ゴミでカスなクズトレーナーは今日も今日とてウマ娘を虐待する。 作:カチュー
京都ジュニアステークス。
周りのウマ娘を歯牙にもかけずに蹂躙したあの時のライスシャワーの走りを見て、私は思考回路に大きな損傷を受けてしまいました。
――私は、ライスシャワーに本当に勝てるのか?
このような脆弱な意思では勝負をする前から負けている。ですが、日に日に焦りと不安は募っていくばかり。
このままでは、彼の『絶対』がライスシャワーで固定されてしまう。それだけは『絶対に嫌』なのです。
弛んだ考えを振り払うべくマスター……いえ、彼の考案してくれたトレーニングを日々こなすも全然足りないと分かってしまう。
彼のトレーニングを受けている私と彼からトレーニングを受けているライスシャワーでは努力量で補いきれない溝が生まれ始めているのですから。
もちろん、努力量で補いきれないのであれば更なる努力を重ねるのが私のスタイルです。
しかし、私が無理に体を酷使すればまた優しい彼を悲しませることになります。
……それはそれで『高揚』しますが、彼にはずっと傍で見守っていてほしい。
「19時30分ジャスト。デイリータスク、オールクリア。クールダウンに移行」
ですので、誠に不本意ながら最近は自主練習を短めに設定してあります。
しかも……今日は1週間に1度発生するチャージタイムが訪れるのですから。
彼の自室にお邪魔し、一緒に食事をとり会話をする私と彼だけの大切な時間。
それだけでも贅沢すぎるのですが……直接、私の肉体に彼の手が触れるマッサージの時はまさに至福。
彼から与えられる心地よい痛みはようやく彼に全てを支配されているような感覚。まさに彼だけの所有物になったような気分になります。
しかし、人とは強欲なものです。幸せを享受すればするほど、より多くの幸せを望んでしまう。
業が深いからこそ、人は過ちを犯し続けるのかもしれません。
クールダウンをし、後片付けを終えた私はトレーナー室に行く途中にある三女神の像の辺りに差し掛かったところでした。
「こんばんは、ミホノブルボンさん」
鈴が鳴るような可憐で美しい声の持ち主に急に話しかけられた私は声の方向を確認すると、女神像の影から思わぬ人物が現れました。
「……サイレンススズカ先輩」
比較的体格の良い私と違って、今にも簡単に折れてしまいそうなほど華奢な体とすらりとした細長い手足。
走る以外の機能は全て置いてきたかのようなウマ娘の理想に近い彼女のプロポーションは星の光と女神像の噴水のきらめきに照らされて、とても美しかった。
「今日は肌寒いけれど、星がよく見えてとても綺麗ですね。こんな日は思わず走りたくなっちゃう」
「その思考に至るまでのプロセスが私には不明です」
彼女のことは以前から気になっていましたが、今はそれどころではありません。
「では、私は未達成のミッションがあるのでこれで失礼します」
「……待って」
真正面に立っていたサイレンススズカ先輩の横を通り過ぎようとした私は彼女に腕を掴まれました。
彼女の手はまるで死人のように熱を帯びず、ひんやりとしていた。動揺した私は反射的に腕を振り払いました。
反動で少しよろけた私でしたが、彼女はその場から一歩も動いていませんでした。
「少しだけ、私とお話をしませんか?」
「”少し”とは、正確な時間に換算するといかほどでしょう」
「そうね。3分あればいいわ」
「……では、3分で。私もあなたに聞きたかった要件があります」
「ありがとう。じゃあ、単刀直入に聞きますね」
ここで数拍置いたサイレンススズカ先輩は美しい微笑を携え、私が真っ先に飛びつくであろう話題を振ってきた。
「――ライスシャワーさんに勝ちたくはありませんか?」
「……ッ!?」
「あなたさえ良かったら、私の経験と技術を全て教えましょう。あの子に勝つ方法も、ね」
「……仮にあなたの提案が本当だったとしても、あなたにとってメリットが何一つありません」
「うーん……同じ逃げウマであるあなたに期待しているからではダメかしら?」
「ダウト。あなたの発言は真意ではありません」
……彼と出会う前の私なら、嘘か本当か区別はつかなかったでしょう。
しかし、サイレンススズカ先輩の言っていることは嘘です。彼と違って、彼女の言葉には1ミリも熱量を感じません。
彼はどんな時でも一生懸命かつ真剣に、相手のことを思いやる発言と行動をする。
彼の底抜けの『善意』を知ったからこそ、彼女の『悪意』を見抜くことができたのです。
「あら、あっさりバレちゃった……私の同志なだけあるわね」
同志? 彼女は何を言っているのでしょう。
「じゃあ、建前じゃなくて本音をいいましょう」
彼がライスシャワーを見るときとそっくりな表情をしたサイレンススズカ先輩。
けれど、そこには彼のような優しさと暖かさは微塵もなかった。
どこか浮世離れした儚げで清廉な雰囲気を持つ彼女とは真逆の――ヘドロのように粘々と絡みつく黒い言葉に私は一瞬耳を疑う。
「私にとって、ライスシャワーは目障りで邪魔な存在なの。だから、あなたにはライスシャワーを二度と立ち上がれないほど徹底的に潰してほしいの」
「え……?」
「聞こえなかったですか? なら、もう一度……」
「ライスシャワーが邪魔で、目障り、だなんて……そんなことは」
「何も隠す必要はありませんよ。あの人の傍にいて、恵まれているあの娘に今すぐ消えて欲しいと願うあなたの気持ちはよくわかるわ」
「……」
「私なら、あの人をもっと喜ばせられる。あの人の願いを叶えられる。あの人の為にもっと尽くしてあげられるのにって思ってしまいますよね?」
ダメです。表面上は彼と似た笑みをする彼女の倫理観が破綻したクリアボイスに耳を傾けてはいけない。そう頭の片隅では判断しているものの、全身の神経は既に彼女の甘言を聞くための準備を整えていた。
「今の私なら、あなたのことを勝たせてあげられるわ。逆に私の力を借りずに勝つのは……ゼロとは言いませんが、非常に難しいと思いますよ? 少なくともクラシック戦では勝てないと断言しましょう」
淡々と暗闇に閉ざされた未来について語るサイレンススズカ先輩に私は何も言い返せなかった。
……クラシック期では勝てない? それは許容できない。私の目標はクラシック三冠。そして、新たな夢は彼の『絶対』を私で塗り替えること。
そうです。『今』をライスシャワーに奪われているのなら、『未来』を私は手に入れる。
「私はあなたの夢をサポートするわ。その見返りとして、成就したあなたの夢の”おこぼれ”を私に分けてもらえればそれで満足です」
そのためには確実にクラシック期でライスシャワーを上回る必要があるのです……彼女の提案は私にとって渡りに船。
――けれども。
「……申し訳ありませんが、お断りします」
「あら……どうして断るの?」
「あなたのことが一切信用できません。加えて、私は私自身の力でライスシャワーを打倒しなければならないのです」
彼女の手を取ったら二度と取り返しがつかなくなりそうな予感がした。底知れぬ恐怖と本能が私の利己心を押しとどめてくれました。
「……うん、わかりました。今はそれでいいでしょう。ごめんなさい、時間を取らせてしまって」
望む回答が得られなかったのにも関わらず、彼がライスシャワーに向けるような微笑みを保った彼女はとても陰謀や策謀を考えない純粋無垢な少女の顔をしていました。
それが、また不気味で歪です。
クスリと笑いつつも背中を向けて、去ろうとしていたサイレンススズカ先輩でしたがもう一度こちらの方を振り返りました。
「あ、私に聞きたかったことって何かしら? お詫びになんでも聞いてくださいね」
「……では、質問いたします。あなたとライスシャワーのトレーナーとの関係は?」
ずっと聞きたかった。学園でも示し合わしたように一切接触をしない何の関わり合いのないように見えるあなた達の関係を。
すると、突然無表情になったサイレンススズカ先輩は質問に質問を被せてきました。
「”死がふたりを分かつまで”って結婚式での誓いの言葉があるのは知っていますか?」
「存じております」
「なら、ミホノブルボンさんはこの誓いを素敵だと思うかしら?」
「はい。愛し合う男女が永久を誓えるのですから」
両親にも言われてきました。この言葉通り、永遠の愛を誓える人を見つけなさいと。
私も彼と『そういう』関係になれたのであればと想像したことは幾度としてあります。
その度に多幸感に身を悶えさせ、愛し合う男女の行為を行っているところまで想像し快楽で脳がショートしかけたこともありました。
想いを馳せらせながら出した私の回答にサイレンススズカ先輩は無表情を崩し……
「……ふふ! うふふ! あははッ!」
さもおかしそうに……胸に秘めた何かを吐き出すように嗤った。
「私もね、昔はとても素敵な言葉だと思っていたの。でも、それってどちらかが亡くなってしまったら永久の誓いとは言えないわよね?」
「……ッ!?」
段々と人間らしい熱を帯びていくサイレンススズカ先輩に私は一歩後ずさってしまった。
「そんなのは、私が見たかった景色なんかじゃない。だって、おかしいもの。死んじゃったら、繋がりが無くなるなんて。想い人の永遠を手に入れられないなんて。違うわよね。本当の愛ってもっと違うものだったの……!」
――解析不能。何を言っているのでしょう、この人は?
「これが、あの人と私の関係の答えよ」
今までにないほど瞳と台詞に情熱を灯しつつも回答を返さない彼女に今すぐ精神科での受診を推奨したいところです。
しかし、彼女の発言は不思議と私の胸の内にすとんと収まりました。妄言であっても彼女は自分を信じているのでしょう。
ですが、彼女の発言を受け入れられるかどうかは別。人間は理解できないものと相対した時に拒否反応を示すといいます。
彼が介入しなければ、本来なら分かり合えるはずのライスシャワーとは全く違った嫌悪感は拭いきれませんでした。
正直、私はサイレンススズカ先輩のことは輝かしい実績以外ほとんど知りません。けれども、彼女の人柄はどこか天然で人付き合いもあまり良くない内気な性格だったと学園内で聞いたことは何度もあります。
が、目の前の彼女はとても前情報には当てはまらない人物。まるで顔と造形だけが同じな別人物のようでした。
そのことが非常に気味が悪く、冷静さを失っていた私は心に秘めていた言葉が漏れてしまった。
「……あなたは一体、何者なのですか?」
「私は、サイレンススズカ。走ることが
張り付けていた笑顔の仮面を脱ぎ捨て『愛』というワードに載せた汚らしい執着と嫉妬に塗れたサイレンススズカ先輩の狂った表情は鏡で見た私の姿と重なった。
確かに私とサイレンススズカ先輩は同類でした。
私の積もり重なる溢れるばかりの想いは到底『恋』では収まりきらない。
生まれて初めての甘くて、苦しくて、暖かくて、切ない……彼の全てが愛おしく思う想いの強さで負ける訳にはいかない。
「では、時間が出来たらまたお話しましょう。そうね……年明け前辺りがちょうどいいと思うわ」
「……何度話そうともあなたの手は借りません」
「ミホノブルボンさんの次のレースは朝日杯でしたよね? 応援していますね。私はあなたの味方ですから」
伝えたいことを一方的に伝え、今度こそ立ち去るサイレンススズカ先輩に私はようやく一息つけました。
背中に張り付く汗はトレーニングで生じたものとは異なった非常に気持ちの悪いものだった。
――今は一刻も早く、彼に会いたかった。そうすれば少しはこの寒気と嫌悪感も収まるはずだから。
ダークサイレンススズカさんが物語を暗くしてしまったので
次回は希望溢れるレースのお話になります!