東風谷早苗はひどく悩んでいた。この地にもようやく慣れてきた頃で、博麗のように妖怪退治にも挑戦するようになってからおよそ一年。
しかしまだ満足な成果を挙げられていない彼女は、彼女の仕える神々への信仰を思うように集められていないのではないか、自分が彼女たちの役に立てていないのではないかと常日頃から悩み続けていた。
一年半前に見た
まるで彼女を馬鹿にするような技の数々。彼女の手によっていとも容易く起こされる奇跡。渾身の攻撃を躱して語り掛けるその余裕。そして二柱を同時に一つの空間に閉じ込める力。その何もかもが彼女にとって屈辱的だった。
しかし実際には彼女がまんまと騙されただけであり、神奈子も諏訪子もその妖怪に陥れられたわけではない。彼女たちはただ旧友、八雲紫の芝居に早苗の両神として協力しただけの事だ。
昔から彼女を見守り続けてきた二柱にとって、我が子同様の風祝を死地に赴かせる気はなかった。彼女が幻想郷でも生きていけるのか、紫はただ早苗にその試験を課しただけに過ぎない。
最中に見せた奇跡でさえ紫にとっては余興に過ぎない。神がかり的な能力を持つ紫に対して、現人神という半神はあまりにも力量不足だった。
外の弱い妖怪を相手にイキり散らしていた早苗に圧倒的な力の差を見せるというのも彼女たち三人の計画の内であった。
結果的にそれは成功し、彼女は幻想郷に行くまでのごく短い期間にも必死に修行をしていたという。最終的に負けたとはいえあの博麗の巫女相手にもかなりの奮闘を見せた。
今の彼女の目標は少しでも強くなってかつての妖怪に一撃を入れる事。神奈子と諏訪子が未だに事実を語らず、さらに役者だったせいもあるが、早苗はただ只管に八雲紫という妖怪を嫌っていた。
名前はもちろん知らない。それでも守矢の神を拉致した挙句に手加減し、さらには煽って何処かへ消えていった妖怪。事情を知ればまた何か別の感情も生まれるのかもしれない。
そうならないのは誰も彼女に真実を告げないから。二柱は面白がって、紫本人は別に気にしていないから真実を語らない。
質の悪い大人のような子供も当然悪い。だが同時に早苗も悪い。彼女はあまりにも小説を読みすぎた。入念な計画的犯行こそが当たり前だと思い込んでしまったこともこのような勘違いの原因となっているのだろう。
全てが非常識なこの世界において、彼女の常識は通用しない。尤も、現在の彼女の思い込みは常識の範囲外であるが。
何とかして本気を引き出したい相手。早苗にとって最も憎き相手は今、守矢神社にいた。
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萃香の調査により、少なくともフランドールの方は山にいることが分かった。彼女たちの狙いはますます読めなくなってきた。外に出た後、それ以上に何を望んでいるというのだ。
幸いと言うべきか厄介だと言うべきか、今夜は完全に凍り付いている。かつて私たちの作ったような半端な永遠ではなく、時を凍り付かせた完全な永遠。間違いなく永遠亭の連中も絡んでいると見るべきだろう。
しかしそれさえも何故だか分からない。時を夜に固定したのは恐らくフランドールを日光に晒さないようにするため。レミリアの頼みか何かかとも勘繰ったがおそらく違う。あの永琳が個人的な他人の頼みを素直に受け入れるはずなど無いからだ。
彼女たちは地上に棲む者たちのいっさいを見下す地上人。裏を返せば身内以外に対しては誰にでも平等とも言える。
だからこそ彼女がレミリアの頼みを素直に受けるとは思わないのだ。彼女たちの間で何かしらの取引があったのかもしれないしそうでないのかもしれない。
唯一つ言えるのは、少なくとも永琳がフランドールを探すだけの理由を持っているという事。下手をすればまた
だがそのことを尋ねるためだけに彼女を探すのも馬鹿らしい話だ。どうやら永遠亭にはいないらしい彼女を探すよりは居場所の分かっているフランドールを説得する方が早い。
散々文句を言いながらも戻れないと知るや否やきちんと協力してくれた萃香に連れられてやってきた場所は事もあろうに守矢の社であった。
現在のフランドールがこいしの代弁者のような役を担っているのだと仮定すれば、こいしの目的はこの守矢神社ということになるのだろうか。
しかし何故? あの異変の後、こいしが地霊殿に帰って来たという話はさとりから聞いていない。守矢が先の異変に関わっていることを知っての事か。それとも全く知らないが興味本位で誘導してきただけなのか。
無数にありそうな可能性も、彼女の思考の単純さを考慮すればかなり絞り込める。全ては会って話せばわかると、そう思っていた。思っていたのに。
「性懲りも無くまた他人の神社に侵入するなんて! それも今回は境内ではなく拝殿まで」
振り返ってみれば大層怒った現人神サマのお姿があった。
こうして面と向かって会うのもあの日以来か。神奈子と諏訪子の頼みもあって、この子が妖怪退治に赴く際にはたまに見ていたりする。しかしそれはあくまでも一方的なもので、彼女が私の姿を見るのは此処に越してきて初めての事だろう。
だがここまで怒っている理由に心当たりはない。本殿と違って拝殿なんて人が入っても問題ないでしょうに。
「ははーん。全て納得がいきました! お二方がこの時間に帰って来ていないのも全て貴方のせいなのね! 今の私はもうあの時の私とは違いますよ。早くお二方を返してもらいます!」
「ちょっと待ちなさい。それは誤解ですわ。私は彼女らを攫ってはいない」
「は! 誘拐犯は決まってそう言うのですよ。次は責任転嫁をするんでしょう? えぇえぇ分かりますよ。しかーし、そんな醜い言い訳もこの名探偵コチヤには通用しません! 来ないならこちらから行きますよ。いざ、尋常に勝負です!」
話が通じない。彼女たちからはとても頭の出来が良いと聞いているが、おかしな方向に振り切れてしまえばそもそも頭が回らなくなるらしい。
そもそも何故このように短絡的な思考に至ったのかを問いたいところだ。妖怪退治の腕は進化しても頭の方は退化してしまったのではないだろうか。以前は私の課した試験をクリアできるだけの冷静な頭脳があったはずなのだけれど。
「おい紫、まともに相手するのかい?」
「するわけないでしょう? 早急に終わらせるわ」
まともに戦っても結果が同じなのであれば、無駄に希望を持たせるような事をする必要はない。今はまだ未熟なこの娘を沈めるのには一秒もいらない。
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この瞬間、人間、妖怪、神、種族を問わず、山にいる存在の全てが一斉に同じ方向へ顔を向けた。
ある場所では
「い、今のはなんだ?」
「分からないけれど、あそこにフランがいる可能性はあるわね」
「そうするととても危険な状態になっているかもしれません。急ぎましょう」
またある場所では
「今のは……守矢神社の方向から?」
「ったく面倒くさくて人騒がせな連中だわ。行くわよ」
さらに別の場所では
「山にいるという天狗の情報が正しいのであれば今のはもしかしたら……」
「急ぎましょう! 師匠」
誰もが嫌でも反応してしまう。それほど強大な力が山全体を駆け下りた。
目線の先へ急ごうとする者たちがいる一方で、当然その力から逃れようとする者たちもいる。
「今のは……パチュリー様、ここは危険です。今すぐに避難しましょう」
「そうね。というわけで一旦休戦よ、咲夜」
「ええ。元よりそのつもりです。私たちの本来の目的は妹様を探す事でしたし、ここで道草を食っている暇もありませんでしたね」
彼女たちだけではない。山に元々棲んでいる妖怪達の多くはひどく怯えて会話すらもままならないほどになっていた。
それもそのはず。普段の彼らは天狗という山を守る存在に頼りきっており、長く安全すぎる場所にいたせいで腑抜けきっていたのだ。
天狗に至っても下から上までてんやわんやの大騒ぎである。侵入者に対する警告と排除を行おうとしていた上層部の者は皆、想定外の場所からの力に狼狽えるより他はなく、それ以下の天狗たちについては言うまでもない。
神の怒りかと震えあがる妖怪たち。
しかし悲しいかな、守矢神社の二柱は現在地上にすらいないのだ。
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「そも、貴方は地上に出て何をしたいのです?」
「心を読めばいいんじゃないの? いつもしているようにさ」
「そんなことをしてもつまらないでしょう」
心は読めているがそのまま私が一方的に話し続けるのは会話とは言えない。それにそのような事をしても相手が何一つ楽しくないことも千年も前から知っていることだ。
それが分かっていても普段はついつい悪癖が出てしまう。私の周囲にいてくれるのはその悪癖を知って尚付き合ってくれる優しい者たちばかり。
しかしそれでも相手が会話を楽しめていないのは事実。私の方に問題があるのだから、友人のために癖を矯正したいと思うのは至極当然の事だろう。
その実験台として選んだのが封獣ぬえというわけだ。この妖怪にならいくら嫌われても何のダメージも無いし、地上へ解放してやれば二度と関わることも無いだろう。まさにうってつけというわけだ。
「いつもしているくせに」
「貴方には何度も言わなければ分からないのかしら? それとも誰かに代弁してもらわなければ自分の心も分からないような残念な妖怪なの?」
嫌え。私をもっと嫌え。
私を嫌えば嫌うほど、私と貴方の心の距離は広がる。疎遠になれば再びで会おうともしないはず。嫌いな奴の話題など間違っても人前で出そうとは思わないはず。
嫌でも付き合わなければならないような紅魔館の方々とは違い、地上に出た時点でこの妖怪との接点は消え失せる。
莫大な数の経験に裏打ちされた答え。私の身を守るための最適解。
私は嫌われることで敵を作り、あたかも死んだように見せかけることで、鬱陶しい襲撃の数々をゼロにすることに成功した。
数々の修羅場をくぐり抜けて得た結果。私の求めた結論。
私の味方は最低限で良い。この私を嫌わない者たちはほんの数人、両の指で数えられる程度で構わない。
心の底から嫌われて敵を作って、そしてその対価として安寧を得る。何とも歪んだ等価交換。嫌われる勇気に見合うだけのリターンがある。
一度超えた壁ならば、そこから先は何度だって超えられる。嫌われることを恐れたこいしも一度でいいからこの壁を超えられれば良かったのに。
しかしただ嫌われれば良いというわけではない。相手が自分を忘れてしまう程度に嫌われるのがコツだ。憎まれるほど、恨まれるほどになってしまえば逆にこちらの安泰は無くなる。
そのさじ加減。そこさえ上手くできるようになれば、相手の心に惑うようなことにはならない。この妖怪にも上手く忘れてもらいたいところだ。
「本当、面倒くさい奴だわ。どうせ今は心の中でほくそ笑んでいるんでしょ? なんだ、覚妖怪になるのも簡単じゃん」
「失望しましたよ、封獣ぬえ。大妖怪と言えども所詮は子供だましのいたずらで地底に落とされた残念な妖怪でしたか。これほどつまらない妖怪は記憶にも残りそうにありませんね。では」
踵を返して自室へ戻る。
だがしかしこの妖怪は私の思い描いた通りには動いてくれないらしい。
『私の記憶にも残らないのだから貴方の記憶からも私を消せよ』と暗に伝えたつもりだったのだが、彼女は思いのほかプライドが強かったようだ。何としてでも自分と言う恐ろしいモノを他人の記憶に植え付けたいらしい。
迂闊だった。もう少しこの妖怪の本質を見極めてから発言すべきだった。地底に落とされてからもう八百年以上になるはずなのに、まだかつての栄光を忘れていなかったとは。
檻のある場所から私の部屋へ行くには途中に客間を通過するのが一番早い。だからいつもの通りに客間のドアを開いて中に入ろうとしたのだが、中を見た瞬間に私は思わず手で顔を覆ってしまった。
見慣れた顔が二つに見覚えのある顔が二つ。
どうやらお空が畏れ多くもこの神々を地霊殿内部に入れてしまったらしい。呆れたお燐に叱られているが本人は何が悪かったのかさえ分かっていないようだ。
肝心の二柱の方は何処か後ろめたい表情で少し俯いている。……ふむふむなるほど。
「お燐、もうそのあたりでやめてあげなさい。お空も反省しているみたいよ」
実際は全く理解不能といった風で反省も何もしていないが、これ以上彼女を責め続けるのも可哀そうだ。悪いのは隣にいる二柱のようだし。
お空にも私の意図は伝わったらしい。いかにもな表情でお燐に謝っている。こういうところは鋭いのにねぇ。
「さてさて、私が問題視しているのは八坂様と洩矢様の行動の方なのですが……何か申し開きがあればお聞きしますが?」
なんとこの神々はあの時に地上に帰らなかったらしい。私が地霊殿エントランス付近まで見送った後、なんとそのまま旧都の方に足を運んで酒を買っていたというのだから驚きだ。
私の忠告を無視して地底にしばらく居座った結果、紫さんの張った結界のせいで帰れなくなったらしい。で、お空経由で地霊殿に来た、と。はた迷惑な神様たちである。
「いや神奈子のやつが『地底は鬼の楽園だから美味い酒もたくさんあるだろう』とか言って」
「な?! 諏訪子の方こそノリノリだったじゃないの。なんだっけ? 『鬼の酒を呑んでみたい』だったかしらね?」
「初めに誘ったのは神奈子の方だろう?! 責任を押し付けようとしないでよ」
「止めなかった諏訪子も悪いんだ。諏訪子こそ私に全責任を押し付けようとしないでほしいわ」
…………子供か? これでは昼間の威厳が台無しだ。しかしこのまま続けさせたら紅魔館だけでなく地霊殿までもが吹っ飛ぶ事態に発展しかねない。何とかして止めねばならない。
「八坂様も洩矢様もどうかそのあたりでおやめください。これ以上続けるというのなら、昼の許可も白紙に戻します。それに八雲の力でお空から八咫烏を引きはがさせますよ」
地底での力関係は私>二柱であることを明言する。あとは彼女たちの計画の脆弱性についての指摘も付け足す。
地底を利用したいのならばまずは地底の法に則ることだ。地底の主と言う権力が役に立つのはこんな時くらいなのだけれど。
こんな弱小妖怪に対してもきちんと過失を認めて謝ってくれるのだから悪い神様たちでないのは明らかだ。流石は高位の神の器とも言うべきか。
でも結局フランドールさんが連れ戻されるまでは地上に帰れない。
封獣ぬえと言いこの神々と言い。いつから地霊殿は保護施設になったのだろうか。
早苗さんと紫様の詳細に関しては前作38、39、40話で説明してあります
一応38話のURL➝ https://syosetu.org/novel/232464/38.html
さとり様は鬼の前以外では割と嘘も吐きます