トレセン学園には様々な施設がある。学生寮だったり食堂だったり。或いはトレーニング用の部屋があったり。流石日本の誇るトレセン学園。他の学校にはない充実さだ。
そんなトレセン学園にも理科室というのが存在するのだが、理科室は他と比べてあまり使われていなかった。
そんな理科室の前に配達を終えたあなたはいた。手にはニンジンの詰まった段ボール。かなりの重さであるが、慣れた貴方にとってはたいした事ない重さだ。
さて、何故使われていない理科室の前にいるのか。使われなくなった理科室の後には実は続きがある。
箱を足元へ置き、がらりと扉を開ける。中は薄暗く、どうやらカーテンが閉め切ってあるらしい。ただ、多種多様な色に輝く液体達のおかげで足元ぐらいは見える。
その中に佇む一つの影。理科室と言えばの白衣を着て、試験管を片手で揺らす。栗毛の少女はハイライトのない目を此方に向け、そしてやっと来たかと言わんばかりの表情であなたを迎えた。
──タキオン。
「やぁやぁやぁ! やっと来たねモルモット君!」
──モルモットは君のトレーナーじゃなかったっけ?
そんな軽口を交わしながら、あなたは空いている机の上にニンジンの詰まった箱を置いた。
彼女はアグネスタキオン。理科室を私室へと改造し、只管実験を繰り返す学園の“問題児”だ。
──そういえばどうして急にニンジンを?
「何、皆が皆素晴らしいニンジンだと言うものだから、もしかしたら他と違う成分が含まれているんじゃないかと思ってね」
何かウマ娘の身体能力に影響を及ぼす成分があるんじゃないかと思って。とタキオンは言う。別にそんな筈はないんだけどなと思うあなた。
あなたのニンジンは他と一線を画したものであるのは周知の事実だ。しかも発明してからかなりの時間がかかっているのに、何故このタイミングで調べようと思ったのだろうか。
まぁタキオンの考える事は理解の範疇を越える事はあなたは分かっていた為、特に気にする事はなかった。
「ちょっと箱の中を見ても良いかい?」
──どうぞどうぞ。
此方に寄ってきて箱を開けるタキオン。いつもと違う甘い匂いが、辺りを漂っている。何か香水でも付けたのかと思うあなた。
「ふぅン……」
品定めをするかの様にまじまじと見始めるタキオン。
丹精込めて育てた物をじろじろと見られるのは、少しばかり緊張する。落ち着かない様子のあなたを見兼ねたのか。タキオンがそういえばと声を漏らし、自分達とは反対側にあるテーブルを指差した。
「モルモット君も暇だろう? 何、ちょっとした実験に協力して欲しいだけさ」
要するに飲んでみてほしいと言うのだろう。察したあなたはテーブルへと向かい、瓶に入った液体を眺めた。
黒い瓶に入っている為色は分からないが、ちょっと手に取ってみると重い。ずっしりとした液体の様だ。どろどろとでもしているのだろうか。
タキオンの事は信用しているし、危ないものは今まで飲んだことのないあなた。慣れた手つきで瓶を手に取り、キャップを開け、そして口に入れようとした時──此方をチラチラと見るタキオンの姿が目に入った。
──タキオン?
「なっなんだい!? 早く飲みたまえモルモット君!」
──?
慌てた様子だったが、特段気にせずあなたは液体を喉に流し込んだ。甘ったるい味が口の中を支配する。重みのある液体が喉を流れる感覚はあまり良いものではなかった。半分くらい飲んだ所で、あなたは口を離した。
……特に何も起こらない。タキオンのトレーナーは飲んだ瞬間に七色に光出したりしているが、あなたはそんな事は起きた事ないし、今回もそうはならなかった。
「ど、どうだい……?」
──特に何とも……。
「そんな筈は……」
首を傾げるあなたに、タキオンは幾つかの質問をすると言った。問診の様な物だろう。
タキオンがニンジンの箱の前からゆっくりと此方へ近付いて来て、紫色に光る薬品達が、彼女の顔を真っ赤に照らした。
「わ、私の事、どう思うかい……?」
──どう……って?
「ほら! 色々あるだろう? その……えっと……」
──?
「可愛いとか……」
ぽしょぽしょと小さく言葉を紡ぐタキオンだったが、生憎あなたの耳には届いていなかった。
首を傾げるあなたにしびれを切らしたのか、タキオンは吹っ切れた様に唸り始め、そしてあなたが手にしていた瓶をひったくる様に奪った。
そしてそのまま、残った液体を喉の奥へと流し込んだ。
勢い良く飲み、酔っ払いの様に雑に瓶をテーブルに置くタキオン。ちょっとばかし怖くなったあなただったが、半ばやけくそに見える彼女を心配する。
──大丈夫……?
「フフフ……モルモットくぅん。心配してくれるのかい?」
──当たり前でしょ?
あなたがそう言うと、嬉しそうに笑いあなたの首に手を回してくるタキオン。倒れそうになる体をテーブルに腰掛けて支えた。身を捩る事で何とか密着を逃れたあなただったが、タキオンはお構いなしに己の体を押し付けてこようとする。大人の理性と、人としての矜持がそうはさせまいと叫んでいた。
そんな事になっているとは知らずに、タキオンは先ほどとは打って変わって余裕な笑みを浮かべながら、その口を開いた。
「それで、どうだい?」
──どうだいって……何が?
「私の事だよ、モルモットくぅん……」
ちょっとばかしの心配と、妖艶さを絡み合わせてタキオンが訪ねてくる。
あなたはテーブルに腰掛けた事で目線が揃ったタキオンを眺める。そのハイライトのない目が此方を見透かす様に見てくる。
「ほら、モルモット君が来るから色々と準備して来たのさ。髪とか匂いとか。柄にもない事をしたとは思ってるよ」
「それで、ここまで努力した一人の女性に対して、何も言わないのかい……?」
それはある種の期待であった。
潤んだ瞳があなたを貫く。彼女の熱を近くで感じる。
口が開き、何か言おう──
──タキオン……かわい
──とした所で理科室の扉が勢い良く開かれた。
丁度あなたから見て正面の扉が開かれた。扉から入って来た者から見ればタキオンがあなたを押し倒している様にも見えるだろうか。
「タキオンさん……あなたが渡してくれたあのドリンクですが……」
ギギギギギと壊れた機械の様にタキオンの首が回る。
タキオンと仲が良く、お目付け役として任命されたマンハッタンカフェが居た。
そして現状。つまりタキオンがあなたを押し倒している様な風景を見て、カフェはしまったと言わんばかりの表情を浮かべた。
「……ごゆっくりどうぞ……」
そして出ていくカフェ。先程の表情とは打って変わって、汗をダラダラと流し、焦った表情のタキオン。困るあなた。
「カフェくーん!!???」
訂正しようと飛び出していくタキオン。走らないこと! の張り紙を無視して、ウマ娘の全速力でカフェを追いかけていくタキオン。
一体何だったんだろうか……残されたあなたはそう思い、ふと床に何かが落ちているのを見た。
拾って手に取ってみると、『薬品みたいなジュース! これであなたも科学者気分!』と書いてあるラベルであった。
──ジュース飲んだだけ……?
タキオンの様子を鑑みるに、もっと他の意図があった様に見えたのだが……気のせいだろうかと思うあなたであった。
──ー
「カフェ!」
「すみませんタキオンさん……まさかもう来ているとは」
「全く! 実験は成功したが、は、恥ずかしい思いをしたじゃないか」
「その実験ですが……恐らく失敗しているかと」
「え?」
「その……先程買って来たジュースと、素直になる薬を間違えたみたいで……私のトレーナーが飲んでしまいました」
「え?」
「すみませんタキオンさん……大事な時に間違えてしまいました」
「あ、あぁ。いや、良いんだカフェ」
「タキオンさん……? どうして……というか何でそんなニヤニヤしてるんですか……? すっごく嬉しそうですけど」
「なぁに、怪我の巧妙……かな」