前に滅びているのだ。得られるものは皆無であり、襲って来るのは魔王が創り出した魔物と未だに怨みを遺す怨霊である。それで目的が聖女一人だ。自分が騎士で上官が同じ命令を下したのなら、レーヴェはその上官を殺しているに違いない。

 

 つまりゲルダを得るには初めから『水の都』に帰さない必要があるのだ。

 もっとも、その前提もゲルダが転移魔法を遣える時点で破綻をしているのだが。

 そこで考え出されたのが懐柔案なのであるが、話を聞くにゲルダは何不自由無い生活を送っているらしく、保護されたカイムの話では『水の都』で馳走になった夕餉は王子である自分でも目移りしてしまうほどの山海の珍味が並んでいたそうで、特に挽き肉を捏ねて焼いたハンバーグなる料理は絶品であったとか。

 バオム王家よりも豊かな食生活、服の素材もランクが上のゲルダを懐柔する案はもはや破綻どころか、こちらが惨めになるだけである。

 

 最後は政略結婚に発想が行き着くのだが、これが一番現実味が無い。

 ゲルダと結婚する事でバオム王国にもたらされる利益は絶大なものとなるが、ゲルダひいては『水の都』に殆どメリットが無いのである。

 現在、『水の都』を支配しているのは『塵塚』のセイラと呼ばれる人形の魔物であるらしいが、なんとゲルダを上回る実力者であり、その上、ゲルダの幸せの為ならどんな事でもするし、有り得ないが仮にゲルダを拘束しようものなら、バオム王国は守護神である雷神ヴェーク=ヴァールハイト諸共に滅ぼされてしまうだろう。

 バオム発展の為にゲルダを得ようとして、その遣り方を誤ったばかりに滅亡の道を歩んでしまっては本末転倒も良いところだ。

 では両者の恋愛感情ではどうであろうか。

 まずカイムだ。親の目で見てもカイムがゲルダに好意以上のものを抱いているのは明白であるのだが、肝心のゲルダがカイムを弟子としか見ていないのだ。

 では、ヴルツェルはどうであろう。

 人の機微に聡く、心優しい。貫禄を出す為に似合わない髭を生やしているが、剃って見れば人好きのする穏やかな童顔が現れるだろう。

 側室もレーヴェのみであり、男子がカイムとクノスベのニ名のみというのも王族としては心許ないというものだ。

 そこで“ゲルダを側室に迎えてはどうか”と水を向けてみるが、瞳のハイライトを無くしたカイムが腕から木の根のような触手を生やして、“父上、ゲルダ先生を取るのですか?”と夫婦揃って罪人よろしく首を縛られたので、全力をもって却下した。

 多分、あと数秒でも遅かったら夫婦仲良く縛り首となっていただろう。

 どうやらゲルダは剣術のみならず、先祖返りしたカイムが能力を使い熟せるように訓練を施しているらしい。

 教育方針はゲルダに一任しているが、彼女はカイムをどこに連れて行くつもりなのであろうか。触手を器用に操って空中を高速で移動するカイムを目撃した時は暫く大口を開けて固まったものである。

 

 結局、どの戦術を取るにせよ、まずはゲルダと仲良くなって信頼関係を結ぼうという案に落ち着いたのであった。

 しかし会食は拒否され、用意した部屋は一目見て出て行ってしまった。

 後でカタリナが潜ませていた隠密のせいであると知った時は遣り場の無い怒りを収めるのに苦慮したものだ。

 配慮は買うが、武道の達人に対して無礼にも程があるだろう。

 ゲルダにしてみれば余計なお世話であろうし、見張られているようなものだろう。

 しかも選抜された隠密が皆、男であった事もマイナスだ。

 はっきり云ってゲルダのバオム王家に対する心証は悪いだろう。

 いや、それを云ったらレーヴェとて初手の対応を間違っていたのであるが。

 今やゲルダとバオム王家を結んでいるのはカイムとの繋がりのみだ。

 最早、その一点のみに賭けるしかないのか。

 レーヴェとカタリナはゲルダ獲得に向けて頭を悩ませるのだった。




 晩酌とサブタイをつけたものの、実質は飲み屋とその主の紹介、そしてバオム王家(特にレーヴェ)がゲルダ獲得に動いているというお話でした。
 飲み屋の女亭主・『沈黙』のエヴァはよくあるパーティーの御荷物になった途端に追放された元冒険者です。
 普通なら(?)、元メンバーに復讐をするのでしょうが、ゲルダに救われた後はそのまま飲み屋を続けて、復讐どころか成り上がろうとはしません。
 そんな事をしている暇があったら、ゲルダが好きそうな酒を仕入れて、美味しいツマミを作って喜ばせてあげることの方が重要だったりします。
 エヴァは正統な魔法理論を学んでいるので、それを伝授する事でゲルダの魔法は効率化が進み、洗練されていくことでしょう。
 元の仲間は完全に忘れています。名前どころか、顔すら思い出せません。
 何故ならゲルダという至高の弟子にして友と過ごす毎日が幸せ過ぎて、薄情な仲間の事など綺麗さっぱり記憶の中から消去してしまったからですW

 バオム王家はゲルダの強大な力に触れたせいでテンパっているだけです。
 頭が冷えれば、何も囲い込んだり、政略目的で結婚しなくても、普通に友達になれば良かろうという結論に達するでしょう。
 そうなれば、バオム王家の人達は基本善良なのでゲルダも心を開いていくでしょう。

 さて、前回登場した敵ですが、ゲルダとの接触は次回或いはその次にしたいですね。
 異能の転生武芸者を相手にゲルダはどこまで戦えるのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。
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