碇さんがもう、エヴァに乗らんでええように   作:足洗

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漫画版カヲルくんの処置法、なかなかに罪深い。興奮する(唐突な性癖吐露)





 

 

 

 エヴァパイロット用の完全隔離空間および隔離居住ルームは船内に二区画二棟。AAAヴンダー船体のほぼ基幹部に存在する。

 部屋は、人の住処と呼ぶには無機質であり金属質な、合金のフレームで組み上げられたガラス張りの箱だった。

 虫籠だ。この(ねぐら)を表するならばそれが適当。中にいるサンプルを観察する為の。

 あるいは、檻。猛る獣を飼う為の囲い。

 獣の名は式波・アスカ・ラングレー。自分に何を期待されているのか、アスカはよくよく承知している。

 暴力、兵力、決戦兵器運用の為のパーツ。戦うことが自分の役目だ。戦い、守ることが。

 

「……」

「やっはろー! たっだいまお姫ー!」

 

 部屋の扉がスライドして、ピンクのプラグスーツ姿が現れる。真希波・マリ・イラストリアスは、言うが早いかベッドに横たわるアスカに飛び付いた。

 

「うざい」

「やーん今日は一段とCoolだねぇお姫。機嫌悪い? お腹空いてる?」

「空く訳ないって知ってんでしょバカ」

「ふふん、そだったそだった。て・こ・と・は、やっぱし理由はワンコくんかにゃ~?」

「…………」

 

 ベッドサイドのテーブルから携帯ゲーム機を掴み、電源を入れる。シンプルというより無味乾燥なUIが起ち上がり、パズルゲームがスタートする。

 返答の代わり。応える気はないという意志表示。

 まるっきり肯定しているも同じだけど。今更慌てふためいて屁理屈を捏ねて言葉を重ねて必死に否定するなんて可愛げ、とうの昔に失くして久しい。

 それでもマリは、無愛想なアスカに笑んだ。実に喜ばしげな笑みだった。

 それがひどく、腹立たしい。

 業腹なのはなにもマリの人を食った態度の所為ばかりではない。いやむしろ、それこそ、あいつの所為だ。

 

「バカがガキに退化してた。それがあんまりにも目障りだったってだけ」

「アグレッシブな脱走劇だったねぇ。まあ無事に失敗したけど。首輪を付けても、ワンコくんはお座りしてられないみたい」

「何も知らない何もわからない教えて教えて教えて、はっ! 極めつけの能天気が。見ててイライラする」

「仕方にゃいんじゃない? 目が覚めたら14年モノの浦島太郎くんだもん」

「知らないわよ。あいつの事情なんて誰が汲んでやるもんか。あんなガキは何も知らないバカのまま放置しとけばいいのよ」

「あっはは、やっさしいな~お姫は~!」

「誰が」

 

 マリの言葉に他意はない。その他意の無さが、最大級の皮肉となってこの身に刺さる。

 自分の思考が、厭わしい。苛立つ。この甘さ。このこびり付く……未練が。

 

「でも、お姫の情けの寿命は短かったみたい」

「?」

「どうやらサクラ医官(センセ)は、私らが思うよりもずっと手厳しい子だったらしいよ。ワンコくんにニアサーの記録文書から画像から映像から、たぁーっぷりと御開帳しちゃったらしくてさ」

「…………」

 

 ニアサードインパクトに端を発する人類補完計画の爆心サードインパクト。人類の物理的大量絶滅と人類の強制転化合一化をゼーレと呼ばれる狂信者集団が画策し実行した、謂わば人災。それらは実に半端に不出来に世界を滅茶苦茶にして御破算を迎えた。

 その代償と不始末で、外界はインフィニティの成り損ない、エヴァ擬きが跳梁し闊歩する地獄と生まれ変わり、その化物共と人類との長い長い生存競争が幕を開けた。

 戦い戦い戦い戦い抜いて、赤く凝固した地上に遂に、ようやく、狭域ながら人類の生存圏を獲得したのがつい昨日のことのよう。

 14年。あの頃の自分を丁度折り返すほどの年月が、気付けば一瞬で過ぎ去ってしまった。日本語では、射られた矢のよう、と言うのだったか。ふざけろ。

 

「……結構なこと。お望み通りの、知りたがってた事実じゃない。ただの事実。今この時代、一歩外を出歩けばどこにでも転がってるものよ」

「それでも、14年分一気ってのはちょっとスパルタ過ぎるんじゃにゃーい? お姫やクルーの皆が14年かけて咀嚼してきた現実を、小一時間で飲み込んで消化するのは。お腹ピーピーどころか、きっとワンコくんゲロっちゃうんだろうにゃー。ニャンコみたいに」

「吐けばいいわ。苦しんで苦しんで悶え転がって、現実ってものを心底思い知ればいいわ。それくらいしてようやく、」

「ようやく?」

「…………」

 

 ニヤケ面が覗き込んでくる。徹底の無視を決め込んでも、マリの興味深げな視線は離れない。鬱陶しい。

 あまりにも鬱陶しくて、一言吐き捨てた。

 

「ガキからバカに戻るだけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと気付くと、ガラスに映る誰かと目が合う。

 酷い顔だった。倦んで、膿んで、腐るのを待つだけの濁った眼球。黒々と眼窩の皮膚に塗り込められた隈。張りを失い衰えこけた頬。

 死人のようなものがそこにある。

 碇シンジという名のものがそこにいる。

 死人のようでも、生きていた。死んだような顔をして、それでも生きていた。

 生きている。夥しい死を、他者に強いたのに。

 数え切れない命をLCLにして。大地を穢す赤い染みに変えて。

 顔も知らない誰かが死んだ。たくさんたくさん赤い水になって死んだ。

 人が死んだ。死なせた。殺した。

 僕が、殺した。誰も彼も殺した。老いも若きも男も女も、赤子も、殺したんだ。僕の行いが、殺したんだ。

 人を殺した僕が、けれど生きていた。

 

「ああ゛あ゛ああぁぁあぁあああぁああああああああああああああああああ!!」

 

 喉を絶叫が焼く。血の味がした。命の味がした。

 自分が生きている実感。それは罪悪感と並列している。生きていることが後ろめたい。生きてここに在る自分が耐え難い。何故生きているのだろう。こんなに辛く、苦しく、痛いのに。罪の重さが背骨を軋ませる。

 蹲り、顔を膝に埋めて頭を抱えた。爪を立てて掻き毟る。頭髪の幾らかと皮を削った。

 痛い。血が滑る。暖かい。痛みが、生を実感させる。

 吐き気が胸奥から溢れ出た。

 

「おごぉっ、おぇ、げはぁっ、が、ぶ、ぐ、ぅえ゛っ」

 

 出てくるものは胃液、胃液、固形物は少なく、褐色の泥めいた吐瀉物が僅か。それでも食べ物が混じっている。与えられた食料を口にしたからだ。物を食うという行為を自分は許されたからだ。

 他人の、その当たり前を、お前は奪い取った癖に。人としての営みを、お前は永遠に摘み取った癖に。

 汚穢(おあい)、汚濁、自分の身の内に湧く汚らわしいものの象形。それらが胃の腑から食道を通り、喉に渡り口腔を満たし、口からも、鼻からも、漏れ出てくる。

 臭い。酸っぱくて、苦い。汚物の成り損ない。鉄錆の後味がいつまでも残る。いつまでも、いつまでも。

 

「はっ、は、は、ぁ、は、ひゅ、こひゅっ、ひ、ぃ、あ、はっ、はぁっ」

 

 腐った息を吐いて、けれど吸えない。呼吸さえ満足にできない無能。酸素の欠乏で脳が機能不全を訴えてくる。当の持ち主の精神が劣弱で怠慢だから、肉体の方に愛想を尽かされたのだ。

 視界から色が消える。輪郭線が朧に滲む。

 よたよたと体が傾く。胃液と汚物を踏み躙って足が滑る。

 仰向けに倒れる────しかし、体は床面に衝突しなかった。

 支えられていた。背後から抱き竦められている。

 そのまま膝から力が抜ける。思いの外ゆっくりと、地面に腰を下ろした。

 

「碇さーん、はい、息を吐いてくださーい。ゆぅっくり、ゆぅっくり」

「はっ、はぁ、ふ、ふぅ、ぶっ、う゛……」

「大丈夫ですよぉ。大丈夫。ゆっくり、ゆぅっくりで。今度は少しずぅつ吸ってー」

「ふぅ、ふぅ……ふ、ふぅ……」

 

 耳元から優しく、壊れ物を扱うように優しく、囁きが体の中を響く。軋んだ背骨を解すような、固化した脳幹を溶かすような、ひたすらに優しい声。

 ただ言われるままに従う。それ以外の思考能力はほとんど役立たずに沈黙を貫いていた。

 言われるままに、命じられるままに……それだけが取り柄だった。いつだってそうして嫌なことから目を背けてきた。処世術。そう嘯いて。

 自己嫌悪が、今更理性に火を入れた。視界が正常を目指す。十分にクリアになったとは言えないまでも、状況を理解する程度には回復した。

 自身の背中に密着する鈴原サクラに目を向ける。彼女は柔らかな顔で笑った。

 

「呼吸、落ち着いて来ましたね。立てますか? ベッドに移りましょか」

「…………はい。すみません、服と、床……また、汚して」

「そんなんええんですよぉ。さ、掴まってくださいねー」

 

 彼女に腕を取られ、立ち上がる。血流の変化で、また眩暈がした。

 ぐらつこうとする体を、けれどしっかりとサクラさんが抱える。汚物に浸った患者衣は、彼女のエプロンやシャツも諸共に穢した。

 それを彼女は気にも留めず、ゆっくりとベッドに導いてくれた。

 腰を下ろすと、手を取られて脈をとられ、ライトで両目も診られ、上体も触診される。

 その診察をぼんやりと見ていたこちらの視線に、照れ臭そうに彼女は笑みを返した。

 

「そらセンサーでピッとやったら一発ですけど、この辺はやっぱり感覚頼りなんです。医療も科学も日進月歩やのに、アナログやなぁ思いますよね。でも」

 

 言いつつ彼女はエプロンのポケットから布巾を取り出した。それでそっと、口許を拭われる。早くも渇き始め、粘つく涎、胃液を丁寧に丁寧に清拭して、また彼女は微笑む。どうしてか、こんなにも──嬉しそうに。

 

「こうやって直に触ると、あぁこの人はちゃんと生きとるんやなぁって、安心するんです」

「…………」

「生きとってくれはるだけで……嬉しいんです」

 

 その視線に耐えられず下を向く。俯き、ただただ頭を垂れる。

 それは逃げだった。謝罪や自戒や猛省なんかでは断じてない。罪科の重みにただ、頭蓋を重くして。

 その優しさから逃げる。逃げなければ、体が、心が、みしみしと潰れてしまう。その在りもしない恐怖にただ慄いて。

 俯く顔の傍に、プラスチック製のパウチ容器が差し出された。飲料水だ。

 

「とりあえず今は口、(すす)ぐだけで。胃がびっくりしとるから、しばらくは食べたり飲んだりは控えましょうね」

「…………」

 

 差し出されたものを受け取りもせず、見詰め続ける。

 受け取れない。受け取る資格が無い。水は貴重だ。稀少な資源だ。

 僕が、それを費やしていい筈がない。

 食料は貴重だ。稀少な資源だ。

 今、自分はそれを汚物として床にぶち撒けた。

 

「……もらえません。もらっていい理由が、ありません……今だって、全部、全部、吐いて……」

 

 飲み食いする自由も権利も、当然も、他人から奪い取った人間がそれを塵にする。その不遜。この無恥。こんな冒涜。

 

「栄養剤の点滴だけいうんはやっぱり良うないです。口に入れて噛んで、飲み込んで、胃と腸を働かせて吸収するんがなんやいうても一番健康にええんですよ」

「…………」

「あ、吐いてもうたの気にしとるん? どってことあらへんよぉ、一週間前は一口も食べれへんかったのに今日は20gも食べれましたやんか。碇さんは一所懸命にされてます。ホンマに」

「……そ、んな、わけない」

「ううん、碇さんは、ちゃんとしてます。ちゃんと生きてます」

「生きてるだけだ!!」

 

 焼かれた喉から出る声は、聴くに堪えない濁ったもので、濁った胃液の飛沫が手の甲を汚す。

 

「逃げて、逃げ切れずに、迷って迷って、結局エヴァに乗って、それでも、そうすれば、綾波を助けられると思ったから……でも、それが、あんな、あんな、あんな!! 僕が選んだんだ。僕は思ってたんだ。世界なんてどうだっていいって! 綾波さえ助けられればそれでいいって! どんな犠牲が払われるかも考えずに!! 犠牲っ、犠牲が、あんなにたくさん、死んだんだ!!」

「……」

「……僕が生きていていい理由なんてない。食べる自由も、話す自由も、息をする自由も、人のそれ全部をなくしたのに。僕が……どうして、生きて……いぎで……」

 

 両手で頭を圧し潰す。このまま砕いてしまえたら。そんな浅ましい願いを過らせて。

 どうして生きてるの。どうしてこんな僕が生きてるの。何の価値もない僕が、どうして生きてるの。

 

「……ひゅっ」

「碇さん……」

「はっ、ひ、はぁっ、は……!」

 

 また呼吸が乱れていく。吸っても吐いても体に行き渡るものがなかった。いや、その逆、貪欲に生き汚くも酸素を取り込み過ぎて、その他の必要なものを不精したから。

 精神と肉体の乖離。生きているのは辛いと駄々を捏ねる癖に、死にたくないと全身で叫んでいる。無様で、醜かった。

 このまま、息絶えられたなら。また浅ましい願いが一つ、脳を過った時。

 頬に両手を添えられて、頭を持ち上げられた。目の前には当然、サクラさんがいて。

 その唇が、自分のそれに重なった。

 

「んぐっ!?」

「……」

「んっ!? ぶ、ひゅ、ん゛ん、ぢゅっ」

 

 それは未体験の、生温かで、湿潤な、呼吸。

 息を吹き込まれた。口内に、そして肺に。彼女から送り込まれてくる吐息を、僕は抵抗もできず、ただ一心不乱に吸い続けた。

 肺の中、胸の奥、そこが自分ではない熱で塗り替わる。染まり上がる。

 不思議なほど息苦しさは覚えなかった。徐々に呼吸が整い、けれど心臓は鼓動を早めていく。

 数秒か、数分か、時間感覚を喪失した。長いようにも思えたし、ほんの一瞬の出来事にも思えた。

 

「っ」

 

 最後にぬるりと、舌で舌を撫でられた。労わるような感触で。

 離れていく彼女の頬はほんのりと赤い。照れたように微笑んで、サクラさんはまた手にした飲料水を差し出す。

 わからなかった。

 

「……どう、して」

「……」

「どうして、こんな……僕なんかに……どうして、どうしてだよ……」

 

 その献身がわからなかった。彼女の慈しみがわからなくて、あまりにも烈しくて、そして怖かった。

 自分自身のこの罪を知らしめたのは、その当の被害者の彼女なのに。

 訳がわからない。なにもかも、なんなのか。

 大水の川のうねりのように思考は混濁する。理解不能。理解不能。理解不能。

 物分かりの悪い患者を、サクラさんは優しげな目で見下ろした。

 

「あなたが碇シンジさんやからです。お父ちゃんの仇で、私の恩人が、あなたやから」

「…………」

「死ぬなんて許しません。生きてください。どんなに辛くて苦しくても、生きてください」

 

 手を取られ、掌に容器が乗せられる。サクラさんはぎゅっと両手で僕の手を覆った。

 昔から、人と触れ合うのが怖かった。自分と他者との境界が曖昧になることが怖かった。

 でも、その手は暖かい。それは命の熱だった。

 生きている、証だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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