王には成れない。それは知っている。その単純な事実にならば、実のところ五つ辺りには気がついていた。それで、宰相や大臣にも、あるいは将軍にさえ、自分は成れないのだと知ったは、いつのことだったろうか。
それでも、前者二人にとって事は単純だった。ヴィルは事務所のマネージャーに電話を一本入れるだけで済んだし、マレウスに至ってはリリア・ヴァンルージュに一言洩らせば、あとは彼が全て終わらせておいた。
では翻って後者はと言うと、彼らは実家からオファーを出させる気など毛頭なかった。どうせ飼い殺されるのなら学生のうちばかりはと言って出てきた所に、どうしてそのうちの希少な一年を費やせるだろうか。けれどそこで共通する壁が立ちはだかる。誰が就職しないと分かり切っている学生を受け入れるだろう──否、そうと限った話でもないか。
「カイワレ、期限付きにしてもお前なら行ける場所なんざ幾らでもあんだろ」
レオナは、当然のこととしてそう指摘した。彼の成した所業を思えば、
「……オファーはあったけど、無理」
だが、こればかりはイデアの方が耐えられなかった。施しのように感じたから、ではない。未来の話を、きっとされるからだ。ありもしない、未来の話を。
「そうかよ。で?お前どうすんだ」
イデアが喉奥に閉じ込めた内容が、レオナにも分かるような気がした。
「レオナ氏に関係なくない?
「……神殿?」
宗教家になれば、否が応にも政界から離れることになる。キングスカラー家は二代前に政教分離を掲げたからだ。レオナはこれといって信仰を持たない(強いて言えば祖霊信仰だろうか)が、そのあたりは後からだってついてくるだろう。優れた魔法士の多くがそうであるように、レオナも自己暗示は得意だ。
「お、レオナ氏も興味がおありで?」
イデア・シュラウドは、今現在の選択肢のなさを厭うているだけで、例えば四十年後にという話であれば信仰に身を捧げるのも吝かでない程度にはかの悲しみの大王を尊敬している。それだからつい、自ジャンルに新参を勧誘するときのように彼に声をかけてしまった。
「……ああ」
その短い沈黙が、後ろめたさからのものだと、イデアでさえ気がついた。きっと、そうきっと、レオナは信心深いわけではない。神秘に敬意を払っているわけですらない。だが、それでも、人が俗世の苦しみから逃れてもっといい人生を送るためにこそ、信仰はあるのだろうから。
空の青い日だった。憤怒の山の灰に覆われる故郷では二度見たか知れない透き通った天も、ここ賢者の島では珍しくないのだと気付いたのは、思えば入学から半年は後だったと思う。
レオナ・キングスカラーは、もう一週間も前の会話のことを、とうに過ぎた冗句だと処理していた。だから植物園で横になっていた自分の傍に授業中のはずの(レオナとて他人のことは言えないが)イデアが座った時には、ただ珍しいこともあるものだと、ちらりと目を向けただけだった。
「レオナ氏は」
「あ?」
「どんなとこがいい?
「待て、名前だけ並べられてもわかんねえよ」
それもそうだとイデアは頷いて、だいぶ語弊があるのを承知で、初めの一柱を挙げた。
「インターン先の神殿。マジフトの守護者とかどう?」
レオナは三回瞬きをして眠気を飛ばすと、身を起こして話を聞く体勢になった。
レオナ・キングスカラーは、生まれてから今までずっと、
幼き日のレオナは大層頭が良かった。今もだが。その所為で周囲を見放すまでに幾らも掛からず、その所為で兄を
男を殺し女を喜ばす「鮮血纏う方」の神殿は戦士の育成に殊更力を入れることで有名だが、近年はまた別の側面もある。暴力と戦争、暴動と反乱の他に、スポーツの守護者として語られるようになったのが、この三百年ほどの話だ。
イデア・シュラウドは夕焼けの草原の内情を知らない。歴史の上では複数の帝国による多重支配を受けていたとか、その名残で一つの家に複数の爵位があることも珍しくない(それこそキングスカラー家もその一つだ。星空の帝国*1から王位を、薔薇の王国の旧王朝*2からは伯爵位を、キングスカラーはそれぞれ受けている)ことだとか、そういった書面の上での話ならばともかく、その実態は全く把握していない。ただ、それでもなんとなく透けて見える部分もある。
そもそも夕焼けの草原というのは地域名で、その内には王家が五つある。なんなら公国を含めれば国の数はもっと増える。なんだったら今からでも実効支配の及ばない地域をいくらか取り纏めて、石畳の帝国*3辺りから王の称号を授かる選択肢だってあるだろう。だからたぶん、レオナ・キングスカラーに許される選択肢は多くない。それが
レオナ氏司令塔だから
「それか
「説明」
「少々お待ちくだされ。……ええと、どこから話すべきか。うーんと、四大競技祭って言うのがあって」
イデアが言うには天界山の麓ではしばしば、神々に捧げる運動競技祭が行われるのだという。小さなものであれば学校の体育祭から、大きなものでは方々の
その中でも最大規模のものが、四大競技祭と呼ばれる。二年、四年、あるいは八年に一度開催されるそれは紛れもない神事であり、審判は例外なく神官として扱われる。審判は十ヶ月も拘束される上、
「悪かねえな」
ネメアの獅子の名を、レオナ・キングスカラーも当然のように知っていた。かの
「お前は?」
獅子が聞く。揺らめく青炎の奥で地下の黄金が瞬いて、開かれた青の向こうには獣の牙にしてもなお鋭いそれが覗く。
「先日
「お前はもう少し思惑を隠せよ」
「いや、鉄鋼とか火山とか領域が被ってる部分もあるんだって」
「どう考えても金属加工っつーか技能神だからだろ」
「それはそう」
イデア・シュラウドが、
イデア・シュラウドは工学者で、イグニハイドは技術を尊ぶ場所だ。地下に眠る諸資源を砕き、溶かし、抽出して、今となっては
銀の弓引く
「それで、行けそうなのか」
「……うん。一年だけなら、って」
一年。十二大神の一柱の領域に、冥王の愛子たるイデアが居られる、それが限度だった。この
シュラウド家は、嘆きの島の実効支配者として知られている。鉄鉱石から
青の焔を宿して生まれる糸杉の子を、
「……その後は家に戻されるかも知れねえが、まず一年。それでいけると思うか?」
「平気平気。武具鳴らす戦慄すべき君の神殿都市*4、万人迎える不可視の君の支配地*5とは割と交流あるから」
「さっきから呼び名がひたすら不穏なんだよな……ホントに大丈夫かよ」
「大丈夫、大丈夫。……まあ鮮血纏う方が反乱とと暴動の守護者なのは事実だけど」
「聞こえてんだよ」
「マジレスすると小さい神殿ならともかく、
「無茶苦茶言うなお前」
「ファイトですぞ」
「他人事だと思いやがって」
「事実他人事ですし」
「この野郎。まあ、やるだけはやってみるか」
レオナが王になれるのは夕焼けの草原ではない。あの乾いた地ではない。そんなことは十五年も昔に知っている。
二年前にマレウス・ドラコニアが来るまでは。マジックシフトの芝生舞台で、レオナは王を夢に見れた。今度は土埃の立つトラック競技場で、
「おい」
「?どうしましたレオナ氏」
「……いや、なんでもねえ」
オリーブの冠*8を勝ち取ってみせるからお前も見に来い、と言おうとして止める。この先のイデアの道行きを、レオナは知らない。見に来ることもできないとして、それならレオナの力ではどうにもならないだろう。最低でも、それこそあのトカゲ野郎、もとい
ゴーストは概ね、生前の衣装で最も思い出深いものを身に纏う。最後の最後、この身が衰えて戦いに耐えなくなり
ネメアの獅子、と人々が言うとき、普通は
「お、久しぶりですなレオナ氏」
「よう、イデア。ほんとに久しぶりだな」
「おめでとう。冠、似合ってるよ」
「薄情者のお前は一度も顔出さなかったみたいだが、二十も取れば慣れも似合いもするだろ」
「拙者だってできるものならレオナ氏の勇姿見たかったんですがそれは。まあいいや。話し相手になってくれるならそれでもいいけど、残念ながら三日だけ……」
「いや、これだけ言いに来た」
「え、何?」
「お前のおかげだ。おかげで俺も
「……僕は何もしてないよ。でも、ありがとう」
「それだけだ。手間かけさせたな」
「ううん。こっちこそ、いや、なんでも。……
そしてまた一つ、
「あ、オルト。おかえり」