焦らず自由に生きて、満足してからこちらに来てくださいね。
また二人で旅できるのを、楽しみに待っています。
体を伸ばす。日の光を浴びて、体が目を覚ます。
カチコチと音を鳴らす時計の針を確認すれば、針が指し示している時刻は七時十七分。ベストタイミングといっても過言ではない。
「これなら今年もちゃんと見れそう! 」
目覚めた体を早速動かして、昨日のうちに準備しておいたカバンを手に持ち、ぶっ壊れている壁から下に飛び降りる。
「待ってろよー! 空飛ぶクジラ! 」
太陽が輝き、白い雲の映える青空の下、私は目的地に向かって駆け出した。
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初めて私が空飛ぶクジラを見たのは、ミーアがまだ稼働していた時のこと。
幼かった私を、ミーアは割れたガラスと朽ちた鉄骨が散乱している、かつては立派であったのだろう橋の上に私を連れて行った。
「ここが目的地です」
住んでいた場所からはずいぶんと遠かったためにヘトヘトとなっていた私は、その言葉を聞いて地面に倒れこむように座った。
「とおいよ、とおすぎだよ! ミーア! 」
「申し訳ありません。けれど、咲が見たいと言ったのですよ? 」
「そうだけどぉ…… 」
暇つぶしのために拾った本に描かれていた、キレイで大きい、空を泳ぐクジラ。
それを見て思ったことを早口でミーアに伝えると、帰ってきた返事は驚くべきものだった。
「なら見に行きますか? 確か時期的にもちょうど良いはずですし」
「ホントにいるの!? 」
「はい。存在しますね」
見たいものが存在すると言われれば、きっとその後の言葉は誰だって同じはず。
大声で行きたい行きたいと言いながら飛び跳ねて、私はミーアにお願いした。
「……もう! ここまで苦労して見れなかったら、私怒るからね! イタズラしちゃうからね! 」
「分かりました。ただ、バッテリーを外すとかは止めてくださいね。私ももうガタがきているので、そういったことをされたら壊れてしまうかもしれません」
「そんなことしないよ! そうなったら帰れなくなっちゃうし……それにさびしいし。ラクガキするくらいで許してあげる! 」
カバンからマジックペンを取り出して、悪い笑みを浮かべる私。
そんな私を、ミーアは微笑ましいものを見るような目で見ていた。そのせいでラクガキをする気持ちはすっかりと無くなってしまった。
それから会話は消えて、空を見上げるだけになった。時々吹いてくる風が、長い距離を歩いてきたために熱くなっていた私の体を冷やしてくれたのがとても気持ち良かった。
「…… 」
「…… 」
「……ねぇ。ミーアはどうしてこの場所を知ってたの? 」
ただ、会話の無い空気が居心地悪いとは思わなかったけれど、青空を見飽きた私はミーアに何となく気になっていたことを聞いた。
「ここを知っていた理由、ですか……どこから説明したらいいですかね…… 」
「そんなに長いお話なの? 」
「いえ、そういう訳では……えっと、神隠しについて話したことは覚えていますか? 」
「うん、覚えてる。人が急に消えちゃうげんしょう……でしょ? どういったものなのかはみんな知らないんだよね」
そう言うと、ミーアは嬉しそうに笑いながら頷いた。
「はい、よく覚えてましたね」
「えへへ…… 」
「人間社会が崩壊した原因となった神隠し。それが世界各国で認知され始めたころに、空飛ぶクジラが見られるようになったのです」
「……なんか、ふしぎだね。みんながいなくなったのに気がついたら見れるようになったなんて」
「咲のように思った人は少なくなかったみたいなんです。ただでさえ、クジラは海を泳ぐもの。空を泳ぐなんて不思議なクジラに神隠しなんていう不思議な現象を認知したタイミングが合致したため、そのクジラは別世界へ私たちを連れていく『白き箱舟』なんて呼ばれるようになり、そう少なくない人が崇めるようになりました」
白き箱舟。それを聞いて、私は本に描かれていたクジラの背に乗って多くの国を跨ぐのを想像した。
見ることができない景色だからか、その想像がかなり鮮明で綺麗になり、私はクジラを見るのが更に楽しみになった。
「おぉ……おぉ……! 白きハコブネ! なんだかとても格好いいね! 」
「毎年決まった時期に見れるのと、最終的には日本では二か所、全世界では五百十六か所で観測できるようになったのも大きいでしょう。不思議なクジラを見て祈りたいという人の気持ちが強まり、見られる場所の整備が始まり、その時期になるといつも、テレビのニュースやラジオの話題となりました」
「いいなぁ……私もテレビを見たりラジオを聞いたりしたかったなぁ……今はざぁざぁって音くらいしか聞こえないもん」
「便利でしたけど、その分嫌なものでもありましたよ。特に神隠しによる現象が止められず世界人口が半分以下になった時期では、クジラへの話題は神にもすがるという言葉が生易しいくらい荒れた顔をした人たちが映されたり、地獄のような罵詈雑言が聞こえてきたりしましたからね」
「それでもいいときもあったんでしょ? ならやっぱり見たかったよ。ミーア以外の人とかも見てみたいし」
「それは───」
すると、雲が太陽を覆って日の光が遮られ、辺り一面が暗くなった。
青空が先ほどよりも鮮明になり、美しく感じられた。何かが起こる、そう感じた。
「───来ますよ、ミーア! あっちを向いて、決して目を瞑らないでくださいね! 」
「うん! 」
その気持ちに応えるかのように言い放たれたミーアの言葉に力強く返事をして、指で指示された方向を向いて、集中して見つめる
すると、少しして、地平線の向こう側から、絵本で見たような、いや絵本で見て想像したものよりも何倍も大きいクジラが姿を現し始めた。
「……おっきい…… 」
クジラが私たちの真上に来るまでに、口にできた感想はその一言だけだった。
呆然としたまま、ただ立つ私。それを現実に引き戻したのは、ミーアが私の腕を掴んだ時だった。
「……なに? 」
「こちらへ」
ミーアに引っ張られて、橋の上から地面の上に移動する。
そうすると、上に見えていたクジラが、存在しなかったかのように消えてしまった。
「えっ? なんで!? さっきまであそこにクジラがいたのに! 」
慌てて橋の上に戻り空を見上げてみれば、そこにはまたクジラの姿が見えた。
訳が分からなくて、ただ口を大きく開けることしかできなくなった私にミーアは話しかけてくる。
「観測スポット以外では存在しないかのように見えなくなる。これもまた、あのクジラが白き箱舟と呼ばれた理由です」
「っ…… 」
「特にここは、ガラスで世界と区切られるように作られたため、その思いが強められる場所でもありました……まぁ、ガラスは割れてしまっていますけれど。いかがですか、この不思議なクジラを見た感想は? 」
その言葉に、すぐに返答はできなかった。
涙がポロポロと目から溢れて、胸の奥が苦しくなったから。
「……あのね、ミーア」
「はい」
「すごいね」
「……はい」
この目に、この景色を焼き付けておきたい。そう思って、私は涙を拭い、地平線に沈んで姿が見えなくなるまでクジラを見続けた。
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「間に合ったぁ……今年は危うく中国の観測スポットで見ることになりそうだったけど、何とかなったね」
別にそこでも白き箱舟こと空を泳ぐクジラは見れるのだけれど、ミーアが壊れてしまってからはできる限りこの場所で見たいと思っていた。
『観測スポット以外では存在しないかのように見えなくなる。これもまた、あのクジラが白き箱舟と呼ばれた理由です。特にここは、ガラスで世界と区切られるように作られたため、その思いが強められる場所でもありました……』
別世界。神隠しに合った人たちが行くとされている場所。
けれども、別世界というのはそれだけじゃない。他にも存在している。
例えばそう、死後の世界。
ロボットが死後の世界に行けるのかは分からない。ないと言っていた人たちもいるらしい。
「おっ、来た来た」
けど、私は信じている。きっとミーアは、あのクジラの背から私のことを見守ってくれていると。
「───ミーア! 見てくれてる! 」
「私、この通り元気だから! 心配しなくて大丈夫だから! そっちでちゃんと自分の体を修理してもらってね! 」
「いつかまた、二人で世界を旅するために! 」
私の声に呼応するかのように、クジラが鳴いた。
クジラが見えなくなるまで、私は両手を振り続けた。