碇さんがもう、エヴァに乗らんでええように   作:足洗

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ラブコメっぽいのが書けた(強弁)




 

 何も知らなかったんです。

 

「知ろうともしなかった癖に」

 

 そんなつもりじゃなかったんです。

 

「覚悟なんてないのよ。何の責任も、傷も、負いたくないから」

 

 僕はただ、助けたかった。

 

「あんた自身の為でしょ。自分が救われたいから。自分に優しくしてくれる相手だから。あんたは誰だってよかったのよ」

 

 僕はただ、ただ……。

 

「また言い訳?」

 

 僕の、所為なのか。

 

「あんたが選んだことよ」

 

 僕が、悪いのか。全部。

 

「あんたが選んだことよ」

 

 じゃあ一体、どうすればいいの。

 

「……さあ? 自分で考えれば。あんたが、自分で選んだことでしょう────私を選ばなかったあんたが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにある。

 あそこに。

 ここに。

 満ちる。

 嗅ぎ馴れた匂いだった。懐かしい、匂いだった。

 

 ────母さん?

 

 口をつく。それは求めるような、縋るような響きで。

 どうしてその名を、その人を呼んだのか。顔も覚えていないその人を。

 懐かしい。暖かい。不純のないところで、僕は眠る。

 不純のない水底。いつか、どこかで、揺れ動く水面の光と降り注ぎ流れる輝きの光景。匂いが思い出させる。

 そうだ。そう。皆で行ったあの。海洋生態系保存の為の、その研究所。そこで嗅いだ匂い。

 命の匂い。死んだ生き物達が腐って溶けた臭い。

 同じ。同じだ。

 どうして同じなんだ。

 あの青くて、綺麗で、光で満ちた海と。

 赤くて赤くて赤くて赤くて赤くて赤くて赤いこの、この赤い液体と。

 同じだった。鼻を蝕んで脳髄を侵す臭い。臭い。

 そうかこれが。この腐臭こそが。

 生命のスープ。人だったモノの成れの果て。

 そして僕の────罪だった。

 波の音がする。寄せて返し、小波が立つ。砂浜の白を侵す赤。暗く黒い夜空さえ蝕む赤。

 赤い海を見ている。ぼんやりと、独り、浜辺で。

 いや、違った。独りではなかった。

 首を巡らせると、向こうに誰かが立っていた。自分と同じように浜辺に立つ誰かが。

 誰かは、けれど、海を見ていなかった。

 僕を見ていた。

 その片目でじっと、僕を見て。鋭く、凝然と、僕を見て。

 枯れて掠れた声が耳を刺す。

 

「今更」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いーかーりーさんっ」

「……あ、はい」

 

 顔を上げる。ベッドに腰掛けた自分の前には、いつの間にかサクラさんが立っていた。

 日毎、彼女はこの部屋に訪ねてくる。金属で組まれたこのガラスの箱。それが自分を閉じ込める為の籠であることは言われるまでもなく理解できた。

 担当医官、彼女は自身を差してそう名乗っていた。碇シンジという収容対象の健康状態を管理するのが彼女の仕事なのだろう。

 弾むような声、笑顔。鼻を掻くその仕草に、否応もなく懐かしさを覚える。

 サクラさんは聴診器やペンライトを使っててきぱきと触診を済ませ、タブレットに何かを記入していく。十日にもなる。もはや見慣れた作業風景。

 

「自覚できる不調や、痛みや吐き気はありますか?」

「いえ……特には」

「どんな些細なことでも、なぁんでも言うてくれはったらええんですからね。ただ隠したり我慢したりするんだけはメっ、です」

「は、はい。なにか、その、変わったことがあれば、ちゃんと言いますから……」

「……約束ですよ? 碇さんはギリギリにならんとなんっも言わはらへん。言うたらあれです、ホンマ肝臓みたいな人や」

「か、肝臓、ですか?」

「そ、沈黙の臓器。痛がった時にはもう手遅れ……や、洒落ならんわこれ。ごめんなさい忘れてくださいすんません」

「は、はあ……?」

 

 自嘲して、あせあせと手を振って、おどけて笑う。

 明るく朗かで、こちらまで絆されてしまうよう。

 気遣われていた。一人の患者に向き合うようにとても真摯に。一人の人間として、ひどく真っ直ぐに。

 どうして。疑問は尽きない。腹の底から、胸の奥から、喉を溢れ口内を満たす。嘔気にはすっかりと慣れ親しんでいるのに、この不快感はまったく別種のそれだった。

 いや、快不快という次元の話ですらない。

 正しくない。分際に見合わない。相応しくない。分不相応だ。

 どうして、優しくしてくれるのか。誰あろう彼女が。この人が。

 

 親の仇である僕に

 

「…………」

 

 誰かの仇である僕は、けれど今もなお生きている。穏やかに、健やかさを求められてさえある。

 意味不明。理解不能。

 因果は応報しなかった。天罰は覿面に為らなかった。

 悪因は、善果を貪っている。

 僕は生きている。

 罪があるのに、罰はない。どうして、僕は、僕は────

 

「碇さん」

「っ、はい」

「……そんなに、怯えんとってください」

「そんなこと、そんな、ないです……す、すみません……」

「……」

 

 しどろもどろの手前で口をつぐんだ自分を、サクラさんは見詰めていたような気がする。

 確かめる勇気はなかった。見上げることが怖くて、ただ視線の感触に身を固くする。

 

「……謝ることなんてあらへん────謝って済むようなことや、ない、から……」

「…………」

 

 重い、重い言葉を頭上に戴く。項垂れた上半身に鉛を乗せたような、痛みすら伴う重圧。

 呼吸が乱れる。心臓が早鐘を打つ。血が下がり、眩暈が起こる。

 それを、噛み締めて。

 

「っ……」

 

 ああ、()()は正しい。これで、正しい。

 しっくりくる。深く澄んだ憎しみ。あの日、彼女が僕に見せたもの。恐ろしいくらい純粋なもの。その嘘の無さに、僕は戦いて、喚き散らし、反吐と涙と洟に塗れながら嫌々と顔を背けることもできずただ厳然とした真実を突き付けられて。

 その嘘の無さに────何故か安堵した。それを懐かしいと感じた。

 

「……し、食事にしましょか! 今日の献立はなんと魚ですよ、天然もんの魚! 毎日あんなペーストみたいな病人食やったら味気ないし精も付きませんわ。最近は碇さん、食もちょっとずつ良うなってきはったし、ね! しゅっとしとる碇さんも素敵ですけど育ち盛りなんやから、もっと太らなダメですよ」

「……はい」

「たっくさん食べて、その……元気に、なってください。やいのやいの言うといてなんですけど、これは本心です。ホンマです。信じて……ください」

「はい……ありがとうございます」

「…………」

 

 白々しく感謝を口にする自分は彼女の目にどう映ったろう。それすらやはり、確かめられなかった。

 

「……」

「……」

 

 ただ、息の詰まるような沈黙が室内に降りただけ。そして、それは不思議なことに、彼女にとっても同じ重みと閉塞感をもたらしたように思えた。

 無言が無色じゃない。

 

「あの……?」

「あ、はい! えっと、今朝の検診は以上です! 食べ終わったらまた食器下げに来ますから。あは、あははは……」

「……?」

 

 見上げた彼女の笑顔は随分ぎこちなくて、定型句さえどこか言い訳染みていた。

 

「えと、えと……あ、せやせや! 碇さん、なんか欲しいもんとかないですか!?」

「えっ、欲しい物、ですか」

「はい! 娯楽品とか、身の回りの雑貨とか、必要なものがありそうやったらなんでも言うてください。あぁ勿論、物資の関係もあるんで、ご希望通りに全部どぞー言う訳にはいかん思いますけど……こぉんな殺風景なとこじゃホスピスもケアもへったくれもあらへん。心身の両面(りゃんめん)健康にでけへん。そないな手落ち……担当医官の名折れです!」

「な、なるほど」

 

 拳を握って俄かに奮起する彼女に、案の定、上手い返答は浮かばなかった。

 欲しい物。

 そんなものを強請れる立場か。

 胸中に湧くそんな自分への侮蔑を一旦脇に退け、考える。単純に必要なものを言えばいい。ここでの生活はきっともっと、長く永くなるのだから。

 数秒、頭の中で様々な物品を思い起こしては払い、思い描いては消す。どれもこれも嗜好品に過ぎず、今の自分に不可欠なものとは思えなかったから。今の自分の分に見合うものなど、この部屋の中で完結しているから。

 囚人に一番必要なのは物でも待遇でもない。不自由だから。自由を奪われることが、必要なのだ。

 

「……」

「碇さん……?」

「あの、一つだけ、いいでしょうか」

「! はい、なんですか? 本でも音楽プレーヤーでも、なんかこう可愛い……ぷ、プルォヴァンスな小物でもええんですよ!」

「い、いえ。小物はいいです……端末を一つ、貸して欲しくて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 隔離室を後にして、宛がわれた仕事場であるところの医務室へ向かっている。

 通路の硬質な床を蹴る音。それは凝り固まった心中にやたらと響いた。

 淀む。清くない、正しくない何かで。汚くて、陰険な何かが。

 それは名を自己嫌悪と言った。

 

「…………」

 

 嫌味ったらしいと思った。自分の態度、うっかりと漏らした言葉が。

 恨み言を聞かせたい訳じゃなかった。

 

 ──どう言えば彼が痛がるのか知ってる癖に

 

 明るく振る舞って見せても、気遣わしげに労って見せても、白々しさが拭えない。彼に健やかでいて欲しいのは紛れもない本心だ。元気になって欲しい。

 笑って欲しい。笑いかけて、欲しい。

 

 ──苦しみ喘ぐ彼を見て、何を考えた?

 

「っ……!」

 

 息が詰まった。喉奥に(しこり)を覚える。実体のない違和感、なによりの不快感。

 彼が求めたもの。それは、厳密には艦内の共有ネットワークへのアクセスとデータ閲覧に対する許可だった。

 閲覧内容の検閲と、使用履歴の提出、報告を条件に、本件における赤木副長からの承認は実にあっさりと取り付けることができた。

 彼の手元には既に望みの品が渡っている。自分が業務で使用するのと同型のタブレット端末である。

 艦内の重要データには当然レベルに応じて閲覧制限が設けられている。各階級、各科によってアクセス可能な内容は種々別れるが、現状“仮称・碇シンジ”に開示される情報は、ヴィレが保有する膨大なそれを思えば極々僅かと言わざるを得ない。

 

『はい、構いません。見なくちゃいけないものを見られれば、それで……』

 

 彼はあっさりと承服した。

 何故なら、彼の言う見なければいけないものは、彼に許された至極狭域な権限であっても容易に閲覧することができるからだ。

 それは、ヴンダークルーの有志によりまとめられた記録である。手記、と呼ぶ方が合っているかもしれない。

 科学的、史実的な事実とするにはあまりに個人の主観が介在し過ぎていて、研究開発に利用できる数的な価値も薄い。

 それは一種の思い出だった。忘れ得ぬ過去であり、私達(ヴィレ)の原点であり、悪夢の始まり。

 ニアサードインパクト、赤い地獄の記憶だった。

 あの日を、これまでの日々を決して忘れない為に。そこにはクルー全員を対象に収集された災厄のあらゆる記録が保存されている。閲覧制限はない。ヴンダー内の全ての端末からそれを見て、聞くことができる。

 憎しみを、怒りを、無念を、悲しみを、喪失を。

 復讐の、願いの、祈りの、義心の、火を燈し続ける為の薪。

 そこには私の、父との思い出も仕舞われている。父との別離の日、幼い私と兄と父と、難民窟で炊き出しを食べている写真だった。ケンスケさんに撮ってもらったんだったっけ。そのすぐ後……父は赤い水に溶けた。

 忘れない。忘れない。忘れない。

 忘れられない。忘れてはいけない。

 私は、決して、その別れを、忘れない。その別れの元凶を許さない。

 元凶。源。全ての始まり。

 碇さん。

 ああ、碇さん。あなたが選んだんです。エヴァに乗って、あなたはあなた自身の願いを叶えようとした。それがどんなに真っ直ぐで、純粋で、それ以外にどうしようもない決断であったとしても。

 あなたの選択が、全ての始まりなんです。14年ずっと世界へ奔り続ける災禍というドミノの、最初の札を倒したのは、あなた。

 ……そんなあなたが、どうして?

 多くの人の嘆きと絶望と喘鳴に満ちた記憶を見ようとする。どうして。

 一度、それを見せた。見せなければいけないと思ったから。知ってもらわなければいけないと信じたから。

 誰あろう碇シンジは思い知らなければいけない。その選択が何を招いたのかを。是が非でも、完膚なく、骨の髄から、知らしめる。それがせめてもの、せめてもの……そう自分勝手に思い決めて、彼に過去の凄惨な記録をまざまざ見せ付けた。

 結果は、恐慌と錯乱。驚くことに、心因性の嘔吐と過呼吸だけで彼の肉体は生死の境を彷徨った。

 その後の心身衰弱の様子から、彼の罪の意識は極めて根深いと知れる。あるいは、過剰といえるほどに。

 

 それを見て、何を思った?

 罪に恐れ戦き、怯え竦む彼を見て、何を感じた?

 罪に、他者の憎しみに──私に苛まれながら、それでも、少年は自罰を選んだ。

 その姿を見た時、私は。私は、心の中で。

 

「あぁ可愛(かい)らしいなぁ……碇さん……」

 

 両手で口を覆う。

 今、喋ったのは。声を漏らしたのは。熱く、熱く吐息を零したのは。

 誰。誰……私?

 

「わ、私……なに、言うとるん……」

 

 生きていてくれるだけでいいと思った。彼がそこにいてくれるだけでいいと。

 憧れは憐れみに変わった。エヴァに乗るだけ苦しみ、不幸になっていくあの人を、慈しみたいと願った。

 それは本心。紛れもない私の希望。

 でも、同時に。

 罪に苦しみながら、罪を直視しようと、罪に目を焼かれるあの人は。あの人の、滑稽さが、健気さが。

 

 こんなにも愛おしい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴンダー艦橋。

 球形の全天周型モニター、その眼下に赤い荒野を望む。

 脳幹を模した主塔から七方へ伸びる梁。その先端に据えられた各々のシートで、今もオペレータ達が忙しなく各セクションへ向け指示を飛ばし、また報告を受け取っている。

 主塔の頂きに立つは艦長・葛城ミサト。その隣で端末に目を落とす副長・赤木リツコ。

 

「梃子摺らせたわね」

「アダムスの器。旧来のエヴァとは根底から成り立ちを異にする存在よ」

 

 数日間に及ぶ追撃戦は、辛くもヴンダーの白星となった。

 敵方の当初の目的があくまでも碇シンジの奪取であったこと、単機による電撃作戦の都合上増援がなかったこと……これは捨て駒であった可能性も否めないが……とはいえ、常軌を逸した再生能力と弱所皆無の全身コア、無尽蔵のエネルギー機関を持った敵機を一つ潰せた事実は変わらない。

 

「機体墜落の直前にエントリープラグは排出されている。こちらは本体と違って取り回し易い旧式デバイスを踏襲したようね」

「捜索の必要性は無し、と私は判断します。どうか」

「副長からも異存はありません」

 

 赤い荒野に一際赤黒く描かれた十字架。磔刑の象形の如くに広がる液体は、形象崩壊した敵機の骸だった。

 

「有効な攻撃手段が要る」

「簡単に言わないで。分析が終わっても、あの機体の堅牢性をより証明するだけに終わるかもしれないわ」

「そのない筈の隙を見出せなければ我々に勝機はない。分析班に手心なくそう伝えて」

「……貴女のその無茶、14年も経つけれど未だに慣れないわ」

「年月を振り返る余裕があるなら、リツコもまだまだ若いわよ」

「……」

 

 手心のないその皮肉にリツコは眉を潜めた。平素なら聞き流すところだが、ふと思い立つ。

 今、リツコの手には返す刀が握られているからだ。

 端末を操作して、一件のデータを呼び出す。

 

「艦長、相談があるのですけど」

「?」

 

 持って回した言葉遣いに、ミサトが怪訝な顔をする。バイザーの下の目が、なんと珍しくも戸惑いを映している。

 リツコは端末の画面を見せた。

 それは監視カメラの映像記録。スピーカーをミュートに設定し、再生を開始した。

 

「!」

 

 隔離室、碇シンジの部屋であった。シンジと、その担当医官である鈴原サクラ少尉がいる。

 ベッドに腰掛けたシンジが突如、俯き苦しげに喘ぐ。無論、声は聞こえない。しかし、恐慌に歪む顔は、姿は、その喘鳴をミサトの耳に幻聴させるには十分だった。

 呼吸困難の様相で苦しみ続けるシンジに、す、とサクラが近付いた。医師である彼女が異状を露わにする患者に手を(こまね)いたままでいる筈もない。

 何かしらの医療行為が始まるのだろう……そんなミサトの予想は大きく裏切られた。

 サクラは徐に、シンジに口付けたのだ。

 

「ちょっ」

 

 思わず発し掛けた声を噛み殺す。

 艦橋に居合わせたクルー一同が何事かとミサトへ振り返っていた。

 それをどうにか黙殺しつつ、手元の端末を盗み見る。

 程なく、二人の唇は別離して、同じくしてシンジの異状も快復したようだ。

 

「……副長、説明を」

「碇シンジはヴンダー搭乗直後、ストレス性の過換気症候群を罹患していたようね。その発作を、鈴原少尉は咄嗟に、ああいった手段を用いて応急的に対処した。それだけのことじゃない?」

「…………」

 

 マジで言ってんのかこのアマ。バイザー越しに見えるミサトの目はそのような文言を発していたが、リツコは知らぬ存ぜぬと肩を竦めるばかり。

 ここ14年来見ないほどに情感豊かに、ミサトは瞳の奥で懊悩した。

 

「……監視を継続。少尉に注意喚起、目に余るようなら管理担当医官の変更も考慮します」

「余計な仕事が増えるわね」

「それと……アスカには見せないでよ、それ」

 

 新たな頭痛の種の芽吹きを覚え、ミサトは鼻から努めて浅く溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

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