三時間目の休み時間。自由帳めがけ無我夢中でギャグ漫画を描いていたところ、ふと隣の席から視線めいたものを感じた。
鉛筆を止め、そっと顔を向けてみる。
角谷・シンドウ・杏と、目が合った。
「どした? もしかして興味があるの?」
「うむ」
「お、まじ?」
自分の疑問に対して、角谷・シンドウ・杏は、白い歯を見せながらにひひと微笑んだ。
角谷・シンドウ・杏という女の子は、とても頭がよく、いつでも友人に囲まれていて、そしていつだって笑っている。
そんな杏を見るたびに、
けれど学校の先生から、杏の友人たちから「やっぱりあなたはシンドウですね」と言われるたびに杏もニコリと笑い返すから、たぶん角谷・シンドウ・杏という名前をしているのだろう。
「まだ未完成だけど、読むか?」
「おっ、いいの? やったったっ」
チャンスだった。
去年までは、友人という友人がこぞって漫画を読んできてくれた。けれど小学五年生になってクラス替えが行われてからというもの、友人たちとは見事にバラバラになってしまい、身近な読者はゼロになってしまっていたのだ。
好機(最近覚えた言葉)は逃さない。
早速とばかりに、金塚は自由帳を角谷・シンドウ・杏へ手渡そうとして、
「――角谷さん。今日は一緒に給食を食べません?」
そのとき、角谷・シンドウ・杏の左右から女の子が近づいてきた。
金塚は、すっと自由帳を引っ込める。同性の、「友人」の会話を邪魔するつもりはないからだ。
「ちょっと、今日は私と食べるんですのよ」
「早い者勝ちです。私が先に提案しました」
「なにそれ、はしたないと思わないのですか?」
「はしたなくありません。私は角谷さんの友人として、当然の誘いをしたまでですから」
「わたくしも友人なのですけれど」
休み時間の教室は今日も騒がしい。走り回る男子もいれば、遊ぶ予定を立てている女子グループもいる。
そして隣の席の雰囲気は、上品と化していた。
それもそのはず、杏の友人たちはみんな「お嬢様」だからだ。角谷・シンドウ・杏は確か「セイジカの娘」だったっけ。
「まーま、みんな落ち着いて」
そのとき、
角谷・シンドウ・杏が、にこりと笑って、
「みんなで一緒に食べようよ。ご飯は、みんなで食べた方がおいしくなるしさ」
「! さすが角谷さん! ぜひそうしましょう!」
杏の友人たちが、揃ってうんうんと頷く。
それをちらりと覗いていた金塚は、こう思う。
――やっぱり角谷・シンドウ・杏は、よく笑う子だなあ。
「そういえば角谷さん、週末の予定は?」
「んー、いまのところは無いかなあ」
「では! 今度わたくしの家に来ませんか? 見せたい戦車がありまして」
「おお~いいねえ~」
杏も、友人ふたりも、にこにこしている。
たぶん、休み時間が終わるまで雑談は終わらないだろう。
――そのとき、角谷・シンドウ・杏と目が合う。
――彼女は、申し訳なさそうに手のひらを縦にしていた。
それを見て、金塚は小さくうなずいたあと、
放課後までにギャグ漫画を完成させようと、必死に腕を動かしていた。
□
放課後になって、角谷・シンドウ・杏が席を立とうとした瞬間、
「ちょっといいかな」
金塚に呼び止められて、角谷・シンドウ・杏の動きがぴたりと止まり、視線が金塚の方へ向けられる。
「なに?」
「これ、漫画。完成したやつだよ」
「え、まじ?」
角谷・シンドウ・杏が、驚いたように目を丸くする。
金塚は、えへんと口元を曲げて、
「角谷に読ませたかったからな」
「……ほんとにー」
戸惑っているように見えた角谷・シンドウ・杏が、そっとそっと笑みをにじませていく。
今度こそチャンスは逃さない。
金塚は、すかさずノートを手渡した。
「急いで書いたから線とかは歪んじまってるけど、勘弁な!」
「いいよいいよそんな。えー、どれどれ……」
立ったままの角谷・シンドウ・杏が、手にした自由帳をまじまじと読み始める。
――やべ、緊張してきた。
角谷・シンドウ・杏は、とにかく頭がいい。先生に問題を当てられても必ず答えを言い当てるし、テストだって毎度のように高得点をとる。クラスメートはもちろん、教師からの評判だって良くて、そのたびに「シンドウ」と呼ばれるほどだ。シンドウってなんだろうとつくづく思う。
そんな人に自分の作品が読まれるというのは、とても緊張する。もしかしたらズバズバとした感想を言われてしまうからかも。
これまでは、そんな感覚に陥ったことなどないのに。
思わず、こぶしに力が入る。
自分の顔から笑みが消え去っていることに、いまさら気づく。
角谷・シンドウ・杏の瞳は、右から左へ動いている。それ以外はぴくりとも動かない。
教室に響き渡っているはずの騒がしい声が、すっと消えていた。
「――これ」
「あ、ああ」
そして、角谷・シンドウ・杏が金塚を見て、
「おっっっおもしろっっっ!!!!!」
「――へ?」
間抜けな声が漏れた。
角谷・シンドウ・杏の大きな声に、クラスメートの誰しもが反応した。
「ひ、ひぃぃぃっ! こ、これは、すごいっっって、てんさいかっっっ!?」
これはすごいてんさいか。
つまり、褒められている。
緊張で冷え切っていた金塚の感情に、いつも通りの熱が帯び始めた。
「マジか! ウケたか!」
「ウケたウケた! も、もーだめ腹が……」
相当ウケたのだろう。突っ立っていたはずの角谷・シンドウ・杏が席に腰かけ、腹を抱えながらで体を震わせている。
角谷・シンドウ・杏のことをよく知っているクラスメートたちは、困ったような戸惑っているような、そんな顔をつくりはじめる。
そして金塚は、もちろん満足げな笑みを顔面いっぱいに咲かせた。
「いやー、そこまで笑ってくれる人は生まれて初めてだよ」
「そ、そお? こんなおもしろいのに……」
角谷・シンドウ・杏の声は震えている。
すっかり気をよくした金塚は、そんな彼女を見て一言。
「なんなら、次から読んでみる? 漫画」
「ほ、ほんと? 読ませてくれるの?」
「ったりめーよ。漫画ってのは、そういうもんだぜ」
「っか~、そっか~、じゃあ読ませてくれいっ」
「いいぜー」
それから数分。幾度もなく襲う腹痛に苦しみながらも、角谷・シンドウ・杏は無事に漫画を読み終えた。
椅子の背もたれに身を預けている彼女の表情は、疲れ切っていた。けれども目は、口元は、とても安らかであるように緩んでいたけれど。
「あー……面白かった……こんなに笑えたのは、はじめてかも……」
「え、そうなの? 角谷、いつも楽しそうじゃん」
「え?」
「だって、」
教室を見渡す。
角谷・シンドウ・杏のことを注目していたクラスメートも、今やすっかり姿を消していた。
「友達とか、先生とかと話すときさ、いつも笑ってるじゃない」
「あ、あ~……」
天井を見上げていた角谷・シンドウ・杏の目が、どこか変化したような気がした。
――寂しそうというのか、なんというのか。
「まあ、その。褒められたりすると、嬉しいからね」
「まあなあ」
「でも。心の底からさ、こんなに笑えたのはほんとに初めて」
彼女と目が、
「私のために漫画を描いてくれて、ほんとにありがとう。金塚君」
にこりと笑う杏と、目があった。
――そんな角谷を見てしまった自分は、迷うことなく言う。
「角谷こそ、読んでくれてありがとな! 俺はこれからもギャグ漫画を描き続けるぜ!」
「おお~さすがっ!」
「俺はギャグ漫画家になりてえから、バシバシ感想を言ってくれよな!」
「マジで? エラいねえ~! 才能あるよ、才能!」
「マジか!」
「まじまじ。――しっかしその年で夢を抱くなんて、いいなあ。なんで漫画家になろうとしたの?」
杏からそう聞かれて、金塚はひと息つき、
「俺のオヤジが俺のアイスを間違って食っちゃって、それでガン泣きしちゃったのよ。それに困り果てたオヤジがギャグ漫画を買ってくれて俺ぁ死ぬほど笑っちゃった」
「ほー」
「ギャグ漫画ってすげえ、俺もこんなのを描いてみたい! そう思って、漫画家になろうと思ったわけ」
「おお~漫画家っぽいエピソードだねえ~!」
「え、エピ?」
「エピソード。その人の物語、みたいなもんかな」
「なぁるほど、角谷はむずかしい言葉を知っているな」
「そうでもある~」
角谷が、得意げに笑ってみせた。
なんでも知っているなあと金塚は思い――あ、そうだ。
「なあ角谷」
「ん~?」
「シンドウって、なに?」
「え? シンドウ?」
うん。金塚がうなずき、
「君ってよくシンドウって言われてるじゃん。だから、ずっと気になってて」
角谷が腕を組み、首をちょこんとひねって、
「あ、あ~~~~、わかった、そういうことね」
そして角谷は、赤色のランドセルから国語のノートを取り出し、ぱらぱらとページをめくっていく。その際に文字が見え隠れしていたが、自分よりもはるかにきれいな書き方をしていた。
――開いたページのすみっこに、角谷は見たこともない漢字を軽やかに書き始める。
「これ」
得体のしれない、ふりがなつきの漢字二文字を見て、金塚はそっと指をさし、
「しんどう?」
「そう、しんどー」
角谷からそう言われて、金塚はすかさず、
「意味は?」
「ん~~、よくできる子供とか、頭がいい子供とか、そんなカンジかな」
「あ~~、そういう意味か! たしかに角谷は頭がいいもんなあ、神童だなあ」
「えーやめてよー。そういう君だって神童じゃーん」
「なんで」
これっぽっちも思い当たるふしがない。
けれど角谷は、にやりとしながら、
「こんなに面白い漫画が描けるなんて、それこそ神童のやることだよ」
「おっ、マジ?」
「まじまじ」
「マジかー! やったー!」
「うむうむ。これからも漫画を描いて、私に見せるがよい」
「ははーっ」
金塚は頭を下げる。角谷は楽しげに笑い声を発した。
――うん。
一人目のファンとも会えたし、才能があるとも言われた。しかも神童の意味も知ることができて、今日はいいことだらけだ。ほんとうにそう思う。
「……なあ」
「うん?」
前触れもなく、一つの疑問が頭の中に生えてきた。
下げた頭を上げて、角谷の丸い瞳と目が合う。
「君は、角谷杏って名前でいいんだよな」
「え? そだよー」
「あー、そっか、そうなんだ~。だよなー」
「? どんな名前だと思ってたの?」
金塚は、真面目な顔をして、
「角谷・シンドウ・杏」
角谷が口元を引き締め、真剣な表情をしながらで首をひねり、少しだけ考え込んだ後、
「――――!!!」
指をさされながら、めっちゃ笑われた。
―――
何事もなく中学生になるまで進級して、無事平穏に大洗学園艦に乗ってからは、ほんの少しだけ取り巻く環境が変わった。
まず、男子校へ通うことになった。
大洗学園艦には男子校と女子校が存在していて、男である自分は男子校の方へ編入するように。入学当初こそは若干の緊張を抱えていたが、良くも悪くも野郎同士とは気が合うもので、すぐにでも友人が、そして読者ができた。口に出す話題も良い意味で遠慮がなく、毎日のように笑わせてもらっている。
次に、自分で寝る時間を考えなくてはならなくなった。
油断すると漫画に没頭してしまうから、半ば自分の意思のみで手を止めなければならない。こう思うと、寝なさいと言ってくれた母のありがたみがよくわかる。
そして次に、ネット上に漫画をUPするようになった事。
進級祝いとして父からノートパソコンをプレゼントされ、色々とネット検索していくうちにイラスト投稿サイトを発見したのだ。
ギャグ漫画家志望の金塚は、もちろんこれに食いついた。ひとまずフリーのイラストツールを使って漫画を描き上げていき、緊張しつつも恐れず恥ずかしがずに漫画を投稿し始め――そこそこの反応をいただいた。
角谷の言う通り、自分には才能があるのかも。
そう喜んでいられたのも束の間というやつで、いつの間にやら自分と他の漫画家の評価点を見比べるようになってしまったのだ。
自分には何が足りないのやら。そう苦悩しながら、人気投稿者「ハル」の漫画を読んで笑い転げる日々が続いた。
――続けてはいけないので、
「――てなわけで、角谷の意見が欲しいんだけどさあ」
「そだねえ」
春が終わりかけている温かい放課後。角谷と一緒に下校しながら、金塚はこれまでの悩みを全て話し、意見を求めた。
角谷は顎に手を当て、うんうんと唸る。そうやって少しだけ考えた後、
「君の漫画は面白いんだけどねえ」
「おおっ」
「正直、ワンパになってきたかなーって感じがする。なんていうのかな、絵の勢いだけじゃ限界っていうのか」
「むむ」
正直、それは思った。
前よりも画力そのものは上がっていると思う。構図自体は、正直変化しているかどうかすら怪しい。
「君はほかの漫画、読んでたりする?」
「うん。ハル先生の漫画とか読んでるよ」
「あ~、ランキングでよく見かける人だよね。うん、私もあの人の漫画は好き……くっ!」
角谷の思い出し笑いが浮上しはじめる。そんな角谷を見て、思わず口元がゆるむ。
「っあ~……そだね。君はさ、ハルさんの漫画を見てどう思った?」
「そだなあ。やっぱりストーリーがよかったり、セリフ回しがおもしろかったりする。俺には一生思いつかないネタばっかりだなあ」
「ふふふ、そうでもないさ」
不敵そうに微笑む角谷を前に、金塚の目が丸くなる。
瞬間。角谷の目がぎらりと光った。
「勉強、しようッ」
大きすぎず、けれども確固たる声を真正面から浴びた。
思わず足がすくむ。歩道のど真ん中で、思わず足を止めてしまうほどには。
「お笑い芸人は、どうしてあんなにもネタが出てくるのか。それは新聞を読んだり、色々な本や映画を見て勉強しているからさ」
放課後帰りの女子グループが金塚と角谷をちらりと眺め、何事もなかったかのように通り過ぎていく。
「これは漫画も同じだよ。勉強すればするだけ、ネタや発想力がもりもり鍛えられていく。ハル先生も、同じことをしているはずさ」
「じゃあ、勉強をすればハル先生のように?」
「なれるっ」
角谷から、はっきりと指をさされる。
「勉強もそうだけど、君は一番大切なものを既に持っているからね」
「そ、それは?」
「漫画に対しての情熱さ」
角谷が、白い歯を見せてニヤリ。
「勉強にしろ何にしろ、とにかく情熱ってのは大事。――もちろんあるよね?」
「ある」
即答。
「俺はギャグ漫画家になりたいんだ」
「そう、それが一番大事!」
「おお、そうか!」
「んむ! こうやって相談してくれた時点で、君の情熱は人一倍あるっていってもいい!」
「っしゃ!」
「あとは勉強という武器さえ身に着ければ、君もハル先生に――いやっ、ハル先生すら超えてしまうかもしれないっ」
「なるほどな……よし、わかった。勉強する」
迷ってるヒマなんてなかった。ギャグ漫画家になるためなら、教科書もシャーペンも手にとってやろうじゃないか。
金塚の意思を読んだのか、角谷が朗らかに笑ってくれた。
「さっすが! 君は神童だから、ギャグ漫画家になれるよ。この私が保証しよう!」
「お、神童からのお墨付きもらっちゃいましたねえ」
金塚と角谷が、声を出して笑いあった。
――それから、ふたたび帰路につきはじめる。
「角谷、今日はありがとな。ほんとタメになった」
「いやいや~、君の漫画にはいつも笑わせてもらってるからねえ~。さらにクオリティがアップするなら、ファンとして嬉しいしね」
「そっかー」
胸のつかえがとれたお陰か、金塚の機嫌は最高潮に達していた。淀みがかっていた頭の中も、今となってはすっきりしている。
――隣を歩く、角谷の横顔をちらりと見る。
思えば、角谷からはよく助けてもらった。
先生に問題を当てられた時に、コッソリと答えを教えてくれた事は今でも覚えている。
「夏休みの宿題やってるー? やってないっしょー」と楽しげに家までやってきて、一緒に宿題を済ませてくれた出来事は一生忘れるはずがない。
そして、毎日のように自分の漫画を読んでくれていることが、いつもいつも嬉しかった。
だから、角谷には何か恩返しがしたくてたまらない。
そう、思ったから、
「なあ」
「ん?」
「今までさ、こうやって助けてくれてさ、角谷にはホント感謝してる」
「おぉどうしたんだい突然、照れること言うじゃないか」
角谷の口元が、陽気に曲がる。
金塚は、生真面目さを胸に秘めて、
「角谷」
「んー?」
「何か困ったこととかがあったら、いつでも言ってくれよな。いつでも駆けつけるからさ」
思わず、「いつでも」を二回言ってしまった。
金塚の誓いを耳にしたはずの角谷が、口をほんの少しだけ開けている。
――珍しい顔を、見た。
「確か、生徒会で頑張ってるんだろ? たしか学園艦の管理にも関わってる……んだよな?」
角谷が、こくりと頷いた。
角谷曰く、学園艦における生徒会とはとにかくエラい存在であるようだ。それこそ学園全体における今後の方針を、定められる程度には。
そんな生徒会だからこそ、活動自体はめちゃくちゃ忙しいらしい。半ば24時間営業のようなもので、何かがあれば夜中だろうが駆けつけなくてはいけないようだ。
聞けば聞くだけ、厳しさばかりが伝わってくる。
そしてもちろん、誰しもが生徒会に入れるわけではない。生徒会という組織へ入るためには、生徒会からの推薦が絶対だからだ。
――そして角谷杏は、中学一年生にしてみごと生徒会に抜擢された。角谷は「されちゃった~」と満面の笑みでピースして、金塚は「神童!」と褒め称えたものだ。
「……だからさ」
生徒会の大変さは、角谷を通じてうっすらと理解しているつもりでいる。
「疲れたりしたり、やばくなったりしたら、俺にいつでも言ってくれ。なんとかするように頑張る」
「…………そっかぁ~」
勢いで言えた。
余計なことを口にしたかなと、冷静に思考してしまう。
「まぁ今は悩みとか、そーいうのはないかなっ。生徒会はほどほどに忙しいけど、アレコレ解決したりするのは嫌いじゃないしね」
「おー」
「それにさ、最近は生徒会の中で気の合う友人が二人もできたんだよ。どっちもいい感じに面白くてねー」
「! マジか! それはよかった!」
ほんとうに良い友人なのだろう。角谷からは、天然の笑みがあふれ出ていた。
「周りの人も、親も、私にいい顔をしてくれているし、万々歳だよばんばんざい」
「っかー、エンジョイしてるのか」
やっぱり角谷は、軽快な調子とともに人生を楽しめているようだった。
「――でも」
けれど、角谷は、
「心配してくれて、ほんとありがとねー。君のような友人をもてて、あたしゃ幸せだよー」
俺に、そう言ってくれたんだ。
だから俺も、ぽろっと笑みがこぼれ落ちてしまった。
「……あ」
「! どした?」
何か問題が発生したのか。金塚の手が、思わず握りしめられ、
「そういえば、干し芋を切らしてたんだった」
「よし奢る!」
「でかした!」
好物をお願いされた。
もちろん即答だった。
いつも通りの笑みを互いにほころばせながら、金塚と角谷は横断歩道前のコンビニへ立ち寄っていく。
角谷杏との関係は、これっぽっちも変わっていない。
――
中学生から高校一年に進級するまでの間、金塚は面白い漫画を描くために、とにかく「勉強」をした。
ありとあらゆる漫画を読みふけるのはもちろん、新聞に目を通して見識を広めてみたり、映画も積極的にたしなんでみたのだ。
結果、漫画で使えそうなシチュエーションが嘘みたいに増えた。評価点という数字も、率直に上がっていた。
角谷の助言は、全て正しかった。
それでは次は、本当の「勉強」を頑張ってみよう。
まずは教科書をじっくり読んでみて、金塚はたいそう驚いた。教科書には、知っておくべき倫理がしっかりと書かれていたから。
言って良いこと、危うさ、学ぶべき順序、あらゆる感情について、などなど――これらを知っておけば、漫画のネタとして昇華できるかもしれない。倫理を知っているからこそ、あえて倫理をすっぽ抜いて笑いを誘うことも可能になるわけだし。
教科書に書かれている事をもっと理解してみようと、金塚はさらに勉学へ励んでみた。時には教師の助言を得て、時には角谷の指導を受けて。
そんなふうにしていれば、いつの間にやら「学ぶ姿勢」というものが金塚の身に染み込んでいたものだ。
こうなれたのも、漫画家になるという情熱があったからだろう。
そして何より、角谷が最後まで面倒を見てくれたからこそ、テストではじめて高得点すら取れるようになったのだ。
――いまでも思い出せる。テストを見せ合いっこして、「神童だねえー!」と喜んでくれた角谷の笑顔を。
角谷公認の神童になれたある日のこと。部活動に励もうと廊下を歩いている際に、背後から生徒会の一員に声をかけられたことがあった。
生徒会曰く、「君、生徒会に入ってみないかい」
対して自分は、笑みをつくりながら「すみません。俺は大洗漫画研究会の一員なので」
なんでもないある日のこと。角谷と一緒に帰宅しようと学生鞄を手にした時、友人から声をかけられた時があった。
友人は、「悪ぃ、一緒に期末の対策をしてくれねえか? 何を学んでいいのかよくわからなくて」
対して自分は、苦笑いを作りながら「しょうがねーな、これで最後だぞ」
こんなふうに笑うたびに、お嬢様や教師に微笑みを振りまいていた角谷の姿がフラッシュバックする。
なるほど。角谷はまちがいなく神童だったんだなあ。
ならば自分は、気遣いも遠慮なども要らないただの友人として、今日も明日も生きていこう。
これもまた、自分のやりたいことだから。
――
雪がそっと降りしきる、ある日の放課後のこと。
「日間ランキング三位、おめっと!」
「はっはー、もっと褒めるがよい」
「君は大洗一のギャグ漫画家だーッ!」
「そうだろうそうだろう!」
「そうだともそうだとも!」
まるで自分の事であるかのように、角谷は大いに笑ってくれた。ランキング入りした事実を角谷に伝えられた金塚なんて、今やすっかり浮かれきっている。
帰路についている男子生徒から奇異の目で見られてしまったが、どうか今だけは勘弁願いたい。何もかもが満たされて、笑いが止まらないし止めるつもりもないから。
「いやしかし、しっかし、ほんと成長してくれたねえ……お母さんは嬉しいよ」
「角谷のお陰で俺はここまでビッグになれたよ。勉強万歳だぜ」
「やーホント、面白さのレベルが研ぎ澄まされてるよ。絵で笑わせるだけじゃなく、セリフ回しも抜群になって……くッ!」
思い出し笑いが誘発されてしまったのだろう、角谷が口元を手で覆い始める。
自分で生み出したネタが角谷に通用している事実に、己がニヤニヤが止まらない。
「ッは! ……ほんと、毎日の楽しみになってるよ。ありがとねえ、ホントいいよ君の漫画は」
「そっか、そこまで言ってくれるか」
ほかでもない角谷から、ここまで評価された。自分はいま間違いなく、脂がのっているといってもいい。
うん。
この情熱が生きているうちに、次の目標を口にしてしまおうと思う。
「角谷」
「ん?」
「おれ、次は全国漫研大会に出場するぜ!」
「! おお~!! あれかあ!」
「知っているのか!」
「知ってるよ~、いつか参加するんじゃないかなーって思って調べてた、ぜい!」
「さすが神童!」
ハイタッチ。
全国漫研大会とは、毎年夏に開催される文部省公認の催し物である。
参加資格は、とにかく学生であること。それぞれ中学、高校、大学の部に分かれているので「経験の差」を気にする必要はない――ないのだが、入賞する漫画というものはとにかく作者の年齢を感じさせない。画力、話の展開、セリフ回しのどれもが大人のように見える。
つまるところ、入賞者はみんな「勉強」しているのだ。
だから文部省から認められるような漫画を描けてしまえるし、同じ漫画家志望である自分も「これはすごい」と納得してしまえる。
そんな修羅界に対して、金塚は結構ビビっていた。漫画を描くのが好きだという情熱は確かに抱えてはいる、けれど「結果を出したい」という現実的な恐怖も確かに秘めていたから。
本当の面白い漫画を描けたのなら、いつか全国大会に向けて原稿を送ってみよう。そう思って数年が経って、金塚はようやく踏ん切りがつけた。
イラスト投稿サイトの数字が、自分が持つ面白さを約束してくれたから。角谷杏が、いてくれたから。
「角谷」
「うん?」
「いつもありがとな」
「どぉーいたしましてっ」
「お礼は干し芋でいいか?」
「いいーねえ!」
角谷はさぞ嬉しそうに、にひひと微笑む。
――角谷がいなかったら、今ごろこうして調子に乗ることなんて出来やしなかっただろう。そう思う。
だから、思わず、
「なあ、角谷」
「ん?」
「どうだ、生徒会の調子。いい感じか?」
「あー、ぼちぼちだよ、ぼちぼち。何事もなく無事平穏」
「そっか」
角谷と、目を合わせたまま、
「いつもありがとな、学園艦を守ってくれて」
「これも仕事ですから」
「角谷は偉いなあ」
「えらいだろー」
「えらいっ」
両手を合わせる。角谷が「はっはっは」と高笑いした。
「いやぁ、ほんと平和だよ」
「そうですなあ、目立った事件もない」
「こんな時がずっと続けばいいねえ」
「ほんとですなあ」
自分は漫画を描いて、角谷は生徒会でゆったり活躍する。それは二年になってからも、きっと変わらないのだろう。
事件だとかそんなものは、フィクションの中だけでいいのだ。
「――お」
「む?」
そのとき、角谷の表情から色が消えた。
なんだろうと角谷の視線を追ってみれば、
腕を組みあっている男女が、向こう側からゆっくりとやってきた。
なんてことはない、普通のカップル。
付き合ってまだ間もないのか、ふたりとも顔がずいぶん赤い。
金塚と角谷が前にいたはずなのに、一瞥もせずそのまますれ違っていく。
静寂が、すとんと訪れる。
金塚も角谷は、しばらくは歩道で突っ立ったまま。何をしようかと思って、なんとなく角谷のほうを見て――目が、合った。真顔だった。
「金塚クン」
「はい」
「君は、ああいうのに興味はあるかね」
「一応、あるっちゃある」
「ほう」
「ただ、」
一息ついて、
「縁がない」
「それなー!」
恋が通り過ぎた道端で、男女の無遠慮な大笑いが響き渡った。
そんなことをした後で、金塚は角谷の目を見つつ、
「んでもさぁ、角谷はモテるんじゃないの?」
「ほう! なぜそう思うのかな?」
「え? 角谷ってモテ要素の塊だと思うんだよね。頭いいし、人が集まるし、気遣いできるし」
「えへへ~本当のこと言うなよ~」
角谷が困ったように微笑む、それを見た金塚もからから笑ってやった。
「まー、でもさ」
「んー?」
角谷が、歩き始める。
「ドキがムネムネしないんですよ」
「あー」
金塚も、角谷についていく。
「枯れちゃってますねえ、とほほだよ」
「もう高校一年だもんなあ、しゃあないよなあ」
「ねー」
恋とかは、できたらいいな程度には思う。
角谷の言う通り、このトシで枯れ果ててしまっているのかもしれない。
――ため息。
「……帰るか」
「そだねー」
今日も面白かった。明日も、こんな一日を送れることを願ってやまない。
――
あっという間に高校二年に進級して、学園艦にも夏が降りかかってきた頃。
電気を消した部屋の中で、金塚はベッドの上でひっそり横たわっていた。時には寝返りをうったり、時には羊の数を数えてみたりもしたが、まったくもって眠気がやってこない。
今日は、全国漫研大会の結果発表前夜だ。
だから、緊張のあまり頭が冴えきってしまっている。
時刻はまだ午後八時ごろ。
眠れなくて当然だった。
かといって、散歩したりネットサーフィンをする気にもならない。宿題もとうの昔に済ませてしまったし。
溜め息。
はやく明日を迎えて、大会の結果を知りたい。下手すれば受験よりも胸が高まっているのかも。自分は漫画が好きなんだなあと、改めて思う。
そのとき、机の上から電話が鳴った。
死ぬほど驚いて、嘘みたいに俊敏な動きでベッドから起き上がり、半ば飛び掛かるようにして携帯をのぞき見、
「もしもし?」
『あ、もしもしー? いま、ヒマ?』
電話越しから、角谷の声がのんびりと聞こえてきた。
それを聞けて、何だか気が抜けたような安堵したような。
「ああ、ヒマヒマめっちゃヒマ。話ならいくらでも聞くぞ」
『おー、そっかそっかぁ。んじゃあさあ、』
そして角谷は、とぼけた声のままで、
『どう? 元気してる? 体調とか崩してない?』
最初の数秒だけは、その唐突な質問に首をひねった。
けれどすぐに、角谷の意図を理解した。
「あー、そだなあ、ぜんぜん眠れねーわ」
『お、そうなんだ。やー、そりゃそうだよねえしょうがないよねえ』
部屋の電気を、点ける。
「ほんとな。でもまあやることはやったし、あとは堂々と待つだけさ」
『ね。でも大丈夫大丈夫、神童の私を笑わせられるだけの漫画を描けているんだしさ』
「えー? お前けっこう笑いの沸点低いじゃん」
椅子の上に、そっと腰かける。
『チミー、何か誤解してないかい? 私は笑うことが得意なだけであって、笑えることは意外と少ないんだよー』
「じゃあ、俺の漫画は?」
『後者』
「愛してるぜ角谷」
『やったあー!』
金塚と角谷の口から、考え無しの笑い声が漏れた。
『や~、愛の告白あんがとさんっ。おかげで今日の巡回ははかどりそーです』
「え、そうなん?」
『んむ。生徒会はエラいから、こういうこともするのよ』
「大変だなぁ」
すかさず、不安が生じて、
「いいのか? 俺に電話なんてかけて」
『あ、いいよいいよべつに。今は休憩中だからね~』
「そっかぁ。……なんかすまんな、色々」
『いいっていいって。何事もなく、ヒマだったしさ』
「そっかあ」
背もたれに身を預ける。そのまま、白く照らされた天井を見上げながら、
「よかったよかった。角谷が平和でいてくれて」
――間、
『そっか。そりゃあ、うれしいね』
聴覚がぴくりと震えた。
角谷の声色が、いつもより柔らかかったような。
「角谷」
『うむ』
「何度も言ってるけど、何かあったら俺にすぐ言えよ」
『だいじょぶだいじょぶ、今のとこは本当に何もないからさ』
「ならいいけどねえ」
『そーそ』
生徒会の事情なんて、自分には知りようが無い。何とか足を突っ込もうとしても、足手まといになるのがオチだ。
自分はただの漫画家志望であり、角谷のいち友人に過ぎない。ならば、その範疇を越えない程度に生きるのが一番良いだろう。角谷もそう考えているはず。
『あ、そういえば河嶋が凄いことをやったんだよ』
「河嶋さんが? どしたの」
河嶋桃。角谷の「友人」の一人で、角谷曰く「熱血してる」とのこと。失敗は多いが、何がしかの結果を残す人物であるらしい。
会ったことはないが、角谷の隣に立てている時点で相当な「良い人」なのだろう。それは断言できる。
『学園艦の奥って、けっこうな不良のたまり場だってのは知ってる?』
「おお、聞いた聞いた。オフィシャルページでも、立ち入り禁止とか書かれてるもんなあ
『ねー。でさ、そこにいる不良たちに退学処分がチラつかされたんだよね』
「マジか」
『うん。まあサボってばかりだからさ、生徒会が怒るのもムリはないんだけれど――そこを河嶋がさ、必死になって食い止めたんだよね』
「どうして」
『ほうっておけなかったんだって』
「……すごいな」
『ねー。それでさーー』
金塚と角谷の話は、かれこれ数十分は続いたと思う。
通話を終えた後は、なんだかいい感じに眠くなってしまって、そのままベッドへ横たわり、すぐに意識がぼんやり消えていった。
――
相変わらず友人たちとはバカをやれているし、学びの姿勢を保てているおかげで成績も良い。このごろテストで高得点を採り続けているからか、親からは誕生日プレゼントとして高価なイラストツールまでいただいた。
これ以上の幸せを求めるなんて、贅沢にも程があるのだろう。
――けれど、
『今年の全国漫研大会優勝者は、知波単学園艦に在籍している福田はる先生に決まりました』
午後七時。
パソコンの前で結果発表を目にして、ほんの数秒だけ思考に空白が生じて、やがて大きなため息がこぼれ落ちる。
間――
福田はる、もといハル先生が投稿した漫画を改めて目にしてみて、「やっぱり俺より面白い」と納得させられてしまった。
うなだれる。
うんざりするぐらいのマイナス思考が、泡のように湧いて出てきた。何が足りなかったんだ、ネタがつまらなかったんだろうか、そんなはずはない、けれど結果は三位でしかなかったわけで。
――今日はもう、笑えなさそうだ。
寝よう。
横になれば、すこしは気分も落ち着くだろう。明日は日曜日だから、気分転換に遊びにでも行こうか。
パソコンの電源を切る。
溜め息をつく。
タンスを開けて、寝巻に着替えようとし、
電話が、鳴った。
こんなときに誰だ。
学習机の上に置いてあった携帯を手にとり、画面を確認してみれば、
「もしもし?」
『もしもし、神童だよー』
「ああ、どした。今日はもう寝ようと思うんだけれど」
『あ、そーなの? ……本当に眠い?』
「……ない」
『だよね、まだこんな時間だもんね。んじゃあ今から、外とか出られる?』
「え?」
角谷は、『あのさ』と前置きして、
『よかったら定食屋にでも行かない? もちろん私のおごりでいいからさ』
予想もしなかったことを言われ、「なぜ」と聞こうとして、
「……見たのか、結果」
『うん。いやあ快挙だったね。なんと三位だよ』
「三位だけどな」
『しかも文部省のお墨付きなんだ』
「……でも」
『漫画の投稿数は82本。タダでもらえる順位じゃないよね』
言い負かされてしまった。
『ま、そういうわけだからさ、今日はお祝いってことで、定食屋でパーッとやろうよ。話ならぜーんぶ聞くからさー』
電話越しからでも、たしかに伝わった。
『――ね?』
角谷杏の、穏やかな声が。
――そうだよな。君は、そういう人だもんな。
深呼吸。
「わかった。行こう」
『やった! さすが神童! んじゃ家の前で待っててよ、今向かってるから』
「こら、女の子が一人で夜道を歩くんじゃないよ」
『ここは学園艦ですしー?』
「あのなあ。……まあいい、今から出るから。近くのコンビニなりで待ってなさい」
『あいよー』
電話を切ろうと、
「角谷」
『んー?』
「ありがとう。めちゃくちゃ助かった」
『いえいえ~』
通話を終わらせる。開けかけたタンスを、ゆっくり閉める。
――これ以上の幸せを求めるなんて、贅沢にも程があるな。
寮のドアを開け、夏の夜空の下を駆けていく。
いつの間にか、俺は笑えていた。
□
「初参加なのに三位入賞おめでとう。乾杯っ」
「やめろよ、乾杯」
緑茶入りの湯呑を、相席の角谷とともに軽くぶつけあう。
夜の定食屋にはそれなりの客数が居て、うるさすぎず静かすぎず。このテンションが、いまの金塚には丁度良かった。
熱い緑茶をあえて飲み干し、喉が刺激を覚える。角谷が、いい飲みっぷりだねえとニヤけた。
「はあ。うまいな、お茶」
「うむっ。ここの定食はボリュームよし味もよしの優良店なんだよー」
「ほんとな」
大き目の白い皿を見てみれば、とにかくどうしてもザンギの大群が目につく。ザンギの一つ一つが大きいあまり、皿の八割は占拠しているといっても過言じゃない。
ザンギのすぐ隣にレタスが盛られているが、これも中々のボリュームだ。その上で白米、味噌汁、たくあんがついているのだから、果たして完食できるかどうか――
「じゃ、いただきますっ。……んー、うまいっ」
角谷からのオゴリだ。全て食べきってみせよう。
「俺もいただきます。……うん、このザンギすげえうめえ」
歯でザンギの衣をかみ砕く。柔らかい感触とともにあふれ出た脂が舌に降りかかってきて、さっぱりした味わいと食欲を同時に覚える。
「ねー、おいしいよね~」
「ホントな」
そうして数分間は、ザンギやレタスの味を黙って楽しむ。
時おり角谷の顔を覗ってみたが、ほんとうに幸せそうな顔をして定食を楽しんでいるようだった。そんな角谷を見て、金塚の機嫌も和らいでいく。
「なあ」
「なにー?」
「今日はホント、ありがとな。助かった、マジで」
「なに言ってるの。私はただ、どんちゃん祝いがしたかっただけ。だからお礼とかお返しとかは考えなくてもOK」
「念入りに言うなあ」
「言うよー」
「そんな真面目なタマに見えるぅ?」
「見えるー」
角谷が、味噌汁を口にして、
「真面目だからこそ、結果をありのままに受け入れた。そーでしょ?」
「まーね」
「創作者たるもの、向上心に敏感じゃないとねえ」
「嫉妬心はなるだけ抱きたくない、んだけどなあ」
「いたって健全で、それでいて大切なエネルギー源だよソレは。発散させる方法さえ間違えなければね」
「まーなあ」
「だから、結果に対して悔しいと思うのは正しい。どうしてなんだと嫉妬するのも全然OK。自分が生み出した作品がトップになれなかったんだもん、そりゃそうもなるよ」
「ホントな」
「でも君の作品は、百戦錬磨の審査員の目に留まった。この事実は覚えておきたまえ」
食が進む。
「実際さ」
「うむ」
「二位の、アンツィオ高が書いた漫画は凄かった。セリフ回しは王道なんだけれど、王道だからこそヘンな感じはなくて……あと、画力がとにかく凄かった。1コマ1コマの書き込みが素晴らしかった」
「ねー。web上で読んだのに、空間めいたものを感じたもん。建物のセンスもいい」
アンツィオ高から提出された作品は、アクションに特化したファンタジーバトル漫画だ。とにかく書き込みに妥協がなく、それでいて建築物や小物のデザインセンスがズバ抜けていて、始終「次はどんな絵が待っているんだろう」とワクワクさせられたものだ。
審査員の中には、「これが一番好き」と評している者もいた。納得だ。
「あんな画力が欲しいなあ。でも繊細過ぎると、ギャグ漫画としてはチグハグになるかもだし……」
「あー、わかる」
「そもそも描ける気がしない、ぜったいに原稿を落とす」
「だよねえ……」
「が、構図などは参考にする」
「おお~いいねえ~」
角谷が楽しそうな顔をする。
「で、一位のあれ、ハル先生が書いたやつ」
「あーあれね、あれ」
「あれはねー、とにかく空白の使い方が上手い。失恋の話だからこそ、真っ白さが似合ってる」
「ね。こんな描き方をしてもいいんだなーって驚いた」
「あと、キャラの感情表現が素晴らしいんだよな。『アイツのことを一番好きなのは私だ』と言いつつ、体はぴくりと動いてない」
「あれはね~、もどかしいよね~」
「対してライバルキャラは、とにかく付き合え付き合えデートしろデートしろの一点張り。なんだコイツって思うけど、動いてるんだよなあ」
「エグい対比だよね。いい、うん、いい」
知波単学園から提出された作品は、とある女子高生が愛の告白を口にしようとして、どうしても勇気を出せないまま失恋してしまう恋愛漫画だ。
派手な作風ではなく、刺激的な場面があるわけでもない。結末だって、安易に予想がつく。
なのに、
「なんというかな……すごい共感した。恋愛したことないのに」
「うん、私もピコーンってきた。恋愛なんてしたことないけど」
互いの真顔になって、重くうなずきあう。
「共感に特化した漫画だったよね。刺さる人はホント刺さる」
「な。審査員も恋とかしたことあったんだろうなあ……グサっときたんだろうなあ……」
大会に参加している審査員は、自分すら知っている漫画評論家から大物漫画家、果ては文部省所属の官僚まで。もちろん、全員が大人だ。
だからこそ、この失恋漫画は大人たちのイイトコロに突き刺さったのだろう。曰く「つらい」、曰く「泣きかけました」、曰く「こんな経験あります」――作者は、さぞ困惑したに違いない。
さすがだなあ、と思う。完敗だなあ、と思える。
「……ホント、いい漫画だったよな」
「ね」
「勉強になったよ」
「お、クオリティアップを期待しても?」
「いいぜ」
「っしゃ」
いまの自分は、きっと笑えているのだと思う。
「うんうん、やっぱり金塚はいい漫画家になれるよ」
「だろ?」
「……でもまあ君は真面目だから、もしかしたらマイナス思考に陥ることもある、かもしれない」
「まあ、それは」
「――そういう時はさ」
角谷が、にこりと微笑んで、
「君の漫画を読んで、心の底から笑えているファンがここにいる。それを想っていて欲しいな」
ほんの一瞬。定食屋から、音が消えたと思う。
金塚の中で渦巻いていた淀みは、今度こそ、絶対に消えた。
「角谷」
「ん?」
「ありがとう」
ほんの少しだけの間。
「にっひひー、どういたしまして。……ささ、食べて食べて、箸が止まってるよー」
「おお、すまないすまない」
改めて、箸でザンギを摘み取って、
「角谷」
「んー?」
「さっきさ、お礼とかお返しとかはいらないって言ってくれたけどさ、ごめんやっぱムリ。俺の方こそ、何かしたい」
「やー、だからいいんだよ? だって私たちは友人だもん」
「友人だからだよ」
角谷から目を離さない。そうでもしないと、角谷の意思なんて曲げられないから。
そして角谷は、そんな金塚を目の当たりにして、不意に苦笑いをこぼした。
「そっかぁ」
そして角谷は、観念したような声を漏らす。
「じゃあさ」
「ああ」
「金塚はさ、この大洗学園艦のこと、どう思ってる?」
「え? んー、まあいい場所なんじゃないか。メシも美味いし、温厚な場所だし」
「そっか。じゃ、生徒会長になろっかな」
、
「え、え? なるつもりなん? え?」
角谷は、にこりと頷いた。
「私も、この場所が好きだからね。これからも良い船にしていきたい」
「ああ、そっかぁ」
角谷の言葉に対して、金塚はすぐ納得した。
大洗学園艦は、べつに金持ちが集う学園艦ではない。だから角谷が持つ「政治家の娘」というステータスは幾分かは薄れてくれる。
そもそも学園に設けられたクラスの数が多いから、小学校から付き合っていた学友とは離れ離れになってしまうケースが多い。意図的に疎遠の壁を作ってしまえば、人間関係をリセットしてしまえる環境でもあるわけだ。
九割がた人間関係をリセットした角谷だが、生徒会に入ってからは「素」で振り舞える場面が多くなったらしい。良くも悪くも一人の生徒として扱ってくれるからか、かえって清々しさを覚えられているのだとか。
そして生徒会の中で、角谷は「友人」を作ることが出来た。河嶋桃と小山柚子といい、角谷曰く「楽しい仲間」とのことだ。
そんな話を聞かされたからこそ、角谷が言う「好き」という言葉には納得ができる。共感もする。
「何か、手伝えることは?」
「応援してくれるだけでいいよ。強いて言えば漫画っ、マンガを描いてほしい。それでエネルギーチャージするからさ」
「任された」
得意分野だ。しかも文部省のお墨付き。
金塚の返事を聞いて、角谷はほっとしたような笑みをにじませる。
「金塚」
「うむ」
「私はさ、なるだけ生徒会を頑張るよ。……でもさ、もしかしたら、大失敗するかもしれない」
大失敗。
そこまで強調されて、心の中がどよめく。
角谷の苦笑い。
聞くべきか否か、めちゃくちゃ迷って――自分は、角谷にお礼がしたいんだ。
「どんな、失敗?」
「んー、まあ、学園艦のイメージが損なわれちゃう、とか?」
「なるほど」
確かにそれは、生徒会として一番しでかしてはいけない失敗かもしれない。
その一方で、角谷ならそんなヘマなど犯しはしないだろう、という自信もある。単なる身内びいきじゃないかと、理性がささやいてくるけれども。
「で、さ」
「ああ」
「私がそんなポカをやらかしちゃったら、君は私のこと、どう思う?」
射抜かれていた、真顔の角谷から。
息が止まったと思う。
呼吸。
角谷に嘘とか取り繕いなんて通用するはずがないし、したくもない。
少しだけ考えて、俺は本心だけを口にした。
「絵を描き続けられるのなら、俺は角谷の味方でいる」
角谷が、無表情で応える。
「絵を描くことも角谷のことも、同じくらい大事だ。だから、こう言う」
漫画家として、角谷の友人として、絶対に譲れない本心を口にした。
無償の友情よりも、条件下に基づいた親交である方が、生々しくも信用に足るだろうから。
「……そっか」
そして、角谷は、
「ありがとう、正直に答えてくれて」
いつものように、にこりと笑いかけてくれた。
それを見ることができて、両肩の力がすっと抜けていく。
定食屋の片隅で、嫌な上司について語り合う大人ふたりの愚痴がひっそりと聞こえてきた。
「うん、よかった。君が味方でいてくれるのなら、もうちょっと頑張れそうだよ」
「そいつは何より」
白米を一口噛む。まだ、温かかった。
「角谷」
「うん」
「俺は絵を描くことしかできないねえけどさ。でも困った事とかあったら、いつでも叩き起こしてくれ」
「ありがとー、ついでに干し芋も頼むねー」
「あいよ」
「漫画のボリュームも、すこし増やしてくれると嬉しいかなー、なんて」
「お安い御用だ」
「む、む」
即答されるのが予想外だったのだろう。角谷が、困ったように笑う。
「もー、そこまでしなくていいって。味方でいてくれるだけで、もう十分だから」
「いいんだ」
角谷が、驚いたように目を丸くする。
金塚は、何をためらうこともなく、
「角谷には、いつでも笑っていて欲しいからな」
本心だった。
角谷はいつだって自分の漫画を読んでくれて、そのたびに声を出してまで笑ってくれた。それを見るのが楽しくて嬉しくて、今や欠かせない原動力といっても過言ではない。
漫画を読み終えるたびに、角谷は自分を称賛してくれた。
そんな角谷に対して、自分は恩義を覚えていた。
自分は、漫画を描くことしかできない。だからこそ、角谷には元気いっぱいの笑顔を浮かべて欲しかったのだ。
「そっか」
真顔になっていたはずの角谷が、
「――そっかぁ」
自分に、笑顔をくれた。
「まったく、かっこいいこと言うねえ。役者になれるよ、キミ」
「俺は漫画家だ」
「そっかそっかー」
そしていつの間にやら、定食のすべてを完食した。
腹の中身も、気分も、十分に満たされきっていた。
「いやあ、君に相談してよかったよかった」
「それは何より」
「うし。じゃあそろそろ帰りますか。一緒に」
「ああ。寮まで送ってくよ」
「にひひー了解」
金塚と角谷が、食器の前に手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
今日もまた、良い日を過ごすことが出来た。明日も、こんな日が続いていくことを心から願う。