笑って、杏   作:まなぶおじさん

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後編

 

 あっという間に三年に進級したが、金塚自身の事情は特に変わってはいない。当たり前のように高校生活を楽しんで、帰り道に角谷杏とダベり、ギャグ漫画を描き続けている。

 大人になるまでは、きっとこんな毎日を送り続けるのだろう。

 ――変わったのは、

 

「生徒会長就任、まことにおめでとうございますッ! 角谷様!」

「うむ!」

 

 変わったのは、角谷杏の立場。

 春風が心地よい放課後の道中で、金塚は大袈裟に角谷のことを称え、角谷もキメ顔バッチリでうなずいてみせた。

 通りがかった学友からは、「またやってんなー」という顔をされる。

 

「生徒会長になった理由は、つまり?」

「うむ。この大洗学園艦という居場所を、これからもずっと良いところにしたいがため!」

「さすが神童!」

「そうだろー!」

「お祝いとして、干し芋三日分を用意しましたッ!」

「わーい!」

 

 干し芋が入ったコンビニ袋を角谷へ手渡す、角谷は笑顔いっぱいに喜ぶ。

 

「――とまあ、そんなわけで、」

 

 自分の隣を歩きながら、角谷がピースサインをつくる。

 

「お陰様で大洗女子学園の生徒会長になりました。いやはや、信用してくれたみんなには感謝だよ感謝」

「角谷には人徳があるしな。ここを良い場所にしていきたい、という具体的な想いが届いたんだろ」

「まあねー」

 

 大洗学園艦はとても穏やかな場所だ。本土における地位やしがらみなどは、外様の事情として切り捨ててくれる。

 だから角谷は、こんなふうに笑えている。河嶋桃や小山柚子といった友達も出来た。自分も角谷の友達だからこそ、そんな事実に対して嬉しく思う。

 

「ま、私なりに頑張りますよ、私なりにね」

「そうかー」

 

 そう言う角谷は、なんでもないように微笑んでみせた。

 ――なんでもないはず、ないんだよな。

 学園艦における生徒会とは、それ即ち運営そのものといっても過言ではない。学園艦の航路はもちろん、学園艦における方針や校風も生徒会が決め、不埒を犯した生徒の処理も生徒会が下さなくては「いけない」。

 学園艦とは生徒の自主性を尊重する環境ではあるが、同時に生徒にあるまじき責任をも背負わなければならない、という二面性もある。

 そんな生徒会だからこそ、生徒会に所属できた功績というものは本土でも重要視される。履歴書で「〇〇学園生徒会所属」と書けるものなら、面接官もニッコリと対応してくれるのだとか。

 たしかに、生徒会に入るメリットはあるだろう。

 けれども、めちゃくちゃ大変そうだ。金塚は、心からそう思う。

 

「なあ角谷」

「んー?」

「これから忙しく、なるんだよな」

「あー、あー……」

 

 角谷の視線が、ふと青空に傾いて、

 

「そだねえー、色々(・・)ねー」

 

 角谷はそう言い、道を歩んでいく。

 なんでもないように笑っている角谷

 

「あのさ」

「んー?」

「これからさ、あんまり会えなくなったとしてもさ」

 

 角谷の表情から、色がふっと消えた。

 どきりとした。

 言葉に詰まる前に、金塚は口を動かす。

 

「俺はずっと、角谷の友人だから。俺の漫画のファン一号だと勝手に思ってるから。生徒会でいろいろ疲れたりしたら、俺の漫画でも読んで気を紛らわせてほしい。感想とかは、書ける時だけでいい」

 

 焦るように言葉をつむぎ、なんとか言い切った。

 自分は生徒会事情に詳しくなどない、気休めの励ましなど役にも立たない事は百も承知だ。

 それでも角谷杏の友人として、伝えるべきことはしっかり伝えたかった。離れ離れになろうとも、金塚博は角谷の味方であるという事実を、なんとしてでも口にしたかった。

 

「…………そうかぁ」

 

 金塚の言葉に、角谷はにこりと応えてくれた。

 その反応だけで、金塚は心の底から安堵することができた。

 

「やっぱり君は、いい友達だよ」

「……そうか。そう思ってくれて、マジで感謝」

「私も感謝感激雨あられだよ。いや、なんというか悪いねー、気を遣わせちゃって」

「そんなん遣う関係じゃないだろ。ただ、こう、言いたくなっただけだ。友人として」

「そっかー」

 

 歩き慣れた交差点を渡ろうとして、信号機が点滅し始めた。角谷と金塚の足が止まる。

 

「嬉しいなー」

「え?」

 

 角谷の口元が、ほんのわずかに緩んでいる。

 

「それだけ大切に思ってくれてるんだね、私の事」

「当たり前だろ」

 

 白い車が、音を立てて通り抜ける。

 会話に、間が生じる。

 

「ねーえ」

「ん?」

「どれだけわたしのことさ、大切にさ、思ってくれてるの?」

「え? そりゃあ、」

 

 金塚は、何も迷うことなく、

 

「漫画を描くことと、同じぐらいには」

 

 そう言った。

 そんな返答に対して、角谷は大きく目を丸くしている。

 

 ――角谷の瞳の中に、自分が映りこんでいた。

 ――漫画みたいだ。そう、思った。

 

「……そうなんだ」

「ああ」

「……そーなんだー……」

 

 角谷が、ほっとするように胸をなでおろしていた。

 その反応を見て、金塚も安心する。

 漫画を描いていなければ、自分は角谷と出会えなかった。角谷がいてくれたからこそ、自分は漫画で賞を取ることができた。

 角谷と漫画が無い人生なんて、もう考えられない。生きがいそのものといってもいい。

 角谷の笑顔を守るというのは、漫画を描くのと同じくらいに、己がやりたい事だった。

 

 信号機が、青になる。

 

「よし」

 

 角谷は、白い歯を見せながらにっかりとして、

 

「いい心がけだっ。これからも漫画に私、どちらも大切にしてくれたまえっ」

「いいぜー」

 

 いつも通りにげらげら笑って、いつも通りの横断歩道を渡っていく。

 

「あのさー」

「んー?」

「忙しくなるっていったけど、こうやって下校はできると思うから」

「え、マジ?」

「マジ。感想もバリバリ書いちゃうぞ~」

「えーマジ? いいの?」

「いいのいいの」

「いいのかーそっかー」

 

 いつも通りの調子で、帰路についていく。

 代り映えの無いこんな毎日が、とても愛おしい。

 

―――

 

 春がすこし経って、戦車道という日常が加わった頃。

 

 放課後を告げるチャイムが鳴った瞬間、武部沙織の胸の内から爆発的な緊張感があふれ出そうになる。ついに授業が終わってしまったのかと、大きなため息すら出てきた。

 重く席から立ち上がった時、友人である西住みほから声をかけられた。どこかに遊びに行こうとお誘いを持ち掛けられたが、沙織は心底申し訳なさそうな顔で「ごめん、今日は用事がある。絶対に次は行くから」と告げて、そのまま教室を出て――鞄から一枚の封筒を取り出し、改めて内容を確認する。

 

『武部沙織さんに相談したいことがあります。放課後、時間があったら一人で校舎裏まで来てください。このことは内密に 角谷杏』(ハンコ、食券三枚付き)

 

 ため息。

 朝、下駄箱の中にこんな手紙が入っていた。最初こそラブレターか何かかとおだっていたが、中身を見て思わず意識が強張ったのは記憶に新しい。変化を察したらしいみほからは、ちょっとばかり心配をかけてしまった。

 ――それにしても。

 ハンコはまだわかるとして、特典まで付けてくる意味がとんと理解できない。それほどまで、断られたくない用事を押し付けてくるつもりなのだろうか。

 正直、あまり気乗りはしない。

 生徒会と話し合うこと自体、沙織はあまり趣味ではない。下手なことを言ってマークされたりしたら嫌だし。

 そして何より、角谷杏という女の子にはあまり良い思い出がないのだ。半ば横暴めいた態度で、戦車道をいやがる西住みほに向かってその道を歩めと薦めてきたから。

 そのときの自分は、さぞ生徒会めがけ抗議したものだ。戦車道を嫌がっているのだからやめろ、勝手だ、やんややんや。

 

 ――でもみほは、自分の意思で戦車道を歩み始めたんだよね。えらいよ。

 

 くすりと、口元が緩む。

 よし。

 こぶしを作る。腹を括ることにした。

 自分に対して文句があるなら、なんでも受け入れてやろうじゃないか。友人さえ巻き込まなければ、罵詈雑言どんとこいだ。

 この機に、色々言ってやってやろうじゃないか。

 戦地へ向かう兵隊のような背筋になりながら、沙織は放課後で賑わう廊下を通り抜け、雑談に溢れた玄関の中で靴を履き替え、そのまま校舎裏へと赴いて、

 

「やあ、武部さん」

 

 嘘みたいに静まり返っている校舎裏のひとかどで、角谷杏その人がひっそりと佇んでいた。

 沙織はスキを見せないよう、表情に力を込めながら角谷と対面する。

 

「来てくれたんだね、本当にありがとう」

「いえ。それより、何か用ですか」

 

 気配が寂しい校舎裏を、視線だけで一瞥する。

 仲間は、いないらしい。

 ――そのとき、角谷が気まずそうに苦笑いし始めた。

 

「まあまあ、そんな緊張しないで。リラックス……は、難しいか。西住さん(・・・・)にあんなことをしちゃったもんね」

「……そうですね」

「このままじゃ、真剣な話し合いをするのは難しいよね。相手の事を快く思っていないんじゃ、会話もぞんざいになっちゃうだろうし」

「……まあ」

「いやごめんね。西住さんに対してあんな態度をとったのには、理由があるんだ」

 

 角谷はそう言った、真剣な顔つきで。

 そんな表情を目の当たりにしてしまって、沙織の意識がびくりと震える。

 

「理由は話す。私を許すかどうかは、武部さんに委ねるよ」

「……とりあえず、言ってみてください」

「うん」

 

 角谷から、息を吸う声がそっと聞こえてくる。

 それを見た沙織は、思わず身構えた。

 あの角谷すら、簡単には言えない何かを口にしようとしているのだから。

 

「戦車道、始めたじゃない。いきなり」

「はい」

「それもこれも、戦車道の全国大会で優勝するためなんだ。なんとしてでもね」

 

 角谷の言い回しを耳にして、沙織の勘に熱が生じる。

 

「――できなかったら、まずいんですか」

 

 角谷が、黙ってうなずく。

 

「生徒会が必死になるということは、あれですか。学園艦がらみ、ですか」

「武部さん」

 

 角谷から、食い気味に名前を呼ばれる。

 

「手を口に当てて」

 

 言われるがまま、己が口を手で覆いつくす。念のため強く。

 

「優勝できなかったら、学園艦がなくなっちゃうんだ」

「…………? ……! ~~~~!!!!!」

 

 悲鳴があふれ出そうになったが、手のひらバリアが全てを飲み込んでくれた。

 そして声という声を吐き出したからか、すぐさま呼吸困難に陥りそうになる。手のひらを口元から突き放し、そして何度も何度も空気を口で吸っていった。

 

「いやあ、ごめんね。大丈夫?」

「え、ええ、まあ……」

 

 呼吸を繰り返した疲労感と、衝撃的な告白による精神的負担のせいで、沙織はものの見事にゲッソリしきっていた。

 

「まあ、ええ、事情は把握しました。そうですか、そんなことがあったんですね」

「信じてくれるかい?」

「信じますよ。生徒会がついていいウソじゃないですから」

「だよね」

 

 角谷が、気まずそうに苦笑する。

 

「まあ、あれです。正直、まだフクザツな気持ちではありますが……相談、まじめに乗ります。こんな秘密を暴露されてまで、ただ乗りする気はありませんよ」

「おお、ありがとう。助かるよ」

「私程度が力になれるかどうかは、わかりませんけど」

「いや」

 

 角谷が、きっぱりと首を横に振るう。

 

「こればかりは、武部さんが一番頼りになる」

 

 思う、とは言わないんだな。

 それにしても、こんな機密情報を口にしてまで相談しておきたい事とは一体なんなのだろう。角谷の人生にとっての、大切な何かでも語られてしまうのか。

 けれど、引き下がることはできない。

 角谷は、意を決して自分の信頼を掴み取ろうとしたのだから。

 

「力になれるかどうかはわかりませんが、言ってみてください。念のため、口に手を当てておきましょうか?」

「うん」

「――好きな人が、できたんだ」

 

 なるほど、それは自分にぴったりの案け、

 

「~~~~~~!!!!!!!!」

 

 角谷が、だよねーと言うたげに微笑んだ。沙織は、二度目の呼吸困難に陥り死にかけていた。

 ――仕切り直し。

 

「っはー……ほんとう、なんですか?」

「うん、ホント」

「マジですか?」

「マジ」

「……はあー、会長が……恋……」

 

 あの角谷杏が、恋という個人的な感情を抱くだなんて意外も意外だった。

 角谷杏とは大洗学園艦における名物生徒の一人で、その顔は常ににっこり、言い回しはふんわり、判断力はばっちりしていて、おいそれと手出しできるような人物ではなかったと聞く。

 ただ噂によると、一人の男子生徒とゲラゲラ笑いあいながら帰宅することが多かったとかなんとか。周囲は「へー」で済ませていたが、沙織は「へえ」と覚えていた。理由はもちろん、異性がらみだったから。

 ――もしかすると、その男子生徒に恋をしたのだろうか。

 

「まあ、」

 

 角谷が、曇り気味に微笑む。腰に手を当て始める。

 

「私は恋なんてしたことがないから、まるでどうしていいか分からなくてさ。だから、恋に詳しい武部さんを呼び出したわけ」

「そうですか。まあ、そういうことでしたら、ぜひとも協力はしたいところですが」

 

 沙織は恋に恋している。だからこそ、他人の恋愛となれば応援もしたくなるものだ。

 が、

 

「本当に私でいいんですか? お付き合いはおろか、好かれたこともありませんよ」

「まだ機会に恵まれていないだけ。私なんて高校三年なって初めて恋したよ」

「会長の知識力と判断力があれば、一人で解決できそうですけど」

「第三者の意見を含めた方が、不安のない答えを導き出せるもんだよ」

「ほかに信頼できる人はいなかったんですか? 生徒会とか」

「良くも悪くも生徒会のつながりは強固だからね。バレちゃう可能性もある」

「私はおしゃべりですよ」

「そして義理堅い」

「まさかぁ」

「冷血生徒会から、西住さんを守り通したのに?」

 

 沙織は、観念したように両肩をすくませ、

 

「さすが、生徒会長ですね」

「でしょー」

 

 喧騒から切り離された校舎裏で、沙織と角谷はくすりと笑いあった。

 

「わかりました。この武部沙織、なんとかして協力してみせましょう」

「おおーいいねえー助かるよ」

「……して、好きな人というのは、どんな人ですか?」

「夢に対して、情熱的な人」

 

 即答だった。

 そうか。そう言えるほど仲が良いんだな。

 

「夢とは?」

「漫画家になること。賞を取ったことがあるぐらい上手いよ」

「それはいいですね。では、ほかには」

「普通に明るくて、普通にいい人」

「お~いいじゃないですか」

 

 そして角谷は、少しうつむいて、

 

「……漫画と同じくらい、私を大切に思ってくれる人」

 

 沙織のなにもかもが、ほんの一瞬だけ停滞した。

 角谷の顔が、ほんのりと赤く染まっていたから。

 

「――そうですか、なるほど」

 

 沙織は、そっと口元を曲げて、

 

「好きなんですね、ほんとうにその人が」

「……まね」

「だからこそ、どうやったら結ばれるのか。それが不安だと」

「そーそ、まいっちゃうよねー」

「いえ。恋とは、そういうものですから」

「おお、やさしい」

 

 沙織は顎に手を当て、これまでに覚えておいた恋愛知識を大急ぎで総動員し始める。

 視線は地面から校舎の壁、そして微妙に笑ったままの角谷に移ったりして実に忙しない。

 それでも角谷は、そんな沙織に対して口など挟まなかった。

 

「――会長」

「何かな?」

「告白は……する勇気がないんですね?」

「うん。彼は私のこと、友達だって思っているからね……」

 

 聡い角谷がそう言うのだ。その読みは、おそらく当たってしまっているのだろう。

 考える。

 角谷に対しての想いを、あともうちょっとだけ膨らませる方法はといえば、といえば、

 

「会長」

「はい」

「デートです、デートしましょう」

「デート? あー……二人きりで下校することは多かったけれど」

「お気に入りの私服を決めて、二人して気ままに街中を歩いたこととかは?」

 

 角谷は、たははと声を出して、

 

「ないねー」

「決定です。デートをして、あなたの魅力を見せつけましょう」

「えーあるかな~?」

「ありますよ」

「あるかな?」

 

 不安そうに、けれども期待するように微笑みながら、角谷は己が頬をぺちぺち叩いている。

 そんな角谷を見て、沙織は自然と笑みがこぼれ落ちる。

 

「いまの会長、すごく可愛いです」

 

 角谷の目が、大きく見開かれた。

 そんな角谷を見て、沙織の胸の内が躍る。

 ――少し経ったあと、角谷は歯を見せ、にひひと笑いだし、

 

「そっかあ、私も捨てたもんじゃないね」

「そうです、捨てたものではないです」

「そっかあ……じゃあ、してみるかな」

「それがいいです」

「だよねえ。んじゃあいつにするかな……そだな……」

 

 角谷が両腕を組み、真顔で何かを思案し始める。

 生徒会長としての顔が露わになっている今、ただの生徒である沙織が口を出す事なんてできない。いつまでも待つつもりだ。

 

「――よし」

「決まりましたか?」

 

 角谷が「うむ」と頷き、

 

「戦車道全国大会で、いいところまでいったらデートする、絶対にね」

「おお」

「正直、今は戦車の練習とかで学ぶことが多くて。これじゃあ安心してデートなんて楽しめなさそうだし」

「わかります。恋をするのに、メンタルは重要ですからね」

「そうそう」

 

 そして角谷は、胸に手を置いて、

 

「正直、武部さんと話ができてよかったって思ってる。廃艦のことも、恋のことも話せて、すっきりした」

「そうですか。それは、よかった」

「私にとっては、廃艦撤回も恋することも、同じくらい大切なことだって思ってる。だから武部さんには、是非とも話しておきたかったんだ」

「ですね。どちらも、人生における一大事ですからね」

「……やっぱり武部さんは、義理堅いなあ。モテるよ絶対」

「そうですかぁ?」

 

 角谷は、捉えどころのない笑みをつくって、

 

「この生徒会長が、保証するよ」

 

 そのあと、武部と角谷はメールアドレスと電話番号を交換しあい、近くのスイーツ店で甘いものを食べあった。

 

――

 

 ――私さ、戦車道始めたんだよねー

 ――なして

 ――良妻賢母になるためー

 ――んー? 角谷はもう十分に良妻賢母なんじゃないの?

 ――え……まあ、私的にはまだまだって感じましたので! んじゃ、応援よろしこー

 

 最初にそれを聞いた時は、実に意外なことをするなあと金塚は思ったものだ。戦車道なんて言葉自体は、薄々知ってはいたけれど。

 

 それからしばらくして、日曜日にて他校との練習試合が行われた。場所は久々の本土、親は元気かなあと思いながらで会場に向かい――

 角谷杏が乗る戦車、38t戦車は早くも目立った活躍を見せびらかせていた。金色塗料のせいで、見逃しようもなかったけれど。

 角谷は未体験者であるはずなのに、他校――聖グロリアーナ女学園の戦車めがけ上手いこと弾を当て、そして上手いこと弾を撃たせなかった。素人目から見て、位置取りが上手かったのだ。

 観客は「あの金スゲー」「まだ終わらせない気か」「角谷会長らしいわね」とどよめいていて、自分も「さすが神童」と笑ってしまった。角谷は何をやらせても、何やかんやで順応してしまえる力がある。

 ――最終的に試合には負けてしまったものの、角谷は二両も撃破してみせた。

 角谷は初心者で、かたや聖グロは強豪。敵味方含め、一両も撃破できなかった戦車が多かったことから、この戦果はゴールデンといっても差支えない。金色塗料にふさわしい結果だとは思うが、やっぱりめちゃくちゃ目立ちすぎだと金塚はつくづく思う。

 まあ、それはともかく、

 

『お疲れ、すごくゴールデンな活躍だったな。お前ほんと未体験なのか? まあいいや、これからも頑張ってくれ。俺も漫画書くからさ』

 

 そんなメールを送って、本土でイラスト教本を買い、学園艦に戻ってはすぐに漫画を描き始める。今年の漫研大会で一位を取るために、何より自分の為に――

 携帯が震えた。

 

『見てくれたんだー! いやーどんなもんだいすごいだろう? 私はなんてったって神童だからね、ふふん。

ところで漫画まだー? 更新したらすぐ見るよー』

 

 笑い声がこぼれた。よし、頑張っている生徒会長のためにページを増量しようじゃないか。

 

――

 

 春が過ぎ、そろそろ暑くなってきた6月頃。放課後の晴れ空に照らされながら、金塚と角谷は今日も二人で帰路につく。

 今日の話題はといえば、もちろん戦車道だ。

 

「そろそろ三回戦目が始まるな」

「そだねー」

「やー、しかしお前ってばホント、何をやらせてもゴイスだよなぁ。ホント未体験なのぉ?」

 

 角谷が「まねー」とけらけら笑う。

 

「一回戦目も二回戦目も大活躍してさぁ、ホントお前はホント」

「運が良かっただけだよー」

「嘘こけ。視界が狭いだとか、弾を当てるのが難しいとか、サイトに書いてあったぞ」

「おっ、調べてくれたのかー」

「角谷のお陰でな」

「さすが漫画家、アンテナを広げるスピードが早い」

「まあ、戦車漫画は描かなさそうだけどな」

 

 角谷が「だよねー」と微笑む。それを見て、安堵するように息をついた。

 

「この調子だったら、三回戦目もいけそうだな。相手はプラウダ高校、中々の強豪らしいけど……どうかね?」

「ん~~~、どうかな、ぼちぼちいけるんじゃないかな」

 

 あの角谷が、言葉を若干濁すとは。

 けれど、無理もない。少し調べた感じ、プラウダ高校は高校戦車道の中でも一位にを争う強豪であるらしいから。

 だから金塚は、あえておどけるように肩をすくませ、

 

「万が一負けても、お前は良妻賢母だよ。それは言える」

「そぉ? いやでもさー、ここで負けたらさ、生徒会としてのイメージが崩れちゃうかもしれないんだよねー」

「え、そうなの? なんで」

「やー、ほら、生徒会ってとにかくエラいでしょ? だからその分だけ、失敗しちゃったら失望されるかもしれないし」

「へえ……そういうものなのかな」

 

 生徒会長である角谷がそう言うのだ。きっと、そういう事情もあるのだろう。初めて知ったけれど。

 

「あのさ」

「うん? なに、」

 

 角谷の顔を見た瞬間、金塚の思考がほんの一瞬だけ硬直した。

 まるで困っているかのように、眉をひそめながらで笑っていたから。

 

「もしさ、私が負けてもさ」

「ああ」

「君だけはどうか、私に失望とかしないで欲しいなー、なんて」

「え? いや、俺は絵さえ描ければ別にいいし」

 

 そうやって即答してみせたあとで、唐突にフラッシュバックめいた感覚を覚える。

 

 角谷とは長らくバカをやって、時には弱みすら口にしあってきた。自分の人生に賑やかさめいたものを感じるのは、ひとえに角谷の存在が大きいと思う。

 角谷はいつだって自分の近くに居てくれたし、自分も角谷のそばに立っていたい。そんな何でもない日常が失われたら、それはもう寂しい気持ちがあふれ出てしまうはずだ。

 角谷杏という女の子は、金塚の人生における重要な住人といっても過言ではなかった。

 その気持ちを何としてでも口にしたくて、金塚は言葉を続ける。

 

「――いやでも、漫画が描けなくなっても、角谷を責めたりはできないかなあ」

「え?」

 

 この返答には驚いたのか、角谷の目が嘘みたいに見開かれた。

 そんな反応に内心驚きながらも、金塚は嘘をつかないように、慎重に言葉を紡いでいく。

 

「角谷とはさ、もう長い付き合いになるじゃん。ホント色々あったよなあ、時には助けられたりして。いやホント」

「まあ、ね」

 

 そして金塚は、あまり考えることもなく、

 

「そんな角谷のことを責めるなんて、そんなの絶対ヤダよ。だから他の誰がなんと言おうとも、俺は角谷の友人でありたい」

 

 言った。

 言い終えてみて、漫画みたいな事を口走ったな、と思った。

 けれども後悔なんてしていない。これが、いつの間にか抱いていた本音なのだから。

 ――そして、角谷の両足がぴたりと止まった。

 無表情の角谷と目が合ったまま、数秒か、それとも数分かの時が流れたと思う。

 

 そのとき、手と手を繋いだ男女が、金塚と角谷のことを後ろから追い抜いていく。

 はたしてそれがきっかけだったのか――角谷は、はっきりと笑った。

 

「金塚」

「あ、ああ」

「ありがとう。私、頑張るよ」

「……そうか」

 

 角谷と金塚が、ふたたび前を歩み始めた。

 ――思う。

 もしかしたら角谷は、試合の前だからか緊張してしまっていたのかもしれない。生徒会長という立場上、必要以上の重荷を感じ取ってしまったのかも。

 真面目だな、と思う。

 油断できないんだろうな、と察する。

 こんな風に弱味を話せる相手なんて、いったい何人ほどいるのだろう。生徒会にボロを出すわけにもいかないだろうから、友人限定か、或いは自分だけ――そんな事にはなって欲しくないと、金塚は切に願う。

 

「ああ、でもさ」

「うん?」

「漫画を描くことは、一番大事に思って欲しい。そんな金塚のことが、私は好きだからね」

「おお、そう? じゃあ角谷も漫画も、同じくらい大事にするよ」

 

 好きと言われて、金塚はたまらずにやけてしまう。それを見ている角谷も、同じように笑ってくれていた。

 

「にしても、嬉しいなあ」

「え、何が?」

「角谷から、好きって言われたのがさ」

「え、ほんと?」

「当たり前だろ」

 

 金塚は、少しも迷うことなく、

 

「友人からそう言われちゃあ、おだっちゃうよ」

「……あー、そうかい? だよねー、そうだよねー」

 

 そう言う角谷は、なんだか苦笑いめいたものを浮かばせていたような、そんな気がした。

 

「あ、あれ? 何かまずいこと、言ったかな?」

「いやいやいや、とんでもない。いやー試合前だからかな? 不安に思ってるんだねえー」

「ああ、そういうこと? 大変だなあ……」

 

 それも仕方がないか、と思う。

 大会の重みというやつは、会話の一つや二つで解消されるはずがないのだから。

 

「あ、もう家の前か」

 

 気づけば、角谷が住まうアパートの前にまで着いていた。ここは女子寮であるから、男である自分が出入り口を踏み越えることはできない。

 早いな、と思う。

 二人で話し合っている間に、いつもの交差点すら渡ってしまっていたらしい。

 

「じゃ、今日のところはこれにて。また会おうねー」

「ああ、またな」

 

 そのとき、角谷が軽やかに小走りし始め、女子寮への出入り口を一歩踏み越え、ふとこちらに振り向いて、

 

「また一緒に帰ろ、博」

 

 それだけを言って、角谷は女子寮の中へ姿を消していった。

 ――今、角谷はなんて言った。

 未だ明るい晴天の下で、博って誰だっけと、金塚博はそう思考し始めようとして、

 

「……まあ、いいや」

 

 名前で呼ばれたことに、若干の疑問は生じた。

 けれども角谷とは友人なのだから、別に問題はない。むしろ名前で呼ばれる方が、良い意味で気安さが出てくれると思う。

 そういうことならばと、金塚は携帯を引っ張り出し、

 

 送信時間15:25 送信者:金塚 宛先:角谷

『これからもよろしくな、杏』

 

 打ち終え、女子寮の前から退散しようとし、

 携帯が鳴った。

 

 送信時間15:25 送信者:角谷 受信先:金塚

『お、杏って呼んでくれるのかい? いいねぇー。じゃ、また会おうねー博ー』

 

 早い、流石は生徒会長。書類仕事だのでタイピング速度が鍛えられているのだろうか。

 んなわけないか。くだらなく笑いながら、金塚は女子寮の前から去っていく。

 

――

 

 それから数日が経ち、プラウダとの試合が始まった。

 会場は雪原地帯、それも吹雪いているせいで会場はすこぶる寒い。こんな天候だからか、昼間だというのにずいぶんと暗かった。

 それでも金塚は、人気が寂しい観客席から一歩たりとも腰を上げない。正直くそ冷えているが、そんなことで友人の活躍を見逃してたまるものか。

 戦場は、たぶんここよりも冷えているのだろう。

 がんばれ、杏。

 

 そして数分後。慣れない環境のせいか大洗は大苦戦、今やプラウダの戦車群に包囲されてしまっていた。

 あわや十字砲火か――なんとプラウダの隊長は、降参までの猶予を与えてやると言い出してきた。最初こそ首をかしげてしまったが、敵隊長は恐らく、降参という言い訳の利かない敗因をつくってやることで、身も心も折ってやろうと考えているのだろう。えげつなし。

 思い通りに事が運ぶのか、それとも過ちに繋がってしまうのか。まだわからない。

 

 そして一方。そこかしこにカメラなりドローンなりが浮かんでいるのか、特設モニターは廃墟の中に避難している大洗の面々を余さず映し出している。身も心も冷え切っているのか、みんな寒そうに縮こまっていた。

 

『よし、なにか作戦を考えようっ。なあに、相手は降参するまで待ってくれているし、付け入るスキは必ずあるって!』

 

 ――杏以外は。

 そこで、チームリーダーである西住みほが杏に歩み寄って、

 

『もう、十分だと思います。みんな頑張ったじゃないですか』

『いや~もうちょっと頑張ってみようよ。あと少しで優勝なんだしさぁ、ね?』

『でも……』

『ここで諦めず、何かやってみようよ。一緒にすごい作戦でも考えてさ、ね?』

『この戦力差、包囲されたという事実はみなさんの士気を挫いてしまっています。勝てるかどうかは……』

 

 そのとき、西住の隣に居た女の子――武部沙織か――が、西住の肩に手をのせて、

 

『何かできることはある? 私も頑張るから』

『え? できること、できること……』

『私、これでも根性はあるから。ね? 優勝目指してえいえいおーしよ! ねっ?』

『武部さんまで、そんな』

 

 大洗のメンバー全員が、明るく振る舞う沙織に視線をやる。その表情は、すべて暗い。

 

『ほらほら、みんなもがんばろ! ほら、お菓子でも食べてさっ』

『いったいどうしたの武部さん。やけにこう、前向きというか……』

『え? それはもうここで勝てれば、モテるに違いないと思ってて』

 

 周囲から『えー?』と非難され、

 

『何ができるの? 何をしても撃たれちゃうだけだよ』

『ここで勝ててもモテるとは限らないんじゃないかなあ……』

『正直もう限界、寒い。いいんじゃないかなあここまでいけたんだし』

『だよね、そうだよね』

 

 メンバーが口々に抗議する。

 

『ま、ま、最後の一両までどかーんとやってみるのもいいんじゃないかな? 良い思い出になると思うよ? 勝てるかもしれないし?』

『えー?』

『君たちもかっこいい乙女になって、モテたくない? 私はなりたーい!』

『! 私もなりたい! この前、彼氏に振られちゃったし!』

『ん~~、そうかも……』

 

 沙織はあの手この手で激励し続ける。笑顔をつくりながら。

 そんな沙織を前にして、隊員の半数が重く腰を上げる。けれど西住は、「経験者」である西住みほの顔色は、未だ曇ったまま。

 そう簡単に逆転できれば苦労しない、西住はそう言いたいのだろう。

 

『みぽりんはどう? 勝ってモテたくない? いい乙女になりたくない?』

『う、う~ん、どうだろう……』

『友達もたくさんできるかもしれないし!』

『それはもう満足しているというか……』

『じゃあせめて、思い出作りとか! やられても別に死んだりしないのが戦車道なんだし、最後までどかんとやってみようよ!』

 

 けれども沙織は、そんな西住に対してポジティブな言葉を口にし続ける。

 この人はどこまでも前向きなのか、あるいはモテたいから根性を引き出せているのか。漫画みたいな人だと、ふと思う。

 

『――西住さん』

 

 そのとき、杏がはっきりとした声を発した。

 それは廃墟全体に反響して、メンバーたちの視線を杏へ釘付けにしてみせる。

 

私はね(・・・)、この試合に必ず勝たなくちゃいけない事情があるんだ』

『え?』

 

 どういうこと。メンバー全員が、真顔になった。

 杏の両脇にいる河嶋桃と小山柚子は、どこか気まずそうにうつむく。杏はメンバー全員を見据えたまま、すうっとひと呼吸おいて、

 

『この大会で優勝できなかったら、大洗学園艦は、私たちの船は廃艦になってしまうんだ』

 

 生真面目な声で、何らごまかしのない言葉で、杏は言い切った。

 なんて言ったのだろう、最初はそう思った。

 

 ――私はさ、なるだけ生徒会を頑張るよ。……でもさ、もしかしたら、大失敗するかもしれない

 

 自動的に、これまでの言動が思い起こされていく。

 

『本当、ほんとうなんですか? 会長』

『うん。この戦車道を始めたのも、すべては廃艦になるのを阻止するためなんだ』

『そう、だったんですか。それで、私を』

『あの時は無理を言ってごめんね。でも、どうしても、私はこの学園艦を守りたかった。私が好きなこの場所を、ばらばらにされたくなかったんだよ』

 

 ――この大洗学園艦という居場所を、これからもずっと良いところにしたいがため!

 金塚は、角谷生徒会長のすべてを察する。

 杏は、ずっと前からとても苦しんでいたんだ。

 

『でも、どうしてこの学園艦が廃艦に?』

『それはね、この艦に実績がなかったからなんだ。ほら、大洗学園艦って何らかの強豪っていうイメージとかがないでしょ?』

 

 メンバーも、そして金塚もうなずく。

 

『そんなぱっとしない学園艦なんて、海に浮かばせておいても運営費の無駄になるだけ。だから文部省は、大洗学園艦を廃艦にしようとしている』

 

 河嶋と小山が、気まずそうに沈黙し続ける。杏の話を前にして、メンバーたちの視線も定まらない。

 

『少子化問題で、入学する生徒も年々減ってってる。だから、文部省も決して横暴ってわけじゃないんだよねーー納得はできないけど』

 

 戦車に囲まれた廃墟の中で、杏は感情を読ませない無表情を貫き続けている。

 

『だから』

 

 そのとき、杏が一歩前に踏み出た。暗闇の中で足音が鳴って、メンバー全員の背筋がまっすぐに立つ。

 

『私は最後まで戦う、一人になってでも戦う。私は、あの平穏な大洗学園艦が好きだから。だから戦う』

 

 そして杏は、あまりにも純然たる意見を口にしてみせた。

 ――金塚は、角谷生徒会長のすべてを察する。

 杏は、ずっと前からとても苦しんでいたんだ。

 それでも杏は、自分の前ではずっと笑い続けてくれたんだ。

 自分が全国漫研大会で三位をとってしまった時でも、杏はただただ応援し続けてくれていたんだ。 

 

『西住ちゃん、ここまで付き合ってくれてありがとう。無茶言ってごめんね』

 

 そして杏は、沙織の方を見て、

 

『武部さん、みんなを励ましてくれて本当にありがとう。おかげで、私の心もあったまったよ』

 

 杏が、ふっと微笑む。

 

『私ったら、武部さんの勢いに便乗して、いきなり廃艦だとかなんとか言っちゃったよ。いやあ驚いちゃったでしょ? ごめんね』

『え――いえ、その』

『……ね?』

 

 杏がくすりと微笑む。沙織は小さく、「はい」と返事した。

 

『そろそろやっこさんも退屈し始めた頃かな。じゃ、私たちはそろそろ戦車に戻るよ。――元気でね』

 

 杏が一同に背を向け、そして優勝を掴み取ろうと戦車へ堂々歩んでいく。

 その一方、ほかのメンバーは全く動けずにいた。

 無理もない。こんな凍えきった戦場の中で、プラウダ高校という強豪に包囲されてしまっていては。ましてや、負ければ廃艦というプレッシャーがのしかかってしまえば。

 自分だって、怯むことしか出来ないと思う。

 

『――はー……』

 

 そのとき、長い長い吐息が、モニター越しからよく聞こえてきた。

 杏すら振り向いた先には、一切笑ってなどいない沙織の姿が。

 そして沙織は、廃墟の出口までずんずん進んでいく。西住から止められたが、沙織は黙ったままで廃墟から出て、カメラが沙織の真上を捉えはじめ、

 

『――まだッ! 学園艦で出会いを果たしてないのよ私はぁッ!!!』

 

 大洗の面々はもちろん、プラウダ高校の隊員たちが盛大に驚愕する。焚火を囲みコサックダンスに興じていた生徒は、コケた。

 

『学園艦がなくなったらッ! モテるものもモテなくなるでしょッ! だからあんた達には絶対か――――ッつ!!』

 

 音を吸い込む吹雪ですら、沙織の雄たけびはかき消せない。強豪プラウダ高校の女子生徒達は、ただの自己主張を前にしておどろきすくみあがっている。敵隊長に至っては、目と口を丸くしたままで固まってしまっていた。

 

『ッ! そうですッ! 私はまだッ! 大洗学園艦のおいしいものを味わっていません! まだッ! まだッ!』

 

 髪の長い隊員が出口まで突っ走り、沙織と同じく魂の叫びを口にする。敵隊長は、数センチほどジャンプした。

 

『私も、私もッ! ここで新しい彼氏を見つけるまでは、死んでも死にきれないよ―――――ッ!!!』

『大洗のレース場は最高だッ! 失ってたまるかッ! 勝ちたい人がいるんだぁ――――――ッ!!!』

『風紀委員としてやらないといけないことがあるってのにッ! あるんだから―――――――ッ!!!』

 

 遠慮も無い叫びに否応なく火がついてしまったのだろう。廃墟の中に佇んでいたはずのメンバーたちが、プラウダめがけ次から次へと本音を吠える。一方敵隊長は、涙目になっていた。

 

『……私は必ず勝ちます! ここに来て、大切な人たちと会えたんだからッ! 降参なんかしませんッ!!!』

 

 西住みほも、やっと本音を叫んでくれた。

 ――そうか。西住さんも、杏と同じような境遇だったんだな。

 

『……あーおほんっ』

 

 そしてついに、杏がプラウダ戦車群の前に立った。

 大洗学園艦の最高責任者を前にして、プラウダ一同が注目し始める。

 

『私は生徒会長として! 何としてでも勝つッ! 最後に笑うのは、このっ! 私だッ!』

 

 そして杏は、己が顔めがけ親指を向けた。いつもの不敵な笑みを満面にしながら。

 敵隊長が激高する、杏たちが廃墟の中へ一目散に退避していく。この寒がりの中で、一部の観客たちも沸き上がり始めた。

 それからしばらくして、戦闘が再開される。相変わらず状況は最悪だが、杏が、西住が、そして他のメンバーは必死に役目を果たそうとしている。雪上生活にも慣れてきたのか、心なしか動きも良くなってきている気がした。

 砲火がまばゆいモニターの前で、金塚は、自分がやるべきことを必死に思案し始める。杏の友人としてやらなければいけないこと、自分だからこそ行える最善――

 思考している最中、杏がまたしてもプラウダの戦車を撃破した。それも一撃で。

 恐らく、的確に弱手を突いたからだろう。かれこれ三両も敵戦車をオシャカにしている。それは簡単な事ではないと、素人目からみてもよくわかる。

 

 改めて実感する。杏は、ほんとうの神童なのだと――

 訂正する。角谷杏は、生徒会長としての義務を本気で全うしようとしている。

 

『大洗女子学園、プラウダ高校のフラッグ車を撃破! 勝者、大洗女子学園ッ!』

 

 少しの間。そして、一部の観客が大声で歓喜する。ある観客は、がっくりと背筋を曲げる。

 そして金塚は、杏がもたらした結果めがけ盛大な拍手を送ったあとで、そのまま迷うことなく大洗学園艦へ歩んでいく。

 

 □

 

 送信時間18:30 送信者:博 宛先:杏

『今日はお疲れ様、いい試合だった。なんだか色々と大変なことになってるみたいだけど、俺は絶対に杏の味方でいるからな。もしツラい時は俺の漫画でも読んで笑ってやってくれ。返信は任意でOK』

 

 寮に帰ってすぐさまメールを送信し、携帯を机の上に置いては、流れるように椅子へと腰かけ背筋をうんと伸ばす。会場とは違って、大洗学園艦はずいぶんと温かい。

 部屋を白く照らす照明を、ぼんやりと眺める。

 ネット上では廃艦に関してああだこうだと騒ぎ立てているというのに、現実世界はずいぶんと静かだ。この学園艦は穏やかな空気であるから、じっくりと現状を受け入れてしまっているのかも。

 しばらくは杏のことだけを考えながら、椅子の背もたれに身を預けはじめた。

 

 ――数分ほど経ったあと、金塚は何の脈絡もなくノートパソコンの電源を入れて、イラストツールを稼働させる。

 もちろん、今日のギャグ漫画を執筆するためだ。

 

 最初は、シリアスな戦車道漫画を描こうとした。

 戦車道全国大会で優勝できなければ学園艦が廃艦になってしまうということで、主人公である生徒会長があの手この手でメンバーをかき集め、努力という努力を重ねて経験を積んでいく。それは決して楽な人生でなかったけれど、生徒会長はいつだって不敵な笑みだけは忘れなかった。

 そうして仲間たちと友情を育んでいって、試合を勝ち進んでいき、遂には戦車道最強高校に勝って歴代生徒会長として名を残してハッピーエンド――というプロットは考えてはいた。元ネタなんてモロバレな、いわゆる応援漫画というやつ。

 

 けれど、このプロットは間もなく没となった。まず戦車道に関しての知識が皆無であるし、そもそも戦車を描けるような画力も持ち合わせていない。そんなボロボロの腕で戦車道を描くだなんて、戦車道に対して失礼にもほどがある。

 ――そもそも漫画とは、ウソは歓迎されるが間違いは見逃してくれない世界なのだ。

 だから自分は、相も変わらずギャグ漫画を描くことにした。

 少しでも杏の気分をほぐすために。己がやりたいことを成すために。

 

 そして数分後。きわめてシリアスな状況だからか、発想も手も嘘みたいに回ってくれた。この調子なら、ページも増やせることだろう。

 ――携帯が震えた。筆を止め、画面を覗き見る。

 

 受信時間19:00 送信者:杏 宛先:博

『ほんとうにありがとう、そう言ってくれるだけで十分だよ。

君と出会えて本当によかった、やっぱり私は君のことが好き』

 

 その文面を読んで、金塚は胸いっぱいの安心感を覚えることができた。

 だから金塚は、勢いあまってこう返信する。

 

 送信時間19:05 送信者:博 宛先:杏

『俺も、杏のことが好きだ。これからもズッ友でいようぜ』

 

 23時頃。3ページほど増量してご満悦に浸りながら、金塚は明日を迎えるために布団へ潜った。

 

――

 

 試合後の翌朝。教室へ足を踏み入れると同時に、友人の一人がゆっくりと沙織へ歩み寄ってきた。

 深刻そうな友人の顔を見てみれば、要件なんてすぐわかる。それでも沙織は、なんとか笑顔を崩さない。

 

「おはよう、友子」

「オハヨー。ねね、廃艦ってマジモンの話なの? ヤバヤバじゃない?」

「んー、まあホントみたいだねえ」

「どお? 決勝戦はいけそう?」

「黒森峰でしょ? なんか強豪らしいけど……ま、いけるんじゃないかな? ここまでやってこれたんだしさ」

 

 根拠なんてない。むしろ戦車に関する知識を仕入れれば仕入れるほど、黒森峰との戦力差に頭を痛めてしまうほどだ。

 戦車なんてみんな同じ、あの頃に戻りたい。

 けれどここで負けたりしたら、大洗学園艦は文字通りバラバラ決定だ。そうなったら友人とも離れ離れになってしまうだろうし、将来もどうなるか分かったものではない。みほも、いったいどこへ行ってしまうものか。

 

「そっかー……ま、さおりんが言うなら信じるよ。決勝戦なんて余裕のよっちゃんだってコト」

「……そうそうっ、この私を信じなさい!」

「信じるぞーさおりん! あと、タンカかっこよかったぞー!」

「あんがとー!」

 

 ハイタッチ。

 

「うし。んじゃ、ちょっとカレシと電話かけてくるねーばいちゃー」

「ばいびー」

 

 そうして、友子(学力五位、彼氏持ち)は教室の外へとバイナラしていった。

 いいなあ。

 そう思いながら、沙織は席に腰かける。

 ――教室じゅうから、ひそひそ話が聞こえてくる。ある二人組は廃艦の真意について疑っていて、仲良し四人組は学歴について不安げに語り合い、窓際の読書家はぼんやりと外を眺めている。

 みんな、明日をも知れぬ現状を怖がってしまっているのだろう。

 かくいう自分だって、通信手としての要領の良さに艦の命運がかかっているかと思うと、緊張で胸が張り裂けそうになる。

 大きなため息をつく。

 ふと、四人組が沙織をちらりと見つめてきた。

 そんな四人組に対して、沙織は微笑み返すことしかできない。

 

 そのとき、携帯が震えた。

 

 こんな時になんだろうと、緩慢な動きでポケットから携帯を取り出す。

 はいはいなんですかと画面に火をつけてみれば、

 ぼんやり気味だった意識が、一瞬にして鋭くなる。角谷杏からの送信メールを、素早い指さばきで開封した。

 

 送信時間8:50 送信者:角谷会長 宛先:武部

『今日の放課後、校舎裏で秘密の相談をしたい。来れたら来てね~』

 

 送信時間8:50 送信者:武部 宛先:角谷会長

『りょ! 必ず行きます!』

 

 送信時間8:52 送信者:角谷会長 宛先:武部

『速いッッッ! さすが武部さん! んじゃ待ってるよー』

 

 □

 

 放課後。廃艦にまつわるひそひそ話を耳にしながら階段を下り、明るく元気よく放課後の予定を組み始めるグループとすれ違いながら、沙織は下駄箱から靴を引っ張り出しては半ば速足で校舎裏に足を進ませていく。一応、見つからないように周囲を警戒しながら。

 そして話し声すら聞こえてこない校舎裏へと着いてみれば、そこにはにこやかな顔をした角谷杏が立っていた。

 何かいい事でもあったのかなと、沙織は笑顔をつくりながらで角谷に近づいていく。

 

「こんにちは、会長」

「こんちはー、沙織さん。元気してた?」

「なんとかしてました。会長は?」

「こっちもなんとか。ただ、空気がねえ……」

「ああ、やっぱり会長の方でも……」

 

 角谷が、校舎めがけ顔を見上げはじめる。

 

「みんな、どんよりとしてたよ。これはよくないよねえ」

「はい。通学路でいつも会うおじさんも、落ち込んでいましたし……」

「うん。やっぱり勝たないとね、決勝」

「ですね」

 

 これだけの会話だったが、決意は固まった。沙織も角谷も、湿った空気というものは好きではない。

 

「さ、て。本題なんだけどさー」

「はい」

 

 胸あたりがぎゅうっと緊張し始める。

 

「あのねーそのねー……」

「はい」

「えっとー……」

 

 そして角谷は、白い歯を見せながらで気恥ずかしそうに微笑み、垂らしている髪を指先で摘みながら、

 

「……好きって、言われちゃいました」

「( ゚∀゚)!」

「――友達としてね」

「( ´Д`)」

 

 心から落胆する。手で顔を覆う。

 

「やー、このままじゃズッ友で終わっちゃうねー」

「……そうですね。して、会長としては?」

「不本意だねぇー」

「デートして、あなたのかわいらしさを見せつけるしかありませんね」

「恥ずかしいねぇー」

「ほかに方法あります?」

「思いつきませんねぇー」

 

 角谷は、観念したように苦笑する。

 ほんとう、その「漫画家の卵」のことが好きなんだろうな。そうでなければ、あの角谷生徒会長がこんな風に怯えたりするものか。

 

「じゃあ、まずはデートコースを定めておきましょう。なるだけ、漫画家さんの趣味にあった場所がいいかと」

「んー、まずは本屋でしょー。あとは映画館、コメディ映画が好きだから調べておこ」

「即答ですか。さすがですねえー」

「まねーえへへー」

 

 可愛いなこの人。

 

「映画を見終えた後は、休憩なり何なりと理由をつけて芝生公園に行きましょう」

「芝生公園? ああ、あそこね。なんで?」

「イイ雰囲気になれる場所なので」

 

 沙織がにやりと言う。何かを感づいたらしい角谷が、興味ありげに「へぇ~」とつぶやいた。

 

「あとはまあ、一緒に喫茶店なんかも定番ですね。そこでお昼を共にするんです」

「おお~お昼かぁ……お昼……芝生……お昼……」

 

 ふと、角谷の視線が上の空に移る。

 

「――決めた」

「え、何を?」

「いや、なんでもないよー。まあ、デートコースはこんな感じかな? あとはアドリブで」

「そうですね」

 

 そして沙織は、特に何の躊躇もなく、

 

「あとは可愛い私服でアタックしましょう」

「ほぉー……え?」

「私服ですよ、私服。あ、髪形を変えるのもポイント高いですよ?」

「なんで?」

「あなただけに見せる姿、というのは得てして心に残るものなんです」

 

 沙織は力強く、笑いもせずに断言してみせた。

 対して角谷は、納得したようにうなずく。

 

「お時間があれば、コーデしますよ」

「マジ?」

「マジです」

「じゃあ、今すぐ行こっかッ!」

「せっ、生徒会長としてのお仕事は?」

「ふふー。沙織さんとはじっくりお話がしたいからね、余裕がある時にしか校舎裏に呼ばないよ」

 

 それを聞いて、武部は思わず笑いだしてしまった。

 それほど恋に対して不安で、そんなにも漫画家のことが好きなんだなあ。

 これは、恋する乙女として応援しないと。

 

「わかりました。では不肖武部沙織、お供しましょう!」

 

 かくして武部と角谷は、そのまま街中へ溶け込んでいく。

 勇ましき戦車道履修者としてではなく、ただの恋する乙女として。

 

――

 

 二十時頃。金塚はペンタブとにらめっこしながら、今日も今日とて漫画を描いていた。

 アイデアは相変わらず湧いてくるし、モチベーションも平時より高まっている。たぶん、決勝戦という締め切りが存在してしまっているからかもしれない。

 自分のギャグ漫画を読んでくれる読者には、それはもう感謝しかない。けれども一番に楽しんで欲しいのは、やっぱり角谷杏だ。

 筆を動かしながら、思う。

 今頃杏は、学園艦のことで身も心もいっぱいになっているのだろうか。自分としては少しでも休んで欲しいと心から願っているが、杏含む生徒会が働かなければ学園艦もままならないのだろう。特に、こんな状況では。

 杏が学園艦の為に戦おうとしているのならば、自分はどこまでも肯定しよう。

 そんな杏のことを、少しでもギャグ漫画で和らげられるのであれば、これほど嬉しいことはない。

 3ページ目は描き終えた、4ページ目。背筋をうんと伸ばして体をほぐし、大きくひと呼吸する。時計の針の音しか聞こえてこない部屋の中はとても静かで、好きだ。

 

 机の上にある携帯が震えた。

 

 心底びっくりして、体ごと少し震えてしまう。最初こそメールか何かだと思ったが、携帯は未だ振動を繰り返している。電話か何かか。

 手にとってみれば、画面には「着信:角谷杏」の文字が。

 迷うことなく、応答ボタンを押し、

 

「はい」

『おっすー、いま大丈夫?』

 

 杏の元気そうな声。それを聞けて、金塚の口元が自然と緩んだ。

 

「おお、平気だ。漫画もいいとこまで進んだしな」

『おお~! 更新、期待してもいいのかな?』

「もちろん。今日は6ページまで描けるぜ。たぶん」

『そっかー、さすがだねえ。でも寝不足はダメだからね~?』

「わってるわってる。睡眠は重要だって漫画家も言ってた」

 

 椅子の背もたれに寄りかかり、なんとなく顔を見上げる。白く発光し続ける蛍光灯が、まばゆい。

 

『うむ、エラいエラい。生徒会長として、その姿勢を褒めてつかわす』

「ははーっ、ありがたきしあわせ。――して、今日の要件は?」

『えっと、今週の土曜ってヒマ?』

 

 んー、

 

「ヒマかなあ。漫画描いてると思う」

『そっか。んじゃあさ……んとねー、そうねー』

 

 金塚の意識が、半ば反射的に強張る。

 杏が言葉をためらった。ということは、何か重要な案件でも口にしようとしているのか。

 何を言われても口外しないようにしないと。話を聞いてもいないのに、金塚は真っ先にそう思う。

 

『あのさあ』

「ああ」

『えっと、んとさー』

「ああ」

 

『あのさ、よかったら私と二人で出かけない? デートってやつ』

 

 へえ、デート。

 杏とは長い付き合いになるが、思えばデートの類はしてこなかった気がす、

 

「え、マジ?」

『うん。デートコースとか決めてあるから、ヒマにはならないと思うよ』

「わかった、行こう」

『そ、即答だねえ』

「当たり前だろ。杏の気分転換になるなら、俺は喜んで付き合う。面白そうだしなぁ」

『……へえ~~~』

 

 まるで感心したような声色。杏からそれを聞けて、なんだか機嫌が上向きになる。

 

『博ぃ』

「なにかね」

『いい男になったね~君も~』

「そうだろ~?」

『うむっ! じゃあ土曜、朝の九時にて公園前で集合! OK?』

「おっけー」

『んむ。じゃ、そろそろ切るねー』

「あいよー」

『漫画、がんばってねー。必ず読むからね』

「ありがとう。じゃ、またな」

 

 切る。

 携帯をそっと机の上に置いて、長く長く息を吐く。

 ――そうか。元気そうで、なにより。

 姿勢を整え、改めてペンを握りしめる。自分のために、読者に向けて、そして杏が笑えるようにと、ふたたび漫画を描き始めた。

 

――

 

 土曜の朝八時半。快眠し終え、晴天に恵まれながら、金塚は紳士らしくひとまずお先に公園まで出歩き、

 

「やほー」

 

 待ち合わせ場所には、既に杏の姿があった。早いなーと思いながら、金塚は杏のところにまで歩み寄り、

 

「よお、早かったなあ。待たせてわる、い」

 

 そして、杏を前にして、意識に鈍りが生じた。

 胸元に咲く赤いリボンが目立つ白いトップスに、腰まで伸びる紅色のスカート、白いオーバーニーソックス。うそみたいに流れている長い髪。白い手さげ鞄。

 上品だ、考え無しに思った。

 政治家の娘だったっけ。いま思い出した。

 

「およ、どしたの?」

 

 自分の言葉で、杏を喜ばせたい。そんな衝動に激しく絡み取られる。

 だっていまの杏は、「かわいらしかった」から。

 そうやってうだうだしていると、杏がにひひと微笑み、

 

「もしかして私の私服姿に見とれちゃったのかな~?」

「…………うん」

「お、おお~! そうかぁ。まあ私は可愛いからしょうがないねえ」

「……うん」

「へへ、世辞でも嬉しいぞ~」

「そ、そんなことないっ」

 

 自分の言葉に対し、杏がびくりとした。

 いまの杏に誤魔化しなんてしたくなくて、つい言葉を荒げてしまう。

 

「す、すまん、驚かせて。でもホント、可愛い、服のセンスいいな……」

「でしょー? いやーセンスいいよねー」

 

 フィギュアスケートのように、杏が片足だけでくるりと一回転する。

 おどけているつもりの動作が、軽やかに舞うスカートと長い髪のせいで、一種のファッション行為と化してしまっていた。

 

「あ、杏」

「なにー?」

「今日のところは、よろしくお願いします……」

「あ、こちらこそー」

 

 互いに礼。

 

「じゃ、デート開始だね。まずは映画館、映画館に行こうっ」

「お、おお、映画か、いいな。何を見るんだ?」

「これー」

 

 杏が携帯を取り出し、金塚に画面を突き出す。そこには、いま話題となっているラブコメディ映画、「メインヒロイン=アリナ」の公式サイトが表示されていた。

 

「お、いいじゃん。評価もいいみたいだし、コメディだし、面白そうだ」

「でしょー」

「さすが杏、俺の好みをよくご存じで」

「でしょー」

 

 杏が、にひひひと笑う。もちろん金塚も、同じように微笑んでみせた。

 

「じゃ、いこー」

「おっけー」

 

 いつものテンションに戻って、杏と共に大洗の街中へと足を進ませていく。

 そして街中の雰囲気はといえば、これまで通りとあまり変わらないと思う。廃艦騒ぎから数日が経ったからか、これといった騒ぎは見受けられない。

 笑いあう私服姿の学生グループ、のんびりと道路を走っていく白い車、これまで通りに営業している数々の店。

 ほんとう、これまで通りと変わらない。

 あくまで大洗学園艦は、のんびりと生き抜こうとしているのだろう。

 そして、そんな世界を守ろうと生徒会は今日も頑張ってくれているはずだ。

 隣を見る。

 映画が楽しみなのか、杏はずっと明るいままだ。こうして見てみると、ずいぶんと身長に差がついてしまったんだな、と思う。

 背は、小さい。

 けれども大いなる盾として、今日この日まで大洗学園艦の命を繋いでくれた。

 沢山の苦労を買って出たのだろう、時にはふて寝もしてしまいたくなった事もあるはずだ。けれども杏は、弱みなど見せずにずうっと笑ってきたのだと思う。

 ――なんとかしたかった。

 

「杏」

「んー?」

「映画、楽しみだな」

「だねぇ~」

 

 友人として、今日という日を杏と共に楽しもう。自分にとって、それが一番やりたいことだったから。

 ――それから数分後。金塚と杏は映画館の中に入り込み、話題のラブコメディ映画を見てみた。

 

 □

 

 見た。

 引っ越してお隣さんの女の子と知り合って、高校でたまたま同じ教室になって、バカをやって好きな音楽を語り合って後にその子がイジメられていることを知って、いじめっ子に対してギャグチックにうっちゃりして、その日から顔を赤くして気まずくなって、なんとなくハグして、勢いでデートして、気恥ずかしそうにイヤホンを分け合いながらお勧めの音楽を共有して、震えながらキスしあって、公衆の面前で告白しあって、最後にどこか海に行っておしまい。

 ベタなラブコメディ映画だった。

 けれど、女の子と見るにはあまりにえぐすぎる内容だった。

 金塚も杏も無言のままでシアターから出て、映画館のロビーに突っ立つ。そして感情にほだされるがまま杏のことをちらりと見、

 目が合った。

 たまらず目を逸らす――が、視線の逃げ場には腕を組んでいる学生カップルの姿が。

 もういちど、杏のことを見る。まるで当たり前のように、視線が一致した。

 心の底から思う。

 いまの杏を目にするたびに、頭の中が熱っぽくなる。どこかの奥底から、独占欲めいたものすらじわりと芽生えてきた。

 自分は色んな漫画を読んできたつもりだから、この症状の正体なんてすぐに判明できた。

 恋だ。

 しかして、本当にそうなんだろうか。杏とはズッ友だと思っているし、今までそんなふうに見た経験なんてなかったのに。

 ――今までは、だ。

 ――これから先のことなんて、わからない。

 

「ねーね」

「! あ、ああ」

 

 杏から声をかけられて、心の底からびっくりした。

 

「どーだった? 映画。私的にはー、うん、良かったと思うよ、とても」

 

 口は軽く、顔は赤い。

 影響を受けているのが丸わかりだった。

 きっと、自分も同じような顔色をしてしまっているのだろう。

 けれども杏になら見られても、むしろ確認して欲しかったとすら思う。なぜかはわからない。

 

「あ、あー……うん、いいんじゃないかな。さすが杏、いい映画を知ってるんだな」

「だろー」

 

 ざーとらしく杏のことを褒める。

 そんな意図を知ってか知らずか、杏はにひひと微笑んだ。

 

「どうかね、漫画の参考にはなりそう?」

「あ、ああ、なると思う。そういえば恋愛モノは描いたことがなかったな……」

「そーいえばそうだね、なんで?」

「んー、なんかこう関心が湧かなかったからかな。恋というやつに縁がなかったし」

 

 その縁とやらは、ぼんやりと形が整いつつある。

 

「そっかー。まあ、思いついたら描いてみなよ、読んでみるから」

「あいよ。……ああ、そうだ、いつも感想書いてくれてありがとな。忙しいのに」

「わははありがたく思うがよいっ。――なんて、博の漫画はいつも楽しみにしてるんだよ。こんな状況だからこそ、笑えるものがとってもありがたいんだ」

 

 杏の顔が、にこりと明るくなる。

 それを見ることができて、金塚は安堵と達成感を抱いていた。

 

『間もなく、メインヒロイン=アリナを上映します』

 

 あ。

 気づけば数分も立ち話をしていたのか。

 

「んじゃ、そろそろ外に出よっか。次は本屋に行こうと思っているんだけれど、どうかね?」

「いいね」

 

 即答。

 金塚が乗り気なのを察したのか、杏は嬉しそうにうなずいて、

 

「じゃ、いこっか」

 

 瞬間、心臓が飛び跳ねた。

 何が起こったのか、一瞬だけわからなかった。

 とつぜん手のひらから生じた熱の原因を確認しようと、金塚はおそるおそる、ゆっくりと確認して、

 

「……いいでしょ?」

 

 杏が、自分の手をぎゅっと握っていた。

 

「……いいよ」

 

 俺は、もちろん即答した。

 

 □

 

 廃艦の危機が迫ろうとも、大洗学園艦の本屋「大洗書店」は今日ものんびりと営業中だ。

 本棚と本棚のスペースが若干狭いが、客入りは程々だからそれほど気にもならない。暖色に照らされた店内は、安らぎめいた雰囲気すら感じられるものだ。

 そして何より、おじいちゃん店長の人柄が良い。入店する機会が多かったせいか、二年ほど前から「この漫画、笑えるらしいよ」とオススメしてくれる仲にまでなれた。

 そういった経歴もあって、本を買う際は必ずここに立ち寄る事にしている。店長には長生きして欲しい。

 

 ――金塚が本を物色し、杏はそれを眺めている。それが楽しいのか、機嫌が良さそうな顔をして。

 

「さぁて、何買おうかな……読みたいのが多すぎる」

「おーいいねえ。それで、やっぱり漫画に活かすの?」

「おーよ」

「ホントぶれないね」

「まあね」

 

 杏も、本棚をじろじろ見渡し始める。

 

「何か、欲しいのとかあるか?」

「ん? んー……戦車道にまつわる本かなぁ」

「……なるほど」

 

 いまでも、杏は学園艦の為に戦っているのだろう。それは生徒会長の鑑そのもので、そして決して見過ごしてはならない一面でもあった。

 本棚を見上げる杏を一瞥したあと、金塚は色とりどりの本を眺め――古典の恋愛小説を、手にとってみせた。

 

「お、それは恋愛モノかい? タイトルは知ってる」

「ああ。はじめて読むジャンルだけど、まあ、ほら、映画の影響で」

「だよねー」

 

 杏が嬉しそうに言う。

 そして金塚は、杏へ視線を向けることができなかった。杏の前で、恋愛に対して興味を示すことがなんだか恥ずかしかったから。

 

「んー、あ、これがいいな」

 

 そして杏が、すこし背伸びをして分厚い本を引っこ抜く。

 緑一色の表紙に、生真面目な筆文字で描かれた「戦車道指南書」。いかにも堅実で高そうなにおいがする。

 

「えーと……お、いい値段するねえーさすがだねえー」

 

 やっぱり、そうか。

 杏の言葉を耳にした途端、金塚はろくに考えもせず、

 

「俺が買うよ」

「え? いやいや、今日は誕生日でもなんでもないよー?」

「そういうんじゃない」

 

 杏に対して、「渡して」と手でジェスチャーする。

 

「俺なりの、応援だよ」

 

 友人として、杏の力になりたいとはずっと思っていた。

 けれど今は、杏という女の子をどうしても助けたかった。カッコつけたかったのだ。

 しばらく真顔になっていた杏だったが、少しずつすこしずつ顔を明るくしていって、

 

「……そっかあ」

 

 安堵したような声色を、口にしてくれた。

 

「こりゃ負けられないねえ」

「まあ、そうだろうなあ」

 

 杏が、金塚に本を預ける。

 重い。どれほどのページ数があるのだろう。読むことはもちろん、学ぶことも難しそうだ。

 けれど杏は、生徒会としての活動を全うしつつ、指南書に目を通すつもりでいるのだろう。

 そんな杏のことを、放っておけるはずがなかった。

 気休めでもいいから、杏の心を支えたかった。

 

「杏」

「うん?」

「前にも言ったけどさ。俺は廃艦になっても、別に杏のことをとやかく言わない」

「博」

「廃艦になっても、漫画が描けなくなっても、俺はお前を嫌ったりしない。好きなままでいる」

 

 杏は、金塚のことだけをじいっと見つめている。

 

「でも、ここが杏の居場所なのも知ってる。だから俺は杏のことを応援するし、そのためなら本の一冊や二冊ぐらい買うよ」

 

 杏と目を合わせ、こうして話をするなんて、いったい何度目だろう。

 けれど今は、こうして会話をするだけで体が熱くなっていく。外に聞こえそうなくらい、心臓が激しく脈を打つ。

 自分は、この人に恋心を抱き始めたのだろうか。

 私服姿を披露され、次に恋愛映画を見て、さらには手を繋がれたから、恋に落ちたと錯覚してしまっているだけなのかも。

 ――どっちにしろ、杏に伝えたいことは揺るがない。

 

「俺に出来る事があれば、なんでもするよ。杏には、笑って欲しいからさ」

「……そっか」

 

 金塚は、黙って頷く。

 

「ね、博」

「ん?」

 

 そして、杏は穏やかそうに目を輝かせながら、

 

「やっぱり私、君と出会えてほんとうによかったよ」

 

 ――本のお代を払う際、店長から特別サービスとして二割もまけてくれた。実にイイ顔をされながらで。

 

――

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去るというもので、時刻はお昼を差していた。

 杏に奢る前提で定食屋なりスイーツ店なりを探していたところ、杏から「ねえ」と声をかけられ、

 

「あそこあそこ、休憩所に行こうよ」

 

 杏が指さした先には、人気が目立つ――カップルが多いような――芝生公園と、その沿いにひっそりと佇む丸型のテーブルと椅子が。

 休憩するにはもってこいの場所だが、腹はどう満たすのだろう。そんな疑問を抱えたまま、杏に手を引っ張られ、そのまま椅子に腰かけ、杏が鞄を開けて、

 

「じゃん!」

 

 テーブルの上に、赤色の包みが施された小箱が二つ置かれた。

 瞬間、判断力が過剰に冴えわたる。

 この展開は、少年漫画で何度か見た「アレ」では。

 

「こ、これ、もしかして?」

「そー、そのもしかして」

 

 まるで宝石でも触るかのような手つきで、包みを慎重に開いていく。そんな金塚のことを、杏は楽しそうに眺めていた。

 そうして現れたのは、もちろん、

 

「弁当……」

「うん、弁当。ささ、ありがたく食べるがよいっ」

 

 杏の方を見る。当の杏はやっぱりへらへらと笑っていて――見逃さない。頬が赤い。

 

「これ、いいのか? ほんとに食っても」

「いいっていいって」

 

 ふたを開けてみれば、きちんとに整えられた白米と卵焼きが最初に目について、次に色とりどりの紙カップに入れられたミニトマトとミートボール、ブロッコリーにスパゲティといった豊富なメニューが金塚の視線を釘付けにする。

 うまそうだから、という理由もある。

 けれど、それ以上に気になったのが、

 

「杏って、こんなに料理上手かったのか?」

「んまあねー、一応得意っちゃ得意~」

「……知らなかった」

「まーお披露目する機会もなかったしね。それよりほら、食べてよ」

 

 うなずく。

 金塚は神にでも拝むかのように手を合わせ、慎重そうな調子で「いただきます」と告げる。杏からは「遠慮しなくていいのにー」とコメントされてしまった。

 そうは言っても。

 ケースから箸を取り出し、

 

「箸も用意してくれたんだな。たすかる」

「そういうところに気づけるんだねえ、君は」

 

 当然の感想を述べただけだ。けれども杏からそう言われて、どこか高揚めいた感情を覚えてしまう。

 落とさないよう、箸で白米を掴み取る。そのまま口の中へ運んでみて――次は卵焼き、お次はいきなりミートボール、更にはスパゲティを食べて、味わうたびに無言でうなずきまくる。

 

「うまい、マジでうまい」

「それはよかったー。いや、博の口に合って何よりだよ」

「いやホント、これは美味い。すげえよ杏」

「いやーそれほどでもー」

 

 杏がてへへと笑ったあとで、杏もまた弁当を口にし始める。

 そして涼しげな夏風とともに、言葉のない時間が訪れた。

 芝生公園では、カップルらしい二人組がその場に座り込み、肩を寄せ合っている。もう少し離れた場所では、音楽を流しながらで軽やかに踊りあっている少年少女の姿があった。

 カップルだらけだなあ。

 ほかのテーブルでは、スイーツ店で買ったらしいクレープを分け合っている男女が。また別の席では、ぼうっと日光浴を堪能している男と女が居た。

 カップルだらけじゃないか。

 どうなっているんだ、と思った。これが青春なんだろうなあと、思い直した。

 自分だって、同じ穴のなんとかだったから。

 

「ねーえ」

 

 声をかけられ、箸がびくりと震えた。

 

「君はさ、恋とかそういうの、やっぱり興味ない?」

 

 視線が、弁当から杏に切り替わる。

 杏はまるで楽しそうに口元を緩めていて、やっぱり顔を赤くしながらで自分のことを見つめていた。

 その瞳には、金塚の無表情が映り込んでいる。

 

「……そう、だな」

 

 いまの杏に、嘘やごまかしなんてしたくはない。

 

「ある、あるよ。すごくある」

「そっかあ」

 

 そして杏は、はっきりと笑顔になって、

 

「じゃあさ、君はさ、どんな人だったら好きになれると思う?」

 

 それについては、まだ、よくわからなかった。

 でも、俺は杏のことを見つめていた。目を逸らしてはいけない、とすら思った。

 俺は、杏のことを本当に好きになったんだろうか。やっぱり、デートの空気に舞い上がっているだけなのかも。

 こんなうだつの上がらない自分に対して、杏は、やっぱり嬉しそうな顔をしている。

 

「ああ、ごめんね。せかしちゃって」

「……いや、いい、いいんだ」

「そっかあ」

 

 金塚は、ミニトマトを口にする。すっぱかったが、ぼんやりとした意識が引き締まった気がする。

 そして杏は、そっと胸に手を当て、両肩まで呼吸しはじめ、じっと弁当を見つめ、聞こえるほどの一息をついて、

 

「わたしさ、博のこと、好きだよ」

 

 聞き逃さなかった。

 どういう意味、そう聞こうとした。

 

「ほんとね、博のことが好き、大好きだよ。これからもずっと寄り添っていてほしい、そばで応援させてほしい」

 

 真正面から、はっきりと告白された。

 誤解なんて、一切たりとも抱かなかった。

 自分は、杏に愛されるほどの何かを成していただろうか――やっていたのだろう。少し考えてみれば、心当たりなんていくらでも思いついていた。

 

「返事は、いくらでも待つからね」

 

 杏は大切な友人だ。だから杏のことを支えたかったし、励ましになるよう漫画だって描いた。いつもの帰路につきながら、生徒会ならではの苦労話を聞くのも好きだった。

 すべては、永遠の友情を築きたかったから。

 けれど杏は、そんな自分に恋すら抱いてくれていたんだ。

 どうして、こんなふうになれたんだろう。

 ――カップルだらけの芝生公園が、目に入る。

 納得した。

 杏はもう、恋を感じ取れてしまう高校生だから。

 

「……杏」

「うん?」

「ありがとう。大切なことを、口にしてくれて」

「でしょー、恥ずかしかったんだぞー」

「だから、だから返事はすこし待っていてほしい。俺が本当に杏のことを好きなのかどうか、考えてさせて欲しい」

「うん」

 

 曖昧な返事を耳にしながらも、杏は機嫌よくうなずき返して、

 

「そういうまじめなところ、ほんと好きだよ」

 

 やっぱりこの人は、生徒会長に相応しい人だ。

 そう思いながら、金塚は杏が作ってくれたミートボールをしっかり噛みしめる。杏は、そんな金塚のことを嬉しそうな顔で眺めていた。

 

 □

 

 弁当を食べ終えたあと、杏とは色々な場所で遊び回っていった。

 本当に色々だ。ゲーセンで争いあって敗北を味わったり、カラオケでコブシを利かせたり、戦車グッズショップ「せんしゃ倶楽部」に立ち寄ってみては、店長から「いつも見てるよ、会長。がんばって……おっと、彼氏さんかい?」「えへへーまあねー」「こらこら」とだべったりして、一日中おもしろおかしなことばかりしたものだ。

 だからか、いつの間にやら立ち昇っていた夕暮れすらも、心地よく受け入れられた。

 久々に、体の芯まで疲れ切った気がする。

 あとは杏のことを寮まで送り届けて、帰宅した後にひとっ風呂浴びたら漫画でも描くつもりだ。

 ――頭の中で予定を組みながら、杏とは手を繋いだままで帰路についていく。さんざんお喋り尽くしたからか、互いに口を閉ざしたまま。カモメの鳴き声が、遠くから響く。

 

 いつもの横断歩道をくぐって、カレーのにおいがする住宅地の中を歩んでいって、ようやく、杏が住まうアパート型の寮の前に着いた。

 杏が、ちらりと寮の方を見る。

 

「やー、今日はホント面白かったねー」

「なー、ホント色々ありすぎましたな」

「久々に好き勝手した気がするよ」

「マジかー? よく聞くぞ、自由な生徒会長って」

「そう見せてるだけだよー」

「だろうな」

「ばれてたか」

 

 杏の視線が金塚に移り変わり、にひひと笑う。

 

「だからさ、今日はほんとうに楽しかったよ」

 

 杏から、手をつよく握りしめられる。

 

「伝えたいことも、伝えられたからね」

「……ああ」

「返事は待つよ、ずっとね」

「ほんとうに、いいのか?」

「うん。だって君のこと、好きだから」

 

 杏は、いつものように笑っている。

 けれども、その視線はずっとずっと金塚を射抜いたままだ。そんな杏から目を逸らしてはならないし、取ってつけたような言葉なんて絶対に口にしてはならない。

 だから金塚は、安易に返事をしない。いまは、それが正しいと思うから。

 

「わかった。杏のこと、しっかり考えるよ」

「おっけ~」

 

 すぐには気づけなかった。手と手が、そっと離された事実に。

 

「ほんと、今日はありがと! 私はもう大丈夫っ」

「ああ」

「漫画、頑張ってね。更新されたらぜったいに読みに行くからね」

「ありがとう。……と言いたいんだけれど」

 

 杏が、「へ?」と声に出す。

 

「今日は、描けそうにない」

「え、まじ? なんで?」

「いまは、杏のことだけを考えたいから」

 

 金塚の言葉に対して、杏は目を丸くしてまで驚いていた。

 それから間もなく、杏は「そっかあ」と嬉しそうにつぶやいて、

 

「博」

「ああ」

「かっこいー」

「だろ?」

 

 わっはっは。

 

「じゃ、帰るよ」

「俺も帰りますわ」

「……また、会おうね」

「わかった」

 

 そして金塚は、杏にむけてそっと手を伸ばす。

 衝動的にそうしていた。

 金塚の行為に対して、杏は、迷うことなく手を握り返す。

 

 互いに言葉を発さないまま、金塚と杏はそれぞれの帰路についていった。

 

 □

 

 午後十八時頃。宿題を終え、そろそろ夕飯でも作ろうかと学習机から立ち上がろうと――机の上に置いておいた携帯から、流行りの曲の着メロが流れ出す。友人から電話がかかってきた合図だ。

 いったい誰だろう。もしかして角谷かな――ビンゴ。

 

「はい、武部です」

『こんばんは、角谷です。……このたびは、無事にデートを終えてきましたっ!』

「おお~!! で、で、どうでした?」

 

 沙織の姿勢が前のめりになる。

 

『GOOD!』

「っっっ!!!!」

『やーや、沙織さんのお陰で大成功! もう超好き! こんど食券あげちゃう!』

「流石です会長! 食券はいいですから、話せるところまで話してください!」

『うむ! 結論から言うと、彼に告白することができましたっ! ちゃんと聞いてくれました!』

「きゃ~~~っ!」

『いやあ、デートプランに頭を使った(・・・・・)かいがあったよ。ラブコメディ映画、手つなぎ、有名デートスポットの芝生公園、それはもうフル活用しましたとも』

「さすが~~~っ!」

『芝生公園のことを教えてくれたのは沙織さんでしょー?』

「ま~~そうですけど~~。でも実行して成功させたのは会長ですし~~」

『わっはっはっは。とまあ、今日はサイコーでしたっ!』

 

 携帯を、そっと置く。

 沙織がゴキゲンに拍手する。今日の夕飯はウマくなりそうだ。

 携帯を、そっと取る。

 

『で、さ』

「はい?」

 

 角谷の声色が、すとんと静かになる。

 これから何を言うつもりなのだろう。沙織も、つい身構えてしまう。

 

『彼はさ、確かに私の告白を聞いてくれた。でも安易に返事なんて返さずに、本当に私の事が好きかどうか考えさせてほしいって、言ってくれたんだ』

「……いい人ですね」

『だよね。――あ、そうそう、デート中に高い本まで買ってくれたんだ。戦車道に役立つやつ』

「それは、それは」

『やっぱり私は、そんな彼の事が好きだなあ』

「会長にふさわしい人です」

『でしょ』

「はい」

 

 沙織は微笑んだまま、顔を見上げた。

 なにも無い、見慣れた天井。

 

『沙織さん』

「はい」

『――勝とう』

 

 沙織の口元が、にやりと曲がって、

 

「そのつもりです、会長」

 

―――

 

 準決勝から数日が経って、黒森峰女学園との決勝戦があっという間に開催された。

 天候は晴れ、夏だからすごくあつい。そんな環境下のなか、試合会場であるゴーストタウン(聖地らしい)にまで足を運び、大洗チームと黒森峰チームが横一列に並んで選手宣誓、そして一礼した。

 姉である西住まほを前にして、やっぱり凛としているなと西住みほは思う――よく見ると首にドックタグを巻いていたが、何らかの意味があるのだろうか。姉はおしゃれなどしないはずだけれども。

 まあいい。

 みほは自分の陣地に戻り、メンバーたちと作戦会議を始める。最初こそは初歩的な質問が飛び交っていたものだが、今となってはチームに課せられた作戦についてより詳しく問いただしたり、作戦についての不安をはっきり指摘してくれたりと、メンバーたちは確実にたくましくなっていた。

 そうしてあれこれ話し合って、作戦会議が無事終了する。

 同時に、角谷杏が河嶋桃と小山柚子を左右に率いながら、皆の前に立つ。

 

「みんな」

 

 その一声でみほと沙織が、そして皆の姿勢が引き締まる。

 

「生徒会に都合に、ここまでついてきてくれて本当にありがとう。生徒会長として、心から恩義を感じてる」

 

 角谷の言葉に、全員がうなずく。

 

「ここで勝てば、まちがいなく学園艦は存続する。契約書もハンコもばっちりもらった」

 

 さすがだなあと、みほは思う。自分は人見知りだから、そうして逃げ場を塞ぐことはできなさそうだ。

 

「勝てば万歳。負けたら……いや、どうやって負けるんだろうねぇ?」

 

 角谷が、河嶋めがけ手のひらを差しだす。いったいどこから取り出したのか、河嶋は一冊の分厚い本を、戦車道指南書を角谷へ手渡す。

 それを見て、みほの体に力が入る。

 

「この指南書には、戦車道にとっての大切なことが沢山書かれてあった。そりゃあそうだ、著者は戦車道の師範を務めている『あの』西住しほさんだからね」

 

 あの、という箇所を角谷は強調する。

 

「君たちはこの本の、特に一番知るべきところを学べたはず。何せこの私が、」角谷が、己が額を指で叩いて「一番使えそうな箇所をピックアップして、それをプリントにまとめておいたんだからね」

 

 みほ含め、全員が同意した。

 しほが書いた指南書は初心者にやさしく、そして上級者を唸らせる戦車道界隈のバイブルだ。ただその分だけ情報量が多く、値段も高い。

 そんな本を角谷はいつの間にか入手していて、大洗女子学園チームにとって使えそうな情報「だけ」を上手く抜粋してくれた。もれなく挿絵がついていたから、チームもよくよく理解できたものだ。

 ちなみに挿絵だが、これがもう上手かった。角谷曰く「コツを教えてもらいまして」とのことだが、それ以上の情報は何も聞き出せなかった。

 

「しかも、だ」

 

 杏が、みほのことを見つめてくる。いきなりだったから、どきりとした。

 

「なんと私たちには、西住という超凄い経験者も居てくれている。指南書の強固な知識に西住さんの柔軟な知力を合わせれば、それはもう無敵だよね」

 

 チーム全員が同意の言葉を口にする。みほは、恥ずかしくなってちょっとついむいた。

 

「しかも私たちは、あの強豪プラウダ高校に勝った! 去年、黒森峰を打ち破ったプラウダに間違いなく勝ったんだ。よって私たちは、黒森峰と同格の強さがある! そうだろう?」

 

 チーム全員が、そうだそうだやんややんや高揚し始める。角谷の言葉に、みほは去年の「事件」がフラッシュバックし、

 ぎゅっと、沙織が手を握ってくれた。

 角谷が、みほを見て小さくうなずく。

 それを目にした瞬間、みほは角谷の言葉すべてを受け入れられた。この人は、ただ学園艦のすべてを守りたいだけ。

 

「さて。この試合に勝って、明日もこれからも大洗学園艦で学び遊ぼうじゃないかッ!」

 

 全員が「はい!」と返事をして、そのまま急ぎ足で戦車へ乗り込んでいく。

 手と手を繋いだままの沙織と顔を合わせ、無言で勝利を決意しあって、そのまま4号戦車に進もうとして、

 

「西住さん」

 

 角谷から呼び止められ、みほと沙織はそっと振り向く。

 

「いままでこの学園艦のために戦ってくれて、本当にありがとう」

 

 角谷が、一礼する。

 

「――こちらこそ、あなたの学園艦に受け入れてくださって、本当にありがとうございました」

 

 みほは、笑ってそう答えた。

 沙織も、嬉しそうな顔をしてこの場を見届けてくれている。

 

 □

 

 金塚は、多くの観客とともに特設モニターをじっくり眺めていた。

 

 大洗チームの戦車すべてが、強豪黒森峰にひたすら抗い続けている。

 ある者は撃たれようが打ち返して、ある者は勇気ある陽動をかって出て、ある者は壁にすらなってみせた。

 そして杏は、明らかにえぐそうな箇所めがけ弾を当てていた。その百発百中っぷりに、観客の誰もが杏のことを注目し、そして歓声を上げる。

 ほんとう、杏はすごい人だ。

 杏はずっと、廃艦という試練と真正面からカチ合ってきた。生徒会長という責任から、一歩たりとも逃げ出すことはしなかった。爆風がうずまく戦車道を、今もこうして歩み続けている。

 これだけのことを背負いながら、杏は自分に寄り添い、漫画すらも読んでくれた。それだけでも十分だったのに、杏は自分に対して、愛の言葉をささやいてくれたんだ。

 だから自分は、杏のことをどう思っているのか、よく考えた。

 これだけは絶対に間違えないように、何度も何度も己が本心を編集した。

 

『――黒森峰、フラッグ車大破! 勝者、大洗女子学園ッ!』

 

 瞬間、怒号のような歓声があちこちで沸き立った。地響きすらも発生したと思う。よく見てみれば、大洗書店の店長が拳を振りかざしていた。

 あれは、しばらく長生きするな。

 金塚は観客席に腰かけたままで、モニターを見る。ほかの客と比べて冷静ぶれているのは、杏のことばかり考えていたからかも。

 ふと、カメラが杏の戦車を映しだす。数多くの戦車が白旗を上げた中で、しっかりと生き残っているのはさすがというか。

 そのとき、戦車のハッチが軽やかに開いて――ひょっこりと、杏が現れた。

 

 戦車の中が相当暑かったからか、或いは緊張のせいか、杏はすっかり汗びっしょりで――嬉しそうに笑っていた。

 

 それを見て、自分の心は躍っていた。

 目にも、そして心にすら、杏の笑顔が焼き付いて離れない。

 ――ああ、そうか。

 俺は、この人のことが。

 

――

 

 夏休みの兆しが見えてきた平日の昼頃。沙織はみほと五十鈴華、そして冷泉麻子と秋山優花里と共に食堂で昼食を味わっていた。

 廃艦の危機がお星様になったからか、食堂の雰囲気はすっかり活気的だ。ある仲良しグループにいたっては、夏休みの予定について楽しげに語りあっているほど――なに、彼氏と遊ぶだと。

 

「ど、どうしたの沙織さん。怖い顔して」

 

 隣に座っているみほが、びくりと肩を震わせる。沙織は取り繕うように「えほん」とせき込み、

 

「いや~なんでも、なんでもないよ~」

「そ、そう?」

「そうなのそうなの。それよりみぽりんは、夏休みはどうするの?」

「う、う~ん、どうしようかな……お母さんからは、帰ってきてもいいって言われてるけど」

「へぇ~。あ、みぽりんの家に行ってもいいかな?」

「ふぇ!?」

 

 みほが驚く、華はまあまあと微笑む。優花里に至っては「師範のお屋敷に!」と興味津々だ。

 

「あ、あ~……うん。いいと、思う」

「ホント? じゃあ予定に入れておくね」

「うん」

 

 みほは控えめに返事をする。なんだか、嬉しそうな顔をして。

 そんなみほを見ることが出来て、沙織もくすりと微笑した。

 

『――お昼のニュースです』

 

 食堂に吊り下げられたテレビが、見慣れた女性キャスターを映し出す。ニュースねえなんだろうねえと思いながら、沙織はお昼のカレーを口にし、

 

『先週行われた戦車道全国大会にて、大洗女子学園が見事優勝。あまりに予想外の結果に、関係者も驚きを隠せていないようです』

 

 カレーが喉に詰まりそうになった。

 学園艦にまつわるニュースだからか、生徒達の関心が一斉にテレビの方へと向けられる。

 まずは戦車道連盟の偉い人が「すごいものです」「戦車道は無限大ですね」とコメントし、次に西住しほが映って「素晴らしい結果でした」。その表情は、どこか嬉しそうだったと思う。

 

『それでは次に、大洗チームを優勝に導き、大洗学園艦を救った西住みほさんのインタビューです』

「ふ、ふええ……」

 

 みほがうろたえ、麻子が「おお」と声に出す。

 画面が、フラッシュに焚かれまくっているみほに切り替わる。

 ヒーローインタビューをした場所は外、決勝戦の会場だ。勝利に歓喜し、撤収作業に勤しんでいたところで、特ダネのにおいを嗅ぎつけた報道陣にすっかり囲まれたのは記憶に新しい。

 

『私は……いえ、私たちは、やるべきことを全てやり遂げられたと思います。私がこうして笑えているのは、み、皆さんが頑張ってくれたからです! すごいです! うれしいです! ありがとうございました!』

 

 沙織が「緊張してますなー」とコメントし、みほが「ひええ」と漏らす。食堂の面々もみほに気づいたのか、「マジだ」「かわいい」「かわいい」とどよめき始めた。

 

『もっとコメントをお願いします!』

『すみません。続きは私が引き受けます』

『あ、あなたは、大洗学園艦の生徒会長ッ!』

『はい、生徒会長です』

『今回は大活躍をなされましたね、あの黒森峰女学園を相手取り、最後まで生き残った技量は素晴らしいものがありました』

『ありがとうございます』

『現在の心境について、何か一言お願いします』

 

 やはり学園艦の生徒会長とは無視できない存在なのか、報道陣のマイクが一斉に角谷へ差し向けられる。フラッシュなんて何十発も焚かれていた。

 緊張モノのシチュエーションだというのに、角谷は真顔で『そうですね』と呟き、

 

『廃艦と聞いて、私は深い不安に陥りました。ですが、こんなにも素晴らしい仲間たちがいたからこそ、私は最後まであきらめることなく前に進むことができました。生徒会長として、これ以上嬉しいことはありません』

『なるほど。……戦車道を歩んでみて、どんな感情を抱きましたか?』

『はい。戦車道は勇気や努力、そして協調性が問われる厳しい世界です。だからこそ私は、生徒会としての精神がより良いものへと鍛えられました。この道を歩めて、本当に良かったと思っています』

『分かりました。それでは最後に、言いたいことなどはありますか?』

 

 杏は、こくりと頷いて、

 

『何か辛いこととか、嫌な事などがあったら、何か面白いものを読んだり友人たちと遊んでみてください。笑うのって、すごくいいことですよ』

『分かりました。コメント、ありがとうございました!』

 

 画面がニュースキャスターに切り替わり、『今後の戦車道が楽しみですね』と〆。

 ほんの少しの間が生じたあと、食堂のあちこちから「角谷」と「生徒会長」の名前がひそひそと乱立し始めた。

 耳をすませてみる。

 あの人はやっぱり底知れない、成績いいし戦車も乗り回すし生徒会長だしマジモンの天才だよねえ、私と同い年? 泣くわー、いつも笑ってるよねそういえば――角谷の評価を耳にして、沙織の口元がくすりと緩む。自分も、そんなふうに思っているから。

 

「ほんとう、凄い人だよね」

 

 みほが、おいしそうにザンギを味わいはじめる。

 

「あの人の動きだけは、どうしても読めないなあ。それで、やるべきことをいつの間にかやり終えているような……敵に回したら、こわい人」

「あ、わかるわかる」

「あ、こわいって言っても別に会長のことがキライとかそういうんじゃなくて、むしろ学園艦に受け入れてくれた恩人というか」

「わかってるわかってる」

 

 友人たちも、何も言わずに首を縦に振ってくれた。

 

「……私のことも、気に留めてくれた。ほんとうに優しい人だよ」

「……そだね」

 

 ザンギを食べ終えたみほが、ちらりと沙織を見て、

 

「あの人は、たくさんのことを頑張ってくれたと思う」

「うん」

「だから、ちょっとは休んで欲しいかなって。忙しいのはわかるんだけれども」

「ああ、それは心配いらないんじゃないかな」

「え?」

 

 おっと。

 

「あの人、たぶん体力の使い方とかが上手いタイプなんじゃないかな。誰もいないスキに漫画とか読んだり、干し芋食べてそうなイメージ」

「あっ、そうかも……」

 

 らしいと思ったのか、みほがにこりと笑う。華も「ですよねえ」と同意した。

 ――こうして友人達と談笑しあっている間にも、食堂のあちこちから角谷についての評価やウワサ、そして賞賛の言葉がよく聞こえてくる。そして決まり文句であるかのように、「天才」「傑物」「笑顔」という単語がついて回ってくるのだ。

 角谷に対するみんなの思いは、けして間違ったものではない。自分だって、角谷のすべてを知っているわけではないから。

 

 ――そういえば見たことあるよ。角谷会長が、男友達と一緒に下校してるの。なんか楽しそうだったなあ

 

 沙織は、秘密の笑みをこぼす。

 角谷はまちがいなく天才で、傑物で、笑顔ですべてをごまかしてしまうような人だろう。

 けれど角谷杏は、ただの恋する女の子でもあるんだよ。

 

 昼食を全て食べ終えた沙織は、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。

 

 ――いままで、本当にお疲れ様でした。

 あなたは、幸せになるべき人です。

 最後の夢を掴み取れることを、ひとりの友人として祈ります。

 

――

 

 送信時間12:10 送信者:杏 受信者:博

『ようやく生徒会のお仕事に一区切りつきましたっ! 今日から一緒に帰れますぞ~!』

 

 送信時間12:10 送信者:博 受信者:杏

『お疲れ! じゃあ今日いいか? 伝えたいこともあるからさ』

 

 送信時間12:11 送信者:杏 受信者:博

『おっけー! それじゃあ、いつものパン屋の前で待ち合わせしよーか』

 

 □

 

「や」

「や」

 

 そうして、パン屋の前で金塚と杏は巡り合った。パン屋が待ち合わせ場所なのは、単に大洗学園と大洗女子学園の真ん中あたりに建っているからだ。

 

「じゃ、帰ろうか」

「そだねえー」

 

 放課後の青空に照らされながら、金塚と杏は平和そうに帰路へついていく。

 

「どうでしたかね、生徒活動は」

「やー、ぼちぼち忙しかったですよ。後処理とかいろいろ、あとスカウトとか来た」

「スカウト?」

 

 杏がけらっけら笑い、

 

「戦車道のプロになりませんか? ってやつ」

「……! おおおマジか!」

「まじ。でもまーお断りさせていただきましたよ」

「えーもったいない」

「私はほら、家業を継ぐ使命がありますから」

 

 ああ。

 

「政治か」

「そーそ。わたしゃこんなんだけど、少しでも地元を良くしたいぞーっていう使命感もあるからね」

「うへえー。お前、ほんとうに高校生かよ」

 

 金塚の言葉に、杏は「うむ!」と大袈裟にうなずいてみせる。

 嘘、とは一切思えない。杏はいつだってデカい目標を作ってみせるし、それを乗り越えてしまう力がある。

 政治家になる、という夢も当たり前に叶えてしまいそうだ。

 

「でもね」

「ん?」

 

 杏は、相変わらずけらけらしながら、

 

「政治家になっても、君とは必ず会いに行くから」

 

 相変わらずけらけらしながら、杏ははっきりとそう言った。

 ――そうか。

 告白にどう返事をしようとも、杏はズッ友でいてくれるんだ。

 そんな人のことを思えば思うほど、心が心地よく乱れてくる。

 この気持ちの正体は、数日前に明らかにした。

 

「杏」

「なあに?」

 

 女の子を、杏を不安にさせるなんて、それは決してやってはいけないことだ。

 だから、絶対に言う。誰かに聞こえてしまってもいい。ああでも、杏に迷惑が、

 

「言って」

 

 やっぱり杏は、人の事をよく見てくれる女の子だ。

 金塚は、こくりと頷いた。

 

「杏に告白されてから、俺はずっと杏のことを考えた」

「うん」

「杏と一緒にいるのって、凄く楽しい。ずっと一緒にいたいって、本気でそう思ってる」

「うん」

「これからも杏を支えたい、これも本気で思ってる」

「ああ……もう十分にね、支えられたよ」

「そう?」

「君が絵の描き方を教えてくれたから、私は挿絵つきのマニュアルを描けた。そのマニュアルは、優勝への鍵に繋がったんだ」

 

 決勝戦が始まる数日前、杏から『絵の描き方を教えてほしい』というメールが届いた。

 何が目的かは分からなかったが、きっと必要な事柄に繋がるのだろうと察し、自分なりのハウツー画像を杏へ送信してみせた。

 ――その結果が、優勝だ。笑いを与える漫画家として、これ以上の喜びはない。

 

「そうか。それはよかった、杏の力になれて本当によかった」

「うん。ありがとう」

 

 金塚も角谷も、くすりと笑いあう。

 

「じゃ、続きを言うぞ」

「どうぞ」

「……俺は、恋愛感情にうとい。だから、杏に抱いている感情が本当に恋なのか、それとも友情なのか、わからなくなってた」

「うん」

「わからなかった、んだけどな」

「うん?」

 

 今でも、はっきり思い出せる。

 

「なあ杏。決勝戦で勝った時に、お前はハッチを開けて外の空気を吸ってただろ?」

「ん? あ、あー、そだね、暑かったからね」

 

 杏が、手をうちわのように仰ぐ。大事な場面だったから、杏もすぐに回想できたのだろう。

 自分も、あの瞬間をはっきり思い出せる。

 

「あの時に見せた笑顔が、さ」

「うん」

「――とても、美しかった」

 

 杏の両足が、止まった。

 

「あの顔を見て、俺は、杏に惚れた」

 

 体が熱い、張り裂けそうなくらい胸が痛い。心臓なんて嘘みたいに大きく動いている。

 すごく、悪くない感覚。

 

「返事が遅れてごめん。鈍感なばっかりに、杏には迷惑をかけてしまったね」

 

 杏は、首を左右に振るう。うれしそうな顔をしながら。

 

「杏」

「はい」

「――好きだ、本当に好きだよ。君と離れ離れになるなんて絶対に嫌だ」

 

 ひねりのない告白。

 杏は、それを笑顔で聞き届けている。

 

「ずっと一緒にいて欲しい。大人になっても、一緒に笑いあって欲しい!」

「――うん!」

 

 あっという間だった。

 杏は駆け足で金塚の前に立って、ぎゅっと背筋を伸ばし、金塚の顔を掴み取り、口と口とが一つに重なり合っていた。

 ――今更になって、いまどんな風になっているのかを理解する。

 だから金塚は、角谷のことを抱きしめた。すこしでも杏に楽をさせようと、背筋を曲げた、

 杏はまだ離さない、離さないでくれている。

 金塚も離そうとしない、離す気などない。

 

 どこかから黄色い声が聞こえてきたが、金塚と杏は特に気にしない。

 だって恋は、学生の専売特許だから。

 ――杏の頭を、そっと撫でる。

 ――杏から、吐息がそっとこぼれ落ちた。

 

――

 

 杏と交際しはじめてからの数週間後、全国漫研大会が今年も開催された。

 杏からの鬼編集を潜り抜けたラブコメディ漫画は無事に一位をもぎ取ってみせ、金塚と杏はいつもの定食屋でいつものように大笑いしながら祝いあっていたとか。

 

 





ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
ほのぼの杯と聞いて「じゃあ、よく笑う角谷会長をヒロインにしよう!」と思い、短編を描こうとしたのですが……思った以上に長くなってしまいました。

最初は、杏と男友達のお気楽恋愛モノを書く予定だったのです。書こうとして、「生徒会長」というテーマと、本編では角谷会長とあまり絡まなかったキャラと絡ませたい! という欲から、武部沙織が登場することになりました。

色々とありましたが、今回は自分なりに新しいパターンを書いたつもりです。
ようやく、生徒会長と漫画家のメタルな恋愛を描くことができました。

ガルパン恋愛道シリーズも、気づけば19本目です。
ここまで読んでくださった読者様には、本当に感謝してもしきれません。
これからも良い恋愛小説を書けるように、頑張ります。

ご指摘やご感想など、お気軽に投稿してくださると嬉しいです。

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