9・虐げられしモノタチ
「ん~・・・こいし様どこ~? 出てきてくださーい!」
「馬鹿だね、それじゃかくれんぼにならないじゃないのさ・・・。お兄さんもこいし様の気まぐれに巻き込まれて災難だねぇ。悪気はないから付き合ってあげておくれよ」
「別にいいよ。それにおれもかくれんぼなんて何年振りかわからないし、ちょっと楽しいかも」
こいしに連れられ玄関先の噴水の広場まで飛び出してきたのだが、それから何の有無も言わさずにこいしが隠れ役でそれ以外の三人が鬼ということが決められ、速攻でかくれんぼが始まってしまったのだ。
一体それのどこが問題なのかというと、こいしの姿はなぜだか簡単に見ることができないという点に決まっている。それゆえ、かくれんぼの鬼にまわられたということは、見つけ出すのが容易ではないということになる。
先ほどはどういうわけか友希には見えていたものの、一度見失ってしまった今ではなかなか見つけ出せないでいた。かれこれ二十分はこうやって三人で探している。もう何度同じところを探したか分からない。
「う~ん、見つかんないよぅ。早く仕事に戻らないとまたさとり様に怒られちゃうよ~!」
どうやらこいしのこの自己中っぷりは今に始まったことではなく、随分と前からさとり及び“ペット”たちも振り回されていたようだ。
ちなみに今共にこいしのかくれんぼに参加させられているふたりの女性については先ほど把握した。
長身でボサボサの黒髪長髪に大きな緑色のリボン、白いシャツの胸元には赤い猫目を模した鉱石、緑のスカートから延びる右足には岩石でできたブーツのようなものを履き、最も特徴的な背中から生える巨大な漆黒の羽をもつ、お空こと霊烏路空。
友希よりも少しだけ低身長で赤毛、そして猫耳と髪の両サイドから垂れる三つ編み、深緑の生地に散らばる火花のような柄の入った裾の長いワンピース。極めつけはお尻から伸びる二股に分かれた尻尾のある、お燐こと火焔猫燐。
どうやらお空もこのままずっとかくれんぼをしているわけにはいかないらしい。
さとりのあの押しつぶされそうになるくらいの重圧感のあるまなざしと言ったらもう・・・。いくらこいしが強引に引っ張ったからといって、途中で話も付けずに飛び出してきてしまったのが痛いところ。
早いところ戻らなくては、これ以上機嫌を損ねるとなんだかまずいことになりそうで友希も怖かったのだ。
「もうあきらめなよ。今までだって見つけるのに二時間で済んだらいい方だったじゃないか。それか飽きてこいし様自ら諦められる、それでも最短で四十分くらいかい?」
思ったよりひどい理不尽ゲームだった。
「だいたい、何の仕事してたか覚えてるのかい? お空」
「ばかにしないでよー! それはさすがに・・・・。えっと・・・なんだっけ?」
「・・・このやり取りも何回目だと思ってるのさ。ほんとにもう・・・」
「もしかしてなんだけど、鳥頭とかって、そういうこと?」
ご名答と言わんばかりに深くうなずくお燐。同時にため息も深い。
「でもねぇ、私たちも他人事ではないんだよね」
「本当だよな」
友希も同じく深いため息をつく、と同時に噴水にもたれかかりながらお燐とともに一服を図る。
そうしているうちにふと友希は先ほどさとりの部屋で感じたものと同じ違和感に襲われた。もしやと思い噴水から地霊殿本殿を見上げると。
「あっ、見っけ!」
「え⁉」
驚きの表情を浮かべてお燐も後を追うように見上げると、そこには館の三階のあたりの壁面に引っ付いているこいしがいた。
さとりもそうであったが、友希が存在を知らせてそこに第三者が注目することでなら他の者にも視認ができるようになるようだ。
普通の人間相手での勝負であればお燐やお空ならいとも簡単に発見できるだろう。人間とは規格の違う妖怪であるだけではなく、動物としての鋭い感覚も持っているはずだからである。
しかしこいしに対してはそれも特に機能していないようなので、先ほどから友希はこれもこいしの持つ何らかの能力の効果なのだろうと考えていた。
「よっし! 俺たちの勝ちだな!」
「まだだよ! 捕まえないと勝ちじゃないの!」
かくれんぼにそんなルールがあっただろうか?
どうやらいつもは思いどうりにお燐やお空が混乱するのを見て楽しんでいたのだろうが、今回はそうはいかず思ったよりもずっと早く友希に発見されてしまったので腹を立てた様子。少しばかり強引な感じがするが、言い出しっぺもゲームマスターもこいしである限り従うほかない。
「ここはあたいが・・・」
「人間だと思って、甘く見るなよ!」
随分と勇みよい言葉が聞こえ友希の方を確認するが、そこにはすでにどこから生まれたのか真っ白い蒸気のようなものが充満しているのみであった。
何が起きたのか理解できずにいると。
「きゃあっ!」
すでに友希はこいしのもとへと到達し、がっちりとこいしを捕らえているではないか。
これにはお空もお燐も驚きを隠せないようで、両者とも開いた口が塞がらないといった様子だった。
「むぅ~・・・」
「やっぱり、俺たちの勝ちな」
「しっかし、お兄さんすごいね! もしかして妖怪かい?」
「いやいや、ただの人間だよ。あれは俺の能力『水になる程度の能力』だ!」
「それでもすごいよぉ! 人間じゃないみたいだった!」
「俺もレミリア達もまだこの能力についてはよくわかっていなくて、確かに普通に考えたら怖いよなぁ」
かくれんぼが終わりを告げ、何もやることがなくなった友希たち四人は玄関先のちょっとした階段に座り込み駄弁っていた。
すでに忘れてしまったのか、先ほどまでの仕事に対する感情はどこへやら。四肢をだらりと伸ばして緊張感のない顔で息を抜くお空。その膝の上でこいしが昼寝をしている。
そんなゆったりとした空間から、友希はせっかくなので気になっていることを聞いてみることにした。
「ちょっと気になったんだけどさ。やっぱり、こいしも何らかの能力を持ってるのか? いや持ってるよな。いったい何なんだ?」
「・・・・・」
急に訪れる静寂。
先ほどまでの雰囲気とはがらりと変わって、どこか切なそうな顔で何かをためらっている様子のお燐。
横では相変わらずお空とこいしがマイペースな空気間を醸し出しているが、友希はとてもそんな軽い感じの話題ではなかったのかと話を振ったことを若干後悔してしまう。
「・・・こいし様の話をするのであれば地霊殿の・・・いや、この旧地獄がどういう存在なのかから説明していかなくちゃならないのさ。少なくともお兄さんは普通の人間とは違うようだから、知っておいてほしいと思う」
お燐のただならぬ雰囲気に静かに息をのむ。
この土地の存在。簡単に能力を知るだけのつもりが何やらただ事ではない様子。
しかし友希にとっては、いずれ幻想郷の歴史についても追い追い知っていかなければいけないと思っていたので、これは好都合だとも思っていた。
いつの間にやらお空とこいしは完全に寝落ちしてしまったようだが、お燐はこれを好都合だと言わんばかりに早速顔をあげ友希に向かって話し始めた。
「まず初めに聞きたいんだけど、ここに来るとき何か感じたことはないかい?」
「えっと、なんか神秘的なところだなって思って、それから湿気がすごい・・とか? あとは、クモの大群に襲われて大変だったとか、それくらいなんだけど・・・」
「クモは好きかい?」
「いや~、かなり苦手。クモに限らず昆虫全般苦手なんだよ」
これに関しては即答が可能だった。
どんな分野においてもあまり好き嫌いは多くはない方なのだが、虫に関しては男の友希でも女子のように断末魔をあげ一目散に逃げ惑うほど恐怖の存在なのだ。
なぜだか明確な理由はないが、単純に見た目が奇妙で理解がでいないのが大体の要因だろう。
「なら理解が早く済むだろうね」
「・・・?」
「この場所旧地獄は、旧と名の付くように以前は閻魔が判決を下して魂が落とされる場所・地獄として使われていた。そう簡単には近づけない・・・いや、近づこうとする者なんて皆無な恐ろしい場所だったのさ」
確かに友希にとっての地獄のイメージは地下に落とされるといった感じのもので、それに相反して天国は天高くの場所に昇天するイメージであった。しかし、つい先ほど冥界にいたときは、空中を落下してきたことから明らかに上空に存在していたし、閻魔室に向かう途中には天国と地獄へと通じる道が見受けられたので同じく上空にあると思われるのだが。
つまりもとは地上に存在した地獄が新たに上空に移設されたということなのだろうか。
「地獄の場所が変わったのは、地上に生きる生物たちのすぐ近くに命なき異界の者、しかも地獄に落ちるような凶悪な存在がいるのはあまりにも危険で対策をとるべきだとされたからさ。まあ、考えれば当たり前のことなんだけどね。地獄の空気は私たち妖怪のみならず神さえも近くにいるだけで気分が悪くなっちまうからねぇ」
「まさか、その地獄の空気が未だ染みついてるからこんなに暗くてジメったいのか?」
「それもないとは言い切れないけど、もっと理不尽な理由さ」
一息置いてから続けるお燐。
「地上の者から嫌われたやつがこの地に追いやられたんだよ」
「嫌われたやつ?」
「昆虫を体現した者たち、その存在自体が人々に悪影響を及ぼす者たちや不要になったり処分に困ったがらくたまで、ありとあらゆる嫌われ者がもともと避けられていたこの土地に一緒くたんに放り込まれた。それも大半が悪意のない人間の勝手な都合でね」
「そういうことか・・・」
あのクモたちも人間の好き嫌いで旧地獄でしか安心して暮らせなくなったということだろうか。
当然ながら友希は、昆虫がもともと嫌いということもあって複雑な気持ちが込み上げた。
なにぶんそこに住む存在が真横で友希を見つめているから。
「さらには自ら安息地を求めて地底に下ってくるものまで現れて、あまりにも多くの存在が旧地獄に来たためにいつの間にやら嫌われ者の集落が出来上がっていった。それがあの里さ」
「・・・そうなると最悪な土地としての認識に拍車がかかるな」
「そう。そうななると当然のように、地底の者たちは人間に対して憎悪にも似たの感情を燃やすようになった。もうずいぶんと前の話だけど、全員ではないものの未だに人間を嫌っているものもこの地底には少なくはない。さとり様もそのうちの一人なのさ」
「どうりで俺への対応が初対面とは思えないくらいきついわけだな」
「気分を悪くしたのならごめんよ。さとり様も本当は優しい方なんだけど、ちょっと訳ありで、その訳にこいし様がかかわってくるんだよ」
「そんでもって、その訳っていうのは、聞いてもいいのか?」
「・・・何も知らないで、過去の人間の罪をかぶるのは嫌だろう? それに、少しでもさとり様たちのことを知っておかないと、友達にはなれないよ?」
今まではあまりにもすんなりと行き過ぎていたのかもしれない。
そもそもとして、この幻想郷は今まで生きてきた外の世界とは勝手が違うだけでなく、野性的な死の危険に常にさらされているのだ。本来ならば今頃死に絶え、八つ裂きにされ、化け物のえさにでもなっていても全くおかしくはない。にとりに拾ってもらったことから始まり、今までの運がよかったのだ。
そして今回のこの件は明らかにその幻想郷の野性味、世界の抱える闇の部分が垣間見えている。
友希には、ここで生きていく以上そう言った部分とは真摯に向き合っていかないといけない、そういったある種責任感のようなものもあったのだった。
「さっき言った通り、さとり様たちは初めからこの地底にいたわけじゃない。もとは地上で暮らしていたんだって。目立たないようにひっそりと」
先ほどから漠然と昔の話をしているが、さとりもこいしも随分と幼い見た目をしている。つまりはいったいさとりは何歳なのだろうか。
女性に年齢を聞いてはいけないことくらい友希でも知っているのでこんな時にあえて聞きはしないが。
「それでね、もとからあまり人間とも触れ合ったりはしてこなかったらしいんだけど、人間たちの里が大きくなってきたりさとり様たちが食料に困ってきたりしたことから、正体を隠してだけど人間の里に赴くようになっていったらしいんだ。もとから人間にはいい印象を持っていなかったみたいだけど、その時はまだ悟り妖怪としての能力を制御できていなかったせいで、常に人間の自分に対する見下しや恐れ、卑猥な感情を感じ取ってしまっていたらしいんだよね」
お燐は淡々と自らの主の過去を話し続ける。そしてここからが問題だった。
さとりはともかくこいしはその時から無邪気な性格は変わらなかったらしく、心配するさとりをよそに頻繁に外出して人間の里にも意欲的に行っていた。そしてこいしはその持ち前の明るい性格から積極的に里の子供たちとの関係を築いたらしい。
重要なことにこの時点ではさとりはこいしの心を読むことができていた。つまり今はこいしの心だけが読めないのだという。
唐突にお燐から明かされた事実に当然疑問符を浮かべた友希だったが、その疑問に触れる前に先の話が進んだ。
だがこの先についてはお燐自身も正確な情報は得られておらずどうも漠然とした内容が語られたのだった。だがそれでも古明地姉妹の抱える心の闇と人間に対する気持ちが何となく理解できるほどではあった。
こいしは人間に裏切られたのだ。
それはもちろんこいしが妖怪であることに起因するが、加えて心を読むことができる悟り妖怪であることがばれてしまったからだった。
心を読み心の内を明かしてしまう悟り妖怪は古来より人間からは奇妙で災いを呼ぶ存在だと恐れられてきた。そのせいでこいしは体にだけではなく精神的にも大きな傷を負ってしまったのだ。これ以上は深く語れない。
そしてそれによってこいしの心は二度と開かないよう閉ざされてしまったのだそうだ。
この一件に対してさとりは復讐も何もしなかった。というよりすべて自分の中で完結させてしまったのだ。
元から意識して関わらないようにしていたこともあり、さらに極端に人間を嫌うようになった。
たった一人の家族をこんな目に合わせたのだからその気持ちは同情せざるを得ない。そして同時に友希は同じ人間として先人の過ちを恥じた。
「怖かっただろうさ。人間よりはるかに寿命は長かろうと世の中のことをよく知らない子供であったことには変わりはないからね」
「それに追い目も感じたさとりは、さらに人間に対する憎悪をって感じか」
「主の悲しみはペットの悲しみって、こういうことだよ・・・」
闇を抱えた無意識の少女と気持ちよさそうによだれを垂らし寝る鳥妖怪、爆睡中の二人を尻目に人間の友希とその当事者のペットは場に流れる重い空気の中黙り込んだ。さらにそこに、後ろの玄関扉の隙間から覗く何者かの瞳が・・・。
「・・・どうも他人事じゃないような気がするな。なんかごめんな」
「なんでお兄さんが謝るのさ。あ、嫌な話をを蒸し返したとかそういうこと?」
「いやまあそれもだけど、同じ人間として恥ずかしいって話。嫌な人間がいるってのは俺も知ってるけど・・・何だかな」
「そんなこと・・・」
お燐が変に気負う友希を慰めようとしたその時だった。
「そんな安い同情はいりません‼」
突然後ろの玄関扉が音を立てて勢いよく開き、そこから涙を浮かべ顔に怒りをにじませたさとりが友希めがけて走ってきた。
「人間であるあなたごときに、私たち姉妹がどんなに嫌な思いをしてきたか分かってたまりますか! 心にもないことばかり言わないでください!」
「さとり様っ! 落ち着いて!」
「あなたは黙っていなさい!」
熱が入りすぎているさとりは友希の胸ぐらにつかみかかり叱責した。
あまりの勢いに圧倒された友希は目を丸くしてその場で尻もちをついてしまう。そしてそのまま人ならざる者の強力な力でねじ伏せられてしまった。
「もとはと言えばあなたたち人間が、自分たちを世の中の支配者とうぬぼれ疑わず、自己中心的に地上を作り替え、私たちを惨めにも追いやったのがすべての始まりではありませんか! それを・・何が「他人事じゃないような気がする」ですか! ふざけないでください!」
さとりは力任せに友希を揺さぶり、そのせいで友希は強く頭を打ってしまった。もちろんさとりはそんなことはお構いなしだ。
「さとり様・・・」
しばらくしてさすがに体力が底を尽きたのか、ぜぇぜぇと息を切らし停止するさとり。隣では先ほどまで深い眠りについていたこいしとお空が何が起きたのか訳も分からずいつからか困惑の表情を浮かべていた。
「・・・・・」
いきなりのことで面を食らってしまったが、友希は依然胸ぐらをつかみ続けるさとりを静かに見つめる。
「・・・そんなこと言っても、実際にそう思ったんだから仕方ないだろ」
さとりの圧力に若干圧倒されながらも正直に自分の思いをぶつけてみる友希。
さとりには隠し事はできない。そんなことをすれば余計に彼女を刺激してしまうだろうから。
「・・・・・」
友希はさとり妖怪ではないので彼女が何を思ったのかは分からないが、友希が言葉を放ってから一拍おいた後さとりの掴む手はなぜか緩んだのだった。
恐る恐る立ち上がる友希。さとりの顔は見たくても見れない。
自分に向けられた怒りが空気感を伝って痛いほど感じられるから。
「・・・本当に人間って身勝手で傲慢で無責任ですね」
「確かにそれは否定できない。でもだからって全部人間が悪いって決めつけるのは良くないだろ」
言い返した友希にさらなる鋭い視線が突き刺さる。
胸のあたりにある三つ目の悟りの目が友希をじっと嘗め回すように見つめてくる。
「ではこいしがああなってしまったのは全て仕方のないことだとでも? 手を挙げた人間を笑って許してやれと? そうは思っていないようですが、果たして本心でしょうか?」
さとりはじりじりと友希との合間を詰め寄る。
心の中を覗き込みながら独り言のように会話を続け、友希の心のうわべをさらに剝がしにかかるさとり。
「・・・っ!」
そんなさとりの行動に友希は咄嗟に遠ざけるようさとりを振り払ってしまったのだった。
そんなことをしては、まるで図星をつかれさとりの疑いを肯定しているのと同義であると分かっていながら。
「出ましたね、本性が」
「・・・・・!」
何も言い返せない。
今の自分の行動だけではない。正直なところこの確執は友希個人で答えを出せるとは到底思えなかった。
どう発言し故人の過ちを弁明しようともおそらくさとりの心を溶かすことはできないのだ。
そしてそれに気が付いているがゆえに友希の思考は完全に行き止まっていた。
「・・・じゃあ、俺にどうしろって言うんだよ」
行き場のない不甲斐なさと怒りを抑えながらさとりに対し問いかけた。
そしてその答えは、予想どうりだがある意味では友希の曇った心情をきれいさっぱりと晴らしてしまう、そんな無情なものだった。
「私の前から消えてください」
さとりの口から言葉が発せられた瞬間、その一瞬だけ何も考えられなくなった。灰色の曇天が晴れ、真っ白な『何もない』色へと変わるように。
後で気が付いたが、同時にその時の記憶も曖昧なものになっていたのだ。
まさに意識がもうろうとする友希を現実へと引き戻したのは、先の冷静な発言とは裏腹に怒りと憎悪に満ち溢れた鈍音。心が読めない友希への皮肉を込めた心写しの玄関扉を閉める音だった。
「無理だ無理だ! もう何も浮かばん! 俺にはどうすることもできないっ!」
「お兄さん・・・」
別に友希がこの問題をどうにかしなければいけない決まりなどは何もないのだが、それでも元来の性格なのかどうにかして手を差し伸べられないものかと真剣に考えていただけに突き放された反動は大きかった。
何もかもどうでもよくなった友希は玄関階段下の地べただというのに幼稚にも寝転がりふてくされている。
それを何とも言えない表情と感情を抱きながら見つめるお燐とお空。
そして相変わらず自由奔放なこいしはまたしてもどこかに行ってしまったようだ。あるいは気づいていないだけで近くにいるのか。
友希はそんなことを考えることにすら億劫になっていた。そしてそれがまたこいしに対しておざなりな気持ちになっているような気がして、心をさらに締め付けることが嫌で無理やり忘れようとまた子供のように大声でかき消すことの繰り返しだ。
「さっきのさとり様は私も見たことがないくらい怖かったから、私たちもどうしたらいいのかわかんないよ」
うつむきがちに声を絞り出してきたお空。
「しばらくはさとり様一人にした方がいいだろうね。機嫌が悪い時や何か考え事をされている時はいつも自室に籠ってしまわれるから」
お燐も眉間にしわを寄せ、どうしたものかと考えを巡らせている様子だった。
大体そもそもとしてレミリアはなぜ自分をさとりのところに向かわせたのか、それが友希には心底疑問で仕方がなかった。
何も考えがないわけがないのだ。
友希にならさとりをどうにかできると踏んだか? それなら期待外れも甚だしい結果になってしまった、土下座でも何でもして詫びたい。
それともまだ終わりじゃない、衝突の後にある何かが目的か? だとしても友希にはすでにこの先のさとりとのビジョンなど文字通り全く想像すらできないでいる。と言うかできれば今は考えたくない。
いずれにせよ今日はどんな顔をして紅魔館に帰ればいいというのか。どんな考えがあるにせよさとりを紹介したレミリアには当然メンツと言うものがある。お嬢様となればそれも人一倍だろう。
「あああーーーっ、もう‼ どうすればいいんだよぉ‼」
次から次へとどうしようもなく雪崩れてくる心配事が友希の脳内をかき乱す。
とうとう爆発した友希の感情、お燐とお空はそれに驚きつつも同情や不甲斐なさを顔ににじませることしかできないのであった。
地底の天井を仰いだ状態で大きくため息をつきおもむろに目を閉じる友希。
思考や心配は頭の中で考えるのに感情や思っていることは心すなわち心臓で行われているととらえるのがどうも人間のイメージらしいが、さとりの場合も心を読む力と言っていいるものの結局は頭の脳みその部分を読んでいるのだろう。
つまり友希の今の脳内と同じように意識していないにもかかわらず情報がとめどなく流れてくる。心を読むとはそういう感覚なのかもしれない。
だとすればそれはそれでまたさとりは辛い思いをしているのではないだろか。
「私・・やっぱりさとり様のこと見てくる!」
「あっ、お空!」
お空は悪く言えば鳥頭で考え無しだが、別の言い方をすれば自分の気持ちに正直な純粋な子なのだ。お燐も同じ気持ちだったらしく、自分の気持ちを抑えられなくなってさとりのもとへと駆けて行った彼女の背中を心配こそすれ静かに見送った。
「・・・・・」
無意識のうちに友希の呼吸は深くなっていた。
「もう何も考えたくない」「自分にはどうすることもできない」。いくらそんなふうに考えようとも結局はさとり達姉妹のことが心配事として頭の中に染み出してくる。
どれだけ混雑する脳内を払拭しようとしたところで、そんなことすら無意味で不可能なことなのかもしれないといい加減にうんざりしてしまう友希。
おそらく自分は元来から節介焼きな性格なのだろうと、結局のところ暗黒空間での思案の果てに最後に得た結論はそんな姉妹とは関係のないことくらいだった。
「あれ? どうしたんだい、久しぶりだねぇ」
心なしか気持ちが落ち着いてきたような気がした友希だったが、ふと放たれたお燐の誰に言ったかもわからない言葉が気になりパッと閉じた瞳を開く。
「こんにちは!」
「・・・え?」
友希の目の前には見知らぬ女性の顔があった。
今の友希は仰向けになって寝転がっている状態にもかかわらず、その女性はまっすぐに友希と顔を合わせて胴体が見えない。つまり彼女は・・何らかの方法で宙からぶら下がっているのだ。
外の世界出身である友希の普通の感覚では理解しがたい状況ゆえ次の言葉を発するまでに少しばかりブランクがあったことだろう。
そんな友希の緊張を察してか垂れさがる少女の頬が少し緩んだかと見えたその瞬間、彼女はべーっと口を大きく友希に対し開いて見せてきた。
その中には、ここに来る前友希を追いかけまわし恐怖させた大きなクモたちが所狭しとうごめいていた・・・。
「・・・っ!」
血の気が引く音がこうもはっきりと聞こえたのはこれが初めてだった。
とは言っても急に『無音』だったが。
「うおああああああああっっっ‼」
まるで地底そのものを揺れ動かすかのごとき轟音。音そのものに物理的な力を感じるほどその叫び声は異常だった。
突如現れた謎の宙づり少女が友希にもたらした新たな恐怖。
それはかろうじて残っていた友希の思考を一瞬にして消し飛ばしてしまった。
だがこれには友希も本望だろう。
なぜなら「何も考えたくない」、それがまぎれもない友希自身の望んだことだったから。
第九話 完
どうも~、作者のシアンです~。
もう本当に情けない限りです。
いきなりいったい何かと言うと、自分の想像以上に投稿が遅くなってしまったことにたいしてとても懺悔したい気持ちでいっぱいなのです。一カ月くらい空いたのではないでしょうか。
まあ、リアルタイムで見てくださっている方がいるとは思えないのでどうしても後見の人に向けて書くのがいいでしょうね。
おそらく今後もこう言ったことが続くと思います。ここで私情を長々と書くのは違うので詳しくは言いませんがこの間にはそうとう悩んでました。このまま続けてもいいものかと・・・。私が学生なことが原因でそうとうリアル生活が辛くなってきていて小説を書く時間がないんですよね。でも書こうと決めました。
なにぶん初めて自分で一歩を踏み出したことなので中途半端では終わりたくないと自分で思ったんです。
もっといっぱい書きたいのですが色々と思うところが多すぎてもうよくわからなくなってきました。いや、別によからぬことを考えているとかではないので心配してくれる方がいたとしたら心配しないでください。
はい!次回予告!帰還・花畑・人形!以上です!
ではまた!ご清見ありがとうございました~!