原初の龍界に、一つの魂が紛れ込んだ。
神を絶対視する龍族の中で、唯一その価値観に同調しない存在。
そんな男の話。



六面世界の龍族って不幸過ぎないって思ったので、少し状況を変えるべく異分子を入れてみた。ただそれだけ。(なお、状況が好転するとは限らないので悪しからず)



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アニメ勢には壮大なネタバレが含まれます。
ご注意ください。


第一話 神の訪問

◇◇

 

 

 六面世界。

 その名の通り、六つの世界が繋がることで奇跡的なバランスを保ち、誕生した世界だ。

 

 誰よりも誇り高く自由な獣族の世界。

 水の中を自在に泳ぎ回る海族の世界。

 その翼で空を飛び生きる天族の世界。

 死を克服した肉体を持つ魔族の世界。

 強靭な体を鱗に包み守る龍族の世界。

 弱いが故に知恵を持った人族の世界。

  

 それぞれの世界には、それぞれの世界に適合した種族が住まう。

 最初彼らは大変だった。

 生きるために必要な物など何もなく、彼らは知識もない状態で一からそれらを生み出さなければならなかったのだから。

 それも、魔獣や魔物に竜など、技術を持たない脆い人々では到底敵わない強大な敵と戦いながらの作業。

 多くの血が流れた。

 

 だがある時、苦闘する彼らの元に救いの手が差し伸べられた。

 六面世界を造った創造神。

 その分身であり、それぞれの世界の種族を導くためにその姿を変化させた六柱の神々だ。

 

 神々は、自分が導くべき世界に降臨し、そこで生きる人々を助けた。

 勿論、劇的に状況が変わったわけではない。

 神々は人よりも遥かに強大な力を持ってはいたが、それでも全能ではないのだ。

 しかし、結束するに必要な指導者を得た人々は、確実に前進した。

 

 少しずつ、少しずつ、人々は知識を得て、技術を得て、文明を得ていった。

 小さな集落はやがて村となり、町となり、やがては国になっていった。

 十年も生きられない幼子が、腰が曲がるまで生きることができるようになっていった。

 

 神という庇護者のもと、世界は安定し、長い長い繁栄を迎えたのだ。

 その期間は、実に数十万年に及ぶ。

 長き平和は堅実な技術の発展を呼び、人々は神々にも迫る力を手に入れつつある。

 ひとえに神という確かな寄る辺があればこそ。

 

 

 

 

 ―――これは、そんな神話の世界から始まる物語。

 

 

 

 

 

 六つの世界の一つ―――龍界には、龍族が住んでいた。

 名前だけ聞くと、東洋の竜を思わせるが、実際には彼らは二足歩行の姿をしている。

 

 鋭い牙や爪。

 肌を覆う鱗。

 鋭い金色の瞳。

 背中から生える翼。

 

 

 

 五つの氏族を持ち、氏族ごとに鱗の色が変化するということはあったが、彼らはおおむね上記の特徴を備えている。

 

 そしてそんな龍族の氏族が一つ、緑がかった銀色の鱗と髪を持つ聖龍族の中に、とある龍族がいた。

 その龍族は、周りから変わり者とよく言われていた。

 理由はいくつかある。

 

 例えば、狩りの時。

 基本的に山に生える木の実などを採って食べる龍族だが、稀に弱ったドラゴンを見つけると、集落の総力を懸けて狩ることがある。

 群れをなして行動するドラゴンは強く、如何に龍族でも安易に戦いを挑む愚か者はいない。

 だが、ドラゴン同士での争いで弱っていたり、病に掛かっていたりすれば話は別だ。

 

 普段であれば夥しい犠牲を払わなければ討伐できないドラゴンを倒せる数少ない機会。

 当然のように彼も集落の一員として駆り出され、そして傷を負うことはあれど命を落とすことなくドラゴンを倒して帰ってくる。 

 ここまでなら、特に変わった点はない。

 問題はその次だ。

 

 彼は、倒したドラゴンを前にして、手を合わせジッと動かなくなる。

 誰に言われたのか、何処で学んだのか。

 集落に住む他の龍族が絶対にしないような、不思議な作法をするのだ。

 

 あるとき、疑問に思った同胞の一人が彼に尋ねたことがある。

「何故そんなことをするのか。それに何の意味があるんだ。」

 彼は答えた。

「ただの習慣だ。やらなければ落ち着かないだけで、そこに意味はない。私の自己満足だ」

 そして彼は、同胞が首を傾げているのを見て更に続けた。

「……強いて言うならば、私に肉を与えてくれたドラゴンへの感謝を表していると言える」

 

 結局同胞は、彼のやっていることを理解しないまま去っていった。

 彼の動作が見たことがないものであったということもそうだが、それ以上に、龍族を捕食するドラゴンに対して感謝を覚えることなど、同胞には共感しがたいことだったのだろう。

 

 弱肉強食。

 龍族が住む龍界のみならず、六面世界全てを見渡しても、これ以上世の真理を表現する言葉はない。

 弱き者は死に、強者の糧となる。

 実に簡単なことであり、そんな自然の摂理に対してわざわざ感謝するようなことはない。

 互いに互いを喰らいかねないのだから、摂理とは残酷なもので、むしろそれに恐怖するものの方が多いだろう。

 いつか自分も喰われると考えたら、この世界で生まれたものにとってそれは至極当然のことだ。

 

 にも拘らず、彼はその習慣をやめることはなかった。

 理由は単純だ。

 彼は初めからこの世界にいたのではなかったのだから、この世界の仕組みには抵抗を感じることも多かったのだ。

 

 彼は、六面世界で生まれた魂ではなく、いずれ遥か遠くの未来にてこの世界に来る者達と同じ、地球という星からの魂をその身に宿していた。

 なぜなのかは分からない。

 彼自身、何度も自分がこの世界にいることを疑問に思い、悩むこともあった。

 だが結局のところ、その悩みが解決されることはなかった。

 なにせ、悩んでいる時間がないほどに、この世界は過酷で、直ぐに死んでしまうのだ。

 今すぐに何か変化があることでもない自分の出自について考えても、腹は膨れない。

 それよりは、天地がひっくり返ったこの世界を必死になって駆け回り、少しでも喰えるものを探さなければならなかった。

 

 訳が分からなかった。

 しかし、死にたくないと思う気持ちは強かった。

 だからただ必死になって頑張った。

 極限の状況に追いつめられると、死ぬことなど考えなかった。

 とにかく生きなければという強迫観念に襲われていた。

 

 幸か不幸か、彼には才能と周りよりも早熟な精神、そして僅かばかりの知識があった。

 最後の知識は、あまり役には立たなかったが、それでもかつて彼が感銘を受けた偉人の言葉などは、精神的な面で彼を支えてくれていた。

 

 そして同世代よりも冷静な思考は、才能の有無にかかわらず、生き残るということに関して特に役立った。

 出来る限り慎重に、常に危険に備え、逃げ道を確保しておく。

 これだけのことだが、やっていないとやっているだと大きく違う。

 小さな羽ばたきが聞こえてと思ったら、ドラゴンに頭をもぎ取られているような世界だ。

 警戒を怠らないことがどれだけ生存に重要かは、言うまでもない。

 

 そして、才能。

 彼には龍族の中でも抜きんでた才能があった。

 それこそ、運悪く単独でドラゴンの群れと遭遇しても、五体満足で逃げ切ることが出来る程度には、彼は強いのだ。

 龍界に神が降臨してからまだあまり時がたっていない、原初の世界。

 未だ龍気などの技術の普及しきっていない時代で、それだけの実力を得ている彼の強さは龍界広しといえども稀有なるものだろう。

 

 初めは彼も自分の実力に関してそこまで大きく捉えていなかった。

 集落の中で一番だとしても、世界に出れば大したことがないと。

 それは、彼がニ十世紀の地球を知っていたからの認識であり、またその予想は通常ならば正しいのだが、今回に限っては違った。

 別に異世界転生で神様から特典を貰ったなどということではない。

 単純に、魂が入った身体が特別強かったのだ。

 そこに、転生者としての精神が入れば、ある程度は自制が利く有能な戦士へと昇華する。

 

 そしてこの世界に彼が生まれてから数千年という歳月が経ったとき、彼は数十万年という寿命を持つ龍族の中では若いながらも、龍界屈指の実力者として、龍神に見出された。

 

 

 

 

「ガアアアアアァァァァァ!」 

 

 レッドドラゴンの厳つい爪が、勢いよく彼に迫る。

 だが、それは彼の頭に当たる寸前で躱された。

 標的を見失った腕の勢いにつられ、レッドドラゴンは体勢を崩す。

 その隙を見逃す彼ではない。

 

「ッゴォフォ」

 

 実に鮮やかな動きで、ドラゴンの心臓が貫かれる。

 傷口は気道にまで達し、一瞬呼吸が出来なくなったらしい。

 血を吐きながら身体を硬直させる。

 心臓を貫いていた腕が勢いよく引き抜かれ、大量の血液が噴出した。

 致命傷だ。

 

 もうドラゴンに助かる道はない。

 だが執念をもって赤き竜は自慢の牙で相手の頭を食いちぎろうとし、

 

 ―――頸部が回し蹴りによって千切れ飛んだ。

 

 胴体から断たれた頭が宙を舞う。

 ドサッという音と共に頭が地面に落ちると、自分の死を認識したのを最後に、竜の眼から光が消えた。

 

 物言わぬ竜の骸を前にして、その龍族は少しの間佇む。

 

「……私も少しは強くなってきたつもりだったが、こうも抵抗されるとはな」

 

 この世界の野蛮さに触れて以来、理性を保つことも目的として言い続けてきた一人称と共に、今しがた倒したばかりのレッドドラゴンへの賛辞を述べる。

 本来なら心臓を貫いた時点で決まっていた勝負を、引っ繰り返してきたのだ。

 今まで数多のドラゴンを狩ってきた経験からも、この竜の強さは並外れていた。

 結果彼を倒すまでにはいかなかったものの、あと僅かに彼が蹴りを繰り出すのが遅ければ、ここに立つ屍は二つに増えていたかもしれない。

 

「……強き竜よ。お前のその気高き心に敬意を」

 

 目を閉じて合掌し、祈りをささげる。

 同胞たちに訝しまれても、彼の中のルールを変えるには至らない。

 遠くなってしまった故郷を少しでも自分の中に留めておきたいという願望が、無意識のうちに彼にそうさせた。

 

 やがて祈りが終わり、彼は再び目を開ける。

 ドラゴンの体を集落にまで運ぶために近づき、

 

 ―――ふと視線を感じ背後を振り返る。

 

 今となっては見慣れた、天地が逆転した世界がそこには広がっていた。

 上から山が生えるという奇怪な光景も、数千年も見ていれば否が応にも慣れてしまう。

 そして、感じた視線の主と思しき姿も、何処にもいなかった。

 未だに複数のレッドドラゴンが空中を浮遊し此方を窺ってはいるが、今の視線が彼らのものではないことは、何となく分かる。

 あの視線からは、レッドドラゴンの捕食者の視線ではなく、もっと別の何かを感じた。

 しかし辺りを注意深く観察しても、それ以上の人影はない。

 

「……気のせいか?」

 

 ひとまずはそれ以上の捜索はやめ、止めていた足を再び進めた。

 まずドラゴンの頭を左肩に乗せ、余った右手で尻尾を掴み引きずる。

 引きずられている方の胴体が、砂などで汚れるかもしれないが、形が崩れたりはしないと彼は考えていた。

 ドラゴンの鱗とは頑丈なものなのだ。

 地面で擦れるくらいでは罅一つ入らない。

 もしその程度の強度しか持たなかったならば、ドラゴンはとっくの昔に龍族に滅ぼされていただろう。

 だが現実には、ドラゴンと龍族は未だに喰い喰われるの関係を維持している。

 つまりそういうことだ。

 

「両手が塞がるな。となると、これを持ったまま空を飛ぶのは得策ではないか」

 

 男は空を飛んでいる無数のドラゴンを忌々し気に見上げた。

 あの数のドラゴンを相手に無傷で切り抜けられるとは、彼には思えなかったらしい。

 あるいはたとえ可能だったとしても、リスクを極力避ける彼の性格からしてこれ以上の戦闘は無意味だっただろう。

 彼の目的は、地面に落下して空に戻れず気が立っているはぐれ竜の討伐及び食料の確保。

 ドラゴンの肉は龍族にとって食用なので、これで任務は二つとも達成された。

 

「撤収だな」

 

 念のためもう一度周囲を見回し、何も問題がないことを確認すると、男は踵を返して走り出した。

 翼を使ってたまに低空を飛びながら、彼は山を駆けあがっていく。

 目的地は、彼の集落がある山の中腹。

 彼の生まれ故郷である小さな村だ。

 

 

 

 龍界の黎明期。

 その時代龍族には何もなかった。

 武器や服はおろか、互いに意思疎通を図るための言葉すら彼らには存在しなかったのだ。

 そんなわけなので、当時の龍族に人間らしいところがあったかと問われると、首を傾げざるを得ない。

 

 だがそんな彼らの生活も、一柱の神が地上に降り立ったことで転機を迎える。

 龍神。

 六柱の神の中でも、最強の力を持った偉大な存在だ。

 彼はドラゴンや魔物の脅威に怯え、隠れ住んでいた当時の龍族たちを導き、龍界で最も壮大な山の中腹をくり抜いた町を作った。

 龍族はその町―――ケイオースに集まり、龍神の庇護のもと数を増やしていく。

 そして、遂には山中の洞窟から始まった町には収まりきらないほどの人数にまで達した。

 

 このままでは町が破綻する。

 そう予見した龍神は、幾人かの優秀な龍族を筆頭とした開拓者集団を組織した。

 彼らを遠くの山々に派遣することで、新たな生存圏を切り開こうとしたのだ。

 

 開拓者たちは、龍神の期待に応えようと努力した。

 教えられた力により天敵であるドラゴンたちを退け、山を削り町を建てた。

 しかしその全てが上手くいったわけでない。

 如何に龍神が圧倒的な力と優れた知性を持っていようとも、彼は完璧ではないのだから、当然のように失敗もあり得る。

 そして、そういった龍神の目論見が外れた集落の中に、彼の故郷はあった。

 

 強大なドラゴンとの戦いにより成人した龍族が減少し、繁殖能力が低い為に中々個体数が増えず衰退の一途を辿っているそんな集落だ。

 

 

 

 

 

 

 視線の先に集落へと繋がる洞窟を見つけると、彼はそれまで僅かな凹凸を足場に走っていたのを止め、大きく翼を広げ飛び立った。

 一直線に洞窟へと向かい、石と木を組み合わせて出来た足場―――発着場へと降りる。

 

「お帰りシラード兄ちゃん!」

「わっ!レッドドラゴンだ!」

「美味しそう!これ食べていいの?」

 

 彼が戻ってきたのを察知したのか、洞窟の奥から幾人か彼の同胞が姿を見せた。

 皆、彼と同じように緑がかった銀色の鱗の龍族だ。

 ただ、彼が身に纏っている白い布が返り血で赤く染まっているのに対し、彼らの服は血で汚れてはおらず、またサイズも小さかった。

 これは彼が特別身体が大きいのではなく、出迎えてきた同胞たちがまだ幼いからだ。

 

 まだ年若い彼らに発着場の見張りを頼んでいることを心苦しく思いながらも、彼―――シラードは彼らの言葉に平坦な声で返答する。

 

「ああ、ただいま。出迎えありがとう。それとグーラ。これは皆で分けるんだから、あんまり物欲しそうにするな。やりにくい」

「え~。だって美味しそうなものは美味しそうなんだもん!」

「兄ちゃん。グーラの目は無視していいよ。兄ちゃんが優しいからって調子に乗ってるだけだから」

「んなぁんだと~」

 

 子供たちのうち二人が言い争い始めたのを横目に、シラードは最も年長な最後の子に、質問する。

 

「それで、私が出てから何か異変はなかったか?」

「大丈夫だったよ!あっ、でも」

「何だ?」

 

 そういえばと声を上げたので、シラードは少しだけ焦る。

 大丈夫といいつつも何かあると言うと、何処となく危険な雰囲気が漂うのだ。

 大きな問題に予兆がないことはない。

 逆に言うと、大きな問題には必ず予兆があるということになる。

 小さな異変は決して逃さずにしなければならない。

  

 ただ、今回に限ってはそういう心配はないようだ。

 子供が満面の笑みと共に口を開く。

 

「あのね!龍神様がいらっしゃっているの!」

「ッ龍神様が此方に」

 

 思わず目を見開く。

 龍族の頂点に位置する存在が、こんな小さな集落に来ているという事実は、彼に驚きをもたらした。

 こみ上げてくる違和感に対処すべく眉を顰め、考え込む。

 だが心当たりはまるでない。

 そもそも、彼が知っている限りこの集落に龍神が訪ねてくることなど滅多にない。

 いつも応対に出ている長老なら、龍神の目的を知っているかもしれないが、彼自身はまともに話したことがないので分からない。

 精々一言二言言葉を貰った程度なのだ。

 

「……一体どのような御用向きでお出でになられているか聞いているか?」

 

 分からないなら聞けばいい。

 単純なことを思いついた彼は、自らの疑問を口にする。

 

「う~ん分かんない。長老様のお家で何かお話してるみたいだけど、近づけないし」

「むしろグーラが近づこうとするのを止めるのに必死だった!」

「い、いくらグーラでもそんなことはしていないぞ!」

 

 やはり子供に聞かせるような話でもなかったらしい。

 大したことは分からなかった。

 けれども、いつも通り長老の家で何事かを話しているということだけは知れた。

 となると、大方今回の訪問も普段と特に変わったことはないのだろう。

 

「……あまり変わったことはなさらないようだな。だとすると、腐らないうちにドラゴンの処理をしておくか」

「あっそれはダメだよ。長老様がシラード兄ちゃんが帰ってきたら直ぐに家に来るように伝えなさいって言ってたもん!」

「……なに?」

 

 今まで長老と龍神の会合に誰かが参加したことはない。

 シラードの記憶違いなどでなければ、今回の訪問は特殊ケースだ。

 しかし、長老がシラードを呼んだのであれば、そこには龍神の意図が絡んでいる。

 すなわち、長老の発言はそのまま龍神の命令であると考えるべきだ。

 となると断るということは出来ないだろう。

 龍神にとって龍族とはそれほどまでに絶対的な存在なのだから。

 

「……分かった。ならお前たちはこのレッドドラゴンを運んでくれ。龍神様がお呼びということなら、待たせるわけにはいかない」

「ハーイ!」

「了解だぞ!」

「合点承知!」

 

 勇ましい返事に若干の不安を抱きながら、彼は地面を蹴って洞窟の奥へと向かう。

 しかし、返り血で濡れた服のまま龍神の前に出るのも不味い。

 取りあえず自宅に行って返り血で汚れている服を着替えることにした。

 

 

 

 

 

 木と土や岩で造った丸い建物。

 それが龍族の家だ。

 龍の都ケイオースにある龍神の屋敷には、細かなレリーフを刻むなど装飾も凝らされいると彼も聞いたことはあるが、辺境の小さな集落にそんなことをする時間も技術もない。

 長老の家とてそれは変わらず、周囲に並ぶ他の家と違うのは、サイズくらいだ。

 現代日本の高層ビルを知っているシラードからすると、みすぼらしいと言っても過言ではない。

 彼ももうこの世界に来てから、前世では考えられないほど長い時間を過ごしているので、あまり気にしてはいないが、他の龍族はどうなのだろうか。

 少なくとも、現在彼の頭上で話す男の声に、この家屋に関する不満は少しも感じ取れなかったが。

 

「顔を上げろ」

 

 日頃冷静さを保つために、平坦な声を意識しているシラード以上に、感情の感じ取れない声だ。

 だがそれでも、その声で語られた言葉を聞き逃すことはない。

 命令に従い、彼は敬礼を解く。

 胸の前でクロスしていた両腕を下ろし、小さく畳んでいた翼を僅かに広げた。

 

 顔を上げると、二人の人物が此方を見ていた。

 一人はよく知っている人物だ。

 この集落の長老。

 かつてこの地に開拓者たちが送り込まれた時から生きている、古参の龍族だ。

 所々鱗の色が落ちているその様は、彼の重ねてきた年月を思わせる。

 

 そして長老がまるで秘書のように後ろに控えている人物こそが、この龍界の頂点に位置する存在―――龍神だ。

 室内で唯一椅子に座り、混じりけのない銀色の鱗をした金色の瞳の男。

 外見としては、あまり他の龍族とは変わらないだろう。

 だが、一目見て分かる。

 その身に収めた莫大なエネルギーが彼に悟らせる。

 この男は格が違う。

 たった一人で龍界に住む全ての生物を根絶やしに出来る、そんな隔絶した力を、シラードは男から感じた。

 

「貴様がシラードだな」

「ハッ。その通りでございます」

「ふむ。中々に龍気が練り上げられている。見事だ」

「勿体なき御言葉」

 

 目の前の存在が放っている圧倒的な威圧感を直視している身からすると、あまり褒められた気はしない。

 けれども、表情筋がまるで仕事をしていない龍神が、嘘を言うようにも思えなかったので、素直に受け取っておくことにした。

 

 そんな彼の様子を見て、龍神は軽く顎を引く。

 

「貴様を呼び出した理由を簡潔に言う。その力を我がもとで龍界の繁栄のために役立てろ」

 

 今回わざわざ自分を呼びたてた理由はそれかと悟る。

 しかし大部分が省略されているのか、内容が漠然としていた。

 役立てろと言われても、結局何をすればいいのだろうか。

 疑問が顔に出ていたのか、付き合いの長い長老が口を開いた。

 

「龍神様はお前を、直属の配下としてケイオースに連れていかれるおつもりだ。」

「……私が、ケイオースに?一体どういった経緯でそう決められたのですか?」

 

 状況が分からない。

 行ったことがないので実際のところは分からないが、ケイオースには既に数多の龍族が住んでいるはずだ。

 龍神に直接知識や技術を与えられている彼らの力があるのならば、何故龍神は自分をスカウトしに来た?

 まさか、何か災害でもあってケイオースの人口が減少した?

 幾つもの発想が脳裏をよぎる。

 

 ゆえにシラードとしては、当然のことを聞いたつもりだった。

 だが、室内の他の二人には、その発言は意外なものだったらしい。

 長老は怒ったように顔を歪め、龍神は聞くはずのない言葉を聞いたかのように首を傾げていた。

 何か無礼を働いた可能性が高い。

 そう判断したシラードは、すぐさま頭を下げた。

 

「ッ申し訳ありません龍神様。差し出がましいことを申しました」

「……いや、謝る必要はない。顔を上げろ。……そうか。説明が必要か」

 

 龍神は顎に手を当て、しげしげとシラードのことを眺めていた。

 まるで、今まで見たことがないものを観察するような視線だ。

 

「……ふむ、そうだな。シラードよ。貴様はこの集落の状況が如何に希少であるか理解しているか?」

「いえ。私は生まれてから一度も他の町や集落には行ったことがないので」

「そうか。であれば少し俺がお前を見込んだ理由を聞かせよう。」

 

 龍神は語った。

 元々この辺りの山には、龍界の中でも特に脅威度の高いドラゴンが多く生息しており、送り込んだ開拓者たちがここに拠点を作ることが出来るかどうかは、龍神からしても賭けの要素が高かったという。

 そして残念ながら、開拓者たちの中核を担っていた一人前の龍族たちは、その大半がドラゴンとの戦いにより戦死し、残っているのは知識面での活躍を期待された老人たちと、僅かな数の子供たち。

 このままでは遠からずのうちに生き残っている者たちも命を落としかねないと判断した龍神は、ケイオースへの帰還命令を下そうと長老の元へ訪ねた。

 しかし龍神は、そこで意外な話を聞くことになる。

 なんと、子供たちの中から成長した一人の龍族が、長老を初めとする老人たちから技術を習得し、ドラゴンたちからこの集落を守っているというのだ。

 訓練を受けた大人の龍族ですら、ドラゴンを相手には苦戦するというのだから、龍神はその龍族に強い興味を抱いた。

 同時に、ひとまず一人の龍族のお陰で、直ぐに集落が壊滅することはないと判断した龍神は、その時は一旦集落への処置を保留にした。

 だが龍神の興味がそこで尽きるわけではなく、その後も何度か機会を見つけては長老と会話し、その龍族―――シラードの様子を調べていたのだ。

 

「俺は驚いた。これほどの力を持った在野の龍族がいることに。そして、それだけの力を持っているのならば、ケイオースに呼び寄せ更なる訓練を課すことで、龍族全体の為に力を振るわせるべきだと考えた。以上だ。」

「……経緯は分かりました。しかし許されるならば、あと一つだけお教え願いたい。」

「っシラード!!龍神様の行いに疑問を持つなど、許されぬ行いだぞ!!」

「待て。」

 

 二度目の質問に、長老が我慢できなくなったらしい。

 怒りにより龍気が周囲にあふれている。

 しかし、龍神はそれを手を挙げて制止した。

 龍神自身は、意外なことに不快に思っている気配が見られない。

 

「許す。言いたいことがあるのならば、早く言え」

 

 底の見えない黄金の瞳が、真っすぐにシラードを見た。

 飲み込まれるような感覚。

 龍神が持つカリスマが、そうシラードに錯覚させたのかもしれない。

 畏怖の念で震えそうになる身体を必死になって押さえ、シラードは最後の質問をする。

 

「私が周囲の有力なドラゴンを粗方討伐したとはいえ、未だにこの集落に迫る脅威を完全に取り除くことができたわけではありません。私が去った後のこの地の守りを、どうお考えでしょうか。」 

 

 自分がケイオースに招聘されることは、彼にも不満はない。

 というよりも、断れる状況ではない。

 龍神に逆らえば、全ての龍族から迫害されてしまう。

 幾ら彼が強いとはいえ、たった一人でこの世界を生き残ることができると思うほど、彼は自惚れてはいない。

 それに、何人もの龍族の大人が狩りに出て行って死んでいく姿は、彼の心に刻みつけられている。

 龍族の感覚だと短いのだろうが、それでも数百年、数千年を共に生きた仲間だ。

 彼の感覚なら、十分すぎるほど長い付き合いになる。

 そんな彼らが、無慈悲に死んでいく。

 なら、自分で何かをしたいと考えるのは自然な流れだった。

 自分の力が役に立つのなら、幼い龍族が危険な仕事をしなくてもいいようにしたい。

 そのために努力を重ねてきたが、ここは小さい集落。

 この集落だけで学べることに限界を感じていた彼にとって、龍神の言葉は渡りに船だった。

 

 だが一方で、引継ぎをしっかりやらなければ、後が不味い。

 会社であれば、引継ぎの失敗で命が失われるなどといったことは滅多にないが、龍界では常に命がかかっている。

 自分が出て行ったせいで、この集落で共に過ごした同胞たちが死んでしまっては元も子もない。

 その辺りのことを、龍神はどう考えているかは、確認しておくべきだ。

 まさか何も考えていないということはないと思うが、かといって失敗した場合全ての責任を龍神一人に負わせるわけにもいかないだろう。

 

 龍神は特に変わった様子もなく頷いた。

 

「無論貴様の後任は手配している。屈強な剛龍族が五名、直に到着する手筈だ。戦力的には十分だろう」

「……畏まりました。であれば私から質問は御座いません。早急に準備を整え、ケイオースへと出立いたします」

「うむ。此方から急かすような真似はせん。思う存分時間をかけて別れの準備をするがよい。そして、ケイオースへと着いたら、まず真っ先に俺の屋敷を訪ねろ」

「ご厚意感謝いたします」

 

 用件が済んだとばかりに龍神は椅子から立った。

 扉を開き、背後を振り返る。

 

「ではさらばだ」

 

 その言葉を最後に龍神の体は掻き消えた。

 シラードの目には捉えられなかったが、恐らくは生身のまま飛び去って行ったのだろう。

 だが、龍神の飛び立った足場は、その異常なまでの速度を感じさせないほど、元のままだった。

 立つ鳥跡を濁さずと言うシラードの前世の言葉が、ふと頭に浮かぶ。

 

「……嵐のような方ですね」

「ハア。何を気楽そうに。儂は肝が冷えたぞ。龍神様の御心を窺うなど、龍族の誰もが出来ないことを軽々とやりおって」

 

 ドッと疲れが押し寄せてきたのか、長老は杖に寄りかかっている。

 この僅かの間に、随分と老け込んだように見えた。

 

「幸いにも、龍神様が不快に思われなかったから良かったが、これでお気分を害されていたらどうなっていたことやら」

「……ですが長老。龍神様はそんなに恐ろしい御方なのですか?私には終始落ち着いたご様子に見えましたが」

 

 少なくとも、話している間龍神が怒りなどの感情を見せることはなかった。怒っていたのは、むしろ長老の方だ。

 長老は、一瞬異端なモノを見たような視線をシラードに向ける。

 だが直ぐにその表情を引っ込め、また疲れたように溜息を吐いた。

 

「……龍神様を恐れているわけではない。あの御方に要らぬ気苦労を懸けてしまうことを恐れているのだ。……よいかシラードよ。あの御方のお考えを我ら龍族が理解できるなどと考えるのは傲慢と思うておけ。そう心に刻んでおくことが、あの御方への忠義となる。ゆめその事実を忘れるでないぞ」

「……はい」

 

 

 

 

 何となく、今まで親しかった長老との間に少し溝が出来たようで、気が重くなりながらシラードは自分の家まで帰った。

 長老が何故あんなにも龍神に質問することに忌避感を示すのか、彼には分からなかった。

 龍神が偉大な存在だということは分かる。

 老人たちが語る龍神の逸話は、まさしく神話の世界の話だった。

 幼い時は少々脚色されているのではと思っていたが、今は違う。

 一度実物を見れば分かるのだ。

 龍神は本当に、シラードの想像する神の如き力を持っていると。

 

 だがそれと、質問が許されないということが繋がらない。

 好奇心を持つのはいけないのか。

 新しい知識を得ようとするのはいけないのか。

 

「……神を疑ってはならない、か。」

 

 もはや朧げな前世の知識から、一つの言葉がふと口をついた。

 長老のあの頑なな態度も、宗教の教義と考えればある程度納得できる。

 ましてや龍神は人の生んだ偶像ではなく、実在しその姿を見ることができる本物だ。

 その存在を疑うということは、龍族全体にとって考えられないことなのかもしれない。

 しかし、

 

 

―――誰にも疑われない存在が頂点にいる体制には、恐ろしいリスクが含まれているのではないだろうか。

 

「……こんなことを考えていると、本当に周りから嫌われそうだな。ハア~~。ヨシッ」

 

 ポツリと部屋の中で呟いたシラードだったが、やらなければならないことを思い出し、気持ちを切り替えて動き出す―――。

 




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