俺は私で私は俺で。二人で一人の男女の、奇妙な生活。   作:馬汁

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兄弟
今年はそこまで辛くないだろう、と私は思った。


 カフェのバイトを始めて、少し経った頃の話。

 元々忙しい時間帯の補助として雇われていたから覚悟していたのだけれど、その忙しさは尋常じゃない……と思っていたのだが、今日に限っては妙に静かだ。全体を観察しても、程々の客入りと言う枠を出る事は無かった。

 まあ、一人では厳しいだろうか? とは思うくらいの勢いだ。

 

「カフェオレ ミルク多め……」

 

 カウンターの向こうで、メモを見た明一がつぶやいた。その傍で、食器を洗っていた店長がおや、と反応する。

 

「それって、スーツで女性のお客さんか?」

 

「あ、はい。そうですね」

 

「あの人の好みはミルク三倍だ。覚えといてくれるか?」

 

 ふむ、顔を覚えておこう……。って、そんなイチイチ覚えてられないんだけど。

 

「……努力します」

 

「まあ分かってたぜ」

 

 ミルク三倍とスーツくらいの情報で顔を覚えていられる気がしない。いや仕事ならどうだろう? とは思うけれど、自分は殆ど期待していない。

 

「うーん……。よく来るんですか?」

 

「週に三回くらい? あんまり話さないけどな。でも一回教えてくれたぜ」

 

「こういうのも覚えないと行けませんか。ううん……」

 

「規模が小さいと、常連さんも大事にしないといけないからな。ほら、ピカピカのカップを用意しといたぞ」

 

「……」

 

 普通食器洗いは私か明一では、と思うけれど、私は何も言わない。彼も言わない。明一も、代わると言ったら断られた。

 

「無言の圧力やめろ。俺だって楽したいんだ」

 

 そんな事を思う一方、店長が言っていたもう一つの言葉に、それだけで沸いてきた気苦労で空中に目線を泳がせた。

 有名チェーン店だったり、席が埋まる様な賑わいを見せる店だったらば、こっちも一人一人特別に扱う余裕は無くなる。というか理由が出来る。言い訳ともいう。

 けどこの店は違う。程々に人が少なくて、かと言って常連が少ないかといえばそうでもなく。

 

 勿論、お話を求めないお客さんも多い。複数客の場合も、その内で話すのみで、店員に話を持ちかける事は少ない。

 ただ、居るには居るのだ。

 

「すいませーん」

 

「ん、はい。只今伺います」

 

 呼ばれたから向かう。あの人の顔は、まあ覚えてる。顔のシワや白髪が多いが、雰囲気によく似合っている高齢の人だ。大抵ホットコーヒーを頼んでると思う。

 中学校の頃はよく使っていた笑顔をくっつけて、これでよし。

 

「ホットコーヒー。ブレンドで」

 

「はい、以上でよろしいですか?」

 

「ああ、それでお願い。……それで、今日の学校はどうだい?」

 

「ええ、つつがなく」

 

 目線を明一に向ける。頷かれる。オーダーを紙で渡さなくても大丈夫、という意だ。

 

「確か……そろそろ体育祭があったんじゃないかな? 近所の高校生だろう」

 

「ええ、はい」

 

「もう練習はしているのかい」

 

 老いを感じるしゃがれた声で、そんな事を聞かれる。

 悪意がなければ、他意も無い。たまたま出会った近所の子供に、世間話をしているような調子で、いつもこうして話しかけられている。

 今は余裕があるし、切り上げる事はせず付き合う。

 

「そうですね、最近は体育祭の準備や練習が度々あります。問題も怪我も、起きている様子は無いです」

 

「それは良かった。けど、練習とバイトが一緒だと大変だろう。気を付けてね」

 

 浮かべた笑みで、シワが深くなった。

 あんなシワは、仮面の上に浮かんだりはしない。流石の私にも分かる事だ。

 

「ありがとうございます。気を付けます」

 

 

「あのお爺ちゃんが、前に話してた?」

 

「はい」

 

「俺もよく話しかけられてるぜ。もし俺から相談を持ち掛けても、付き合ってくれるような奴だよ」

 

「そうなんですか。……お帰り」

 

「うん」

 

 カウンター脇の定位置で、少し欠伸をする様に身体を伸ばす。

 ああいう人との雑談というのは、他の人と比較すれば気が楽な方だが、それでも無言の方がまだ嬉しいと、私としてはそう思っている。

 

「しかし、そうか。体育祭、もうそんな時期か」

 

「確か十月に」

 

「チーム分けはもう済んでるのか?」

 

「既に」

 

 この学校のチーム分けは少し個性的で、三チームに分かれて行い、選別は個人でクジ引きとなる。

 幸い、私たち二人は同じチームになれた。出番の無い間は退屈しなさそうである。何かしたら目線を集めそうな気がするが、慣れた。少しだけ。

 

「……去年は無事だったし、気にしなくても大丈夫か」

 

「?」

 

「怪我、しないでくれよな。いや、怪我するもんは仕方ないから、教えてくれよ。二人共休ませるから」

 

「片方が出たりしなくても良いんですか?」

 

「二人でワンセットみたいな空気出してるじゃんお前ら。俺の勝手で引き剝がそうものなら、俺がすごく申し訳ない」

 

 顔を見合わせる。元々私達は群れない性質である。一人家に居る、或いは一人バイトに赴くというのには抵抗が無い。二人一緒ならブーストは掛かるだけで。

 だがマスターはこう言っている。なら甘えよう。

 

「分かりました」

 

「おう。まあ、怪我したらの話だがな。健康体が一番だ」

 

 私達も、サボれるからという理由でわざとケガするつもりはない。フルマラソンなんかを回避できるなら考えるけど。

 

「あ、そうだ。放課後の練習なんかがあったら教えてくれよな」

 

「了解です」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 と、名の知らぬお爺さんと雇い主のマスター、加えて我らがママの三名に心配のお言葉を頂き、個人に割り振られた出場種目の練習に挑む時がやってきた。

 私たちのスタミナは、五段階評価で言う所のDマイナス程度で、最悪では無いけど劣っているレベルだ。と言っても性別で分けての相対評価だから、男女混合で行けば明一はDプラスくらいは行くと思う。

 

「ふうっ。……もっと強く蹴れるかな」

 

 因みに私の走り方は、腕が外側に曲がっている様な女の子走りではない。これは走り易いから……と言うより、隣のレーンで走る相手に腕を当てたくないから、と言った方が近い。

 後、明一の真似っていうのもある。私より速いけど私に近い一人だから、いい感じに参考になる。いつかのプール授業みたいに。

 

「すごいよ明ちゃん。私よりもずっと速いよ!」

 

「え、あ、うん」

 

 声を掛けられた。名前は知らないけど、この女子は普通に運動音痴だったと思う。レーン毎に並んだ列で、私の一つ前に走っているのを見た。

 

「走り方カッコいいし! もしかして陸上部?」

 

「いや……」

 

「えーっ?!」

 

「無所属だよ、玉川さんは。しかし夏休み前から随分と走り方が変わったな」

 

 先生が割り込んできた。一気に騒がしくなってきたんだけど。私の対人通信料は高くつくぞ、良いのか。

 と、心の中で強気に脅してみるが、表面の私はただ無言である。普段からそんなものだけど。

 

「形だけ変えてみただけです」

 

「うむ!」

 

 簡潔に返答。だと言うのに先生は大仰に頷いた。

 

「形から入るのは大事だ! もっと速くなりたかったら、このバスケ部顧問の先生に聞きなさい!」

 

「別に要らなーい」

 

「えー」

 

 そこへ口を挟んだのは、さっきまで話していた女子生徒。何時の間にか、私と先生の会話は女子と先生の会話へと切り替わった。

 

「でも、やっぱり走り方変えないと速くならないんですか? 女の子走りじゃやっぱり無理ですかねぇ」

 

「身体を鍛えるのも大事だが、効率的な走り方を覚えるのも大事だぞ! 足の運び方を何度も走って覚えるだけで、筋トレせずとも早くなれる筈さ! だから……女の子走りのまま速くするのは、まだ試したことが無いな」

 

「はい?」

 

「塩原さん。ここはひとつ、アドバイスを聞いてみないか? 大丈夫! その女々しい走り方のまま陸上選手顔負けのスピードを出せるか、ちょっとチャレンジするだけさ!」

 

「なんか言い方がイヤだからお断りします!」

 

「えー」

 

 すると不思議な事に、私は完全な空気となった。勿論比喩だけど。そんな簡単に気化する様な体のつくりはしていない。

 しかしなるほど。コミュ力が高い二人が合流すると、私みたいな人はすぐフェードアウト出来る。私覚えた。戦略の一つとして有効に活用できるだろう、後で明一にも聞かせてみよう。

 

 

 その明一は……居た、練習用のレーンのスタートラインに並んでいて、私を見ている。

 どうやら話好きの女子生徒に捕まっていた所を見守っていたらしい。この学校なら、例え男子相手でも、会話程度で何か起きる訳が無いだろうに。

 

 まあ良いか。もうすぐ明一も走るらしいし、私の疾走スキルLv上昇の為に見学しよう。……なんか水泳の時の事思い出すな。

 あの時と違って上裸じゃないけど……。

 

 ……そういえば、男女が同じ屋根の下で過ごしてるのに、お互いの裸を見る機会が無い。無いというか、明一が徹底的にその機会を排除してるんだけど。

 明一は、そういった事に興味はある筈だ。私だってある。けれど踏み込まない。きっと、私が許容しても踏み込まない。

 何故なら、私が明一に求める物を知っているから。勿論、私自身も明一が求めている物を知っている。

 

 だから私は、陽光では温められない孤独の冷たさを、この手の温もりで溶かしてあげるし、溶かされる。

 それ以上に踏み込めば、完全に溶け切って、元の形が分からなくなる。孤独が何だったかも忘れてしまって、そして思い出すのが怖くなる。

 

 ……詩的だな。もしかしたら、今度の中間テストの国語は良い点とれるかもしれない。

 

「ふぅっ……。明、どうしたんだ?」

 

「今度ポエムでも書いてみない?」

 

「……流石に何故その話になったのか分からないんだが」

 

「流石に分かんないか」

 

「分からん。詩のテーマは孤独っていうのは分かるが」

 

 そこまで分かれば上出来じゃないかな。別に何から何まで通じ合ってないとダメという訳じゃないのだし。

 




まだまだ内心迷走気味だったりする。良い感じの流れがつかめない。
二人の関係性はゆっくり変わっていくつもりです。数章またぐくらい。
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