笑って、杏   作:まなぶおじさん

3 / 3
我慢できずに書きました。


誕生日企画
エンディング


 

 作業机の前で、金塚博はだらーんとしていた。

 12月31日を以て、金塚は束の間の仕事納めを掴み取っていた。

 

 漫画の原稿も編集に送り届けたし、この間にもアイデアは湧いてくるし、それらをすかさずメモにまとめて――金塚はへらりと笑ってしまう。自分はやっぱり、ギャグ漫画家なんだなあと。

 実家兼作業室で、金塚はうんと背筋を伸ばす。

 週刊連載とは常に常に本気を強いられるものだから、気の抜き方を忘れてしまいがちだ。

 そんなふうに生きてきたからこそ、デビューして数年も食っていけているのかも。

 まあ健康的なメシを食って、最低七時間は寝るけどね。「あの人」の笑顔を曇らせるのは死刑モノだし。

 時計を見る。時刻は午後九時。

 椅子の背もたれに身を預け、あえて両手をだらりとぶら下げる。漫画脳はいったんお休みにしておいて、あの人のことばかりをぼんやりと考え始めた。

 

 ――あの人は、今も忙しくやっているんだろうか。

 

 生徒会長としての任を全うしてから、あの人はめきめきと出世街道を突き進んでいった。

 先ずは有名大学に通い、次に日本戦車道連盟に就いては「戦車道のおもしろさたのしさ」という実話系ドキュメントPVを作成した。厳しさだけでなく、笑い話や恋バナが差し込まれたPVは学生の間であっというまに広がっていき、みごと戦車道の普及率を増加せしめてみせた。あの人の実績がまたしても積み重なった瞬間である。

 こうして唸るほどある戦歴を用いて、あの人は水戸市の市長に選ばれた。持ち前の愛嬌と聡明さを活かして人と人のつながりを作っていき、遂には有名歌手等が集うライブ会場までもを建ててしまった。おかげで水戸市は定期的に人が集うホットスポットと化し、観光地としての側面も注目され始めたとか。

 そんなあの人は、遂に国会議員にまで当選してしまった。曰く「笑顔が絶えない国会議員」とのことだが、その内面では容赦のない計算高さが常に稼働しているのだろう。

 ほんとう、すごい人だ。

 

 互いに多忙であるから、一年のうちに会える日なんてほとんどない。けれど毎日連絡しあってはいるし、祝い事があればすかさず駆けつけたり駆けつけられたりするから、あの人との関係はすこしも冷えてはいない。

 あの人が道を登っていくたびに、金塚は喜びを見出している。

 ――がんばれ。

 なんだかしんみりとしてしまったし、風呂にでも入ろうか。そう思い、金塚はのっそりと立ち上がり、

 

 家のチャイムが鳴った。

 

 こんな時間に誰だろう。

 父と母はお出かけ中だから、自分が出るしかない。

 作業室のドアを開け、足音を立てながら階段を下りて、ドアノブを握りしめては「あの人だったらいいなあ」と思いつつノブを捻って、

 

「やーや! 元気してたかねー! いとしの杏様が来てやったぞー!」

 

 角谷杏のハツラツな声が、玄関じゅうに反響した。

 すっかり雪に振られたようで、頭と厚着の上に雪がふわりと乗っかっている。

 

「やあやあ、よくきたね。雪にも降られたようで、お疲れさん」

「やー、今年はよう降るし寒いしでまいっちゃいますよー」

 

 学生の頃から少しも変わらない笑顔を振りまかれて、金塚はふっと微笑み返す。なんだか、体の力が抜けていった。

 杏は、ロングヘアについた雪をぱたぱたと払い始める。

 

「さ、上がって上がって。こたつは用意してあるから」

「おおーいいねえー。では、おじゃまします」

 

 杏が靴を脱いで、ぱたぱたとリビングへ歩んでいく。金塚の家にもすっかり慣れたもので、その動作には遠慮がない。

 ――まあ、それはお互い様なんだけれどね。

 金塚のほうも、何度か杏の豪邸に招待されたことがある。その際に和服を着込んだ父と母――父は政治家らしい――とご対面して、金塚はたまらず生真面目な真顔を晒してしまったのだが、

 

 ――あなたが金塚先生ですか? 母さんと一緒に笑わせてもらっています! センスがほんとほんと……あ、サインもらっていいですか?

 

 そんなわけで、杏の両親とは良好の関係を築けているのだった。

 

 □

 

 金塚と杏が向き合う形でこたつに居座り、台の上に置いてあった干し芋へ手を出し始める。一旦家に戻ってからここに来たのだろう、杏は白いセーターを着込んでいた。

 

「――いやあーここは落ち着きますなあー」

「いつでも来てもいいんだからな」

 

 ときおり、杏はこうやって家に来てくれることがある。忙しいはずなのに、こうして自分のことを意識してくれている事実がとても喜ばしい。

 だからこそ、金塚は言う。

 

「俺はいつだって、杏を歓迎する」

 

 金塚なりの思いやりを耳にした杏は、「そっかあ」と口元を緩ませた。

 

「博も、いつでも家に来ていいんだからね?」

「ああ、そうだなあ。ぜひとも行きたいんだが、忙しくてなー」

「そだねえ。週刊連載だからねえ」

「そーそー」

 

 杏も漫画を描くことのむつかしさを知っているから、決して金塚に無理強いしたりはしない。むしろ毎日のように、『応援してるね』と励まされるくらいだ。

 

「まあ、でも」

「うん」

「博が頑張っているから、人気漫画家になれているんだよね」

「まあ、ね」

 

 そして杏は、「私はさ」と前置きして、

 

「漫画雑誌の目次に博の名前が載っているたびにさ、『ああ、すごいなあ』って安心できちゃうんだよ。だから、会えない事を気にする必要なんてない」

 

 杏は、にっこりと笑いかけていた。

 そんな杏を真正面から目にして、博はたまらず言葉を見失う。

 

「ありがとう」

「いえいえ」

 

 杏の想いは、それだけで十分に伝わった。

 それからしばらくは、互いに干し芋を食べるだけの時間が続く。十二月の夜はとても静かなもので、時計の針が動く音しか聞こえてこない。時刻は九時半。

 何も語らずとも、杏とはこうして触れ合えている。

 けれど博は、杏と話がしたくてたまらない。笑われたり、冗談をぶつけあったりしたい気分だった。

 だから、無粋ながら――

 

「そういえばさ」

「ん?」

「当選、おめでとう」

「ああ、うん。おかげ様で政治家になれました」

「やー、本当に政治家になっちまうんだもんなあ。すげえよなあ杏は」

「うわはは、やる時はやりますよわたしゃあ」

「えー? いつだってなんだかんだで全力全開なくせに」

「いえいえまさかそんな」

「恋人だから知ってるんですー」

 

 金塚と杏が、恥ずかしそうに笑いあう。

 

「まあ、なんだ。俺の漫画で杏の心を癒せているのなら、俺はそれでいい。ギャグ漫画家として、恋人として、十分すぎるよ」

「……うん」

 

 杏が、静かにうなずいて

 

「博の漫画を読むとさ、やっぱり笑っちゃうんだよね。それで気分転換にもなるし、博も幸せにやっているんだなあって実感できる」

 

 博も、頷き返す。

 

「ここまでやっていけたのは、博のお陰だよ」

「そうか。それは、よかった」

 

 それからしばらく、金塚と杏は見つめあう。

 漫画も政治も大事だけれど、年末ぐらいはどこにでもいる恋人同士になりたいから。

 ――そうして、何分の時が過ぎただろう。博の口から、ふと、

 

「杏はやっぱり、かわいいなあ」

「お? でへへー、でしょお?」

「ほんと、学生の頃から少しも変わってない。ほんと変わってねえわ」

「そうかー、そっかー……」

「こうやって気安く話したりできるのが、本当にもう、好きだよ」

 

 うまく言葉にできないけれど、本心は言えたと思う。

 杏は顔を赤くして、音を立てずに干し芋を口にしはじめる。金塚も、干し芋に手をつける。

 干し芋を味わい、互いに目を合わせるだけの時間が過ぎていく。

 そんな時間が、延々と思えてきた頃、

 

「ねえ、博」

「ん?」

「とりあえず私は、政治家になるっていう目標は達成できた。博も、ギャグ漫画家として大成できた。そうでしょ?」

「ああ、まあね」

 

 金塚の返事に対し、杏は満足そうな笑顔があふれて、

 

「そのお祝いとして、結婚なんておひとつどうですかな?」

 

 ああ――

 

「いいね」

「でしょ?」

 

 俺と杏は、合意のサインとばかりに親指を立てる。そしてこたつから身を乗り出し、腕を伸ばして杏を引き寄せ、何度目かのキスを交わしあう。

 杏が、俺の頭に手を回してくれる。

 ほんとうに、ほんとうに、俺たちはあの頃となにも変わっていない。

 それがたまらなく、愛おしかった。

 

 □

 

 それからしばらくして、俺と杏の結婚式が執り行われた。

 沢山の友人に囲まれる中、牧師役として選ばれたのは、杏の親友である武部沙織さんだったことをここに書いておく。

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

特に詰まることなく、文章を読み進められましたか?

  • はい
  • 少し詰まった
  • 読みづらかった

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。