王子との婚約を破棄され追放された転生聖女は庶民に“酔いどれ”と笑われている   作:若年寄

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第玖章 戦いの幕開け

 ある夜の事である。

 カイムの私室にて、彼の大きなベッドの上で正座するゲルダの膝を枕にカイムが寝ている。ゲルダはカイムの頭を優しく撫でながら物語を語って聞かせていた。

 

「こうして曾我兄弟は見事に仇の工藤祐経を討ち取り、父の無念を晴らしましたとさ。めでたし、めでたし……ん? 寝てしもうたか? 少しは成長したかと思ったが物語を聞いて寝てしまうとは、まだまだ子供だわい」

 

 ゲルダが毎夜『水の都』に帰るのは本当の事であるが、その前にカイムと語らっている事はヴルツェルもレーヴェも知らない。

 初めはカイムの“夜、一人で眠るのが怖い”という一言であったか。

 彼の名誉の為に云えば、これはカイムが軟弱なのではない。

 開祖シュタムに憑依されて以来、常に何者かの気配を間近に感じるという。

 ゲルダには、それがカイムの肉体を諦め切れていないシュタムの執念が具現化したものであると見抜いていた。

 雷神ヴェーク=ヴァールハイトがシュタムの残留思念を遣ってカイムの精神を乗っ取ろうと画策しているのは明白であった。

 そこまで一途に一人の男を愛する雷神に感服したものか、或いは死してなお愛する雷神と共にいようとするシュタムの妄念を呆れたものか。

 どの道、かつての清廉で相手の身分を問わず優しかった騎士にして勇者のシュタムは死んだ(・・・)という事だろう。

 ゲルダの人生に干渉し、愛弟子カイムの肉体を乗っ取らんとする雷神と亡霊とはいずれ何らかの形で決着をつけなければなるまい。

 バオム王国の守護神を我が手で滅ぼす事になろうともである。

 

「ま、一番は雷神殿が妄念を捨てて、真なる神となってくれる事であるがな」

 

 作製した養母の名と故郷から『水都聖羅(すいとせいら)』と名付けた愛刀から小柄を抜くと、ある一点に向けて手裏剣のように打つ。

 ベッドに座る不安定な状態ではあるが、その威力はバオム騎士の甲冑くらいは簡単に貫通するほどであった。

 カイムが訓練に用いている甲冑から絶叫があがり、中から黒い靄のようなものが這い出るように現れた。

 

「やかましい。折角寝付いたカイムが起きてしまうわ」

 

 新たな小柄が黒い靄を穿つと、それはあっさりと霧散する。

 悪霊を斬る秘剣『鬼神斬り』を応用した技はシュタムを退散させるに十分だった。

 それを察したのか、カイムの寝顔はどこか不安げであったのが穏やかなものに変わっている。

 

「ふふ、善く休むのだぞ。明日の稽古も厳しくいくでな」

 

 ゲルダはカイムの頭を優しく撫でた後、器用に膝と枕を入れ替え、カイムを起こさぬように『転移』の術式を展開しようとする。

 しかし、いつの間にかカイムがゲルダの腕を掴んでいた。

 ゲルダは苦笑しながらカイムへと身を寄せた。

 

「困った奴よ。仕方あるまい」

 

 ゲルダが掴まれた腕を捻りながらカイムの方へ押し出す。

 すると梃子の原理が働いて自然とカイムの手が外れるのだった。

 これが物語であるならばゲルダはカイムと共に眠る事になるのであろうが、武人として、また治療に携わる者として人体を知り尽くしているゲルダにとって掴まれた腕を外す事など造作もない事だ。

 

「ふむ、侍女や女中達を集めて、痴漢や王侯貴族の無体から身を守る術を教える道場を開けば新たな収入になるやも知れんな。差し詰め『水都流護身術』といったところか。試しにカタリナあたりを仕込んでみるもの面白いかも知れんわい」

 

 同時刻。

 悪寒がカタリナを襲ったとか襲わなかったとか。

 余談ではあるが、十数年後に女性を中心に護身術が流行る事になるのだが、その道場の中心人物にカタリナという名があったかどうかは定かではない。

 

「さて、そろそろ行くか。母者からの念話の間隔が短くなってきたからな。早く帰らねばそれこそ当分添い寝をせがまれよう」

 

 ゲルダはこめかみを指で掻きつつ、引っ切り無しに脳内に響く養母の声に苦笑を禁じ得なかった。

 

「しかし何故、母者は現在位置を態々伝えてくるのかのぅ? 王宮を出て、『水の都』を進み、先程は『水の都』を出たときた」

 

『私、セイラ……今、オ船ニ…乗ッテ…川ヲ…ノボッテイルノ』

 

「むっ? いかんな。このままでは行き違いになる」

 

 ゲルダは目を瞑り、セイラへと念話を繋げる。

 

「母者よ、母者。今、帰りますでな。城に戻ってお待ちあれ」

 

『私、セイラ……今、アナタノ…ベッドニ…イルノ』

 

 母からの返事にゲルダは頬を引き攣らせ、後頭部にデフォルメされた汗を垂らす事となった。

 

「こりゃ参った。母者は完全に添い寝する気でおるわ」

 

 添い寝するのは良い。良いのだが、寝入るまで口を吸われる事になるのだ。

 ゲルダとて酸いも甘いもかみ分けた武人ではある。

 今更口吸いくらいで恥ずかしがるようなねんね(・・・)では無いが、血は繋がっていなくとも母娘(おやこ)ではないかとも思うのだ。

 しかも唇を合わせている間、何かを注ぎ込まれているような感覚があり、心身共に作り替えられているような錯覚を覚えてしまう。

 実際、初めて口吸いをされた翌日には自然とレースやフリルで飾られた下着を着用していたものだ。前日までは前世の感覚から頑なに褌を締めていたものだったが。

 他人(ひと)は洗脳されているのではと云うが、少なくともゲルダに不快感やセイラへの不審を覚える事はない。洗脳されていない証拠として、ゲルダが前世の仕明(しあけ)吾郎次郎(ごろうじろう)の姿に変じる事は可能のままであるし、何より人生最大の愉しみである酒も好きなままであった。

 

 養母『塵塚』のセイラはゲルダとほぼ背恰好を同じくする人形であったが、近頃では肌の見た目が生身と変わらないほどに進化していた。しかしながら右目には槍で貫かれた無惨な穴が開いたままとなっており、その断面とそこから広がるヒビだけは磁器の質感のままである。

 以前、それとなく、その傷は()さぬのか、と訊ねた事があったが、どうやらセイラには穴を修復するつもりは無いらしい。

 蒼い左目が美しいだけに惜しいとゲルダは思うが、セイラにとっては主にして最愛の友と繋がった証(・・・・・)であるそうな。

 まさか共に魔界の将軍の槍に貫かれた意味では無いだろうが、一度だけ『水の都』のゲルダ姫の話をされた事があったが、“私ト姫ハ一体”とは如何なる意味があったのか、ゲルダには察する事は叶わない。

 母が多くを語りたがらないのを無理に聞き出すのも無粋であろう。

 ただセイラが自分とゲルダ姫を重ねている訳ではなく、一人の娘として愛してくれているのは理解しているので今はそれで十分だ。

 

『私、セイラ……今、ベビードールヲ…用意シテルノ』

 

「母者?! お、お待ちあれ! 流石にまだベビードールを着るのは恥ずかしゅうござる! 今、戻りますゆえ、くれぐれも早まった真似をなさらぬよう願いますぞ!」

 

 ゲルダは慌てて『転移』の術式を構築すると瞬時に姿を消した。

 

「げ、ゲルダ先生のベビードール…」

 

 後に残されたのは、珍しく慌てふためくゲルダに起きてしまい、彼女の口から出たベビードールという言葉に思わずそれを着たゲルダを想像して一人悶えるちょっとおませなカイム王子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「むっ? ここは城の中庭か? 焦っておったとはいえ、ここまで座標指定にズレが生じるとは我ながら不甲斐無い」

 

 『転移』の精度の甘さに呆れつつ王宮へと足を進める。

 しかし数歩も行かぬ内に足を止めてしまう。

 

「ふむ、『転移』の制御に失敗したのではなく引き寄せられた(・・・・・・・)か?」

 

 ゲルダの四方を囲う薔薇の生け垣の後ろから、まるで鬼哭のように恐ろしげな風を切る音が複数響く。

 何者かが気合を発し、四方から唸るような音と共にゲルダ目掛けて飛来する。

 放たれた凶器を迎撃すべく『水都聖羅』を抜こうとして、咄嗟に身を伏せた。

 長年磨いてきた勝負の勘が、まともに受けては危ういと察したからだ。

 ゲルダは伏せながら周囲に氷の柱を複数展開して氷の林を作り出す。

 案の定、飛来物達は氷の柱を一本薙ぎ倒しただけでは止まらず、三本砕いて勢いを失い、四本目に絡んで止まった。しかし止まったと思いきや、近くにあった氷の柱が砕けたのである。

 

「これは…微塵(みじん)かな」

 

 氷の柱に絡む物を見てゲルダは少なからず驚いた。

 それは直系一寸強の鉄の輪に一尺ほどの三本の鎖が繋がっており、先端には八角に整えられた分銅がついていた。忍者が用いる暗器(隠し武器)である。

 

「敵は忍びか?!」

 

 ゲルダの声に呼応するかのように全身に黒装束を纏い、黒い頭巾で顔を隠した集団が踊り出た。

 

「おいおい、本当に忍者か。お主らは一体何者だ?」

 

 ゲルダの問いに答えず、黒尽くめの一人が微塵の鎖を一本持つと回し始めた。

 敵の数は四人、ゲルダの四方を囲んでいる。

 一人は風を切りながら微塵を振り回し、一人は十字手裏剣を大上段に構え、一人は鎖鎌を取り出し、一人は忍者が使う直刀を正眼に構えている。いずれも手練れだ。

 

「聖女ゲルダよな?」

 

 鎖鎌の忍者が誰何(すいか)する。

 四人の中でも小柄だと思っていたが、鈴を転がすような声にゲルダは、まだ年若い女かと察した。

 

「おうともよ。聖女を名乗るつもりは無いが、ゲルダとはワシの事よ。今一度問う。貴様達は何者か?」

 

「白虎」

 

 鎖鎌の少女が答える。

 続いて手裏剣遣いが「朱雀」、微塵遣いが「玄武」、直刀の忍者が「青龍」と名乗った。いずれも女の声である。

 

「畏れ多くも『四神』を名乗るか。不届きなやつばらめ」

 

「待たれよ」

 

 愛刀の鯉口を切るゲルダに青龍が押し止めるように右手を出した。

 

「青龍? 何のつもりだ?」

 

 どうやら青龍の動きは予定に無かったようで、白虎が困惑げな声をあげた。

 

「ゲルダ殿、我らの仲間にならぬか?」

 

「何を云い出すか、青龍?!」

 

 いきなりの勧誘に朱雀も驚きを隠せなかった。

 

「小手調べとはいえ、玄武の微塵から生き延びたゲルダ殿は殺すに惜しい。彼女の力は我らの元で生かすべきだと判断したのだ」

 

「今まで仕留め損ねた事のない微塵から逃れた事は私も驚かされたが、あの御方がお許しになるのか? 我らの使命は『聖女ゲルダの抹殺』であるぞ」

 

 玄武もゲルダの力量を認めながらも勧誘には同意しかねている。

 戸惑う仲間を無視して青龍は頭巾を外す。

 

「それに実を申せば知らぬ仲ではないのだ」

 

「何? ワシは貴様を知らぬぞ」

 

 青龍の素顔は予想通り女であったが、ゲルダの知己ではない。

 腰まで伸ばした黒髪を首の後ろで纏めている様は忍びとは思えぬほど品があり、顔立ちも瓜実顔(うりざねがお)のたおやかな美形であるが、やはりゲルダには見覚えがなかった。

 それよりこの違和感は何だ?

 ゲルダは笑いかける青龍の目を見て漸く気付いた。

 目だ。青龍に限らず彼女達の目は人の物とは思えなかったのだ。

 強膜は黒く、瞳が赤い上に瞳孔が四角となっていた。

 

「分からぬのも無理も無い。我らが知己を得たのは前世(・・)の事であるからな」

 

「なんと?!」

 

 青龍は刀を収めてゲルダに微笑みかけたものだ。

 

「お懐かしゅうござる。拙者、碁敵(ごがたき)であった風見(かざみ)六右衛門(ろくえもん)にござる」

 

「六右衛門?! あの町医者の風見六右衛門殿か?!」

 

「はい、まさか貴方ほどの人が暴れ馬に撥ねられて死すとは思いもしませんでしたぞ、仕明吾郎次郎殿」

 

「抜かせ。しかし、お主は何故転生し、あまつさえワシを襲撃した?」

 

 ゲルダの問いに青龍は直刀に代わって小太刀を鞘ごと腰から抜いて見せた。

 

「拙者には無念が一つだけあり申した」

 

「無念とな? 医者として多くの命を救い、貧乏人も分け隔てすることなく治療して、しかも有る時払いで良いと笑う人格者だったではないか。人からは“仏様”だ“生き神様”だと一身に尊敬を集めていたお主が何を悔いておるのだ?」

 

「確かに拙者は町医者として人々から賞賛されてきた。だが私にはもう一つの顔があったのです」

 

 青龍が小太刀を半分ほど抜く。刀身に彼女の悔恨に彩られた瞳が映る。

 

「拙者の家は代々冨田(とだ)流を継承してきたのです」

 

「おお、冨田流とは中条長秀様が念流を元に創意工夫をして小太刀の技を編み出された中条流の流れを汲む流派であるな。冨田勢源(せいげん)様を始め、冨田家に名人が多く輩出されたことでいつしか冨田流と呼ばれるようになったとか」

 

「拙者の家はその傍流にござるよ。しかしながら本流の冨田家では中条流を名乗っておられていると聞いてはいます。歴史の妙でござるな」

 

 青龍が笑った。

 

「して、お主の無念とは?」

 

「知れた事…拙者は冨田流の免許皆伝を許されながら、ただの一度も立ち合いをした事が無かった。父に稽古をつけられ、兄弟を相手に打ち合いをする以外に剣を交えた事が無かったのです。拙者の剣は兄弟の誰よりも強く速く、そして巧妙であった。最後は父に打ち勝った事で免許を得ましたが、それも家の中で全てが完結しており申した。我が剣はまさに“井の中の蛙”なのです」

 

「だが、医の道を進むと決めたのはお主であろう。それで剣の道に行きたかったと悔いるのは流石に同意しかねるぞ」

 

「ええ、拙者もそう思います。しかし七十五の夏に卒中で死に損ない、以来、寝たきりとなって死を待つばかりとなった時、猛烈なる後悔が我が心を蹂躙したのです。一度で良い。真剣による立ち合いをしてみたかったと」

 

 青龍は両の拳を握り締めて全身を震わせた。

 

「次第に衰えていく五感、糞尿を垂れ流すたび、それを処理する妻や嫁の迷惑そうな顔を見るだに湧き上がる屈辱と絶望の中で拙者にある誘いがあったのです」

 

「ある誘い?」

 

「そこまでだ! 喋りすぎだぞ、青龍! 我らの使命はあの御方から受けた恩に報いる事。それだけぞ」

 

 白虎がゲルダと青龍の間に入って会話を打ち切らせた。

 白虎は左手に鎌を持ち、右手で鎌と繋がった鎖分銅を回し始める。

 鎖が軋んで鳴ったが、そのうちに大気を裂く風音だけになった。

 ゲルダは半身の構えで『水都聖羅』を左手で顔の前で保持した。

 何故か右手を背に回している。

 

「心鏡流鎖鎌術……参るッ!!」

 

 分銅がゲルダの顔面目掛けてするすると伸びてきた。

 ゲルダが分銅を峰で叩くと鎖が刀身を絡め取る。

 

「今だ! 殺れッ!!」

 

「応ッ!!」

 

 頭を砕かんと微塵がゲルダを襲いかかる。

 

「仕明殿!」

 

 これがゲルダにとって長い戦いの幕開けであった。




 冒頭でゲルダが語って聞かせていたのは日本三大仇討ちの一つ、「曾我兄弟の仇討ち」です。
 最後は仇を討ったものの騒ぎをを聞きつけた武士に囲まれて兄の祐成が討たれ、弟の時致は取り押さえられて斬首にされるという悲劇で終わっているので、とても“めでたし、めでたし”にはならないのですが、子供であるカイムの為にアレンジしています。
 そもそも子供に「曾我兄弟」を聞かせるなという話ですがw
 ゲルダの頭は良くも悪くもお侍のままなんでしょうね。

 後半に出てきた白虎達は転生武芸者と呼ばれる敵です。
 才ある少女を妊娠させて、胎児に異世界から呼び寄せた武芸者の魂を植え付けた上で、母親を生贄にすることで前世よりも強く転生させる事ができます。母の灰は成長の糧に、魂は力の底上げに利用されてしまいます。
 皆、前世の無念を晴らす事しか頭に無いので、犠牲になった少女達に罪悪感を抱くどころか、憐憫も感謝もありません。“御苦労”と労えばまだマシな方で、果たして雷神とどっちが非情なんでしょうね。
 青龍こと六右衛門はゲルダの前世からの友人です。しかし剣を極めておきながら、それを披露することなく死ぬ事を後悔し、そこを付け入られて黒幕に転生させられたのでした。
 ゲルダを仲間にしたいのは本気ですが、転生の方法を知ったらゲルダは烈火の如く怒るでしょう。

 それではまた次回にお会いしましょう。

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