碇さんがもう、エヴァに乗らんでええように   作:足洗

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なんかさらっと重大なルート分岐をしているような気がしますが、気の所為です。
あくまでも鈴原サクラさんの、ちょっとアグレッシブな魅力をクローズアップして描写するだけの話になります。





 面会室の強化アクリル板に白く走る罅割れを見るともなしに見て茫然と、少年は立ち尽くしていた。それ以外に何のやり様もなく、惑い驚き乱れる心の遣り場すらもない。

 問いを投げたって、誰も受け取らないし、応えない。枯れ井戸に石を落とすような無為。

 少年は放置された。

 衛星軌道に十数年幽閉され続けた彼が、今になって回収されたのは無論のこと、当然、万に一つの可能性もなく、断じて決して絶対に、エヴァに乗せる為などではない。

 保護し、防衛する為。

 “敵”が再び第三の少年を利用するが如き事態を阻止する為だ。

 碇シンジという肉体の再構成後、即座に実施された深層シンクロテストの数値は全くのゼロ。万分の一を遡ってなお0%だった。

 嬉しかった。心から、喜ばしかった。目出度い目出度いと拍手を送りたくなるほど。

 

「……」

 

 そして同時に、立ち尽くす少年を憐れに思う。

 葛城艦長、そして赤木副長とて何も彼憎しなどという思いで現状、実情の説明を省いている訳ではない。軽々に口に出来るほど、この世界の有り様は易しくなかった。優しく、なかった。

 それを何も知らない彼に教えることを躊躇う心持ちは浅からず理解できる。赤木副長はともかく、葛城艦長にとってはなお一層に。無慈悲で、無惨なことだろう。きっと、互いにとっても。

 

「碇さん、移動しましょか? 碇さんのお部屋にご案内しますね」

「……確かに、手を」

「え?」

「綾波の……綾波の手を、掴んで、こっちに引き戻したんだ。なのに……なんで……なんで、綾波……」

「…………」

 

 綾波、綾波、綾波……少年は繰り返し繰り返し呟いた。その名前を注意深く、大事そうに、捧げ持つかのように。

 それが唯一の依る辺であるかのように、何度も。

 

「………………」

 

 ────軽々しく、言い表せるものか。理解など出来てたまるか。

 彼の、自らの罪の重さを知らしめるのに、百聞を尽くしたって足りはしない。見せ付けなければいけない。

 思い知らなければ駄目なのだ。この人は。

 だから。

 携帯端末を起ち上げる。履歴を漁ってリダイヤルする。

 

「……もしもし、面会終了しました。碇シンジ(BM―03)の移送を」

 

 瞬間、地面が波立った。部屋が震えた。

 違う。船体が激しく上下したのだ。

 

「っ!?」

「なんだ……!?」

 

 衝撃が轟く。何度も何度も。そしてどうやらそれは爆撃ではない。経験的な感覚でそう判じる。空気を伝播する震動が薄い。これは火気を伴わない、もっと単純な、外壁が何かに()()されている。

 

「ミサトさん! リツコさん! これはなんなんですか!? 今攻撃を受けてるんですか!? 新しい使徒っ、それとももっと別の敵に!?」

 

 アクリル板の向こうで艦長と副長は指揮系統の統制の為に有線や端末から指示を飛ばしていた。少年の爆発するような疑問の嵐には一切取り合わず。そんな余裕などないと。戦闘配置下に入ろうかという状況なのだから、当然ではあった。

 しかし同時に、私はそこに倦み疲れた諦めのようなものを覚えた。今、この時この場で少年に掛けるべき言葉を、あの人達は持たなかったのだろう。

 そして思う。それは一種の逃避ではないか、と。説明責任どうこう以前の、この混迷なる状況に放り出された彼に対する不義理。あまりにも不条理ではないかと。

 元NERV本部作戦課長と、同技術開発部総責任者。彼女らの少年に対する存念など、想像するより外ないが、浅く軽いということだけはありえないのだとわかる。

 でも、だからって。でも、そうであったとしても。

 どうしてか、胸中に紡がれる言葉。

 

 ────後ろめたいんですか

 

 一言、そう問うてみたかった。

 不思議な感情が、初めての情念が、くつくつと煮え立つのを感じた。これは、なんだろう。

 苛立ちに似て、それはひどく熱っぽい。怒りのようでいて、遥かに静かな。

 

「っ、綾波……?」

「は?」

 

 少年は中空に、見えない筈の何かを見止めて言った。

 

「綾波の、声が」

「……」

 

 また。

 胸に湧く、胸で沸く。ぐつぐつぐるぐる。掻き混ぜられ、発酵する。匂い立って、膨張し、滔々と溢れる。

 その名前を、この人が口にするのが、ひどく、ひどく…………嫌。

 黒い靄の流出を抑え込んで、その背に声を投げる。

 

「碇さん! ここから移動────」

「綾波! ここだ!」

 

 衝撃。先程までのものとは比べ物にならない物理的破壊の暴風。

 金属の天井が失せて、抜ける。抜けるような青空が現れた。

 長方形だった部屋が半壊し、その一辺がごっそりと剥離された。装甲、外壁、内装、配管電気系統まで、千切れ飛ぶ。

 それを為したのは、巨大な手。手甲を鎧った灰色の巨大な掌が、無遠慮に穴をこじ広げて、こちらに手を伸ばす。

 少年に、手を伸ばしている。赤いモノアイが虹彩を拡張、収縮し、確実にそのフォーカスで少年を捉えている。

 敵性エヴァ。敵機。それが本艦に取り付いている。

 

『碇くん』

「綾波!?」

 

 外部拡声で響いた少女の声に、少年は驚いた様子で──喜びを、滲ませた様子で、一歩。エヴァの手に近寄った。

 駄目。

 

「碇さん!」

「……」

 

 呼び掛ければ彼は振り返る。こちらを見てくれる。その惑う瞳を精一杯に見返す。

 行っては駄目だ。行ってしまえば彼はまた、きっと、また。

 

「行ったらあかん! それに付いてったら、碇さんは……!」

「もう、必要ないって……何もするなって、ミサトさんがそう言ってたじゃないですか。他の人達だって……!」

「そうです! 碇さんはもう何もせんでええんです! ただここにおってくれはったらええんです!」

 

 それだけでいい。そうだ。せっかく、ようやく会えた。だからもう、それだけでいい。ここに居てくれさえすればいい。

 憎いけど、ずっと想い続けてきた。憎らしさと同じくらい、いやそれ以上に私は、あなたが。

 少年は戸惑っていた。躊躇に足を止めて、視線を揺らがせて。

 私を見てる。私を見て、そこに留まってくれて。

 

「……ごめん」

「────」

 

 小さな、暴風に吹き消されてしまうほどか細く、彼は言った。その翳った表情を隠して、私に背を向けた。

 私を置いて。

 私を見限って。

 彼は行く。行ってしまう。あのエヴァの手に、その身を委ねて。

 

「────は?」

 

 そんなの。

 

「許さへん」

 

 絶対に。

 

「行かせへん」

 

 勝手にどこ行かはるん行かせへん私あなたの医務官やからあなたのお世話するんが仕事で使命で夢で憧れで嬉しくて悲しくて…………。

 散らばった医療キット。散逸したその中から包装された注射器を拾い上げた。それも針から薬剤を抜き取る旧来のものではない。弾薬を実包に詰めるのと同じように、柄からアンプルを差し込むだけでそのまま使用できる。

 そして今必要な薬剤も、ちゃんとポケットにある。常に持ち歩いていたから。持っていてよかった。本当によかった。

 

「碇さん……」

「え」

 

 その背中に縋り付く。左腕できつく彼の体を抱き締めた。

 少年は硬直する。私の意表外の行動に。体温が上がり、背骨越しに鼓動の早まりを感じた。それが少し、嬉しかった。

 その首筋に注射器を刺した。

 

「がっ、は……!?」

 

 筋肉注射で十分だった。

 アンプルを押し込む。薬剤が流れ込む。

 即効だ。一呼吸の間で、少年の全身が脱力し、その場に崩れる。それを支えた。決して離さず、ぎゅっと抱き竦めて、自身諸共床面に下ろす。

 そうして叫んだ。

 

「BM-03確保しました!」

「マリ!」

『聞こえてるよーんっと!!』

 

 爆風にバイザーのレンズを砕かれ、それでも瓦礫を踏み付けて立つ艦長。その召喚に軽やかに応じる拡声。

 モノアイに黒鉄の銃口が突き刺さる。

 鮮やかなローズピンクの機体、エヴァ八号機が、手にした拳銃を直接叩き付けたのだ。

 

『お待んたせいたしましたーー!! うちは土足厳禁なのでお帰りは、あっちだにゃっ!』

 

 八号機αの蹴りで、黄色の敵機が空中に踊り上がる。すかさず拳銃が火花(マズルフラッシュ)を咲かせた。

 狙いは正確無比。敵機の頭部が頭骨と脳漿をぶち撒けながら四散する。

 しかし、なおも敵は沈黙しない。背面で蠢いていた触手が形状を変化させ、巨大な翼膜を形成した。

 灰色の烏さながらに飛翔する。

 

『ちきしょうにゃろめぇアダムスの器だ。短筒じゃ止まんないよ~!?』

「間合が取れれば十分! 護衛艦一斉射────()ぇ!!」

 

 ヴンダーの形成するATフィールドおよび重力制御で飛行随伴する戦艦群。それら無数の艦砲が敵機を集中砲火した。

 敵機損害は極めて甚大。翼膜が襤褸切れのようにずたずたになっていく。

 無論、特殊なエヴァンゲリオンであるらしい敵機がこの程度で機能停止することはないだろう。しかし、揚力を、飛翔能力の要である翼を失った今。

 敵は堕ちた。真っ逆さまに。

 

「逃すか……! 追撃する。主砲発射準備!」

「艦内ダメージコントロール。重力制御維持を最優先して」

 

 艦長が端末に怒鳴り、副長が冷徹に下知を送る。

 続く追撃戦に艦内放送が第一種戦闘配置のアラートを鳴らした。

 けれどそんなもの、どうでもいい。今自分がすべきことに、それらはどこまでも些末事だから。

 繋ぎっぱなしの端末へ、暴風に負けないよう声を張る。

 

「移送班! 隔離室までのルート確保! 碇シンジを運びます! 急いでください!!」

 

 脈を取る。胸に直接耳を押し当てて心音を聞く。

 顔色、血量、瞳孔、体温。この場で診られるあらゆる身体情況を五感全てで精査する。

 異常なし。勿論、この後の精密検査は決定事項だが、ひとまず彼は健常だ。

 安堵する。深く、息を吐いて。少年を抱く腕に、より一層の力を込めた。

 昏睡したその寝顔に微笑む。あどけない少年の顔、頬に触れる。

 

「どこへも行かせませんよ。碇さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

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